吉高由里子さん主演、大石静さん脚本の2024年大河ドラマ、「光る君へ」。
「世界最古の女性文学」と呼ばれる『源氏物語』の作者・紫式部の波乱の生涯を描く物語です。
光源氏のモデルの1人と言われる藤原道長を柄本佑さんが演じます。
千年を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた紫式部の、秘めた思いと一途な思いを胸に懸命に世を生きた女性の物語。
こちらでは、大河ドラマ「光る君へ」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。
さて、第29回「母として」では、母として奮闘するまひろ、倫子、詮子たちの姿が描かれます。
賢子は3歳となり、宣孝にもよくなつき、幸せなひとときを過ごします。
しかし任地の戻った宣孝の身に…。
再任か叶わなかった父・為時には、道長から嫡男の指南役を依頼されますが、まひろの気持ちを慮って断る為時。
体調を崩してしまった詮子は帝に何を残せるのか。
そしてとうとうまひろが娘・賢子のために物語を書くことを決めたのです。
前回のあらすじ
安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)から提案された一帝二后を詮子(吉田羊さん)に相談すると、詮子は驚きながらも道長(柄本佑さん)の奇策に同意します。
道長に促されるまま、一条天皇(塩野瑛久さん)に文を書きますが、それを見た帝は動揺し、后は定子だけ、と言い放ちます。
しかし、道長から帝の説得を託された行成(渡辺大知さん)は、催事のことを持ち出し、帝を説得。
帝は一帝二后を承諾したのです。
この一帝二后という奇策に異を唱える者は、誰もいませんでした。
女御・彰子が立后準備のためいったん後宮から去ると、帝は定子を内裏に呼び出しました。
そこで逢瀬を交わし、定子は三度目の懐妊。
そして彰子は、中宮となりました。
体調不良を押して政をしていた道長は、とうとう明子(瀧内久美さん)の邸で倒れてしまいました。
宣孝から道長が倒れたと聞いたまひろは、深夜、天に向かって逝かないで、戻ってきて、と念じていました。
夢でまひろの声を聞いた道長は、無事生還、一命を取り留めました。
この年の暮れ、姫御子を産んだ定子は帰らぬ人となり、それを恨んだ伊周(三浦翔平さん)は、道長への怨嗟の声を上げるのでした。
前回、第28回「一帝二后」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは、第29回「母として」のあらすじと感想です。
宣孝の死
正月、宮中では天皇に屠蘇などの薬を献上して、一年の無病息災を願う儀式を行っていました。
長保3(1001)年、宣孝は、天皇が飲み切れなかった薬を飲み干す、名誉な役目を担っていました。
賢子は3歳となり、健やかに育っていました。
宣孝は、宮中での様子を語って聞かせ、帝は近頃顔色も悪く、覇気もないようだといいますが、道長は息災だったと伝えたのです。
そうですか、と言うとまひろは賢子をあやす宣孝の顔がもう一度見たいと強請り、朗らかに笑うのでした。
正月の除目の前に、各国の国守の働きを評定する受領功過定が行われました。
越前の国守である為時(岸谷五朗さん)の働きが評価されます。
しかし宋の言葉が話せるということで越前の国守になりましたが、宋人を宋に返すという役目を果たせずにいたことが評価されず、今回は任官が叶いませんでした。
道長はその結果を聞き、ため息をつきます。
まひろの家にききょう(ファーストサマーウイカさん)がやってきました。
定子が亡くなってからのききょうを心配していたまひろ。
ききょうは、定子の残した子供たちの世話をしていたと話します。
そして、これを書いていました、とまひろに書を見せたのです。
美しく聡明できらきらと輝いていた定子とこの世のものとも思えなかった後宮の様子が後の世まで隆り継がれるよう、自分が書き残しておかねばと思ったと言うききょう。
まひろに言われて書き始めた草子だから、初めにまひろに読んで欲しいと書き進めた物を持ってきたのです。
まひろは、定子の影の部分も読みたい、人とはそうしたものだから、それが複雑であればあるほど魅力がある、そういう定子の人となりを書けば、と言ったところで、ききょうから強い口調で、定子に影などない、と反論されてしまいました。
あったとしてもそれを書く気はない、と言い切るききょう。
定子の華やかな姿だけを人々の心に残したい、と言うのです。
ききょうは、定子の命を奪った左大臣に一矢報いたいと訴えます。
どういう事かと問うと、左大臣は定子の兄弟を遠くへ追いやり、定子が出家したのを口実に帝から遠ざけ、己の幼い娘を入内させ、中宮の座に付けた、帝にさえ有無を言わさぬ強引なやり方に定子は心も体も弱ってしまったのだと主張します。
