麒麟がくる 第29回「摂津晴門の計略」のネタバレとあらすじと感想

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、NHK総合にて日曜夜8時、BSプレミアムにて午後6時、BS4Kにて朝9時に放送中です。

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前回のあらすじ

永禄11年(1568年)9月、足利義昭(滝藤賢一さん)を奉じての上洛戦で三好・六角を破り、畿内の三好勢を一掃すると、織田信長(染谷翔太さん)は三好の居城だった芥川城に入城しました。

権力者と認められた信長のもとには諸国から戦勝祝いが届けられていました。

明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、活躍が認められ将軍奉公衆として取り立てられていました。

大和で三好と対峙している松永久秀(吉田鋼太郎さん)も信長の上洛を喜び、戦勝祝いに駆けつけました。

しかし、ちょうどその頃、義昭の奉公衆と信長の側近たちは評定の真っ最中でした。

詮議の内容は、松永久秀の処遇について。

先の将軍暗殺に関わっていた疑いのある久秀のことを、奉公衆の三淵藤英(谷原章介さん)は到底受け入れることはできません。

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しかし、信長の側近・柴田勝家(安藤政信さん)は、大和で三好と戦い実績を上げている久秀を受け入れないのでは筋が通らない、と反論します。

双方主張を譲らず、評定は長時間に及びましたが、上洛における信長の功績に感謝した義昭が、信長の意向に沿う、と発言したことにより決着しました。

久秀の件は信長の意向に沿うとして、幕府の政所には代々将軍家に仕えていた摂津晴門(片岡鶴太郎さん)を任じたい、と義昭は望みました。

信長は義昭の意思を尊重し、是とするのですが、本心では、前幕府を支えきれず崩壊させた摂津の登用に不安を感じていました。

不安を感じているのは信長だけではありません。

京を守る防御の要ともいえる勝龍寺城の城主となった細川藤孝(眞島秀和さん)も同じように摂津登用を疑問視していました。

9月、義昭は朝廷から室町幕府第15代将軍に任命されました。

翌年正月、信長が一部の兵を残して京から去ると、その隙をついて三好勢が将軍御座所である本国寺を襲撃しました。

本国寺を守る将軍奉公衆らの活躍と、駆けつけた援軍に形勢不利を見て取った三好勢は京を去り、本国寺の変と呼ばれる襲撃事件は終わりました。

戦闘終了後、怪我人の治療のために本国寺に駆けつけた駒(門脇麦さん)と望月東庵(堺正章さん)。

本国寺で、駒はかつて大和で知り合った覚慶(義昭)と再会、落ち着いたら遊びに来るように誘われました。

そのことを聞いた伊呂波太夫(尾野真千子さん)は、現幕府に追われている近衛前久を助けるため、義昭に会わせて欲しいと駒に頼み込むのです。

それを聞いていた東庵は、将軍に直接頼むのではなく、奉公衆となった光秀に頼んだらとうかと提案したのでした。

ある時、光秀の居室を訪れた藤孝は、今回の変で、なぜ直前まで誰も襲撃に気づけなかったのかと疑問を投げかけました。

対する光秀は、旧幕府内には不正や横領が横行していて三好に戻ってきて欲しい幕臣が、手引きしたのだろうと予想しました。

旧幕府と現幕府はほぼ同じ顔ぶれです。

光秀は、役人を一新すべきと考えるのですが、三淵や一色などはそこに手をつけずにいるのです。

本国寺の変から5日後、信長が京に駆けつけました。

信長は、異変をすぐに知らせなかった摂津に怒りをぶつけ、摂津たちでは義昭を守れない、として信長の信頼する者を名代として京に置くことと、本国寺の代わりに義昭を守る城を築城することを宣言しました。

2か月で城を作るという信長に無理だと反論する摂津を強硬な態度で黙らせた信長。

信長の宣言通り、急ピッチで築城が始まりました。

各所から人足が集まり資材が届けられてきます。

石仏までも持ってきて石垣に使おうとしていました。

光秀は、石仏までも使うのかと違和感を覚えるのですが、それを見た信長は石仏の頭をポンポンと叩き、罰など当たらない、と豪語します。

そして、三好・六角と手を結んだとされる越前の朝倉義景を討つ、と信長は光秀に宣言したのです。

そんな信長の姿を光秀は不安げに見つめるのでした。

幕府のある一角で、摂津が自分に恥をかかせた信長を追い落とす策略を巡らせていたのです。

前回、第28回「新しき幕府」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

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それでは第29回「摂津晴門の計略」のあらすじと感想です。

