「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。
2017年4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。
2017年12月25日に放送されたのは、第39回「川中島!龍虎激突」です。
前回、村上義清(永島敏行さん)は、武田晴信(市川猿之助さん)に攻め込まれ、越後へ逃げます。そこで長尾景虎(GACKTさん)に援軍を要請、信濃奪還へ動きましたが、かないませんでした。
信濃と越後の境にある川中島は、千曲川と犀川が合流する三角地です。晴信は、村上を追い落とし川中島南部を制圧。あとは北部に残る僅かな抵抗勢力を下すのみでした。この川中島の支配は、信濃を統一する仕上げとも言えます。
長尾景虎は、自ら出陣することを決意しました。第一次川中島の戦いが始まります。
前回の第38回「村上討伐」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第39回「川中島!龍虎激突」のあらすじと感想です。
景虎出陣
天文22年(1553)8月。景虎率いる越後の軍勢は、一路、信濃川中島を目指して南下しました。景虎は出陣前に家臣たちにこう語りかけ、檄を飛ばしました。
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、何時も敵をわが掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり
運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。
武士なれば、われ進むべき道はこれ他なしと、自らに運を定めるべし。
我が軍の旗印は兜跋毘沙門なり、我が軍勢は降魔の軍なり、
世の悪しき魔を断つものと心得よ!敵陣へ進軍する際は、この懸かり乱れ龍の旗を掲げる。
我に刃向かうは神に背くものと知れ。臆する事無く突き進め。
これより天道に従い、武田晴信を、成敗しに参る!皆の者!いざ出陣じゃ!」
武田の本陣は、村上から奪った信濃小県郡塩田城です。駒井政武(高橋一生さん)が、越後の国境を越えての進軍を知らせます。数は8000。犀川を越えてきました。
犀川沿いの要衝、牧城は先の村上攻めで武田方に降伏した香坂筑前守(中島久之さん)の城でしたが、春日虎綱(田中幸太朗さん)の軍勢が守っていました。山本勘助(内野聖陽さん)は念のため、ここに援軍を置くよう晴信に進言します。
しかし春日の読みでは越後軍はここを素通りして犀川を渡ると考えていました。のちに春日はこの香坂家の養子となります。
春日の読み通り、長尾軍は北信濃を攻め、高梨の領地を回復。犀川を渡り川中島の八幡へ向かっていました。
勘助は、更級郡を突破された時は晴信のいる小県への侵入を防ぐ為、室賀城の守りを厚くするよう進言します。晴信は、室賀城の守りを飯富虎昌(金田明夫さん)に任せるのでした。
勘助 VS 宇佐美
勘助の読みでは、長尾軍の狙いは領地ではなく、あくまで晴信の首一つなので、武田の本陣は塩田城のままでいいと言います。出来るだけ敵を懐に引き寄せてから叩くのが上策であると進言します。
一方、長尾軍では、宇佐美定満(緒形拳さん)が武田の策を先読みしていました。景虎は、晴信が動くまで突き進む事を選びます。
塩田城に籠る晴信は、川中島の八幡、布施に先鋒の部隊を派遣し、越後勢を迎え撃つ備えをしていました。両軍は8月晦日に衝突しました。長尾軍と武田軍の先鋒が川中島の布施で激しく戦い、長尾軍はそこを突破。
さらに9月1日、八幡の武田軍を打ち破って進軍。武田の包囲網を形成する城を攻め落としにかかってきました。その日のうちに荒砥城が陥落。城主の屋代政国は敗走しました。
軍議の席で信繁(嘉島典俊さん)は「越後軍の勢いをつけさせるばかり!」と激高します。が、勘助は「ここまでは思惑通り。」と余裕を見せます。諸角虎定(加藤武さん)は「既に多くの兵を失っている。」と言い、勘助の策が上手くいくのかどうか、疑問を持ちます。
勘助は「景虎は、葛尾城のある坂木に攻め入るだろう。そこを砥石城の真田勢に背後を突かせ、狐落城の相木勢、さらに刈谷原城からも攻め込み挟み撃ちにし、景虎を城からあぶり出し、そこを一気に突く。」とこの先の作戦を述べます。
