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いだてん~東京オリムピック噺~第39回「懐かしの満州」のネタバレとあらすじと感想

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2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回、第38回「長いお別れ」は、志半ばで亡くなった嘉納治五郎(役所広司さん)の遺志を継いで、東京オリンピック開催に向けて主人公・田畑政治(阿部サダヲさん)が力を尽くし、しかしその奮闘も虚しく、戦火が広がりオリンピック開催権を返上することになったお話でした。

1938年、カイロのIOC総会からの帰路で、日本スポーツ界の大黒柱・嘉納治五郎が亡くなりました。

残された田畑政治をはじめとする大日本体育協会の人々は、嘉納が頭を下げて承認を取ってきたオリンピック開催に向けて、準備を進めようと力を尽くします。

しかし、オリンピック組織委員会として招集された政府や軍部の意見がまとまらず、東京オリンピックはスポーツ精神に則った平和の祭典というよりも、日本の国力を世界に見せつけるための大会になろうとしていました。

日本が戦火を広げようとしているため、世界各国から日本での開催を疑問視されるようになり、ボイコットを表明する国々も現れました。

IOC委員長・ラトゥールはその状況を危惧していました。

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副島は嘉納にも進言していたようにオリンピック開催権返上を強く主張し、総理大臣に連絡を取ろうとするのですが、これに政治は断固反対。

報告できることが何もなく、矢面に立たされることが目に見えていたカイロ総会に、手ぶらで乗り込んだ嘉納は、見事日本開催の承認を取り付けて、帰国するはずだったのです。

副島が何度も倒れてまでこぎつけた東京オリンピック開催をそんなに簡単に手放して良いのかと政治は副島を止めるのです。

総理大臣に連絡するのなら、オリンピックではなく戦争をやめろとお願いするべきだと政治は主張しました。

政治は、嘉納治五郎が夢見た東京オリンピックの夢を断固として叶えようとしていたのです。

しかし、今の政府では軍部を抑えることはできず、オリンピック開催権返上が決定されました。

政治はこの決定を金栗四三(中村勘九郎さん)に伝えました。

弟子の小松勝(仲野太賀さん)にどう伝えれば良いのか、という四三の言葉を聞いた政治は「オリンピックは中止!」と叫んで小松の足を止めさせました。

しかし小松は、東京ではなくヘルシンキでオリンピックは行われると聞き、そちらに参加するから問題ない、と練習を再開しました。

1939年、ナチスドイツがポーランド侵攻を行い、ポーランドの同盟国であるイギリスとフランスがドイツに宣戦布告。

第二次世界大戦が始まってしまいました。

オリンピックどころか、普通のスポーツですらできなくなってきた状況を見た四三は、小松に故郷の熊本に帰るか、と提案するのですが、増野りく(杉咲花さん)に想いを寄せている小松は帰郷に難色を示します。

