2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、NHK総合にて日曜夜8時、BSプレミアムにて午後6時、BS4Kにて朝9時に放送中です。
前回のあらすじ
将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)を守るために二条城建設を始めた織田信長(染谷将太さん)。
しかし、2か月という短期間での建設は各所に無理を強いるものでその強引なやり方に批判が出始めていました。
無理やり寺の調度品を奪われた寺社の僧たちは、幕府の政所である摂津晴門(片岡鶴太郎さん)に訴え、寺社と深く繋がっている晴門は、それを義昭に取り次ぎました。
上洛に加え、自身のための築城と、信長に恩義がある義昭は、信長に強く言うことができず、信長が岐阜に戻ったら信長の家臣の目を盗んで、少しずつ調度品を返すと約束したのでした。
慣れない政務と人々の板挟みで孤独を感じていた義昭には、貧しい民のための悲田処を造るという夢がありました。
同じように貧しい人びとのために力を尽くす駒(門脇麦さん)の存在は、孤独な義昭の心を慰めてくれました。
義昭は悲田処を作る夢を駒に語ります。
駒は一度には無理だが、1つずつなら作れるのではないかと、悲田処の費用捻出のために、丸薬作りの手を広げることを考えるのでした。
ある日、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)のもとへ伊呂波太夫(尾野真千子さん)からの文が届けられました。
指定された場所へ行くと、太夫は光秀に会ってもらいたい人がいると訴えます。
その人物は先の関白・近衛前久(本郷奏多さん)。
足利義輝暗殺に関わったと疑われて、京を追われていたのですが、極秘裡に戻ってきていたのです。
しかし、幕府に狙われている前久は、今も身を隠す生活をしています。
前久は、将軍の奉公衆である光秀に命乞いはせず、幕府の腐敗を光秀に伝えました。
幕府を変え、世を収められるのは織田信長ではないか、前久はそう伝えると光秀の前から去ったのです。
多くを語らなかった前久の代わりに、同席していた太夫が前久の伝えたかったことを代弁します。
幕府は本来帝を守るべきもの、しかし、幕府は帝の窮状を見て見ぬふりをして支えず、あまつさえ帝の領地を横領しているというのです。
太夫は御所を見れば帝がどれほど困窮しているかわかると光秀に伝えました。
信長の家臣・木下藤吉郎(佐々木蔵之介さん)は、京の奉行の一人となることが決まっており、公家の動き、将軍側仕えの動きに目を配っていました。
当然、光秀が前久と会ったことも知っていました。
藤吉郎は光秀に公家の動きに気をつけろと助言を与えたのです。
光秀は、政は幕府に任せるという姿勢を取り、口を挟まない信長に、幕府役人を一新すべきと進言しますが、それは将軍の側仕えである光秀の仕事だと一蹴されてしまいます。
越前の朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)が美濃に攻め入るという情報を手に入れた信長は、急ぎ岐阜に戻り戦支度をする必要がありました。
信長は京に残る家臣たちと光秀に幕府の立て直しを命じたのでした。
ある日、光秀が東寺八幡宮の土地を横領したとの訴えが届きました。
それは光秀が義昭から拝領され、摂津晴門が用意した土地でした。
寝耳に水の光秀は晴門に説明を求めるのですが、晴門は真相を明らかにする気など全くない様子。
晴門の横暴に怒った光秀が向かった先は御所でした。
太夫に案内してもらい壊れた塀を見る光秀。
太夫は幼い頃の昔話を語り、今上帝のために、どうしても壊れた塀を直したいという決意を光秀に話したのです。
