2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、NHK総合にて日曜夜8時、BSプレミアムにて午後6時、BS4Kにて朝9時に放送中です。
前回のあらすじ
天正5年(1577年)、織田信長(染谷将太さん)を裏切り、反信長勢力に加担した松永久秀は自刃。
信長に京を追い出された足利義昭(滝藤賢一さん)は、室町幕府再興を諦めておらず、諸国の大名に信長を討つよう文を送り続けていました。
信長の命により、丹波の国攻略を進めていた明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、敗戦の将を捕えて亀山城に集め、各人、戦に荒れた領地の回復させて欲しい、丹波の回復の為に力を貸して欲しいと懇願しました。
平和な世を目指す光秀は、戦をしないですむよう何度も呼びかけたのですが、国衆は耳を貸しませんでした。
その理由を問うと、代々恩顧を受けてきた足利将軍が窮地に陥っているのならば戦うしかない、と国衆は答えたのです。
光秀は、自分たちが戦っているのは丹波の国衆ではなく、足利将軍だったのだと悟ったのでした。
信長の命により、播磨を任されることになった羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)が、出陣の前に光秀の邸に挨拶に来ました。
光秀のおかげで出世できた、と感謝を伝える秀吉に、光秀はにこやかに「秀吉に足を掬われた」と皮肉をぶつけたのです。
光秀は、秀吉が密偵を放ち、久秀の持っていた平蜘蛛の茶釜が光秀のもとに渡ったことを信長に報告していました。
それにより信長が光秀を不快に思うように工作していたのです。
光秀はその事実を秀吉につきつけ、牽制しました。
秀吉は頭を下げ、反省した様子を見せたのですが、帰り際、光秀と懇意にしている菊丸(岡村隆史さん)の正体を訝しんだのです。
光秀の邸から出た秀吉は、光秀に尻尾を掴まれた密偵・新五郎を始末させたのでした。
光秀は、秀吉が菊丸を害する前に京から出て行った方が良いと菊丸に促します。
駒(門脇麦さん)と薬を作る日々に未練を残しながら、菊丸は光秀の忠告に従い秀吉からの刺客を振り切って京の町から去って行きました。
安土の城に行くと、そこで信長は近衛前久(本郷奏多さん)と鼓を楽しんでいました。
前久は、信長と繋がり信長の命により九州の諸将との調停を果たし上洛してきたのでした。
しかし、京に戻ったものの宿敵・二条晴良はまだ朝廷に居座り、自分の上洛を嫌っていると嘆きます。
信長に二条の排斥を催促しても信長に誤魔化されてしまうのだと光秀に愚痴を零したのです。
そして、先の関白であっても信長殿の操り人形だと自嘲したのでした。
前久が退室すると、信長はまだ前久には告げてはいないが、都の評判が悪い二条を朝廷から排斥しその代わりに前久を据えようと考えていると光秀に打ち明けます。
光秀が、人の心がついてこなければ天下統一は成し難い、と言うと、信長は自分の評判は上々だと言ったのです。
自分に都合のいい言葉を鵜呑みにしている信長に光秀は苦言を呈するのですが、信長には届きません。
平蜘蛛の茶釜を信長に差し出し、久秀の「これだけの名物を持つには持つだけの覚悟が要る」という言葉を伝え、これを持つにふさわしい覚悟を持って欲しいと懇願するのですが、信長はそんなに厄介な茶器ならば金に変える、と言い放ったのです。
光秀は、そんな言葉を発する信長を信じられないような面持ちで見つめたのでした。
正親町天皇(坂東玉三郎さん)に拝謁するため、光秀は三条西実澄(石橋蓮司さん)を頼りました。
実澄は、様子が変わってきた信長に不信感を持っていました。
帝に譲位を迫り、右大将の位を放り出したことに対しても不満を持っていました。
内裏にて、月見と称して光秀に会った帝は、光秀に月に囚われているという桂男の話をふり、「信長はどうか」と言うのです。
そして、「この後、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」と光秀に命じたのでした。
前回、第41回「月にのぼる者」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第42回「離れゆく心」のあらすじと感想です。
