毎週日曜日20時から、NHK総合他にて放送中の大河ドラマ「おんな城主 直虎」。
2017年10月29日、第43回「恩賞の彼方に」が放送されました。
今回のサブタイトル、「恩賞の彼方に」の元ネタは「恩讐の彼方に」のようです。1919年(大正8年)の菊池寛の短編小説で、大分県の耶馬溪の青の洞門を開削した僧を題材にした作品です。
前回、井伊からも数多くの木を切り出して立てた柵が活躍し、武田勝頼(奥野瑛太さん)の軍に勝利した織田信長(市川海老蔵さん)と徳川家康(阿部サダヲさん)の連合軍。
その間、留守居を命じられていた井伊万千代(菅田将暉さん)と小野万福(井之脇海さん)は、小姓頭の小五郎(タモト清風さん)に押し付けられた武具の整備を、手を抜くことなくやり遂げ、その努力を認められやっと、二人揃って小姓に上げてもらう事になりました。
順調に出世の道を進む事が出来るのでしょうか?
前回の第42回、「長篠に立てる柵」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第43回、「恩賞の彼方に」のネタバレとあらすじと感想です。
武功を表に
小姓となった万千代と万福は、榊原康政(尾美としのりさん)に小姓部屋に通されます。小姓たちは万千代らに、「手が足りているから。」と言って仕事を教えず、二人は小姓たちが家康の身支度を手伝っているのを、見学することからスタートしました。
万千代は、小姓たちの指示を待っているようでは仕事が出来ないと判断し、身支度を終えた家康に駆け寄り、小五郎からの指示が無かったことを暗ににおわせながら、直接指示を仰ぎます。
家康は、「今日は、その方らもこの者たちと共に、戦の手柄改めを手伝うよう。」と指示を出し、万千代らも参加できることになりました。
浜松城には、戦場で戦った者たちがどのような働きをしたかを申し立てに、殺到していました。あまりの混雑ぶりに万千代は、草履番が気になり向かってみると、予想通り玄関でも、普段は登城しない者が多く押しかけ、本多正信(六角精児さん)が一人で整理しきれず、困っていました。万千代は大きな声を張り上げ、殺到する者たちを見事に整理したのでした。
家康は、武功の申し立ての声を浴びていました。特に今川氏真(尾上松也さん)の家臣、朝比奈泰勝(ヨシダ朝さん)は「武田四名臣の一人として名高い内藤昌秀を討ち取った。今川の働きを何卒お認め下さい。」と何度も同じことを繰り返し言って、強力にアピールしてきました。
その晩家康は、武功が描かれた家臣たちの書状を、床一杯に広げてチェックしていました。一緒にいた小五郎が、部屋から下がろうとしていたところに、万千代が疲労に効く薬を持って現れます。他の小姓に止められているところを家康が「ひとつ煎じてくれ。」と言い、万千代は薬を献上することに成功します。
家康は「薬には明るいのか?」と聞くと「井伊の寺に薬に詳しい者がおりまして、一通りの事は教えてもらい、城に上がる際に少し持たせてくれました。」と意気揚々と答えます。
そして万千代は、家康が養生に興味がある事を掴みます。手ごたえを感じる万千代。
「お気に召せば、取り寄せましょう。」とまた井伊の土地を当てにしている万千代です。
床に広げられている書状を見て、「報いるべきところに報いてやらねば、人は働いてくれぬ。」と言う家康に、万千代は家ごとに武功を比較できる表を作ることを提案します。
家康は、万千代に表の作成を任せる事にしました。万千代は表の作成に朝までかかってしまい、その場で眠ってしまいました。
家康に起こされて慌てて寝所を出る万千代。小五郎に見られてしまいました。
万千代が作った表を見ながら整理する家康は、考えが進むと大喜びです。榊原に、「大きな武功を上げたのは浜松勢ばかり。国衆らは別途に考えねばならない。」と家康は、浜松と岡崎との釣り合いが良くないと漏らします。
榊原は「ごもっともながら、武功は命懸けでございます。そこははっきり、武功が第一としておかねば。武田との戦いはまだ終わったわけではございません。今何より大事は、浜松の士気にてございましょう。」と意見します。
家康は、「岡崎には泣いてもらうしかないかの。」と迷っているのでした。
論功行賞というのは難しいのでしょうね。真剣に向き合ってくれる主君は働いている者にとってはありがたいし、嬉しいですね!
