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いだてん~東京オリムピック噺~第33回「仁義なき戦い」のネタバレとあらすじと感想

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2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回第32回「独裁者」は、ロスオリンピックで大活躍した日本選手団が帰国し、日本中が大興奮で選手たちを迎え、また、日本が本格的にオリンピック招致に向けて邁進するお話でした。

1932年、日本選手団が帰国し、大歓迎会が行われました。

日本中の人々が選手たちの活躍を称え労うのですが、期待をしていただけに後一歩のところで金メダルに届かないことを、選手以上に悔しく歯がゆく思っていたのです。

女子200m平泳ぎで、後ひとかき、10分の1秒差で金メダルを逃した前畑秀子(上白石萌歌さん)は、女子水泳初の金メダルを狙える選手として、周囲の期待が高かったゆえに、「なぜ金メダルを取ってこなかったのか」「後ひとかきだったのに」と心無い言葉をぶつけられてしまいました。

水泳総監督の田畑政治(阿部サダヲさん)は、選手の代わりに激怒し、10分の1秒速くなるためにどれだけの努力が必要なのか猛抗議するのです。

その言葉を発した東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形さん)は、「すまなかった」と前畑に謝りながらも「期待していたから、応援していたから自分のことのように悔しいんだ」と言うのです。

その言葉を裏付けるように、前畑の宿舎には日本国中から「悔しい、4年後には絶対金メダル」と期待のこもった手紙がたくさん届けられていました。

現在18歳で、4年後には22歳になる前畑は愕然としました。

4年間、また血の滲むような激しい練習の日々を過ごし、努力したからといって報われるとは限らない勝負の世界に居続けなければならないのか、前畑は葛藤しました。

しかし、亡くなった両親が夢枕に立ち、「中途半端はいかん」と言った事で、「やらなければいけない」と4年後のオリンピックに向けて闘いの日々を続ける決意を固めたのでした。

東京オリンピック招致に向けて、新たな人材を投入し、本格的に活動が始まりました。

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政治は、オリンピック招致委員に任命され、嫌々でしたが1940年のオリンピックに向けて尽力することになりました。

オリンピックから帰国してもオリンピック熱が冷めやらない政治に、上司の緒方竹虎(リリー・フランキーさん)は、昼間は政治部の仕事をし、夜の時間にオリンピック回顧録を書いたらどうか、と提案します。

喜々として回顧録を書く政治のもとに、毎晩夜食を差し入れしてくれる酒井菊枝(麻生久美子さん)のことを、政治は気になり始めていました。

菊枝のことを思い始めたので、以前もらっていた見合い話は断ろうと思い、緒方にきっぱりと断った政治。

それを聞いた緒方の向かった先が酒井菊枝の元だったことから、初めてじっくり見合い写真を見ると、そこには酒井菊枝が写っていたのです。

政治は慌てて菊枝のもとに駆けつけ、「結婚しよう」とプロポーズ、2人の結婚が決まったのです。

政治の結婚式に余興として現れたのは「志ん馬」こと美濃部孝蔵(森山未來さん)でした。

孝蔵は、結婚式や祭りの余興に呼ばれたり、ベテランや売れっ子が嫌がるラジオの仕事をすることで、なんとか噺家として生計が立てられるようになっていました。

一方、熊本の金栗四三(中村勘九郎さん)のもとには、マラソンで九州を一周しようとする若者が訪れていました。

小松(仲野太賀さん)と名乗った青年の脚を確認し、金栗足袋をプレゼントした四三は、小松の伴走として九州一周を共に走る決意をしたのです。

オリンピックでの日本選手の活躍は、引退した四三の心に火を点けていました。

そんな中、大日本体育協会第2代目会長を務めた岸清一(岩松了さん)が肺炎のため、亡くなりました。

体協に加わった当初は、会長である嘉納治五郎(役所広司さん)のやり方に反発していた岸でしたが、箱根駅伝で学生の頑張りを見てから、岸は変わりました。

夢見がちな嘉納を現実的にフォローして、嘉納の夢の実現のために力を注いできたのです。

東京でオリンピックを開催するという夢に向かって、力を尽くしてきた岸は、その実現を見ることなく、この世を去りました。

これまで、オリンピック招致に違和感を抱いていた政治でしたが、岸の遺志を継ぎオリンピック招致に向けて邁進する決意を固めました。

1934年、アテネのIOC総会に参加した嘉納は、ローマの仕上がりの速さに驚き、絶望的ではないかと悲観的になっていました。

しかし政治の一言から、イタリアの指導者・ムッソリーニに直談判して譲ってもらおうと考えた嘉納は、政治に「思わず日本でオリンピックを開催したくなるような写真集を作れ」と命じます。

