「軍師官兵衛」は、2014年1月5日から12月21日まで放送された大河ドラマです。
2018年4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送しています。
2018年10月14日に放送されたのは、第29回「天下の秘策」です。
天正10年(1582)6月2日。織田信長(江口洋介さん)は亡くなりました。信長を討った明智光秀(春風亭小朝さん)は、織田重臣は皆遠方にいるので、自分を討ちに来るにしてもまだ時間があると考え、自分に同心してくれるよう各地に書状を出すのでした。
一方、信長の死をいち早く知った備中の黒田官兵衛(岡田准一さん)は、亡き竹中半兵衛(谷原章介さん)の思いを受け、羽柴秀吉(竹中直人さん)に天下を取らせる為動き出しました。
前回の第28回「本能寺の変」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第29回「天下の秘策」のあらすじと感想です。
毛利に和睦を申し出る
官兵衛は、信長の死を毛利に悟られる事なくすぐさま京に引き返し、誰よりも早く逆臣、明智光秀を討つよう秀吉を説得。秀吉も官兵衛に任せる事になりました。
官兵衛はまず毛利の軍師、安国寺恵瓊(山路和弘さん)を呼び出しました。毛利5か国の本領安堵を約束して、和睦をするよう申し出ます。好条件での急な申し出に理由を尋ねる恵瓊。
官兵衛は、以前より恵瓊が「毛利と羽柴様が手を組めば、天下も夢ではない。」と言っていた事を引き合いに出して、その秀吉に天下に名乗りを上げる好機がやって来たと言います。そして明智光秀が信長を討ったと、隠さず話しました。
驚く恵瓊でしたが、信長の死をその場限りの秘密にして、和議を結ぶためであることをすぐに悟ります。恵瓊は「面白い。我ら二人で天下を動かす。これ以上に面白い事はない。」と言って官兵衛の賭けに乗る事にしました。
二人は大笑いするのでした。そして、高松城の清水宗治(宇梶剛士さん)を、恵瓊がもう一度織田に寝返るよう説得する事になりました。
次に官兵衛は、羽柴軍の重臣の、小一郎(嘉島典俊さん)、蜂須賀小六(ピエール瀧さん)、石田三成(田中圭さん)に信長の死を知らせ、「我らがやるべき事はただひとつ!明智を討ち果たす事!上様の死を断じて毛利に知られてはなりませぬ。」と言います。
小六たちは、京に引き返すにあたって、毛利に備えておく兵のこと、畿内の様子、長浜城のことなど、次々と官兵衛にどうするか聞きますが、「一刻を争います。今は他の事に構っていられませぬ。」と京に全軍引き揚げる以外の事を考えていられないと言います。
そこへ秀吉が現れ、「官兵衛の申す通り、我らは今、何より先にやらねばならない事は何か?それは織田信長様の仇を討つ事じゃ。上様に一番かわいがって頂いたのは、このわしじゃ。百姓上がりのこのわしを、ここまで引き立てて下さった。この秀吉が今日あるのは、全て上様のおかげじゃ。この秀吉が上様の仇を討たずして誰が討つ!」と言うと、迷っていた小一郎たちは腹を決めて、一致団結しました。
一方、清水宗治を説得しに行った恵瓊。「織田に割譲するのは備中、美作、伯耆の3カ国のみ。これはほぼ本領安堵と変わりませぬ。」と言い、宗治は「もとよりこの命捨てる覚悟。」と、自害すると言い「城兵の命は助かるのだな?」と確認します。
そして小早川に「御厚情は忘れませぬ。」と伝えて欲しいと言って、腹を切る事を決めたのでした。
官兵衛は、清水宗治の自害を小早川隆景(鶴見辰吾さん)に認めさせる為、説得に向かう事にしました。小早川の本陣では、恵瓊が先に説得に当たっていました。しかし小早川は、8か国の本領安堵という毛利に有利な和睦条件に不信感を抱いていました。恵瓊が答えに困っていたところに、官兵衛が到着しました。
「信長公は、毛利を滅ぼすおつもりでご出陣されました。ご到着後には、もはや和睦は叶わず、間違いなく大戦となりましょう。さすれば、我らも多くの兵を失う。急ぐのは、無益な戦を避けたいが為。小早川様、もはや時がございませぬ。応ずるか否か、この場でご返答願いたい。」と官兵衛は迫ります。
しかし小早川は、当主の毛利輝元(三浦孝太さん)、兄の吉川元春(吉見一豊さん)に了承も得ずに返答できないと先送りにしようとしました。
