「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。
2017年、4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。
2017年10月22日に放送されたのは、第30回「天下への道」です。
前回、塩尻峠で守護の小笠原長時(今井朋彦さん)に勝った武田晴信(市川猿之助さん)の軍。直ちに佐久地方へ向かい、村上義清(永島敏行さん)に寝返った者たちを再び従わせていきました。
晴信は、降伏した者たちのもとに自身の重臣を城代として遣わす事にしました。甲斐に新しい城を築かないことにしました。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方。仇は敵なり。」
上田原で戦死した板垣信方(千葉真一さん)に誓ったことを、実行する晴信でした。
前回の第29回「逆襲!武田軍」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第30回「天下への道」のあらすじと感想です。
長尾景虎が家督を継ぐ
天文17年(1548)大晦日、越後の守護代、長尾景虎(Gackt(現GACKT)さん)は、兄の晴景(戸田昌宏さん)との敵対関係を、守護の上杉定実(鈴木瑞穂さん)に仲裁をお願いしました。
景虎は、兄から家督を奪うという不義をしたくなかったのです。上杉の提案で、景虎が晴景の養子に入る事により、兄弟間の家督争いの結果家督を奪うという形ではなく、父から子に引き継いだという形になるという事で、無事景虎に家督が譲られたのでした。
長尾家は本来守護代の家柄だったのが、晴景、景虎の父、為景が守護職の実権を奪い、上杉定実は傀儡に転落していました。それでも景虎は、守護の名を尊重して調停を仰ぐという方法を取りました。
晴景は、景虎の力を利用しようとして林泉寺から呼び戻したのに、思った以上の働きをする景虎を今度は疎ましく思い、攻めたのでした。
その事をどう思っているか聞く晴景に、「兄上自身が出陣なされなかったのが何よりでした。兄上が出陣されたら、討たれていました。」と景虎は言うのでした。
幼少期から気性の激しさを見せていた景虎を、父の為景が仏門に入れる事で抑えようと出家させましたが、晴景は「出家したところで荒ぶる魂を抑える事が出来ない。」と予言めいた事を言いました。
そして晴景は、景虎に対立している従兄で上田の長尾政景に、姉の桃(西田尚美さん)を嫁がせることで和議を結ぶようすすめ、4年後、病に没しました。
晴景の言い付け通り、桃は自ら覚悟して政景へ嫁ぐのでした。
景虎は日夜、毘沙門天に祈りを捧げ、国に大事が起こった時、また己に迷いが生じた時には、その加護を請いました。毘沙門天は北方にあって仏を守護する軍神です。都にいる帝や将軍を北方の越後で守護すべき己とも重ね、景虎は厚く崇拝していました。
家督を継いだ景虎に、早速直江実綱(西岡徳馬さん)が娘の浪(卜部房子さん)を、夜伽へとやりますが、景虎は拒否します。欲を捨てない周りの人々に苛立ちを隠さない景虎です。
長尾政景が、宇佐美定満(緒形拳さん)の居城、琵琶島城に火を放ちました。宇佐美は未だ景虎にも、政景にも付かない態度に脅しをかけたのです。
宇佐美は、守護の座を奪った景虎の父、為景を守護に背いた逆臣として討とうとした過去があり、守護の上杉定実に義理立てして、未だ態度をはっきりとさせていないのだろうと、景虎は思っていました。
景虎は、父の仇である宇佐美を恨むどころか、好意すら感じていました。越後はまだまだ内紛があり統一されていませんでした。景虎はこの宇佐美こそ、越後統一のキーマンだとみていました。
長尾家家臣、大熊朝秀(大橋吾郎さん)は、父が長尾家に従っただけでまだ景虎に、従う気は持てていませんでした。表向きは景虎に従っていて、裏で宇佐美ともつながっていました。
いよいよ、ライバルの長尾景虎の本格登場です。曲者たちに囲まれた景虎の行く末が楽しみです。
勘助、根来寺で鉄砲を仕入れる
山本勘助(内野聖陽さん)は、紀州の根来寺に河原村伝兵衛(有薗芳記さん)と出向き、津田堅物(吉田鋼太郎さん)に鉄砲を、100丁作ってもらうよう頼みます。
勘助は金を用意しており、堅物は了承します。出来上がるまでに時間がかかるので、勘助は伝兵衛を置いていき、鉄砲の撃ち方を習わせることにしました。
鉄砲の運搬は、船で海を渡っていかねばなりません。湊を用意するよう、堅物は勘助に言います。
