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いだてん~東京オリムピック噺~第35回「民族の祭典」のネタバレとあらすじと感想

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2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回第34回「226」は、日本を震撼させたテロ事件・二・二六事件が勃発。

日本が不穏な空気に包まれ、オリンピック招致活動など無理ではないかと誰もが考える中、IOC会長・ラトゥールが来訪しました。

嘉納治五郎(役所広司さん)始め、主人公・田畑政治(阿部サダヲさん)は、戒厳令が敷かれる中を、心を込めたおもてなしで、ラトゥールに日本をアピールするお話でした。

1936年2月26日、午前5時。

陸軍の若い将校らによるクーデター事件、二・二六事件が起こりました。

岡田総理大臣や大蔵大臣・高橋是清も凶弾に倒れ、政治が勤める朝日新聞社も襲撃を受け、政治も負傷しました。

クーデターの首謀者は投降したのですが、東京には戒厳令が敷かれ、首都機能は麻痺。

首都・東京は不穏な空気に包まれていました。

そんな中、IOC会長・ラトゥールが2週間後に日本に到着するという知らせが入りました。

クーデターで負傷した政治は、恐怖を感じていました。

自分が関わった政治家たちは、一方的な思想により、凶弾に倒れました。

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上司である緒方竹虎(リリー・フランキーさん)も首謀者の目の前に立ち、非常に危険な状況を乗り越えました。