迷う小早川に、官兵衛は「全ては天下のため。清水殿は腹を切らせるには、あまりにも惜しいお方。されどそのお命こそが、織田と毛利両家の和の証しとなり、この乱世を終わらせるのであります。」と涙も見せながら説得します。
恵瓊も「宗治殿は、天下の為ならば、喜んで死ぬと言うておりました。」と後押しします。小早川は「乱世を終わらせる。しかと相違ないな。」と官兵衛に確認、了承しました。
官兵衛が信長の死を知ってわずか数時間後の事でした。
素早いですね!官兵衛スゴイです。それを全て任せる秀吉はもっとスゴイです。
黒田家一丸で準備に当たる
黒田の本陣に戻った官兵衛は、黒田の者たちに、次なる天下人は秀吉。その為には明智を討たねばならぬと訴えます。黒田の働きで秀吉を天下に押し上げる為、毛利が知らぬ今のうちに全軍3万を一気に引き揚げると言います。「何よりも大事なのは一刻も早く京に駆け戻る事!」と官兵衛は皆に指示しました。
栗山善助(濱田岳さん)は、母里太兵衛(速水もこみちさん)に重い武具を船で運ぶと言います。それを聞いた長政(松坂桃李さん)は、毛利が信長の死に気付いて追い討ちに出てきたら…と不安を口にしました。
しかし太兵衛は「今毛利が追ってくれば、武具があろうとなかろうと我らの負けにございます。」と言い、善助も「日を置けば明智の勢いが増すばかり。背水の陣を敷くしかありませぬ。」と長政に腹を決めるよう促しました。
善助は井上九郎右衛門(高橋一生さん)に先回りをさせて、街道沿いの百姓や商人たちに炊き出しを準備させるよう指示します。九郎右衛門はさらに、備中から京まで駆け通しになる為、夜、街道を照らす松明も準備させようと言います。
次に善助は、兵庫助(植木祥平さん)に、誰か一人姫路に使者を出し、姫路からも人を出して、沿道に炊き出しや替えのわらじなどを支度させ、東西両方から支度すれば、くまなく手当てが出来ると言います。
横で聞いてきた長政は、その使者を自分がやると名乗り出ました。長政は官兵衛から許しをもらい、姫路へ駆けだしました。
黒田家の人たちの手際の良さと有能さが分かる場面でした。家臣それぞれが自分の意見を出し、行動する。無駄のない完璧な動きに驚きました。
清水宗治の死
清水宗治は、高松城の周りを囲んでいた水の上に、舟に乗って現れました。宗治の姿は、羽柴の陣からも、毛利の陣からもよく見えました。
宗治は、「我が力には往き難き 御法の御舟の水馴棹 笹でも渡る彼の岸に 到り到りて 楽しみを 極むる國の道なれや」と能を舞い、「黒田官兵衛、会えてうれしかった。」と言い自害しました。
秀吉もそっと目を閉じ「見事な最期であった。」と言いました。
毛利の陣では、吉川が直視できず涙をこらえて目を伏せました。小早川は見届けようとじっと見つめて「宗治、すまぬ。」と言い、その場を離れました。そこへ明智からの急ぎの使者が書を持って現れました。信長の死を知った小早川は絶叫するのでした。
一方、姫路にも信長の死が知らされ、職隆(柴田恭兵さん)は明智軍の攻めはないだろうと予想しましたが、同調する者が出た時の為、守りを固めるよう指示を出しました。
そして官兵衛に信長の死を知らせる為、後藤又兵衛(塚本高史さん)を備中へ遣わしました。
長政は姫路へ向かっている途中、のどが渇き水を求めて歩いていたところに、同じように水を飲む男と出くわしました。姫路から、備中へ向かおうとしていた又兵衛でした。二人は再会を喜び、二人で姫路に向かいました。
三河に向かい、伊賀の山中を歩いていた徳川家康(寺尾聰さん)は、野伏せりに襲われていました。井伊直政(東幹久さん)、本多忠勝(塩野谷正幸さん)、榊原康政(中村育二さん)ら重臣に守られ、事なきを得ました。
家康は明智の追っ手でなかった事にひとまず安心していました。そして「こんなところで死んでたまるか。」と決意を新たにし、三河への道を急ぐのでした。
家康は、命からがら逃げきり、三河へ帰りつきました。
「おんな城主 直虎」では、途中で穴山梅雪(田中要次さん)と分かれて、家康(阿部サダヲさん)と周りの者だけで逃げるというコミカルな描き方をしていました。無事逃げ帰れてよかったです!