政治が心血注いで作った写真集の出来栄えは見事なものでした。

それを持って、意気揚々とムッソリーニのもとに向かおうとする嘉納は、突如病に倒れてしまいます。

前回、第32回「独裁者」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。

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それでは第33回「仁義なき戦い」のあらすじと感想です。

目次

ムッソリーニとの会談

「ローマには勝てない、ならどうする?」と政治に問いかけられた嘉納の答えは「譲ってもらおう」という大変な奇策でした。

IOCオスロ総会に向かう前に、イタリアの独裁者ムッソリーニに会い、開催権を譲ってもらおうという嘉納の案に、皆、度肝を抜かれるのですが、ムッソリーニに会うことは、駐イタリア大使の杉村陽太郎(加藤雅也さん)がどうにかすると言うのです。

政治が作った日本を紹介する写真集を持ち、意気揚々と立ち上がった嘉納は、その瞬間腰を痛め、担架で運ばれてしまいました。

1934年12月14日、仕方なく、IOC総会とムッソリーニへの直談判には、IOC委員になったばかりの副島道正(塚本晋也さん)と杉村陽太郎が赴くことになりました。

「日本を頼む」と病床の嘉納に託された政治も同行することになっています。

2か月もかかる同行のことをバー・ローズで緒方に報告すると、緒方は記者として同行するように、と政治に命じました。

1935年1月14日、ローマに到着した政治と副島は、駐イタリア大使の杉村と合流しました。

ムッソリーニとの面会を危惧する副島に、杉村は「ムッソリーニは陽気な独裁者」と言われていると教えます。

ムッソリーニは気分屋で機嫌さえよければ勝機はあると副島を励ましました。

しかし、なんだか副島の体調が悪い様子です。

寒気がする、というのを武者震いと言い、体調の悪さを隠そうとしていました。

首相官邸にて、側近から呼ばれ、いざムッソリーニと面会、と立ち上がり、開いた扉の前に立ちムッソリーニの姿を確認すると、そのまま副島は倒れてしまいました。

長旅の疲れからくる肺炎でした。

医者の診断では回復に1か月の安静が必要との見立てです。

言葉がよくわからない政治は、one month という言葉だけ聞き取れ、余命が1か月しかないのかと慌てます。

倒れた副島に変わって、杉村はムッソリーニと面会をしていました。

副島は我慢強く、ムッソリーニとの面会の約束を守るために、病を隠し無理をしてここまでやってきたのだと、必死に説明します。

その説明を聞いていたムッソリーニは「SAMURAI」と叫んで、その場を立ち去りました。

副島が倒れたという政治の電報を受け取った嘉納は、腰痛で入院中にも関わらず、自分が行くと言い始めます。

しかし、無理をしたためベッドから落ちてしまいました。

嘉納を止める医師たちに、嘉納は「腰痛ごときでオリンピックを逃したら一生呪うぞ、貴様ら」と叫ぶのですが、スポーツ医学の権威である東龍太郎(松重豊さん)に、嘉納の病名は腰痛ではなく脊椎損傷だと告げられてしまいました。

2週間後、生死の境を彷徨っていた副島も回復し、30分だけならムッソリーニに会う時間が取れるほどに回復していました。

まだ、本調子ではない副島でしたが、「SAMURAI中に入れ」と促され、ムッソリーニと対面します。

副島は、1940年は、紀元2600にあたり、日本が国を挙げてオリンピックの開催を望んでいることを主張します。

オリンピックは世界の祭典といいながら、開催地はいつもヨーロッパばかり。

オリンピックを日本に招致するまで、日本には帰らない覚悟を固めている、と決意を表明。

もし、ローマが東京に譲ってくれるのなら、4年後の1944年には、ローマが開催地になるように全力でサポートすると副島は熱く語りました。

長くかかると思われたその会談は15分と短時間で終わりました。

最初の面会日、そのまま副島と会っていたらこの話は断ったかもしれないが、サムライ魂を見せてもらった、というムッソリーニは副島の心意気に心を動かされ、立候補を辞退、日本に譲ることを確約してくれました。

