2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回第13回「復活」は、競技中、日射病で倒れ、意識が戻った後、レースの記憶を失ってしまった主人公・金栗四三(中村勘九郎さん)が、ガイドのダニエルに連れられてマラソンコースを辿り、ゆっくりとレース中にあったことを思い出すお話でした。
日射病で倒れ、意識を取り戻した四三にはレースの記憶がありませんでした。
なぜ自分がここにいるのかわからないものの、自分が負けたことだけはわかりました。
四三は、団長の嘉納治五郎(役所広司さん)に繰り返し謝罪をします。
レース後、数時間たち、四三はガイドのダニエルとともにマラソンコースを辿りました。
そこで少しずつ戻ってくる記憶。
ポルトガル代表のラザロとデッドヒートを繰り広げたこと、17マイル地点の分岐点で四三は右へ進み、後ろを走っていたラザロから道が違うと指摘されながらそのまま進んでしまったこと。
意識が朦朧としたまま、幼い頃の自分の幻に導かれてペトレ家の庭に辿り付くと、そこで四三は意識を失いペトレ家の人々に介抱されました。
道を外れた四三を探しに来た内田公使(井上馨さん)とガイドのダニエルに発見された四三は、2人に連れられて宿舎に戻ったのだと思い出したのでした。
レースの翌日、四三は日本人の体力のなさと技の未熟さを痛感し、猛暑の中、オリンピック新記録を叩き出した西洋人選手の頑健さに驚愕します。
そして、四三が親しくなり足袋を渡したラザロが競技中日射病で倒れ、そのまま息を引き取ったと知りました。
ラザロと別れた分岐点でラザロと同じように正規コースを辿っていたら、四三も危険だったと同じ日本代表の三島弥彦(生田斗真さん)は言います。
不甲斐ないレースの結果を悔やむ四三は、自分はコースを外れて良かったのかと口に出しました。
すると、弥彦から「良かったに決まっている!死んだら二度と走れないんだぞ!」と嗜められました。
マラソンの結果は遠く離れた日本にも届き、四三を応援していた東京高師の仲間たちも、熊本の実家でも悲嘆に暮れ、倒れた四三を心配していました。
東京では三遊亭朝太(森山未來さん)の初高座の日がやって来ました。
初高座前にワニラと呼ばれる安い牛めしを食べていた朝太のもとに車夫の清さん(峯田和伸さん)が新しい着物を差し入れ激励します。
しかし、朝太はあろう事か新しい着物を質に入れ、現金を手にするとお酒を飲み始めてしまったのです。
初高座だというのに酒を飲んで高座にあがろうとする朝太を、師匠である橘家円喬(松尾スズキさん)は叱責します。
しかも初高座であるにも関わらず選んだ題材が『富久』で、円喬は呆れ果ててしまいました。
酒に酔ってへべれけの状態で上がった高座で、観客の注目を浴びた朝太は言葉が出なくなってしまいます。
しかし、噺は足で覚える、という師匠の言葉を思い出し、車を引いている感覚を思い出しながら朝太は迫力のある『富久』を披露しました。
途中、クライマックスで床に突っ伏してしまった朝太は、頭が痛いという理由で高座を降りてしまうのですが、その後、師匠からのお咎めはなく以前と変わらず前座などを続けていました。
完全に回復した四三は、もう一度マラソンコールを走ってみようと競技場から走り始めました。
その日はIOCオリンピック委員会の開催日。
とうとう死者を出してしまったマラソン競技、嘉納はオリンピック競技から排されてしまうかもしれないという懸念を持っていました。
会議の中で、ポルトガル代表は、最後まで走り抜こうとした亡きラザロの死を無駄にしないで欲しいと熱弁をふるい、オリンピック創始者のクーベルタン男爵は4年後のオリンピック開催とマラソン競技の実施を決定したのです。
四三が走っていると、どこからともなく各国のマラソン選手が集まってきました。
そこは、亡くなったラザロが倒れた場所。
花を手向けながら、四三はもちろん各国の選手もラザロの遺志を継ぎ4年後にまた会おうと誓い合い別れました。
4年後、またオリンピックに帰ってくると誓い合った日本選手団は、閉会式を待たずにストックホルムを立つことになりました。
病状が悪化している大森兵蔵(竹野内豊さん)を残し、日本に帰る日本選手団。
日本で会おうという四三や弥彦の希望も虚しく、大森は日本の地を踏むことなく亡くなりました。
