2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回、第28回「走れ大地を」は、第2部主人公・田畑政治(阿部サダヲさん)が、ロサンゼルスオリンピックで日本を世界一にするべく奔走し、かつ、日本中にオリンピックを浸透させ盛り上げるために尽力したお話です。
政治はオリンピックに向けて、邁進するのですが、満州事変・五一五事件と日本の情勢はどんどん危うくなっていきます。
ロサンゼルスオリンピックで日本が水泳大国アメリカに勝つために、政治は必勝計画を立てました。
さらに、日本中に水泳熱を高めるため、ロスオリンピックの前哨戦として、日米対抗水上競技大会を開催しました。
結果は、40対23と日本の圧勝。
興業的にも大成功を収め、日本の水泳熱はかなり高まってきました。
しかし、政治は結果に満足せず、日本チームの弱点を洗い出します。
その中には、世代交代も含まれていました。
前回大会のメダル獲得者であっても弱いものには容赦がなく、日本水泳界のエースでも、結果が出ないものは切り捨てようとしてしまいます。
しかし、監督の松澤(皆川猿時さん)は、ピークを過ぎたベテラン選手でも、気を引き締め勝てるように指導していくことが真の指導者だと反論しました。
ある日、体協に呼ばれ理事にならないかと誘われた政治。
あっさりと断るのですが、嘉納に連れ出され東京市庁舎まで同行させられてしまいました。
そこで初めて東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形さん)が東京でオリンピックを行うというオリンピック招致計画を立てていることを知りました。
壮大なる計画に、政治はただただ驚くばかりです。
ロスオリンピックに向けて、さらにその先の1940年に東京オリンピック招致計画に向けて、盛り上がろうとしていた時に、満州事変が起こりました。
このまま戦争になるのではないかと朝日新聞社内部も大騒ぎになっています。
そんな中、政治だけはオリンピック応援歌を一般公募しようと、その記事作成に取り組んでいました。
意気揚々と出来た記事を見せる政治に、周囲は「こんな時に」と冷ややかな対応です。
同僚の河野(桐谷健太さん)は、そんな政治を飲みに誘い、満州事変は日本の関東軍が起こした自作自演で、日本は国際社会から孤立する、と言います。
そうなれば、オリンピックどころではなくなるし、このままでは日本の新聞はダメになると政治に語ります。
軍からの圧力が強くなるばかりで、言論の自由がいつ奪われてもおかしくない状況です。
河野は記者を辞め、政治家になるのだと政治に打ち明けました。
政治にこのまま記者を続けるのかと問う河野に、政治は戸惑ったように頷きます。
ならば、とくダネの1つも取らなくてはいけないと言われた政治は、政治界の大物・高橋是清(萩原健一さん)を訪ねました。
そこで、率直にとくダネが欲しいと言うと、高橋是清は「君には悪運がある」と言って、現内閣の解散と新首相が犬養毅(塩見三省さん)であることを教えてくれたのです。
初スクープを取った政治に、新聞社の面々も好意的になり、上司の緒方竹虎(リリー・フランキーさん)から金一封が出ると言われ、また、政治が手がけていたオリンピック応援歌一般公募もどんどんやれと発破をかけられます。
さらに、個人的なご祝儀として見合い話まで用意してくれていました。
しかし、緒方に紹介を頼んでいたものの、オリンピックのことで忙しい政治は、さほど興味を持たず、写真を見ることさえしませんでした。
会社を去る河野に、スクープが取れたのは河野のおかげと感謝すると、河野は政治に、「お前はスポーツをやれ、スポーツが盛んなうちは国は大丈夫、俺は政治をやるからお前はこの国のスポーツを頼む」と言って、会社を去って行きました。
1932年、関東軍が満州国を占領し、満州国を建国しました。
しかし、日本政府は満州国の独立を認めず、軍部は政府への不満を募らせていました。
首相・犬養毅は、いかなる場合も武力での解決を良しとせず、同じ人間同士、話し合いで解決しようと力を尽くしていました。
