「風林火山」は、2007年1月7日から12月16日まで放送された大河ドラマです。
2017年、4月からNHK BSプレミアム日曜昼12時から、大河ドラマアンコール枠で再放送されています。
2017年9月3日に放送されたのは、第23回「河越夜戦」です。
前回は、今川義元(谷原章介さん)の軍師、太原崇孚雪斎(伊武雅刀さん)の意を汲んだ、武田晴信(市川猿之助さん)が、山本勘助(内野聖陽さん)を使者に立て、北条氏康(松井誠さん)と今川義元の和睦を仲立ちしました。
今川と戦う一方で、関東で窮地に陥っていた北条氏康を、武田が救ったのでした。これにより、氏康は武蔵の拠点、河越城を包囲する関東管領上杉憲政(市川左團次さん)率いる大軍に、全力で臨むことになった…ところで終わりました。
勘助も援軍に加わります。後に北条氏康の名を高める戦いの始まりです。
前回の第22回「三国激突」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
それでは、第23回「河越夜戦」の感想です。
河越城の主
駿河に晴信を招いていた義元が、種子島と呼ばれる鉄砲で、空に浮かぶ凧の的を撃って見せていた頃、相模小田原城では氏康が勘助に鉄砲を見せていました。
晴信は初めて見たものでしたが、勘助は諸国を流浪していた頃に、噂には聞いていました。北条家家臣、清水吉政(横内正さん)が説明するには、北条にある鉄砲は、紀州の根来寺で作られたもので、勘助は浪人の頃に根来寺の津田監物を訪ねていました。
氏康は、どこにでもツテのある勘助に銃口を向けますが、危険なものと分からない勘助は、避けるしぐさもせず、怪訝そうな顔をするだけです。
鉄砲の数はまだ少なく、北条にあるのもまだ2丁のみです。もう一つは河越城主、北条綱成(石橋保さん)が持っていました。綱成は、勘助が以前関わった、福島越前守(テリー伊藤さん)の一族でしたが、北条が婿として迎えていたのです。河越城には福島越前守の息子、彦十郎(崎本大海さん)も一緒にいました。
そのことを聞いて勘助は緊張します。彦十郎は勘助を恨んでいたのです。
武蔵河越城では、氏康の救援を待ちながら、河越城の籠城は既に半年近くも続いていました。綱成は、城を囲む上杉軍を眺めながら、「これでは、氏康様の援軍もうかつに手を出せまい。兵糧も間もなく尽きよう。飢えて死ぬぐらいなら討って出て、華々しく討ち死にしようではないか。」と彦十郎に言いました。彦十郎も覚悟していました。
勘助、上杉軍の中に潜り込む
関東管領上杉憲政は、かつての河越城主扇谷上杉、古河公方足利晴氏らと手を組み、城を包囲しました。これに対して氏康は8000の軍勢で包囲網の外に陣を構えました。対して関東管領軍は8万。
氏康は、隙の無い包囲のなかで、敵の中にいる間者に使者を送り、綱成に、こちらが動くまで今しばらく耐えるよう伝えたい、と考えていました。
怪しまれればすぐに始末されるので、使者を誰にするか、迷っていました。
勘助は自分の陣に戻り、葛笠太吉(有馬自由さん)と河原村伝兵衛と話します。勘助は、上杉憲政の家老、長野業政(小市慢太郎さん)の与力である、真田幸隆(佐々木蔵之介さん)を、晴信のもとへ連れて帰りたいと思っている事を二人に伝えます。
そして伝兵衛に真田を捜すよう頼みました。
上杉の本陣では憲政が、兵糧攻めで河越城が落ちる頃と考えていました。長野は、憲政に河越城を攻めるよう意見します。
しかし、憲政は「敵は8000。城には3000。我らは8万じゃ!この戦、公方が小田原方を見限り、我らに与した折に、勝敗は既についておる。小田原方は今川にも降伏し、領地を明け渡したのもその為。小田原は降伏する他もはや、講じる策などない。」と聞き入れません。
