2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回第20回「恋の片道切符」は、アントワープオリンピックが開催されたお話でした。
箱根駅伝でマラソンの魅力と素晴らしさを改めて痛感した嘉納治五郎(役所広司さん)は、IOC会長のクーベルタンに、オリンピックにマラソンを復活させて欲しいと直訴状を送りました。
嘉納の思いを受け取ったクーベルタンはマラソン復活を宣言。
マラソン代表選手も含めて、日本選手団は監督1名、選手15名という編成でアントワープオリンピックに挑むことになりました。
今回は、陸上だけでなく、水泳とテニスも参加します。
水泳は、浜名湾游泳協会の内田正練(葵揚さん)と東京高師の斎藤兼吉(菅原健さん)。
テニスは熊谷一弥と柏尾誠一郎。
陸上はマラソン4名、混成(十種競技など)3名(水泳の斎藤含む)、短距離2名、中距離から長距離3名。
総勢15名での参加になります。
マラソンは、全員がメダルを狙える程の実力を持ち、水泳は、日本古来の古式泳法に絶対的な自信を持っていました。
テニスはすでに海外でも好成績を残している2人です。
今回のオリンピックでは、日本の国旗がスタジアムに翻ると、誰もが自信を持っていました。
そんな中、今回のオリンピックでも女子の参加がないことに、シマ(杉咲花さん)は気落ちしていました。
男子が走れば喝采を浴びるのに、女子はこそこそ人目を気にして走らなければならず、競う事が許されない、理不尽だと憤慨していました。
シマの気持ちを聞いた四三は、世の中が変われば女子も五輪の輪に入れる、とシマを慰めていました。
今回の日本選手団を率いる監督は誰なのか、可児徳(古舘寛治さん)は気にしていました。
ライバルである永井道明(杉本哲太さん)に探りを入れると、永井は打診を断っていたというのです。
これで監督は自分、と鼻息を荒くしていたのですが、選ばれたのは東大陸上部出身の辰野保でした。
永井は、スウェーデン体操と肋木こそが日本体育を発展させると考えていましたが、欧米の教育が浸透し始め、愛弟子であった二階堂トクヨ(寺島しのぶさん)にも「古い」と言われ、自分が提唱してきたスポーツ理論は古いのではないかと考えるようになっていました。
自分が監督になったのでは、選手を指導することができない。日本スポーツが変化するために、自分の美学を貫くために、体育協会を去る、と決意を固めていたのです。
今回のアントワープへの日程はアメリカ周りで5か月かかるのですが、仲間がいて孤独を感じることもなく、船上でものびのび練習をすることができ、前回のストックホルム派遣に比べると、雲泥の差でした。
主人公・金栗四三(中村勘九郎さん)は、前回派遣時の苦労を思い出しつつ、改善された環境に満足するのでした。
船上で、家族の写真を見ていると、同じ選手団の面々が四三に女性の影があることに驚きます。
野口源三郎(永山絢斗さん)らは、写真の女性について様々に想像するのですが、結局分からずじまい。
しかし、船がロンドンに到着し、旅券の返却時にその謎はあっさりと解けてしまいました。
四三の旅券は、「金栗四三」ではなく、養子に入った「池部四三」と書かれてあったのです。
なぜ「池部」なのか問われた四三は、7年前に養子に入り結婚、息子が居ることも白状します。
どさくさに紛れて、野口も結婚と息子の存在を明かしていました。
これまで、文句も言わず長い間支えてくれた妻・スヤ(綾瀬はるかさん)に、金メダルを取って報いたい、という決意を四三は固めていました。
そして迎えたオリンピックアントワープ大会開会式。
控え室にはかつて四三と一緒に戦った三島弥彦(生田斗真さん)が激励に訪れました。
意気揚々と開会式に望む日本選手団。
ストックホルム大会から8年間、待ちに待ったオリンピックが開幕したのです。
3か月後。
日本でオリンピック報告会が行われました。
しかし、報告会に団長の嘉納も四三の姿もありません。
主将の野口が結果を報告すると、次第に記者たちの怒号と罵声が響くようになっていきました。
