「軍師官兵衛」は、2014年1月5日から12月21日まで放送された大河ドラマです。
2018年4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送しています。
2018年9月30日に放送されたのは、第27回「高松城水攻め」です。
前回、毛利攻めの調略の為、蜂須賀小六(ピエール瀧さん)と備中高松城に行った黒田官兵衛(岡田准一さん)。
城主、清水宗治(宇梶剛士さん)に、織田の味方をすれば備中、備後の2か国を与えるという好条件を出すも、「毛利に国境を任されたからには、城を枕に討死するまで。」と拒否されました。
その頃、武田氏を滅ぼした織田信長(江口洋介さん)が、かつて上洛を邪魔してきた六角次郎が甲斐の恵林寺に匿われている事を知ります。
引き渡しに応じない快川和尚(山本學さん)を説得しに行った明智光秀(春風亭小朝さん)でしたが、拒否され、信長は快川和尚をはじめ、150人もの僧侶を寺ごと焼き殺しました。信長のあまりにむごいやり方に涙する光秀でした。
一方、再度清水宗治の説得に失敗した官兵衛は、高松城の地形を利用し、水攻めにする事を秀吉に提案。水をせき止める堤造りを始めたのでした。
前回の第26回「長政初陣」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第27回「高松城水攻め」のあらすじと感想です。
毛利攻め総仕上げは信長に
「毛利は高松城を救う為、全軍を挙げて出て来るはず。」官兵衛は秀吉(竹中直人さん)に言います。毛利を倒す絶好の機会です。「兄者が名実共に織田家中の出世頭だ!」と小一郎(嘉島典俊さん)が言うと、一気に小六ら家臣たちの士気が上がりました。
しかし秀吉は「最後の仕上げは上様にお願い致す。毛利ほどの大敵を我らだけで倒したのでは、手柄の立て過ぎじゃ。主君をしのぐ手柄を立ててはならん。我らがお膳立てをして、一番良いところを上様にお取り頂く。さすれば、上様の面目も大いに立つ。」と言います。官兵衛も「良いお考えにございます。」と秀吉の意見に賛成しました。
秀吉は何から何まで気の利く人ですね!上手すぎます。こういうところが人たらしのゆえんなんでしょう。
光秀、秀吉の援軍へと命じられる
その頃、近江の坂本城では、信長から徳川家康(寺尾聰さん)の供応役を言い付けられた光秀が、その準備に追われていました。家臣たちに「魚は由良川、肉は阿騎野、酒は池田と小浜の物を集めよ。塩は伊勢のものに致せ。」と産地にまでこだわり、細やかな準備をしていました。
そこへ倫(石橋杏奈さん)が御機嫌伺いに来ていました。再婚した様子で、とても穏やかな顔をしていました。倫は嫡女で、どうも婿を取って明智を継ぐ予定だったようです。
安土城に信長の盟友、徳川家康が招かれました。
宴が開かれ、能が披露されました。しかし、信長は気に入らなかったらしく、不機嫌になりました。光秀は信長の言う通りにし、料理の時間となりました。光秀が心を尽くした食事は家康が気に入った様子で、光秀も安心していました。
しかし、料理も信長には京風で味が薄く、気に入らなかった様子。光秀に器を投げて怒りを表し、「徳川殿の好みに合わせるのだ。」と言います。家康は「それには及びませぬ。それがし、京の味、気に入りました。」とフォローしてくれました。
光秀はこぼれた具材を一つ一つ拾い上げ、屈辱に耐えていました。
宴は終わり、信長はテーブルでワインを家康に振舞いながら、「わしはいずれ、広い世界へ出ていく。その際日の本は、徳川殿、お主に任せる。」と言います。「それがしには荷が重うございます。」と家康は笑います。光秀は二人の話を黙って聞いていました。
そこへ、近習が秀吉の書状を持って現れました。高松城を水攻めする事が書かれてありました。「わしが行って、引導を渡してやろう。」と信長は秀吉からの援軍要請にご機嫌です。