摂津晴門の政

二条城築城が行われる中、信長は近隣の国々から人や物をかき集め、京のめぼしい邸や寺社からも庭石や調度品などを差し出させ、自ら陣頭指揮を取っていました。

藤孝は、強引な手段で資材を調達し、築城を進める信長のやり方に不安を感じていました。

幕府の中には、信長が京中の金目の物を掠め取っていると噂している者もいるといいます。

光秀は、言いたいものには言わせておけばいい、と言い放ちます。

将軍を守るための城を作ろうとしようとしなかった者の言うことなど以ての外だと言い捨てたのです。

幕府の中には寺社と深く関係し、金貸し業者と関わって利を出している者がいます。

調べれば調べるほど幕府内部は腐っていると光秀は憤ります。

集められた品々を返すようにと寺社の者が集まって幕府に返納を迫るといいます。

光秀は、政所の摂津がそれをどう裁くのかよく見極めなければならない、と考えていました。

信長に命じられ数々の品を召し上げられた寺社は、義昭に直訴していました。

このままでは寺として立ちいかない、という訴えを同席していた摂津も同意します。

品々を召し上げられた者たちは信長を恨み、ひいては義昭も恨むだろうと摂津は義昭を脅すような言葉をかけます。

しかし、信長は義昭の上洛を支えた恩人です。

二条城築城も義昭の身を案じてのこと。

義昭は信長に強く意見することができません。

義昭は信長には何も言えない、と言いながらも、二条城完成後いずれは信長は岐阜に戻ります。

そうしたら少しずつ召し上げた品々を寺社に返すと約束したのです。

一度に全てを返品したのでは、京に残った信長の奉行たちに角が立つ、だから少しずつ目立たぬように。

それを聞いた摂津は喜び、直訴していた僧正も納得しました。

後は摂津に任せる、と義昭が席を立つと、摂津は僧正と顔を見合わせほくそ笑み、献上された金を懐にしまい込むのでした。

悲田処の夢

席を後にした義昭は、訪ねてきた駒と面会しました。

貧しい人々を救うための施設「施術処悲田院」を建設する計画を立てており、その図面を駒に見せて詳しく説明していました。

これまでは貧しい人びとを満足に救うことはできませんでしたが、将軍という立場になった今ならば、これが実現できる、と嬉しそうです。

しかし、土地は命令すれば手に入る、と豪語するのですが、施設を作ろうとするとお金が掛かります。

今の幕府ではお金がなく、信長の才覚に頼るしかないと義昭は嘆きます。

図面を見ていた駒は、初めから全てを作るのではなく悲田院を1つ作ればいいのではと提案します。

それでも、作るには千貫ものお金が必要となります。

すると駒は、千貫でいいのですか?と考え込むのです。

家に戻った駒は、丸薬作りで得たお金を東庵がくすねようとしているところを発見しました。

必死に言い訳する東庵の言い分を聞きながら、駒はわずかなお金を東庵に手渡します。

そして、宗久に提案されたように、仕事場を大きくして人手を増やし、今の5倍ほど丸薬を作ればもっと商いがしやすくなると言われたといいます

義昭の施術処悲田院作りに協力するため、駒は千貫集めようとするのでした。

帝の窮状

ある日、二条城築城の作業をしていた光秀のもとに、伊呂波太夫からの手紙が届きました。

呼び出しを受け、一座へと向かうと伊呂波太夫に会って欲しい人がいると切り出されました。

その人は先の関白・近衛前久(本郷奏多さん)。

前久は、13代将軍・義輝暗殺に関与していると言われて、摂津から追われていたのです。

一度は都から遠ざかっていたのですが、現在は極秘裡のうちに戻ってきたのだといいます。

前久は、一座の鼓打ちと姿を変え、京に潜伏していたのでした。

前久は、自分が摂津に追われている経緯を光秀に話します。

近衛家と確執がある二条晴良によって、義輝暗殺に関わったと噂が流され、摂津に追われることになった前久。

二条の目的は近衛を追い落とし、近衛の領地を奪うことです。

かつて前久が会ったことがあるという上杉輝虎は、今の幕府には己の利しか頭に無い者が多いと嘆いていると言います。

天下のために働こうという者がいない。

そのため幕府はいつまでも世を収められない、と言うのです。

前久は、それができるのは織田信長ではないかと考えたといいます。

あの、上洛を見てそう思ったと。

将軍の側にいて、信長にも憚りなく意見することができるのは光秀だから、摂津を嫌っているとも聞いたから、これを言いたかった、と前久は語ると「命乞いなどしたくはない」と去って行きました。

