2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回、第30回「黄金狂時代」は、日本水泳男子チームが全種目制覇に向けて奮戦するお話でした。
1932年、ロサンゼルスの選手村に入った日本選手団は、37か国2000人の選手・関係者による異文化交流がなされスポーツの楽園となっている選手村を満喫していました。
そして始まった第10回ロサンゼルスオリンピック。
開会式の大行進が始まるのですが、水泳の大横田勉(林遣都さん)は、腹痛を抱え、8日後からの水泳競技に不安が残ります。
現地からオリンピックをラジオで実況しようと企画していた河西(トータス松本さん)・松内(ノゾエ征爾さん)アナウンサーたちは、アメリカの組織委員会の妨害にあい、実況中継の中止を余儀なくされてしまいました。
それでも、競技終了後に実感放送という、あたかも今やっているかのように実感を込めて競技を伝える放送を行い、ただ、結果を知らせるだけという危機を回避することができました。
ただ、10秒でゴールする陸上競技に1分以上かけてしまうというアクシデントもありましたがね。
8月7日、いよいよ水泳競技の始まりです。
日本チームは全種目制覇を目標に掲げ、選手一同気合を入れて競技に臨みます。
男子100m自由形では、宮崎が金メダル、河石が銀メダルと最高のスタートを切ることができました。
次は翌日に行われる800mリレーです。
宮崎の祝勝会とともに800mリレーに向けて精をつけさせようと、水泳総監督の田畑政治(阿部サダヲさん)は、リトルトーキョーで選手たちに牛鍋を食べさせていました。
しかし、選手たちは監督・松澤一鶴(皆川猿時さん)が厳しく管理した食べ物以外食べてはいけない決まりでしたので、松澤には内緒です。
その頃、東京の美濃部孝蔵(森山未來さん)に転機が訪れていました。
相変わらず虫が飛び交う家に住む孝蔵一家。
蚊帳がないと生活できないほどだったのですが、その大事な蚊帳と古びたラジオを妻・りん(夏帆さん)が交換してしまったのです。
いつか、孝蔵が噺家に戻りラジオで孝蔵の話を聞くのだとりんや子供たちは楽しみにしていました。
しかし、電気が止められていたため、ラジオを使えず、仕方なく質屋に出す孝蔵とりん。
しかもそのラジオは中身が空っぽの偽物でした。
りんは、クズ屋に騙されてしまったのです。
しかし孝蔵はそこで懐かしいものを見つけました。
かつて自分が友人の万朝(柄本時生さん)に貰った羽織がそこにあったのです。
思わず手に取る孝蔵に、質屋の店主は万朝が毎月一定のお金を払込み、持ち主が戻ってきた時にまた着せてやるのだと言っていたと教えてくれました。
孝蔵はりんと共に万朝の高座を聴きに行きました。
万朝の話は面白く、りんはみるみるうちに話に引き込まれていきます。
孝蔵は自分を振り返り情けなく恥ずかしい思いでいっぱいになりました。
そこで、高座を終えた万朝に弟子入りを申し出るのです。
しかし、二つ目の万朝と真打の孝蔵。万朝が孝蔵を弟子にするのはおかしな話です。
万朝の口利きで柳家三語楼の弟子になることができた孝蔵は、名を、柳家甚語楼と改め、噺家として再スタートすることになったのです。
8月7日、祝勝会の夜、800mリレーでアンカーに予定されていた大横田が腹痛で倒れました。
政治の食べさせた牛鍋が原因かと政治は真っ青になりました。
しかし、大横田は4、5日前から体調を崩していて、レースに出られなくなっては困ると黙っていたというのです。
大横田自身は、少し休めば治ると言い張るのですが、監督としては悩むところです。
その夜、女子の前畑秀子(上白石萌歌さん)も腹痛を起こしていました。
前畑の場合は、ゲン担ぎのため御利益があるという神社のお守りを小さくちぎって飲み込むという暴挙をしていたのです。
翌朝、大横田の病名は胃腸カタルと判明しました。
急いで代わりの選手を選出しなければいけないのですが、エントリー締め切り直前まで決めることができません。
そこで、鶴田(大東俊介さん)が「大事な人を忘れている」と高石(斎藤工さん)を推挙したのです。
キャプテンである高石がアンカーとして参加すれば、若い選手の士気も高まり奇跡が起こるかも知れないと、政治も大興奮で賛同するのですが、監督・松澤は冷静に「高石では勝てない」と判断し、若い横山を指名しました。
悔しさを押し隠し、横山の後押しをする高石の度量の大きさがよくわかる名シーンでした。
