2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回、第46回「炎のランナー」は、東京オリンピック招致と開催に人生の全てをかけてきた主人公・田畑政治(阿部サダヲさん)の尽力もあり、ようやく開会式前日までこぎつけたお話でした。
1964年、オリンピックイヤーになったものの、東京中は工事だらけで大渋滞。
施設もまだ完成に至らず、道路整備もまだまだです。
しかし、政治辞任の余波で空きとなっていた記録映画監督も市川崑監督(三谷幸喜さん)に無事決まり、ポスターも第4弾が完成。
日本中がオリンピックに向けて盛り上がりを見せてきました。
準備も大詰めになり、岩田幸彰(松坂桃李さん)たちは表の組織委員会の仕事が忙しく、裏組織委員会には人が集まらなくなっていました。
久しぶりに訪れた岩田は、聖火リレーの最終ランナー候補として、原爆投下の日に生まれた広島出身19歳の坂井義則(井之脇海さん)を見つけてきました。
まさに平和の祭典にふさわしいと政治は喜びます。
しかし聖火リレーにはまだ問題がありました。
政治は、聖火リレーを沖縄からスタートさせることが悲願でしたが、政府は日章旗掲揚の許可を米国に取っていないというのです。
米国の顔色を伺う政府に政治は憤りを隠せません。
7月18日、川島正次郎(浅野忠信さん)に代わって河野一郎(桐谷健太さん)がオリンピック担当大臣になりました。
河野は政治家ではなくスポーツマンとしてオリンピックに取り組むと宣言し、遅れている工事をなんとかしようと都知事の東龍太郎(松重豊さん)に発破をかけました。
オリンピック開会式まで後僅かになってきているのに、聖火リレーの最終ランナーも決まらず、沖縄での日章旗掲揚問題も未解決です。
一向に決まらないこれらの問題を危惧し、まとまらない組織委員会に業を煮やした政治は、組織委員会に乗り込み、自分の意見をぶちまけたのです。
突然現れた政治に驚く組織委員会の面々の前で、政治は沖縄島民の気持ちを代弁し、誰のための何のためのオリンピックなのか組織委員に訴え、また、聖火リレー最終ランナーとして坂井を推薦しました。
会議の場を乱したことを詫びる政治に東は「またいつでもいらしてください、席はご用意します」と政治を受け入れる姿勢を見せたのです。
政治の意見は新聞記事になり、聖火リレー最終ランナーとして坂井が発表されました。
聖火リレー最終ランナーを故嘉納治五郎に託され、目指していた金栗四三(中村勘九郎さん)はショックを受け、嘉納治五郎記念碑の前で土下座をして嘉納に謝罪しました。
しかし、原爆投下の日に生まれた広島のランナーである坂井は、平和の祭典に相応しいと最終ランナーとしての坂井を認めたのでした。
8月21日、聖地アテネから聖火を貰い受けアジア各都市を巡りながら聖火は東京を目指します。
しかし、沖縄での日章旗掲揚の問題は、まだ交渉すら行われていません。
政治は交渉役として平沢和重(星野源さん)を頼りましたが、平沢はその役を断るというのです。
その代わりに「事後承諾でしれっとやってしまえばいい」と策を授けたのです。
聖火リレーの様子をテレビ放送すれば、沖縄との友好関係をアピールしたい米国は、日章旗を振って聖火リレーを応援する島民を取り締まることなど絶対にできない、認めざるを得ない、と断言したのです。
政治は600枚もの日章旗を用意し沖縄に渡り、集まった島民に旗を配り聖火が届くのを待ちました。
平和の祭典の始まり、聖火リレーの始まりを喜ぶ島民、はためく日章旗、その一部始終をテレビが映し出しました。
米兵は首を振りながらも日章旗を振り喜ぶ島民を取り締まることはせず、静観するしかありませんでした。
平沢はそのテレビ放送についてコメントを出し、日の丸の掲揚を容認した米国の寛大さを賞賛しました。
日章旗掲揚問題は、平沢の言う通りに収まったのでした。
とうとう、選手村が完成し、1番最後にエントリーしたコンゴの選手たちが1番に入村しました。
