2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回、第42回「東京流れ者」では、来る東京オリンピックの選手村建設問題で、平沢和重(星野源さん)の策により代々木になったものの、莫大な資金を米国から要求される羽目になってしまいました。
主人公・田畑政治(阿部サダヲさん)は池田首相(立川談春さん)に莫大な経済効果が期待される案を用いて直談判。
見事、代々木での建設を勝ち取ったお話でした。
高度経済成長の日本は建設ラッシュで東京中は大渋滞が起こっていました。
タクシー運転手の森西栄一(角田晃広さん)は連日の大渋滞にひどく腹を立てていました。
タクシーに乗り込んでいた建築家・丹下健三(松田龍平さん)とデザイナーの亀倉雄策(前野健太さん)の話しを何気なく聞いていた運転手の森西は、オリンピックの聖火ランナーに興味を持ち、聖火リレー調査隊員となって、アテネからシンガポールまでの2万Kmを車で視察することになりました。
日紡貝塚女子バレー部監督・大松博文(徳井義実さん)の指導はかなり厳しく激しい、一見虐待に見えるほどの練習でした。
あまりの厳しさにたまにキレる選手もいるのですが、大松は選手1人1人の実家に足を運び、選手の両親にその選手の必要性を説き、頭を下げて許可を取るなど、厳しくとも愛情深く、大松監督と選手の絆は深く繋がっていました。
セッターに転向した主将の河西昌枝(安藤サクラさん)は、両手での攻撃を目標に、日常生活では右手を使用しないという厳しい練習に励んでいました。
オリンピック組織委員会会長の津島(井上順さん)は、米国との軋轢を避けるため、費用削減のために選手村建設を埼玉県の朝霞に決定と発表していました。
しかし、政治はオリンピックの熱が伝わる代々木に建設したいと切望していました。
一度は決定されたものの、諦めきれない政治はNHK解説員の平沢に助力を求めました。
平沢は米国の駐日大使・ライシャワーに日本人の反米感情を取り除くためには、米軍キャンプ返還の地は朝霞ではなく代々木の方が効果が高いのではと進言したのです。
一理あるとライシャワーは代々木返還を了承するのですが、代わりに今住んでいる米兵家族800世帯の新しい住居を建設するための新しい土地の用意と、60億を要求してきたのです。
政治のスタンドプレーに都知事の東龍太郎(松重豊さん)は怒り、津島も激怒しました。
費用を捻出するためには政府の力が必要として、首相の池田勇人と会談するのですが、60億は出せないと一蹴されてしまいます。
それどころか、選手村だけでなくプールや体育館も朝霞で建設すれば金がかからないと言う始末です。
津島は政府の協力は諦めてしまいました。
しかし、政治はどうしても諦めきれず、費用捻出の方法を考え始めました。
オリンピックに関しては、あとに残る建物は政府と都で折半されるはず、と考えた政治はあとに残る建物でいい物はないかと考えていました。
事務局で1人考えていた政治に、肖像画の嘉納治五郎が話しかけ始めました。
嘉納は1940年のオリンピックが中止になったことを知らず、オリンピックを返上したことに怒り政治に憤りをぶつけました。
1人事務局に戻った政治の様子を見に来た岩田幸彰(松坂桃李さん)には嘉納の声は聞こえません。
1人で騒いで暴れているように見える政治を不思議そうに見ていました。
嘉納から競技場に行けない人は競技をどこで見ればいいのか、と聞かれた政治は、「テレビで見るんじゃないですか?」と答えるのですが、その問い掛けに60億円捻出のヒントが隠されていたのです。
嘉納との会話からヒントを得て、政治は池田首相のもとに直談判を行いました。
政治は代々木のキャンプ地にテレビの放送局を建てようと提案したのです。
スタジアムに近い代々木から鮮明な画像をお茶の間に届けることができます。
皇太子御成婚の折に白黒テレビが爆発的に売れ、莫大な経済効果を出したことを例に出し、今回はカラーテレビが売れるはず、と説明します。
カラーテレビは1台60万円。それを国民が1万台買えば利益は60億円です。
政治の直談判のおかげで選手村は代々木に建設することに決定しました。
1962年春、亀倉が手がけたオリンピックのポスター第2弾は、短距離選手のスタートの瞬間で、躍動感が伝わる素晴らしいポスターでした。
しかし、若者たちの間にオリンピックは全く浸透しておらず、あまり盛り上がっていないことに政治は焦っていました。
