「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。
2017年4月から日曜昼12時のNHK BSプレミアムで、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。
2018年3月18日に放送されたのは、最終回「決戦川中島」です。
前回、山本勘助(内野聖陽さん)が考案した「啄木鳥の戦法」で霧の中、飯富(金田明夫さん)、馬場(高橋和也さん)、香坂(田中幸太朗さん)、真田(佐々木蔵之介さん)、相木(近藤芳正さん)ら1万2千を妻女山へ向かわせ、本隊8千を八幡原へ進めました。
しかし、勘助の策を見破っていた上杉政虎(GACKTさん)は山を下り、同じく八幡原で待ち構えていました。
戦が始まり、別動隊が妻女山を下りてくるまで持ちこたえたい武田軍は、武田信玄(市川猿之助さん)の弟、信繁(嘉島典俊さん)と諸角虎定(加藤武さん)が上杉本軍に立ち向かい、命を落としました。
前回の第49回「死闘川中島」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第50回「決戦川中島」のあらすじと感想です。
勘助、敵の本軍を突く
勘助は「講じる策なし。」と自ら前線に打って出る事にしました。信玄のいる本陣は、駒井政武(高橋一生さん)と義信(木村了さん)に任せました。
勘助は、葛笠太吉(有馬自由さん)、河原村伝兵衛(有薗芳記さん)ら足軽衆を引き連れ、兵を進めます。先に伝兵衛たちを進ませ、いざ行こうとした時後ろから義信が追いかけて来て、「敵の本軍を突く。」と言ってきました。
しかし勘助は「大切な武田家のご嫡子。あなた様が御屋形様をお守りせずして誰がお守りします。勝頼様の事もお頼み申しまする。義信様、お導き下さりませ。武田家をお守りくださりませ。」と本陣へ引き返させました。
上杉の本陣では、宇佐美定満(緒形拳さん)がやがて武田軍の挟み撃ちに遭うと、政虎に退陣を進めましたが、政虎は聞かず一人馬に乗って信玄がいる武田の本軍に向かって走り出しました。
その頃、妻女山の別動隊がようやく山を下りて来て、千曲川にさしかかっていました。真田幸隆の軍です。真田は川の向こうにいる村上義清(永島敏行さん)の軍と向かい合います。
村上と真田はここぞとばかり川を渡り戦い始めます。宿敵同士の戦いが始まったのでした。
真田と村上の戦いは、このドラマの初めからの因縁でした。最終回で大将同士向かい合っての戦いになりました。
宇佐美は戦っている途中、勘助が突進しているのを見かけ、刀で応戦します。そして勘助に陣を退くよう言いますが、聞き入れません。
「一国を滅ぼしてまで、何のために戦うのか。」宇佐美は言います。二人が言い争っている目の前を政虎が駆け抜けていきました。宇佐美を置いてすぐに追いかける勘助です。
宇佐美は家臣たちに「その者を止めろ。」と命じるのでした。
信玄と政虎の直接対決
政虎はそのまま戦場をくぐりぬけ突進していき、武田本陣で駒井や義信が戦っている目の前を通り抜けていきます。そして座っている信玄にまっすぐ向かって来て刀を振り下ろしてきました。
信玄は逃げずに座ったまま軍配で受け止めます。
続けて二太刀切り込みますが、信玄も受け止めます。急いで駆け付けた駒井と義信の兵が、政虎が乗っていた馬の尻を槍で突き、政虎はやむなく方向を変え引き返しました。
駒井が「御屋形様、大事ござりませぬか?」と聞くと、信玄は傷のついた軍配を見せながら「わしは三太刀受けとめたが、軍配には七太刀の傷がある。かような戦をするとは、あれこそが越後の竜神であろう。」と言って戦場に戻っていく政虎の後ろ姿を睨みつけるのでした。
有名な信玄と政虎の直接対決でした。座ったまま受けとめるなんて本当に出来るのでしょうか?上から刀を振り下ろされて怖くなかったんですかね?