そして始まった800mリレーは、松澤の英断が功を奏し、日本チームは見事優勝。
世界新記録を打ち出しました。
全種目制覇に一歩近づいた日本チーム。
続いて8月10日は400m自由形の決勝です。
胃腸カタルで1日休んでいた大横田が出場します。
号砲一発、選手が一斉にスタートするのですが、大横田にいつもの伸びがありません。
なんとかトップに食らいつくのですが、一歩及ばず結果は3位、銅メダルでした。
日本チームの全種目制覇の夢は絶たれてしまいました。
夜に行われた実感放送で、大横田は泣きながらマイクに向かって謝罪をします。
たまらなくなった高石は大横田を抱き抱え、慰めるのでした。
そこに落ちた1枚の電報。
政治の上司である緒方竹虎(リリー・フランキーさん)から送られた電報には、マリー(薬師丸ひろ子さん)の占いでは、大横田が金、他はアメリカが金と出た、と書いてあったのです。
マリーの占いは当たらない、と断じている政治は、マリーの占いが書かれた電報を握り締め、「占いババアー!」と叫びました。
次はいよいよ女子平泳ぎ、前畑選手の登場です。
前回第30回「黄金狂時代」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」のあらすじと感想です。
女子200m平泳ぎ決勝
1932年夏、熊本の池部家では、マラソンをやめて地元に戻った金栗四三(中村勘九郎さん)が、商家の旦那として暮らしていました。
といっても、四三はそろばんをパチパチ鳴らしながら押し花をする毎日。
張り合いのない日々を過ごしていました。
子供たちに呼ばれ、居間に行くと、ロサンゼルスオリンピックの実感放送をやっていました。
四三は前畑秀子選手が出場する200m平泳ぎ決勝の放送に聞き入るのでした。
8月8日、女子平泳ぎ200m決勝が始まります。
予選で3分10秒7という第3位の好記録を出した前畑選手。
順当に行けばメダルが狙えるタイムを持っているため、皆の期待はかなり大きくなっています。
控え室で前畑は動揺し、弱気になっていましたが、チームメイトに励まされなんとか気を持ち直します。
会場はわれんばかりの歓声に包まれています。
ロサンゼルスの日系人が前畑のメダル獲得に期待をかけていました。
スタート地点に立つ前畑は緊張に押しつぶされそうになっていましたが、チームメイトからの「かっぱのマーちゃんがきゅうり食べているところを想像して」と言われたことを思い出して、政治を振り返り緊張を解しました。
そして始まったレース、前畑はスタートで少し出遅れましたが、3位をキープして先頭を追います。
50mのターンで3位、その後、前畑は追い上げ、100m過ぎても必死に食らいついていきます。
残り50m、1位から3人がほぼ一列に並びました。
ヤコブセンを捉えて前畑2位に浮上、緊迫したレース展開が続きます。
頭を水に付けての連続ストロークで前畑はグングン前に出ます。
競技を見守る日系人の声援に熱が入ります。
ナオミ(織田梨沙さん)も身を乗り出して力いっぱい応援しています。
熊本の四三もラジオに耳を近づけて固唾を飲んで実感放送に聞き入っています。
そしてゴール、記録は3分6秒4、1位のクレア・デニスとの差は10分の1秒、僅かにひとかき分足りませんでしたが、前畑は銀メダルを獲得しました。
会場内の日系人はもちろん、ラジオの前の日本人も大興奮。
前畑は女子水泳界に初めてのメダルをもたらしました。
後にラジオで前畑選手は「夢遊病者のようにわけがわからなくなった」と語ります。自分の力ではなく神様が助けてくれたのだと謙虚に語っていました。
熊本の四三は、ラジオのラッパ部分を前畑選手であるかのように「がまだした、がまだした」と撫でて前畑選手を褒めていました。
非常に熱のこもった実感放送をした河西アナウンサーでしたが、実際のレースの興奮が存分に伝えられなかったと反省していました。
次はぜひ実況でお願いします、と前畑に頭を下げていました。
日本の快進撃
次の競技は背泳ぎですが、日本チーム内では弱点と言われていたため、政治も河西アナウンサーも懸念していました。
しかし、8月12日、100m背泳ぎに出場した清川・入江・河津の3選手は実力を発揮し、1位から3位まで日本が独占するという快挙を成し遂げました。
岸は泣きながら嘉納にすがりつき、会場は日系人が歌う君が代の合唱が響いていました。
普段、アメリカで肩身の狭い思いをしてきた日系人にとって、日本の活躍は驚異的なことだったのです。