そんな中、政治はオリンピック応援歌のお披露目会に、首相に参加して欲しいと犬養邸を訪れていました。
犬飼は、政治のオリンピック話を楽しそうに聞き、自身の政治姿勢について、満州国独立についての話をした後に、「応援歌、楽しみにしている」と言ったのでした。
犬養の話をスクープにしようとした政治でしたが、これは自分の仕事ではないと応援歌選考に戻るのです。
さて、政治が記事を作るにあたって、いつも協力してくれる女性社員がいました。
彼女は政治の意思を汲み、的確に行動し政治をフォローします。
その女性こそ、政治のお見合い相手の酒井菊枝(麻生久美子さん)でしたが、政治が気づくのはまだ先のようです。
ロスオリンピック選手選考に向けて、日本水泳チームは合宿を行っていましたが、日本のエースである高石勝男(斎藤工さん)は、仕事がない日だけ参加、平泳ぎの金メダリストの鶴田
義行(大東俊介さん)に至っては、就職したため、事実上の引退という始末。
一瞬唖然としたものの、すぐに切り替え若手選手を育てようとする政治に、監督の松澤は反論しますが、政治は実力重視、埓があきません。
政治は高石に選手としては試合に出さない、キャプテンとして若手をまとめて欲しいと告げるのです。
高石は政治の言葉を納得できず、松澤に政治への不満をぶつけるのでした。
オリンピック応援歌お披露目会当日の5月15日。
政治は朝から完成した応援歌の練習と発表会に向けての準備に奔走していました。
しかしその日、犬養邸に軍の若い将校らが侵入し、犬養が撃たれてしまったのです。
発表会は中止、犬養はその日の夜に息を引き取りました。
政治は亡くなった犬養の想いを記者たちに伝えるのですが、今軍に目をつけられたら困るという緒方の意向により、犬養の想いを記事にすることはできませんでした。
国際社会で孤立し始めた日本。
その厳しい時にロスオリンピック壮行会が行なわれ、日本選手団はロサンゼルスに向けて出発したのでした。
前回28回、「走れ大地を」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第29回、「夢のカリフォルニア」のあらすじと感想です。
五りんの昇進
1961年(昭和36年)、五りんはふたつめ昇進が決まりました。
しかし、あまり落語が好きでない五りんは、昇進を迷ってしまいます。
亡き父が残した「志ん生の富久は絶品」という言葉を確認できれば去るつもりだったと言うのです。
しかし、オリンピック噺は気に入っているようで、それは続けたいと希望していました。
そうして、五りんはふたつめに昇進し、今回のオリンピック噺しがスタートです。
ロサンゼルスに出発
満州事変、五・一五事件と不穏な事件が続いた1932年夏、ロサンゼルスオリンピック壮行会において、嘉納治五郎から厳しいながらも力強い激励を受けた日本選手団131名は、6月23日、大型客船はつか丸に搭乗してロスに向かいました。
開催国米国に続いての大選手団です。
7月9日、ロスに到着すると、日系日本人が多く住むダウンタウンにあるリトルトーキョーで大歓迎を受けました。
日本水泳チームは現地の報道で、米国チームの最大の敵、と紹介されていました。
この1932年のロスオリンピックから選手村が作られ世界32か国2000人もの各国選手たちが、国境や文化を超えて自由に交流できる、まさにスポーツの楽園です。
選手村に到着し、華やかな歓迎を受けた日本選手団は浮かれています。
「まさに理想郷だ」と政治は大喜び、日本選手団はダンスで喜びを顕にしていましたね。
選手村での生活
7月10日、選手たちの一日は、政治の国旗掲揚と松澤の訓示から始まります。
松澤の言葉は訓示というより生活する上での諸注意で、余りにも長く、政治は途中で遮ってしまいます。
そして看板に一言、「一種目モ失フナ」と貼り、「俺が言いたいことはそれだけだ、以上!」と朝礼を打ち切りました。
若手選手は、政治の勢いに押され、唱和するのですが、政治の方針に不満を持っている高石や鶴田は、政治に蟠りを持っていました。
約1か月に渡る現地での練習が始まりました。
バスでプールに向かうのですが、アメリカ人労働者は、まだ時間になっていないと門を開けようとしません。