荒木村重の裏切り
天正6年、毛利攻めの副将を務めていた荒木村重(松角洋平さん)が信長に反旗を翻し、居城である有岡城に立て篭もりました。
荒木の上に当たる羽柴秀吉は、毛利方に寝返るとは何事かと激しく叱責します。
信長のもとに戻るようにと説得をするのですが、荒木の決意は変わりません。
荒木村重の嫡男のもとに長女・岸を嫁がせていた光秀も同席し、厳しい表情を浮かべています。
秀吉は何を言っても頷かない荒木に業を煮やし、「愚か者めが」と居丈高に恫喝し、立ち去りました。
秀吉に退席を促され立ち上がった光秀でしたが、荒木のもとに残り、これまで身内として深く関わってきたが、何が不満だったのか聞かせて欲しいと、問い質したのです。
荒木は、信長に摂津を任せられていたものの、摂津の地は信長によって重税が課せられ、民の不満が高まっていました。
その不満は荒木に向かい、国衆が荒木を恨み離れていくのを、信長は素知らぬ顔で見ていたというのです。
更に、武家の棟梁たる将軍が京から追放された時も、秀吉にぞんざいな扱いをさせ公衆の面前を裸足で歩かされるという辱めを受けさせました。
敬うべき存在の将軍に対しての仕打ちに、荒木は怒りを覚えていたのです。
しかし、毛利は将軍を再び京に呼び戻そうとしているので、自分はそれに従うと強い思いを見せたのです。
備後へ
摂津の織田の陣に細川藤孝(眞島秀和さん)が着陣しました。
光秀は、荒木と面会し、全ての争いは義昭に繋がっていると話し、このまま放っておくわけにはいかないと、備後・鞆に行き、義昭に会いに行くと決断したのです。
藤孝に摂津の陣を任せ、光秀は左馬助(間宮祥太朗さん)と共に備後への船に乗りました。
義昭が会ってくれるかどうか、どれだけの勝算があると尋ねた光秀に、左馬助は将軍に付いている鞆の国衆と、時折、文を交わしている為、無下にはされない、と告げました。
光秀は、なんとしても将軍に会って戦を止める糸口を見つけたいと思っていました。
備後・鞆に到着すると、将軍の側近に刃を向けられたものの、光秀は目通りが許されたのです。
腰の刀を預け、家臣に渡された釣竿を持ち、光秀は義昭のもとへと向かいます。
船の上にて、挨拶しようとする光秀を制止、手が離せないから隣に来るようにと義昭は光秀を促しました。
ここは鯛が釣れると伺いました、と話しかけた光秀に、義昭は、自分は不器用で一日中釣り糸を垂らしても一匹しか釣れないというのです。
不器用な自分を哀れんで、仏が一匹だけ授けてくれるのだといいます。
義昭はそれを皆で食べることを一日の楽しみにしているのだと語るのです。
そんな義昭に光秀は丹波の国衆がなかなか纏まらず苦労していると話始めました。
荒木村重の離反を告げ、離反した者たちは皆一様に公方様を慕っている、毛利と上洛することを待ち望んでいると口にしていると告げたのです。
しかし、毛利には上洛の気配はありません。
かつての朝倉のように自分の威光を高めることに義昭を利用しているのではないか、上洛
する気がないのではと疑っていました。
義昭はそれを肯定します。
信長を討て、上洛せよ、と自分が送った文を内心迷惑に思っている、と言うのです。
毛利は、義昭の名を使うと大義名分が立ち、何かと都合が良い為利用しているだけだと自嘲しました。
光秀は、そんな義昭に、京に戻らないかと提案します。
信長の説得は自分が責任を持って行う、義昭が京に戻れば、諸国の武士も矛をおさめる、と光秀は義昭を説得しようとしました。
しかし義昭は、京を追放された亡き兄・義輝も三好に唆されて京に戻ったものの、京の町を飾る人形のように扱われ、挙句殺されてしまいました。
義昭は、信長のいる京には戻らない、と答えました。
ここにいれば殺されることはないからな、と義昭は笑います。
義昭は、光秀一人の京ならば考えもしよう、と呟いたのでした。
有岡城攻め
その後、摂津に戻った光秀は、秀吉に不在を咎められてしまいました。
どこに出かけていたのか、根掘り葉掘り聞き出そうとする秀吉に、備後の鞆で鯛を釣ってきたが、それ以外に収穫はない、秀吉こそどこに行っていたのだと光秀は問いただしました。
秀吉は、荒木の説得が失敗したことを信長に知らせ、今後の方針を相談していたのだといいます。