9月後半になって東京の工事も終わり、各国の選手や観覧客の受け入れ準備も整いました。
10月10日の開会式まで後僅か、ギリギリで間に合ったのです。
日本国中、約10万人もの人々が繋ぎ、4つのルートを通って日本国中を巡ってきた聖火が10月9日、皇居前で1つになりました。
そして当日、最終ランナー坂井によって国立競技場に運ばれます。
しかし、最終ランナーの坂井は極度の緊張とプレッシャーで様子がおかしくなっていたのです。
坂井の気持ちに気付けなかった政治は自分を責めました。
そんな時、突然の大雨が東京に降り注ぎました。
天気予報では開会式当日も大雨との予想。
バー・ローズに集まった政治、東、松澤一鶴(皆川猿時さん)やオープニングセレモニーに参加する航空自衛隊のパイロットは、明日は中止かと心配していました。
そこでマリー(薬師丸ひろこさん)が明日の天気を占うといいます。
マリーの出した答えは「豪雨、世界中の雨雲を集めたような曇天」です。
松澤は、「明日は中止」と浮かれて酒を飲もうとするパイロットを帰宅させ、政治は当たらない占い師・マリーに「ありがとう」とお礼を言ったのです。
前回第46回「炎のランナー」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは最終回「時間よ止まれ」のあらすじと感想です。
東京オリンピック開会式
1964年10月10日、東京オリンピック開会式当日になりました。
前夜までの大雨が嘘のように見事に晴れ渡った東京。
政治は晴天に恵まれた国立競技場のスタンドに立っていました。
するとそこに金栗四三がやってきました。
四三は大雨から一転、晴天に恵まれたことを喜びました。
そんな四三に政治は「そりゃそうだ一番面白いことをやるんだ、今日から、ここで、晴れてもらわなくちゃ困る」と笑顔を向けました。
四三は政治に嘉納治五郎から送られてきた手紙を見せました。
そこには、東京オリンピックの開会式の聖火ランナーは、日本で初めてオリンピックに出場し、黎明の鐘を鳴らした四三しかいない、四三に頼む、と書かれてあったのです。
政治は気まずく思いながら手紙を返し、謝りながらも「根に持ってるよね」と返しました。
未練を残しつつ、最終ランナーは坂井で良かった、と四三は呟きました。
四三は最終ランナーの坂井にもこの手紙を見せて激励するとスタジアムを出て行きました。
開会式まであと5時間となりました。
その頃、都知事の東は羽田空港にいました。
東京オリンピックを正式に不参加となってしまったインドネシアの選手団が帰国するため、見送りに来ていたのです。
インドネシア・ジャカルタで行われたアジア競技大会のしこりが残り、不参加になってしまったことを東は残念だと忸怩たる思いを抱いていました。
国旗担当の吹浦もまたインドネシア他、せっかく用意した国旗が無駄になってしまったことを残念に思い、涙を流しました。
政治は涙を流したことを忘れるなよ、と吹浦を諭しました。
IOC会長・ブランデージは、開会の挨拶を日本語で行おうと岩田に教わり練習していたのですが上手くいかず、これでは日本人に失礼、と言い英語でスピーチをすると言い始めました。
岩田はそんなことはない、と言い聞かせるのですがブランデージの意思は固いようです。
そんな時、ブランデージ夫人が岩田の持つストップウォッチに気づきました。
アンティークな時計、と褒められると、岩田はこれは嘉納治五郎が愛用していた物で、政治が嘉納に託され、事務総長を辞任した政治から自分が託されたのだと説明したのです。
ブランデージは「これはカノーの鼓動だ」と言い、嘉納がまだ生きている証拠だと言いました。
国立競技場から出た金栗四三は坂井の待機所までやってきました。
坂井は人目を避けて水明亭という食堂で待機していたのです。
午前10時、国立競技場が会場しましたが、人の姿が見えません。
政治が不安に思っているとほどなくして人が押し寄せてきたのです。
国立競技場は人で溢れかえりました。
