2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。
前回第9回「さらばシベリア鉄道」は、主人公・金栗四三(中村勘九郎さん)らオリンピック日本代表選手団が日本を離れ、8000kmも離れたストックホルムへの道程を描いたお話でした。
新橋から汽車に乗り込んだ日本選手団でしたが、団長である嘉納治五郎(役所広司さん)が手続きの都合で遅れることが分かり、四三たちはがっかりしてしまいます。
官人である嘉納は、長期に渡る出張をするためにはたくさんの手続きが必要となるのです。
嘉納も、直ぐに旅立とうと文部省に行くのですが、受付でのらりくらりと躱されて、なかなか手続きが進みません。
嘉納なしで旅程が進む中、四三は揺れる汽車の中で日記を書く事にしました。
それが『盲目旅行 国際オリンピック競技参加之記』です。
5月17日、福井県の敦賀から船に乗ってウラジオストクへ向かいました。
本来ならばここで嘉納と合流するはずだったのですが嘉納は手続きが進まず、合流できません。
ここからの旅は、監督の大森兵蔵(竹野内豊さん)、妻の安仁子(シャーロット・ケイト・フォックスさん)、短距離の三島弥彦(生田斗真さん)と四三の4人です。
5月19日、ウラジオストクからシベリア鉄道の旅が始まりました。
倹約のため、自炊をして過ごそうとしますが、同室のドイツ人にのせられ初日は食堂車で豪遊する羽目に。
しかも、大森はドイツ人の分まで支払わされてしまいました。
シベリア鉄道で初めて迎えた朝、四三はドイツ人のいびきと大森の咳がうるさくてなかなか眠れず、また、朝起きてから寝るまで常に背広を着て正装していなければいけないと言われ、堅苦しさを感じていました。
長く一緒に旅行をしていると、初めのうちは会話があってもだんだんと会話が減って、そのうちにつまらない事で諍いが始まってしまいます。
大森夫妻はともかく、四三と弥彦はだんだんと会話が減り、喧嘩を始めてしまいました。
車中で手紙を書いた四三は、実家に当ててシベリア鉄道から見える景色を楽しんでいると知らせ、高師の永井道明(杉本哲太さん)らには、「西洋人の真似をしても日本人、西洋人は嫌い、半かじりは尚嫌い」と書き送りました。
四三の手紙を読んだ永井や可児徳(古館寛治さん)は、自分たちを差し置いてストックホルムに同行した大森夫妻のことを良く思っておらず、四三の発言を喜びます。
それを聞いていた嘉納は、2人に大森夫妻のことを語るのでした。
大森が肺を患っていること、4年後にはオリンピックを見られないであろうこと、そして、オリンピックにかける情熱。
大森が命をかけて書いた陸上の論文を見た2人は、大森の決意を知り、反省するのでした。
5月22日、大森の病状が悪化し、嘉納も一向に合流しないことから四三は不満を爆発させます。
弥彦はそんな四三を食堂車に誘い、豪華な食事を取りながら、「走るのは自分たち、練習の成果を見せよう」と四三を励ますのです。
四三は、弥彦に天狗倶楽部の応援をしてもらい、2人の距離は縮まったのでした。
6月2日、長かったシベリア鉄道での旅が終わり、船に乗り換えストックホルムへ向かいます。
ようやく到着したストックホルムでは、街の人々が皆オリンピックを知っていて、楽しみにしていること知り、驚きました。
また、夜であるにも関わらず明るい白夜。
何もかもが日本と違うことに四三は驚きを隠せません。
翌日、オリンピックスタジアムに案内された四三と弥彦は、高々とそびえ立つスタジアムのポールに、日の丸の旗を掲げようと決意を新たにするのでした。
しかし、この期に及んでもまだ日本を脱出できない嘉納。
一体嘉納はオリンピックに間に合うのでしょうか。