4月、信長が総力を挙げて作り上げた二条城が完成しました。
見事な出来栄えに義昭は喜びます。
二条城の完成を見届けた信長は岐阜へと戻り、光秀に朝倉義景との戦について話があるから美濃に戻ってくるようにと命じたのでした。
前回、第29回「摂津晴門の計略」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは第30回「朝倉義景を討て」のあらすじと感想です。
岐阜城への招き
永禄12年(1569年)夏、光秀は美濃に行く準備を進めていました。
木下藤吉郎は、美濃に赴く光秀に妻に作らせた弁当を届け、岐阜城で次の戦の話し合いが行われるのかと探りを入れますが、光秀は「妻子に会いにいくだけ」と誤魔化します。
幕府の中には越前の朝倉と繋がり、成り上がり者の織田ではなく朝倉を頼りたい者たちも多く存在し、様々な事を企んでいます。
そんな者たちを一掃しなければ幕府は一新できません。
朝倉を倒した方がいいのでは、と藤吉郎は言い募ります。
光秀は、越前に10年暮らして、朝倉を倒すには相当の兵と銭がいる、と語り部屋を出ました。
義昭と駒
すると、二条城の廊下で思いがけず駒と出会いました。
駒が義昭に呼ばれていると知り、驚愕する光秀でした。
駒は丸薬作りで得た大金を持参して義昭に会いに来ていました。
義昭が作ろうとしている悲田処の役に立てば、と義昭に大金を渡します。
駒の丸薬は順調に売れ、堺の豪商との取引も始めたといいます。
駒の作った丸薬の効き目を褒める義昭。
義昭は駒に孤独な心情を吐露しました。
未だ止まない戦のこと、幕府のこと、そのことが頭に残り、気が休まらない、しかし駒といると気が休まる、とこぼすと駒を蛍狩りへと誘いました。
二条城を抜け出した2人は、しばしの間幻想的な蛍の光を見て楽しむのでした。
摂津は義昭の行動を知り眉をひそめ、また、信長の居城である岐阜城で行われる話し合いの内容について、家臣に探りを入れるように命じました。
織田の動き次第では手を打たねばならない、と呟いたのです。
岐阜城にて
岐阜城に到着した光秀は、信長が豪商から召し上げた物品の目利きをしていた松永久秀(吉田鋼太郎さん)と再会しました。
信長は二条城築城のために諸国に協力を求め資金、資材を調達、自身の金品も盛大に使いました。
将軍上洛の後ろ盾とはなりましたが、信長の領地が増えたわけではありません。
次の戦のために、信長は金が必要だったのです。
松永に言わせれば、戦に勝てば金などいくらでも手に入る、と言います。
今の信長の勢いならば負けることはない、と豪語しつつ、朝倉は上洛を果たした信長を憎い、隙あればとって変わろうと思っていると朝倉の脅威を口にします。
そこに三淵藤英(谷原章介さん)がやってきました。
三淵は一足先に信長と面会していたのです。
信長は三淵に朝倉と戦をする、と告げるのですが、以前越前・朝倉に世話になっていた義昭は朝倉との戦には参加しないだろうと意見しました。
やるならば、何か大義名分が必要と告げました。
つまり、朝倉との戦は織田1人でどうぞ、ということか、と久秀は呟きます。
その時、光秀が信長からの呼び出しを受けました。
信長の居室を訪れるとそこには信長の嫡男・奇妙丸がいました。
戸惑う光秀ですが、そこに帰蝶が現れ、そなたの席ではないと奇妙丸をどかします。
光秀は帰蝶と久しぶりに再会しました。
帰蝶の「十兵衛」という言葉を聞いた奇妙丸は、帰蝶から聞かされていた「泣き虫十兵衛」とはこの者のことかと問いかけます。
帰蝶は奇妙丸に幼い頃の光秀の話を聞かせていたのでした。
清須にて突然我が子だと言われ幼子を託された帰蝶は、奇妙丸を我子のように育てていたのです。
