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大河ドラマアンコール 風林火山 第45回「謀略!桶狭間」のネタバレとあらすじと感想。

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「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。

2017年4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。

2018年2月11日に放送されたのは、第45回「謀略!桶狭間」です。

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前回、越後の宇佐美定満(緒形拳さん)の使者として矢崎平蔵(佐藤隆太さん)が、駿河にいた諏訪頼重(小日向文世さん)の嫡男、寅王丸(柄本佑さん)を迎えに行きました。

寅王丸は甲斐へ行き、武田信玄(市川猿之助さん)の側室、於琴姫(紺野まひるさん)のいる積翠寺で信玄に接触。暗殺を仕掛けましたが、失敗しました。

寅王丸は躑躅ヶ崎館に連れていかれ、信玄とこれまでの事を話している途中、信玄の嫡男、義信(木村了さん)に、姉、由布姫(柴本幸さん)の事を侮辱され、刺そうとしたところ、三条夫人(池脇千鶴さん)の侍女、萩乃(浅田美代子さん)が身代わりに立ち、命を落としました。

寅王丸はその後、閉じ込められていた寺を逃亡し、義信の傅役であった飯富虎昌(金田明夫さん)によって討ち取られたのでした。

山本勘助(内野聖陽さん)は、寅王丸を連れてきた平蔵の話として、暗殺を裏で操っていたのは、今川義元(谷原章介さん)の生母、寿桂尼(藤村志保さん)と聞き、怒りに震えるのでした。

前回の第44回「信玄暗殺」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。

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それでは、第45回「謀略!桶狭間」のあらすじと感想です。

目次

景虎、関東出兵を約束する

越後に帰った平蔵は、宇佐美から寅王丸の最期について聞かされます。刺客として向かないと宇佐美に突き放されましたが、「どうしてもと言うなら、このわしに仕えよ。」という言葉を投げかけられます。

ヒサ(水川あさみさん)の「復讐より新しい命。」という言葉を思い出し、迷うのでした。平蔵の行方も気になるところです。

永禄2年(1559)10月。長尾景虎(GACKTさん)は、半年以上の上洛を終え、上杉憲政(市川左團次さん)のいる府中の館へ報告にやって来ました。

将軍足利義輝からの書状を憲政に見せます。これで正式に関東管領職を受け継ぐ事も許され、関東出兵の大義名分を得る事になりました。

憲政は喜び、今すぐにでも出兵を望みましたが、直江実綱(西岡德馬さん)は「今しばらくは力を蓄え、関東の大小名を調略してから。」と説明します。

景虎は「関東へ出陣致します。その時こそ、関東管領上杉家の家督を謹んでお受けつかまつりまする。」と憲政にしっかりと約束したのでした。

いよいよといった感じですね。長尾から上杉に変わる時が迫ってきました。

今川の尾張侵攻

永禄3年(1560)1月。駿府今川館では、今川義元が家臣たちの前で、「本年はいよいよ尾張一国を切り取る!」と宣言します。

今川は、尾張侵攻の足掛かりとして、尾張の東に沓掛城、鳴海城、大高城を確保していました。一方織田方は、鳴海城に対しては、丹下砦、善照寺砦、中島砦を、大高城に対しては、鷲津砦と丸根砦をそれぞれ付城として築き、今川の動きを封じていました。

義元は、次の出陣でこれらの砦を潰し、一気に織田の拠点、清州城に迫るつもりでした。

義元は、既に家督は嫡男の氏真(風間由次郎さん)に譲っていて、尾張侵攻に専念していました。あくまで尾張は上洛の為の通過点に過ぎず、公家出身の寿桂尼に「いずれ都に戻り、ゆっくりとして欲しい。」と考えていました。

甲斐、躑躅ヶ崎館に一人の旅の僧侶が信玄を訪ねてきていて、尾張の清州城の近くの天永寺から来たと言います。

その僧侶、天澤(笠井一彦さん)は信玄に尋ねられるまま、信長について話します。

「御年27。家督を継いで10年。舞を嗜み、鷹狩り好み、また、鉄砲の鍛錬もなさるようにございます。大うつけと他国では噂されますが、私の目には違って見えます。

ご武勇もさることながら、戦においては何よりも、味方のもたらす知らせを重んじられます。

時宜を得たよき知らせをもたらす事こそ、第一の誉れとされます。

それゆえ、はかりごとにも長けたお方でございます。」

信玄は、天澤を信玄のもとに遣わしたのは、信長であろうと推測します。勘助も同じ意見です。今川と織田では兵力差が大きく、織田が今川に勝つには、義元の首を取るしかないだろうと勘助は読むのでした。