政治とて軍人に銃で殴られ、命を落としても不思議はない状況でした。

それでも、嘉納はこんな時だからこそ、オリンピックをやるのだと言うのです。

いつでも前向きだった政治でしたが、今回ばかりは「無理だと思う」と叫びます。

しかし、本心では東京でオリンピックをやりたいと切望していたのです。

嘉納が本気ならば自分はついていく、と宣言した政治に、嘉納は「やれるとかやりたいとかじゃないんだよ、やるんだ!」と力強く叫びました。

嘉納の叫びを聞いた政治は、今後一切後ろ向きなことは言わず、東京にオリンピックを招致するためになんでもやる、とラトゥール接待作戦を開始しました。

ラトゥール会長に見て欲しいところは、メイン会場である神宮外苑競技場。

その他にも、日本の文化、伝統芸能にも触れてもらいたい、ということでピックアップした場所は、見事に戒厳令が敷かれている場所と重なっていました。

東京の中を闊歩する軍人たちを上手く避けることができる案内人が必要なことがわかりました。

そこで選出されたのが、かつて嘉納のライトマンをしていた、元車夫の清さん(峯田和伸さん)でした。

人力車にラトゥールを乗せ、政治は案内役として自分が作った写真集を持ちながら解説します。

清さんは、東京の道を網羅しており、途中で会う軍人たちを上手に避けてラトゥールを案内しました。

最初に到着したのは、神宮外苑競技場。

嘉納は、13年前、完成目前に関東大震災が起こったことを話しました。

そのため、競技場は被災者たちの避難所になっていたこと、大変な中でも東京の人々はスポーツを愛し、避難所内で大運動会が行なわれたことを話しました。

嘉納は、戦火で被害を被ったアントワープでオリンピックを行ったラトゥールの英断を称賛し、震災被害から立ち直った日本の姿を世界に見せたい、と強い気持ちを伝えます。

ラトゥールは志半ばでこの世を去ったIOC委員で第2代大日本体育協会の会長であった岸清一の墓前に手を合わせたあと、YMCAプールを視察、寄席にも立ち寄りました。

途中、軍人を避けるため、人力車は路地裏に入りました。

そこには子供たちが昔ながらの遊びに夢中になり、かけっこの優勝者には花冠が贈られていました。

子供にまでオリンピックが浸透していることにラトゥールは驚き、喜びます。

お腹がすいたとダダをこね、もらった清さんの弁当が日の丸弁当だったことから、日本国民が愛国心に溢れ、オリンピック精神が培われていることにも感心しました。

嘉納と柔道を楽しんでいたラトゥールは、IOC総会で、強引な手段で日本に票を集めようとした杉村陽太郎(加藤雅也さん)が嘉納の弟子であることに気づきました。

嘉納は杉村に通訳をさせ、ムッソリーニを説得しろと命じたのは自分だと告白したのです。

これまで、日本は遠すぎるという理由から日本でのオリンピック開催は不可能と思われてきました。

嘉納と親交があるクーベルタン男爵さえも、日本など眼中にありませんでした。

しかし、ラトゥールは1か月もかかる船旅を経て、日本に来てくれました。

嘉納は感謝を伝え、東京にオリンピックを招致するために禁じ手を使ったことを謝罪しました。

岸は志半ばでこの世を去り、自分ももう年を取ってしまった、若い者達に襷を渡したいが、正攻法では間に合わないと踏んで、禁じ手を使ったと説明したのです。

言いたいことを全て伝えた嘉納は、若い副島、杉村、政治に後を託し、道場を出ました。

杉村は、IOC委員辞任の意思をラトゥールに伝え、自分の望みは東京にオリンピックを招致すること、そのためならば喜んで身を引くといい、深く頭を下げ、道場を去りました。

視察最終日、ラトゥールは、日本がオリンピックを開催できる条件を満たしており、オリンピックはアジアに来るべきだ、との見解を話しました。

帰る途中、ラトゥールは足袋で東京中を走り回る2人組を見て、「カナクリ」と叫び始めます。

金栗四三(中村勘九郎さん)は熊本にいるはず、と取り合わない政治でしたが、ラトゥールの言うとおり、東京に四三は戻ってきていたのでした。

前回第34回「226」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

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それでは第35回「民族の祭典」、あらすじと感想です。

目次

新しいハリマヤ

1961年秋。

五りん(神木隆之介さん)は知恵(川栄梨奈さん)を伴い、播磨屋足袋店を訪れました。

播磨屋は、「ハリマヤスポーツ」と名を変え、同じ場所にありました。

店内には初期の金栗足袋を始め、改良を重ねた足袋が所狭しと展示され、歴代の選手たちの足型も飾ってありました。

店舗は大通りに移転され、以前金栗四三が間借りしていた2階は、今は倉庫として使われていました。

今のハリマヤは、職人が多数の大きなお店となっていました。

五りんは母から聞いた話を元に、店の中を観察していました。

店の中に貼ってある古い写真の中に、自分の母がいるかどうか見てみるのですが、母の姿は見つからず、知恵から父の姿はあるのかと聞かれたのですが、五りんは父の顔をほとんど覚えていませんでした。

この会話をミシンの前に座り足袋を縫っていた黒坂辛作(三宅弘城さん)が聞いていました。

シマの娘

1936年春。

上京した金栗四三と弟子の小松勝(仲野太賀さん)は播磨屋を訪れました。

しかしそこには誰もおらず、四三は店主・黒坂辛作(三宅弘城さん)を呼ぶのですが、誰も出てきません。

そこにひとりの女性が現れました。

四三たちを客だと思い、店の人を呼ぶその女性の顔を見て、四三は驚きました。

関東大震災で行方不明となり、四三たちが懸命に探し続けた増野シマ(杉咲花さん)とそっくりだったのです。

四三はシマが無事だったと思い、女性に駆け寄ると抱きついて喜びました。

抱きつかれた女性は驚き、自分はシマの娘のりく(杉咲花さん)であると説明しました。

四三が最後に見たりくの姿はまだ乳飲み子だった頃のことです。

あの時の赤ちゃんがシマそっくりに成長したことに四三は仰天してしまいました。

その夜、辛作や増野(柄本佑さん)、播磨屋の職人たちとともに酒宴をしていた四三は、増野に改めてりくがシマにそっくりだというのですが、増野は納得いかない様子で、自分よりはシマに似ているかも、と消極的な見解を述べます。