NHKのテレビ中継も始まり、アナウンサーが放送を始めます。
スタジアムには懐かしい顔ぶれが続々と揃い始めていました。
野口(永山絢斗さん)や可児(古舘寛治さん)といった体協の人々、元水泳日本代表の高石(斎藤工さん)や鶴田(大東俊介さん)、大横田(林遣都さん)、皆、東京オリンピックの開催を心待ちにしていたのです。
午後1時50分、参加94か国の国旗が一斉に上がりました。
国旗担当の吹浦は、今回不参加となってしまったインドネシアや北朝鮮の国旗を手に持ち、他の国と同様に掲げました。
最終ランナー・坂井の緊張
水明亭で待機していた坂井は緊張で固くなっていました。
坂井は、四三に「なぜ走るのか」と問いかけるのですが、四三は「今まで何度も聞かれたが、全然わからん」と答えました。
坂井は、ただ原爆投下の日に生まれたというだけで何者でもない自分なのに、最終ランナーに選ばれたことを、選んだ政治のことを恨む、と口に出しました。
なぜ、自分が走るのか、と膝に置いた手が震える坂井を見た四三は、「水を貰います」と店主(カンニング竹山さん)に声をかけ、下を向く坂井に思い切り鍋に入れた水をぶっかけたのです。
周囲にいた人々が驚く中、四三は「冷水浴ばい」と涼しい顔。
呆然とする坂井に「なんも考えんと走ればよか」と激励したのでした。
もうすぐ入場行進だというのにコンゴの旗手が行方不明だったり、オープリングセレモニーに参加する航空自衛隊のパイロットが二日酔いだったりして裏はバタバタしています。
午後1時58分、天皇陛下がご臨席になり、ようやく入場行進の始まりです。
四三は坂井のところからスタジアムに戻り、野口や可児と再会を喜びます。
可児は嘉納治五郎にこの光景を見せようと嘉納の写真を胸に持ち、入場行進を見守っていました。
体協ではいつも留守番を命じられていた可児は、ようやく生でオリンピックを見ることができて思わず涙しました。
四三はたった2人きりの入場行進を行うコンゴの選手たちを見て、かつて自分と三島弥彦(生田斗真さん)が2人だけで参加したオリンピックの時のことを思い出していました。
東はスタジアムで政治と合流し、通訳としてきていたインドネシアのアレンが政治によろしく言っていたと伝えてくれました。
アレンは、政治たちがジャカルタの大会に出場した折に通訳として世話になった人物です。
これは田畑のオリンピック、だから参加したかった、と残念がっていましたが、アレンは「逆らわずして勝つ」と叫ぶと東に笑顔をむけて帰国しました。
それを聞いた政治は、次は絶対に出てもらおう、と力強く言うのでした。
午後2時20分、皇居を出た聖火は国立競技場を目指します。
スタジアムに集まった政治たちは、かつてこの場所から3万人もの若者が戦地に向かって旅立っていったことを思い出していました。
あの時は雨でした。
小松勝(仲野大賀さん)も雨が降りしきる中、軍服を着て旅立って行きました。
その時、政治は河野に向けて「俺は絶対に諦めない、オリンピックを必ずやる、ここで」と宣言したことを思い出していました。
「やったぞ、河野、ここで、オリンピック。ざまあみろ、バカヤロメ」と叫ぶ政治、「うるさいぞ田畑、何も言うな」と返す河野です。
スタジアムの中程に座る四三は立ち上がり、「万歳」と叫びました。
野口や可児も「万歳」と続き、「万歳」の声はあちらこちらからも聞かれるようになってきました。
やがてスタジアムには「万歳」の声がどんどん広がり、スタジアム中に響き渡ったのです。
沖縄から始まった聖火リレーは、10万人もの若者に繋がれて、最終ランナー・坂井の手に渡ります。
坂井は落ち着いた様子で、聖火を待ち受けます。
そして、力強く一歩を踏み出したのです。
会場ではブランデージのスピーチが始まりました。
練習では日本語が難しくて上手くできず、英語でスピーチをする、と言っていたので、岩田は、ブランデージがどちらでスピーチをしても電光掲示板に翻訳したものを流せるように係員に指示を出しました。