結局、日本が取れたメダルはテニスシングルスの熊谷一弥の銀メダルと、柏尾誠一郎とのダブルスでの銀メダルの2個に終わってしまいました。
野口は、自分たちがどれほど必死に頑張ったのか、懸命に説明しますが、記者たちの罵声は止まりません。
水泳の内田は、日本水泳の遅れを取り戻すために、クロール泳法の早期修得と優秀な指導者の必要性を説きます。
メダル確実と言われた四三がメダルを逃したことに対し、批判が集まる中、マラソン代表選手らは四三の頑張りを必死に伝えました。
報告会に来ていたスヤや実次(中村獅童さん)、シマらは、涙するのですが、トクヨや記者らの物言いは酷く、ついに怒りが爆発したスヤは、「しぇからしかっ」と立ち上がりました。
頑張ってきた選手らを誰も労わない中で、スヤは選手1人1人に頑張った、お疲れ様、と声をかけ、四三は自分にとって金メダルだと言い放ちました。
怒号が行き交う会場を収めたのは永井でした。
嘉納や自分たち古い人間は体協を去るから、これから50年後、100年後の選手たちがスポーツを楽しめるように導いて欲しいと、これからの日本スポーツの未来を若いトクヨや野口らに託すのでした。
その頃、記録を残せなかった四三は、ヨーロッパを彷徨っていました。
約束を果たせず熊本にも戻れない、このままずっと彷徨っていようかと迷っていたその時、四三の足元に槍が飛んできたのです。
四三は、男子顔負けの力強い投擲をしている女子選手たちを目の当たりにして、驚愕したのです。
前回、第20回「恋の片道切符」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは、第21回「櫻の園」のあらすじと感想です。
ベルリンにて
アントワープ大会で、16位と結果を残せなかった四三は、失意の中、因縁のベルリンを彷徨っていました。
約束を果たせず、熊本に帰ることもできず、このままずっと彷徨っていようかと悩んでいたその足元に、槍が勢いよく飛んできて刺さったのです。
その槍を投げていたのは女性でした。
女性たちは、実に楽しげに槍を投げ、走り、ボールを蹴り、日本では考えられないような光景が四三の目に飛び込んできました。
四三は、一通り見回り、女性たちに写真を撮ってもいいかと尋ねます。
女性たちがのびのびと楽しげにスポーツをする様をカメラに収めました。
会話をしていた女性のうちの1人のご主人が、ベルリン大会を目指していたスポーツ選手だったことが分かりました。
ご主人は、ベルリン大会が中止となり、戦争が勃発、兵士として出兵し、帰らぬ人となりました。
彼女は、ご主人が残した槍を手に、ご主人の代わりに思い切り投げます。
その姿は美しく力強い。
四三は、戦争でベルリンは弱ってしまいましたが、女性が元気で力強くあるため、もう立ち直れると確信をもちました。
四三の帰国
そして、1920年秋。
四三が東京に帰ってきました。
四三は、ベルリンで撮った女性たちの写真をシマに見せ、自分は女子体育の発展に力を注ぐ、と宣言しました。
シマの夢であった女子スポーツ、女子のオリンピック参加、シマがこれに間に合うように頑張ると言うのです。
そこに、増野(柄本佑さん)という男性が現れました。
増野は、シマが二階堂トクヨの代理でお見合いをした男性でした。
トクヨからは断ってくれと頼まれていたのですが、シマはその後、増野と交際するようになっていました。
四三が下宿先である播磨屋に行くと、そこにはスヤの姿がありました。
スヤは長男正明とともに四三の帰りを東京でずっと待っていたのです。
四三は喜びのあまり目尻に涙を浮かべました。
そして驚くことに、播磨屋足袋店はハリマヤ製作所に変わっていました。
足袋だけに留まらず、スポーツに必要なものを選手に合わせて制作する工場に生まれ変わったのです。
応援してくれた辛作(三宅弘城さん)に結果を出せなかったことを、深々と頭を下げて謝罪する四三に、辛作は誰も責める人間はいない、と四三を労うのでした。
家族水入らずの下宿先で、四三はスヤに謝りました。