しかし、長尾勢では宇佐美が「坂木に向かうは、危ない。」と進言していました。「ここまで来て坂木を取らないなら、何のための出陣か。」という柿崎景家(金田賢一さん)。
「いっそ信濃を切り取って知行とした方が良いのでは?」と言う直江実綱(西岡徳馬さん)に景虎は「盗人退治で、盗人になれと?天道が許さぬ。晴信は盗人だからこそ、隠れている。」と意見をはねつけるのでした。
宇佐美は、勘助の予想を裏切り、深志城のある青柳方面へ兵を進めました。武田の拠点、深志城に迫って、塩田城の晴信をおびき出そうと考えての事でした。
長尾勢が、青柳へ向かったとの知らせを受けた武田本陣。深志城を狙っていると知ると晴信は感心します。駒井が「刈谷原城を落とされたら、筑摩の入り口は守り切れない。」と意見します。晴信は諸角に刈谷原城へ向かうよう指示しました。
諸角は信繁に「信繁様はご本陣を、御屋形様をお守り下され!」と言い残すと決意を固めたかのように出陣していきました。信繁は諸角の背中を心配そうに見送るのでした。
緊張感が漂う場面ですね。予告でも諸角が危うい場面が出ていましたので、諸角の言葉に重みがのしかかります。ハラハラする一場面です。
9月3日、長尾軍は青柳に進みそこを火の海にしました。更に虚空蔵山を落城させ、本陣を移しました。
宇佐美の取った策は、見事に勘助の裏を突き、武田は防戦一方となりました。長尾軍は、刈谷原城の目前に迫っていました。
勘助と宇佐美が地図の上で駒を動かし、策を練り合っていました。お互いの腕の見せ所です。
越後で囚われていた時にお酒を酌み交わしていた二人は、本物の戦場でお互いの策をぶつけ合う事になりました。顔を見合わせてはいませんが、お互い認めあっていますよね。
刈谷原城に入った諸角は、「何としてでも守り抜かねばならぬ。」と意気込んでいました。
諸角はふと馬場信春(高橋和也さん)に言われた「知らず知らず、無血のうちに勝つ事をよしとし、ただ生き長らえる事のみを忠義と心得ている。それでは、討ち死にした板垣様や甘利様が、不憫だ。」という言葉を思い出し、憤慨するのでした。
諸角は命を捨てる覚悟です。生き長らえる事のみを考えるのが悪い事だなんて、戦国時代の価値観は今と全然違います。何が悪いの?と私は思いますが。
長尾勢はとんでもない強さです。勢いに押されて晴信は、深志城へ出ようとしますが、勘助は「それこそ敵の思うつぼ。動いてはなりません。刈谷原城の兵を皆、深志城へ向かわせて、刈谷原城を捨てる。そうすれば、長尾勢は今度こそ坂木に向かうか、兵を退くだろう。」と策を講じるのでした。
「越後との戦は長引くだろうか?」と言う晴信に、勘助は「此度で決するとは到底思えませぬ。」と答えます。晴信は「長尾家との戦がそちの最後だと思ってはならぬ。そちにはまだまだ長生きをしてもらわねばならぬ。」と優しく語りかけるのでした。
諸角、刈谷原城に籠城
陣のなかで琵琶を弾いていた景虎のもとに、武田が刈谷原城を捨てたと宇佐美が知らせに来ます。宇佐美は深追いせず越後へ退くよう進言します。
「川中島一帯に越後の威力を見せつけられたので、この辺りの城は武田に下りはしないでしょう。」と宇佐美は言います。そこへ刈谷原城から引き揚げた兵が引き返し、籠城の構えを見せているとの知らせが入りました。
景虎は「晴信が意を翻した。」と言い、刈谷原城へ兵を押し出すよう指示しました。
刈谷原城の諸角は、長尾勢が押しかけてきたとの知らせを受けます。諸角は長尾景虎の首を取るつもりです。家臣たちに「生きてこの城を出られると思うな。」と檄を飛ばします。
飯富昌景(前川泰之さん)他、家臣たちは複雑そうな顔を浮かべています。
諸角が籠城を始めた事は、深志城の馬場にも伝わります。馬場は、諸角に言った言葉を思い出し、後悔していました。そしていつでも出陣できるよう支度を整えるのでした。
諸角の事は本陣にも知らされます。信繁はひどく動揺し、晴信に援軍を出すよう請います。
晴信は、信繁に援軍に行くよう指示しました。信繁は急いで刈谷原城へ行きました。
もし、刈谷原城が落ちれば、筑摩、安曇衆がこぞって寝返るかもしれない。と駒井は懸念します。
勘助は「早馬を出して深志城の衆を後詰めとし、その他の軍勢にお命じ下さい。夜討ちをしかけます。景虎に兵を退かせまする。」ととっさに新たな策を打ち出しました。
長尾本陣に、武田が背後から夜討ちを仕掛けてきたと知らせが来ます。宇佐美は「この籠城は、敵の策略にございましたな。敵は我が勢の背と腹を攻める策にござりましょう。」と読みます。