IOC会長のラトゥールは、わずか数年で日本水泳チームが世界を制したことに驚き、その強さの秘密を知りたがりました。
嘉納は、日本には日本泳法と呼ばれる泳法があることを説明します。
人と競うのではなく、自己の泳ぎの技を追求し、水と一体化して泳ぐ泳法が400年以上前から伝わっていたと説明するのです。
ラトゥールは日本泳法に興味を示し、エキシビジョンでの披露を求めました。
その話を受けた政治は、嘉納の独断に怒り、嫌がるのですが、松澤や高石らは懐かしい泳法にやる気をみなぎらせています。
政治は「医者に止められていて泳ぐと死ぬよ?」と脅すのですが、結局、皆に押し切られてしまいます。
続く1500m自由形でも日本の快進撃は続きます。
日本の北村が1位、牧野が2位でゴールし、金銀メダルを獲得。
残るは鶴田・小池らが出場する200m平泳ぎ決勝です。
男子平泳ぎ200m決勝
前日の夜、若い小池はなかなか眠ることができず、同室の鶴田に執拗に話しかけていました。
真夜中に「しりとりしません?」と鶴田の怒りをものともせず勝手に始める小池が面白かったですね。
8月13日、200m平泳ぎ決勝が始まります。
応援席では高石がメガホンで応援歌「走れ大地を」を歌い始めました。
鶴田は、高石の前で弱音を吐いてしまったことを思い出していました。
若い小池の練習相手として呼ばれてきたものの、練習についていけず小池に心配され気を遣われる日々。
前回大会で有終の美を飾っていれば、来なければ良かった、とまで言っていました。
号砲が鳴り響き一斉にスタート。
鶴田は好スタートを切り、トップをキープしています。
小池は練習でいつも鶴田の後にぴったりと付き、残り50mで抜きにかかります。
今回のレースでも小池は鶴田の後に続いています。
残り50mになりましたが、小池はなかなか鶴田を捉えることができません。
残り25m、10mになっても小池は鶴田を抜かすことができず、鶴田はそのまま小池を振り切り1位でゴール。小池は10分の2秒差で2位となりました。
鶴田は2大会連続金メダルの快挙を成し遂げました。
高石は大喜びで鶴田のもとへ走り、そのままプールへダイブ。
鶴田の手を高々と掲げ喜びを表していました。
まるで自分のことのように鶴田の活躍を喜ぶ高石に心が温まりました。
後のラジオ放送では、小池を1位にするのが自分の役目だったが、毎日1本だけは小池に勝とうと全力で泳ぎ、それでも小池に勝てずにいた、本番では小池が年寄りに気を使ったのだと、小池の実力の高さをアピールした鶴田でした。
これで6種目中5種目金メダルという好成績を残した日本水泳チーム。
世界は日本の強さに驚愕しました。
エキシビション
8月14日、閉会式のエキシビションとして、日本水泳チームによる日本泳法の披露が行なわれました。
「我々の強さの秘密はここにある」と嘉納は説明します。
まず、後ろ手に縛られ、両足も縄で縛られて泳ぐ手足からみ。
そして、いな飛び・大抜手と続きます。
観客はまるで白鳥が泳いでいるようだと絶賛しています。
さらに高石・鶴田・政治らによる片抜手一重伸。
政治は泳げないのでは、と思われていたのですが、泳げるところをバッチリ披露しました。
ラストに水の中で書道をする水書を披露し、「第10回オリンピック競技大会」と書いた札を観客に掲げてフィナーレです。
日本のエキシビションは大成功で観客を大いに湧かせました。
各国選手・関係者もプールに飛び込み、大盛り上がりです。
アメリカ水泳チーム監督のキッバスもプールに飛び込み楽しげに日本を褒め称えます。
そして政治に「ベルリンで会いましょう」と再会を約束するのでした。
こうして大成功のうちに第10回ロサンゼルスオリンピックは幕を閉じました。
日系アメリカ人
8月15日、政治たちは選手村を出て日本に出発します。
大評判となった実感放送も惜しまれつつ終了し、河西・松内アナウンサーたちも欧州視察の後、日本に戻ります。
去り際に選手村の役人に政治は呼び止められました。
政治が書いた「一種目モ失フナ」という張り紙の意味を尋ねられた政治は、「意味などないよ、所詮、戯言さ」と言い、役人に張り紙を渡しました。
政治が書いた紙の下には、クーベルタン男爵の言葉が書かれていました。
「オリンピックにおいて大切なことは勝つことではなく参加することである。人生において大切なのは勝つことでなく努力すること。征服するのではなく、よく戦うことだ」
政治の貼り紙とは真逆の言葉でしたが、政治の決意・意気込みは選手たちを鼓舞し見事結果に繋げることができました。
