2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回24回「種まく人」は、関東大震災の爪痕がまだ癒えず、不安を抱えて日々過ごす人々にスポーツで笑顔を取り戻させようと四三(中村勘九郎さん)らが挑むお話でした。
1923年9月1日11時58分に起こった関東大震災は、東京の街に激しい被害を及ぼしました。
大地震による建物の倒壊、その後の火事による被害は甚大で、人々の心に大きな爪痕を残しました。
家を失った多くの人びとは東京から離れましたが、頼る者のない者達は、後に震災市長と呼ばれるほど辣腕を振るった永田市長(イッセー尾形さん)の指揮の下に作られたバラックと呼ばれる収容所で生活することになりました。
嘉納治五郎(役所広司さん)が5年の歳月をかけて建設してきた神宮外苑競技場にもバラックが建てられ、6500人もの人々がそこで生活をしていました。
震災により行方不明になってしまったシマ(杉咲花さん)を四三もシマの夫の増野(柄本佑さん)も必死に探し続けるのですが、どうしても見つけることができません。
シマを見つけることができず無力な自分を責め落ち込む四三の姿を見た小梅(橋本愛さん)の助言により、四三は4年ぶりに熊本に帰ることにしました。
故郷の人びとは、被災した四三の無事を喜び、四三の帰郷を温かく迎えてくれたのですが、義母・池部幾江(大竹しのぶさん)は、東京が大変な時になぜ帰ってきたのか、なぜ東京でふんばらないのか、と四三を詰問します。
何も答えられない四三を妻のスヤ(綾瀬はるかさん)は「十分に踏ん張った!」と庇い、四三の兄・実次(中村獅童さん)に同意を求めるのですが、スヤの言い分も幾江の言い分も分かる実次は「逆らわずして勝つ!」と大声で叫んだのです。
兄のその発言を聞いた四三は、大地震に立ち向かうのではなく、その力を逆に利用して最終的に人間が地震に勝てば良い、ということに気づいたのです。
幾江は「韋駄天とは、人々のために走って食料を集めて運んだ神様」のことだと満足そうに笑うのでした。
東京に戻るという四三に、幾江は持ちきれない程の救援物資を与え、さらに東京にももっともっと送ると約束してくれたのでした。
スヤとともに東京に戻った四三は、幾江から送り届けられた大量の救援物資を背中に担ぎ、走って被災所に届け始めました。
やがて、四三の弟子たちも加わり、四三は韋駄天のごとく、人々のために走り始めたのです。
美濃部孝蔵(森山未來さん)が被災した寄席に足を向けると、そこには瓦礫で舞台が作られていました。
大変な時だからこそ、人々に笑顔を取り戻させたいと、孝蔵も舞台に上がり噺を披露します。
清さん(峯田和伸さん)は、孝蔵には泣いても笑ってもいい落語をしてもらいたい、と願っていました。
昼間は無理して強がって、笑顔を見せている人々も、深夜になると悲しみに暮れ、バラックの中には人々のすすり泣く声があちらこちらから聞こえて来るのです。
震災から1か月が経った頃、救援物資を担いで被災所を巡る四三は、被災直後の人々の興奮が冷め、被災所の人々が段々と沈んだ様子を見せ始めたことに、心を痛めていました。
その様子を見た四三は、嘉納に復興運動会を開催したらどうかと提案します。
嘉納は、大日本体育協会の人々を集め、1924年に開催されるパリオリンピックに選手を派遣すること、そのための予選会を開くこと、そして、復興運動会を開催することを告げました。
二階堂トクヨ(寺島しのぶさん)はこの大変な時期に何を言っているのだと反対するのですが、野口(永山絢斗さん)はスポーツによる復興に意欲を見せ、岸清一(岩松了さん)らも嘉納の提案に賛同します。
外苑バラックの自治会長となった清さんに嘉納が運動会開催の打診に行くと、最初は渋っていたものの、運動会を開催していることに気づいたら、行方不明のシマが駆けつけてくる、という増野の言葉を聞き、開催が決定されました。
