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大河ドラマアンコール 風林火山 第41回「姫の死」のネタバレとあらすじと感想。

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「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。

2017年、4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。

2018年1月14日に放送されたのは、第41回「姫の死」です。

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前回、武田晴信(市川猿之助さん)、今川義元(谷原章介さん)、北条氏康(松井誠さん)は、義元の軍師、雪斎(伊武雅刀さん)の仲立ちにより、富士郡、善徳寺にて集結。

元々、今川の娘が武田に嫁いでいたので、武田の娘を、北条へ嫁がせ、北条の娘を今川に嫁がせることで三国の盟約が成立することになりました。

一方、諏訪にいた由布姫(柴本幸さん)が咳をした時に血を吐き、侍女の志摩(大森暁美さん)を驚かせます。今回が初めてではないと、晴信から告げられる山本勘助(内野聖陽さん)。

生きがいとしている人を失うかもしれない事態に、勘助はどう動くのでしょうか?

前回の第40回「三国同盟」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。

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それでは、第41回「姫の死」のあらすじと感想です。

目次

姫の願い

勘助は、急ぎ由布姫のもとへ向かいました。横になっていた由布姫は、「諏訪湖を眺めたい。」と言って勘助と共に、諏訪湖が望める建物で話をします。

自分の死を悟っている由布姫は、勘助に「あとの事は勘助に頼むほかない。四郎を、不幸にだけはならぬよう頼みます。私の心残りはそれのみです。

もし、諏訪大明神が生まれ変わりを許して下さるのなら、私は男に生まれたい。

どうせ、この乱世に生きるのなら、御屋形様や勘助と存分に戦をしてみたい。政を司ってみたい。たとえ、敵としてでも。勘助、この私に勝てますか?」と言い、女の自分はすぐに敵を愛してしまうから、と自虐的な事も言います。

「いや、男も女も嫌じゃ。生まれ変わるなら、あんな水鳥が良い。国も身分もなくどこまでも飛んでゆける鳥が…。」と続けると勘助は慌てます。

「姫様は姫様のまま、いつまでも生きて頂かねば!この勘助は困ります。」と言うと、由布姫は「そなたを困らせるのは、私の癖なのです。」と笑い、近くに会った桃の木が綺麗なので、折っておくように勘助に頼みました。あとで訪ねてくる、晴信の為です。

晴信は、由布姫のもとへやってくると、「越後との戦を控えている今、不穏な動きをみせる信濃の木曽義康はこれまで手をかけていなかった。

越後を討つか、木曽を討つか、勘助とも何度も話し合っているが、決めかねている。由布に決めてもらえば、決断できる。由布に委ねよう。由布の思うままじゃ。」と相談します。

「木曽をお討ちに。木曽をお討ちになった上で、木曽の御大将に姫君をお遣わしなされませ。」と由布姫は答えます。

晴信は「負けた方に人質を出せと?」と驚きますが、「人質ではなく、縁組です。」由布姫は静かに答えます。「姫を負けた木曽の子息へ嫁がせれば、もはや恐れはありますまい。木曽は武田に忠義を誓うでしょう。」と言うのです。

思いも寄らなかった晴信と勘助。由布姫の言葉に従う事にしました。

由布姫、かなり頭がいいです。男であったら戦上手になっていたかもわかりませんね!

第二次川中島の戦い

その頃、真田幸隆(佐々木蔵之介さん)、相木市兵衛(近藤芳正さん)らは、信濃、善光寺に調略の手を伸ばし、越後勢に対する拠点として旭山城を確保していました。

そこには、武田軍が集めた鉄砲も運び込まれていました。

河原村伝兵衛(有薗芳記さん)は、真田の素破、葉月(真瀬樹里さん)に結婚していない理由を尋ねられていました。伝兵衛は妹ミツ(貫地谷しほりさん)を亡くしてから、勘助がずっと一人でいるのに、自分だけが結婚できないと、理由を話します。

伝兵衛は、葉月が情報収集の為、閨を共にして聞き出す事もあると聞くと、葉月の口を押さえて、「聞きたくない!」と言うのでした。伝兵衛と葉月の恋も今後のみどころです。

一方、諏訪では由布姫が、木曽へ出兵する勘助に「戦から戻ったら、嫁を取りなさい。山本家の跡取りを作るのです。良いですね?」と言います。

由布姫は、晴信からリツ(前田亜季さん)の話を聞いていたのです。勘助は「とっくに断っている。」と抵抗しますが、「嫁を取り、山本家を絶やさぬようにせねばなりません。己が家をおろそかにするような者に、四郎の事は託せませぬ!よいですね!」と由布姫は何度も念を押して勘助に約束させました。

「私の事はもう十分です。これからは己が身を大切になさい。」最後に優しく言うのでした。

由布姫も死を目の前にして、勘助に感謝の言葉と、これからの事を案じて言葉をかけました。

由布姫も、勘助の愛を感じ取っていたのですね。

晴信は、一路木曽谷を目指して出陣。敵の本拠地、木曽福島へ攻めかかる拠点として、籔原に砦を築き始めました。

その砦を任されていたのは、近くの伊那郡高遠城を守る、秋山信友(市瀬秀和さん)です。

「籔原に砦を築いた後は、次に玉滝城を攻める。」と勘助が策を重臣たちの前で披露している途中、伝令が、狼煙が上がっている事を伝えに来ました。

天文24年(1555)4月、長尾景虎(GACKTさん)は、再び川中島に向けて出陣してきたのです。かくして、第二次川中島の戦いが勃発。

長尾景虎は、善光寺平へ着陣しました。対する晴信は、木曽攻略を中断し、本体を引き連れ、犀川を挟んだ大塚に陣を取りました。

武田勢に旭山城を押さえられた景虎は、それ以上、南下することが出来ませんでした。

善光寺平の越後軍は、景虎が「此度こそ、決戦に持ち込んでやればよい。」と意気込んでいました。武田軍から先に川を渡って来させたい越後軍でしたが、慎重な武田軍が動く事はない。旭山城が越後軍にとって、楔となっていたのでした。

