2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回第15回「あゝ結婚」は、主人公・金栗四三(中村勘九郎さん)が幼馴染の春野スヤ(綾瀬はるかさん)と結婚するお話でした。
実家の兄・実次(中村獅童さん)に呼ばれて熊本に戻ると、連れて行かれたのは玉名の名家・池部家でした。
そこで、スヤと結婚し池部家の養子になるように言われた四三。
寝耳に水の話に「ばっ!」と驚きます。
四三がオリンピックで走っていた頃、池部家の長男・重行(高橋洋さん)が亡くなりました。
重行の母・幾江(大竹しのぶさん)は、池部の家を自分の代で潰してはいけないと、養子を探していると聞いた実次は、弟の四三が春には高師を卒業し、熊本に帰ってくるため養子に出す、と幾江に申し出たのです。
そうして仕組まれたスヤとの縁談ですが、四三は養子になってから結婚ならともかく、田んぼと嫁の話が一緒になっている、と抵抗します。
池部の養子になりスヤと結婚したら、金栗家が池部家から借りている田んぼが四三のモノになると言われたからです。
四三の困惑を感じ取ったスヤは、この話は無かったことに、と幾江に言い、部屋から出てしまいました。
煮え切らない四三に怒った幾江は、欲しいのはスヤであって四三ではない、と言い放ちます。
重行が亡くなり、スヤが実家に戻った池部の家に一人取り残された幾江は、寂しさのあまり死んでしまおうかと考えていました。
ふらふらと歩いてスヤの実家に行った幾江は、そこで生きようとしているスヤの姿を見て、スヤと一緒に暮らしたいと切望するようになったといいます。
スヤは幾江の気持ちを聞き、幾江とともに生きる決意をしました。
実家に戻った四三は、実次にストックホルム大会の雪辱をベルリン大会で果たす決意を固めたこと、そのためには東京で厳しい練習を積まなければならないことを説明します。
実次は四三の気持ちを受け止め、それなら尚更池部家の養子になった方が、資金問題がなくなると諭します。
実次はスヤが嫌いかと四三に問いかけ、ひと晩かけて考えた四三は、スヤへの気持ちに気づき、スヤとの結婚を決めました。
2日後に結婚式をあげた2人ですが、スヤを熊本に残し、四三は翌日に東京に戻りました。
一方、新しい師匠について旅巡業に出た美濃部孝蔵(森山未來さん)は、浜松勝鬨亭に滞在していました。
そこで、師匠の前座として大ネタ『付き馬』を披露するのですが、全く受けず、聞いていた子供に感想を聞いても、「面白くない」と言われてしまう始末。
師匠には「真面目に稽古した大ネタよりも笑える前座噺だよ」と言われた孝蔵は、師匠に食ってかかり思わず殴ってしまったため、寄席から追い出されてしまいました。
追い出された孝蔵は、噺家仲間の万朝(柄本時生さん)と共に浜名湖にいました。
そこでは、河童軍団と呼ばれる少年たちが浜名湾流という古式泳法の水泳訓練をしており、その中には寄席で見かけた子供がいました。
実はこの中から、第3のオリンピック選手が輩出されるのですが、それはまた後の話。
四三は、真夏のオリンピックの暑さ対策のため、真夏の海岸で、一番熱い時間帯に帽子も被らず40Kmを走りきるという、無謀な耐熱訓練に明け暮れ、1か月後にはそれができるようになっていました。
それ以降も過酷な訓練を重ねた四三も、高師卒業の時が近づいてきました。
仲間たちが教師となり地方に散っていく中、四三は教員にはならずマラソンランナーとしてベルリン大会を目指す決意を固めます。
永井道明(杉本哲太さん)らに猛反対されますが、四三の決意は固く、校長である嘉納治五郎(役所広司さん)は、そんな四三の気持ちを受け止め、日本初のプロフェッショナルスポーツ選手になれと激励するのです。
四三の決意は、熊本の養母・幾江を激怒させるのですが、妻・スヤは四三を支える決意をするのです。
前回第15回「あゝ結婚」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは、第16回「ベルリンの壁」のあらすじと感想です。
新生活の始まり
1914年春、教員になる道を捨て、オリンピックベルリン大会に出場するため、マラソン一本で生きる道を選択した四三。
嘉納の好意で、高師の研究科に籍を置くことになったものの、高師の寮にはいられなくなったため、播磨屋の2階に下宿することになりました。
播磨屋の2階からは見事な山が見え、四三は「富士山が見える!」と感激します。
しかしそれは富士山ではなく箱根の山でした。
今の播磨屋は、店主・黒坂辛作(三宅弘城さん)が四三のマラソンのために作った「金栗足袋」を買い求める人々で溢れていました。
その客は東京高師の学生だけでなく、明治や早稲田の学生までも求めるほど、大人気になっていました。
四三は走るたびに気づいたことを辛作に伝え、2人は二人三脚で足袋の改良に取り組んでいくのでした。
四三の生活は、池部家からの仕送りで賄われていました。
そのおかげで金回りが良くなった四三は、日々、後輩らに豚鍋を食べさせたりしていました。
貧乏だった四三が急にお金持ちになったことで、後輩の野口源三郎(永山絢斗さん)は、足の速さを活かしてひったくりでもしているのではないかと訝しむほどです。
四三は、来るベルリン大会に向けて、後輩指導にも力を注いでいました。
追い出された美濃部孝蔵は?