前回第9回「さらばシベリア鉄道」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは、第10回「真夏の世の夢」のあらすじと感想です。
白夜に苦しむ
四三はオリンピック参加の記録を残すために、日々のことを日記に書き記します。
「敵は幾万」の歌に見送られてからもう2週間。
明治45年(1912年)6月3日、オリンピック開会式まで後33日。
未だに嘉納は日本選手団と合流できず、四三たちは不安に思っていました。
ストックホルムの白夜に慣れず、睡眠不足に悩ませられながら、スタジアム見学の翌日、四三はガイドのダニエルとマラソンコースの下見に行きました。
初めてのコース、途中何度か道を間違えながら、風光明媚なストックホルムのコースを走ります。
野原の先にある教会が折り返し、花が咲き乱れる非常に美しい自然豊かなコースです。
日露戦争に勝利した日本は、注目されているのか、早速現地の新聞記者から取材を受ける四三と弥彦。
弥彦は流暢な英語でなんなく受け答えをしています。
日本と同じく初参加のポルトガル代表のマラソン選手、ラザロも取材を受けていました。
ポルトガルは、オリンピックでメダルを取ると賞金が出るようです。
四三が世界記録保持者であると知ると、ラザロは四三に挨拶に来ました。
外国人に対し、敵対心を持っている四三は、睨みつけるようにその挨拶を受けます。
ラザロの英語の挨拶に、四三は断固として日本語で挨拶を返しました。
四三は嘉納への手紙の中で、嘉納が到着する頃には、気力体力ともに充実していることでしょうと書き送りました。
手紙はストックホルムから日本に届くまで14日もかかります。
四三の頼もしい手紙を日本で受け取った嘉納は、文部次官の許可がおりた、と言われた瞬間、ストックホルムへ向けて旅立とうとしていました。
まだ、外務省への手続き、と言われたにも関わらず、です。
嘉納の出発を日本の記者たちも心待ちにしており、文部大臣の許可が出た、と言われた瞬間、嘉納は大きなトランクを引っつかみ、ストックホルムへ向けて勢いよく飛び出しました。
外には大勢の記者が待ち構えており、四三の手紙もあって嘉納は、日本勢は期待できると笑顔で語りました。
嘉納が四三の手紙を受け取ったちょうどその頃、ストックホルムでは大変な事件が起ころうとしていました。
練習を開始してまだ2週間だというのに、一体2人に何が起こったのでしょうか。
孤軍奮闘
2週間前を振り返ってみると、
ストックホルムは白夜のため、夜も明るく、四三たちはなかなか眠ることができません。
ストックホルムに到着してすぐに受けた取材は記事なりましたが、それには「小さな日本人選手」とあり、あまり好意的な記事ではありませんでした。
日本人は珍しいのか、他の国の選手からもいるだけで注目を浴びるようになっていました。
四三は、坂道を中心に三里から四里を繰り返し走る練習をします。
弥彦は、体格の良い西洋人に囲まれながら、たった一人練習を続けていました。
孤独が2人にとって最大の敵となっていました。
外国選手たちは、自国の選手たちと集団で練習します。
しかし、四三たち、日本選手団はたった2人。長距離と短距離では一緒に練習することができず、各々1人で外国人に囲まれながら練習しなければなりません。
大森の病状が悪化し、安仁子夫人は大森につきっきり、1人マラソンコースを走る四三よりも、大勢いる外国人に混ざって日本人1人で練習しなければならない弥彦は、精神的に参ってきました。
トイレに行っても、体の大きな西洋人向けに出来ていて自分には大きすぎるため常に背伸びして用を足す。
孤軍奮闘、孤独な辛い日々を過ごしていました。
大森の病状悪化
四三ら日本選手が出場する種目が決まりました。
弥彦は100m、200m、400mにエントリーし、四三はマラソンと1万mにエントリーすることになりました。
