2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、NHK総合にて日曜夜8時、BSプレミアムにて午後6時、BS4Kにて朝9時に放送中です。
前回のあらすじ
1566年、還俗し足利義昭を名乗るようになった覚慶(滝藤賢一さん)は、越前の朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)を頼って甲賀を出発しました。
しかし、支えになると言っていたはずの義景の態度が定まらず、越前の手前、敦賀に3か月も留め置かれていました。
これには奉公衆も不満を募らせ、側近の細川藤孝(眞島秀和さん)は越前までやってきて、直談判。
しかし、目通りすら叶わず、その不満を明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)にこぼしていました。
光秀は、義景の態度が変わってしまったのは、自分が覚慶を将軍の器ではない、と言ったからではないかと考えていました。
1567年8月、美濃を平定した織田信長(染谷将太さん)は、かつて斎藤道三が居城としていた稲葉山城に入りました。
光秀の邸が襲撃を受けた11年前、明智の荘に残ってこの地を守っていくと誓った藤田伝吾(徳重聡さん)から文が届き、明智邸はいつ戻ってきても大丈夫だと知らせてきました。
光秀の妻・煕子(木村文乃さん)は、子供たちの故郷は越前だと言い光秀と越前に残ることにしたのですが、いつかは美濃に戻りたいと切望していた母の牧(石川さゆりさん)は美濃に戻ることになりました。
母を連れて美濃に戻った光秀は、伝吾らと再会を果たし、領内が変わっていなかったことを喜びました。
稲葉山城の信長を尋ねた光秀は、城内でかつて高政に付き道三に反旗を翻した稲葉良通(村田雄浩さん)に出会いました。
高政の子・龍興を見限り、信長に付いた稲葉は、これまでのことは水に流して共に信長を支えようと嘯いてきたのでした。
信長に拝謁した光秀は、信長から仕えないかと誘われました。
しかし、光秀の答えは否。
自分が本当に仕えたかったのは亡き足利義輝だったと話します。
義輝亡き今、どうしていいのかわからない、と答える光秀に、美濃を平定した今、次にどこと戦えばいいかわからない、と信長は答えます。
そんな信長に光秀は、将軍を支えて幕府を再興すればいい、と提案したのでした。
商いや人の喜ぶ姿が好きな信長の心は、光秀の話に大きく傾いたのです。
美濃から越前に戻ると、家に細川藤孝と足利義昭が訪ねてきていました。
義昭は、兄・義輝の信頼が厚かったという光秀と話がしたいと思っていたというのです。
ただ死にたくないという気持ちだけで大和を脱出し甲賀へ逃れたものの、心が揺らぎ逃げ出したことを義昭は恥じていました。
甲賀の邸で、たった1匹で自分よりも大きな羽を運ぶ蟻を見たことを話した義昭は、その蟻は自分だと言うのです。
小さな体で大きな物を意地を張って1人で運ぼうとするなど無謀なことです。
しかしそれをやろうとした義昭は、不安定になっていました。
これまで僧として生きてきた自分が武家の頭領などできるのか、しかし、権力を手にすれば諦めていた大勢の人々を助けることも出来るようになるのです。
義昭は光秀との距離を詰めて、朝倉義景に是非とりなして欲しいと懇願するのでした。
翌日、義昭の動向を気にする朝倉義景に呼ばれた光秀は、義昭と交わした会話を義景に伝えました。
門跡となるはずだった義昭の話がよくわからなかった義景は、やはり義昭は将軍の器ではないのかと口にするのですが、直接会って話した光秀は、荷が重い、と言った自分の言葉を撤回。
強い大名が義昭を支えれば、良い将軍になれるだろうと言い始めました。
その言葉を聞いた義景は、義昭という御輿を担ぐ決意を固めたのでした。
前回、第25回「羽運ぶ蟻」を見逃してしまった方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第26回「三淵の奸計」のあらすじと感想です。
朝廷の争い
永禄11年(1568年)2月8日、三好三人衆が推す足利義栄が第14代将軍に就任しました。
しかし、義栄は重い病を患っており、京への上洛を果たせずにいました。
内裏では、せっかく将軍宣下をしたにも関わらず上洛しない義栄の悪評が広まり、義栄を帝に推挙した関白・近衛前久(本郷奏多さん)にも非難が集まっていました。
義栄の悪評を吹聴しているのは、昔から近衛家に対抗している二条家の二条晴良(小藪千豊さん)。
前久は、この騒動の責任を取って関白を辞してはどうかと二条晴良に言われてしまいます。
前久は、朝廷でのいざこざにうんざりしていました。
それというのも、僧であった覚慶が還俗し、元服の儀を執り行い、将軍の地位を目指したいという訴えを近衛家と敵対している二条家の晴良が、前久の知らぬ間に帝に取次、帝が認めてしまったからです。