一方、新しい師匠・小円朝を殴ってクビになり、噺家仲間の万朝と浜松あたりをぶらついていた美濃部孝蔵は、一銭の金も持たずに豪遊していました。
あまりの豪遊っぷりに万朝は金は大丈夫なのかと心配するのですが、孝蔵から金を持っていないと聞き仰天、夜のうちに宿屋を逃げ出しました。
一人取り残された孝蔵は、店主に正直に打ち明けます。
「実はおあしがねえんです。」
すると孝蔵は無銭飲食で警察に連行されてしまいました。
牢に入れられた孝蔵は、新聞を顔にかけて寝ている男から新聞を奪います。
そこには、師匠・橘家円喬(松尾スズキさん)が亡くなったと書いてあったのです。
新聞を手に取り、記事を食い入るように見つめた孝蔵は、唯一、自分を認めてくれた師匠の死に驚き、嘆き、痛む胸を抑えながら新聞に向かって手を合わせるのでした。
五輪のマーク
播磨屋の2階で朝を迎えた四三は、いつものように冷水浴をしようとしていると、向かいの部屋から遠くに見える山を見ている女性が居ることに気づきました。
女性が「富士山が見える」と感激していると、自分も同じように勘違いをしていたことを話し、あれは「箱根の山」だと教えるのです。
そして振り返ってその女性を確認すると、その女性は三島家の女中であったシマ(杉咲花さん)でした。
シマは、三島家を退職し、近所のミルクホールに勤めながら東京女子高等師範学校を目指し勉強をしていると言います。
ミルクホールでその話を聞いた四三や嘉納治五郎は、女子のスポーツ界進出を喜び、シマに出来たばかりのオリンピックのマークを見せました。
5つの輪が重なったそのマークは、ヨーロッパ・アメリカ・アフリカ・アジア・オセアニア五大陸の結合と連帯を意味していました。
四三はその中にアジアが入っていることに驚き、それは三島弥彦(生田斗真さん)や四三がストックホルムで選手として走った功績だと嘉納に言われ、頬が緩みます。
しかしその頃、サラエボでは皇位継承者が凶弾に倒れるというサラエボ事件が発生し、それをきっかけに欧州は、イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国と、ドイツ・オーストリアの中央同盟国に2分され、瞬く間に戦乱に巻き込まれていきました。
面白い噺とは?
同部屋の牢名主(マキタスポーツさん)に芸を見せろと言われた孝蔵は、報酬としてバナナ1本を受け取ると、芸を見せることにしました。
円喬が得意としていた人情噺『文七元結』(身投げしようとしていた赤の他人を放っておけず、大事な金を上げてしまう噺)です。
しかし、噺の途中で牢名主は寝てしまいます。
孝蔵は、牢名主を起こし、感想を聞くのですが、「長い話をきちんと覚えてつっかえずに言えて偉い」と言うのです。
「面白いか?」と聞けば「面白かねえな」と言う。
浜松の勝鬨亭でまーちゃんが言っていたのとそっくりそのまま同じセリフです。
その浜松勝鬨亭の女性・ちいちゃんは、孝蔵が無銭飲食で捕まったと知り、浜松の八百庄の庄吉を頼っていました。
一緒に警察に行き、孝蔵を助けて欲しいと頼むのですが、ちょうどその頃、八百庄の次男・まーちゃんが苦しんでいました。
まーちゃんは、身体を丈夫にするために浜名湾で水泳をしていました。
そのため、慢性の盲腸炎と大腸カタルを併発しひどい下痢と発熱に苦しんでいたのです。
このまーちゃん、本名を田畑政治といい、東京にオリンピックを誘致するために尽力し、それを成功させた立役者になる人物です。
噺の途中で寝られてしまった孝蔵を慰める牢名主。
孝蔵はなにがいけないのかと落ち込みます。
牢名主は、孝蔵には何かがあるのだが、噺を始めるとその何かが消えてしまう、と言うのです。
普通にバナナを食べているだけで面白いのに、なぜ噺始めるとそれがなくなってしまうのか。
牢名主は、バナナを食べている時のように話せと孝蔵に言います。
「旨いものを食べる時は美味そうに食べるだろ?面白い話をする時は面白そうにやれ」とアドバイスをするのですが、孝蔵は「そういう臭いことはしたくない」と突っぱねます。
「臭いかどうかを決めるのは客だ」と言われて、孝蔵は考え込みました。
そうして、今度は「面白くやります」ともう一度話し始めました。
身投げしそうな男を自分、金を差し出す人物を円喬に重ね、孝蔵は気持ちを込めて話すのですが、やはり牢名主は寝てしまいました。
孝蔵は、看守からハサミを借りると自分の長い髪を切り始め、牢名主を驚かせます。
ちいちゃんから無銭飲食代を立て替えてもらった孝蔵は、勝鬨亭に戻り、師匠に謝罪をし、また一から修行の日々が始まりました。
今度は、小円朝の言う笑える前座噺も嫌がらずに行い、場を盛り上げます。