切り出し後の植樹
井伊谷では甚兵衛(山本學さん)が、おとわ(柴咲コウさん)に、山の異変を伝えにやって来ました。
早速山を見に行くおとわ。甚兵衛の言う通り、木を切り出した場所が山崩れを起こしていました。その土砂が川に流れ込み、川底が上がってしまったのです。だから大した雨でなくても水があふれ出してしまったのでした。
おとわは、甚兵衛に今後山崩れを起こしそうな場所にある村々に、危険を知らせるよう指示を出し、傑山(市原隼人さん)と他の場所も見に行くことにしました。そして昊天(小松和重さん)に、寺づてで山崩れを防ぐのを知っている者がいないかを調べてもらう事にしました。
昊天に聞かれた松下常慶(和田正人さん)は、木を切った場所に植樹をすることを教える為、絵の上手な万千代に絵図を描くよう依頼しに、浜松城を訪ねてきました。
事情を聞いた万千代は、これはいい機会と、「松下から井伊に、絵図の礼として薬を貰って欲しい。」と頼みます。万千代は、家康に献上する為の薬を、井伊からもらいたいと考えていましたが、一度木の切り出しの時に、おとわに邪魔をされているのでどうしようか迷っていたところ、この話が来てすぐに乗ったのでした。
自分から依頼したと分かると、またおとわに妨害されると思ったからです。
土砂止めの為の植樹のやり方を、詳しく記した絵図をもらった南渓和尚(小林薫さん)は、おとわに見せます。一緒に見た奥山六左衛門(田中美央さん)が、筆のタッチで「さすが虎松様!」と漏らします。
南渓に「虎松が描いた物ですか?」とおとわが聞いても、「常慶が絵図にしてよこしてくれた。」と言って虎松が関わっていると明言しません。おとわは、「礼に薬が欲しい。」という話も少々疑いながらも言われた通り、常慶に薬と使い方の文を添えて送ってやるのでした。
薬と一緒に、瀬戸方久(ムロツヨシさん)から預かったという「サボン」も一緒に送られていました。家康に渡して気に入られれば、申し付け下さいとのこと。方久はほんのちょっとの隙を狙っても商売です。「サボン」は「シャボン」、石鹸です。
常慶を通じて薬を手に入れた万千代は、早速家康に献上しようと、夜に家康の部屋に向かいます。その途中で他の小姓たちに見つかり薬を取り上げられそうになりました。
万千代は思わず「それがしは、殿のご寵愛を頂いたぞ。俺や万福に手を出してみよ、殿のお怒りが及ぶぞ。」と言い、その場をすり抜けます。
小五郎に、偶然にも明け方に万千代が寝所を抜け出したところを見られたのが、信ぴょう性を増す事になったのでした。
家康は笑いながら、「結局、色小姓という事にしたのか。」と万千代に言います。「面倒になりまして。」と言い訳をする万千代でしたが、家康はまだ少しその気の様子でした。
万千代は、「念のため、医者に。」と薬を差し出しますが、「井伊殿には信を置いているからいい。」と家康は言います。万千代は一度しか会ってないおとわを信用する理由を聞きます。
「無欲だからじゃ。」家康は答えます。「無欲ではございませんでしょう。井伊を守る事しか考えておりません。」と万千代が言うと、「井伊の民をな。己を守る事は考えてはおられぬ。」
ハッとする万千代。目を伏せるのでした。
絵図をもとに近藤康用(橋本じゅんさん)に植樹の普請を願い出るおとわ。お金がかかると渋る近藤をに、信長からもらった茶碗を売ると脅すようなことを言います。
「50年、100年先に豊かな林になるように素晴らしい話です。後世を思い、善処されるお方は必ずやその名を残されるものかと。近藤様がこの普請をなされれば、井伊谷を救ったのは近藤。あれは近藤の松、などと子々孫々語り継がれるかも。」と言葉巧みに囁きました。
近藤から許可をもらったおとわ。村民にも頼みに行きます。忙しい時期の頼みに、村民たちは渋ります。自分たちが切ったのならともかく、武家が切った者を何故やらねばならないと納得出来ないのです。六左衛門も「それはこちらがやったのだが…。」と困っています。
「木切ったんが、武家であろうと百姓であろうと、山は選んでくれん。等しく襲ってくるで。山の前ではみんなはあ、ただの人だで。」と甚兵衛が一喝してくれました。
村民たちはみんなで植樹してくれることになりました。おとわは、「よく気づいてくれた。」と甚兵衛に礼を言います。「わしらの里だで。わしらで守らにゃ。」甚兵衛は言います。
甚兵衛は「この木が育つ頃には、ここは近藤様の領地ですかいの?虎松様の領地になってますかの。誰の土地だろうとここの衆が習わしとして、木を切ったら植える事をして言ってくれれば、嬉しいございますな。」と言うと、おとわは「甚兵衛の松という掟じゃ。」と言い、植樹をしていた皆で笑うのでした。
植樹をしてくれたから今の森や林があるのですね。きれいな景色は、昔生きていた先祖たちが手入れをしてくれて作られたものなんですよね。