信長は、もう一度、光秀と共に荒木村重の説得に当たれ、と命じ説得に応じなかった場合には、信長自らが出陣し、有岡城に攻めこむと言うのです。
光秀は踵を返すと、荒木の説得に向かおうとします。
秀吉が光秀を追いかけ自分も行く、と言うと、光秀はそれを断りました。
秀吉が来ると説得の妨げになる、と拒絶した光秀。
秀吉は、自分は荒木の頭に当たると抗議するのですが、光秀は頭ならばなぜ配下をあれほどまでに追い詰めたのだと、責め立てたのです。
軍議の場で一廉の武将に唾を吐くようなことはしてはいけない、と秀吉に苦言を呈すると光秀は1人で荒木のもとへと向かいました。
しかし荒木は、光秀の説得に耳を傾けることはありませんでした。
光秀が邸に戻ると、そこに荒木に嫁いだ岸(天野菜月さん)が離縁され明智に戻ってきていました。
役目を果たせず、荒木の家で死にたかった、と岸は光秀に謝罪、光秀は肩を落とす岸をしっかりと抱きしめ慰めたのでした。
京の信長は、言うことに従わない荒木の居城・有岡城を攻めると宣言していました。
見せしめのために、女子供も一人も討ち漏らさず殺せ、と命じたのです。
かつて、女子供を逃がした光秀に、何か言いたいことがあるのかと声をかけた信長。
光秀は、毛利、本願寺、丹波、武田などに囲まれ、苦しい戦をしなければならない、そのため、荒木とはもう一度話し合った方がいいのでは、と提案しました。
しかし信長は、毛利や本願寺とは、朝廷を通じて和議を申し入れてある、と言うのです。
その算段は秀吉が付けていると言います。
佐久間信盛(金子ノブアキさん)が、勢いのある本願寺が和議を受け入れるだろうかと疑問を投げかけると、信長は怒りを顕にし、信盛が本願寺を担当しているのではないかと、本願寺の勢いが増しているのは誰のせいだと叱責したのでした。
荒木村重の有岡城を攻撃した織田軍でしたが、堅牢な城と勇猛果敢な兵たちに阻まれ、戦は1年に及ぶ持久戦となってしまいました。
家康との密会
屋敷で物思いにふけっている光秀のもとに、菊丸が現れました。
一生のお願いがある、家康と会って欲しい懇願する菊丸の願いを聞いた光秀は、指定された日に摂津の海上で家康との密会を果たしたのです。
家康は、7つの時、織田から逃げようとしているところを光秀に見つかったと昔話を始めました。
あれから30年、家康は未だに何かに束縛されている、と自嘲します。
何者にも縛られずに自由に生きたい、と口にする家康。
家康ほどの大大名が誰に束縛されているのだと光秀は問いかけました。
家康は、例えば織田信長、と答えたのです。
家康が今川の所に捕らえられていた頃、家康は三条西実澄に師事していたことがありました。実澄は今回の難題は光秀に相談するように言ったといいます。
武田と通じているという疑いをかけられた家康の嫡男・信康と、その母・築山殿を成敗しろと信長から言われているというのです。
もし、徳川の中でそのようなことがあったら、自分が判断を下す、と家康は言います。
家族のことを、信長に指示される謂れはない、と。
今は、武田と戦うために手を組んでいる織田と徳川ですが、それが終わったら徳川は織田にどう扱われるのかと家中の者は不安に思っているというのです。
今の信長は、味方を遠ざけているように思えてならない、と家康は言います。
これでは天下は1つには纏まりません、と信長の世を危惧します。
信長と争うつもりはないが、あまりに理不尽が続けば、己を貫く、と強い意思を語ります。
これには、三河の誇りがかかっている、と家康は言うのでした。
離れゆく心
京の二条の館にて、信長は宣教師と対面していました。
宣教師の教えが面白いと興味を示し、信者になろうと考えた程だと笑います。
信長は、自身が育てた九鬼水軍が毛利水軍を討ち破り、毛利の兵糧を当てにしていた本願寺からもう何人もが逃げ出したことを喜び、本願寺攻めももう少しだとご機嫌になっていたのでした。
光秀は翌日から丹波へ向かう予定でいました。
その挨拶のために信長の素を訪れていたのです。
光秀は、信長に三河の信康と築山殿を成敗するように命じているのかと話します。
信長が家康にそれを命じるのは如何なものかと意見します。
すると信長は、家康が竹千代と名乗っていた幼い頃からよく知っているが、あれは争いを好まない人物だと評します。