復興運動会は、子供から大人まで楽しめる40種もの競技が用意されていました。
みんなが心から笑い、笑顔になった運動会。
四三が走るとみんなが笑顔になる、まさに韋駄天、と嘉納や可児(古舘寛治さん)は四三を褒め称えるのですが、スヤは、あれは馬鹿が走っている、とみんなが笑っているだけだというのです。
復興運動会の最中、シマが見出し熱心に陸上に誘った岡山の人見絹枝(菅原小春さん)が上京してきました。
シマに勧められて始めた陸上で、日本新記録を打ち出した人見は、シマに感謝を伝えたいとシマを尋ねてきたのです。
しかし、そのシマは行方不明。
増野は、シマが書いた人見への手紙を読み、シマがどんなに陸上を愛していたか、女子スポーツの発展と普及に力を注いでいたか、を知りました。
四三は、人見の走りを見て、シマが見出した人見の走りの素晴らしさ、シマが思い描いていた女子スポーツの未来がすぐそこまできていることに驚き、大きな喜びと希望を感じました。
復興運動会では、怪我や病気で参加できない人々のために復興寄席が開かれ、孝蔵はそこで人々を笑わせ、場を盛り上げました。
復興運動会は大盛況のうちに幕を閉じました。
四三の先導で人々は走り出し、みんな笑顔を取り戻したのでした。
前回24回「種まく人」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それではいだてん第二部、第25回「時代は変る」のあらすじと感想です。
パリオリンピック
1923年、震災の爪痕がまだ生々しい時期に、嘉納は翌年に開催が予定されているオリンピックパリ大会への選手派遣を宣言し、代表選手選考のための予選会を開きました。
大変な時期であったため、批判は多々ありましたが、嘉納は「こんな時だからこそ、スポーツが人々に力を与える」と主張しました。
現役を引退していた金栗四三は、母校の選手の伴走として参加していましたが、うっかり背中でゴールテープを切ってしまい、34歳にして3度目のオリンピック出場が決定しました。
第二部カッパ編 田畑政治新聞記者になる
1924年(大正13年)、東京帝大を卒業した田畑政治(阿部サダヲさん)は、朝日新聞社に入社を希望し、面接を受けていました。
この当時の新聞記者は、「ブン屋に家を貸すな、嫁になるな」と言われるほど荒くれ者が揃っていました。
口述試験中、面接を担当した社長・村山龍平(山路和弘さん)と政治部長・緒方竹虎(リリーフランキーさん)に水泳について熱く語り、熱く語りすぎて緒方から落ち着けと言われるほど忙しなく語ります。
政治の水泳好きを理解した緒方は、運動部希望なのかと聞くのですが、政治の答えは「政治部」です。
しかし、日本の水泳を世界レベルにするまでは水泳を続けると宣言します。
そして、挑戦的な目つきで、日本は世界一になります、と答えるのでした。
頭に口が追いついていってなく、字が汚い、まるで台風みたいな男、と評された政治は、緒方によって記者には不向きとされ、一旦は不合格となるのですが、「顔がいいから」という社長の鶴の一声で政治は合格となったのです。
そして政治は政治部の記者となり、立憲政友会の担当となりました。
政治は政治部の記者として働きつつ、運動部が書いたオリンピックの記事で陸上ばかりが取り上げられ水泳の扱いが低いことに憤り、運動部の記者に不満をぶちまけます。
自社の運動部尾高に文句をつけているところに、校閲部の河野一郎(桐谷健太さん)が出てきて、水泳より陸上の方が上だから記事が大きく扱われるのは当然だと言い放ちます。
河野は金栗四三の弟子で、箱根駅伝も走ったことがあるランナーでした。
政治はそれを聞いても全くひるむことはなく、むしろ、金栗がまだ走っていることを批判しました。
「まだ走ってるの?断れよ、みっともない、30半ばのおっさんが今更勝てる?勝てないよー」
政治の言う通り、第8回オリンピックパリ大会に出場した四三は、健闘したものの32Km地点で熱中症により意識を失い棄権。
