「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。
2017年、4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。
2017年9月10日に放送されたのは、第24回「越後の龍」です。
前回、山本勘助(内野聖陽さん)は、関東管領上杉憲政(市川左團次さん)ら8万の軍が包囲した河越城を、北条氏康(松井誠さん)率いる軍8000が立ち向かう戦に、援軍として加わりました。氏康は見事、関東管領軍を打ち負かし、上州へと敗走させました。
勘助は、関東管領軍にいた真田幸隆(佐々木蔵之介さん)を甲斐へ連れて帰ろうと説得していたところ、河越城にいた福島彦十郎(崎本大海さん)に鉄砲で撃たれました。
同じ頃、由布姫(柴本幸さん)は、勘助の望み通り男子を生み、四郎と名づけられました。
勘助は無事なのでしょうか?
前回の第23回「河越夜戦」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
第24回「越後の龍」、あらすじと感想です。
真田幸隆が甲斐へ
勘助は、由布姫が生んだ男子を抱く夢から目覚めると、目の前に真田幸隆の妻、忍芽(清水美沙さん)と葛笠太吉(有馬自由さん)がいました。勘助は鉄砲に撃たれた後、一緒にいた真田に、上州安中の長源寺に運ばれ、手当てを受けていたのです。
勘助は、長源寺の僧、晃運字伝(冷泉公裕さん)から、勘助の体から取ったという鉄砲の玉を見せられます。勘助は10日間も眠り続けようやく目覚めたとのことでした。
忍芽も薬を作って看病してくれたと知り、「武田を恨んでいるはず。」と勘助は驚きます。そしてどうして助けてくれたのか、真田に理由を尋ねました。
真田は、「そちには、道案内をしてもらわねばなるまい。甲斐への…。忍芽、晃運も分かってくれた。このまま上州にいても、関東管領は当てにならん。共倒れては、それこそ信濃に残る家臣に申し訳が立たぬ。」と言います。晃運も「出家もしない落ち武者をこのまま置いておくのは寺の迷惑だ。」と笑い飛ばし、快く送り出してくれる様子です。
ただ忍芽は「私には解せませぬ。父親を追放し、滅ぼした家の息女に我が子を産ませるような者を頼って、領地へ戻っても家臣は喜びましょうや?亡くなられた海野様や父上にも顔向けが出来ません。」と納得していません。勘助は「今の武田家は噂と違います。」と忍芽を説得しようと話しかけますが、鉄砲の傷が痛み、それ以上話せなくなりました。
真田は、箕輪城主、長野業政(小市慢太郎さん)に武田に行くことを報告し、許しを請います。長野は、真田が領地を回復したいという志を持っていることを理解していて、関東管領を動かせられなった事を逆に詫びます。
そして「関東管領は永くないだろうから、いつか武田が上野へ攻めてきた時は、敵になる。それを覚悟しているなら、己の志を持って上州を去ればよい。」と送り出してくれるのでした。
忍芽の実兄、河原隆正(河西健司さん)が、怒りながら真田に会いに来て、どういう了見かと尋ねます。「仇敵に庇護を求め、義を捨てるのか。」と責め立てます。
「それがしはただ、先祖伝来の己の領地を守りたいのです。諸国の大名が乱世に、天下だ、下克上だと浮足立っていても、それがしの望みはただ一つ。我が手で我が郷を、家臣領民を守りたいのです。上州にいては、浪人でいては、それは望めぬ。」と真田は答えます。
河原は、「先祖代々関東管領が主筋。最後まで使えるのが道義。武田に下るのは逆心ではないか?海野様がご存命なら、この場で成敗されても致し方ないぞ。」と迫ります。
しかし、真田は考えを曲げません。「意を変えないなら妹とも別れてもらう。」という河原の言葉に、黙っていた忍芽が割って入ります。
「私は別れません。殿とは離れません。一城の主である我が夫と、他家に奉公された兄上とでは、取るべき道が違います。この5年兄上らは何をされてきた?ただ管領様に取り入る為、遊興にふけってきただけではございませんか!一城の主であった夫は、山伏に身をやつし、信濃に忍び入り、敵方の様子を探り、旧臣の行く末を案じてきたのです。それがどれほど屈辱であったか。さような事も顧みず、遊興に耽る管領様を当てにするくらいなら、武田の方がましでしょう。私は夫の信じる道の為なら、亡き父上にも兄上にも背く覚悟です。我が夫を斬ると仰せなら、私も生きてはおりません。」その言葉に河原が立ち上がると、真田の子供達が現れて、一緒に頭を下げて、許しを請います。
観念したのか河原は、「我らはいずれ武田を討つ。それを忘れるな。」とだけ言って立ち去りました。
忍芽の迫力が凄かったです。忍芽自身も真田の考えを受け入れるのに時間がかかりましたが、実兄といえども、別の人に自分の夫を非難されるのは耐えられなかったのでしょう。格好良かったです!