しかし四三は、りくは1%も増野に似ていないと一蹴するのでした。

りくは、播磨屋でお針子として働いていました。

四三が4年後のオリンピック招致活動を行うことを聞いて、場が盛り上がります。

四三が選手として出るのかと聞かれると、自分は聖火リレーに出るだけ、弟子の小松を鍛えて東京五輪代表選手に育て、金メダルを目指すと言うのです。

小松は東京の学校に入学する手続きを済ませた、と嬉しそうに語ります。

辛作は、今は選手のレベルが高く、四三の時代と違うと心配しました。

辛作の言葉通り、韓国併合から26年、朝鮮出身のランナーがマラソン界を席巻していました。

その代表選手が孫基禎と南昇竜。

2人とも金栗足袋を履いて、ベルリンオリンピックに出場します。

小松は辛作に、自分にも自分の足にあった金栗足袋を作って欲しいと辛作にお願いします。

辛作は、「うちの足袋で走る以上、勝ってもらわなきゃ営業妨害になるからな」と小松に檄を飛ばしました。

1940年オリンピック開催地決定

1936年7月31日。

ベルリンオリンピック開幕前日、IOC総会が開かれ、そこで1940年に行われるオリンピックの開催地が決まります。

日本からは、嘉納治五郎・副島道正(塚本晋也さん)・田畑政治と大勢の記者が参加していました。

待機する嘉納に、IOCアメリカ代表が話しかけてきました。

ロス五輪の時に、一番協力的だった日本に投票すると力強い言葉をかけてくれました。

そして、IOC委員の中で最古参の嘉納の功績をたたえ、一度アジアでやってみようと、協力を申し出てくれたのです。

ロビー活動の結果、日本の獲得予想数は22票。24票を取れば勝てるのですが、後2票が集まりません。

中国はまだどちらに票を入れるか、わかっていませんでしたが、日本が満州事変を起こしたため、中国からの票は期待できないだろうと嘉納らは考えています。

勝敗の行方は中国が握っていました。

IOC会長・ラトゥールが姿を現し、IOC総会が始まりました。

嘉納は、一番手で演説をするようにラトゥールから言われました。

そして始まった総会で、嘉納は日本の良いところをアピールします。

かつては1、2か月もかかって漸く東京に到着していたのですが、現在は交通網が発達したため、シベリア鉄道で2週間揺られるだけで、東京に到着できます。

副島は、シベリア鉄道の料金を大幅値下げすると宣言し、さらに、選手一人に対し、150ドルという特典が付くとアピールします。

嘉納は、「日本はもはや極東ではない」と説明します。

日本に来ると、こんなにたくさんの特典があると語った後に、聖火リレーが欧州を飛び出し、アジアに来ることを心待ちにしていると語ります。

オリンピックは全ての大陸、全ての国、全ての民族に開放されるべき、極東は戦争と平和の狭間にある、だからこそ平和の祭典であるオリンピックを日本の東京で行いたい、と演説を締めくくりました。

そしていよいよ投票が始まります。

別室で待っている政治の手が緊張で震えています。

各国のIOC委員が続々と投票し始めました。

中国のIOC委員は、嘉納を一瞥すると用紙を箱に入れました。

政治は、一緒に待っている河西(トータス松本さん)b アナウンサーとともに手に汗を握っていました。

そして3時間後、投票結果が発表されました。

発表者が手にしていた紙は「TOKYO」

1940年に行われるオリンピック開催都市は、東京に決まったのです。

アジア初のオリンピックが決定したのです。

嘉納は政治に駆け寄り、喜びを分かち合いました。

そして、その横を通り過ぎようとしている中国のIOC委員に駆け寄り、握手を求めます。

現在、日本と険悪な状態になっている中国でしたが、アジア初のオリンピックに向けて、日本に投票してくれたのです。

彼は、「同じアジア人として、日本を支持した。スポーツと政治は関係ない」と言い立ち去りました。

嘉納は中国代表に何度も感謝の意を伝えるのでした。

そんな嘉納を見ていた政治に、ラトゥールは「日本はヒトラーに感謝をしたほうがいい」と耳打ちをするのです。

ラトゥールの言葉が分からなかった政治は困惑するのですが、同行していたアナウンサーが訳したものは「日本を代表してヒトラーにお礼を言ったほうがいい」という言葉でした。

