NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、高橋一生さん演じる小野政次。
親子2代に渡って井伊家乗っ取りを企む悪臣、裏切り者、という印象が強い人物です。
「おんな城主 直虎」第18回では、本当は井伊の、直虎のためにあえて汚れ役を引き受けている、と描かれていました。
はたして、小野正次とは一体どんな人物だったのでしょうか?
歴史上のお話しなので、ネタバレなんてことにはならないと思いますが、本当にまっさらな気持ちで「おんな城主 直虎」を観たい方は、この先は読まないで下さいね。
小野家とは
小野家は、京都の名門で小野小町や小野篁、小野道風などを輩出した小野家の庶流で、元は豊田郡の小野村に住んでいました。
政次の祖父、小野兵庫助や父・小野政直は井伊家の家老を務める重臣でした。父、政直が亡くなった後は、政次が継ぐことになります。
井伊家21代当主・直宗の時代、今川との戦いに敗れた井伊家は、今川氏親に仕えるようになりました。その時に今川から派遣されたのが小野兵庫助。ですから、小野家は井伊家の家老でありながら今川派の人物だったのです。
父・小野和泉守政直
井伊家22代当主・井伊直盛の時代、小野政直は井伊家の筆頭家老を務めていました。直盛には嫡男がおらず、娘のおとわ(のちの直虎)1人。直盛は弟、井伊直満の子・亀之丞(のちの直親)を婿養子とし、後継にすることにしました。
しかし、この案に政直は反発。今川家の縁者か、自身の息子をおとわの婿に迎えるべきと考えていました。
そこで、この縁談を阻止するため、「井伊直満、謀反の疑い有り」と今川義元に讒言をするのです。
その結果、謀反を疑われた井伊直満と弟の井伊直義は自害させられ、直満の子・亀之丞も命を狙われてしまいます。
亀之丞は直満の家老、今村正実により井伊谷を無事脱出。一命を取り留めることに成功しました。
許嫁がいなくなってしまったおとわは出家し、次郎法師と名乗るようになります。
1554年、政直は病没し、筆頭家老は嫡子・政次に引き継がれました。
小野政次の野望
小野政直が亡くなったことにより、亀之丞は井伊谷に帰国することになります。
その時、亀之丞には信濃で娶った妻子がありました。そのため、許嫁の次郎法師とは結婚せず、22代直盛の養子となり直親と名を改めます。
1560年。桶狭間の戦いが起こり、井伊直盛は今川義元の先鋒として織田信長と戦っていました。当主の今川義元が討ち取られ、直盛もまた、討ち死にしてしまいます。
それにより、養子直親は23代井伊家当主となり、翌1561年、直親に嫡子・虎松(のちの直政)が誕生しました。
1562年、政次は井伊家で勢力を伸ばしていた奥山朝利を暗殺。井伊家での実権を強化します。さらに、直親が徳川家康とつながり、今川氏真対しに謀反を起こそうとしていると訴えました。直親はそれに弁明をしようと駿府に行く途中、掛川城下で今川家家臣・朝比奈泰朝に殺されてしまいます。
政次は父・政直と同じように讒言をし、直親親子を陥れたのです。
直親の嫡男・虎松の殺害も企てますが、重臣・新野左馬助により阻まれました。
その後も井伊家には悲劇が続き、次郎法師の祖父、直平が急死。曳馬城攻めで新野左馬助、中野信濃守直由らが討ち死。これにより井伊家には継げる者がいなくなり、次郎法師が還俗し井伊直虎と名を改め、井伊谷城の城主となりました。
その後も政次は、農民たちが今川氏真に徳政令を求める訴えを起こさせるよう企みます。今川からの徳政令公布の命令を、政治手腕により2年間も引き伸ばすことに直虎は成功しますが、結局、今川氏真から地頭職の地位を奪われてしまいました。
政次の井伊谷城乗っ取りは成功し、ついに政次の念願が叶ったのです。
野望の果て、小野家のその後
一時的に井伊谷城の城主になった政次でしたが、それは長く続きませんでした。
直虎が新たな主君にと頼りにしていた徳川家康の力を借り、井伊谷三人衆(近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時)が井伊谷城を攻撃。政次は井伊谷城を逃れ、近隣に潜伏するも捉えられてしまいました。
1569年政次は徳川家康の命により、獄門を言い渡され、井伊谷にて処刑されました。
政次の妻の存在は不明とされていますが、史実では、ひと月後に政次の2人の息子も処刑されたとされています。
こうして、親子2代に渡る小野家の野望は潰えました。
ここで、小野家は滅亡したわけではありません。
政次には玄蕃(朝直)という弟がいました。玄蕃は、政次が暗殺した奥山朝利の娘・なつと結婚しており、嫡男・朝之を設けています。玄蕃は桶狭間の戦いで戦死していますが、小野家はこの朝之が繋いでいくことになります。
祖父や伯父とは違いこの朝之は虎松(直政)が徳川の小姓に付いた時、一緒に仕官し、家康から万福の名を与えられました。
井伊家24代当主・井伊直政が彦根藩主に就任後も直政に仕え、朝之の孫・古豊も直政の長男・直勝の安中藩の家老に。さらにその後も井伊家に仕え、小野家を繋ぎ続けました。
最後に
悲惨な最期を迎えた政次ですが、今川の支配から逃れ、徳川という大国の庇護を受けられるようになった経緯にはこの政次の暗躍があったからなのでは、と思ってしまいます。
「おんな城主 直虎」では幼馴染として描かれていた政次・直虎・直親の3人。
その2人を裏切らなければならなかった政次。その本意はどこにあったのでしょう。
大国に囲まれ危険な井伊の地から直虎を遠ざけるため、守るために敢えて直虎を陥れるように画策したのでしょうか?
ただの悪臣なのか、それとも。