甲斐は海がないので当然、湊もありません。勘助は今川に湊を借りたいと申し出に駿河へ行きました。
今川義元(谷原章介さん)は、乗り気ではありませんでしたが、寿桂尼(藤村志保さん)は「わずか鉄砲100丁とは、かわいいものではないか。湊など貸してやればよい。」と言ってくれました。勘助は、「お金は払う。」と言います。
寿桂尼は「今川が断れば、北条を頼るだろう。」と見抜いていました。義元は「盟約を破り、いよいよ北条と結ぶか。」と警戒します。
勘助は北条が、関東管領上杉を滅ぼす為、上州に攻め入った事を義元から聞きます。さらに関東管領、上杉憲政(市川左團次さん)は、越後の長尾景虎に援軍を頼み、北条は兵を退いていました。越後守護、上杉定実を傀儡にした長尾家が、同族の関東管領の上杉に援軍を送った事は、北条氏康(松井誠さん)も驚き、その真意を測りかねていたのでした。
関東管領も上杉憲政も、自分の意思で援軍を頼んだのではなく、家臣の長野業政(小市慢太郎さん)が手を回した事で、憲政自身は、長尾家を信用することが出来ず、恐れていました。
色んな方面から恐れられている長尾景虎です。
平蔵とヒサが結婚
信州、葛尾城では平蔵(佐藤隆太さん)が上田原での武功が認められ、村上義清に近習として召し抱えられていました。村上から休みをもらい、矢崎十吾郎(岡森諦さん)の家に戻った平蔵。矢崎は、平蔵のおかげで小県に知行をもらい、家来も召し抱えられるようになっていました。
今では平蔵を誇らしく思っていました。ヒサ(水川あさみさん)は「立派になったから馬の世話はさせられない。」と喜びます。しかし平蔵は「矢崎家の為なら何でも致します。」と相変わらず矢崎家に忠実な態度です。
矢崎は、平蔵とヒサに話があると改まって言います。身構えて聞く二人。「ヒサに須田新左衛門(鹿内孝さん)様から側室にと話が来た。」と言うと、ヒサは戸惑い、平蔵は喜びます。
しかし、矢崎は須田に断ったと言います。「ヒサにせめて望みを叶えてやりたい。平蔵!頼む。ヒサを、妻としてやってくれ。頼む!」矢崎は何度も平蔵に頭を下げます。
驚いて答えられない平蔵に、「晴れてわしは、そなたから父上と呼ばれたいのじゃ!」と涙ながらに訴える矢崎。平蔵も涙で応えるのでした。
ヒサと平蔵の二人は、長い間思い合ってながらも、一度はヒサが嫁いで、大変な苦境の中、ずっと一緒にいました。やっと結婚できると思ったら、私も泣けてきました。よかったです。
天下への道
勘助は、甲斐に戻り晴信に、駿河から湊を借りる事が出来たことを報告します。その時に寿桂尼から、義元の妻であり、晴信の姉が病に伏せっていることも聞いていました。
今川は、三河の織田と争っているところで、後顧の憂いなく戦えるのも武田との同盟のおかげ。義元の姉が亡くなったら甲斐との誼が切れてしまう。そこで新たな誼が欲しい。と寿桂尼に言われたのでした。
その事を聞いた晴信は、「姉上も所詮人質か。」と笑います。湊を貸すのも色んな計算のもとでの行動なのです。
勘助は、「今川の目は、西へ、天下へと向けられています。」と言うと、晴信の目が変わります。「勘助の目にも、天下への道筋がはっきりと見え申した。」と勘助が言うと、「いかなる道じゃ?」と尋ねる晴信。
「まず、信濃を治めそのまま越後へ突き進みます。越後の先には海。その海を手に入れ、それから駿河へと目を向け、南北2つの海を御屋形様の手で貫いていただきます!
そうすればこの甲斐は、天下に二つとない、強国になりましょう。」
勘助の言葉に、満面の笑みの晴信です。
「勘助、わしにはもう迷いはない。天下を取り、都に孫子の旗を立て、仏法、王法を守り、天下の規範となる政を行いたい。それがわしの、目指す道じゃ。」
晴信は思いを話します。勘助は「必ずやこの勘助が。」と言うと深々と頭を下げました。
そこで勘助は、「100丁の鉄砲を預けて欲しい。越後に持っていきたい。」と晴信に頼みます。
晴信は勘助の言いたいことをすぐに理解し、「鉄砲商人として潜り込むのか。」と許可します。勘助は、越後の長尾景虎という人物を探るのが目的でした。
天文19年(1550)2月26日、越後守護、上杉定実が死去しました。定実に子はなく、これによって越後上杉家は絶えました。
景虎は時の将軍、足利義輝により、毛氈鞍覆と白傘袋の使用を許されました。これで越後において、実質的な支配権を公認されたことになりました。
後の上杉謙信はこうして越後の国主となったのでした。
さあ、話が大きく動いてきました。他国の武将たちもたくさん出てきて、役者が揃ってきた感じですね!
次回、第31回「裏切りの城」です。