同席していた伊呂波太夫は、前久は言わなかったがもっと言いたことがあったはずだと語り始めました。

この都には公家や武家、そして町衆などもいて、帝がいます。

今、帝の領地は幕府の横領によって奪われ、金銭を得ることができず、生活に困窮していると太夫は訴えます。

先の帝が崩御した時、弔いの費用が出せず、2か月も放置されていました。

本来、帝を支えるべき立場の幕府は、手を差し伸べるのではなく見て見ぬふりをしていたと太夫は怒りを顕にします。

御所を見れば、帝がどれほど困っているか分かる、と訴えたのです。

藤吉郎の働き

妙覚寺、信長の寝所を訪れると、そこには木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)が来ていました。

藤吉郎は、信長に京の奉行にと任じられるため、公家の動きなどあれこれを調べまわっていました。

それゆえ、光秀が前久と会っていたことも既に知っていたのです。

近衛前久はこの先使える人物かどうか見極める必要があるため、探っていたといいます。

光秀は、将軍の側近が信長を裏切らないように監視をするのだろうと藤吉郎を牽制します。

藤吉郎は光秀を調べていない、と言いながらも公家衆には気をつけろと忠告してきました。

油断すれば必ず足元を掬われる、公家衆は必ずどこかの大名と繋がっている、というのでした。

自分の行動を監視されているようでいい気はしない、という光秀に、信長は藤吉郎はそういう人物だから許せ、と笑いながら謝罪します。

信長が命じれば、藤吉郎は徹底的に調べ尽くします。

それゆえ使える、上手く使って幕府の助けにしろ、と光秀に言いました。

しかし今の幕府は腐っていると光秀も信長も分かっています。

信長は、自分は将軍ではないので今の幕府にいちいち口は出さない、と宣言しますが、光秀は信長に口を出したほうがいいと進言します。

4月に岐阜に戻る前に、今の幕府を一新すべきというのです。

しかし信長は、それは将軍の側にいる光秀の役目だと答えます。

信長は、越前の朝倉が美濃を攻める準備を始めたと情報が入ったので岐阜に戻り戦支度をしなければなりません。

京には藤吉郎や柴田勝家、そして光秀を奉行として残すのだからやり方は任せる、と幕府の立て直しを命じられたのでした。

幼い頃、信長は父・信秀にこの世で一番偉いのは誰かと聞いたことがあると言いました。

信秀の答えは

  1. おひさま
  2. 都に居る天子様・帝
  3. 帝を守る将軍

ということでした。

武家の棟梁たる将軍は、帝の門番なのか、と思ったといいます。

そして今、帝の門番たる将軍を信長は守っています。

信長の父・信秀は、近頃の将軍は帝を守ることを忘れているので、自分が帝を守ると言って壊れた塀の修繕のために4千貫を献上したといいます。

しかし信長は、父が修繕費を出した御所の塀を見ていないといいます。

なぜか近頃その塀が気にかかる、と呟きながら信長は工事へと向かいました。

摂津と対決

数日後、光秀のもとに藤孝が駆け込んできました。

光秀が東寺八幡宮領の一部を横領したので返せとの訴状が届いたというのです。

八幡の土地は光秀が義昭から授けられた土地です。

光秀は訴状を受け取ると、摂津のもとへと急ぎました。

摂津に訴状を見せ、この八幡の領地を用意したのは摂津だと詰め寄る光秀。

いずれは妻子を京に呼びたいと言った光秀のために、義昭が摂津に命じて用意した八幡の土地。

それが横領された土地だったと聞いて激怒した光秀は、摂津にどういうことなのかと詰め寄りました。

誰がどういう経緯で手に入れた土地なのか詳らかにしろと迫ったのです。

しかし摂津は、「山城の国は広く、誰がどこを横領したのかなどいちいち存じていない」と言うのです。

こんな訴えは幕府にはたくさん来ている、と気にした様子はありません。

そういう訴えはどう捌いているのかという質問には、1つ1つ丁寧に5年10年と時間をかけて詮議している、と摂津は答え、なし崩しにしようとしていることは明白です。

それどころか、寺社の領地は武家がこれまで守ってきた領地なのだから謝礼がわりに少しぐらい横領しても問題ないというのです。

気に入らないのならば八幡の土地は返せ、という摂津に、返したところで解決する問題ではない、と光秀はいい、誰がいつ横領したのか、きちんと説明出来るように調べろ、と言い放ちました。