皆の前で、四三の妻スヤ(綾瀬はるかさん)に自分の恋心を暴露されてしまった小松は練習に行くと逃げ出し、スヤに促されたりくは小松の後を追いかけました。

小松はりくにプロポーズし、2人の結婚が決まりました。

震災で妻を亡くした増野(柄本佑さん)は愛娘りくを溺愛しており、手放す事に抵抗しましたが小松にりくを託しました。

翌年生まれた長男・金治は、現在古今亭志ん生(ビートたけしさん)の下で落語修行に励む五りん(神木隆之介さん)のことでした。

小松とりくが結婚した頃、美濃部孝蔵(森山未來さん)は古今亭志ん生を襲名していました。

1941年、東條内閣が発足。

普通の生活の中にも軍の検閲が入るようになっていました。

孝蔵が出演する寄席でも演じていい演目と禁止の演目とが決められてしまいました。

政治が勤める新聞社でも軍に都合のいい情報しか記事にすることはできず、国民に正確な戦況が伝えられることはなくなっていました。

戦火は広がる一方で、兵が足りなくなった日本は、20歳以上文化系の学生を徴兵の対象とする学徒出陣を決定しました。

小松も徴兵の対象となり、学徒出陣として出兵することになりました。

りくの父・増野は小松がりくと金治を残して戦争に赴くと聞き、怒りを顕にしながら播磨屋にやってきました。

「約束を破ったね」と小松の胸ぐらを掴みながら言う増野を皆で止めます。

子供たちに諫められた増野は冷静になり、お国のために立派に戦って来い、と小松を激励しました。

小松は体の弱い金治を案じ、3つになったら冷水浴をさせて欲しいと四三に頼みます。

りくも四三も涙を流し、増野は歯を食いしばりながら「小松勝君、万歳!」と叫んだのでした。

嘉納がオリンピックを夢見た明治神宮外苑競技場で、出陣学徒壮行会が行われました。

行進する出陣学徒3万人、スタンドで見守る人々5万人。

こんなに入るのならば、神宮外苑競技場でオリンピックができたと悔しがります。

オリンピック反対を唱え、厳しい表情を崩さない河野一郎(桐谷健太さん)の姿を見つけた政治は河野を追いかけ、この事態に満足かと問いただしました。

そして、「俺は諦めん、オリンピックをやる、ここで、この場所で!」とオリンピック招致への決意を河野に宣言したのでした。

前回、第38回「長いお別れ」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ、

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それでは、第39回「懐かしの満州」のあらすじと感想です。

目次

満州への慰問。小松の過去

倒れた志ん生の見舞いに来た知恵(川栄梨奈さん)は、意識がない志ん生の鼻毛を抜いてやろうと思いっきり鼻毛を引っこ抜きました。

あまりの痛さに、少し腕がぴくっと動いてしまいましたが、なんとか耐えきった志ん生。

しかし、その時、五りんが志ん生に頼まれたお酒を持って現れました。

五りん以外には意識が戻っていたことを内緒にしていた志ん生は飛び起きて、「遅いよ、鍵を閉めろ、カーテンを閉めろ」と五りんに指示を出します。

知恵に志ん生の意識が戻ったことがバレ、気まずい中、志ん生は五りんにお酒を出せと迫ります。

そうして五りんが差し出したお酒はウオッカ。

大変度数が高く、2、3杯飲んだだけで倒れてしまうようなお酒です。

志ん生は、満州でこの酒でひどい目にあった、と漸く五りんが求めていた当時の満州での出来事を話し始めました。

1945年3月、席亭から日本軍の慰問のために満州に行って欲しいと頼まれた志ん生と圓生(中村七之助さん)。

初めは嫌がっていた志ん生(美濃部孝蔵)ですが、圓生が快諾したこと、お酒が解禁だった事に惹かれ、志ん生も満州に行くことになりました。

満州行きのことを妻・りん(夏帆さん)に伝えようとするのですが、同時に長男・清が少年飛行兵に志願したいと言い始めました。

先日、志ん生の弟子となったばかりの清が出兵することに志ん生は反対します。

言い募る清を「師匠の命令」として黙らせました。

そして、「お父ちゃんの話はなんだ」と言われたため、慰問のため1か月ほど満州に行って欲しいと席亭から言われたことを話しました。

りんは日本が大変な時に家族を置いて志ん生が日本を離れることに反対するのですが、子供たちは志ん生が日本に居ても役に立たない、お父ちゃんは意気地なし、とぼろくそに言い募ります。

満州に行って酒でも飲んでいればいいとあっさりしたものでした。

役に立たない、と言われた志ん生は言い返そうとするのですが、その瞬間空襲警報が鳴り響き、子供たちの指摘通り、志ん生は子供たちをおいて真っ先に逃げ出してしまいます。

防空壕から戻った志ん生は、空襲により自分の家が燃え上がっていたことに驚き、声もなく立ち尽くしてしまいました。

そんな志ん生に子供たちは、「お父ちゃんは満州に行ってきたらいい」「家は自分たちが何とかする」「自分たちは貧乏でも大丈夫」と声をかけ、志ん生を満州へと送り出しました。