日本選手団がリトルトーキョーを通ると、日系人が日本の国旗を作って迎えてくれました。
突然、1人の老人がバスの前に飛び出し、政治たちは慌ててバスを停め、老人に駆け寄ります。
すると老人は政治の手を取り、感謝の気持ちを伝えてきました。
老人は政治に、ここに来て初めて白人に話しかけられたと興奮して話します。
なんのことかわからない政治に、日系人がこのロサンゼルスでどれだけ虐げられてきたのか、抑圧されてきたのかを話しました。
白人たちに差別され、白人社会に入れず、肩身の狭い思いで過ごしてきたこれまでの日々。しかし、日本水泳チームが世界を圧倒したことで白人たちは日本人を見直し、「日本の水泳選手は素晴らしい、おめでとう」と話しかけてきたというのです。
日系人が白人に話しかけられた、ということが重要なのだと老人は熱く語ります。
そして、政治に否定的だったナオミも「ミスターカッパ」と語りかけ、政治に謝罪します。
これまで、日本人が白人に勝てるわけがない、と言われ続けてきたナオミでしたが、日本人は白人に決して負けない、日本が勝てることを教えてくれた、祖国を見直した、と政治に感謝しました。
前畑を見つけると、ナオミは抱きつき、「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるのです。
老人は「俺は日本人だ」と声を大にして叫びます。
ナオミも「I am Japanese American」続いて叫び、日系人たちは、自分たちは日本人であることが誇りであると叫びました。
政治もバスの高いところに飛び乗り、皆の前で「俺も日本人だ!」と叫びました。
さらに、「俺も日本人だ」の声は続きます。
その声を発したのは嘉納でした。
そして嘉納もはしごを上り、東京でオリンピックが開催された暁にはここにいる日系人たちを東京に招待する、と言い出したのです。
岸は、面白がって嘉納を見上げていました。
「次は東京で会いましょう」と叫ぶ嘉納たちは、万歳三唱で見送られたのでした。
帰国
8月24日、日本選手団はサンフランシスコから日本に向けて出港しました。
オリンピックが終わり、日本で日本選手の活躍を聞いていた四三は刺激を受け発奮し、久しぶりに冷水を頭から被って、また、走り始めました。
「いだてん」復活ですね。
オリンピック凱旋列車が東京に到着。
政治が朝日新聞社に帰ってきました。
たまたま社に1人でいた酒井菊枝(麻生久美子さん)は、帰ってきた政治にこれまで発行したオリンピックの号外を見せました。
政治は1枚1枚感慨深く眺めます。
しかし、大横田の記事を見ると悲しげに顔を歪め、菊枝に本当の大横田はこんな実力ではない、体調が万全であれば金メダルだった、と訴えます。
大横田の体調がおかしかったことになぜ気付かなかったのか、気づいてやれなかったのか、牛鍋など食べさせなければ良かった、と政治は土下座をしながら大横田に向けて謝り、悔しいと号泣しました。
大横田の責任ではない、自分の責任だと政治は自分を責めます。
それを見ていた菊枝は、「全部取らなくてよかったと思います」と政治に言うのです。
全部金を取ってしまったら次の目標がなくなってしまう、1個残してきたのは、政治の品格だと思う、と政治に語るのです。
初めて菊枝の声を聞いた政治は驚き、その言葉にお礼を言うのでした。
これまで一緒に仕事をしてきたにも関わらず名前も知らないことに気づき、菊枝に名を尋ねました。
政治が初めて菊枝を認識した瞬間でした。
午後2時、日比谷公園音楽堂で大市民歓迎会が行われました。
その控え室で、政治が到着するほんの少し前に事件が起きていました。
東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形さん)が前畑に「なんで金メダルを取ってこなかったのか、銀とか銅のメダルは要らない、1位じゃないというメダルだから」と発言したのです。
政治は、怒りのこもった声で永田の名を呼びました。
次回、第32回「独裁者」
とうとう1940年のオリンピック招致に向けて本格的に動き出します。
各国の独裁者の動きも気になるところ。
そして、菊枝の存在を認識した政治はとうとう結婚を決めるのです。
次回、第32回は「独裁者」、オリンピックに向けての招致活動も気になるところですが、まだまだキナ臭い世界情勢も気にかかります。
これまで政治を支えていた菊枝と結婚を迎える政治。
気になるところが盛りだくさんの「独裁者」、楽しみにしています。