長野は、「北条は今川に降伏したのではなく、和睦したのです!我らから今川を退けたのです!これは、敵を我らのみとした北条の策に他なりません。」と食い下がります。
「北条ではない。伊勢じゃ!元は伊勢のあぶれ者が、伊豆、相模を掠め取った。いわば盗人じゃ!それを厚かましくも、かつての執権、北条の姓を名乗るとはその名を聞くだけで虫唾が走るわ。」と憲政は今更の話を持ち出して反論します。
話がずれている憲政を軌道修正しようと、長野は話しますが、憲政はこだわりが捨てられません。
倉賀野直行(大門正明さん)が「敵は策を講じようにも、城に使者も送れない。このまま城を捨てて小田原へ兵を退くか、討ち死に覚悟で我らに攻めかかるか…。我らが兵を無駄にするのも、それを見極めてからでよかろう。」間に立って意見すると、憲政は機嫌を直し、それに乗ります。
倉賀野は、「陣中に北条の忍び、風魔が潜んでいるかもしれぬ。」と雑兵に至るまで不審な動きをする者がいれば捕らえるよう家臣らに指示しました。
指示を聞いている家臣の中に、本間江州(長江英和さん)がいました。この人は、かつて相模で上杉方に内応していた者でした。それを氏康は見抜きながら、召し抱えていましたが、今は、本間を小田原から追放し、上杉方に返していました。
勘助は、「他の者には気づかれず、本間だけが気づいて自分に近づいてくるだろうから、北条方の使者として、遣わして欲しい。」と氏康に申し出ます。
氏康は、勘助に家来を清水に預けさせて、使者として遣わすことにしました。
伝言内容は、「氏康が策を講じるまで、決して城を討って出るような真似はするな。」というもの。勘助は氏康の策を聞くと、「父や祖父と違って臆病者だから、ただ敵に命乞いするのみ。よいか勘助。合図は遊び女じゃ。敵陣に遊び女が増えれば、そちは速やかに陣を去れ。」と教えてくれました。
真田幸隆を誘う
伝兵衛は、真田を探しに行っている途中、女(真瀬樹里さん)に捕らわれます。刀を突きつける女に、伝兵衛は観念し、真田幸隆を捜していると答えます。さらに女は、理由を聞きますが、答えぬ伝兵衛に、今度は殺そうとしたので、怯えて答えるのでした。
一方、上杉の陣では、勘助が不審人物として捕らえられます。「三州牛窪の浪人、山本勘助!御陣にお加え下されたくお願いつかまつる!」と名乗ります。勘助の顔を見た本間は驚きますが、すぐに表情を戻します。
憲政は足の悪い勘助を風魔とは見ず、「手柄を立てれば、召し抱える。」と言って受け入れました。
陣の中で居眠りをする勘助。そこに読み通り本間が近づき「うぬ…。このわしに見覚えがあるか?」と声をかけます。
勘助は目を閉じたまま「氏康様より、お言づけにござる。」と言うと、本間は辺りを見渡します。勘助は目を開けると、本間はしゃがんで顔を近づけます。
勘助が言づてを伝えている途中で、長野と真田が来ました。勘助は話をやめます。本間は、勘助を殴って「言わぬか!」と叫びます。長野は、どうしたか尋ねます。
「長野様が案じておられましたゆえ、それがしが忍びかどうか調べておりました。小田原には確かに見覚えぬ顔にございますが…」と言い繕います。
長野は「その浪人は、この真田に仕えていた者であるそうじゃ。」と真田を見ながら言うと、勘助は「懐かしゅうございます。」と真田に挨拶をしました。長野は本間に下がるよう言いつけ、自身もその場を去っていくのでした。
河越城へは無事、本間江州によって矢文が届けられ、伝言が伝わりました。綱成は合図として城から鉄砲を撃ち、氏康は伝言が伝わったことを知るのでした。