しかし、高石らが持つ時計では既に時間を過ぎています。
嫌がらせなのかと訝しがる政治に、運転手は日系人に仕事を取られたため失業したと話します。
政治は強引に門をこじ開け抗議するのでした。
水泳陣が練習プールに行くと、先に練習していたアメリカチームはすぐにプールから上がってしまいます。
日本人とは一緒に練習したくない、という意思表示なのか、人種差別なのか。
選手や松澤は憤るのですが、政治は、「貸し切りだ」と選手たちを盛り上げます。
選手団がリトルトーキョーのレストランに行くと、日系人主催の歓迎会が行われ、素晴らしいもてなしを受けました。
日系人たちは、夏には有色人種である自分たちはプールに入れないので、川で泳ぐのだと言います。
白人たちから人種差別を受けている日系人たちは、政治たちに水泳でアメリカを打ち負かし、日系人の鬱憤を晴らして欲しい、と政治に言いました。
暑さを避けて、夕方、練習プールに行くと、アメリカチームがいて、日本チームの練習を見て何やら話しています。
その態度にキレた政治は、日本人の何が気に入らない、とアメリカチームに怒鳴り込むのです。
そこに、アメリカ水泳チームの監督・キッバスが現れました。
政治と固く握手を交わした後キッバスは、「この1年、日米対抗戦の敗因を徹底的に分析し、死ぬ気で鍛えてきた、合言葉は…打倒・日本!メダルはひとつも譲らない、我々の前に平伏し、屈辱を手土産に日本に帰るがいい」と政治を挑発しますが、片言の英語しかできない政治は、「なんかお土産をくれるって」と好意的に受け取っていました。
間抜けですね。
各国の取材に政治が答えているのですが、片言の英語で自信満々に取材に応える政治の度胸に日本選手団も呆れ顔です。
政治は同僚の朝日新聞社・尾高(シソンヌ・じろうさん)に「アメリカ、恐るに足らずだ!」と高々に宣言し、それは日本の新聞に記事になり、日本の嘉納たちを湧かせました。
その頃日本では、嘉納がIOC委員会からの手紙を受け取り喜んでいました。
日本がオリンピックに名乗りを上げれば、アメリカ・フランス・ドイツのIOC委員が支持してくれるというのです。
嘉納は小躍りしてロサンゼルスに旅立つのでした。
その頃の美濃部孝蔵
その頃、美濃部孝蔵(森山未來さん)は、暑い東京でお面を作っていました。
家賃がタダということで新しい長屋に引っ越したのですが、元は沼地だったその長屋は、夏になるとハエは出るわ蚊は出るわ、あちらこちらから虫が発生し、特にナメクジが大量に発生し生活を脅かしていました。
しかし、怯えて騒いでいたのは最初のうちだけで、そのうち慣れると塩をかけて撃退することもなく、素手で掴んでそのへんに放り投げていました。
慣れってすごいですね。
志ん生の一生を書いた本「なめくじ艦隊」の由来はここから来ているそうです。
焦るベテラン選手たち
日本人選手団は、選手村で豪勢な食事を取り、夜は昼間の練習を振り返り、映像でフォームをチェックします。
映像上でもタイムにこだわり、ストップウォッチを片手に騒ぐ政治を見て、高石は苦々しい思いでいっぱいでした。
その後、監督・松澤、助監督・野田(三浦貴大さん)、キャプテン・高石とで各選手の練習タイムを見て、選手たちの調子を考えていました。
それぞれの選手の調子がピークの時に試合に出させてやりたい、と思い、調整を考えます。小池がぐっすり眠っていた夜、鶴田は張ってしまった筋肉をほぐしています。
16歳の小池(前田旺志郎さん)と29歳の社会人・鶴田が同じ練習をしているとどうしても年齢が上の鶴田に負担がかかってしまいます。
年齢差がある2人が同じ練習メニューをしていることに、高石らは疑問を持ちました。
一覧表にしてみると、高石のタイムが伸びていないことは一目瞭然。
キャプテンとしての役割を果たしているものの、結果を出せない高石は焦り、深夜1人で練習を始めていました。
練習する音で気づいたプールの守衛は、高石の直向きな様子を見ると、無断で入り込んだことを咎めることなく、ただ見守っていました。
7月18日、政治が書いた張り紙が破かれる事件が起こりました。
政治は激昂するのですが、他の選手は冷静でした。