勘助死す
勘助は、戦場を駆け抜ける政虎を追いかけますが追いつかず、次々襲い掛かってくる越後の兵を馬上から斬り付けます。
なおも政虎に向かっていく勘助の肩に2本の矢が刺さります。一瞬ひるんだ隙に、直江実綱(西岡德馬さん)が勘助を切り付けました。直江の刀は勘助の兜を外し、地面に落ちます。
勘助も兜に引っ張られるように落馬しました。
勘助は地面に叩きつけられても寝転がったまま敵兵を斬り付けます。フラフラになりながらも立ち上がり刺さった矢を折り、敵から奪った槍を振り回し応戦します。
何回も倒れ込みながらも遠くに見える政虎をずっと狙っています。
敵兵に囲まれ、何度斬り付けられても立ち上がりましたが、とうとう銃弾に倒れます。
勘助はそのままうつぶせになって倒れ、武田の本陣を見つめます。「見える…我が孫子の旗…。見える…我が御屋形様…、我が里の旗。」とつぶやきます。
そして、かつて信玄に言った「天下への道」の話を思い出していました。「まずは越後に向かって海を貫き、次に駿河に向かう。甲斐が南北二つの海を貫く。」という道です。
勘助は信玄を天下人にしたかったのです。
勘助はなんとか立ち上がり、武田の陣へ行こうとすると、一人の兵が近づいてきました。矢崎平蔵(佐藤隆太さん)です。勘助は覚悟を決め、首をのけ反って平蔵に「首を打て。」と頼みます。勘助は首にかかっていた摩利支天を引きちぎり、平蔵に差し出し、平蔵も受け取ろうとしたところ、後ろから矢に射られ倒れました。
その時、妻女山から下りてきた真田軍がドッと押し寄せてきました。六連銭の旗が揺らぎます。勘助は「勝った!勝ちじゃ。御屋形様、我らが勝ちにござりまする。」と涙を流して笑い、喜びます。拳を上げた瞬間、「武田が軍師、山本勘助!その御首、頂戴つかまつる!」という背後から敵兵の声がし、勘助は討たれたのでした。
その頃勘助の屋敷では、勘助が前にリツ(前田亜季さん)に渡した仏像の摩利支天が、何故か縁側に移動していました。リツは勘助が亡くなった事を悟るのでした。
戦の終結
戦は終結しました。開戦から午前中は上杉軍の優勢。妻女山から援軍が駆け付けた午後は武田軍が優勢となり、未曽有の戦死者を出しました。
しかし、この激戦をもってしても雌雄を決する事が出来ませんでした。
上杉軍はひとまず善光寺に引き揚げ、首実検を行おうとしていました。信繁、諸角、勘助と首を取ったので、上杉の勝ちだろうと直江はふんでいました。しかし政虎は「戦は続くだろう。この乱世は、一睡の夢に過ぎぬ。人の生涯もまた、朝置く露のようなものであろう。」と言うのでした。
平蔵は戦場で槍を杖代わりにして、歩いていました。「命を粗末にして欲しくない。」という妻のヒサ(水川あさみさん)の言葉を思い出しながら「戦はもういいら。」とつぶやき家に帰ろうとしていました。しかし、その場に倒れてしまうのでした。
武田の本陣では、信繁と諸角の首を取り返してくれた、山高平左衛門と石黒五郎兵衛に信玄がお礼を言っていました。
信玄は信繁の亡骸を見つめながら、家督を継いだばかりの頃に信繁が言っていた言葉を思い出していました。
「兄上、それがしは辛うございました。それがしが父上のお心にかなうように振舞う事を、喜んでいたと思われまするか?父上が兄上を憎むのは、兄上のご器量を恐れての事にございます。それがしは、兄上の引き立て役のように存じておりました。家臣とて、それは承知しておりましょう。信繁は、その器量にあらずと家臣に思われようとも、いかなる恥を忍んでも家督を継ぐ所存にございました。兄上がお立ちにならなければ、かような日が来ぬのであればと。兄上、よくぞご決意なされた!よくぞ背かれた!そのご心中は、この信繁が誰よりもお察し申し上げまする。信繁はこれより晴れて堂々と、兄上の命に従いとうござりまする。」と言っていた言葉です。
信繁は、父信虎(仲代達矢さん)に背いて家督を継いだ信玄に、付いてきてくれたのです。
信玄は悲しみに耐え目を閉じていたところ、勘助の胴体を背負った伝兵衛が帰ってきます。
信玄をはじめ重臣たちは、伝兵衛のもとへ駆け寄ります。
次に太吉が勘助の首を取り返し、走って戻ってきました。信玄は胴体と合わせてやれと言い、二人は勘助の亡骸を合わせます。
すると、重臣たちは「おぉ」「これは」と言います。「笑うておるのう。」信玄が言います。
勘助は真田の六連銭を見つけて勝利を確信した時に首を討たれたので、笑っていたのです。
「勝ち鬨を上げようぞ。」信玄が言うと、重臣たちは皆で勝ち鬨を上げたのでした。
申刻(午後4時頃)、武田軍は勝ち鬨を上げ、八幡原を去ったのでした。
物語としてはここで終わりです。
勘助が最後に見たのは真田の六連銭で、ドラマは真田の動きを丁寧に描いていたように思います。
八幡原に駆け付けられたという事は、村上に勝った、という事なんでしょうね!
なんというか、全体的に男目線のドラマでした。
策略とかよく分かりませんでしたが、戦のシーンもたっぷりで、昔からの大河ファンの人は満足する内容だったのではないでしょうか?
ドラマの最後のナレーションです。
「戦国時代、最大の激戦といわれる川中島の決戦。その戦いの中で、一人の軍師が壮絶に散った。生きて愛して散っていった。山本勘助は武田信玄の天下を夢見た。それは勘助自らが真に生き抜くための夢であった。そして夢を追う者は、その夢の果てしなさを知るのである。見果てぬ夢を追う者は、とわに咲き誇る一凛の花の如し。」
山本勘助、永禄4年(1561)9月10日、川中島合戦で討死。
武田家、その後
ドラマの後の「風林火山紀行」でその後の武田家が紹介されていました。
信玄は次に駿河を狙います。その事で今川から妻を迎えていた嫡男の義信と対立。永禄8年義信は、突如謀反の罪で東光寺に幽閉され、命を落とします。かつての傅役の飯富虎昌も罪に問われ、成敗されました。
そして三条夫人(池脇千鶴さん)も義信の後を追うように元亀元年(1570)死去しました。
元亀3年(1572)天下取りに乗り出した信玄は上洛しようとしましたが、病に倒れ、亡くなります。
長篠の戦いで由布姫(柴本幸さん)の子、勝頼(池松壮亮さん)は、織田信長に大敗します。この戦いで馬場信春など多くの家臣を失いました。
3年後の天正6年(1578)には、上杉謙信が49歳で亡くなります。
信長に追いつめられ、勝頼が妻子と共に自害したのは、信玄の死からわずか9年後の事でした。戦国最強の武田軍団の最後でした。