2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回、第29回「夢のカリフォルニア」は、ロサンゼルスオリンピック日本代表選手団が現地の選手村に入り、開会式までの1か月を過ごすお話でした。
1932年6月23日、アメリカに次ぐ大選手団となった日本代表チーム131名は、オリンピック開催地であるロサンゼルスに向かいました。
7月9日、ロスに到着すると、日系人が多く住むリトルトーキョーで大歓迎を受けました。
ロス五輪から作られた選手村では、世界37か国2000人もの選手・関係者が、国境や文化を越えて自由に交流できる、まさにスポーツの楽園が出来上がっていました。
日本水泳チーム総監督・田畑政治(阿部サダヲさん)は、「まさに理想郷だ」と、喜びいっぱいでした。
国境も文化の壁を越えて各国選手が暮らす選手村での生活を政治は満喫しています。
選手たちに檄を飛ばし、「一種目モ失フナ」と書いた張り紙を選手に見せ、選手たちに気合を入れます。
しかし、「キャプテンとしてチームをまとめてもらうけど、試合には出さない」と政治から言われている高石勝男(斎藤工さん)は、そんな政治を苦々しく見ていました。
日本選手団が練習プールに行くと、政治が企画した日米対抗戦で惨敗したアメリカチームが日本チームを警戒し、一緒に泳ごうとしません。
人種差別的な理由もあったのかもしれませんが、日本チームを研究・分析するためでした。
アメリカ水泳チーム監督のキッバスから「打倒日本!屈辱を手土産に日本に帰れ」と言われてしまいますが、英語力が怪しい政治は、キッバスからの宣戦布告を「なんか、お土産くれるって」と好意的に解釈していました。
ほのぼのしたシーンでした。
その頃日本では、嘉納治五郎(役所広司さん)がIOC委員会からの手紙を受け取り、1940年のオリンピック開催地に正式に日本が名乗りを上げれば、アメリカ・フランス・ドイツが支持してくれるとの知らせを受け、喜び勇んでIOC委員会が開かれるロサンゼルスに向かいました。
日本水泳チームは、監督・松澤一鶴のもと、懸命に練習に励んでいました。
タイムにこだわる政治は、プールサイドで各選手のタイムを計り、大騒ぎをしています。
どんどん調子を上げていく若手選手たちを見て、ベテランの高石や鶴田義行(大東俊介さん)は焦っていました。
特に、「ノンプレイングキャプテン」と呼ばれ、試合には出さないと言われている高石は、キャプテンとして各選手の調子を考え、チームをまとめながら、自身も選手として活躍したいと、深夜、他の選手が寝静まった後も1人で練習をしていました。
頑張ってもなかなか成果が出せない自分に苛立ち、ただの記録係としてしか認識していなかった政治に、「試合に出さない」と言われ反発した高石は、政治の書いた「一種目モ失フナ」という張り紙を複雑な思いで眺めていました。
すると、そこに鶴田が高石に声をかけました。
あたりを散策しながら、若手選手の練習相手になれと言われて参加した鶴田は、若手選手の練習についていけず、練習相手に指名されても相手に心配されてしまうことに、苦しさを感じていると話します。
高石も同じ思いを抱いており、さらに自分は政治から試合には出さないと言われてしまっています。
高石は、イライラが高まり関西弁で怒りを吐き出しました。
一方その頃、門限になっても帰ってこない高石と鶴田を心配した若手選手たちが、監督・松澤の元を訪れていました。
自分たちはまだ4年後に出場できるけれど、ベテランの鶴田や高石は、4年後出場できるかわからない、だから、ベテラン選手たちを試合に出して欲しいと松澤に頭を下げるのです。
松澤はもとよりベテラン選手もきちんと育てればまだまだタイムは伸びると主張しており、政治がタイムやメダルにこだわることに反感を持っていました。
その頃、リトルトーキョーの飲食店で、政治は副監督の野田(三浦貴大さん)と食事をしていました。
政治はそこでも大騒ぎ。
きゅうりの天ぷらを見て、さんざん馬鹿にするものの、いざ食べてみるとあまりの美味しさに驚き、また騒ぐ。