5月、圓生と志ん生は満州・大連に到着しました。

到着したその地は、穏やかで空襲もなく、戦時中というのが信じられないくらい皆のんきに暮らしていました。

はじめの頃は、軍隊の慰問、日本人相手の興業。

どこに行っても大ウケで、志ん生は、好きな酒がたらふく飲めて、何の話をやっても大受けするこの状況を極楽かと思っていました。

1か月の滞在予定が2か月に伸びた頃、志ん生のもとに1人の日本兵が訪ねてきました。

満州・大連にて

その日本兵はまだ若く、学徒出陣で出兵し、満州の警備をしていたのですが、このほど部隊ごと沖縄に配置替えになると言いました。

若い日本兵は、圓生の女性の描写の素晴らしさを褒め、志ん生に対してはマラソン描写がデタラメばかりだと言い募ります。

走る姿勢、呼吸法、顔の角度、腕の振り方、全てがおかしいと指摘し、詳しいことは『ランニング』という本を読め、と本を差し出しました。

すると、それを言いに来たのか、と志ん生は怒り、日本兵に本を投げつけ追い掛け回した挙句追い出しました。

その追い出された日本兵は小松勝、金栗四三の弟子で現在志ん生の弟子として落語を学んでいる五りんの父でした。

若い日本兵を追い出した志ん生に、圓生は沖縄は直に陥落する、と不穏な話を聞かせます。

志ん生は、先ほど追い出した日本兵が沖縄へ行く、とっていたことを思い出し、痛ましい気持ちになっていました。

志ん生と小松勝

7月、圓生と志ん生は奉天に移りました。

そこで日本から来た1人の青年と知り合い色々と便宜を図ってもらっていました。

その青年は、歌もうまく話も上手な芸達者。後に日本を代表する俳優となる森繁久彌だったのです。

日本を離れて既に3か月、日本に帰りたいと志ん生たちは思っているのですが、石油が足りなくて日本への船が出ないのです。

森繁から沖縄の日本軍が米軍によって全滅した、南からは米軍が、北からはソ連軍が攻めて来ると聞かされ、不穏な気配が近づいてくることに眉をひそめました。

満州が最前線になると聞かされたのですが、まだ神風日本が負けるはずはないと、志ん生たちは考えていました。

日本への帰国を急ごうとするのですが、船が出なくてはどうにも出来ません。

そんな時、広島と長崎に原爆が投下されたと聞かされました。

奉天の街を歩いていると、街の中が騒然としています。

ソビエト軍が攻めて来るという噂が流れ、人々はこの地から逃げようとしていたのです。

呆然と街を歩いていた時、志ん生はひったくりにあってしまいました。

怒った志ん生はひったくり犯を追い掛け追い詰め、犯人に詰め寄ろうとすると、犯人はいい笑顔で振り返って「この前より走りがだいぶましになりましたね」と言うのです。

志ん生がよくよく顔を見てみると、その人は沖縄に旅立ったはずの小松勝だったのです。

沖縄に行ったのでは、と訝しがる圓生と志ん生に小松は「それが…」、とその時のことを話し始めました。

小松が沖縄に旅立つ前夜、小松が所属する隊の隊長が日本はもうだめだ、と言い始めました。

死にたい奴は沖縄へいけ、内地に妻子を残している者は今すぐ逃げろ、今なら見逃してやる、と言い、逃げろ、逃げ続けるんだ、そうすればいずれ戦争は終わる、と隊長自ら軍服を脱ぎ捨てると、俺は死にたくない、と隊を飛び出してしまいました。

