「軍師官兵衛」は、2014年1月5日から12月21日まで放送された大河ドラマです。
2018年4月から、NHK BSプレミアム日曜昼12時からの大河ドラマアンコール枠で再放送しています。
2018年11月4日に放送されたのは、第32回「さらば、父よ!」です。
前回、賤ケ岳の戦いで柴田勝家(近藤芳正さん)に勝った羽柴秀吉(竹中直人さん)は、天下人への道を突き進む事になりました。
全て黒田官兵衛(岡田准一さん)の言う通りに進んできた事に恐れを抱き始めた秀吉。官兵衛を遠ざけるようになっていきます。
二人三脚で進んできた二人の関係はどうなるのか?
前回の第31回「天下人への道」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第32回「さらば、父よ!」のあらすじと感想です。
小牧長久手の戦い
秀吉の天下に待ったをかける男が現れました。信長の二男信雄(小堺翔太さん)に助力を頼まれた、徳川家康(寺尾聰さん)です。家康は、官兵衛と蜂須賀小六(ピエール瀧さん)が毛利との領地分割折衝で留守の、羽柴軍を挑発する動きに出始めました。
天正12年3月。徳川家康と織田信雄の連合軍は秀吉と激突。小牧長久手の戦いです。秀吉は、池田恒興(大橋吾郎さん)、森長可らに任せて挑発に乗り、大敗。池田恒興をはじめ、多くが討ち死にしました。
秀吉はその後、信雄に迫って和議を結び、結果引き分けとなりました。官兵衛は徳川と戦をしてはならなかったと思っていました。
長政の失敗
毛利との折衝が終わった官兵衛には、播磨宍粟郡山崎に新たな領地が与えられました。4万石の大名です。毛利との話し合いで、伯耆の半分、備中の川辺川より西は毛利。岩屋城は羽柴に渡りましたが、そこに住む地侍を説得するのは大変でした。
官兵衛と小六が、羽柴がもらい受けたと説明に行っても、地侍たちは「我らを滅ぼしてから奪うがよい!」と先祖からの土地を立ち退きたくないと抵抗されました。
官兵衛は大坂に行ってすぐに四国攻めの準備をしないといけなかった為、長政(松坂桃李さん)に任せる事にしました。
同じ播磨と言っても馴染みない土地。領民の声によく耳を傾けるようにと言い残していきました。
西播磨守護代宇野家が治めていたこの土地は、黒田家に滅ぼされ、領民の中には黒田を恨んでいる者も多くいました。年貢も素直に納めず、兵も集まっていませんでした。
早速、領民の声を聞こうと村長に頼んで領民を集めてもらい、話を聞いた長政。領民は「黒田様がこの地に入って以来、道や堤を造ったり、駆り出される事が多く、皆嘆いております。いつまで続くのか、辛くてたまらんのでございます。今日明日の事で精一杯で、何年も先の事まで分かりませぬ。以前の方がよかった。」と文句を言います。
さらに、「黒田の殿様は軍師様じゃ。戦の事は分かっても百姓の事は何も分かっとらん。」官兵衛の事も悪く言いました。
腹を立てた長政は、刀に手をかけます。善助(濱田岳さん)、太兵衛(速水もこみちさん)らがその場を収めて何とか終わらせたものの、「黒田家では、何か不始末をすれば、即座に手討ちにされてしまう。」との噂を広められ、信頼を失ってしまいました。
官兵衛不在の為、長政のことを相談しに、善助、太兵衛、長政の側についている又兵衛(塚本高史さん)は、職隆(柴田恭兵さん)のところに集まってきました。
家臣らに頼られた職隆は、長政に領主としての心得を教えてやることになりました。
職隆は長政に、かつて薬売りをしていた父、重隆(竜雷太さん)に褒めてもらおうと薬草をたくさん摘んで帰ったのに、叱られた話をし、長政に理由は何だと思う?と尋ねました。