帝は前久に、元服を許すという知らせを越前に伝える役目を与えました。
近衛家が代々関白の位を独占していることに憤慨している二条家の策略だと前久は憤慨します。
そこで、近衛家と縁があり朝倉とも親しい伊呂波太夫(尾野真千子さん)に自分の名代として越前に行って欲しいと依頼したのです。
朝倉一門の思惑
永禄11年(1568年)4月15日、義昭は朝倉義景を加冠役とし、京から二条晴良を一条谷に招いて元服式を執り行いました。
これで、三好勢と戦う準備は整いました。
光秀は明智左馬助(間宮祥太朗さん)に有力大名の動向を探らせていました。
左馬助の報告から、上杉は武田との対立や領内の反乱、越中の騒乱などから上洛は難しく、
六角は斎藤龍興を匿い三好と通じている可能性があるため当てにならないと判断した光秀は、義昭を支え上洛できる強い大名は朝倉と織田の2家しかないと考えていました。
この2家で三好に対抗できるのかと光秀は不安を感じていました。
そこに、朝倉家の家老・山崎吉家(榎木孝明さん)がやってきました。
義昭元服のお祝いで宴を開くので、奉公衆らと共に光秀を招待したいというのです。
自分などが参加しては、と光秀は参加を固辞するのですが、山崎は伊呂波太夫もくるからと光秀を誘います。
そして、これは光秀の胸に収めておいて欲しいと言いおいてから、当主・義景は義昭を奉じて上洛する気になっているが、朝倉一門の中にはそれを快く思わない者もいる、光秀には知っておいて欲しい、告げました。
上洛は国を挙げての一大事です。
強力な軍事力と物資、そして大量の金銭が必要でした。
光秀は、一条谷の市を見て回りました。
そこは物で溢れ賑わいを見せています。
ただ1つ人気がない店は武器を扱う店。
越前は平和で、今後しばらく戦はないと誰もが考えていたのです。
朝倉館での宴には、三淵藤英(谷原章介さん)や細川藤孝などの義昭の奉公衆と朝倉一門の朝倉景鏡(手塚とおるさん)らが参加していました。
景鏡は、将軍の元服は喜ばしいことだがそれと上洛は別、と義景の上洛に反対します。
義昭を奉じて上洛するということは、京の三好一族と戦うということ。
上杉の今の情勢では上洛などできるはずもなく、六角は三好と通じている、このような状態で三好と戦などできようか、と訴えます。
そして、京や畿内の情勢を探って詳しい光秀に、この状況をどう考えるかと聞いてきたのです。
今夜は無礼講であるため、思っていることを存分に話せと言われた光秀は、景鏡の言葉に間違いないと肯定します。
そして、市についても語りだしたのです。
戦に向かっている市は、米、麦、武器などの物資の調達で品薄になるのが常のこと。
しかし、自分が見て回った一条谷の市は盛況で、とても戦の準備をしているようには見えなかった、と言います。
義景だけが戦に行く気になっていても、周りの者が動かなければ戦など出来はしない、と光秀は言い募ります。
しかし、三淵は光秀の言葉に激昂する義景に「自分はそうは思わない、朝倉だけで十分義昭を支えられる」と囁いたのでした。
宴の場から離れた光秀のもとに、伊呂波太夫が現れました。
昔から義景を知っている太夫は、義景は一条谷で和歌や歌を読んで暮らす方が似合っている、むしろ上洛を首尾良くできるのは光秀ではないか、と話し始めます。
光秀は不思議な人物だと太夫は評します。
斎藤道三や織田信長、松永久秀などの名だたる武将が光秀を気にかけている、太夫が妹のように可愛がっている駒も、光秀をとても気にかけている、と言います。
そんな人物が10年も燻っていていいのか、もう船出の潮時ではないか、と太夫は言います。
光秀が船出の船が見つからない、と呟くと、太夫は光秀が乗る船は既に分かっているのではないかと囁きます。
太夫は「織田信長」と言うと、尾張の帰蝶が、光秀が考えて信長が動けば敵うものはなしと言っていた、と告げました。
信長と光秀がいれば、上杉や朝倉などいらないのではないか、と言うのです。
光秀の献策
光秀はしばし考え、そして馬を走らせました。
向かった先は美濃、織田信長の城でした。
岐阜城に着くと、光秀は信長に朝倉とともにではなく信長が義昭を支えて上洛してはどうか、と提案します。
上洛の邪魔になる六角氏を心配する信長に対し、尾張と美濃勢で六角は制せるし、松永久秀が三好勢を引きつけているからその隙に上洛できると説得します。
信長は、かつて斎藤道三が言っていた「大きな国」を作るのか、と思案すると光秀の言葉に従い、織田勢のみで義昭を奉じて上洛することを決めました。
信長は光秀に義昭を美濃に連れてくるようにと、命じました。
義昭の決意
越前に戻った光秀は、奉公衆に相談しました。
この1年で朝倉は頼りにならない、と感じていた三淵は光秀の考えに賛同します。