駿河では、鳴海城の山口教継が織田へ寝返ったとの情報が入ります。今川は以前も同じように尾張の領主を寝返りの疑いだけで手にかけていました。

「今回も織田の謀略かもしれないが、そのやり方でやるように。」と寿桂尼が義元に言い、実際山口を駿府へ呼びつけて切腹させたのでした。鳴海城には譜代大名の岡部元信(宮路佳伴さん)を入れました。

このあたりの今川のやり方は、「おんな城主 直虎」で何度も描かれていましたね。今川の恐ろしい一面です。多くのドラマで描かれるという事はよく知られた話なのでしょう。

勘助、義元に進言する

永禄3年(1560)4月。義元は、尾張での進軍する経路について、鳴海城、大高城いずれかを攻めるか、一気に清州城へ攻め上るか悩んでいました。

義元は、信長は清州に籠城するだろうと読んでおり、まず沓掛城に入ってから織田の出方次第で決める事にしました。

甲斐の勘助は、葛笠茂吉(内野謙太さん)と河原村伝兵衛(有薗芳記さん)と一緒にこの戦について話し合っており、勘助は「数の上で織田が今川に勝つには奇襲しかない。」と言います。

沓掛城から大高城に向かう道は山地を通ります。その地形について勘助が伝兵衛に尋ねると、「起伏の激しい山あい。馬が通りやすい道となると谷間を通るほかない。桶狭間と呼ばれる。」と教えます。

さらに太吉は「桶狭間のあたりを織田の侍がしきりに馬を走らせている。」と話します

二人のおかげで織田が桶狭間に目を付けている事を掴む勘助です。

永禄3年5月。勘助は駿河に向かい、縁者である庵原之政(瀬川亮さん)を通じて、義元に謁見します。

之政が尾張での経路について悩んでいる事を勘助に話していると知った義元は激怒します。

が、勘助は構わず進言を始めるのでした。

「某ならば、迷う事なく清州城へ攻め入りましょう。織田信長は今川勢に対する砦が危ういとなれば、すぐさま城を出て出兵致しましょう。」と言う勘助に籠城すると思っていた義元は驚きます。

勘助は「籠城は勝ち目がない。その留守となった清州城を一気に攻めるのが上策。もし大高城か鳴海城に入れば、戦上手の織田に攻め立てられれば、義元様であっても万が一という事がある。」と少し挑戦的な事を言い、さらに雪斎でもそれだけは避けるのでは?と亡くなった人の事まで持ち出して畳みかけます。

義元は「雪斎がさような事を申すか!」と激怒し「信長は我らを恐れ、籠城策を取るしか手立てがなかろう!」と言い返すのでした。

籠城は相手が怖くて城から出られない者が使う策なんですね!義元は、自分は恐れられているから、まさか城を出て戦いに来るとはどうしても思えない。数からしても有利ですし、そう思うのも仕方がないです。

怒りに震える義元を、寿桂尼が「勘助の進言もしかと心に留め置かれよ。」と静かにたしなめます。義元は呆れかえりながら、「よう分かった。戯言と言えどもしかと心に留めておく。」と勘助をサッサと館から追い出したのでした。

勘助、挑戦的にあおってましたね。義元の性格を知り尽くしているからこそのやり方です。

寅王丸をあおった寿桂尼に対する復讐でしょう。

桶狭間の戦い

永禄3年5月10日。駿府から尾張攻めの先鋒隊が出陣。その中には、いずれは三河の松平家を継がせる為、今川家に育てられた19歳の松平元康(坂本恵介さん)、のちの徳川家康もいました。

5月12日になると今川義元の本隊が出陣。2万5000の大軍勢でした。駿河から遠江、三河と経て5月18日に沓掛城に入りました。

義元に、敵に囲まれた状態の大高城に、松平元康が兵糧を運び入れたとの知らせが入ります。

見事な働きぶりに「元康が我が嫡男であったなら…氏真が元康を超える事が出来るのだろうか?」と今川家の将来を少し不安に思う義元なのでした。

今川軍は大高城を囲む、鷲津と丸根の砦を果敢に攻め始めました。すると信長が清州城を出陣したとの知らせが義元に入ってきました。

義元は勘助の進言が頭をよぎりました。

が、それを打ち消すように「我ら、これより急ぎ大高城へ向かう!」と言います。勘助の話を一緒に聞いていた庵原は驚きの表情を見せますが、義元に従うのでした。

5月19日朝。義元は大高城に向けて進軍。昼近くになって「松平勢が丸根砦、朝比奈勢が鷲津砦を攻め落とし、信長は鳴海城に対する善照寺砦へ向かった。」との知らせが義元に入ります。