宣孝は左大臣に取り立ててもらった、と口にしたまひろに、ききょうは強い口調で左大臣に騙されてはいけない、左大臣は恐ろしい人だ、と言うのでした。
ぼんやりとするまひろを見た宣孝は、官職を得られなかった為時を全力で支えると力強く支援を申し出たのです。
頼もしい宣孝の言葉に胸をなでおろすまひろ。
そこに賢子が起きてきました。
宣孝は喜び、一緒に月を見ようと3人で月を見上げたのです。
翌朝、国守を務める山城に出かけた宣孝は、そのまま帰ってきませんでした。
ある日、宣孝の北の方からの使者がまひろの家にやってきました。
4月25日、俄かな病を得た宣孝が身罷ったというのです。
弔いの儀は既に終わり、豪放で快活であった宣孝の姿だけを心に残して欲しいと北の方が言っていたといいます。
まひろは呆然としました。
道長の所にも宣孝の死は伝えられました。
落ち込むまひろのもとに賢子が「父上は」と無邪気に聞きました。
まひろは賢子を抱きしめ、涙を流したのでした。
依頼
宣孝が亡くなり、まひろの家人たちは不安にさいなまれていました。
賢子の乳母は、お世話になりましたと一言告げると、いと(信川清順さん)が止めるのも聞かず、邸から飛び出していきます。
そこに百舌彦(本多力さん)がやってきました。
道長からの使いとしてやってきた百舌彦。
為時とまひろに越前での務めを労う言葉、そして、宣孝の死について言葉をかけたのです。
越前守再任の後押しができずすまなかったと詫びを伝えたのち、嫡男・田鶴の漢籍の師を頼みたいと依頼したのです。
つまりは左大臣家お抱えの指南役だったのです。
正式な官職ではないが、禄は十分に出す、と言うことでしたが、為時はそれを断ったのです。
自分は、道長の父・兼家に仕えていたことがあったが、正式な官職を得るまで耐えきれなかった己を恥じている、と言うのです。
せっかくの心遣いを無駄にして申し訳ない、もし叶うなら次の除目の時に力を貸して欲しい、と願い出ました。
百舌彦が帰ったのち、まひろは血相を変えて為時に意見しました。
為時に官職なく、まひろに夫なく、これからどうやって家人や賢子を育てていくのだ、自分の気持ちなどどうでもいい、明日、道長に会いに行き、役目を受けるようにと強く願ったのです。
賢子にひもじい思いをさせないためにもお願いします、と頭を下げたのでした。
人質
土御門殿に戻った道長。
道長は、毎日藤壺に通う倫子(黒木華さん)に、毎日母が行っては帝も足を運びづらいだろう、気を付けよ、と窘めます。
しかし倫子は、帝のお渡がないのは自分のせいなのか、帝のお渡りがあるよう、御在所を華やかに彩っているのは自分だ、と言いきります。
その剣幕に道長は謝るしかありませんでした。
夜、詮子の元を訪れた道長。
体調の悪い詮子を気遣う道長ですが、詮子は話がある、と道長を引き留めます。
そして定子の忘れ形見、敦康親王を彰子に育てさせよ、人質にせよ、と命じたのです。
父と同じやり方はしたくない、といいますが、詮子はお前はもう父上を越えているのよ、と窘めます。
そして、道長はそれを帝に進言しました。
定子はどう思うだろう、と言う帝に、敦康親王が健やかに育てば、定子の鎮魂にもなる、これからは好きな時に親王に会える、と説得したのです。
その言葉に帝も頷きました。
間もなく、敦康親王は中宮・彰子と藤壺で暮らし始めました。
伊周の怒り
舞いの稽古をしていた伊周の嫡男・松。
伊周は「松」と怒鳴り付けると、これは何のための稽古だ、と厳しく問い質します。
「お家を再興するためです」と答えると。「そうだ、我が家は藤原の筆頭に立つべき家なのだ、そのつもりでもう一度やってみろ」と言い、扇を打ち付けたのです。
それを見ていた妻は、夫に許しを請い、松を下がらせました。
その様を見ていた隆家(竜星涼さん)は、兄上の気持ちもわかるが、左大臣の権勢はもはや揺るがぬぞ、と苦言を呈します。
内裏に官職を得るまではとりあえずひっそりしていた方がいいと思うが、と言う隆家に、お前が院に矢を向けたせいだ、と言い放ったのです。
そこに戻る?と言う隆家に、お前に説教させるいわれはないということだ、と言い放ちました。
隆家は、諦めたように清少納言が来ている、兄に頼みたいことがあるようだ、言いました。
中宮が世話になったのに何もできず申し訳ないとききょうに謝罪した伊周。
ききょうは、里に戻ってこれを書いていた、と書を差し出しました。
中宮・定子が内裏にあったころの華やかな暮らしを書き連ねたものだというのです。
定子の素晴らしさが皆の心に残るよう、これを宮中に広めて欲しいというききょうに、伊周は快く請け負ったのでした。
詮子の死
そして10月9日、詮子の40を祝う四十の賀が華やかに行われました。
しかしその裏では、伊周が道長を恨み呪詛を行っていました。
祝いの舞は、倫子の産んだ田鶴と明子の産んだ巌です。
道長らしくないと斉信(金田哲さん)や公任(町田啓太さん)は言うのですが、帝のたっての所望だと明子が言っていたと俊賢(本田大輔さん)は言うのでした。