聖火リレー調査隊が帰国し、そのコースのあまりの厳しさに激しく憤ります。
政治はポケットマネーで宴会を開き、調査隊・役員・若いボランティアを含めた全員を労いますが、組織委員会の会長の津島は気まずそうに帰ってしまいました。
その頃、組織委員で政界№2の川島正次郎(浅野忠信さん)は、首相の池田に「政府はオリンピックに介入すべき」と進言していました。
国際舞台で日本の株を上げるため、という川島の言葉に頷き、オリンピック担当大臣という役職に川島を任命したのです。
記者会見で川島は、オリンピックに関わる担当大臣をまとめる役目に自信を漲らせ、やるからには立派なものにする、と宣言しました。
会見後、川島はオリンピック運営に津島は必要ではないと津島排除を仄めかすのですが、政治は川島の思惑通りにならないためにも津島は守ると誓うのです。
政治は、若者のオリンピック認知度の低さに頭を抱えていましたが、テレビ寄席でオリンピック噺を演じる五りん(神木隆之介さん)に目を留め、五りんをオリンピックの広告塔にすることに決めたのです。
前回、第42回「東京流れ者」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第43回「ヘルプ!」のあらすじと感想です。
五りん オリンピックの広告塔になる
1962年、東京の景色は劇的に変化していました。道路は整備され高速は頭上を通っています。全て突貫工事で行われました。
これらは2年後のオリンピックのために行われた工事だったのですが、国民の盛り上がりは今ひとつ。
オリンピックの認知度を上げるために、テレビ寄席でオリンピック噺をやっていた五りんを広告塔にしてオリンピックを盛り上げようと白羽の矢が立ったのです。
事務局に面接にやってきた五りんは、事務局内に飾られた肖像画に大興奮です。
嘉納治五郎、岸清一などそうそうたるメンバーの肖像画を見ると、いちいち知恵(川栄李奈さん)に説明していました。
事務局の中では、各局員が忙しく立ち働いていました。
聖火リレー調査隊として自動車でアテネからシンガポールまで2万Kmを走破した森西も今では事務局員として忙しくしていました。
面接の場で政治の前で落語を披露した五りんは、オリンピックの広告塔、宣伝部長に任命されたのですが、テレビに出ると芸が荒れると言われていると、なかなか承知しません。
未だ自宅療養中の古今亭志ん生(ビートたけしさん)、自分のような未熟者が出しゃばってテレビに出て一問の名を汚してはいけない、と涙を流して訴えていました。
弟子の今松に背負われて帰宅した志ん生は、五りんがテレビに出演し、オリンピックの宣伝をしていることに驚きました。
日紡貝塚の女子バレーボールを取材していた五りんは、選手と同じように大松監督からボールを投げられレシーブを体験します。
自分もスポーツの遺伝子を持つ身、としてやっては見たものの、ボールはまっすぐ飛ばず、次々と投げられるボールを受けられず右往左往する五りんの様子を見て、志ん生は笑っていました。
その頃、五りんのようにオリンピックに魅せられた若者が活躍の場を求めて次々と組織委員会を訪れていました。
早稲田の学生・吹浦忠正は国旗のスペシャリストとして面接を受けていました。
吹浦は、第3回アジア競技大会が東京で行われていた時の事件を用いてアピールを開始しました。
第3回競技大会の女子円盤投げの表彰式の時に事件は起こりました。
台湾の選手が表彰台に登るため、国旗を上げたのですが、なんと天地が逆さまになっており、台湾関係者から政治的意図があるのかと猛抗議を受け、責任者であった松澤一鶴が台湾選手団に土下座をして謝罪した、という事態が起こりました。
そのような事故が起こらないために、自分は国旗のスペシャリストとしてオリンピックに参加したいとアピールしたのです。
政治は吹浦を気に入り採用しました。
聖火リレーコースの決定
聖火リレーのコースが決定されました。
ギリシャオリンピアで採火された聖火は、ギリシャ人ランナーがアテネ空港までリレーし、日本人ランナーが空港で聖火を受け取ります。
特別機でトルコ・イスタンブール、ベイルート、テヘラン、ニューデリーと周り、バンコク、マニラ、香港とアジア各国を周り、各地で聖火リレーを行います。
アジア初のオリンピックに自分も参加しているという誇りを持ってもらう趣向になっていました。
そして海を渡り沖縄に聖火が渡ります。
現在沖縄はアメリカの占領下にありますが、東が米軍に交渉してその日は聖火が沖縄にも届けられることになりました。
