2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回第14回「新世界」は、ストックホルムオリンピックに参加していた日本選手団の面々がそれぞれ帰国し、それぞれの今後を考えるお話でした。
明治天皇が崩御し、明治から大正に時代が移り変わってまもなく、主人公・金栗四三(中村勘九郎さん)がストックホルムから帰国しました。
その夜、四三の帰国報告会にて、四三は謝罪とお礼の言葉を述べ、現地でのエピソードを紹介し、場を盛り上げていました。
しかし、和やかな雰囲気をぶち壊すように、舎監の永井道明(杉本哲太さん)の弟子である二階堂トクヨ(寺島しのぶさん)がマラソンの敗因について質問してきました。
四三の日頃の努力をよく知る野口源三郎(永山絢斗さん)らは二階堂に反発するのですが、弁の立つ二階堂には敵いません。
言い負かされた野口を助けるように、四三は二階堂の質問に答え始めます。
食事・練習法・当日の天候・日本人と欧州人の体格の違い・体力差・技の未熟さなど、敗因はいくつもあるけれど、それを胸にしまってただひたすら努力する、という四三に対し、永井が反論しました。
敗北から学ばなければ日本は強くなれない、まずは体格差を改善することが重要であり、10年後、50年後に欧州人に追いつく、と言う永井に四三が反論します。
ストックホルムの雪辱を果たすために、4年後のベルリン大会に出場する、と四三は強い決意を見せたのでした。
そして考えたことを「今度こそ勝つために」と書かれたノートに記していきます。
- 舗装路対策として、石畳の上を積極的に走る
- 出だしのスピード対策として電信柱練習法を取り入れる
四三は4年後のオリンピックに向けて、走り始めました。
東京高師の仲間たちは、四三が持ち帰ったスポーツ器具を大変喜び、野口などはやり投げに手応えを感じていました。
永井は「学校体操教授要目」を作成し全国の各学校に浸透させるため学校巡りを計画していました。
四三がいない4カ月の間に、永井は独自の論理で日本の体育教育を改善しようとし、徒歩部監督の可児徳(古館寛治さん)は、ドッジボールを世に広めようとするなど、高師は変わり始めていました。
東京の美濃部孝蔵(森山未來さん)は、初高座で師匠・橘家円喬(松尾スズキさん)を怒らせたものの、破門されることもなく前座などを任されていました。
ある日、円喬は孝蔵に自分ではない他の師匠に付き旅に出ろと命じます。
とうとう破門か厄介払いか、と不安に思う孝蔵でしたが、それでも、師匠に言われたからには言われた通り旅立たなくてはなりません。
売れっ子で忙しい円喬ですが、孝蔵の見送りに新橋駅に駆けつけました。
文字通り、汗だくになって走ってやってきたのです。
へとへとの円喬でしたが、孝蔵の新しい師匠に詰め寄ると、孝蔵には「フラ」があるから大切に育てて欲しいと懇願しました。
円喬は孝蔵に高価なタバコを餞別に渡し、フラフラになりながら次の寄席に向かうのでした。
年が明けて三島弥彦(生田斗真さん)が帰国しました。
スポーツ選手としては引退し銀行員になると宣言。
三島が所属していたスポーツを愛し楽しんだ天狗倶楽部も、近年の競技スポーツ軽視の風潮の中で解散が決定。
3月、日本選手団団長である嘉納治五郎(役所広司さん)が大森夫人(シャーロット・ケイト・フォックスさん)を伴い帰国しました。
安仁子夫人は亡き大森の意思を継ぎ日本に住むことになりました。
嘉納がいなかった4か月の間に大日本体育協会は永井の手で変革が行われており、新しい理事や副会長が勝手に決められ、嘉納は戸惑います。
たった4か月の間に、東京が様変わりしたように感じた四三は、オリンピックに行ったのは夢だったのではないかと三島に訴えました。
三島は四三にニュース映画を見せて、自分たちは確かにオリンピックに参加していた、あの闘いの日々は紛れもない現実だったと確認し、感慨にふけるのでした。
熊本の兄・実次(中村獅童さん)に熊本に呼び戻された四三は、暗い気持ちで実家に辿り付きました。
着いてみると実次は四三をある家に連れ出し、見合いをしろと詰め寄ります。
そして現れた女性が嫁いだはずの春野スヤ(綾瀬はるかさん)だったことに驚愕し、逃げ惑う四三の前に現れたのは池部幾江(大竹しのぶさん)。
「続きは来週!」と力強いセリフでお話は締めくくられました。
前回第14回「新世界」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは、第15回「あゝ結婚」のあらすじと感想です。
結婚!