帰蝶は光秀に、今信長は迷っている、と告げました。
たくさんの人に会い意見を聞き考えているが、迷っている。
光秀に「なにとぞよしなに」と言うと光秀を信長のもとに送り出しました。
信長のもとに向かおうと踏みだした光秀は、ふと振り返り、朝倉との戦について帰蝶はどう思っているのかと尋ねます。
帰蝶は、兄・高政の息子である龍興が朝倉を唆し、美濃を奪取しようと企てていることに憤慨していました。
京が一時穏やかになったとは言え、足元の美濃に火がつけばまた一から始めなければならない、と憂いています。
そのため、信長には「朝倉を討つべき」と進言したと告げました。
信長のもとに行くと、信長は鷹の世話をしていました。
徐に「朝倉相手に1人では勝てぬ、何か良い手はないか」と口にします。
光秀は、岐阜に来る前、御所の前を通った折に、崩れていたはずの塀が修繕されているのを見た、と話しました。
信長は塀の他にも門の修繕もしていたのです。
公家たちが美しかった塀が今は見る影もない、と嘆いていたのを聞いて、かつて父が将軍の代わりに自分が帝を守ると言った言葉を思い出し、父の供養のつもりで修繕したのだと話しました。
光秀が昔読んだ書物の話を信長にすると、信長は昔父に聞いた誰が一番偉いのか、という話によく似ている、と言います。
信長の父は1番偉いのはお天道様で、2番は帝、3番は帝を守る将軍だと話していました。
その時、信長は「帝はこの戦をどう思われるのだろうか、お聞きしたい」と口にしました。
この戦が天を平らかにするための避けては通れない戦だと認められれば大義名分が立つ、と考えます。
しかし、認めてもらえなければ、織田一人の戦いになってしまうと光秀は危惧します。
賭けだな、といいつつ、信長はその賭けをする決心をしたのでした。
信長は続きは酒を酌み交わしながら、と言って、裏門に光秀の妻子が来ている、と促しました。
喜び妻子との面会に向かう光秀。
そこに大きくなった娘2人と煕子(木村文乃さん)の姿を見つけました。
護衛に藤田伝吾(徳重聡さん)を付けていました。
光秀は懐かしい家族との再会に抱き合って喜ぶのでした。
明朝には京に戻ると告げる光秀に、煕子は家族の総意として自分たちも京に行きたい、と訴えました。
光秀の苦労を目の当たりにしたい、戦に出陣するならお見送りがしたい、という長女・岸の願いを伝え、自分も同じ思いだと告げる煕子に、光秀は伝吾を護衛にすれば大丈夫か、と思案し、「来るか、京へ」と告げたのでした。
信長の参内
その頃、帝と望月東庵(堺正章さん)が碁を打っていました。
帝は東庵に信長が参内を願っているが会うべきかどうか、と相談します。
東庵は、上杉輝虎は上洛すると言っていたが未だに音沙汰がない、しかし信長はそれを果たした、と言い「見るべきところはあるかと」と告げました。
二条城では、義昭と駒が蛍狩りで捕まえた蛍を蚊帳の中に放っていました。
暗くなれば蛍の光が見える、と言うと義昭は暗くなるまで駒にいて欲しいと懇願するのです。
同じ話を何度もせがみ、駒にお手玉の技を見せて欲しいと言います。
義昭の願いに駒は頷き、暗くなるまで歌を歌い続けるのでした。
永禄13年(1570年)2月、信長は上洛すると直ぐに参内し帝に拝謁しました。
信長は昇殿が許される身分ではありませんでしたが、帝は破格の扱いをしたのでした。
拝謁後、信長は光秀に帝は自分のことを良くご存知だった、と嬉しげに告げます。
今川との戦いも美濃との戦いも、将軍を奉じての上洛のことも。
そして、当第一の武将であると褒められたと誇らしげに語るのです。
御所の修繕に対しての礼も言われ、これからも天下静謐のため一層励むようにとの言葉も頂きました。
