2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、NHK総合にて日曜夜8時、BSプレミアムにて午後6時、BS4Kにて朝9時に放送中です。
前回のあらすじ
元亀2年(1572年)冬、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、三条西実澄(石橋蓮司さん)の用人として参内、帝との直接の対面はできませんでしたが、文を貰い、対話をすることができました。
名を胸に留めておく、と声を頂いた光秀は感動し、帝の威光を強く感じたのでした。
御所から家に戻ると、織田信長(染谷将太さん)の家臣らが光秀の帰りを待っていました。
柴田勝家(安藤政信さん)、佐久間信盛(金子ノブアキさん)、木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)らは、将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)が、信長と同盟関係にある松永久秀を討つよう命令を下したことに、不満を持っていました。
信長は義昭の意を汲んで、松永を討つつもりですが、本意ではありません。
藤吉郎は今討つべきは松永ではなく浅井・朝倉だと言い募ります。
義昭は、信長に近江に出陣させて、手薄になった美濃を攻めるつもりだと断言したのです。
義昭の言動に振り回されている信長を見て、佐久間は光秀が思うことを信長に直言して欲しいと言い立ち去りました。
光秀が二条城に行ってみると、義昭が部下を相手に剣術の稽古をしていました。
奉公衆・三淵藤英(谷原章介さん)は、義昭の変化を喜んでいるのですが、光秀はかつての優しい義昭からの変貌に戸惑っていました。
数日後、妻・煕子(木村文乃さん)と共に新しい城を見に行った光秀は、天守から見える風景に心躍らせ、家族と共に坂本で暮らせるように、必ず煕子や子供たちを呼び寄せると固く誓い、人質として妻子を京に残すよう命じた義昭に怒りを覚えていました。
そんな光秀に煕子は、美濃と京、どちらに心惹かれているのかと問いかけたのでした。
美濃の信長に呼ばれた光秀は、信長から義昭に贈り物を届けてもらいたいと依頼されました。
信長が以前義昭に向けて出した17条の意見書は、義昭の行動を痛烈に非難するものだったため、義昭のご機嫌を取ろうとしたのです。
光秀は義昭よりも、現在武田からの攻撃を受けている徳川家康に援軍を送った方がいいのではと進言するのですが、義昭からの命で大和の出陣予定の信長には余裕がないと一蹴されてしまいます。
信長には幕府が援軍を送るはず、と光秀が言い募っても、信長は幕府は信長に内緒で武田や朝倉に上洛を促していると幕府を信用していません。
そこに、徳川・織田連合軍が武田軍に大敗との知らせが入りました。
光秀が信長に託された贈り物を義昭に届けると、義昭はそれは受け取れないと拒絶しました。
義昭は信長が送りつけた17条の意見書は罵詈雑言ばかりだったと苛立ちを顕にし、信長との戦いを決意したと宣言したのです。
三淵や義昭から信長から離れろ、と迫られる光秀。
しかし光秀は、「それはできません」と涙ながらに訴え、義昭と訣別したのでした。
前回、第36回「訣別」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは、第37回「信長公と蘭奢待」のあらすじと感想です。
義昭の敗北
義昭の意を汲んで、甲斐を出て京に向かった武田信玄。
途中、三方ヶ原において、徳川家康に大勝。
さらに京へと進軍します。
元亀4年(1573年)3月、義昭は畿内の大名を集めて織田信長に挙兵しました。