前回第13回「復活」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは、第14回「新世界」のあらすじと感想です。
四三、帰国
本日も古今亭志ん生(ビートたけしさん)の軽快な噺によりお話は始まりました。
遠く離れたオリンピックについて、日本の庶民が知るための手段としてニュース映画が公開されていました。
東京高師の野口源三郎(永山絢斗さん)らは、仲間と連れ立ってニュース映画を見に行き、初めて見るスポーツの数々と、映っているはずの四三の姿を求めて賑やかに映画を見ていました。
すると、「うるさい」と一喝する声がします。
声の主は、東京高師舎監の永井道明(杉本哲太さん)でした。
猛暑による暑さのためにストックホルム大会のマラソン競技で初めて死者が出てしまいましたが、亡きラザロに捧げるために、4年後もオリンピックを開催し、マラソン競技を続けて欲しいとポルトガルのIOC委員は切願し、オリンピック創始者のクーベルタン男爵は4年後、ベルリンにてオリンピックを開催することを決めました。
日本では明治天皇が崩御し、時代は明治から大正へと変わりました。
まだ大喪の礼が終わってまもなくの頃、9月に四三が単身帰国しました。
旅立った時から4ヶ月が経っていました。
行きの時とは打って変わって、東京高師徒歩部が数人集まっただけの地味な出迎えでしたが、四三にはありがたい出迎えでした。
四三は、ストックホルムから日本ではまだ知られていないスポーツの道具をいくつも持ち帰り、野口らに紹介しました。
オリンピックの映画を見て、興味を持っていた野口らは四三が持ち帰った道具を喜びました。
その日の夜、四三の帰国の報告会が宿舎で行われました。
四三は帰国の挨拶とともに、不甲斐ない結果に終わったことを深く謝罪し、ストックホルムでの出来事を面白おかしく語って聞かせていました。
そんな和やかな雰囲気をぶった斬る甲高い声が聞こえてきました。
声を出したのは、二階堂トクヨ(寺島しのぶさん)という永井道明の弟子でした。
二階堂は、四三が負けた敗因を厳しく問いただします。
四三が予選で出した世界記録は地図とコンパスで計測しただけのもので正確性が疑われ、タイムに至っても同様に疑わしい。
短距離の三島は、審判員として大会に参加しており、選手登録すらしていなかったにも関わらず、そんな2人が日本代表に選ばれたことに対して、国民の多くは不満を持っていると四三に詰め寄ります。
四三が血反吐を吐く思いで練習に励んでいたことを知っていた野口らは、普段の四三を全く知らないのにも関わらず、四三に厳しく詰め寄る二階堂に対し反発し、女の質問になど答えなくていい、四三を庇います。
二階堂は野口にも男女差別を行う事への批判を行い、将来教師になるはずの者たちが偏見を持っていることに怒りを顕にしていました。
野口が責められている中、四三は二階堂の質問に答え始めました。
食事の問題、練習法、当日の天候や、日本人と欧州人の体力差、技の未熟さなど敗因はいくつもあるけれど、それはあえて口に出さず、自分の胸にしまって、ただひたすら努力を続ける、と宣言する四三に、永井は「それではダメなんだよ」と反論します。
日本のスポーツは欧州に比べると10年は遅れている、と永井は話します。
10年後、50年後に欧州人と肩を並べるようになるためには、「敗北から学ばなければ意味がない」というのです。
四三は、10年後、50年後に勝つのでは遅い、自分には後4年しか時間がないと永井に訴えます。
永井は、四三が4年後のベルリンオリンピックに強い決意を持っていることに驚きます。
四三は、4年後のベルリン大会でストックホルムでの悔しさ恥ずかしさを晴らすとし、今度こそ勝つための対策を練り始めました。
トレーニング再開、今度こそ勝つために
四三が考えた対策とは、
- 舗装路対策
ストックホルムでは舗装された道ばかりで、柔らかい土の道に慣れていた四三には膝に負担が掛かり、履いていた足袋もボロボロになりかなり苦労させられました。 - 出だしのスピード対策
四三が驚いたのは、西洋人たちのスタートダッシュでした。
色々とハプニングが重なり慌てていたこともありますが、西洋人たちの素晴らしいスタートダッシュにペースを乱されてしまったことも敗因の一つでした。