「分からない。」と答える長政。
「まだ育ち切らぬ小さな芽まで取り尽くしてしまったのじゃ。これでは次の年もはや、何も生えてこぬ。時が来るまで育つのを待つ。そして摘み取る頃合いを見極める。それが肝心じゃとわしは父から教わった。」と教えました。
父親から直接言われるよりも、おじいさんからの方が素直に聞けたりすることがありますよね。黒田家は層が厚い。人を育てるのが上手いですよね。
変わっていく秀吉
市(内田恭子さん)の長女、茶々(二階堂ふみさん)を振り向かせようと、秀吉は石田三成(田中圭さん)を通じて打掛をプレゼントしまくっていました。茶々は、両親の仇である秀吉の側室になる事を受け入れずにいましたが、「側女ではございませぬ。もう一人の御正室としてお迎えすると、上様は仰せにございます。」と因縁を捨てて新たな道を進むよう、三成に説得されていました。しかし、簡単には振り向く様子のない茶々でした。
大坂に着いた官兵衛は、千宗易(伊武雅刀さん)の茶室で秀吉と会いました。そこで秀吉から「関白になる事に決めた。」と打ち明けられます。「祝着至極に存じます。」と言う官兵衛。
三成は「本来関白は、最も家柄高き五摂家の者しかなれぬ官職。それゆえ上様には名目上、近衛前久様のお子になって頂きます。」と説明しました。
秀吉は「百姓上がりが位人臣を極めるんじゃ。これほど痛快な事はない。」と高笑いするのでした。「今後は天下の号令に重みが加わりましょう。帝の御意を奉じた関白殿下が各地を平定する事は、何よりの大義名分。」と官兵衛も大賛成です。そして四国攻めの話をしようとしますが、秀吉に遮られます。
「四国は後じゃ。まずは徳川を攻める。」という秀吉。理由を尋ねようとする官兵衛を振りって秀吉は茶室を出ていきました。
残された官兵衛に宗易が「徳川を今一度攻めようと進言されたのは、石田様のようで…。大したものでございます。あの若さで権勢を欲しいままに。このところ上様は、石田様を重宝がられ、片時もお側からお離しになりませぬ。」と、茶々との間を取り持っている三成と秀吉との関係を教えました。
また秀吉が茶々に執着していることも教えるのでした。
おね(黒木瞳さん)は、自分に気付かずスタスタと廊下を歩いていく三成を見て、秀吉の威光を笠に着て人が変わったようだと秀吉に言いに来ました。そして官兵衛を遠ざける理由を聞きます。官兵衛がいなかったから小牧長久手の戦いも負けたのでは?と痛いところを突きます。
秀吉は「大将はこのわしじゃ。官兵衛に頼らずともやっていける。」と言います。しかしおねは、官兵衛の策なしでは勝てないと言い切ります。
「官兵衛は先が見え過ぎる。上様が光秀に討たれたと書状が届いた時、官兵衛は即座にこのわしに何と言うたと思う?「殿のご運が開けましたぞ。」こう申したんじゃ、官兵衛の頭の中には既に見えていた。光秀を討ち、このわしが天下を取るまでの道筋がな。わしは官兵衛のお膳立てに乗っかっていただけじゃ。」と少々恐れながら言う秀吉でした。
一方官兵衛は、廊下で秀吉にお伽衆に加えられた、荒木村重こと道薫(田中哲司さん)と出くわしました。道薫は、信長を裏切った自分を取り立てることで、秀吉はその度量の大きさを示したのだと言います。
「上様は少しお変わりになった。そうは思いませぬか。ではまた。」と意味ありげに言い、去っていきました。官兵衛は前回から村重に色々と予言めいた事を言われています。
よく見えてますよね、村重は。村重って面白いキャラですよね~。
改めて秀吉に会う事になった官兵衛。何故また徳川と戦わねばならないのかと尋ねました。