「この京を、畿内を平らかにし、そのための戦ならばやむなし」と戦の勅命を信長に与えたのです。
朝倉を討つ
越前一条谷の朝倉館に摂津からの文が届きました。
内容は、信長が上洛し、各大名と戦の用意をしているということです。
朝倉義景を睨んでのことです。
義景は家老の山崎吉家(榎木孝明さん)に織田のような成り上がり者に何ができる、と伝わる文だ、と言い、幕府は朝倉が織田を討ち上洛することを望んでいる、と解釈したのです。
そして、山崎吉家に織田との戦を宣言しました。
京に戻った光秀は、義昭に信長が帝からの勅命を受けたことを報告します。
そして信長から「帝の勅命は天からのご命令であり、幕府も総出で若狭の武藤を討つべき」と伝えられたと。
しかし義昭は、自分は戦は好まない、と言い、戦があれば和議で仲立ちをするのが将軍の務め、この都に留まり吉報を待つ、と告げると立ち去りました。
摂津は、若狭の武藤は越前の朝倉を討つための口実であると言い放ち、光秀を問い詰めます。
同席していた三淵は、義昭は世話になった朝倉と戦うつもりはない、多くの大名に支えられることを望んでいる、それを信長もわきまえるべき、と言います。
光秀は、朝倉には京を守る力はなく、義昭が越前を出ようとした時に義景は己の非力を棚に上げ自分勝手に立腹し誰ひとり国外に出さんと言い放った人間だと抗議します。
すると摂津は、その時は三淵の英断のおかげで上洛できたと口にしたのです。
あの時、三淵は義景の嫡男に毒を盛り殺害、義景の戦意を喪失させました。
指図をしたのが三淵、その毒を京から越前に運んだのは摂津の家臣だと言い放ちます。
大事は皆の力で成すもの、1人で成せるというのは思い上がり、という摂津は、我らは京の外へと一歩たりとも出るつもりはない、と宣言し信長に伝えるように言うと退席しました。
残った三淵は、あの時のことは今でも正しかったと思うし、悔いはない、しかし、この戦は気が進まない、自分の弱さだ、と認めつつ、自分は京に残る、ご武運を祈るとしか言い様がない、許されよ、と告げると部屋を出ました。
美濃、妙覚寺にて、戦支度の整った信長は、出陣を宣言。
永禄13年4月、信長は諸国の兵を従え、越前の朝倉義景を目指し出陣しました。
次回、第31回「逃げよ、信長」
ついに越前に向けて出陣した信長ですが、朝倉まであと一歩と迫った金ケ崎で、義弟・浅井長政の裏切りにあいます。
背後から迫って来る浅井・朝倉連合軍に追い詰められ絶体絶命の信長。
光秀は、信長は死んではならない、と撤退を進言。
信長を生かすための壮絶な退却戦が始まりました。
最後に
信長がとうとう帝に拝謁しましたね。
信長は将軍の代わりに積極的に御所を修繕し帝のために尽くします。
世を平らかにして大きな国を作ろうと奔走している信長。
対して、戦を好まず、心労から逃げ、駒に救いを求める義昭の姿は対照的でした。
天下のため、将軍のために力を尽くしているはずなのに当の将軍、幕府から理解が得られない信長の苦しさを思うと胸が潰れるようです。
己の利ばかりを追う摂津たちの企みが恐ろしく、信長の今後を思おうと空恐ろしくなります。
幕府の腹黒さ、腐敗具合が本当に恐ろしいです。
とうとう信長が越前に出陣、有名な金ケ崎の撤退戦が行われます。
その辺がどのように描かれるのか、非常に楽しみですね。
とうとう、妹のお市様登場ですかね。
久しぶりの帰蝶様の登場が嬉しかったですね。
相変わらず美しい帰蝶様。
理性的で野心的、素敵な帰蝶様ですね。
帝との拝謁で朝廷との繋がりを得た信長と義昭は蜜月を終え、もうじき決裂してしまいます。
緊張感が溢れる展開になってきますね。
次回「逃げよ、信長」は有名な金ケ崎の撤退戦、戦シーンです。
迫力あるシーンを楽しみにしています。