細川藤孝はそれでは朝倉の面目を潰すことになると不安を隠せません。
そんな中義昭は、兄・義輝が信頼していたという光秀の言葉を信じ、織田を頼る、と決意しました。
自分は小さな蟻、誰か強き者に助けてもらわなければならない、と言ったのでした。
光秀は、妻・煕子に越前を脱出するように命じます。
義昭を奉じ上洛する気になっている義景の怒りを買い、危険な目に合うかも知れないからです。
左馬助の護衛の元、美濃に戻るよう煕子に伝えると、煕子は光秀はどうするのかと聞いてきます。
光秀は、信長と共に義昭の上洛の供をすると伝えます。
煕子はこんな日が来ると信じていた、と自分たちの危険を顧みず光秀が動き始めたことを喜びました。
光秀はそんな妻に感謝するのでした。
義景の怒り
二日後、義景のもとに義昭直筆の手紙が届きました。
内容は、越前を出て織田信長のいる美濃に行く、とあります。
義景のこれまでの働きに感謝する言葉も書かれていましたが、自分を見限った義昭に義景は激怒しました。
国境を封鎖し、義昭たちを越前から出られないように手配をすると、義昭からの手紙を憎々しげに破り捨て、許しを乞うてくるまで義昭といえども金輪際会うつもりはない、と言い放ちました。
三淵の奸計
三淵はこの状況を変えるために、朝倉一門の中の上洛反対派である朝倉景鏡、山崎吉家と連絡を取りました。
今この越前では一向一揆に悩まされていました。
上洛と言う前に、まず国を鎮めることが先決。
そして、上洛に掛かる金銭、兵、兵糧米にも苦慮していたのです。
朝倉の今の状況から上洛は反対と主張していた2人に連絡を取った三淵は、朝倉に無理を強いるつもりはない、これまでの恩は忘れない、願わくば、互の行く末に悔いを残さぬために知恵を借りたい、と協力を願い出ました。
義景の不幸
ある日の朝倉邸にて、毒見役が倒れ、秘密裏に処理されました。
毒見をすり抜けた食事は、義景の嫡男・阿君丸(森優理斗さん)に運ばれました。
毒の入った椀を口にした阿君丸は倒れ、そのまま目を開けることはありませんでした。
嫡男を溺愛していた義景の悲しみは深く、無気力となっていました。
1か月後、美濃に行く用意が整ったと三淵が挨拶に来ると、義景は消沈した様子で今は不幸の最中にある為致し方ないが、織田信長のような成り上がり者に上洛という大事を支えられるのか見ものであると言い捨てて、立ち去りました。
明智の家では光秀の出発のための準備が行われていました。
光秀は、藤孝ら奉公衆と共に美濃に向かいます。
越前を脱出する予定だった光秀の家族は、山崎の計らいにより後日国境まで送ってもらえることになりました。
当主・義景に従っていた山崎ですが、本心は上洛に反対していたため、三淵に協力していたのです。
光秀や藤孝は三淵や山崎が起こした謀略を知らずにいました。
そのため、世話になった義景に挨拶をしてから越前を出ようとしていたのですが、山崎から義景には会わずにそっと出て行った方が良いと言われていたのです。
永禄11年(1568年)7月、足利義昭一行は、織田信長を頼り美濃へと向かったのでした。
次回第27回「宗久の約束」
美濃に到着した義昭一行は信長から歓待を受けます。
しかし、信長は義昭が戦に興味がないことに不安を感じるのです。
光秀は、上洛の妨げになる三好の動向と朝廷の意向を探るため京に向かいます。
京では堺の豪商・今井宗久(陣内孝則さん)がその財力で三好と繋がり支えていることが判明。
光秀は駒を頼り、宗久との面会を試みるのです。
最後に
谷原章介さん演じる三淵が非常に不気味で怖かったです。
一刻も早く義昭を上洛させるために、義景に阿ってみたり、別の手立てが見つかると手段を選ばずその目的に向かって奸計を巡らせたり。
大人の事情に巻き込まれ命を落としてしまった阿君丸の姿にこみ上げてくるものがありました。
自分が義昭を将軍にさせると意気込んでいた義景ですが、一族を纏められず動けなかったことで、最愛の息子を奪われてしまいました。
戦国時代の厳しさ、冷たさがよく伝わり、今回はとても悲しい回でした。
幕府再興を目指し、突き進む光秀ですが、面目を潰された大大名の怒りの躱し方を知らず、穏便に越前を出るためには三淵の奸計に頼ることになってしまいました。
例え、それを光秀が知らなかったとしても、光秀の言葉・行動によって三淵が動いてしまったのは悲しいことでした。
誰も傷つかないことなど難しい世の中ではありますが、目的のために子供を犠牲にするような時代は悲しすぎますね。
そんな悲しい回でしたが、関白・近衛前久演じる本郷奏多さんと伊呂波太夫を演じる尾野真千子さんの掛け合いはホッと出来ました。
頼りになる姉さんにお願いをする弟という感じで、微笑ましかったですね。
さて、次回は舞台が美濃、そして京へと変わります。
義昭の将軍就任のために動き始めました。
まだまだ苦難は続きますが、信長、光秀の活躍に期待ですね。