女給のナオミ(織田梨沙さん)は、そんな傍若無人な政治を、大言壮語のいけ好かない客、として見ていました。
そんな政治に「日本とアメリカ、どっちが勝つと思う?」と聞かれたナオミは、政治が「勝てる」と何度も言ったことに全く興味を持っておらず、「サービスして欲しいから勝つというのではないか、勝ち負け関係なくサービスするからBig talkは止めろ、できないことを言うな」と言いました。
一瞬唖然とした政治でしたが、ナオミを引き止めて「やってみなくちゃわからない、俺たちは毛唐を倒すために日本から来た」とタンカを切ったのでした。
開会式が目前に迫り、最終選手選考会が行なわれます。
翌日に選手選考会を控えた深夜、松澤は政治にベテラン勢を試合に出して欲しいと進言するのですが、政治はタイムが全て、出ても恥をかくのは本人、と松澤の言葉に耳を貸しません。
そんな政治の態度に、メダルの亡者かと松澤が反発しました。
なんでそんなにメダルにこだわるのか問いただされた政治は、松澤に本音を語り始めました。
犬養首相が討たれてから新聞の紙面は暗いことばかり。
そのうちに軍から規制が入り、新聞だって自由に書けなくなってしまうかもしれない。
しかし、水泳が全種目で金メダルを取ったら、オリンピックの数日間だけでも、新聞の紙面が明るくなり、日本が明るくなる。
スポーツで日本を変えることができる、そのためにメダルにこだわっているのだと松澤に聞かせたのです。
政治の壮大な夢に驚いた松澤は、政治に賛同し、情によって決めるのではなく、最終選考会の結果によって選手を決定することを決めたのです。
政治に反感を持っていた高石もこの政治の話を聞いていました。
政治がただ記録にこだわっていたのではないと高石は知りました。
そして始まった最終選考会。
若手選手の練習相手と言われて発奮した鶴田は調子を上げ、選手に選ばれました。
ベテラン高石は、健闘するも最下位、しかしその懸命な泳ぎを選手全員が応援し、政治でさえも「行け行けかっちゃん!行け!!」と声を張り上げ、そして、「ありがとう、お疲れ」と涙を浮かべたのでした。
高石は代表選手には選ばれませんでしたが、ノンプレイングキャプテンとして、代表選手に大きな拍手を贈り、チームを代表して取材に応え、チームの支え役として力を注ぐようになりました。
そして7月30日、10万5千人の観衆が見守る中、ロサンゼルスオリンピック開幕です。
前回、第29回「夢のカリフォルニア」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第30回「黄金狂時代」のあらすじと感想です。
ロサンゼルスオリンピック開幕
1932年7月30日。
第10回ロサンゼルスオリンピックの開会式が始まろうとしていました。
しかし、水泳400m自由形にエントリー予定の大横田勉(林遣都さん)は腹痛をおこし、なかなかトイレから出られない状態になっていました。
今回のオリンピックは参加37国、日本は131人というアメリカに次ぐ大選手団で出場です。
競技は2週間に渡って続けられます。
選手村では、各国選手が入り乱れ各国の料理を楽しみ、異文化交流がなされ、まさにスポーツの楽園。
政治や野田ら日本選手団は日本に帰りたくないと笑い合っていました。
水泳は大会8日目から行われるため、2日目などは選手村でまだまだのんびりと過ごしていました。
畳に何かを叩きつけるような音が選手村に鳴り響きます。
政治が音の方へ行ってみると、そこには嘉納治五郎の姿がありました。
海外では日本の柔道の祖として嘉納はとても有名で人気があったのです。
ファンの集いが行われ、そこで嘉納は訪れるファンを相手に一本背負いを披露していました。
人ごみから現れた政治を見つけた嘉納は喜び、政治と肩を組みその場を抜け出ます。
嘉納は柔道家なのになぜオリンピックに柔道を正式種目にしようとしないのか、と尋ねる政治に、「まだ機は熟していない」と嘉納は答えます。