里に帰ったら寝耳に水の縁談話、それだけでも「ばっ」なのに、見合いの相手が幼馴染のスヤだったことに四三の驚きは止まりません。
今回のお話は四三の驚く「ばっ」の連続です。
時は明治43年の春に遡り、四三とスヤの出会いを回想してみましょう。
四三は幼い頃に父が世話になっていた医者の娘であるスヤと出会いました。
四三が中学の時に再会し、それから2人は距離を縮めていきました。
スヤの秘めたる気持ちに気づかない四三は、進路を東京高師と定め、東京へ行ってしまいます。
スヤは地元の女学校卒業後は玉名の大地主・池部家の長男のもとに嫁ぎました。
四三がオリンピックで走っていた頃、池部家の長男・重行(高橋洋さん)はこの世を去りました。
池部家には重行しか子はおらず、幾江の代で家を潰すわけにはいきません。
後継を探している幾江に、実次は近々熊本に帰ってくる弟の四三を養子に出すと申し出ました。
幾江は実次の推薦を受けて、四三を養子に迎えるというのです。
実は、四三がオリンピックに行くための費用を工面したのは池部家でした。
スヤが頼み込んだおかげで、幾江は、金栗家の田んぼを買い取り、無償で金栗家に貸すという懐の大きな対応をしてくれたのです。
池部家に大恩がある四三は、池部家のために恩返しをしなければなりません。
そして、四三のために田んぼを売ってお金を工面してくれた家族にもです。
四三が池部家の養子になれば、池部から借りている金栗の田んぼが四三のものになると実次は言うのです。
しかし、四三は田んぼの話と嫁取りが混ざっている、順番がおかしいと納得できません。
「養子縁組をしてから縁談ならまだしも…」と戸惑う四三の困惑を感じ取ったスヤは、この話は水に流して欲しいと頭を下げ部屋から出てしまいました。
煮え切らない四三に幾江は怒り、四三を養子に欲しいのではない、スヤが欲しいから四三を養子にして娶せようとしていると言います。
重行が亡くなり、未亡人となったスヤは実家に戻ることになりました。
広い家に一人取り残された幾江は寂しさのあまり、死んでしまおうかと思ったのですが、ふらふらとスヤの家まで行ってみると、スヤが鍋を洗っているところに遭遇しました。
懸命に鍋を洗うスヤ。
スヤは生きようとしている、そう感じた幾江は、前向きなスヤをとても好きだったと気づき、理屈ではなく本能で、スヤとともに暮らしたいと感じたと語りました。
幾江のこれからはスヤのため、力を貸すのもスヤのため、スヤを娶らないのならば四三を養子になどしない、と幾江は言い切りました。
幾江の本心を聞いたスヤは感激し、幾江に抱きつき、2人は絆を確かめ合ったのでした。
実家に戻った四三を交えて、金栗家は緊急会議を開きました。
実次は相変わらず強引に四三を池部家の養子に出そうとし、四三は4年後のオリンピックに出場し、ストックホルムの雪辱を果たしたいのだと懸命に説明します。
学校部屋に押し込まれながらも必死の説得を続ける四三。
しかし、実次はそれならば余計にスヤと結婚し、池部家の養子になれと言います。
オリンピックで莫大な支度金が必要となっても、池部家ならば用意できるだろうと言うのです。
それでも煮え切らない四三に実次は、「スヤが嫌いか?」と尋ねます。
その頃の池部家では幾江が怒っていました。
スヤさえ池部に戻ってきてくれるなら、煮え切らない四三ではなく、他の男を用意すると幾江は言うのですが、スヤは四三が良いのだと訴えました。
次の日の朝、実家にて冷水浴の最中。
四三は水を浴びながら自問自答します。
四三が海軍兵学校に落ちた時、励ましてくれたスヤ。
体が丈夫ならばそれでいい。丈夫な体を国のために使うか自分のために使うか、決めるのは四三。
スヤはそう励ましてくれました。
スヤの一言があったから、スヤのおかげで自分は今誰よりも丈夫になった。
四三はスヤへの思いを自覚し、スヤと夫婦になることを決めたのです。
2日後、四三とスヤは結婚し、四三は池部家の養子となりました。
その夜、四三はスヤに、自分の決意を話し、4年後のベルリンオリンピックに出場し、ストックホルムでの雪辱を果たす、今は何はさておきオリンピックに集中したい、と訴えます。
スヤは四三の気持ちを受け止め、自分は何はさておきお義母さんだと四三に語ります。
お互い頑張りましょうと言い合い、2人は床につきました。
次の日の朝、四三はスヤを熊本に残して東京に戻るのですが、「池部家の旦那さん」という扱いに戸惑います。
まだ夫婦として間もない2人は口数も少なく、ぎこちなく、別れの挨拶も堅かったのですが、船で去る四三はひたすらスヤを見つめ、スヤも四三が見えなくなるまで見送りました。
旅巡業に出た美濃部孝蔵
さて、新しい師匠・三遊亭小円朝(八十田勇一さん)について旅に出た美濃部孝蔵は、浜松にいました。
孝蔵は、「困った時の浜松勝鬨亭」と言われる寄席に滞在していました。
そこでは三度の食事が出て楽屋に泊まれるのです。
孝蔵は、師匠の前座として『付き馬』を披露していました。
しかし、寄席の客はまばらで、しかも孝蔵の噺をほとんど聞いていません。