パリ大会報告会で、「ばってん、破れて悔いなし、幸せな選手人生でした」と締めくくった四三に大きな拍手が送られました。
記者として、報告会に参加していた政治は、たいした記録ではないと横槍を入れ、場を乱します。
次の水泳の報告会で、水泳が蔑ろにされた事に怒り、「体協の陸上びいきは目に余る」と訴えます。
選手が8人も派遣されたことも多過ぎると批判、長距離が全員棄権したことに対しても文句を吐き出します。
水泳だって6人も派遣されている、と反論されても、水泳は結果を出している、と直ぐに反撃します。
もっと行っていればもっと入賞できた、と豪語する政治に、レスリングや他の競技の代表者も声を上げ始めました。
会場内が喧々囂々となってしまいます。
自分の責任だとして野口が体協主事を辞任すると宣言すると、それで話にならん、と嘉納治五郎名誉会長の引責辞任を要求する、と言い始めました。
嘉納のことを「老害」と言い切り、「あれがトップにいる限り日本は勝てん」と言い放ちます。
壇上に駆け寄り嘉納に文句を言い始めた政治は、嘉納から見事な背負投げを決められてしまいました。
そして、水泳は体協から独立を宣言、援助を受けない代わりに指図も受けない、と宣言しました。
大日本水上競技連盟 発足
嘉納の許可を取った政治は、帝大工学部に水連の本部を設置しました。
そこには、オリンピック代表選手となった高石勝男(斎藤工さん)や帝大水泳部のコーチである松沢一鶴(皆川猿時さん)らがいました。
夏以外、練習できるプールがない水連は、夏以外は悶々とした日々を送っていました。
ある時、麻雀牌を落とした高石は、地下に何かあることに気づきました。
地下に行ってみた政治らは、そこに帝大工学部船舶実験用の水槽で、通称タンクと呼ばれる汚い実験施設を見つけました。
政治らは大喜びし、そこにプールを作ろうと画策します。
陸上も陸連を発足し、体協の役目は何になるのだと、野口は疑問を持つのですが、岸は、統括団体になった、と答えるのでした。
新聞記者としての政治
ある日、普通選挙法の原文を手に入れた朝日新聞社政治部は、手分けして原文を書き写すことにしたのですが、政治の字は汚く、一文字目から読むことができません。
政治部長の緒方は政治に書写を止めさせ、他の人に担当を変われと命じるのです。
世紀のスクープでしたが、政治にはなんの関わりもなく終わってしまいました。
1926年12月、仕事は大してできなくても上司には可愛がってもらえる政治は、緒方に誘われ場末のバー・ローズに行きました。
政治は、バー・ローズにいちゃもんばかり付けるのですが、緒方はかつてローズで大物政治家に会い、親しくなったといいます。
そのため、明治から大正に元号が変わる時に、いちはやく情報を貰うことができ、スクープできたというのです。
大正から元号が変わる時、政治はローズに出かけ、緒方が偶然出会った大物政治家に自分もであって情報を貰おうと画策していました。
しかし、緒方が出会った政治家はもはや鬼籍に入っていました。
代わりに、日日新報が残していった情報から、新元号は「光文」であると判明。
スクープのヒントをもらった政治は、すぐさま会社に戻ろうとします。
しかし、マリーは、占いで政治の取ったスクープに疑問を持ち始めたのです。
ですから、直ぐに飛び出そうとする政治を呼び止め、どうしても占いをやって欲しいと懇願するのです。
政治が占ってもらうと、政治は30歳で死ぬ運命だと告げられてしまいます。
ショックを受けながら新聞社に戻った政治は、せっかく日日新報からとったスクープをどうしても思い出すことができません。
そうこうしているうちに、河野から日日新報のスクープでは新元号は「光文」だと情報が入ってしまいました。
しかし、政治部長の緒方は、誤報であった場合のことを考えて、裏が取れるまで、その話題は避けるようにとの指示を出しました。
その判断は吉と出て、新元号は「昭和」。「光文」は誤報だったのです。