直江が「敵が押し寄せてくるために我らをここへ引き付けたのか!」と言うと、宇佐美は「挟み撃たれる前に、お引き揚げを。」と進言します。
場所は変わりましたが、結果として勘助が考えていた策がここで諸角の行動によって叶えられることになったのです。
死を覚悟した諸角は、景虎を迎え撃つ為、城で歯を食いしばりながら待っていました。越後勢は、闇夜に紛れて兵を退いていったようだと知らせが来ました。
そこへ怒りに震えた信繁が涙を流しながらやって来ました。信繁は諸角の頬を打ちます。
「この不始末の責めは覚悟致せ!」と言うのでした。
塩田城に戻った信繁と諸角。晴信は下知に背いた理由を諸角に聞きます。信繁は許すよう頼みます。諸角の覚悟は決まっていました。
「恐れながら、それがしはこれまでにござる。それがし、齢70を過ぎ、かように生き長らえ、もはや戦の役には立ち申さぬ。いつの間にかそれがし、かような命を惜しむようになり、
手柄を立て、知行を増やす事すら思わぬようになってござる。
それでは家臣に示しがつきませぬ!されば、とうに隠居してしかるべきところを息子二人を戦で失い、身を引くに引けず生き恥を晒してござりました。せめて、この命尽きるまで戦えば、かような老い武者とて全軍の士気を高める事が出来るやもしれぬと思い、御下知に背き申した。謹んで、御成敗を受けまする。」諸角は思いを話し切りました。
晴信は刀を手にし、立ち上がります。
「諸角、そちはまた我が意に背いた。そちが役に立つか立たぬか、決めるのはこのわしじゃ。
そちではない!諸角、此度の事でよう分かったであろう。
幼き頃より、そちの恩を受けし信繁の狼狽ぶり。深志城の馬場民部は出陣の触れを待ちかね、一晩馬上にて過ごしたそうじゃ。勘助はとっさに策を巡らし、敵に夜討ちをかけた。
そちが我が命に背かねば、夜討ちなど思いも寄らぬ事であった。おかげで長尾勢は越後へ引き揚げた。我らが勝ち戦となったのだ!さように皆、そちを見殺しには出来なんだ。
それを生き恥と呼ぶのであれば、これからも生き恥を晒すがよい。これがわしの成敗じゃ。」
晴信は涙を目に溜めながら言い渡すのでした。
これは感動しました。諸角の危機に対し、皆がそれぞれの場所で助けようと動いたのです。武田家の中で諸角は愛されているなと思いました。信繁は諸角を本当に頼りにしてましたから、諸角を助けようと必死になっていたし、馬場は口を滑らしてしまった事を後悔してました。このシーンを見て私は入り込んでしまって号泣してしまいました。
諸角は信繁と二人きりになり「申し訳ござらぬ!またしても不覚を取り申した!」と板垣と甘利が討ち死にした日と同じように雄叫びを上げるのでした。
景虎と晴信が対陣
撤退を余儀なくされた長尾軍は、川中島の八幡まで引き揚げていました。しかし景虎は突如馬首を返しました。そして再び塩田に向け兵を向けたのです。
晴信は「これ以上、わしが出ねば、我が勢の士気に関わろう。」と自ら出陣することにしまし、勘助に陣立てをするよう指示しました。
かくして両軍は千曲川を挟み、対陣しました。
「味方は鶴翼。敵は魚鱗の陣。この戦、先に仕掛けた方が負けにござりましょう。我らが動かねば相手に勝機はありませぬ。」勘助は言います。両軍ともにらみ合ったまま動きません。
景虎が突如馬を走らせ一人川岸に行きます。宇佐美は兵をそのまま動かさず、自分だけ馬を走らせ、景虎に駆け寄ります。
景虎は対岸にいる晴信を見つめます。
「宇佐美、わしは別れを告げに来たのじゃ。卑怯者の晴信でさえ、ああして見送りに出ておるのじゃ。次に会うときは別れを告げる暇もなかろうて。」景虎はそういうと引き返しました。宇佐美も続きます。
天文22年9月20日。景虎は越後へ兵を引き揚げ、この戦は決着を見ぬまま終結しました。
勘助は今、そこに宿敵がいる事を改めて確信するのでした。
終わりです。
第1次川中島の戦い、一気に終わりましたね。勘助も宇佐美も格好良かったです。戦は駆け引きなんですね。
諸角と信繁の関係も泣けました。
諸角にとって、板垣と甘利の死をずっと引きずっていたところに馬場の言葉は効いたと思います。前回の予告を見ていると死んでしまうのでは?とヒヤヒヤしました。
次回、第40回「三国同盟」、晴信がずっと考えていた同盟がやっと実を結ぶのでしょうか?
放送は2018年1月7日、いよいよはじまる2018年大河ドラマの「西郷どん」の初回放送日と同じ日です。