信長は、光秀にすぐに中国攻めに行くよう指示しました。家康へのもてなしの途中だったので、光秀は断ろうとしましたが、「徳川殿のお相手は他の者に任せる。」とあっさり役目を変えられました。光秀は納得がいかない顔をしていましたが、席を立ちました。
昨年の「おんな城主 直虎」でも信長に家康のもてなしを中断させられて、秀吉の援軍に行くよう命令されていましたね。「直虎」の家康は、阿部サダヲさんだったので、気弱な男でビクビクしながらこの招待を受けていました。しかも、光秀が事前に信長暗殺を企てていて、家康に伝えているという設定でした。あの時の家康と比べると寺尾さんの家康は堂々としていて、何か腹に一物あるような不気味な男に描かれています。
又兵衛が帰ってきた
官兵衛が有岡城で囚われの身になっている時、叔父に従って御着に走っていった後藤又兵衛(塚本高史さん)が、叔父が死んだので代わりにお詫びしたいと、姫路へやって来ました。
職隆(柴田恭兵さん)に挨拶をしてすぐ立ち去ろうとする又兵衛を、「二度も母を捨てるのですか?昔も今も、お前は私の息子なのですよ。」と光(中谷美紀さん)が引き留め、また黒田家に仕える事になりました。
高松城で堤づくりをしていた官兵衛のもとにも知らせが来て、さらに長政(松坂桃李さん)に伝わり「一日でも早く会いたいものじゃ。」と太兵衛(速水もこみちさん)、九郎右衛門(高橋一生さん)、善助(濱田岳さん)ら、皆で又兵衛の帰りを喜びました。
高松城水攻めと和睦交渉
5月19日、堤が完成しました。普請に着手してからわずか12日という驚異的な速さでした。秀吉の命令で川の堰がきられ、水が高松城に向かって流れ込みました。高松城はみるみるうちに水に囲まれ、城の中にも水が入り込んでいきました。
城内は大混乱。地面に置いていた玉薬、兵糧を急いで上に上げました。
猿掛城の毛利輝元(三浦孝太さん)の本陣にも、高松城の水攻めの情報が入ってきていました。「一刻も早く秀吉を追い払い、堤を壊し水を抜き、高松城を救わねば!」と吉川元春(吉見一豊さん)も焦ります。
しかし小早川隆景(鶴見辰吾さん)は「城内にはおよそ5000人が籠っております。その間に兵糧が尽きてしまいます。」と冷静に告げます。安国寺恵瓊(山路和弘さん)も、「このままでは、信長自ら出陣するは必定。」と言います。輝元は、隆景に判断を仰ぎました。
恵瓊は、隆景の命を受け秀吉のもとに来ました。「よもや水攻めとは。あのような事をされては、もはや戦にはなりません。和睦したいと輝元様は仰せです。」と恵瓊が申し入れてきました。
備中を譲るので、高松城の将兵を救って欲しい、というのがその条件でした。秀吉は笑い「備中一国では話にならん。」とはねつけました。
官兵衛は信長が出陣してくることを告げ、信長に納得してもらうには、よほどのことがない限り難しい。「備中一国では、毛利の滅亡は避けられませぬ。」と強い言葉で脅しました。
恵瓊は「5か国。織田に譲る。それでいかがにござる?」と言い、吉川小早川は説き伏せると言います。官兵衛は納得しましたが、秀吉は納得しませんでした。勝ったという証、高松城城主、清水宗治の首が欲しいと突きつけました。信長が納得しないからです。
恵瓊は小早川が応じないだろうと「宗治はなんとか助けて頂けませんか?」とすがるのでした。
次に官兵衛が、お供に善助だけを連れて、岩崎山の小早川の隆景の本陣へ出向きました。
官兵衛は「直に小早川様に申し上げる事があり、参上つかまつりました。小早川様さえ得心されれば、和睦の道は見えてくるかと。」と切り出しました。官兵衛は、毛利を動かしているのは、小早川と恵瓊の2人だと見抜いて、総大将ではない小早川に、直接交渉を仕掛けたのです。
まず、5か国譲ることは本当かと聞きます。小早川は「輝元と元春を説得する。」と言いました。加えて信長が、清水宗治の首を要求している事を告げます。これには立ち上がって拒否する小早川。「宗治を売って、一時助かったとしても、そんな事をすれば毛利は信用を失くし、いずれ滅びる。」と言います。
官兵衛は「それがしも清水殿を助けとう存じます。」と言うと、小早川にある提案をしました。