陸上や水泳で様子を見て、徐々に世界中に柔道を広め選手を増やし、いつかは柔道をオリンピック正式種目にしたい、と嘉納は夢を語りました。
嘉納も政治に日本泳法の選手だったのに、なぜ日本泳法をオリンピック正式種目にしないのかと聞き返しました。
面食らう政治に、柔道や日本泳法をオリンピック種目にしたら嘉納と政治でメダルは取り放題、それを実現するためには東京にオリンピックを招致!ともに頑張ろうと政治の肩をポンポンと叩くのでした。
実感放送
政治がオリンピックスタジアムに向かうと、意気消沈した河西(トータス松本さん)・松内(ノゾエ征爾さん)アナウンサーに出会いました。
ラジオの実況中継をするはずだったのですが、アメリカの組織委員会からラジオでそんなことをしたら客足が遠のくからだめだと、中継が妨害されてしまったのです。
遠く離れた日本にラジオ放送が届いたと言って、アメリカで行われているオリンピックの客足になど、なんの影響も与えるはずもありません。
言いなりになるのも癪なので、夜に結果だけを放送するといいます。
そうすると、新聞の速さには敵わないと政治は指摘します。
政治はこの状況を打開する策を考えました。
そして考え出されたのが、「実感放送」です。
まずアナウンサーが実際に競技を目の当たりに見て、夜7時、選手と一緒にラジオ放送局からその光景をあたかも今やっているように実感を込めて伝えるのです。
日本ではその実感放送で、オリンピックの様子を知ることが出来るのです。
実感を込めすぎて、約10秒の競技を1分以上も話してしまうというハプニングもありました。
妨害を受けながらも、この実感放送でなんとか危機を乗り越えられました。
水泳競技開始
8月7日、水泳競技が始まりました。
男子100m自由形決勝に宮崎(西山潤さん)が出場します。
スタジアムからは大歓声が起こり、宮崎は緊張してこわばった顔をしています。
スタート直前、いきなり色付き帽子を被ることになり、政治はルールにないと猛烈に抗議。
しかし、選手を色分けすることは、選手誤認を防ぐ、という理由で選手は色付き帽子を被って出場します。
政治が騒いでいる間、高石は宮崎らのもとに走り、激励するのでした。
そして始まった100m自由形。
号砲一発、各選手一斉にスタート。
20mを過ぎるまで、選手は平行に並んでいました。
30mから徐々に宮崎が伸びてきています。
50mターンではアメリカを捉えることができませんが、60m、1位との差を詰め、70mで宮崎はグングン出てきました。
宮崎は断然1位で優勝。
続いて河石、シュウォーツと続きます。
この大会で日本初の金メダルとなりました。
河西アナウンサーは、その様子を臨場感たっぷりに放送し、8000Km離れた日本に届けました。
壊れたラジオ
その頃東京では、美濃部孝蔵(森山未來さん)と家族が虫がたくさん湧き出る家に、まだ暮らしていました
日常生活を送るためには、蚊帳がないとたまらないほど不便だったのですが、孝蔵の妻・りん(夏帆さん)は、家に来たクズ屋に言われて古びた蚊帳とラジオを交換したというのです。
それを聞いた孝蔵は、すぐさまラジオを質屋に持っていこうとするのですが、りんや子供たちは、いつか孝蔵が噺家として復帰した時、ラジオで孝蔵の落語を聞くのだと、孝蔵を必死で止めています。
さっそく、ラジオの放送を聞いてみようとするのですが、孝蔵の家は電気を止められていて、ラジオを聞くことができなかったのです。
オリンピック招致の可能性
宮崎金メダルの祝勝会が行なわれました。
本来ならば、選手村で監督が管理した食事をしなければならないのですが、今回は政治のおごりでリトルトーキョーのレストランで牛鍋を食します。
もちろん、松澤には内緒です。
これで勢いをつけて、800mリレーに望めと、選手たちにハッパをかけました。
政治は、先日、「日本が勝てるわけがない」と言ったナオミを見つけ、日本は勝ったと誇らしげに自慢します。
そして、女子200m平泳ぎのチケットを渡し、間近に見てみろと誘いました。