真田は、勘助を連れ出し、伝兵衛が捕らわれている場所まで行きました。
伝兵衛を捕らえた女は葉月という真田の素破で、身内を皆、武田に討たれていました。
「葉月だけでなく、我が舅も我が祖父も皆、武田を恨み抜いて死んでいった。このわしが武田に下る事はない。」と真田に言います。
「下れとは申しておりませぬ。お力をお貸し願いたいのです。それが、真田様がご領地を取り戻す最善の道と心得ます。」と勘助が言うと、真田は「軍門に下る事には違いない。」と返します。
「いずれ、信濃を治めるは、武田にございます。村上でも小笠原でもなく、ましてや関東管領などではございません。武田と共に歩まぬ限り、真田の郷へ帰る道は、閉ざされましょう。
真田様が武田家にお味方なされば、その機も早まります。」となおも勘助が言うと、真田は「そちはこのわしを誘うほどの力があるのか?」と挑戦的な言い方で聞き返します。
「それがしは、軍師にございます。」と勘助が言うと、真田は、浪人であった勘助を召し抱えた武田晴信に驚きます。
勘助は、晴信は、先代の信虎(仲代達矢さん)と違って、武力だけでなく、知略に長け、人の心を読み、慈悲深い人物であると言い、「さような才ある武将に出会った事は、晴信様と真田様の他にはございません。」と口説き文句を言います。
真田は喜びながらも「その手には乗らん。」とやはり拒否するのでした。断られても頭を下げる勘助に、「北条氏康はどうじゃ?」と真田は聞きます。
勘助が、北条側に付いていることを見抜いているのです。河越城から放たれた鉄砲も、何かの合図だと気づいていました。「北条は攻め込んでくるか?」と真田は聞いてきましたが、勘助は「分からない。しかし、いずれ関東管領は負けましょう。」と明言を避けました。
上杉は、氏康が公方の足利晴氏に「籠城している兵の命を助けて頂ければ、城と周りの領地は公方様に差し上げます。」と命乞いの書状を送ってきたことに大笑いして、長野に言いました。
公方は、後々の災いになると、要求を退けました。氏康は、常陸の小田、菅谷にも同様の書状を送り、公方にとりなしを繰り返し頼んでいました。
上杉憲政は、氏康を「恥知らずの臆病者」だと言います。長野は「侮ってはなりませぬ!」と諫言しますが、逆に長野が自分を侮っているのでは?と疑う憲政でした。
遊女が合図
上杉の本陣では宴が催され、さながら、戦勝の宴のようでした。日頃、憲政が寵愛している遊女たちが、陣中見舞いに来ていたのです。真田は「手回しが良すぎる。」と疑います。
遊女の中のひとりが本間に声をかけ、「今宵、夜討ちを仕掛ける。」と耳打ちしました。遊女は風魔だったのです。
綱成に城門を開けさせて扇谷上杉を引き付け、氏康が狙うのは、山内上杉憲政本陣のみです。関東管領を討てば、公方、その他の陣も必ずや腰が引けると、氏康は、作戦を家臣たちに伝えました。
宴を見ていた真田のもとに、勘助がやって来て、「戦に勝つ者の機運とは、しばしば見えにくいものにございます。されど、戦に負ける者の気配とは、いつでもよう見えるものにございます。」と囁きます。
真田は騒ぎの中で、すっと物陰に隠れていく本間を見かけます。本間は、暗闇の中で矢文を放ちました。本間を追ってきた真田は「やはり北条の間者であったか!城へ何を知らせた?」と刀を抜きます。本間は応戦しますが、すぐに頭を下げて見逃してくれるよう頼みます。
「それがし、これより陣中へ戻り、討ち死に致します。上州には、父と母が生きております。それがしはもとより、間者として小田原に送られた者。北条様が、管領様に比べてあまりに良い大将であったがゆえ、忠義を誓いました。その事も知らず父と母は、それがしの帰りを泣いて喜んで下さりました。最後は、その父を母の為に、上州の武士として死にとう存じます。お願い申す。」