対する摂津は、長い長い詮議になるでしょう、と全く調べる気は無い様子を見せました。

怒った光秀が立ち去った後、摂津は世の中の仕組みを教えてやったのに困った人だ、と光秀を嘲笑するのでした。

壊れた塀

荒い足取りで歩いていた光秀ですが、ため息を吐くと伊呂波太夫のもとへと向かいました。

そして、御所の様子が見たいと太夫に案内を頼んだのです。

辿り付いた御所は荒れ果てていました。

周辺を守るはずの役人の数が足りず、公家衆が交代で見張りをすることもあるといいます。

塀は長いこと壊れたままになっており、隙間から子供がご所内に入り込み、木を折ったり御所に石を投げたりいたずらをするのだといいます。

隙間から内部に入ると太夫は幼い頃の話を始めました。

幼い頃、親に捨てられ近衛家に拾われた太夫は、尼寺に送られることになりそれを伝えるために御所に連れてこられたのだと言いました。

また捨てられるのかと悲しくなり、ずっと泣き続けていた時、一人の若い公家が蹴鞠の練習をしているところに出くわしたのだといいます。

その姿が美しく見とれていたら、その公達が泣いていた太夫に話しかけました。

泣き止まない太夫に持っていた温石を渡して「これをやるからもう泣くな」と言った公達は、方仁親王だったと聞きました。

今の帝です。

太夫は、尼寺行きがどうしても嫌で、近衛家を飛び出しましたが、その後も壊れた塀のことが気になり、どうしてもそれを直さなければと思ったと話しました。

二条城完成

4月、信長が総力を挙げて作り上げた二条城が2か月あまりで完成しました。

それは信長の底力を皆に示す出来事となりました。

見事な出来栄えに喜ぶ義昭。

都を蘇らせた恩人だと信長に深く感謝を伝えます。

藤吉郎に義昭の案内を任せた信長は、末席にいた藤孝と光秀の働きを労い、浅井長政を紹介しました。

信長は光秀を呼び止め、折り入って話があると持ちかけます。

そして、信長が戻った後に2、3日でいいから美濃に戻って来いというのです。

越前の朝倉義景との戦の件で話を聞きたいというのでした。

二条城の完成を見届けた信長は、朝倉との戦支度のため、直ちに岐阜へと戻って行きました。

次の戦が迫っていました。

次回、第30回「朝倉義景を討て」

信長に呼び出された光秀は、義景との戦いについての意見を伝えます。

このままでは信長一人の戦になってしまうと考えた光秀は、信長に帝に戦の是非を認めてもらえれば、他の大名も集まると助言するのです。

信長は戦の大義名分のため、上洛し帝に勅命を与えてもらおうと考えます。

そんな中、孤独な立場の義昭は、駒を話し相手として頼りにし、悲田院作りの夢を語り合うのです。

最後に

幕府の汚さ、腐り具合に苛々とさせられる回でした。

片岡鶴太郎さん演じる摂津晴門の狡猾さが素晴らしく表現されていました。

将軍の前ではしおらしく、光秀たちの前では狡猾に、裏では嘲笑うその演技は見事でした。

そして、恩人である信長と摂津たち幕府役人との板挟みで苦しむ義昭の描写も素晴らしかったです。

将軍となったにも関わらず、何もできず追い詰められた義昭が駒を求める姿。

駒はいつも誰かの救いとなっていますね。

佐々木蔵之介さん演じる木下藤吉郎の底が知れない様子も不気味で面白かったですね。

飄々と人当たりもよく、胡散臭い面もありますが、情報通で行動力も先見の明もある藤吉郎の末恐ろしさを感じました。

それから、個人的にとても感動したのが、声優・緒方賢一さんの登場でした。

どっかで聞いたことのある声、と思いながらオープニングを見て納得しました。

幼い頃から特徴のある素敵な美声が大好きだったので、ご本人のお顔が拝見出来てとても嬉しかったです。

さて次回は、いよいよ朝倉との対決になりますね。

久しぶりに帰蝶さまも登場するようで楽しみです。

次回、「朝倉義景を討て」では久々の合戦シーンとかあるのでしょうか。

信長が幕府や朝廷を相手取り、どう動くのか、期待しています。

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