情報合戦
6月5日。安土城に入った光秀は、信長が集めた茶器を家臣皆に分け与え、安土城に残っている信長を思わせる痕跡を消す行動をしていました。いずれ、安土城も燃やすつもりでした。
美濃に逃げていたおね(黒木瞳さん)は、長浜城が、明智方の京極高次らの手に落ちたと知らされます。おねは、城より民百姓に狼藉がなかったかどうか確認します。
不安に駆られる家臣たちに、おねは「案ずることはありませぬ。殿が必ずや、明智を討ち果たされます。もう少しの辛抱です。」と言って皆を落ち着かせるのでした。
姫路では、職隆の指示で兵糧を集めていました。そこへ長政と又兵衛が戻って来て、「姫路から岡山に向けて、炊き出しと松明の支度に人を出せ。」という官兵衛の指示を伝えます。
光(中谷美紀さん)は長政を褒め、休むよう言います。しかし長政はすぐに戻って官兵衛の手伝いをすると言います。又兵衛も付いていくと言いました。
職隆は官兵衛に「姫路の守りは心配せず、思う存分、明智討伐に力を注げ。」と伝えるよう又兵衛に言いました。出かけようとした時、赤ちゃんの泣き声がしました。熊之助です。長政は熊之助の顔を見てから、備中へ出発しました。
光秀は、長浜城と丹羽長秀の佐和山城を落とし、京や近江を掌握した事にひとまず安心していました。また、各地に書状を送り、同心してくれる人を探していました。
親戚である細川藤孝は、信長に弔意を示す為出家し、名前も幽斎と改めたと言い、同心する事を断ってきましたが、しつこく説得するなど、ゆっくり事を運んでいました。
明智は、朝廷からのお墨付きさえもらえれば、皆が従うと思っていました。もうそんな常識は信長が壊していたのに。それに気付いていません。
ダメならすぐ諦めて他を当たらないと急がないといけないのに、ずいぶんゆっくりやっています。
備中の秀吉は、「上様、信忠様は生きている。無事切り抜けて今は再起を伺っておられる。」という偽文を官兵衛に見せ、去就に迷っている各地の武将に送ると言います。官兵衛は「兵は詭道なり。」と秀吉の作戦を評しました。
そして官兵衛は、毛利との最後の仕上げに言ってくると秀吉に言いました。人質を交わすのです。これで毛利が追っ手を出さないのを確かめるのです。「しんがりは黒田が務める。」と申し出ました。
ここでも秀吉の頭の良さが際立ちます。大胆な嘘をつきますよね~!
毛利が味方に付く
小早川に会いに行った官兵衛。小早川元総、桂広繁と二人の人質を預かる事を確認して、兵を引くと言います。その上で毛利の旗を、20本ほど貸して欲しいと小早川に言いました。
「毛利が織田に味方すると明智に思わせるためか?」全てを知った小早川は、騙した官兵衛に怒りをぶつけます。
しかし官兵衛は「ここは戦場でござる!味方の利にならぬ事を口にしなかっただけ。小早川様もそれがしと同じ身となれば、同じようにされたはず。」と余裕で返します。小早川は、京に向かう羽柴軍をそれを毛利が追えば、明智と挟み撃ちになると脅しました。
官兵衛は「追い討ちなさるなれば、なさればよい。分からぬか?今最も天下に近いのは、羽柴秀吉様!必ずや天下をお取り頂く。今ここで事を構え、遺恨を残すか、それとも恩を売り、共に乱世を終わらせるか。毛利の行く末を決めるのは、あなた様でござる。」と迫ります。
小早川は「毛利は天下を望んではならぬ。それが亡き父元就の遺訓だ。もとより我らには版図を広げる野心はない。羽柴殿と和議を結び、本領が安堵された今、大儀なきものにつき、世を乱す事は毛利にとって何の利もない。」と羽柴軍が京に向かうのを許しました。小早川も官兵衛に賭けたのです。
小早川は、官兵衛に毛利の旗を持たせ、さらに堤の堰を切っていくように言いました。そうする事で、毛利軍が追えないよう、行く手を阻んでおかせたのでした。
中国大返しのはじまり!
6月6日。秀吉が家臣たちの前に立ち「これより京へ上り、謀反人明智光秀を討つ!我らが織田信長様の仇を討つのじゃ!」と言います。家臣たちは喊声を上げました。
羽柴の全軍が京へと引き揚げようとした頃、吉川元春にも遅れて京から連絡が来ました。信長の死を知った吉川は、急いで小早川のところへ行って、羽柴軍を追うよう言います。
しかし小早川は「毛利が一度成った和睦を、たやすく裏切る訳にはいきませぬ。」と言います。
納得しない吉川を「逆賊、明智光秀に味方する毛利を世間がどう見ますか?ここは羽柴に恩を売った方が得だと思いませんか?」と説得します。だました秀吉を、許せない吉川は言う事を聞きません。
小早川は「清水宗治の死を無駄にするおつもりか!宗治は無益な戦を避ける為、毛利が生き残るために腹を切ったのですぞ!己の命を懸けて多くの命を救おうとした、その宗治の遺志を踏みにじるおつもりか!」と説得すると、ようやく吉川も納得しました。
しんがりとして残った黒田軍。兵庫助が、毛利軍撤退しているのを報告に来ました。喊声を上げる黒田軍。
「これで敵は明智光秀のみ!行くぞ!」と官兵衛が声をかけました。
6月7日。安土城に勅使が下りました。光秀は朝廷という後ろ盾を得て、事が思惑通りに進んでいるかに見えました。
光秀はまだ何も知りませんでした。
次回、第30回「中国大返し」です。
いや~、わくわくしますね。とうとう最大の見せ場、中国大返しですよ!
早く観たいです!