宇佐美定満(緒形拳さん)は、「旭山城を潰してしまえばよい。」と言い、「城攻めではなく、旭山城の北、裾花川を挟んで対面の葛山に我らも城を築きます。その城によって背後を保てば、旭山城とは五分と五分。しからば、武田とも五分となりましょう。」と策を言います。

旭山城の真田と相木は、城の中から越後勢が築いた城を見つめながら、「敵もなかなかやる。これで我らも容易には動けぬ。」と真田は感心します。元村上義清(永島敏行さん)の家臣、大須賀久兵衛(村井克行さん)は、「それどころか、兵糧が尽きれば、敵に取り込まれた我らはしまいじゃ。」と言います。越後が近いので敵の兵糧は十分なのです。

景虎が葛山城を築いたことにより、戦況は膠着状態に陥りました。互いに勝機を掴めぬまま、にらみ合いは200日に及びました。10月23日、年号は天文から弘治へと改まりました。

雪斎の死

勘助は越後と和議を結ぶよう提案します。景虎の帰陣と引き換えに、旭山城を捨てるのです。

景虎を説得する為、今川義元に仲立ちを頼むよう進言します。

雪斎は景虎のもとへ出向き、「天道に背く武田晴信を信用することは出来ぬ。」と怒る景虎に「なればこの雪斎めをご信用下さりませ。」と言うと、宇佐美が「雪斎殿は京の建仁寺にて修業を積まれた高僧にして、今川家の軍師にござりましたな。」と口を挟みます。

「血を見るのが、この世で何より嫌いなだけでござる。」と雪斎が言うと、景虎は穏やかな声で「相分かった。御坊が顔…立ててやろう。」と承諾するのでした。

雪斎は、武田に和睦が成立した事を告げに来ると、駿河へ戻り、松平元信(坂本恵介さん)に酒を用意させます。機嫌よく酒を飲んで元信に「そなたが元服した事でわしの望みは1つ叶った。わしはそれを待っておったぞ。」とにこやかに何杯もお酒を飲みながら話します。

「北条、武田は恐るるに足らず。北条は関東にしか目がなく、武田はいかにせよ、あの軍師ともども私利私欲の域を出ぬ。御仏の加護はあるまい。そなたこそ、我が亡き後、今川家の力となり…。天下に平安を…。」と言いかけるとその場に盃をひっくり返して倒れてしまいました。

倒れ込んだ雪斎に向かって元信は「約束は果たします。」と言うのでした。

雪斎はこの年、世を去りました。今川家の人質であるこの松平元信は、間もなく元康と改名。後に徳川家康となります。

今川家の運命は、雪斎の死によって大きく変わってゆくのでした。

由布姫、死す

弘治元年(1555)11月6日。諏訪では、晴信が由布姫を訪ねていました。晴信は、木曽に勝ったことを伝えます。

体調が悪化してきた由布姫は、晴信に四郎(池松壮亮さん)と志摩の事を頼みます。晴信は、「四郎が元服するのを見ずして何とする。」と言い、元服後の名前を「勝頼」としようとしている事を明かします。

諏訪家の流れを継ぐ、「頼」の一字を取り、「勝頼」です。由布姫は、武田家と諏訪家を一つに結ぶ一人の武将が誕生することを喜びます。

「諏訪家の母として、そなたが祝うてやるのじゃ。」と晴信は励まします。由布姫は四郎の手を取って「めでたいのう。その名に恥じぬ、生き方を。」と声を振り絞って言うのでした。

その頃、勘助は木曽にいました。川中島出陣の間に、木曽勢が恭順の意を示してきたからです。由布姫に勝ったと言ったのは方便だったのですね。まだ木曽とは決着が付いていません。

「敵が降伏したとて、秋山殿はその守りを緩めてはおらぬ。まこと、よき事にござる。」と勘助が言うと、秋山は「油断は出来ぬ。木曽の家中は2つに割れたそうじゃ。降伏を説くものと、戦わんとする者。まだ、戦わんとするなれば、早晩、ここに押し寄せて参ろう。」と言っている途中で、外から鬨の声が聞こえてきました。

もう木曽勢が押し寄せてきたのです。勘助も出陣するべく駆け出したところに、伝兵衛が「諏訪の姫様が亡くなられた。」と報告に来ました。

勘助は持っていた兜を落とし、茫然となります。そしてそのまま敵の前へ出て行ってしまいました。

襲い掛かってくる敵を次々と倒し、「あの姫様が、由布姫様が、それがしを困らせ、微笑まれるあの姫様が…!もう、この世にはおらぬ。」そう口走ります。

由布姫の死を信じられない勘助なのでした。

由布姫が亡くなってしまいました。最後までしっかりと四郎の事を案じて、侍女の志摩の事も頼んで、体もだいぶん弱っていたのに自分の事より二人を一番に思っている、優しく強い女性でした。

次回、第42回「軍師と軍神」です。

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勘助は姫の死を乗り越える事が出来るのでしょうか?


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