日本にいる嘉納は、その話を政治の新聞で知り、喜びました。

オリンピック招致、日本開催に向けて、ミスターマラソンである金栗四三を東京に呼び戻そうと考えます。

カフェ・ニュー・ミカワ

その頃の四三は、熊本で小松勝の指導に当たっていました。

小松と四三は見事九州一周マラソンを成し遂げていました。

走る途中、見慣れぬカフェを発見した四三は、カフェの名前を見て驚きます。

そこには、「ニューミカワ」と書かれてあったのです。

案の定、そのマスターは美川秀信(勝地涼さん)。

四三の同郷で東京高師の同級生でした。

東京高師を卒業後、浅草でブロマイドを売っていた美川は関東大震災に合いその後各地を転々として熊本に帰ってきたのです。

ほぼ日本を一周した美川に感動している小松の夢はオリンピックに出ること。

東京でメダルを取りたい、と熱く語る小松に、自分の夢も訊けと激怒する美川。

しかし、美川の夢は解説の美濃部孝蔵(森山未來さん)によって音を消されてしまいました。

IOCオスロ総会

ムッソリーニとの直談判に成功した副島でしたが、無理が祟ったのか病が悪化し、入院を余儀なくされてしまいました。

仕方なくIOCオスロ総会には杉村が単身乗り込むことになりました。

政治は行く気マンマンだったのですが、杉村から副島の看病をしろと言われ、ローマにお留守番です。

1935年2月、ノルウェーのオスロで開かれるIOC総会に臨んだ杉村は、ローマが辞退した今、東京にほぼ決まると確信していても、たった1人で乗り込んだことに一抹の不安を感じていました。

程なくしてIOC会長のラトゥールが席につきました。

日本の資料として、政治が作った写真集を眺めながら、ラトゥールが言った言葉に杉村は愕然としました。

最終候補地として残っているのは、ローマ・ヘルシンキ・東京の3都市だというのです。

ローマは辞退したのでは、と疑念を抱いていると、イタリアのIOC委員・ボナコッサ伯爵は何事もなかったようにローマをアピールするスピーチを始めたのです。

次に呼ばれたのは、東京。

初めは嘉納が用意したスピーチを代読するつもりでしたが、杉村は途中で読むことをやめ、イタリアの首相・ムッソリーニと、「イタリアは辞退し日本に譲る」と約束している、と主張したのです。

ボナコッサは、「その話は聞いているが、スポーツと政治は別物だ」といい、政府の方針に従う気は全くないようでした。

投票日は3月1日。

杉村はローマから政治を呼び寄せることにしました。

杉村からの連絡を受けた副島は、すぐにムッソリーニに会いもう一度念押しすると立ち上がろうとするのですが、病に弱った体で動くことができません。

政治は、副島の代わりにムッソリーニと面会するために官邸を訪れるのですが、面会はできず、そのままオスロに向かいました。

イタリア公使・ロドロを見方につけた杉村は、ロドロとともに、ボナコッサを必死で説得します。

杉村は、ムッソリーニは東京に譲れと言っている、と主張するのですが、ボナコッサは開催地の決定はIOC委員の投票のみ、首相であってもその資格はない、と言い返します。

しかし、ムッソリーニの圧力に屈服せざるを得なかったボナコッサは、総会にて「スポーツマンシップに則ってオリンピックは支えられてきたが、もはやそうではないようだ」と発言。