信康と対面
万千代は、家康に薬を献上した時、「そなたなら此度の戦、岡崎をどう遇する?」と聞かれていました。遠慮する万千代に「案ずるな。そなたの言う通りにすまい。しかしそなたは誰が何をしたか、よう知っておろう。」と言うと、万千代は話し始めます。
「首を取った、城を攻め落としたという類の武功で見ると、岡崎は浜松に比べると大変寂しい手柄となっておりましたかと。」と言うと家康は「織田があまたの援軍をよこしたのは、日頃の岡崎の働き合っての事じゃ。」と言います。
「殿が、方々の働きを「全てご存じ」と伝えるのが肝要かと。誰も知らずとも殿は見ていて下さると知るのは、心強いものにございます。」万千代は自分の体験をもとに話します。
家康は瀬名(菜々緒さん)の縁戚である万千代に、考えている仕置きについて、岡崎の手応えを探るよう頼みました。
岡崎城へ着いた万千代。信康(平埜生成さん)は、「何じゃ。かわいらしい顔をしておるではないか。いきなり母上にあのような頼みをするなど、どんな策士めいた面かと思うたら。」と万千代の顔を見るなり、万千代が以前徳川へ仕官の際に、井伊として仕官できるよう手を回したことを言います。
「その節はまことにかたじけのう存じます。」万千代は遅れながらも礼を言いました。
「井伊家は、私の母の生家。家名が戻り、私も嬉しうございますよ。」瀬名(菜々緒さん)は言います。万千代は早速、一度家康に渡し、岡崎へと託された方久の「サボン」と瀬名に献上します。瀬名は喜びます。
何か言いたげな万千代を、信康は「そなた、碁はやるか?」と二人で話せるよう計らいます。
石川数正(中村織央さん)は側に控えてはいるものの、碁を打ちながら話し始めました。
「本題は何じゃ。礼を言わせる為だけに馬を使わせるなど、締まり屋の殿がなさるわけがない。恩賞の件か。」信康は切り出します。
「はい。武功を基に考え、浜松、国衆に知行・恩賞を与えると岡崎までは手が回らぬと。」と万千代は答えます。信康は承知していました。万千代は家康が「日頃の岡崎の働きがあってこその勝利であったとお分かり。」とフォローします。
「ゆえに今川勢に諏訪原城を与えるという事でどうかと。」と家康の考えていた仕置きを伝えます。石川は「それが何故岡崎に報いる事になるのだ?」と口を挟みます。
「若様も奥方様も今川のご縁戚。今川が一家として徳川に根を下ろす事は、必ずやお二人の力、ひいては岡崎の力になろうと。」と伝えます。
石川は、長篠で活躍した岡崎の家臣に与えてはくれないだろうかと食い下がります。
「これから駿河を切り取っていくにあたり、地の利のある、今川勢を手厚く遇しておかねばならぬ。そういう理屈でならば、酒井様や本多様にこの仕置きを納得させることが出来ると。」万千代は家康の真意を伝えます。なおも食い下がる石川を信康が制します。
「徳川の先行きの為、岡崎は堪えます。しかしながら、後々には、地味な働きをしている岡崎の衆にも、直に報いて下さいませと、そう伝えてくれ。」と信康は家康の意向を受け入れるのでした。
岡崎城での働きを終えて浜松へ帰城した万千代。万千代は「おおらかで頼もしく、人の上に立つ為に生まれたような趣をお持ちです。」と信康の人柄を高く評価します。
家康は、信康と万千代が年が近いので、家督を譲り信康の代になった時、ちょうどよいと言います。その言葉を聞いて満足げな万千代。
「若のお役に立てまするよう、殿のもとで精進いたしとう存じます。」と上手くまとめ、家康を笑わせるのでした。
家康の今川への仕置きに、本多忠勝(髙嶋政宏さん)と酒井が、予想通り不満を口にしました。
榊原は、家康からチラッと悩みを聞かされていた為黙っています。家康は忠勝が以前「駿河攻めの為に今川を厚く遇しておかねば。」と進言した事を引き合いに出して納得させようとします。家康は安堵状を出すよう榊原に指示するとサッサとその場を去ります。
榊原は、忠勝から責められそうになったので、「井伊の小童が進言でもしたのではないか。」と話を逸らします。信じない忠勝に「あの者は、我らとは違う道で殿のお心を掴んでいくかもしれぬ。」と言うのでした。
初陣決まる
植樹の数年後、甚兵衛は亡くなったようです。領地はまだ、近藤のものでした。おとわは育った松の長さを測りながら、空に向かって甚兵衛に語りかけていました。
甚兵衛は最後に村長らしい一言で皆をまとめてくれました。おとわが領主になった時に一番に駆け込んできた村長でした。井伊が危機になると一番の味方になってくれて、助けてくれました。寂しいです。
なつ(山口紗弥加さん)が龍潭寺に来ました。そして「髪を下ろす。」とおとわに告げます。そして「2人の初陣が決まったようです。」と伝えます。複雑な表情をするおとわでした。
次回、第44回「井伊谷のばら」です。
万千代は無事初陣を飾れるのでしょうか?楽しみです。