越後の長尾景虎
河原が訪ねてきた晩、真田は勘助に「武田の敵は、今や村上義清のみか?」と聞きます。勘助は「真田様には、その信濃の東において、地侍どもの切り崩しをお頼み申したいのです。」と具体的なことを頼みます。
「村上を倒しても、信濃は治まらないかもしれぬ。北条にとっても最も恐るべき敵は、もはや関東管領ではなかろう。その先の越後。越後は元来、関東管領上杉家の同族が守護を務めてきた。その上杉家に変わり、守護代の長尾家が今や実権を握っておる。
その長尾家を継いだ晴景は病弱で、頼りなく内輪もめが絶えない。」と真田が言うと、勘助は「武田や北条と異なり、長尾の当主はうつけ者にござるか…。」と言います。
「いや、そのうつけ者には弟がいて、晴景は寺に預けていたその弟を連れ戻し、城を持たせたら、その弟が若輩ながら謀反を企てる家臣どもを見事に攻め滅ぼした。
その弟が、いずれ兄に代わって国を治める事になろう。村上を討てば、強大となった越後の長尾家が、武田家の前に立ちはだかるは必定。」と真田は断言するのでした。
それが長尾景虎(Gacktさん)、後に越後の龍と呼ばれる上杉謙信です。関東管領上杉家より、その名跡を授かり上杉と名乗るのは、まだ先の話です。
上杉謙信の登場です!Gacktさんの登場です!当時も話題になりましたね。今回はここのみの出演でしたが、これからは信玄の宿敵として出てきます。
緒形拳さんも出てきますので、今後が楽しみです。
内山城を力攻め
武田晴信(市川猿之助さん)は、諏訪小坂観音院へ、由布姫と四郎を見舞いに行きます。産後の身を案じ、勘助の事は黙っていました。由布姫は、勘助と晴信の違いは何かと問われ、「勘助の行いは情けがない。勘助は己の志にのみ生きているつもりだろう。
御屋形様に天下を取らせるという志の為には、情けは無用と考えている。されど人への情けを捨てることは出来ない。何故か勘助の喜ぶ顔を見ると、この者にも美しい心根があると安堵する。」と答えます。
それに対して晴信の事は、「人の情けこそを大事になさる方。勘助のような者がお側にいなければ、これ程戦に執着することもなかったのではないか、と板垣も申していた。
勘助もそれを心得て謀を重んじているのだとか。勘助がいなければ、御屋形様は早くに負けていたかもしれぬ、と。」板垣の言葉も添えて話します。晴信は、そんな事を思われていたのかとショックを受けるのでした。
これは告げ口っぽくてマズいですね。家臣の言葉に怒ったかもしれません。
晴信は、信濃佐久郡で反武田派勢力を結集し、籠城する大井一族の内山城を囲んでいました。信州佐久前山城に、武田の本陣はありました。大井貞隆没落後、一族の大井貞清が、地侍を束ねたものだ、と飯富虎昌(金田明夫さん)は報告します。
晴信は、相木市兵衛(近藤芳正さん)に城内に内応する者はいないかと尋ねて、いないと聞くと、信繁(嘉島典俊さん)に「力攻めにかかるか。」と戦の方針を決めようとします。
それを板垣信方(千葉真一さん)が、「今は城の水を断つ動きをしておりますれば、しばらく。」と待つよう提案し、小山田信有(田辺誠一さん)も「待てば城は降伏致しましょう。」と言います。
しかし信繁は「降伏せず城を出て攻めて来るかも。その前に討つ方が味方の痛手は少ない。」と別の意見を言います。諸角虎定(加藤武さん)はそれを受けて「力攻めは久しぶりにござりまするの。」と少し嬉しそうです。
甘利虎泰(竜雷太さん)は「いずれにせよ、大井貞清に腹を切らせれば、この戦は終わります。」と意見すると、晴信は「また残党を生かすのか?いかに謀略によって敵を下しても、生き残りし者がおれば、謀反の芽は後を絶たぬ。皆の者、用意の上、下知を待て。一人も生かしてはならぬ。」と由布姫が言っていた情けうんぬんの話が気にしてか、いつもの晴信と違い、険しい表情でした。
評定の後、飯富は「勘助がいないと、人が変わったみたいだ。」と戸惑います。甘利は「先代の信虎公(仲代達矢さん)を見ているようだ。これが本来、戦の有様ではあるがの。」とやはりいつもの違いに気づいていました。
教来石景政(高橋和也さん)が、内山城の水の手を断ったとの報告をしに来ます。晴信は褒めます。
板垣は「降伏を促し、使者をお立て下さりませ。勘助が生きておりますれば、さように申したはずです。」と申し出ますが、晴信は「わしを侮るか?」と聞き入れませんでした。やはり由布姫から聞いた話を気にしているようです。
そこへ百足衆が、勘助が生きていて、真田幸隆に保護されていることを報告しに来ます。それを聞いて相木がニヤッとします。小山田は、「しぶといやつ。」と言いながらも他の皆も、勘助の無事を喜びました。