「不本意ながらローマは辞退し、イタリアの投票を日本に譲る」と発言したのです。

その言葉に会場中がザワつき、IOC委員長のラトゥールは政治的圧迫に負けた意見を認めることはできないとして、投票を1年後に延期する決定を下しました。

猛抗議する杉村ですが、ラトゥールは取り合わず、なぜカノーは来ない、彼ならこんなことにはならなかった」と言います。

ようやく到着した政治は、日本が置かれている状況もわからず、杉村はどこですか、と聞きまわります。

杉村の憔悴仕切った顔を見た政治は、杉村から事情を聞きました。

杉村は、「日本への1票は嘉納治五郎への1票だったんだ」と改めて嘉納の偉大さを知りました。

嘉納の英語は酷いもの、自分は英語もイタリア語も堪能だが自分では到底人望がなく、太刀打ちできない、嘉納治五郎にはなれない、と落ち込んでしまいました。

政治は、嘉納にならなくてもいいのではないか、と杉村を励ましました。

嘉納の凄さをロスオリンピックでファンの集いとして見ていた政治は、嘉納の偉大さを目の当たりにしていました。

嘉納がかっているから政治は嘉納のようになれ、と杉村は政治に言うのでした。

新聞の記事で、投票が1年後に伸びたことを知った嘉納は、自由が利かない体で起き上がり、横のチェストから何かを取り出しました。

熊本の四三は

熊本の四三が、美川が熊本でカフェを開いていると妻・スヤ(綾瀬はるかさん)に教えると、スヤは美川を毛嫌いしており、あれは「ゴキブリ、貧乏神」と散々な言いようです。

熊本での四三の暮らしは、名門池部家の中ではスヤの方が強く、四三は何もすることがありません。

四三は腐り、美川のカフェで愚痴をこぼしました。

そして嘉納に呼び戻されたため、何もすることがない熊本から離れ、家を出て東京に向かう決意を固めました。

嘉納の奇策

杉村・副島・政治が東京に戻り、東京市長となった牛塚(きたろうさん)に事の顛末を説明しました。

IOC会長のラトゥールを怒らせてしまったのでは、病を押して嘉納に行ってもらうしかない、と牛塚はいいます。

そこに嘉納が現れました。

嘉納はラトゥールを怒らせてしまったのなら、東京に呼んで接待しよう、と言い始めたのです。

政治らは難色を示しますが、嘉納はもう手紙を出しちゃった、というのです。

嘉納の手紙を読んだラトゥールは、気持ちを和らげ日本に来ることになりました。

バー・ローズで河野(桐谷健太さん)と飲んでいた政治はその顛末を河野に話すのですが、河野はこれには政治的な一面があると政治に言います。

ドイツのヒトラーと日本の軍部が懇意にしているため、ヒトラーがラトゥールに圧力をかけ東京支持を要求し、日本に恩を売っておこうというのです。

ローマが辞退したのも同じことだというのです。

同じ軍国主義の国として、日本に貸しを作るは得策だというムッソリーニの考えだと言います。

政治は、オリンピックはただの運動会、国を挙げての威信をかけての一大事業ではない、いつからこんなことになってしまったのだ、といいます。

マリー(薬師丸ひろ子さん)は、政治がロスオリンピックでメダルをたくさんとってしまったから日本人も欧米人に勝てると思って、国を挙げての一大行事になってしまったのだといいます。

ラトゥールの訪日に向けて第12回国際オリンピック大会招致委員会が結成され記者会見が行われました。

政府も資金を提供することになり、それを報告すると、政治情勢が不安定な中、オリンピックを招致する必要があるのか、それが日本のタメになるのか、と記者から質問が飛びます。

政治は、高橋是清(萩原健一さん)から、同じ質問を受けたことを思い出し、「日本のためにはなりません、若い者のためにやるんです」と答えるのでした。

その頃熊本では、深夜、家族が寝静まった頃、四三はスヤに置き手紙を残し、弟子の小松とともに東京に行こうとしていました。

次回、第34回「226」

1936年2月。

陸軍青年将校らによるクーデター、二・二六事件が発生しました。

政治のいる朝日新聞社も襲撃を受け、政治も怪我を負ってしまいます。

東京に行こうとしていた四三は、義母・池部幾江に激しい叱責を受け、涙を流していました。

政治情勢悪化に伴い、オリンピック招致の影響が気になるところですが、熊本の四三の涙のワケも気になるところ。

戦争の暗い影が気になりますね。招致は成功するのでしょうか。

次回、第34回は「226」、楽しみです。

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