英語で始まったかのように思われたスピーチでしたが、ブランデージはたどたどしくも日本語でスピーチをし、それを見ていた岩田は喜び、会場も日本語でのスピーチに割れんばかりの拍手を送りました。
開会式の様子をマリーは店のカラーテレビで見ていました。
マリーは、当日の天気の予想をわざと間違えて占ったと言い、それに感謝した政治がマリーにカラーテレビを買って贈ったのです。
マリーの占いは当たらなかったものの、カラーテレビを手に入れて大満足でした。
スタジアムに最終ランナーの坂井が入ってきました。
盛大な拍手を受けて、堂々と走る坂井。
グラウンドを走り抜け、聖火台までの階段を上り切ります。
そして観客にトーチを高々と掲げて見せ聖火台に点火。
勢いよく燃え上がる火を横目に見ながら、坂井は満面の笑みを浮かべたのでした。
四三は涙を浮かべながら「うん、でかした。坂井君で良かった」と盛大な拍手を送ったのです。
平和の象徴、鳩が飛び回る中、航空自衛隊のブルーインパルスが登場です。
練習では一回も成功しなかった五輪の輪が本番では青空に綺麗に描かれました。
最後まで心配していた松澤は喜びの雄叫びを上げ、スタジアムに集った人々はもちろん、東京の人々は皆、空を見上げて美しく浮かび上がった五輪の輪を堪能していました。
志ん生と五りん
その頃、寄席に向かうタクシーの中で古今亭志ん生(ビートたけしさん)と美津子(小泉今日子さん)は、未だに続く渋滞に首をかしげていました。
タクシーの運転手(宮藤官九郎さん)に聞くと、高速ができて渋滞は緩和されたはずなのですが、今日は皆が空を見上げている、と伝えられました。
志ん生はオリンピックが始まったと思い当たり、今日の寄席では「富久」をやろうという気になりました。
高座で志ん生は、自分の「富久」が浅草から日本橋ではなく、なぜ芝まで走っているのか、その理由を話し始めます。
満州にいた頃、自分の「富久」を聞いた若い兵隊(小松勝)が、浅草から日本橋では近すぎる、芝まで行くべきだ、と言い出し、その通りに噺を進めたものの、兵隊は最後まで聞かずに出ていき、命を落としてしまった、さらにその息子が訪ねてきて自分の弟子になったこと、途中で出奔し、子供まで出来たことなど、「富久」の枕として語り始めたのです。
2か月前、落語協会に届いた聖火ランナー募集のチラシを持って、美津子は五りん(神木隆之介さん)を訪ねていました。
生まれてくる子供のために土木作業員として汗を流していた五りんに、そのことを伝えたのですが、五りんはあまり気が乗らない様子を見せます。
「いだてんになる」と言っていたはずなのに、それは忘れてくれ、という五りんを心配した美津子は、志ん生を始め美濃部家一同、兄弟子も皆五りんを気にかけていると伝えました。
気まずい様子で喫茶店を去る五りんに、美津子は良い下げ(オチ)待ってるよ、と声をかけました。
10月10日、美津子から話をされた時は気が乗らなかった五りんですが、ユニフォームを着て足袋を履いて、集合場所に赴きました。
トーチを持つ役を期待していた五りんですが、五りんの役目は正走者でも副走者でもなく20人いる随走員と分かり、最後尾で参加しました。
五りんは、「富久」のように「火事だ、火事だ」と落語をしながら走り、係員に怒られてしまいました。
夢中で走っていると決められた距離はあっという間に走り終わってしまいました。
水が欲しくなった五りんは水明亭に入り、水を頼むのですが、そこには四三が頼んで食べなかった焼飯しか置いてないといいます。
仕方なく焼飯を食べていると、テレビでは最終ランナーが聖火台に火を灯したところを映し出していました。
四三は店の横にあった木によじ登り、そこから点火された聖火台を見上げました。
煌々と燃えている聖火を見ていた五りんは、志ん生が落語をしている芝まで走っていこうと、夢中で走り始めました。
長い距離を走り切り、志ん生の高座に間に合った五りん。
終了後、五りんは両手をついて志ん生に謝罪をしました。
志ん生はまだユニフォーム姿の五りんを見て、どこから走ってきたのかと問いただします。