金メダルを捧げたかったことなどを告げると、スヤは朗らかに四三を労います。
熊本に帰る支度をしようとするスヤに、四三は女子スポーツの重要性を説き、自分はこれから女子スポーツの発展に力を尽くすため、熊本には帰らないと告げます。
4年に一度の周期で話し合いが行われるため、スヤは4年に一度のことだから言わせてもらうと口火を切りました。
女学校は熊本にもあるから熊本ではできないのか、熊本に帰って一緒に暮らすという4年前の約束はどうなったのか、本当は熊本に帰りたくないからマラソンや駅伝をやっているのではないかと口にしたスヤの言葉を四三は遮りました。
「熊本にはいずれ帰る、でもそれは今ではなか」
夫婦の言い争いに子供は泣き出し、スヤは明日には熊本に帰ると言い出します。
四三は、子供のもとに駆け寄るスヤを背後から抱きしめ、「ここにいて欲しい、東京で一緒に暮らそう」と懇願したのでした。
クロールの必要性
浜名に戻った内田正練は、クロールの凄さを熱弁していました。
自分たちの日本泳法では到底敵わず、練習段階から欧米選手に笑いものにされていたと仲間に明かします。
田畑政治(原勇弥さん)は、その現実がどうしても納得できず、医者に止められているにも関わらず、自分で泳いで確かめようと浜名湾に飛び込みました。
桟橋で昼寝をしていた美濃部孝蔵(森山未來さん)は突然飛び込んだ政治に驚き、心配するのですが、とりあえず泳いでいるのを見て安心し、その場を立ち去ろうとしました。
しかし、帰り際、政治が脱ぎ捨てた洋服のポケットに入っていた財布をこっそり抜き取り、その財布を持って、東京浅草に戻ったのです。
悪い奴ですね。
美濃部構造の帰還
孝蔵は1年ぶりに東京に戻り、いつものように屋台で酒を頼むと、お通しに黒豆が出るではありませんか。
黒豆が好物の孝蔵は喜び、それをつまみ始めると、聴き慣れた声が頭上から聞こえてきたのです。
頭を上げるとそこには清さん(峯田和伸さん)の姿が、そしてその横には小梅(橋本愛さん)の姿があるではありませんか。
驚いた孝蔵が問いただすと、車屋は儲からないから辞め、店を始めたこと、何でもない関係だったにも関わらずあれこれ心配して面倒見てくれる清さんに小梅が惚れて、所帯を持ったことなどを孝蔵に語りました。
驚く孝蔵の背後に、小梅を見つめる美川(勝地涼さん)が姿を現しました。
清さんは包丁を構え、美川を追い返そうとしますが、その包丁を小梅が奪い取り、美川に向かいます。
これ以上付きまとうなら刺す、と言いながら、小声で「たっしゃでね」と美川に告げ、小梅の心情を察した美川は小梅の演技に便乗するように大げさに振る舞い、その場から立ち去りました。
清さんと所帯を持っても、情が深い小梅は美川にも情けをかけてしまうのですね。
孝蔵は、三遊亭朝太から三遊亭円菊と名を改め、二つ目から再出発しました。
女学校に赴任
1921年(大正10年)4月、四三は竹早にある第二高等女学校に赴任しました。
そこには、教師となったシマの姿もありました。
校長は四三に、御茶ノ水と同じように、女子スポーツにも力を入れたい、と話すのですが、その実態はほとんど女子体育など行われていないとシマは言います。
たまーにいけ好かない男性教師がテニスを教えに来る程度、だというのです。
授業が始まり、まずは自己紹介、専門は地理だが、放課後には体育をやる、という四三に女子たちの反応は芳しくありません。
1日目の放課後、四三は意気揚々とグラウンドに立つのですが、生徒たちは皆遠巻きに見るだけで近づこうとしません。
2日目、女子スポーツの重要性と可能性を語り、欧米女子と日本女子の体格の違いについて、図を用いて熱く語る四三に、女子生徒はドン引き、シマはあけすけな四三の物言いに抗議します。
女学校の生徒の気持ちが全く掴めず、悩む四三にスヤやシマは「押し付けがましいのは女性に嫌われる、受け入れられない」と四三に苦言を呈します。
今日の放課後も四三は、スポーツ参加希望を夢見てグラウンドに立っています。
四三が声を張り上げても、走って勧誘しても、誰も四三の言葉に耳を貸しません。