祝いの席に、妻を2人同席させるのはどうかと、皆は首を傾げていました。
2人の舞を見た帝は、巌君の舞に、従五位の下を授ける、と発表しました。
泣き出してしまった田鶴を厳しく窘めた道長。
これより酒宴に移ります、と言ったその時、詮子が苦しみ始めました。
隣にいた帝は詮子に手を伸ばしますが、詮子は病に穢れたものに触れてはいけない、政が滞ると帝を押しとどめました。
それでもと戸惑う帝に、貴方様は帝でございますぞ、と強い口調で言うのでした。
苦しむ母の様子を帝は呆然と見ていました。
医師が詮子に薬を進めますが、詮子は断固として飲みません。
道長が必死になって願っても詮子は口にしませんでした。
その頃伊周は、憎き道長を呪詛し続けていました。
病に倒れた詮子は、伊周を元の官位に戻して欲しいと訴えます。
伊周の怨念を収めて欲しいと訴えたのです。
目をつむり涙を流す詮子。
道長もまた、泣きながら、分かりました、と告げたのでした。
漢詩を嫌がる賢子ですが、竹取物語は大人しく聞いています。
それに驚くまひろ。
続きをせがむ賢子に続きを読み聞かせるのでした。
詮子の願い通り、伊周は元の位に戻りました。
帝に感謝を伝えると、定子に仕えた清少納言が中宮・定子との華やかな思い出を綴ったものだと草子を差し出したのです。
後世に枕草子と呼ばれたこの話の評判は道長を脅かすものになります。
そしてまひろは、物語を書き始めました。
次回、第30回「つながる言の葉」
夫の死から三年、まひろ(吉高由里子)は四条宮の女房達に和歌を教えながら自作の物語を披露し、都中で話題になっていた。ある日、そこに歌人のあかね(泉里香)がやってくる。自由奔放なあかねに、どこか心ひかれるのだった。その頃、宮中では「枕草子」が流行していた。「枕草子」を読んでは亡き定子(高畑充希)を思う一条天皇(塩野瑛久)。道長(柄本佑)は気をもみ、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に相談すると…
とうとうまひろが物語を書き始めましたね。
都中で評判になるほどになるとは素晴らしい。道長の耳にも入っていました。
後の同僚、和泉式部との出会いもあるようですね。
枕草子により、定子を忘れられない帝の心を彰子に向かわせるため、道長はどうするのでしょうか。
最後に
宣孝が死んでしまいました。
3人での幸せなひとときを過ごした後、帰って来なかったなんて悲しすぎます。
その前に、頼もしいことを言ってまひろを安心させていたのに、こんなに突然いなくなってしまうなんて、本当にショックです。
どんなまひろでもとことん愛した宣孝の死に、まひろも衝撃を受けていましたね。
娘を抱きしめながら涙を流すシーンは胸が痛くなりました。
為時が戻ってきましたが、任官が叶わずまた無官になってしまいました。
道長が気を使って為時を指南役にと依頼しましたが、為時はそれを断ってしまいました。
為時としては、娘・まひろと道長を慮ってのことだったのでしょうが、母として娘を育てていくためには自分の気持ちなどどうでもいいと言い切るまひろ。
その強さに惚れ惚れしましたね。
亡き宣孝の為にも強くあらねばならないのだと強く感じました。
母として、というタイトル通り、今回の話は母としての立場がいろいろと描かれていました。
彰子を思う倫子の必死な様子に胸を痛めましたし、田鶴の舞を心配そうに見やる表情に倫子の優しさを感じました。
また、巌君の舞を誇らしそうに見る明子の姿も母の姿なのだと感じました。
一際目を引いたのが、詮子が倒れた時の様子です。
駆け寄った帝に、病に穢れたものに触れてはいけない、と厳しく言い渡す姿。
貴方は帝なのだと言う詮子の母としての厳しさに心打たれました。
前々回、あれほどきついことを言われたのに、子を思う母の気持ちは無くならないのですね。
それにしても、詮子はなぜ薬を飲まないのでしょう。
願掛けでもしていたのでしょうか。
道長への呪詛が全く効いておらず、詮子が病に倒れたのは、詮子が道長を守っていたからなのでしょうか。
仲の良い姉弟でしたから、そうなのでしょうかね。
それにしても、伊周の恨みは根強いですね。
隆家は早々に道長に付きましたが、伊周は己を曲げず、道長を恨み続けています。
しかし、息子にまで当たり散らすのはどうでしょうか。
心の狭さを感じますね。
Wikipediaに心が幼い人であったと評価がある、と書かれていましたが、確かにそうかも、と思ってしまいます。
ききょうから定子を想っての枕草子が献上されましたね。
これが大変な評判となり、道長を脅かすことになるのです。
しかし、とうとうまひろが物語を書き始めました。
それが評判になり、道長の耳にも届くことになるのですが、一体どうなるのでしょうね。
安倍晴明が言っていた、貴方様の光、とは一体何のことなのでしょうか。
次回、第30回「つながる言の葉」、まひろの書く物語により、まひろは道長とまた繋がりを持つようになるのでしょうか。
楽しみですね。