6月5日、大森の咳が止まらず練習には参加できないけれど、弥彦には大森が書いたアドバイスのメモを丁寧に渡す安仁子夫人。
長距離は専門外のため、四三にアドバイスを有りませんが、代わりに安仁子が励ましの言葉をかけました。
6月6日、やはり大森の病状思わしくなく、応対に出ている安仁子夫人も段々とやつれていきました。
6月7日、日が経つごとに安仁子夫人の機嫌は悪くなり目に見えてやつれ、メモの渡し方応対の仕方も段々と雑になってきました。
「実に孤軍奮闘なり、他人の力を借りず、優勝を得し喜びを夢想し、ただ奮闘するのみ」
6月8日、アメリカ、フランス、ロシアの選手団もストックホルムに到着し練習はますます賑やかになっていきます。
注目が集まる四三と足袋
ポルトガル代表のマラソン選手・ラザロが四三の足袋に興味を持ったようで四三に話しかけてきます。
四三はラザロに足袋は職人が作ったものだと伝えようとするのですが、うまく伝えることができず、身振り手振りを交えて懸命に説明しようとしていました。
すると、ラザロが四三と同じように、貧しくて電車に乗れず、いつも走っていたと知り、一気にラザロと親しくなります。
四三はラザロに足袋をプレゼントし、ラザロは国に帰って自慢すると、大変喜びました。
一方の弥彦は、自分よりも体格の良い外国人ばかりの場に馴染めず、だんだんと自身を失っていきました。
四三の履く足袋に注目が集まり、新聞は連日四三の記事を載せていました。
外国人の走りは速く、どんなに練習しても外国人の記録には及ばない弥彦は苛立ちを募らせるばかり。
東京・播磨屋にて
ラザロだけでなく、他の外国人からも足袋をねだられた四三は、日本の播磨屋に電報を打ち、すぐに足袋を送って欲しいと知らせました。
知らせを受けた黒坂辛作(ピエール瀧さん)は、夜なべして作らなければならないと愚痴を言いながらも嬉しそうでした。
そんな中、車夫の清さん(峯田和伸さん)から友人のために着物を作って欲しいと頼まれました。
その友人というのが落語の名人・橘家円喬(松尾スズキさん)に弟子入りした美濃部孝蔵(森山未來さん)のことでした。
弟子になった美濃部孝蔵
美濃部孝蔵改め三遊亭朝太は、師匠・園喬について寄席に来ていました。
寄席では知らない噺家が『垂乳根』をしていたのですが、園喬はわざと間の悪いところで笑ったり変な声を出したりして、邪魔をしていました。
当時は、ひどい落語をしている場合、そのようにお互い邪魔をしたりするのです。
そして園喬はその後に高座に上がり前の噺と全く同じ『垂乳根』を完璧に演じました。
絶品なその噺を朝太は食い入るように見つめ、いつか師匠のように話せるようになりたいと、師匠が使った湯呑の湯を飲もうとしていました。
それを見とがめた園喬は、朝太に自分は肺を患っているから、感染るからそれを飲んではいけないと諭すのでした。
昭和の志ん生(ビートたけしさん)は、弟子の五りん(神木隆之介さん)にその当時のことを一緒に銭湯に入りながら語っていました。
日本選手団崩壊
ストックホルムの四三は、毎朝の冷水浴をやりすぎて、水を止められてしまいました。
練習を始めて12日目、とうとう誰も部屋から出てこなくなっていました。
途方にくれた四三が弥彦の部屋を訪ねると、弥彦の部屋は窓に衣服がかけられ、カーテンをぴっちりと閉めて部屋が薄暗くなっていました。
部屋の中に弥彦の姿は確認できず、四三は塞がれた窓を開け陽射しを入れようとすると、クローゼットの中から飲んだくれた弥彦が出てきました。
弥彦はヨロヨロとベッドに座ると、これまでの愚痴を言い始めました。
体格差からくる劣等感、足の長い西洋人には適わないこと。
「もう限界だよ…」と弱々しく四三を見上げます。
四三が練習に行こうと誘うと、全ての怒りを四三にぶつけます。