「またいじめられる、余計なことはしないで」と英語でつぶやきながら政治を迷惑そうに一瞥するナオミでした。
みんなで楽しく騒いでいるさなか、嘉納と岸清一(岩松了さん)が現れました。
水泳の活躍により、招致にも弾みがついたでしょうと、自慢する政治にIOC総会に出席した嘉納と岸は、政治を別室に連れて行きます。
1940年に開催されるオリンピック開催地として、東京は正式にエントリーしたものの、既に9都市がエントリーしており、日本は10番目だというのです。
完全に出遅れています。
イタリアの首相・ムッソリーニが独裁体制を敷き、オリンピック招致に向けて既に小冊子ができるほど用意を進めていました。
日本が招致できる可能性は、ドイツにかかっていると岸は言います。
ドイツ・ベルリンは4年後の開催地に決まっているのですが、今ドイツで力を伸ばしつつあるヒトラーはオリンピック無用論を説いています。
ヒトラーが政権を取ると、4年後のオリンピック開催をドイツが辞退する可能性が出てきます。
すると、今一番準備が進んでいるイタリア・ローマが繰り上がり、さらに4年後の1940年は、空欄になり日本にチャンスが生まれるというのです。
しかし嘉納は、そんな政治が絡むような招致はいけない、と主張します。
スポーツと政治は別物。
平和なのはフェンスの中の選手村だけで、その外は政治的なしがらみでいっぱいだというのです。
それではいけない、と嘉納は強く主張していました。
男子800mリレー前夜
その頃東京で、政治が用意していた記事に政治が指示していたように写真と記録を書き込んだ酒井菊枝(麻生久美子さん)が号外を発行していました。
政治の手柄として、上司の緒方竹虎(リリー・フランキーさん)は喜び、その記事を占いが得意なバー・ローズのマリー(薬師丸ひろ子さん)に見せたのです。
記事を見せながら次に活躍する選手は誰かとマリーに尋ねる緒方。
マリーは、400m自由形にエントリー予定の大横田を指差し、大横田は金メダル、他はアメリカが金メダルと予想します。
緒方はその結果を直ぐに現地に向けて知らせました。
女子チームの試合も始まりましたが、女子チームは親善大使としての役割が強く、その実力は、全種目制覇を目指す男子には遠く及ばず、なかなか結果を出すことができません。
深夜、翌日に迫った800mリレーの選手を監督・松澤と副監督・野田で決めているところに、腹痛で苦しむ大横田が現れました。
痛みに苦しみ倒れ込んでしまい、翌日のレースに出場できるかわかりません。
本人は少し休めば治るというのですが、監督としては悩むところです。
管理されたものを食べていたはずなのに、服痛の原因は何かと野田が言い出すと、政治は監督に内緒で牛鍋を食べさせてしまったと白状します。
翌日のレースに向けて精をつけさせたかったのだというのです。
しかし、大横田の病気は4、5日前から始まっていました。
熱もあったのですが、練習を休めば選手から外されてしまうと黙っていたのです。
同じ頃、女子平泳ぎの前畑秀子(上白石萌歌さん)も腹痛で苦しんでしました。
少し前に、御利益があるという神社のお守りを小さくちぎって飲み込んでいたのです。
レース直前にとんでもないハプニングばかりが起こります。
疝気の虫
東京の孝蔵は、電気が止められて使えなかったラジオを売りに、質屋に来ていました。
店主に買って欲しいと頼むのですが、おりんが掴まされたラジオは中身が空っぽの偽物で、ラジオとしては何の役にも立たないただのガラクタでした。
クズ屋に騙されて蚊帳を奪われガラクタを押し付けられたりんに呆れる孝蔵ですが、ふと、質屋に自分がかつて万朝(柄本時生さん)にもらった羽織がかけられていることに気づきました。
思わず手に取ろうとすると、それは売れない、と店主に言われてしまいます。
万朝が質流れを起こさないように、毎月一定のお金を払い込んでいるというのです。
羽織の持ち主は、今は廃業しているが、いつか必ず戻ってくるからそうしたら、また着せてやるのだと言っていたというのです。
孝蔵は、りんとともに万朝の高座を見に行きました。