晴信は、再度降伏を促す板垣の意見をはねのけ、「合戦は明日。情けは捨てよ。」と力攻めすることを決定します。板垣は何も言えませんでした。
城は4日後に落ちました。城主の大井貞清と嫡男だけが生け捕られ、残りはことごとく討ち取られました。
教来石は躑躅ヶ崎館に呼ばれ、内山城攻めにおける水の手を切る働きを、晴信に褒めたたえられます。さらに、先代より武田家に仕え、武川衆を束ねての働きも認められ、50騎を加えて侍大将とし、譜代家老衆に列する事を許されます。教来石は、厚待遇に感激し、礼を言います。
晴信はそれに加えて、名が途絶えていた武田家譜代の重臣、馬場氏の名跡を継がせ、その名を「馬場民部少輔信春」と改めるよう命じました。
晴信は、今回の戦を重く見たのですね。教来石改め馬場は、勘助と一緒に諜報活動をしたり、大きな働きをしてきました。やっと報われましたね。
真田幸隆に松尾城を任せる
上州では、真田一族が旅立ちの日を迎えていました。晃運は、餞別に死人の棺に納める、六道銭を渡します。「真田は一度死んだ。だが、一度死んだ者は二度とは死なぬものじゃ。」と激励します。真田はありがたく頂くと言って受け取ります。
真田は、所領を取り戻したら、晃運に開山させてやると言いますが、晃運は「待ってるうちにわしの方こそ六道銭がいるようになるわ!」と笑い飛ばすのでした。
こうして真田は甲斐へやって来ました。晴信はまず、勘助の帰りを喜びます。勘助は「真田弾正忠幸隆殿にござりまする。」と真田を紹介します。
晴信は真田に「待っておったぞ。そちには、知行二百貫を与える。」と言い渡します。いきなりの厚待遇に真田は驚き、礼を言います。
晴信はさらに「知行地は信濃小県、真田郷じゃ。というてもそちに与えられるのは、真田郷の北、松尾城とその辺りに限られた小領のみじゃ。そちの旧領はほぼ、今は村上の領地となっておる。」と、城まで渡すことになり、真田を驚かせるのでした。
「真田、そちをそこへ置くは、村上の動きをにらんでの事じゃ。そちにはうってつけ。大いにつとめよ!」と激励します。真田は「心してお引き受けつかまりまする!」と返しました。
次に晴信は、勘助に由布姫が男子を産んだことを教え、しばらく休みを取って諏訪で、四郎の側に仕えるよう命じました。「その方が、由布も喜ぼう…。」と含みのある言い方をするのでした。
晴信は由布姫に言われた言葉で、自分の実績を家臣にも側室にも、勘助のものと思われているのが分かって、ショックなのか、腹を立てたのか、したのでしょうか。なんだか反抗的な感じです。
それからしばらくして、真田は故郷の松尾城へ帰りました。忍芽は、二人の息子に「ここが父上の城です。ここで父上の新たな戦いが始まるのです。そなたらも覚悟してこの城を守るのですよ。」と言い聞かせます。
城には、素破の葉月(真瀬樹里さん)と、河原村伝兵衛(有薗芳記さん)が先に入っていて、さらに村上に知行を安堵されていた、真田の旧臣たちも土地を捨てて、戻って来ていました。
「我らをまた家来にして下さい!」「知行はいずれ殿から頂きます。」「殿がもと、知行は必ずや取り戻します。」と家臣らは、口々に言います。真田は感動して「夢を見ているようじゃ。」とつぶやきます。そして真田は、家臣たちに晃運からもらった六道銭を見せます。
真田はここに新しく旗揚げしました。旗の紋様「六連銭」は以来、真田の家紋となりました。
出ましたね!昨年の「真田丸」では六文銭と言っていました。この旗はよく見ました。
村上の領地にいた、平蔵(佐藤隆太さん)は、真田が武田に下り、真田郷に戻ったことを聞きます。そして自分たちがいる場所もまた、真田の領地であったことを思うと複雑な気持ちになっていました。近くにいながら少しのズレで敵味方に分かれてしまう時代です。
勘助、四郎と対面
勘助は諏訪に入り、板垣に挨拶をします。板垣は勘助に晴信の変化に気づかなかったか聞きます。勘助にはよくわからなかった様子です。板垣は、晴信が戦に勝ち続けた自信で慢心し、書物の戒めも利かなくなっていくのを恐れていました。そして勘助に「十分気を付けて、御屋形様を見守ってやってくれ。」と頼むのでした。
勘助は、初めて四郎と対面して大感激します。四郎を抱っこして、「和子様、よくぞお生まれなされた。あなた様はこの勘助の命でござりまするぞ。」と声をかけるのでした。
次回、第25回「非情の掟」です。
四郎が生まれてきたことで新たな問題が起こるようです。