注目されるのは四三ばかり。
自分は全く期待されていないことへの苛立ち、妬み。
期待されていないならば、気楽でいい、と励ます四三を部屋から追い出した弥彦。
四三は、不安定になった弥彦の状態を監督である大森に伝えるため大森の部屋に無理やり入るのですが、咳がひどく、弱ってベッドから離れられない大森の状態を見て言葉を失いました。
そんな状態であるにも関わらず、四三に謝り、明日こそはグラウンドに行くという大森の姿に絶句していると、安仁子夫人から「察してください、プリーズ」と懇願されてしまいました。
仕方なく部屋を出る四三。
心の中で、嘉納に向かって四三はつぶやきます。
「この度の大会は日本人にとって、最初で最後のオリンピックになるでしょう」
嘉納に言われた「黎明の鐘となってくれ」という言葉をかみしめた四三は、「黎明の鐘はなりません」と日の丸の旗を見つめます。
弥彦の部屋をのぞくと、弥彦は窓から飛び降りようとしているところでした。
四三は慌てて弥彦を捕まえ、飛び降りを止めました。
弥彦に馬乗りになりながら、「落ちたら走れない、一生後悔する」と弥彦をたしなめます。
「我らの一歩は日本人の一歩ばい。速かろうが遅かろうが我らの一歩には意味があるったい」と四三は叫びました。
四三の必死の訴えが心に響いた弥彦は落ち着きを取り戻し、それから2人は一緒に練習するようになりました。
復活!日本選手団
大森も少しずつ回復し、グラウンドに姿を見せるようになり、弥彦の指導をするようになりました。
ようやく日本選手団も本来の姿を取り戻してきたのです。
四三は、ガイドのダニエルに伴走してもらいながらマラソンコースを走ります。
どうしても一箇所間違えてしまうところがあるのですが、良い景色を眺め、野に咲く花を愛でながら、快調に練習を続けていました。
6月23日、スウェーデンは夏至を迎え、とうとう夜が完全になくなりました。
その日は真夜中であるにも関わらず、スウェーデン人は夜中踊りあかすというのです。
スウェーデン人のバカ騒ぎについていけず、騒音がうるさくて眠れない四三たちは、中庭で踊るスウェーデン人たちに文句を言おうと中庭に出ました。
すると、スウェーデン人から日本の歌を歌えと絡まれ、四三は厳しい顔つきで「君が代」を歌い始めました。
弥彦が止めようとするのですが、四三は弥彦にも歌えと合図をし、2人は君が代を歌い切りました。
初めて聞く日本の音楽に、スウェーデン人らは驚き、それでも盛大な拍手を送ってくれました。
すると、そこに嘉納がやってきたのです。
ようやく、嘉納は日本選手団と合流できたのでした。
団長・嘉納、ようやく到着
嘉納は四三に播磨屋から頼まれた足袋を渡し、大森には、大森が命懸けてまとめた論文を本にしたものを手渡しました。
大森の真実を知った高師の永井や可児が尽力してできたものでした。
明るく、「何か変わったことあったかね」と言う嘉納に、四三らは硬直し、何も言うことができません。
開会式が迫り、入場行進で使うプラカードをどうするか、という話になりました。
大森は国際大会だから英語で「JAPAN」が妥当といいますが、四三は日本なんだから「日本」のままでいい、「日本」でなければ自分は出ない、と厳しい顔で嘉納らに告げるのでした。
次回第11回「100年の孤独」
とうとうオリンピック開会式。
「NIPPON」と書かれたプラカードを手に四三たちは入場します。
遠く離れた東京で、三島家で何が起こったのか、シマの叫びが気になります。
同じく東京で、美濃部孝蔵にも何か変化があるようですね。
とうとう始まったオリンピック。
果たして弥彦と四三は、どんな結果を残したのでしょうか?
次回第11回「百年の孤独」、とうとう始まったオリンピック。2人の頑張りに期待大です。