クラスでも発言力の大きい村田富江(黒島結菜さん)は、四三に「ご忠告」をする、と校庭に足を踏み入れました。
富江は四三に、「スポーツなどをやったら、色は黒くなるし足は太くなるしで、嫁の貰い手がなくなる」と猛烈に抗議します。
自分たちの学校は、「シャンナイスクール(美人がいない学校)」と呼ばれ、他校から馬鹿にされているのに、運動などしたら嫁の貰い手がなくなると言うのです。
無駄なことは辞めるようにと言い、立ち去る富江たちに四三は声をかけました。
「このままでは自分の立場がなくなってしまう、一回だけでいいから槍を投げてもらえないだろうか」
今後は一切無理強いしないから、一回だけでいいから、と四三は富江たちにお願いします。
富江はそれを了承し、仲間と共に、一回だけ投擲をすることになりました。
どんな投げ方でも構わない、好きなように投げろ、と言われた女生徒は、両手で槍を掴み思い切り投げます。
すると四三は大げさに女生徒を褒めちぎるのです。
周囲もどよめいています。
次の女生徒は片手で槍を掴み遠くへ投げようとします。
最初の生徒より飛んだ槍に、またまた四三は大絶賛。
周囲の生徒も拍手を贈り応援します。
すると、最初に投げた女生徒が、もう一度投げたいと申し出ます。
2人の間に競い合う心が生まれました。
そして四三は村田富江にも槍を投げて欲しいと促します。
最初の生徒には、投げたことを褒め片手で投げるとより飛ぶと告げ、次の生徒にはその飛距離を褒め袖がなければもっと飛んだとアドバイス、それを聞いていた村田富江は、羽織を脱ぎ、襷をかけ始めました。
四三は、声を出しながら投げてみろとアドバイスし、富江はその言葉通り「くそったれー」と叫びながら投擲しました。
その飛距離は素晴らしく、四三は大喜び。
窓から見ていたシマも校庭に降りてきて富江を賞賛します。
周囲の生徒たちも拍手喝采です。
女生徒たちは皆笑顔になり、とても生き生きとしているではありませんか。
四三はその様子を見て、この学校の生徒は皆可憐で美しいと絶賛します。
太陽の下で楽しく運動すれば、もっともっともっと美しいと語りかけるのです。
そうして、四三の放課後体育教室は大盛況となりました。
女生徒たちは実に楽しげに生き生きと運動するようになりました。
シマは女生徒たちのために、ハリマヤに体育着を作ってもらいました。
竹早のTの字が書かれたポロシャツとキュロットスカートに女生徒たちは「足を出したら嫁にいけない」とドン引きするのですが、シマは「嫁になんかいかんでよかー」と叫び、女生徒たちを運動に促すのでした。
シマたち竹早の女生徒たちの頑張りを聞いた嘉納は喜び、自分も神宮競技場の建設を再開したと明かしました。
ある日、増野と会っていたシマは増野の写真と釣書を返し、まだ家庭には入る気にはなれないと見合いを断りました。
女子陸上は未だオリンピック正式競技にはなっておらず、一生そうならないかもしれない、でも諦めたくない、というシマ。
増野は、それは結婚して子供を産んだ後ではできないことなのか、と尋ねます。
シマは無理ではない、と答えつつ、増野が言わんとしていることがわかりません。
増野は、無理ではないのなら、シマが出場するとき、子供と一緒に応援に行くと言いました。
結婚の為に、何も犠牲にして欲しくない、仕事もスポーツもやればいい、という増野の言葉を受け入れたシマ。
1921年(大正11年)夏、シマは増野と結婚しました。
仲人は四三夫妻。
シマは四三にこっそりと「足を出しても嫁に行けました」と笑い、スヤは増野に「ちゃんと捕まえとかんとマラソン選手は逃げ足が速い」とこっそりアドバイスしたのでした。
同年、孝蔵にも縁談が持ち上がっていました。
次回、第22回「ヴィーナスの誕生」
四三やシマの熱血指導により、ますます活発になっていく女子スポーツ。
そこに日本女性離れした見事な体格の女性が現れます。
伝説の女性アスリート、人見絹枝さんの登場です。
孝蔵に持ち上がった見合いの行方も気になるところ。
次回、第22回「ヴィーナスの誕生」も目が離せませんね。