沖縄から海を渡り鹿児島、広島、大阪、名古屋、そして聖火は東京に届けられます。
そして当日、最終ランナーが国立競技場まで走り聖火台に点灯します。
東京オリンピックを盛り上げる一貫で、海外からも大物が来日しました。
オリンピックの聖火ランナーを目指す金栗四三(中村勘九郎さん)のもとへ、マラソンのメダル候補エチオピア代表のアベベが訪ねてきました。
黒坂辛作(三宅弘城さん)はアベベに金栗足袋をプレゼント、四三を慕うアベベは感激して東京オリンピックは金栗足袋で走ると表明しました。
それを聞いた四三も、自分もオリンピックの聖火ランナーを目指す、と公言しました。
陽気な寝業師・川島
ある日、農林大臣となった河野一郎(桐谷健太さん)が政治を訪ねてきました。
政治は久しぶりに会った河野に親しげに話しかけようとするのですが、河野は政治を津島を排除しようとしていると責めたてたのです。
政治はそれを言い出したのは自分ではなく川島であると言い、河野も津島を排除したがっていると聞いていたと事情を説明しました。
「陽気な寝業師」と呼ばれる川島は、政治が津島を排除しようとしている黒幕だと各所で吹聴し政治の評判を落としていたのです。
河野は、事務総長としての政治の手腕は評価に値すると言うのですが、スタンドプレーが過ぎることを問題視し、オリンピックを私物化していると言われていると、政治に自重するようにと促すのでした。
一方で川島は都知事である東に接触し、圧力をかけていました。
事務総長である政治のすげ替えはできても、都知事のすげ替えはできないと耳元で囁くのです。
女子バレー、正式種目に決定
6月、モスクワにてIOC総会が行われ、政治は女子バレーを正式種目にしようと必死になっていました。
反対の意見が飛び交う中、興奮する政治を抑え平沢がスピーチを行うと、平沢の意見に従ってみようという意見が多くなり、見事女子バレーも東京オリンピック正式種目に決定したのでした。
開催時期も様々な意見が飛び交うのですが、多数決により暑さを避けた1964年(昭和39年)10月10日に決定されました。
第4回アジア競技大会
モスクワから帰国後、バーローズで河野と会った政治は、自分が津島降ろしの首謀者にされていることを知らされ、呆然としてしまいました。
津島を慕う政治家は政治を敵視し、田畑から津島を守れ、という者が増えているといいます。
川島を怒らせるようなことを多々していた自覚があり、政治は頭を抱えてしまいました。
河野は、お前がスポーツをやりたいようにあの人は政治がやりたいんだ、と川島を分析しました。
8月、ジャカルタで行われる第4回アジア競技大会を、インドネシアは自国の発展を世界に示そうと国を挙げて準備を進めていました。
街では聖火リレーが行われ歓迎ムード一色でした。
しかし、日本代表選手団団結式が行われようとしていたまさにその時、政治らは驚く知らせを受け、困惑していました。
インドネシアがアジア大会に台湾とイスラエルを拒絶したという情報が入ったのです。
インドネシアは台湾とイスラエルに招待状と入国ビザを送っておらず入国を拒否しているという報道でした。
インドネシアのスカルノ大統領は中国やアラブ諸国と親密な関係に有り、それらと敵対する台湾やイスラエルを政治的に締め出したというのです。
それが本当のことならば、大問題です。
ジャカルタの大会に日本は出場してもいいものか、政治らは対応に苦慮していました。
岩田がアジア競技連盟に問い合わせたところ、インドネシアはきちんと招待状もビザも送っている、情報はデマだ、惑わされないようにと言われたといい、ようやく団結式を行うことになったのです。
8月19日、政治たち日本選手団は日本を発ちジャカルタに向かいました。
するとその翌日の新聞に、インドネシアによる台湾・イスラエルの排除という記事が大々的に取り上げられました。
台湾はIOCに抗議し、イスラエルも大会中止を要求しました。
国際陸連はジャカルタアジア競技大会を公式とは認めず、それに参加した選手を処罰すると通達しました。
日本の留守を預かっていた岩田はすぐに政治達に連絡を取ろうとするのですが、なかなか電話が繋がらず政治に連絡が取れずにいました。
ジャカルタの政治達も出場してもいいのか話し合いを続けていました。
日本の新聞が間違っているのか、現地の新聞がおかしいのか、正確な情報が入らず焦りが募ります。
翌日、参加17か国の代表が集まった実行委員会が開かれました。