それを聞いた真田は本間を逃がします。さらに勘助が、北条の間者であると確信します。
勘助は真田を死なせるわけにいかないと、真田に「どこまでもお供する。」と言うのでした。
河越夜戦
氏康の陣では、兵たちに敵と味方を見分ける為、城の白たすきをかけるよう指示し、合言葉を定め、旗指物もつけないことを指示します。
一か所ではなく自在に動いて攻める。首は取らないでその場に捨て置く。兵たちに細かく指示をすると、氏康は「夜が明けたら、勝どきを上げようぞ!」と拳を振り上げ、兵たちを奮い立たせます。同じく兵たちも「オ~!」と拳を振り上げるのでした。いよいよです。
北条の兵は、憲政の本陣へ一斉に向かいます。酔っぱらった憲政の兵はすぐに応戦できず、突破されていきます。
長野が、遊女と眠っていた憲政を起こし避難させます。そこへ北条の家臣、清水が攻めかかろうとやって来ます。清水の前に立ちふさがったのは、本間でした。
二人は刀を交え戦います。が、清水が本間の首を斬り、本間は清水に倒れこみます。
「清水様に討たれ、光栄にござる。」そう言い残すと本間は息絶えました。「本間、大儀じゃった!」と清水は、本間に手を合わせました。
攻め滅ぼされた憲政の本陣に戻り、「8万の軍勢に、わずかな手勢で。」驚く真田。北条勢は、既に河越城に向かっていました。
勘助は「かような戦上手なればこそ、武田は和議を結んだのです。北条の勝ち戦を、その目で見たくはござりませぬか?」と真田を誘いました。
一方、憲政の敗走を知らない扇谷上杉家、上杉朝定は、河越城の城門前で、綱成の降伏を今や遅しと待っていました。
城門が開くと後ろから喚声が聞こえて、北条が攻めてきました。前からは河越城、綱成の兵が矢を放ってきます。扇谷上杉は挟み撃ちに遭ったのです。
天文15年4月20日、この夜戦で扇谷上杉家は滅亡。公方の陣も敗走し、関東管領上杉憲政は、上州平井城へ逃れました。北条は、一夜にして関東における劣勢をはねのけました。
氏康は、綱成と対面。「綱成、大儀であった!よう、持ちこたえたのう。」と優しく声をかけました。
真田は、河越城の前に来て、戦の様を見ていました。倒れている兵たちの前で勘助は「もう勝負はつき申した。長居は無用にござろう。真田様、上州の上杉へ戻るべきか、甲斐の武田へ向かうべきか今一度お考え下され。」と追い打ちをかけるように話します。
真田に話しかけている勘助を、城の中から、福島彦十郎が見つけました。そして勘助の胸を鉄砲で撃ち抜きました。
同じ頃、由布姫(柴本幸さん)が出産しました。勘助が望んでいた、武田と諏訪の流れをくむ男子が誕生したのです。四郎と名づけられました。
晴信は勘助が行方不明になっていることを由布姫に隠すよう指示するのでした。
今回は全編、北条の戦でしたね。登場人物が多かったです。北条氏康という人は、良い大将だったんですね。
風魔という忍者は、柳生十兵衛の話でも出てきたことがあるような…。
真田の素破の葉月役は、千葉真一さんと野際陽子さんの娘の真瀬樹里さんですね。真瀬さんは、「ビッグウイング」で野際さんとも共演されていましたよね。
これから放送のドラマ「トットちゃん」で、真瀬さんは、黒柳徹子さんの希望で、野際陽子さん役で出演されるそうです。
素破と言えば、昨年の「真田丸」で寺島進さんがされていた出浦昌相がそうでしたよね。「真田丸」につながる話が出てきました。
次回は、第24回「越後の龍」です。
長尾景虎役のGACKTさんが登場です。これからが楽しみです。