なぜ、ヒトラーが関係するのか理解できない政治は、ただただ困惑するばかりでした。

東京に、1940年オリンピック開催都市に決まったという放送が入りました。

東京は大歓声に包まれ、四三も辛作も大喜びです。

ラジオ放送が始まり嘉納が決定を報告していました。

初めて参加したストックホルム大会ではたった2人の参加でしたが、それからどんどん参加人数は増え、ロス大会では開催国アメリカに続く人数で参加、水泳の大活躍を語ります。

嘉納の話を聞きながら、感極まった副島は、オリンピック招致が決まった喜びを語りました。

総務主事の政治もマイクを向けられますが、「あれ」だの「なに」だの多くて何を言っているのかわかりませんでした。

東京はこの決定を受け、3日間お祭り騒ぎが続きました。

226も戒厳令も忘れて、花火を打ち上げて提灯行列で大騒ぎでした。

ベルリンオリンピック開幕

翌日、ベルリンオリンピックが開幕しました。

しかし、政治の目にオリンピックの開会式は異様に映りました。

オリンピックの旗とナチスの旗がズラッと並び、はためいていました。

かつて、ユダヤ人の祭典として蔑み、オリンピック不要論を唱えていたヒトラーでしたが、側近から「大きなプロパガンダ効果が期待できる」と助言を受け、態度を一変させました。

オリンピックに積極的になり、聖火リレーの導入、有名映画監督を用いて記録映画を撮らせたりしました。

ヒトラーがレニ・リーフェンシュタールに依頼して撮らせた映画がかの有名な『オリンピア』です。

入場行進が始まろうとしていた時に、水泳監督・松澤一鶴(皆川猿時さん)は政治の帽子がロス五輪の時に被っていた帽子だと気づきました。

今回は日本軍の軍用帽に変更するように言うのですが、政治は承知しません。

政治は、「スポーツをやりに来たんだよ、歩くのは戦場じゃない、競技場だ。こんな帽子はオリンピック精神に反する」と帽子を受け入れませんでした。

開会式が始まりました。

軍隊のような行進が行われ、開会式は何もかも絢爛豪華、そのスケールと完成度、ドイツ人らしい統制のとれた演出に日本選手団はただただ圧倒されるばかりでした。

ベルリン大会の規模の大きさに圧倒され、消沈する嘉納たち。

ラトゥールは、日本は日本らしいオリンピックにすればいい、神宮外苑競技場はいいスタジアムだと励ますのでした。

しかし、嘉納は「責任は重い」と強く感じていました。

特に、中国から貰った一票を重く受け止めていましいた。

政治とスポーツは関係ない、といえども、母国に戻ったら中国代表IOC委員は非難されることは必至です。

東京オリンピックはアジア共通の悲願、なんとしても成功させなければと、嘉納は強く思いました。

ベルリンの選手村でも政治は息が詰まると感じていました。

ロスでは各国の選手が入り乱れ、交流がなされていたのですが、今回の選手村は日本人だけが隔離されていたのです。

欧米人と一緒では休まらないだろうという破格の対応だというのですが、政治は納得がいかないようでした。

日本選手団の通訳として働いている青年はユダヤ人で、普段はナチスドイツから迫害を受けているのですが、オリンピック期間中だけは差別が緩和され、働くことができる、と説明された政治は、期限付きの差別緩和など、とナチスドイツ、ヒトラーのやり方に不満を覚えていました。

ベルリンオリンピックでは、テレビジョンが試験的に導入されており、4年後のオリンピックでは、ラジオではなくテレビジョンが主流になるだろうと、河西アナウンサーらは感じていました。

今の試験的なテレビジョンでは、誰が映っているのか判別が難しい状態でした。

ハリマヤの金メダル

オリンピック初日は、陸上競技が開催されます。

日本の吉岡が出場するレースを実況するためにアナウンサー達は会場に向かいました。

陸上で圧倒的な強さを見せたのはアメリカのジェシー・オーエンス。

男子100m、200m、400mリレー、走り幅跳びで金メダルを獲得しました。

しかし、オーエンスが黒人選手だったため、白人至上主義のヒトラーは、オーエンスと握手をしませんでした。

日本人選手の活躍としては、田島直人が三段跳びで金メダル、原田正夫が銀メダル、西田修平が棒高跳びで銀メダル、大江季雄が銅メダル、田島直人が走り幅跳びで銅メダルを獲得。