高松城の清水宗治に、恵瓊が会いに行きました。恵瓊はまず、感謝の言葉を述べ「これ以上戦う事はありませぬ。織田に寝返りなされ。今織田に寝返れば、あなたの命が助かります。これは、小早川様と黒田官兵衛が話し合って決めた事。」と宗治を救いたいという一心で、恵瓊は訴えかけます。
しかし宗治は「和議の邪魔立てをする気など、毛頭ござりませぬ。わしが死んだ後に和議を結べばよい。わしが自ら選んだ道とすれば、毛利の信用にも傷がつかぬはず。」と寝返りはしないと、申し出を拒否しました。
なんと、一本気な人なんでしょう。約束を絶対破りたくない。困らせたくもない。けれどこんな人をみすみす見殺しするなんて、本当にもったいない。そう思います。涙が出ました。
官兵衛から事の経過を聞いた秀吉は、宗治が寝返りを拒否した以上、和睦は難しいだろうと言います。光秀が丹波亀山を出陣、次に信長も出陣すれば、毛利との決戦となります。
官兵衛は「毛利には、優れた人物が揃うてございます。滅ぼすにはあまりに惜しゅうございます。」と毛利の武将たちに敬意を表します。が、秀吉は、致し方あるまい。と言うのでした。
一方信長は、朝廷から「関白、太政大臣、征夷大将軍とどれでもよいから受けて欲しい。」と頼まれても、返事をしていませんでした。その事を吉田兼和(堀内正美さん)から聞かされた光秀。
吉田は「何とかならんやろうか?」と光秀に問いかけますが、「こればかりは何とも。」と返すしかありません。すると吉田は「光秀殿、あんたさんのとんでもない噂を耳にしたぞ。」と光秀に耳打ちしました。
敵は本能寺にあり
光秀は、吉田から聞いた噂を確かめる為、信長を訪ねました。「我ら明智の丹波と近江の所領が召し上げられるのではないかと。」と切り出します。
「案ずるな、国替えだ。召し上げるわけではない。毛利を倒し、天下布武が成った暁には、わしはこの国を造り替える。」という信長に光秀は「一体どのように?」と恐れながら聞きます。信長は「日の本に王は二人も要らん。」と言いました。
「なりませぬ!そればかりはなりませぬ!」と光秀は衝撃を受け、信長に必死に訴えます。しかし信長は「光秀、そちの領国は毛利攻めでの働き次第。」と言い、言う事を聞かず去っていきました。光秀は一人残され、「なんと恐ろしい。」とつぶやきました。
光秀は雨が降りしきるなか、愛宕山でおみくじを引いていた光秀。「時は今 雨が下知る 五月かな。」と歌を詠むと、何度もおみくじを引きますが、結果は凶ばかりでした。
その頃、信長の生母、土田御前(大谷直子さん)は、信長を恨む事に疲れたと諦めたように言いました。
5月29日、信長は上洛。本能寺へ入りました。中国攻めの出陣の前に茶会をする為、供はわずか数十人しかいませんでした。茶会には関白をはじめとする、身分の高い公家が招かれ、信長にこぞってひれ伏しました。
その頃、光秀の軍は中国攻めの為、丹波亀山に集結していました。光秀は書状を書いていました。「事が成った時に送る。」と言います。「羽柴秀吉は今、備中におる。柴田勝家は越前、滝川一益は関東、丹羽長秀は大坂。京にはわずかな手勢しかおらぬ。天下与えた好機。今こそ立つ時。織田信長を討つ。」と言うのでした。
何も知らない信長は、お濃(内田有紀さん)と、毛利攻めが終わったら土田御前と一緒に、藤見物に行こうと話していました。信忠(中村倫也さん)には、天下布武が成ったら全てを譲り、世界に行くとも言っていました。
これから何が起こるか知らない三人でした。
天正十年(1582)6月2日未明。光秀の兵は山道を進軍していました。途中で立ち止まり、光秀は兵たちに「我らはこれより京へ向かう。敵は本能寺にあり。」と告げました。
今回はここで終わりです。
光秀の重臣、斎藤利三(小木茂光さん)、婿の明智秀満(鳥羽潤さん)は直接光秀から信長を討つと言われていましたけど、下の方の家臣は「敵は本能寺にあり。」って言われただけで、信長を討つと知っていたんでしょうか?
何にせよ、これから官兵衛の一番の活躍する事件が始まります。
次回、第28回「本能寺の変」です。