すると五りんは国立競技場から芝まで走ってきたと告白、志ん生は五りんを許し、出入りを許可したのでした。
志ん生は自分の「富久」を聞いていた五りんに、「志ん生の富久はどうだった?」と聞き、五りんはしばらく黙った後に、「絶品でした」と答えたのでした。
そこに、知恵の出産が始まるという連絡が入り、五りんはまた芝から浅草まで走って向かったのです。
10月10日、五りんと知恵の娘が誕生しました。
「富久」をやっていた時に生まれた知恵の子供、ということで「富恵」と名付けられました。
競技開始
東京オリンピックの競技が始まりました。
嘉納治五郎は、マラソンを見ている時に、スタジアムを出て行った選手たちを見送った後は帰ってくるまで待っているしかないのか、と常々不満を持っていました。
その不満を解消させる方法として、宇宙放送ができるようになったのです。
カメラで映せばマラソンの様子をテレビで見ることができます。
嘉納が常常思っていた不満が解消されたのです。
しかし、選手を映すカメラは1台。先頭の選手しかテレビには映りません。
そこに2位の選手が映りこんだ時、テレビを見ていた日本人は仰天しました。
2位の選手は日本の円谷幸吉だったのです。
ゴール直前にイギリスの選手に抜かれたものの、円谷は3位でゴール。
日本中が沸き立ちました。
10月23日、女子バレーボールの決勝が行われます。
試合直前、大松監督(徳井義実さん)は選手を集めて檄を飛ばします。
主将の河西(安藤サクラさん)に、「辞めたくなったらオリンピック前日でも辞める、と言っていたが今はどうか」と尋ねると、勢いよく「辞めます」との返答。
大松はじめ選手一同度肝を抜かれます。
すぐに「嘘です、やります」と答え、皆を安心させました。
大松は、今日を持って鬼の大松は卒業すると宣言、お前たちは勝って嫁に行け、と檄を飛ばしました。
女子バレーボール決勝で、日本は見事勝利を収め、金メダルを獲得。
彼女たちの胸には金メダルが輝き、鬼の大松の目にも涙が浮かびました。
大松は選手たちに胴上げされ何度も宙に舞ったのです。
その後、大松はうっとおしいほど選手たちの世話を焼き、選手たちを嫁に行かせ、父を亡くした河西選手の結婚式では父の代わりとして出席しました。
閉会式
10月24日、閉会式の日、北ローデシアがイギリスから独立し、ザンビアとなりました。
オリンピックの閉会式はザンビアの独立記念日となったのです。
そのため、選手たちは北ローデシアの国旗やプラカードでは嫌だと言い始め、政治は選手たちの気持ちを考慮してなんとかならないだろうかと岩田に言い始めました。
そこに新しい国旗を手に持って吹浦が現れました。
北ローデシアの選手はザンビアとして新しい国旗を掲げて世界中にお披露目をしたのでした。
閉会式、競技が終わり気分が高揚した選手たちは、係員たちの言うことなど全く聞かず、肩を組む者、肩車をしている者、各国選手が入り乱れ、統制は全く取れておらずぐちゃぐちゃに混ざりながら行進が始まりました。
統制の採れた閉会式にしたかった松澤は項垂れるのですが、この閉会式の行進は世界中に絶賛されたのです。
国を超え、宗教を超え、選手みんなが入り乱れての行進を平和の祭典、美しい光景、として賞賛したのでした。
喧騒を抜け、政治が一人になると、政治は嘉納の幻と遭遇したのです。
「田畑、これが君が世界に見せたかった日本か」と聞かれると、政治は自信を持って「はい、いかがですか」と答えました。
「面白い、実に面白い。田畑、私は改めて君に礼を言うよ、ありがとう」と嘉納に言われた政治は溢れる涙を止められませんでした。
そこに岩田が現れました。
政治に嘉納から託されたストップウォッチを見せながら、いろいろなことがあったけど、最後はこれがお守りでした、と言いながらストップウォッチを返そうとしました。
政治は、岩田に深々と頭を下げ、感謝を伝えました。
「最高だよ、俺のオリンピックが皆のオリンピックになった、ありがとう」