小松は隊長の言うとおりそこから逃げ出し、逃亡兵となったのです。

圓生と志ん生は、大連へ向かい二人会をやる予定になっています。

小松は一緒に行きたいと志ん生に頼み、志ん生もいいのではないかと言うのですが、圓生は敵味方両方に追われる身となった逃亡兵とは一緒に行けない、と小松の同行を拒否します。

仕方なく志ん生は小松と別れ、横道から出ようとした瞬間、銃声が鳴り響き、日本人が射殺されてしまいました。

小松は圓生と志ん生の前に出て2人を背中に庇います。

日本人を射殺した中国人は、横道にいた小松たち日本人3人に目をやり銃口を向けたのです。

小松は犯人と目を合わせ、背中の2人を庇い続けています。

血走った目をした犯人は、鉄砲の引き金を引こうとするのですが、小松の顔を見て、かつて自分が日本兵に邪険に扱われ、持っていた絵葉書を叩き落とされた時に拾ってくれた日本兵だったことに気づいたのです。

「次は必ず殺す」と言い残して犯人はその場を立ち去りました。

志ん生はこの時のことを五りんに「あの時はお前の親父さんのおかげで助かった」と語りました。

8月15日、大連にいた志ん生たちは、そこで終戦のラジオ放送を聞きました。

まさか日本が負けると思わなかった志ん生たちは呆然とし、日本軍の敗北を聞いた中国人は、手のひらを返したように、これまで日本人が行っていた店を襲撃しました。

二人会をやるはずだった寄席もめちゃくちゃにされてしまい、これから仕返しが始まる、これで予定通り開催できるのかと志ん生は途方にくれました。

ぐちゃぐちゃにされた寄席で志ん生、圓生、小松の3人は酒を飲んで憂さを晴らしていました。

圓生が調達してきたのはウォッカ。2、3杯で立てなくなるほど強いお酒です。

小松は「日本に帰りたか、りくに会いたか、金治と遊びたか、金栗先生と走りたか!」と叫び始めます。

そして、四三とともに熊本から上京してきたこと、オリンピックを目指してずっと練習を続けてきたことなどを志ん生たちに話し始めました。

日本が敗戦国となったことで、もう二度と、永久にオリンピックには出られない、と小松はウオッカを呷り、涙を流して悔しがりました。

圓生には6人の子供、志ん生には4人の子供がいます。

志ん生の長男・清は志ん生の跡を継いで噺家になりました。

それを嬉しく思いつつも照れくさくて清には上手く伝えられません。

しかし、今後の楽しみは清の高座を聞くのが何よりの楽しみ、と志ん生は本音を漏らしたのです。

志ん生の話を聞いていた小松は、自分の息子がオリンピックに出たら嬉しいだろうと未来を夢見ています。

圓生はそんな小松に、「その前にあんたがオリンピックに出ないと」と励ましたのです。

小松は照れくさそうに笑うと、自転車唱歌を歌い始め、直ぐに眠ってしまいました。

大連にて・二人会、小松の最後

翌日、心配していた二人会には100人ほどの人が集まりました。

しかし、どの顔を見ても暗い表情を浮かべています。

進軍してきたソビエト兵に若い女性は連れて行かれ、壮年の女性たちは捕虜となりアメリカに送られる事が決まっています。

満州に残った人々は、皆死を覚悟しており、死ぬ前に思い切り笑いたいと寄席に足を向けたのでした。

そんな人々を前にしてどんな話をすればいいのか志ん生は迷います。

圓生は、これしかないでしょ、と『居残り佐平次』を演じ、観客を沸かせています。

あまりの受けように、志ん生は自分はどうする、と頭を抱えてしまいました。

すると小松から『富久』をやって欲しいと言われます。

志ん生は、久蔵が走るさまをダメ出しされたため、富久はやりたくない、というのですが、浅草から日本橋までは4、5Kmくらいの短さだからあんなに大騒ぎして走るのがおかしい、といいます。