演目は「疝気の虫」
りんは目を輝かせて万朝の話に夢中です。
寄席の客にも大受けでした。
高座が終わり楽屋で万朝に会うと、孝蔵は土下座をして万朝に「弟子にして欲しい」と頼むのです。
万朝がこんなに化けると思わなかった、感動した、自分が情けなくなったと反省しきりです。
同行したりんも、落語以外はクズな孝蔵だから、どうしても弟子にしてもらいたいと必死に頭を下げます。
しかし万朝は二つ目、孝蔵は真打です。
二つ目が真打を弟子にすることはできません。
孝蔵は、万朝にお金を借りて羽織を質屋から取り戻すと、万朝の口利きで三語楼師匠に弟子入りし、柳家甚語楼として再スタートしたのです。
全種目制覇
800mリレー当日、大横田の病名は胃腸カタルと判明しました。
本人は出場すると言い張るのですが、翌日の400m自由形にもエントリー予定のため、無理をさせることは得策ではありません。
代わりの選手は誰か、と考えたとき、鶴田が「高石はどうか」と言いだしたのです。
キャプテンであり、前回のオリンピックではリレーで銀メダルを取った選手です。
高石がアンカーなら若い選手の士気が上がる、この状況を覆し、奇跡を起こせるのはキャプテンである高石しかいない、と政治も興奮して高石を推挙するのです。
しかし、監督の松澤は冷静でした。
高石では勝てない、と断じ、若手の横山を指名したのです。
総監督として、全種目制覇して日本を明るくするのではないか、奇跡などと言っていて良いのか、勝てるように判断しなくてはいけないと政治を諭します。
政治も落ち着きを取り戻し、監督の意見を支持しました。
一度は持ち上げられたのに、「高石では勝てない」と言われショックを受けた高石でしたが、キャプテンとして悔しい気持ちを押し隠して、横山を励ましました。
非常に切なくやるせなく、高石の人間としての器の大きさがよくわかったシーンでした。
そして行われた800mリレー。
若い横山を出す、という松澤の英断が功を奏し、日本チームは世界新記録を叩き出し金メダル。
日本に批判的なアメリカの紙面も日本の活躍を大きく取り上げていました。
8月10日、400m自由形決勝です。
1日休んで回復した大横田が出場するのですが、やはり本調子ではなくいつもの伸びがありません。
それでも残り50mのところまでは2位をキープして健闘していました。
しかし、それ以上伸びず、結局大横田は同じ日本チームの横山とほぼ同時にゴールして3位、銅メダル。
全種目制覇はなりませんでした。
夜のラジオ放送で、大横田はそれを再現し河西アナウンサーが実感を込めて伝えます。
大横田はマイクの前で泣きながら日本で応援してくれている人々に向けて謝罪をしました。
レースに出られない人もいるなか、自分は恵まれていた、それなのに、出場した自分が不甲斐ない結果に終わり申し訳ないと、号泣しています。
横で見ていた高石は、「もういい、それ以上喋るな」と大横田を抱き抱えました。
そこにハンカチとともに落ちた電報が一通。
それは前日緒方から届いた電報で、「マリーの占いでは、大横田は金、他はアメリカ」と書いてありました。
政治は電報を握り締め、目に涙を浮かべ、悔しさを滲ませた声で「占いババア!」と日本に向かって叫ぶのでした。
結果が届けられた朝日新聞社では、前もって政治が書いていた記事に菊枝が手を入れていました。
政治の書いた記事は「金」
菊枝は金の横に同を書き込み、「銅」と書き換え緒方に出しました。
そしていよいよ女子の登場です。
会場には政治からチケットをもらったナオミの姿もありました。
次回、第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」
いよいよ前畑秀子選手の登場です。
日本のメダルラッシュにオリンピックに大旋風が巻き起こります。
IOC会長のラトゥールは、日本水泳陣の大活躍に驚き、その秘密に強く興味を示します。
まだまだ続くロサンゼルスオリンピック。
次回、第31回は「トップ・オブ・ザ・ワールド」。日本チームの活躍に胸が躍りますね。