この日、女子チームがロスに到着、男子チームと合流しました。
男子チームは女子の到着に喜び、大興奮。
女子にカッコイイとこを見せようと張り切っていました。
女子たちは親善大使としてパーティーなどに駆り出され大人気になっていました。
その頃、ノンプレイングキャプテンと言われながら、毎晩、たった一人で黙々と練習する高石を守衛はただ見守り続けました。
鶴田と同室の小池は、門限を過ぎても帰らない鶴田を心配し、松澤の元を訪れます。
そこには、高石のことを心配した同室の若手選手らが来ていました。
彼らは高石が深夜1人で練習をしていたことを知っており、それでもタイムが伸びないことを気にしていました。
若い自分たちは4年後にまた出場できるけど、高石や鶴田は4年後出場できるとは限りません。
高石に有終の美を飾らせたい、試合に出してあげて欲しいと若手選手らは松澤に頭を下げ頼み込みました。
深夜の練習を終え、政治が書いた貼り紙を複雑な思い出見ていた高石に、鶴田が声をかけてきました。
鶴田は、前回のオリンピックで金メダルを獲得しましたが、今では若い小池のために練習台になるように連れてこられた選手です。
小池のため、懸命に練習をこなしていますが、若い小池と同じ練習についていけず、小池に気を使わせてしまっていることを気にしていました。
高石も同じ気持ちを持っていると共感します。
若い宮崎、さらに他の選手にも勝てない自分にいらだちを募らせていました。
そして、「ノンプレイングキャプテン」と言われることにも怒りを爆発させました。
日系人の思い
その頃政治は日系レストランで野田と食事をしていました。
野田も、キャプテンとしてチームを引っ張ってきた高石を試合に出すことは、他の選手の士気高揚に繋がる、というのですが、政治は「記録が全て」と取り合いません。
政治の態度に不満を持っている高石は政治への不満を漏らすのですが、鶴田は、政治の態度は全て計算されているのではないかというのです。
日本人が目の敵にされているアメリカで、日本人である自分たちが劣等感を感じなくて済んでいるのは、昨年、政治が日米対抗戦を開催し、日本が勝利したから。
自分たちの敵は小池や宮崎といった若手選手、もはやアメリカではない。
そこまで見越しての行動だったのではないかというのです。
しかし、高石は買いかぶり過ぎだと鶴田を諌めます。
政治は日系レストランで、女給をしていたナオミ(織田梨沙さん)という女性に話しかけました。
「どっちが勝つと思う?日本とアメリカ」そのように尋ねてみると、ナオミは「あんまり勝てる勝てる言わない方が良いよ」と答えました。
「日本人嫌われ者、日本が勝ったら二世今よりひどい目に遭う。日本人スポーツ?勝てない、勝てるはずがない、You、勝てる勝てる言うのは私たちに歓迎してもらいたい、サービスしてもらいたいためでしょ、私勝ち負け関係ない、あなた歓迎します、サービスします、だからBig Talk 止めた方がいい、できないこと言わないでください」
相変わらず騒がしく、賑やかに食事をしていましたが、政治は会話の中で「日本は絶対に勝つ」という言葉を繰り返し言っていました。
日系レストランの従業員であるナオミは、そんな政治の言葉や騒がしい態度を苦々しく感じていたのです。
それゆえの言葉でした。
あまりの言葉に何も言えなかった政治でしたが、彼女が立ち去ろうとすると、彼女の背に向けて「やってみなくちゃわからないだろう、なんで勝てないと言い切る、なぜ決めつける、わからんだろう、食ってみなくちゃわからない、きゅうりの天ぷらと一緒だよ。やってみなくちゃわからないから面白いんじゃんねぇ」と言い返しました。
顔を背けて立ち去ろうとするナオミの肩を掴み、「同胞じゃないのかね君は、勝つんだよ、俺たちは、毛唐を倒すために日本から来たんだよ」と言い放ったのです。
店の中は政治の態度に騒然となるのですが、政治の言動に「あれは誰だ」と興味を持つ人もいました。
最終選手選考会
選手選考会を控えた前夜、松澤は政治にベテラン勢の起用を進言するのですが、政治はそれを認めません。タイムが全てというのです。