「家康には、幾度となく上洛を促したが、いまだになしのつぶてじゃ。あやつはこのわしに臣従する気などない。このわしを侮っている。放っておくわけにはいかぬ。」と秀吉が言うと重ねて三成が「家康は天下に野心を抱いております。しかも北条と盟約を結んでおり、このうえさらに我らと敵対するものと手を組めば、必ずや厄介な者に…。」と言います。
秀吉は今なら勝てると言うのです。
官兵衛は「勝てない。兵を無駄に死なせるおつもりか。」と秀吉に迫ります。そして先の戦で敵の兵力の倍あったのにも関わらず、羽柴が負けた理由は何か分かるかと尋ねます。
「お主がおらんかったからじゃ。そう言いたいのであろう?」という秀吉にため息をつきながら否定する官兵衛。
「三河衆の結束の強さに負けたのでございまする。」と徳川には譜代の家臣が多く、固い絆で結ばれていると言います。
そして味方は、まだ秀吉に心から従っていない烏合の衆だと言います。これでは、数で勝ろうと策を立てようと勝ち目はないと言い切ります。
三成はそれを勝たせるのが軍師の役目では?と言うと「無謀な戦を止めるのも軍師の務め。」と言って、徳川とは戦わず、四国、九州を先に平定して待てばいいと進言しました。
三成は慌てて公然と盾突く者を放っておいては、面目が立たないと徳川を討つよう言いました。「面目を守る為の戦のなど、愚の骨頂。」とバッサリと切り捨てる官兵衛。
秀吉は官兵衛に「このわしが間違っておった。お主の言う通りに致す。四国攻めの支度を致せ。」と命じました。
職隆死す
大坂から山崎に帰る途中、職隆のもとに寄った官兵衛。
山崎を姫路のようにしていきたいと語る官兵衛に職隆は「急いではならぬ。今でこそ、この姫路で黒田と言えば皆が慕ってくれるが、初めからそうだった訳ではない。昔からその地で生きてきた者は、新しい領主を歓迎する事はまずない。頭ごなしではいかぬが、甘すぎてもならぬ。さじ加減が肝心なのじゃ。」と諭しました。
珍しく語る職隆に理由を尋ねる官兵衛。言いにくそうな職隆でした。
山崎に帰った官兵衛は、長政の暴挙を叱りました。「仮に命に背く者があったとしても、我らの方が先に領民を信じるのだ。裏切られても信じる。厳しくするだけでは領民の心は離れていくばかり。新参者の我らを受け入れてはくれぬ。」と長政に言いました。
甘くすれば侮られる、厳しくしなければ従わないと反抗する長政。「物事には順序というものがある。心を一つにする事が出来れば、厳しき命にも従ってくれるのだ。お前のやり方は育たぬうちに刈り取りするようなもの。」と言う官兵衛の言葉に、職隆の言葉が重なる長政です。
善助に、もう一度領民に会って、直に皆に許しを請うと言う長政。「わしはまだまだだ。民の声が聞こえておらぬ。父上、此度はご心配おかけして申し訳ございません。」と言うのでした。
四国攻めが始まりました。先鋒となった黒田軍は破竹の勢いで進撃。四国の覇者、長宗我部元親はついに降伏。わずかふたつき余りで戦いは終わりました。
天正13年(1585)7月11日。四国攻めの最中、秀吉はついに関白になりました。
一方、姫路に干柿をおすそ分けをしに来た光(中谷美紀さん)。休夢(隆大介さん)とぬい(藤吉久美子さん)は喜んで受け取っていました。
庭では熊之助と吉太夫が職隆とコマ回しで遊んでいました。休むために座った職隆。そのまま眠ってしまいました。
干し柿を持って職隆に寄っていった休夢は、職隆の異変に気付きました。光とぬいも駆け寄りました。
職隆は亡くなっていました。
次回、第33回「傷だらけの魂」です。