義元はその知らせに機嫌を良くし、急いで進軍する必要がなくなったとして休憩を取る事にしました。その場所が、桶狭間だったのです。

その頃、勘助が駿府に来て、「先日、早々に返されたので、我が主の言葉を伝えられなかった。」と寿桂尼に話します。勘助は「寅王丸様をやむを得ず討ち取ってしまった。ご容赦下さりませ。」との事。

寿桂尼は素知らぬふりで「わらわもまさか長笈が善得寺を出奔するとは思わなかった。致し方ない事と心得ておる。咎めるつもりはない。」と言います。

勘助は微妙な表情を浮かべますが、礼を言います。

そして義元が進言を聞いてくれたかどうか尋ねます。戦場に行けない寿桂尼が知る由もありません。信長を恐れている理由を勘助に尋ねる寿桂尼。

「大高城に向かう道に桶狭間なるところがあって、起伏があり、山陰も多い。もし義元様がその辺りで油断して織田に奇襲されたら、ひとたまりもないと案じた次第です。」と勘助は答えて去っていきます。

勘のいい寿桂尼は勘助を呼び止め「義元がそちを毛嫌いだと知っていて、進言に逆らうと分かっていてわざと言ったのか?」と問い詰めましたが、勘助はすっとぼけるのでした。

これは寿桂尼だからこそ気づいたんでしょう。前回寅王丸をあおった寿桂尼だからこそ、自分の手を汚さないという同じ手段を使った勘助のやり方が分かったという事でしょう。

勘助の思惑通り、油断して休憩中の義元の軍は、雨が降り始め、警備も緩んでいました。

義元も歌を歌って雨が止むのを待ちました。

雨が止んで、酒が注がれた盃を持って、日が差すのを見ようと軒先に出た途端、盃が鉄砲の弾に撃たれました。急ぎ建物の中に義元を引きずる家臣たち。

無数の鉄砲が義元めがけて撃ってきたのでした。

無言の帰陣

寿桂尼に義元が討ち死にしたとの知らせが入りました。信じられないと言った表情を浮かべる寿桂尼。数珠の玉がはじけ飛ぶのでした。

武田にも義元討ち死にの知らせが入ります。義信の妻、綾姫(平田薫さん)は義元の長女です。大いに嘆き悲しむのを義信が支えます。

飯富は、勘助が駿河に行ったことを知っていたので、勘助が謀った事だと勘づき問い質しましたが、「某に何が出来たと仰せですか?。」とすっとぼけるのでした。

確かに何か出来たわけではないですが、仕向けたわけです。恐ろしいです。

これもどこまで本当の事か分からないし、義元が油断していたから、という事だけは間違いないので、やはり義元自身が招いた結果なのでしょう。

義元の首が織田方に奪われていたところを、鳴海城の岡部元信が兵を退かず織田に迫り、返してもらう事が出来ました。

義元の首が桶に入れられて駿府へ戻ってきました。寿桂尼は岡部に礼を言います。

寿桂尼と氏真は、皆の前で義元の首である事を確認しました。「悔しいか、義元。さような顔を致すな。」と寿桂尼が声をかけました。

寿桂尼は、帰陣した家臣の中に松平元康がいない事に気づき、岡部に尋ねると、「元康殿は城より兵を退き、岡崎城に向かったと思われます。岡崎城の今川家臣が退いた後、その城に籠ったとの事。」と岡部が答えます。

氏真が「織田に寝返ったのでは?」と聞くと「それも考えられます。」と岡部は答えます。

騒ぐ家臣たちに寿桂尼が「それより今は武田と北条の動き。我らとの盟約を破る事があれば、直ちに戦を構えなければなるまい。殊に甲斐の武田は何を仕掛けて来るやもしれぬ。

皆の者、覚悟致せ。」と一喝するのでした。

武田が駿河の領地を狙って攻め入るのはこれから8年後になります。

家臣が下がった後、寿桂尼は一人で桶を抱きしめ泣くのでした。

今回は桶狭間の戦いの話でした。この戦でどれだけの人が亡くなったとか、そういったことは細かく描かれませんでした。

上手い事今川家を倒してやった、という視点での話だったので仕方がないと思います。

昨年の「おんな城主 直虎」は倒された今川側からの話でしたので、犠牲者がたくさん出た視点で観る事が出来ました。そちらを観てからの「風林火山」は複雑な感じがしました。

この裏で井伊家は危機に陥ったんだよな~と、サラっと取り扱われていることに切なさを感じてしまいました。

同じ出来事を、違う視点のドラマで見比べる、というのは面白いなと思いました。

次回は、第46回「関東出兵」です。

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