尊敬する師匠・橘家円喬からの期待と、かけてもらった言葉を胸に、その死を乗り越え、牢名主の言葉を受け入れ、孝蔵は噺家として再出発したのでした。
選手としてピークを迎える四三
四三は、真夏の海で猛特訓に明け暮れていました。
水しぶき走法により世界新記録を出し、大会で優勝した四三は、その新聞の切り抜きをスヤに送りました。
お盆にも帰らなかった四三を待ちわびていたスヤは、四三からの便りに「帰る」の文字がなかったことに落胆します。
それでも四三に雑誌の切り抜きを同封した手紙を送り、速さランキングで四三の名が載っていたと教えるのです。
正月も帰ってこないという夫からの手紙を読むスヤは
『味は遠く さすらい人となるるとも ふるさとの空は はるかにのぞむ』と書かれた一文の意味を幾江に問います。
すると幾江は「自転車節たい」と、スヤに教えます。
「あの山越えて行ったらよか」と幾江はスヤを東京に送り出すのでした。
慣れない東京に戸惑っていたスヤは、ひとりの女性とぶつかってしまいます。
その女性は、3年間の留学を終え東京に戻ってきた二階堂トクヨでした。
大日本体育協会の会議で、ベルリンオリンピックに掛かる費用の話し合いをしていると、トクヨはこの話し合いには何の意味もないと言い放つのです。
今の欧州の状況では、ベルリン大会などできるはずもなく、敵国であるドイツに選手を送り込むなど、何かあったらどうするのだとトクヨは主張します。
しかし嘉納は、「オリンピックは平和の祭典であり、4年に一度の相互理解の場であり、政治とスポーツは別で、例え戦時中でも殺し合いの最中でもスタジアムの中は聖域である。汚されてたまるか」と真っ向から反論します。
前回は、四三だけでしたが、今は多くの後輩が四三の背を追いかけている。陸上だけでなく水泳や他のスポーツでも有望な選手が現れオリンピックを目指している。
さらに、その下の若い世代にもスポーツマンシップは受け継がれている。
金栗・三島の敗北が、その教訓が活かされた結果だよ、彼らの努力を無駄にしてはいけない、「国家だろうが戦争だろうが若者の夢を奪う権利は誰にもないんだよ」と嘉納は吠えるのでした。
四三は、改良した足袋の素晴らしさを辛作に伝えようと店に飛び込んできました。
すると、四三に客が居るというではありませんか。
部屋に行ってみるとそこにはスヤの姿が。
愛しい妻の来訪に四三の顔は喜びに緩むのですが、次の瞬間、スヤに「帰れ」と言い放つのです。
四三は厳しい表情でスヤに訴えます。
自分は2年半前から必死で祖国のために走ろうと懸命に努力をしてきたと、しかし、スヤやスヤの料理を食べて甘えてしまってはいけない、気を散らさないでくれ、甘えは堕落の入口、だから帰ってくれ。
そう言うと、四三は逃げるように部屋を出て練習に行ってしまったのです。
スヤは四三の言うとおり、直ぐに熊本に戻りました。
「実次―!」という怒鳴り声とともに、実次のもとに幾江が乗り込んできました。
実次に言っても仕方がないけど、実次しかいないから実次に言う、というと、東京でスヤが四三に追い返されたことを話し、オリンピックが終わって玉名に帰ってきたら、もうここから一歩も外に出さない、と宣言します。
実次は土間に額をつけながら、四三に対し怒りを顕にしていました。
そんなことを全く意に返さない四三は、またも世界新記録を塗り替えていました。
金栗四三25歳。
選手としてピークを迎え、オリンピックでも金メダル間違いなしと期待をされていました。
しかし、その舞台となるヨーロッパでは、戦争が更に激化していたのです。
早朝、向かいの部屋に住むシマが、いつもなら部屋から出てくる四三の窓が閉まっていることを不審に思い、四三に向かって呼びかけるのですが、四三からの返事はありません。
1階の辛作が今日はそっとしておいて欲しいとシマに言うのです。
部屋では、魂が抜けたかのように四三が膝を抱えて座っていました。
部屋に貼られたベルリン大会への決意が書かれた紙を破り捨てる四三。
壊れたように壁に頭を打ち付けていました。
1915年(大正4年)6月、戦争の激化を受けて、ベルリンオリンピック中止が報が知らされたのです。
次回、第17回「いつも2人で」
ベルリン大会中止の報を受けて四三は激しく落ち込んでいました。
新聞でこのことを知ったスヤが、また東京に出てきます。
選手として成熟してきた時期のことだけに諦めきれない四三。
そして、オリンピックの代わりに始めることになった駅伝。
駅伝の始まりが次週、明らかになるのです。
次回第17回、「いつも2人で」。お正月の風物詩、箱根駅伝の始まりの物語、来週も目が離せませんね。