各国の代表が、台湾とイスラエルの参加を要求するのですが、インドネシア政府は回答を先延ばしにするばかり。
開会式前日になっても話し合いは纏まらず、各国は日本の出方を伺っています。
政治は迷っていました。
津島はボイコットを主張し、引き上げようとするのですが、東は、日本が引き上げたら大会が中止になってしまう、と津島を引きとめようとします。
政治たちが日本を発った途端に明らかになる不正、ジャカルタに着いた途端に国際陸連から出るなという通達、政治は何か裏があると感じていました。
日本の政治家もこの事態を知り、日本に残っていた岩田や松澤に現地にボイコットを促せと言い募ります。
現地の政治たちは当日朝になっても対応を決められずにいました。
選手の気持ちを考えれば出場したいところですが、2年後のオリンピックを考えれば下手に出場して返上にでもなってしまったら大変ですし、各国の反応も気になるところです。
政治とスポーツは別、と言いながらも政治的な問題になっており、どうしたらいいのか対応に苦慮していました。
デモ隊の襲撃
そうして揉めていると、日本選手団宿舎に音もなく忍び寄る何人もの人影が現れました。
人影は手に武器を持ち、宿舎の窓ガラスを打ち破り侵入してきました。
現地の住人がジャカルタ大会を中止させまいと抗議しにきたのです。
ジャカルタ大会は国を挙げて準備してきたもので、現地住人はとても楽しみにしていたのです。
しかし、IOCが支援しないと表明し、韓国がボイコットを表明した今、250名の大選手団を引き連れてきた日本が出場しないと、ジャカルタ大会は中止になってしまいます。
大会を中止にさせないために、無理矢理にでも参加させようと武力行使に出た住人を諌めたのは、通訳のアレンでした。
アレンは武器を持つ住人を背負投げで投げ飛ばし、ここにいる日本人は自分たちの味方であり、大会が中止にならないように必死に話し合っている、ここにいる人たちはみんないい人たち、だから、彼らになにかしたら自分が許さない、と言う言葉を言い放ち、デモ隊を追い出しました。
開会式3時間前、まだ政治は迷っていました。
選手の気持ちを考えたらボイコットはさせたくない、しかし、これに参加したことで処分を受け、2年後に待ち構えているオリンピックが台無しになってしまっては困る。
政治はどうしても決断できずにいました。
弱った政治は日本の事務局に連絡し、肖像画の嘉納が何か言っていないかと岩田に尋ねたのです。
肖像画が喋るなどと知らない岩田は政治が何を言わんとしているかわからず戸惑います。
「どうかしているのはわかっているけど、こんな時、嘉納さんならどうするか」と政治が言いかけた時、津島が荷物を抱えてひとり出ていこうとしていることに政治は気づきました。
津島は大会をボイコットするべきだと主張しています。
政治は津島を引きとめようとするのですが、責任を取らされるのは会長である自分だ、と津島は激高し、政治も自分が邪魔なのだろうと政治を責めるのです。
そこにオリンピック担当大臣の川島が現れました。
津島と揉める政治を見た川島は、どちらでもいいから早く決断しろ、と迫ります。
津島が政府にお伺いを立てて意見を聞きたい、と言うと、自分が政府だと川島は言うのです。
しかし、政治とスポーツは別、として政治はスポーツに介入しない、現場にいて誰も決断できず右往左往、そういう醜態が問題と川島は自分の意見を言いません。
それを聞いた政治は、「だったら引き上げます。中止中止、帰りましょう…と言ったらさぞかし困るでしょうなあ。スカルノ大統領とズブズブの関係にあるオリンピック担当大臣。何か付いてますよ」と皮肉をぶつけたのです。
川島とスカルノ大統領の癒着を指摘し、自分たちがボイコットしてしまったら川島の立場が悪くなる、と言い放ちました。
そんな政治を憎々しげに睨みつける川島。
政治と川島の対立は激しくなるばかりでした。
次回、第44回「僕たちの失敗」
インドネシアが台湾とイスラエルの参加を拒否したことが国際問題となり、参加した選手が処罰を受けるという通達が出るほどの大問題となっていました。
ボイコットする国も出ている中で日本は難しい決断を迫られていました。
帰国後、厳しい批判にさらされ、全ての責任は政治に押し付けられてしまいます。
組織委員会を追われた政治、政治のこれまでの努力は、理想のオリンピックは一体どうなってしまうのでしょうか。
次回、第44回「僕たちの失敗」です。川島の反撃が恐ろしすぎて、目が離せません。