アムステルダムオリンピックに向けて
ある日、寄席に行った政治は、高座に上がっているのがかつて浜松の勝鬨亭にいた朝太であることに気づき、親しげに話しかけます。
噺の最中であるにも関わらずベラベラと語りかけ、あげくに昔弁天橋で盗った財布を返せ、と言い出す始末。
とうとう、寄席の人から取り押さえられてしまいました。
1927年、アムステルダムオリンピックから招待状が届いたと水連に駆け込んだ政治は、そこにプールができていることに驚きました。
医学部棟からスチームを引いているそのプールは、冬は温水になり、一年中練習できるプールとなっていました。
政治は、感激のあまり、全員をオリンピックに連れて行く、と宣言。
政治は体協に直訴に向かいました。
体協には陸連の代表も来ており、水連が12人の選手を派遣するなら陸連は15人と勝手なことばかり言う政治らに、体協代表の岸は「もう勝手にやってくれ」とさじを投げます。
勝手にやるために連盟を作った、という河野らに、岸はそれならば金も自分で集めてきたらどうだ、と投げかけます。
渡航費を国からぶんどってきたら20人でも30人でも連れて行く、と岸は言います。
政治は「上等だ、バカヤロめ」と叫ぶと、早速行動にでました。
ある日、朝日新聞政治部長の緒方のところに一本の電話が入りました。
「あんたんとこの若いのが来てるんだがね」
忙しないのか、暑苦しいのか、と尋ねた緒方に、電話の主は「忙しないの」、と答えます。
政治が行っていると気づいた緒方は、可愛がってください、と頼むのです。
そして、電話の主の名前を尋ねるのですが、「高橋是清だ」との答えに真っ青になってしまいます。
大蔵大臣の高橋是清だったのです。
あまりに大物のところに乗り込んでしまった政治。
緒方は高橋に「つまみ出してください」と言い、高橋も「分かった」と返事をし、政治のもとへと向かいました。
体協の嘉納らは、ソロバンを弾いてため息をついていました。
嘉納は資金繰りに困り、初心に帰ろうと提案します。
かつて四三や三島が自腹でオリンピックに参加したように、今回も自費で行ったらどうだろうと提案したのです。
話にならない、という岸と嘉納に賛同する可児。
いつも資金繰りに苦しいと言う可児の言葉を聞いた嘉納は、いっそオリンピック参加を辞めるかと言い始めます。
どうせ勝てない、負けたら文句を言われるのは体協、もうやっていられない、とキレてしまいます。
「震災不況の折り、オリンピックなどと浮かれている場合ではない」と批判されてきた体協。
嘉納は、浮かれたことなど一度もないよ、常に真剣、必死だよ、ケツに火を灯すような思いで火だるまだよ、ヤメだヤメだ!」と嘉納は叫びます。
そんな時に、体協に政治が訪ねてきました。
政治は国から補助金が出たのでおすそ分けにきた、と言います。
水連と陸連とで6:4でどうだと持ちかけます。
「オリンピック特別予算です」という政治。「若者のために使うと言ったらくれました」と言い切ります。
誰からもらってきたんだという問いかけに、政治はドヤ顔で「高橋是清」と告げるのでした。
第26回「明日なき暴走」
政治のおかげで国から資金援助を受けアムステルダムオリンピックに選手派遣が叶いました。
日本水泳陣は大活躍。
アムステルダムでは女子陸上が正式種目となり、人見絹枝が日本人女性初のオリンピック代表選手となりました。
しかし、大会本番ではプレッシャーに押しつぶされ、本来の実力が発揮できず苦しむ人見。
このままでは終われないと人見は未経験の800mに出場を決意します。
女子陸上が正式種目化!シマが夢見た世界が現実となりました。
しかし、シマが見出した人見も大会のプレッシャーに苦しみます。
次回、第26回「明日なき暴走」、日本人初の女子代表選手・人見絹枝選手の活躍、そして、田畑政治が牽引する日本水泳陣の活躍も楽しみですね。
いだてん第二部、見所が満載でワクワクが止まりません。