ならば芝まで久蔵を走らせればいい、と小松は言うのです。

浅草から芝まで走るやつなんかいない、という志ん生に、小松は「います、ここに」と不敵に笑うのでした。

志ん生は高座に上がり、小松のアドバイス通り浅草から日本橋までではなく、浅草から芝まで久蔵を走らせることにしました。

久蔵が走る描写では、小松に指摘されたように、姿勢を正し、顎を引き、腕の振り方に気を付けて、小松が言った通りの呼吸法で見事に演じています。

志ん生の噺を聞きながら小松は涙を流し、そして小松も夜の街を走り始めました。

久しぶりに走ることに喜びを感じ、小松は夜の街を思い切り走り「ああ、気持ちよか」と叫ぶのです。

そして絵葉書に「志ん生の富久は絶品」と書いて投函しようとしました。

しかし、その瞬間ソビエト兵に見つかってしまいました。

慌てて踵を返し逃げ出す小松。

それを追うソビエト兵。

小松の背中に向けて銃口が向けられてしまいました。

小松は必死に走り逃げるのですが、背後から迫る銃口からは逃げ切れず、背中に何発もの銃弾を受けそのまま倒れ伏してしまいました。

高座が終わり、倒れている小松を見つけた志ん生は小松の名を聞いていなかったことを思い出し、久蔵、と呼びかけながら、起きろ、俺の富久、最後まで聞け、と抱き起こして涙を流します。

小松を連れて行こうとするのですが、ソビエト兵が近くにいることに気づいた圓生に止められ、小松をそのままに、圓生に引きずられるようにしてその場から逃げました。

東京のりくのもとに小松の遺品が届けられました。

りくと金治の写真、「志ん生の富級は絶品」と書かれた絵葉書、四三が書いた「ランニング」という本、そして走りすぎてボロボロになった金栗足袋。

足袋を四三に渡したりくは金治を抱きしめて泣き崩れました。

増野はそんなりくと金治を痛ましげに見つめ、そして四三はボロボロになった金栗足袋を握り締め、涙を流しながら呼吸を整え、足袋を握り締めたまま走り始めたのでした。

敗戦の後

沖縄で米兵が、かつて日本軍も敗戦国の民にやっていたことと分かっていながら、日本が敗戦国となり若い女性がソ連軍に連れ去られ、抵抗する者には容赦なく銃口が向けられる状況に志ん生は耐え切れず、もう死んでしまおうと、残っていたウオッカを一息に飲んでしまいました。