何も意地悪して言っているわけではない、鶴田に関しては、わざと小池の練習台といい、鶴田を発奮させようとし、実際鶴田のタイムは上がってきていました。
しかし、高石の記録は全く伸びず、このまま試合に出しても恥をかくのは本人なんだと政治は松澤を説得します。
メダルにこだわる政治の態度に耐えかねた松澤は、これは強制、暴力だと抗議します。
いつからそんなメダル至上主義の冷たい人間になったんだと怒りをぶつけました。
政治は、そんな松澤に「笑うなよ」と一言言ってから本心を語り始めました。
政治がメダルにこだわるのは日本を明るくするため。
「犬養さんが討たれてから新聞の紙面が暗い。
不況・失業・満州問題、朝から暗澹たる気持ちになる。
これではダメなんだ。
言論の自由が奪われつつある今、誰かが明るいニュースを書かなきゃダメなんだ。
もし、水泳が全種目メダルと獲得すればさ、オリンピックの期間だけでも明るいニュースを一面に持ってくることができるじゃんねえ。
号外が出るかもしれないね。
いや、出るね。
だってもう書いてきたから。
書いて、ある人に託してきた。
スポーツが日本を明るくするんだよ。
たった数日間だけど、スポーツで国を変えることができるじゃんねえ」
政治の壮大な夢に松澤はただただ驚きます。
そして、政治がメダルの亡者になってしまったのかと疑ってしまって申し訳なかったと謝るのでした。
政治の語ることを「夢」と評した松澤に、政治は「夢じゃないよ、実現するんだから。やらんと仕方がない」と言うのでした。
松澤も納得し、明日、最終選考会で高石が負けたら、高石には退いてもらおうと、政治の決定に従ったのです。
部屋の前で2人の話を聞いていた高石も、政治の真意を知りました。
そして7月24日、運命の最終選考会が行なわれました。
平泳ぎ、背泳ぎ、自由形。
若手選手は自己新記録を出し、ベテラン選手も力の限り泳ぎます。
100m自由形、高石や宮崎(西山潤さん)たちのレースが始まります。
宮崎は高石に「お願いします」と声をかけ、高石も力強く頷きました。
スタートの号砲がなり一斉にスタート、宮崎は流石に速く高石は懸命に泳ぎますがどんどん差が開いていきます。
皆が高石を応援し、高石の懸命な泳ぎを見た政治も「いけいけ勝っちゃん!いけ!」と声を張り上げます。
「ありがとう、お疲れ」と涙を浮かべながら高石の勇姿を見守りました。
結果は、宮崎が自己新記録を打ち出し一着でゴール。
高石は最下位でした。
政治は宮崎の頭をぐりぐりと撫で褒め称えると、水中の高石に歩み寄り手を差し伸べました。
高石は政治の手をガッチリと掴み、プールからあがります。
高石の肩を叩き、その頑張りを讃えました。
そして選手の発表で、
400m自由形に大横田(林遣都さん)・横山・杉本
200m平泳ぎに小池・鶴田・中川
100m自由形に宮崎・河石・高橋
高石の名はありませんでしたが、高石は代表に選ばれた選手たちに向けて大きな拍手をしていました。
その後、ラジオの出演では、高石と政治は各選手の仕上がり具合を的確に話し、アメリカにだって勝てると力強い言葉で日本人の期待を盛り上げました。
その頃、IOCの総会に出席していた嘉納は、永田秀次郎市長に託された招請状を読み上げ、1940年のオリンピックに向けて、東京は正式に名乗りをあげました。
そして7月30日、10万5千人の観衆が見守る中、華々しくロサンゼルスオリンピックが開幕したのでした。
次回、第30回「黄金狂時代」
いよいよロサンゼルスオリンピックが開幕です。
日本選手団の活躍が期待されますが、前畑選手をはじめ、他の代表選手たちもお腹を押さえて痛いと、叫んでいましたね。
一体何が起こっているのでしょう。
河西アナウンサーの熱の入った実況も楽しみですが、大会運営側から思わぬ妨害が行われてしまいます。
東京にオリンピックを招致するために奮闘する嘉納治五郎ですが、もうすでに9都市がエントリーしているという絶望的な状況です。
体調を崩した選手たち、妨害される中継、独裁者たちの思惑も絡まり、ロサンゼルスオリンピックも波乱万丈のようですね。
次回、第30回「黄金狂時代」。とうとう始まったオリンピックから目が離せませんね。