孝蔵は、寄席で『付き馬』を聞いていた近所の「八百庄」の次男・まーちゃんという少年に、自分の噺の感想を聞いてみたのですが、まーちゃんの批評は「前座なのに長い話を一生懸命覚えて、つっかえずに言えて偉いね」などという上から目線のものでした。
面白いか面白くないかと聞くと、「面白くない」と馬鹿にしたように話すまーちゃんに詰め寄ろうとする孝蔵に、新しい師匠・小円朝は前座なのに大作をして、しかも場が盛り上がらない、と言って孝蔵をからかいます。
「真面目に稽古した大ネタより笑える前座噺しだよ」という小円朝に孝蔵は食って掛かります。
「だったらてめえの人情噺はどうなんだよ、このハゲ!」と小円朝を殴ってしまいました。
「出てけ!」と怒鳴られ寄席を追い出された孝蔵。
さて、これからどうなるのでしょう。
耐熱訓練
東京に戻った四三は、大日本体育協会の会議に呼ばれていました。
選手の立場の意見が聞きたいということで参加していたのですが、話はお金の事ばかり。
会長の嘉納は、資金の話ばかりする永井らに激昂します。
四三は、結婚の報告をしようとするのですが、そんなことが言えるような雰囲気ではありません。
誰にも言えないまま季節は春を過ぎ夏になっていました。
四三はストックホルムでの体験から、日射病対策として耐熱練習を始めました。
耐熱練習とは、日中一番熱くなる正午過ぎに、帽子も被らず、暑い砂浜を走るという訓練です。
四三が取り入れた耐熱練習とは、倒れないための練習ではなく、倒れても起き上がりまた走り始めるための練習でした。
初めは暑さに負け、何度も倒れる四三でしたが、1か月を過ぎた頃、40kmという長距離を倒れることなく走りきることができるようになっていました。
語りの古今亭志ん生(ビートたけしさん)は、「馬鹿と天才は紙一重」と驚いていましたね。
師匠から追い出され万朝(柄本時生さん)と旅をしていた孝蔵は、海で「浜名湾のカッパ」と呼ばれる少年たちを見かけました。
その中には、孝蔵に辛辣な感想を話したまーちゃんもいました。
当時の水泳は、速さを競うものではなく、武士の嗜みとして、鎧を着ていても泳げる戦国武士の修練を受け継ぐ泳法でした。
彼らは自分たちの泳法を「浜名湾流」名づけ、海に慣れ親しんでいる水泳集団でした。
合宿を行っていた彼らは、合宿の総仕上げとして6時間に及ぶ大遠泳、16Kmもの遠泳をこなさなければなりません。
この浜名湾のカッパの中から、後に金栗・三島に続くオリンピック選手が輩出されるのです。
進路
1914年2月、東京高師卒業を間近に控えた学生たちは、各々の進む先を話していました。
高師を卒業した者は、皆教職につき、それぞれ配属先に向かいます。
徒歩部の橋本は長野中学に、平田は熊本に行きます。
配属先を聞かれた四三は、自分は教職にはつかず、マラソン一本で頑張ると宣言します。
熊本の池部幾江は、四三からの手紙を握り締め実次のもとに怒鳴り込んできました。
卒業後は熊本に帰って教師になる、と言われ養子に迎えたというのに、四三からの手紙には教職には就かず、東京でマラソン一本でやっていくと書かれているではありませんか。
話が違うと実次に詰め寄る幾江。
四三の決断を聞いた永井らは、四三を呼び出し、考えを変えるように説得します。
しかし、四三はベルリンオリンピックで勝つためには、教師をやりながらという中途半端なことをしていてはできないと言い切るのです。
その時、嘉納から声がかかりました。
靴を脱いで素足を見せろというのです。
言われた通りに靴下を脱いだ四三の足は、毎日毎日走り続けたことによってできた血豆が潰れボロボロになっていました。
そんな足では教師として人の上に立つことはできない、と言われ項垂れてしまいます。
嘉納はさらに「そんな足では世界一のマラソン走者ぐらいにしかなれない」と続けました。
嘉納は、働きもせずマラソンばかりしている人間のことをなんというか、と問いかけます。
答えられない四三に、それは「プロフェッショナル」ということだと嘉納は教えました。
日本で初のプロフェッショナルのスポーツ選手第1号になり、マラソンを極めろという嘉納の言葉に、四三は勢いよく返事をするのでした。
四三からの手紙を受け取ったスヤは、四三のマラソンにかける思いと決意を理解し、2年後のオリンピックが終わるまでの辛抱、と四三を応援し支えることにしました。
スヤは憤る幾江を説得し、四三を支えます。
四三からの手紙で、冷水浴を勧められたスヤは、四三と同じように早朝、冷たい水を浴び、四三と同じように奇声を発するのでした。
遠く離れていても、やっぱり2人は通じ合っているんですかね。
次回第16回「ベルリンの壁」
卒業後、教員にはならず、プロフェッショナルなマラソンランナーとして始動した四三に、様々な壁が迫ってきます。
世界情勢が悪化する中、ベルリンオリンピックの開催の行方がわからなくなってきました。
四三がぶち当たる様々な壁とは何か。
師匠の下から追い出された孝蔵のことも気になります。
次回第16回、ベルリンの壁。刻一刻と変わる状況に目が離せませんね。