しかし、京へと向かっていたはずの武田軍が突然進軍を停止し、何故か兵を引いてしまいました。
義昭の書状に応じたはずの浅井と朝倉も動かず、孤立し宇治・槙島城に篭城していた義昭は、織田軍の木下藤吉郎に捕らえられてしまいました。
藤吉郎は捕らえた義昭を光秀に見せつけるように、これが武家の棟梁、これからは我等の世だ、と言い放ちました。
廊下から庭に裸足で降り立った義昭は、窶れた様子で光秀の前に立ちました。
光秀はその姿に膝をついて見送るしかできませんでした。
その後、義昭は宇治の南・枇杷荘に追放。
室町幕府は事実上滅亡したのです。
裏切り
将軍奉公衆の三淵藤英も投降。
既に織田方についていた弟・細川藤孝や光秀と苦い再会を果たしました。
藤英は、弟の自分を案じる言葉に激高し、幕府の内情を信長に漏らしていた弟・藤孝を「裏切り者」と罵倒します。
しかし藤孝は、「政を行うには時の流れを見ることが肝要」と話し始めました。
「時代の流れを見誤れば政は滞り、腐る」と言うのです。
それが義昭を裏切った理由か、と呟いた藤英は涙を溢れさせました。
藤孝は、信長様から兄弟2人で三好に属する岩成友通が篭城している淀城を落とせと命じられている、と告げます。
「兄弟で力を合わせ…」と言葉を続けようとするのですが、藤英の方を見やり、手筈は後ほど、と言い残し立ち去りました。
残った光秀に藤英は、「儂は負けそなたは勝った」と話し始めます。
光秀は、この戦は勝ちも負けもない、あるのは紙一重の立場の違い、と答えます。
そして膝を折ると、自分に力を貸して欲しい、と真摯に訴えたのでした。
信玄の死
武田軍の情勢を探っていた菊丸(岡村隆史さん)は、甲斐に戻る武田勢を観察していました。
京に行くと同士に情報を伝え、情報が記された文を光秀に届けるようにと命じました。
そして光秀は、京の妙覚寺の門前で倒れ込んだ子供を助け起こしていると、町衆と思われる男から小さな文を渡されたのです。
そこには、菊丸からもたらされた情報が記されていました。
一方、菊丸は望月東庵(堺正章さん)の診療所を訪ねていました。
駒は不在でしたが、東庵は菊丸を懐かしみ、家の中に招いてくれました。
そこには藤吉郎の母・なか(銀粉蝶さん)が鍼治療に訪れていました。
なかは、菊丸が遠近江から来たことを知ると、武田に負けた家康はどうしているのか、武田はなぜ急に甲斐に戻ったのかと菊丸と四方山話を繰り広げたのでした。
義昭の意地
その頃、駒は宇治の南、枇杷庄を訪ねていました。
義昭が手紙を入れて寄越した虫かごを返すためです。
義昭は、駒に浅井、朝倉、武田、毛利に宛てて書いた書状を見せ、手はずが整ったら信長を討つ、と言い放ちました。
駒は、「このまま戦を続けて勝てるとお思いですか?」と疑問を投げかけるのですが、返事が来るかわからないけれど、自分が将軍である限り書状を書き続ける、と宣言する義昭。
駒は「では将軍をお辞めください」と懇願します。
駒は、僧であった優しい義昭が将軍になったのならば、世は穏やかになると信じていたのに戦は続くばかり。
そんな駒の嘆きを聞いた義昭も、自分は将軍として、戦を続ける大名に和議を勧めたが戦は止まず、武家を1つに纏めようと働きかけても戦は止まなかった、と言います。
義昭は、戦を終わらせるためには戦をするしかないのじゃ、と言い放ったのです。
このままで本当にいいのかわからない、駒を裏切ったかもしれないという義昭に、駒は何も言えませんでした。
浅井・朝倉討伐
信長は、居室に5枚の紙をおいて思案していました。
事実上室町幕府は消滅し、将軍は現在追放中です。
本来ならば、元号の改元は将軍が帝に進言するのですが、将軍不在の今、自分がしなければ、と信長は帝に改元を進言していたのです。