どうするのかと家康を試しているのだと信長は言うのです。
信長が岡崎に鷹狩りに行った折、三河の家臣たちは信長に厳しい目を向けていました。
光秀は、徳川が荒木の二の舞になってはいけない、と進言します。
しかし信長は、裏切ったのなら成敗すればいい、と言い放ったのです。
信長は、光秀にいつから徳川方になったのだといい、自分が信頼しているのは光秀だけだと告げたのです。
しかし、信長は光秀の動きを怪しんでいました。
信長は、光秀が秘密裏に帝に拝謁したことを知っていました。
そこで、何を話したのか、自分の話題が出たのかと執拗に光秀に問いかけるのです。
内裏であったことは、誰にも話してはいけない、と実澄に言われていた光秀は、信長に謝罪をし、話せない、と告げるのです。
光秀が自分に隠し事をすることに腹を立てた信長は、扇子を振りかざし、申せ、申せ、と光秀を恫喝します。
それでも口を割らない光秀を、信長は扇子で激しく殴打したのです。
何度殴っても口を割らない光秀の態度を見て、信長は何故こうなる」と呟きました。
そして座に座り直すと、帝を変えよう、譲位して頂こうと呟いたのです。
武士が金を出さなければどうにもならない朝廷なのだ、というと、光秀に1年以内に丹波をどうにかしろ、と言い放ちました。
できない場合には考えがある、と脅し、光秀を追い出しました。
呆然と屋敷に戻ると、たまに頼まれたという駒が薬を作って待っていました。
光秀の額の傷を発見すると、すぐさま治療を開始します。
何かあったのかと光秀に尋ねても、光秀は何も、と何も言いません。
駒は、公方様から手紙がきた、と報告しました。
光秀が備後の鞆に来たことが書かれており、一緒に鯛を釣ったことが書かれてあったというのです。
義昭の手紙には、光秀とだったら麒麟が呼べるのかもと思った、と書いてあったといいます。
光秀は義昭の思いを知り唖然としたのでした。
次回、第43回「闇に光る樹」
自分の思い通りに動かない帝の譲位を進めようとする信長。
光秀はその責任者に命じられてしまいます。
いつしか光秀は、月に届くような巨木を切る不思議な夢を見るようになっていました。
その樹を切れば信長の命が終わる、と思い毎夜魘されていました。
病の治療のために京にやってきた帰蝶と会った光秀は、こんな時、道三様ならどうしただろうかと問いかけます。
すると帰蝶は、道三ならば、信長に毒を盛る、と答えたのです。
最後に
今回も息をつく暇がないほどの怒涛の展開でしたね。
信長の狂気が凄まじく、恐ろしいというか悍ましいというか…。
自分の思い通りにならないものは容赦なく切り捨てる冷酷な信長をどうにかして元の道へと戻そうとする光秀の2人のやり取りのすれ違いが苦しくなりました。
どうして信長はこうなってしまったのでしょうか。
また、虎の威をかる狐のような、秀吉の存在も鼻につきます。
誰よりも低姿勢で人々に媚びて出世街道をひた走った秀吉は、人の上に立つようになったら、信長同様居丈高な態度を取るようになってしまいました。
権力を持つと誰でもそうなってしまうのでしょうかね。
数々のドラマの中での秀吉は、人たらしで味方を増やしてきた人物という印象が強かったのですが、今回の秀吉は、人たらし、というよりも情報を駆使し、時には冷酷に邪魔なものを排除してのし上がっているように思えます。
信長の狂気に秀吉も同調しているように、秀吉の言動いちいちに恐怖を感じてしまいますね。
このところ、光秀の心からの笑顔、というものにお目にかかっていなかったのですが、義昭との釣りのシーンで見ることができました。
一度は義昭ではなく信長を選んだ光秀ですが、ここへきて義昭の思いを知り、信長の態度も相まって揺れてきている様子がよく伝わってきました。
帝や家康の思い、これまで信長に離反していった者たちの思い、自分が感じたこと、目指すものなど、光秀の頭の中には様々な思いが交錯して迷っているんでしょうね。
信長ならば共に大きな国を作っていけると信じ、邁進してきた光秀の決断の時はもうすぐです。
次回、第43回「闇に光る樹」では、とうとう光秀も最終局面に追い詰められていきます。
最終回まであと2回。光秀の思いに寄り添いながら、光秀の決断の時を見守りたいと思います。