出だしのスピード対策として「電信柱練習法」を取り入れることにしました。
西洋人たちのスピード対策のため、四三は電話の普及により増えた電信柱を使って練習することを思いつきました。
電信柱と電信柱の間は4~50m。その5本目まではゆっくりと軽く流し、5本目からは全力疾走。
息が切れるまで走り続けます。
これを繰り返すことで体力を増強・速度の変化に体を慣らすことにしたのです。
高師の野口は、四三が持ち帰った数々の道具に興味を持ち、試しているうちにその才能を開花させつつありました。
永井の大日本体育協会改革
四三にオリンピックでの敗因を詰め寄った女性・二階堂が東京高師にやってきました。
二階堂は永井の弟子で、東京高等女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の助教授を務めています。
永井が作った「学校体操教授要目」を全国の学校に広めるために学校巡りをしようとしていたのですが、文部省からの要請で、英国に3年間留学することが決定しました。
そのため、永井と共に全国を巡ることができなくなり、二階堂の代わりを四三に務めてほしいと依頼に来たのです。
四三は、4年後のオリンピックに出るために自分のトレーニングをする必要があり、難色を示すのですが、永井らは4年後のオリンピックなど無謀の極みと四三を否定します。
永井は、予選で世界記録を出したにも関わらず、30Km地点での四三が棄権したのは、嘉納のやり方ではだめなのだと証明されたと言い、嘉納治五郎の方針も否定。
四三は永井と二階堂の強引な論法にたじろいでしまいました。
徒歩部の監督・可児徳(古館寛治さん)から、最近の永井の強引さについて聞いた四三。
全国の小学校に肋木を設置しようとしていると聞き驚愕します。
さらに、可児が足を負傷していることについて、事情を聞きまたまた驚いてしまいます。
可児の足は、嘉納が作った借金について、借金取りに追い込まれた結果、窓から飛び降りるはめになり負傷したのでした。
可児はイギリス発祥の円形デッドボールを世に広めることに従事していました。
反射神経ととっさの判断力を鍛える円形デッドボールは後にドッジボールとして現在まで全国に広く愛されるスポーツとなりました。
可児とデッドボールを楽しんでいた四三のもとに兄・実次(中村獅童さん)からのハガキが届きました。
ハガキには四三の結果が残念で失望した、応援してくれた人々に申し訳ないと書かれていました。
実次の厳しい言葉に四三はやりきれない思いを抱えながらも、トレーニングに没頭するのでした。
美濃部孝蔵の旅立ち
一方、東京の美濃部孝蔵は、師匠である橘家円喬(松尾スズキさん)の前で練習をしていました。
師匠から「売れたいか?」と聞かれた孝蔵は、売れたいけれど媚を売ってまでは売れたくないと返答します。
それを聞いた円喬は、自分ではない他の師匠について旅に出ろと命令します。
孝蔵には「フラがある」と円喬は言い、「フラ」とは何か聞こうとするのですが汽車の音がうるさくて全く聞こえません。
孝蔵は、初高座の時に円喬を怒らせたから破門されるのか、厄介払いをされるのかと疑うのですが、寄席の主人は、円喬は孝蔵を買っているから孝蔵の為を思って旅に出すのだと言います。
半信半疑ながら、孝蔵は円喬の言うとおり、他の師匠の弟子となり旅に出ることにしました。
孝蔵23歳の時のことでした。
新しい師匠の弟子・万朝と一緒に新橋駅に向かいます。
円喬の見送りはないのか、薄情な師匠だと言われると、孝蔵は、円喬は売れっ子だからと言い返しつつ、寂しそうな様子を見せていましいた。
その頃、高座を終えた円喬は孝蔵の見送りのため、急いで新橋駅に行こうとしていました。
車夫の清さんに頼んで新橋駅に行こうとするのですが、孝蔵が旅に出る見送りだと言うと、驚いた清さんが車をひっくり返し、車から落ちてしまいます。
清さんは小梅を乗せ、円喬は2人を追いながら新橋駅まで走りました。
出発の時間となり、清さんと小梅からの激励を受けて旅立とうとする孝蔵。
発車のベルが鳴り響く中、ようやく円喬が到着しました。
円喬に挨拶しようとするのですが、円喬は孝蔵の新しい師匠となる三遊亭小円朝に詰め寄り、孝蔵を頼むと大切に育ててくれと必死に言い募ります。