倒れていた志ん生を見つけた圓生は、バケツの水を志ん生にぶちまけ、「死んじゃダメだよ兄さん、倅の高座を見るんじゃねえのか!」と怒鳴りつけました。

東京では志ん生の長男・清が高座に上がっていました。

観客から「父ちゃんはまだ帰ってこないのか、父ちゃんの分までしっかりやれ」と志ん生を案じる声をかけられていました。

りんは万朝(柄本時生さん)からもう志ん生のことは諦めたほうがいい、と言われていました。

1か月、という予定で満州に旅立ったはずなのに、気づけばもう半年、かなり長く満州から帰ってきていません。

席亭からも志ん生と圓生の看板を下ろす、と言われりんは呆然としてしまいました。

志ん生の名を清に引き継ぐことができる、と言われたりんは「『志ん生』はもうたくさん」と叫びました。

元々志ん生の名を受け継いだ人間は短命、と言われ、りんが襲名を反対していた名です。

息子に引き継がせることなどできません。

絶望に打ちひしがれるりんに、よく当たる占い店がある、と席亭は教えました。

藁にもすがる思いでマリー(薬師丸ひろ子さん)の店を訪れたりんは、志ん生の無事を占ってもらいました。

するとマリーは、残念だけど諦めたほうがいい、と言い、最後まで志ん生は一途にりんを思っていたようだ、と占いの結果を言うのです。

その時、田畑政治がマリーの店に現れ、項垂れているりんに、「この人の占い、当たらないよ」と軽く言いました。

1946年1月、志ん生はまだ満州にいました。

志ん生たちは食べることに困り果て、料理もできなければ納豆を混ぜることしかできない自分を悲観し、すっかり後ろ向きになっていました。

その時、圓生から日本への船が出ると聞かされるのですが、自分が乗ったら船が沈没してしまうと、志ん生は後ろ向きです。

圓生は、家族持ちは早く日本に帰れるという噂を聞きつけ、現地に在住している小唄の師匠と偽装結婚するというのです。

志ん生にも相手を見繕っているといい、年増だが小金は持っている、と妙齢の女性を紹介したのです。

そして結婚式当日、志ん生の相手の女性はとんでもないうわばみで、三々九度の盃を飲み干しても全く足りず、そのうち酒が足りない、とクダを巻き志ん生に絡み始めました。

とんでもない女性だと、志ん生はその場から逃げ出し、その後は今日死ぬか、明日死ぬか、と怯えながら、生きるためになんでもやったと志ん生はいいます。

そして1947年1月、とうとう日本への船が出ることになりました。

満州の地を踏んでからはや2年が経とうとしていました。

波止場には圓生が見送りに来ていました。

タラップの前には満州土産を売る怪しげな扮装をした美川(勝地涼さん)がいました。

美川は志ん生を見つけると懐かしげに話しかけ、かつて志ん生の初高座を小梅と一緒に見たと言い始めます。

その場には車夫の清さんも一緒だったというと、志ん生は懐かしげに小梅、清公、と名を呼んでいました。

美川がウオッカを売りつけようとすると、ウオッカのせいで死にかけた志ん生は美川を怒鳴りつけ、日本へ帰る船に乗ったのでした。

偽装結婚を続けていた圓生は満州に残っていましたが、どうやって女性と別れたのか、2か月後に日本に戻ってきました。

そして現代、意識不明と言われている志ん生の見舞いに圓生が現れました。

妻のおりん(池波志乃さん)や長女・美津子(小泉今日子さん)に案内されてきたため、志ん生は意識不明のフリをして横たわったのですが、懐にウオッカの瓶がはみ出しているのに気づいた圓生は志ん生が意識不明のふりをしていると見破りました。

志ん生の耳にそっと「義太夫女のことをバラしましょうか」と語りかけると、志ん生は慌てて飛び起きました。

懐かしい日本の地へ降り立ち、家族の元に帰ってきた志ん生に、りんは喜びのあまり駆け寄って抱きつき、娘たちも苦労したであろう父の姿にすがりついたのでした。

もう諦めかけていた志ん生が満州から戻ったことに家族らは喜びますが、志ん生は、自宅が元のように貧乏になっていたことに驚きました。

しかし、俺たちだけの貧乏じゃない、今は日本中がとびきりの貧乏だと叫び、「皆で揃って上向いて這い上がっていきゃいいんだからわけねえや」とこれから一からやり直す決意を固めたのでした。

そして1947年2月、帰ってきてからの初の高座です。

志ん生が選んだ演目は『富久』でした。

次回、第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

とうとう田畑政治編の後半に入ります。

一度は幻に終わった東京オリンピックですが、田畑政治は招致活動を諦めていませんでした。

1959年、東京オリンピック招致活動は大詰めを迎え、大事な最終スピーチを嘉納治五郎を看取った平沢和重(星野源さん)にお願いしようと政治は頼み込みます。

平沢は難色を示すのですが、これまでの紆余曲折、オリンピックを東京に迎えるために自分が行ってきたオリンピック噺を平沢に語り始めたのです。

いよいよ最終章のスタートです。

どうやってオリンピックは東京に決まるのでしょうか。

止まらない嘉納のストップウォッチを持ち続ける政治の執念はどうやって実を結ぶのでしょう。

次回、第40回は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」です。

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政治の思いもかけない奇策やその奮闘の様子が楽しみです。

暗い時代を耐え、乗り越えた政治の活躍に期待しています。




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