信長の持論に曖昧に頷いた光秀。
信長は、朝廷が改元用に提案してきた5枚の紙を床に並べ、元号を吟味していました。
そして元号は天正と定まったのでした。
光秀が信長に義昭の今後を尋ねると、信長は藤吉郎に任せてある、軽い様子で返します。
それより、急に京から手を引いいた武田に何があったのか、と光秀に問いかけます。
光秀は、確かな情報ではない、と前置きをした上で、信玄の死亡を伝えたのでした。
天正元年8月、浅井の重臣が寝返ったとの情報が入りました。
信長は近江に出陣、朝倉討伐に入ります。
織田軍の奇襲により、義景の重臣・山崎吉家は討ち死。
勢いづいた信長勢は義景の本拠地一乗谷に火をかけました。
追い詰められた義景に、家臣の朝倉景鏡(手塚とおるさん)が脇差を差し出しました。
自害してどうなる、朝倉の名が潰えてしまう、という義景に景鏡は舌を出し笑いを漏らします。
それにより景鏡の裏切りを知った義景ですが、もはやどうにもならず、景鏡の兵に討ち取られてしまいました。
これにより100年続いた朝倉家は滅亡。
小谷城も襲撃され、浅井家も滅ぼされました。
240年続いた室町幕府はついに潰えました。
群雄が割拠した時代は、信長により新しい時代を迎えようとしていました。
蘭奢待
秋、信長は朝倉・浅井家に残された財宝を今井宗久(陣内孝則さん)に目利きをさせていました。
信長と対立していた松永久秀が許しを乞うてきたと、光秀は知らされました。
どう思うか聞かれた光秀は、松永は味方にすれば心強い、と答えます。
信長はならば許すか、と答え、土産は多聞山城じゃ、嬉しそうに話します。
目利きが終わった宗久は、信長にもはや天下をとったも同然、と話します。
これ以上何を望むのか、と訪ねます。
すると信長は宗久に蘭奢待のことを尋ねました。
蘭奢待とは、天下一の名香と名高い伽羅の香木で、大事を成した者しか拝見できないと言われる逸品です。
今の儂は蘭奢待を拝見できると思うか、と信長が尋ねると、宗久は、今やこの国の武家衆で信長の右に出る者はいない、と太鼓判を押し、拝見には何の触りもない、と告げました。
光秀にも同様に聞くと、光秀は拝見には東大寺、そして帝の許しがいるのでは、と答えます。
信長は、自信有りげに帝はお許しになる、と答えたのでした。
信長の部屋を出た光秀は、宗久に「蘭奢待拝見について、殿は一体何を考えているのか」と問いかけます。
宗久は、1つの山の頂に立ったからこそ、見たい景色があるのだろうと語ります。
しかし光秀は「そうであろうか、誠にそうであろうか」と訝しがるのです。
義昭を退け、これからどのような世を作るべきなのか熟慮すべき時期、いわば山の中腹。頂きは遠い、と光秀は考えていました。
宗久は、信長は目に見える形で自分の評価を欲しがっている、見る景色が違えば人はまた変わる、と答えると立ち去りました。
内裏にて、三条西実澄は信長が昇殿を正式に許される立場になったことを報告していました。
将軍が京を去った今、帝を支えるのは信長しかいません。
信長に然るべき官位をと考えていたのです。
帝は、天下静謐に務めた信長に対し、褒美を与えるつもりでいました。
信長から所望されたのは蘭奢待。
8代将軍足利義政以来誰も拝観していない物です。
しかも切り取り所望したいというのです。
あまりの尊大さに眉をひそめた実澄ですが、勢いのある信長を止めることはできませんでした。
天正2年(1574年)3月28日、正倉院の扉が開かれ、古きより伝わる、香木の蘭奢待が110年振りに運び出されました。
3代義満、6代義教、8代義政によって切り取られた後を見せられた信長は、信長にも是非、と蘭奢待を切り取ったのです。