マラソン競技では、当時統治下にあった朝鮮出身の選手が、日本代表として参加していました。

前回大会金メダルのアルゼンチン代表ザバラがトップで折り返し、日本の孫基禎は3位で折り返しです。

スタジアムで見ていた嘉納は、待つことしかできないのか、いつも歯がゆく感じています。

ラジオの実況中継が行われていたのですが、スタートしてしばらくすると、日本時間で深夜0時となり、一旦中継は終了。再開は翌日の朝6時半でした。

日本で、ラジオを聞いていた国民は突然の終了に驚き、興奮が冷めやらない四三は小松を誘って深夜、マラソンをするというのです。

そこに、りくが小松専用の足袋ができたと持ってきました。

小松はりくが初めて型紙から縫製まで行った足袋を履き、嬉しそうに何度も何度も足踏みをし、走り始めました。

朝6時半、中継が始まりました。

本来ならば開始から6時間は経過しているので結果は出ているはずですが、中継は2時間20分が経過した所から始まりました。

その日のベルリンは異例の暑さで、棄権者が続出、折り返しを過ぎ、33Km地点で優勝候補だったアルゼンチンのザバラ選手が棄権。

そして、一番にスタジアムに戻ってきたのは、日本代表・朝鮮人の孫基禎選手でした。

孫は金メダルを獲得し、同じく朝鮮人の南昇竜は銅メダルを獲得。

日本人悲願のマラソン金メダルを獲得したのです。

四三はラジオの前で涙を流しながら喜んでいました。

辛作も足袋を握り締め大喜びです。

国民が喜びに沸き、涙しました。

そして表彰式、壇上に上がった選手は、表彰式の時に国歌が流れ国旗が掲揚されることを知りませんでした。

ラジオの前で、播磨屋の人々は考えていました。

朝鮮人なのに、日本の国歌が流れ国旗が掲揚されるということを。

辛作は、「日本人でも朝鮮人でも誰でも播磨屋の足袋を履いて走った選手はちゃんと応援するし、金メダルを獲ってくれたのなら俺は嬉しい、それじゃダメかね」と言います。

それを聞いた四三は、そうだ、播磨屋の金メダルだ、と辛作を胴上げするのでした。

陸上の大活躍に続き、水泳でも大活躍を期待したいところですが、どうも水泳総監督の政治が本調子ではありません。

政治は、深夜練習プールに降りて考えていました。

ヒトラーに日本を代表してお礼を言え、と言われたことを考えていたからです。

なぜ自分がやらなければならないのか、ヒトラーと招致が関係するのか。

以前、同僚で今は政治家になった河野(桐谷健太さん)がヒトラーとラトゥール、そして日本の関係を言っていた事を思い出しました。

政治とスポーツは別、しかし、またもや政治の力が働いてしまったのでしょうか。

政治は悩んでいました。

すると、誰もいないはずのプールから水音がします。

よくよく見れば、それは前畑秀子選手(上白石萌歌さん)でした。

とっくに就寝時間を過ぎているのに練習している前畑を咎める政治に、前畑は眠れない、と訴えます。

自分も眠れない、このオリンピックは好きじゃない、という政治に対し、前畑は「私は好きになる、このオリンピック。今は嫌やけど、金メダル取ったらこのオリンピックのこと好きになれると思う」と強い決意をのぞかせました。

前畑の覚悟を聞いた政治は、「前畑、がんばれ」と励ましました。

次回、第36回「前畑がんばれ」

ロサンゼルスオリンピックの雪辱を誓う前畑に、大変なプレッシャーがのしかかります。

果たして、前畑の結果はどうなるのか、オリンピック史に残る大一番が始まります。

ナチスドイツの統治下の元、異様な雰囲気のベルリン大会。

政治は不満そうですね。

前畑の緊張した表情も心配です。

日本中が叫び涙した前畑選手のレース。

次回、第36回「前畑がんばれ」、有名な絶叫アナウンスも楽しみです。

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