孝蔵にはその当時高価な「敷島」というタバコを餞別に贈ろうとするのですが、孝蔵はなかなか受け取らず、イラついた円喬は孝蔵にタバコを投げつけました。
孝蔵は、円喬が投げつけたタバコを拾うと、大切そうに胸に押し抱き涙を流すのでした。
孝蔵には「ふらがある」と言った円喬が去る後ろ姿を見た孝蔵は、「俺がフラならあんたフラフラじゃねえか」と感想を漏らします。
これまでの移動は全て孝蔵に頼っていた円喬は、孝蔵の見送りのため長く走りすぎてフラフラになりながら次の高座に向かうのでした。
三島・嘉納の帰国
大正元年11月、二階堂は英国に旅立ちました。
大正2年1月、年をまたいで三島がヨーロッパの視察と語学の勉強を終え帰国しました。
帰国後のインタビューで、初めて負けた気分を聞かれた三島は、すっきりしたと晴れやかに笑いました。
懐かしい天狗倶楽部の仲間たちに迎えられた三島は、自分は銀行員になると宣言します。
そこでいつものように天狗となりスポーツを楽しもうとするのですが、時代の流れとともに天狗倶楽部の仲間たちも歳をとり、天狗になどなっている場合ではない、天狗倶楽部は解散すると三島に告げます。
軍部が「兵式体操」を推奨し、競技スポーツは軽視されるようになっていました。
三島らが愛する野球は、賎技であると貶められた新聞記事を読んだ三島は、それならば自分は、野球の本場、アメリカに行き、スポーツ大国である理由、強い理由を見極めると言い放ちます。
天狗倶楽部解散に打ち沈んでいた仲間たちも三島の勢いに引きずられるように、かつての天狗倶楽部の元気を取り戻しました。
しかし、時代には抗えず、明治の痛快男児達の時代に幕が下りました。
そして3月になり、ようやく嘉納が帰国しました。
傍らには喪服に身を包み、描き上げた大森兵蔵(竹野内豊さん)の絵を胸に抱いている安仁子夫人(シャーロット・ケイト・フォックスさん)がいました。
大森兵蔵は、安仁子夫人の故郷・カリフォルニアの病院で息を引き取りました。
安仁子夫人は大森の遺志を継ぎ日本で暮らすことになりました。
久しぶりの大日本体育協会に戻った嘉納は驚きました。
嘉納の机はいつもの場所に無く、「校長室」の看板がある場所はガラクタ置き場と化していました。
驚く嘉納に声をかけたのは永井道明。
永井は嘉納がいない間に大体協を大幅に作り替えていたのです。
新しい理事に、嘉納が作った借金問題の解決と財政を担当する弁護士の岸清一(岩松了さん)を、そして副会長には武田千代三郎(永島敏行さん)が就任。
時代は変わったと永井は嘉納に告げるのでした。
オリンピックの前と後で東京はまるっきり変わってしまったと四三は感じていました。
浅草十二階で三島とともに東京の街を見下ろしていた四三は三島に自分たちがオリンピックに出たことは夢だったのではないかと詰め寄ります。
三島は、四三の肩を掴み、「紛れもない現実だ」と告げます。
三島は四三を連れてオリンピックのニュース映画を見に行きました。
そこで自分たちの姿を見て、パンやチーズ、薄い味噌汁で飢えを凌ぎ、白夜に苦しみながらも戦い続けた日々は夢ではなかったと確認し、あの戦い抜いた日々を思い出し、2人は会心の笑みを見せたのでした。
熊本へ
実次より一度熊本に帰るように厳命された四三は、重い足取りで実家に辿り付きました。
兄に残念な結果を残した事を謝罪しようとするのですが、兄はなぜか四三の話をろくに聞かず、四三を家から連れ出しました。
何を聞いても、「悪かようにせん」「何も言うな」「俺に任せろ」しか言わない実次。
四三には嫌な予感しかありませんでした。
連れて行かれた先で、四三は、卒業後は教師となり熊本に戻れと実次に言われ戸惑います。
さらに、見合いをしろと言われ、驚愕を通り越し、パニック状態です。
三つ指をついて現れた女性は春野スヤ(綾瀬はるかさん)。
池部家に嫁いだはずの四三の幼馴染の女性でした。
うろたえ逃げ惑う四三が勢いよく障子を開けると、そこに待ち構えていたのは池部幾江(大竹しのぶさん)。
「説明している時間はなか、続きは来週!」と強く言い切り今回の物語はおしまいです。
次回第15回、「あゝ結婚」
四三の見合い相手がスヤであること、卒業後の進路など、四三の意向を全く聞かない実次の強引さに驚きつつ、四三とスヤが結ばれることにほっとしましたね。
一筋縄ではいかないストーリーになることは必至。
次回第15回、「あゝ結婚」、目が離せませんね。