そしてストップウォッチを受け取り、嘉納の写真や柔道着の前でストップウォッチを止めようと指をかけました。
その瞬間、盛大な花火が上がり、そして聖火は静かに消えたのです。
東京オリンピックは華やかに幕を開け、そして幕を閉じました。
オリンピックのその後
オリンピックから3年が経ったある日、熊本の四三のもとに一通の手紙が届けられました。
そこには、四三が初めて参加したストックホルム大会で、四三は行方不明となり未だにどこかで走っていることになっているので、完走して欲しいと書かれてありました。
1967年3月、四三は妻のスヤ(綾瀬はるかさん)とともにストックホルムに向かい、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に参加しました。
そして入場門をくぐり抜け、グラウンドをゆっくりと走りゴールを目指したのです。
四三はスーツにコートという出で立ちで、当時から比べたら随分と足が重そうになりましたが、まっすぐにゴールした四三の記録は54年8か月6日5時間32分20秒3。
オリンピック史上最も遅い記録となりました。
四三はこのあとのスピーチで、「長い道のりでした。走っている間に妻を娶り、6人の子と10人の孫に恵まれました」とスピーチしたのです。
その後、田畑政治は日本水泳連盟の名誉理事となり、後進の指導に力を注ぎました。
いだてん~東京オリムピック噺~感想
とうとう最終回を迎えた「いだてん」、一言で言えば本当に面白い作品でした。
最初は金栗四三?田畑政治?オリンピックの話?とかなり懐疑的でした。
しかし、観始めてみるとテンポの良い会話、視聴者を飽きさせないサクサク進んでいくストーリー、ところどころに散りばめられている笑いで、毎週日曜日を楽しみにしている自分に気づきました。
演じる役者さん全てがまさにはまり役で、中村勘九郎さんは金栗四三、阿部サダヲさんは田畑政治、そして役所広司さんはもう実在の嘉納治五郎なのではないかと錯覚するくらいでした。
度重なる出演者の不祥事と視聴率には恵まれませんでしたが、ストーリー、演出はもちろん、会話の1つ1つが面白くて目が離せませんでした。
特に、金栗実次(中村獅童さん)と池部幾江(大竹しのぶさん)のやり取りが大好きで、シリアスなストーリーでもお二人の会話でふっと緊張が解けたり和んだりしていました。
同じく、田畑政治と菊枝(麻生久美子さん)のシーンも大好きで、手のひらの上で夫を転がす菊枝ちゃんが大好きでした。
他にもいい味出している素晴らしい役者さんが大勢いてここでは全てを語り尽くせません。
二階堂トクヨ役の寺島しのぶさんのインパクトは素晴らしかったですし、政治の障害となる川島正次郎役の浅野忠信さんも見事でした。
アスリート役の菅原小春さんの走りに感動し、ノンプレイングキャプテンとなった高石(斎藤工さん)に涙しました。
前畑秀子役の上白石萌歌さんの直向きさに心打たれましたし、シマちゃん(杉咲花さん)の一生に泣きました。
満州でのエピソードは胸が痛くなりましたし、戦争というものの惨さを知りました。
どうしようもない美濃部孝蔵を支えた果帆さん演じるおりんの頑張りを応援したくなりましたし、それでも落語にだけは真摯に向き合う森山未來さん演じる孝蔵を応援していました。
オリンピック招致では、政治家と板挟みになる松重豊さん演じる東に哀愁を感じ、マダムキラーの平沢和重(星野源さん)の妙案にうっとりしました。
細かなところにも色々な工夫が施された「いだてん~東京オリムピック噺~」
とても楽しかった大河ドラマも最終回を迎えてしまいました。
爽快感が溢れる最終回、本当に楽しく観せていただきました。
監督はじめ、出演者スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。
楽しい一年間、素晴らしいドラマを本当にありがとうございました。
2020年のオリンピックに向けて、このドラマのおかげで準備万端になりました!