切り取られた欠片は2個。
歴代将軍と肩を並べたようなもの、と信長は深い喜びを感じていました。
それを満足そうに眺めていた信長は、欠片の1つを帝が喜ぶだろうと贈ることを決めたのでした。
信長から贈られた蘭奢待を前に、実澄は唖然としていました。
「朕が喜ぶと思っているのだろう、信長は」と言うと、関白から毛利輝元が欲しがっていると聞いたから、この蘭奢待を毛利に送れ、と実澄に命じました。
毛利は信長と敵対している勢力です。
それに蘭奢待を与えることを心配する実澄ですが、帝はそれは自分の預かり知らぬこと、と蘭奢待を受け取らず、毛利に送ってしまったのです。
その頃、三淵藤英は近江・坂本城に預けられていました。
藤英は、この1年信長に従い戦功を上げてきたのに、三淵の居城をいきなり取り壊しにした信長の突然の仕打ちに光秀は困惑するばかりです。
光秀が、信長の考えを「時に測りかねることがある」と漏らすと藤英は「主とはそういうもの」と答えました。
「その時にこそどう従うか、それが家臣の器」と藤英は遠くを眺めながら答え、光秀はその言葉を重く受け止めたのでした。
次回、第38回「丹波攻略命令」
坂本城に預けられていた三淵藤英に切腹命令が下されます。
光秀は三好の一党や一向一揆の連合軍と戦い、戦果を挙げます。
そんな折、美濃の稲葉一鉄の家臣だった斎藤利三が光秀のもとに逃れてきました。
利三の扱いについて、信長に呼び出された光秀は、家臣の命を守れない主君では国は治まらないと説きます。
すると、信長は光秀に丹波平定を命じたのでした。
最後に
今回は一気に話が進みました。
義昭は追放され室町幕府滅亡。
長年戦い続けた朝倉も討たれ滅亡。
同じく浅井も滅亡します。
敵対していた勢力を次々と倒した信長は、勢いを増し表情にも態度にも変化が現れてきましたね。
帝を敬い崇めていたはずなのに、帝に対しても対等であるかのような態度を見せ始めた信長。
信長を認めていたはずの帝も、信長の贈り物を敵対勢力に渡すなど、信長の態度を甘受できない様子を見せ始めてきました。
信長と帝の関係が危ぶまれる予感がしますね。
さて、今回は谷原章介さん演じる三淵の涙が胸に響きました。
弟の裏切りに対する思いと、今度こそ将軍を守ろうとした思い、将軍家のために汚いことも厭わず行ってきた三淵の様々な感情が溢れる涙にぐっと来ました。
全てを諦めたかのように息を吐いた姿が印象的でした。
そして信長の変化にも目を見張りました。
次々と敵を撃破し、勢いを増す信長は、時を経る毎に自信に満ち権高になってきました。
信長を可愛がっていた帝も信長の増長ぶりに眉を顰めていましたよね。
大きな国を作る、と無邪気に夢を描いていた信長とは変わってきている様子に光秀も戸惑っていました。
同じ根っこを持つと言われていた光秀ですが、信長の考えが読めず苦慮している様子がよく伝わってきました。
この辺の2人のすれ違いが丁寧に描かれているので、面白いですね。
それから、浅井・朝倉の滅亡シーン。
ユースケ・サンタマリアさんの仰々しい口上の後、すぐに討ち取られた様子、それに、景鏡の裏切りを悟った時の様子が見応えがありました。
個人的には、あかんべーをする手塚とおるさんの表情が素晴らしく印象的で、大好きでした。
権力を手に入れた信長の変化と、光秀とのすれ違いに不穏な要素を感じてしまいますし、2人の関係悪化の原因をどのように描くのか、楽しみでなりません。
次回は丹波攻略ですね。
光秀の腹心となる斎藤利三の登場です。
春日局のお父さんに当たる人ですね。
明智家家臣の絆など、楽しみなところが満載です。
次回38回、「丹波攻略命令」、光秀と利三の絆に注目です。