2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、NHK総合にて日曜夜8時、BSプレミアムにて午後6時、BS4Kにて朝9時に放送中です。
前回のあらすじ
天正7年(1579年)夏、明智十兵衛光秀(長谷川博己さん)は、長年にわたり目指してきた丹波平定を成し遂げました。
落城した後、潔く城を空け渡した武将たちに敬意を評し、光秀は、織田信長(染谷将太さん)には命は助けてくれるよう嘆願してあるから心やすく向かうといい、と敵将たちを安土へと送りました。
しかし信長は、光秀の思惑とは裏腹に、敵将たちを生きたまま磔にし、晒しただけではなく、光秀にその首を見せようと、切り落とした敵将の首を塩漬けにして保存して、光秀の前に置いたのです。
その嬉しげな様子の信長に、光秀は呆然としたのでした。
更に、信長は光秀を喜ばせようと、従五位上という官位を光秀に与えるよう働きかけるというのです。
自身は帝から賜った右大臣右大将という地位を返上しているにも関わらず。
光秀がそれを指摘すると、帝との軋轢が深まっていた信長は東宮から授かった簡易ならば喜んで貰い受けるというのです。
帝を疎んじた信長は、東宮への譲位に向けて急ぎ動き始めたのでした。
担ぎ出された東宮も、信長は何事も忙しない、と言いながらも、信長の勢いに何も言えず、二条への渡りを承知したのです。
このようなやり方の信長に対し、光秀は不審感を募らせていくのでした。
天正8年4月、とうとう大坂本願寺が力尽き、大阪の地も信長のものとなりました。
それに伴い信長は、大坂本願寺攻めの総大将であった佐久間信盛(金子ノブアキさん)を追放。
長年の側近を自らの手で遠ざけたのです。
その頃、光秀は月にまで届くような大木を切り倒す悪夢を毎晩見ていました。
その大木には信長が上り、月に登ろうとしています。
木を切り倒せば登っている信長は危険です。
しかし光秀はそれを承知で木を切ろうとしていたのです。
目を患った帰蝶(川口春奈さん)が京に出てきていることを知った光秀は、帰蝶のもとを訪ねます。
帰蝶は亡き父・道三に、帰蝶が男だったら自分と瓜二つだ、と言われたほどに考え方がよく似ています。
光秀はモヤモヤした気持ちを帰蝶にぶつけてみるのです。
帰蝶は、光秀の気持ちを察していました。
長年仕えていた家臣を追放し、帝の譲位を進めようとしている信長。
光秀は道三だったらどうするだろう、と尋ねました。
すると帰蝶は、「毒を盛る、信長様に」と言い切ったのです。
光秀は、自分は信長あってのもの、信長に毒を盛るということは自分に毒を盛るのと同じ、と答えるのですが、今の信長を作ったのは道三であり光秀であると言い募ります。
作ったものが責任を持って暴走を止めなければならない、と答えたのです。
天正10年3月、織田・徳川連合軍は甲斐の武田勝頼を討ち果たしました。
互いの勝利を喜ぶ信長と徳川家康(風間俊介さん)。
信濃諏訪にて光秀は久しぶりに家康と再会しました。
家康は、新たに駿河の地も任されることになり、近江・丹波の地を上手く治めている光秀に統治のコツを尋ねたのです。
2人は穏やかな世を作るため、治世について熱心に語り合っていました。
それを信長の側近・森蘭丸が遠くから見ていました。
蘭丸は、信長が安土で戦勝祝いを開くので、家康を招待したいという意向を家康の家老に伝えに行っていたのです。
信長のもとに戻った蘭丸は、戦勝祝いの饗応役を光秀にして欲しいという徳川家の意向を信長に伝えました。
祝われる側からの指定に信長は眉を顰め、家臣たちも家康は毒を盛られることを心配しているのではという声が聞こえてきました。
かつて、武田と通じていた家康の嫡男と妻を成敗しろと命令した信長は、家康がまだそのことを根に持っているのかと不快感を顕にしました。
天正10年5月、安土にて戦勝祝いが行われる日。
光秀は、準備万端整ったことを信長に報告していました。
光秀の働きに満足する信長は、光秀にはここで役目を解き毛利攻めをしている羽柴秀吉(佐々木蔵之介さん)の援軍に向かうよう命じたのです。
しかし光秀は、家康の饗応役を最後まではたしたいと信長に懇願したのです。
和やかに始まったかに見えた戦勝祝いでしたが、光秀が用意した膳が信長の指定したものと違うと信長が激怒し光秀を激しく叱責。
慌てて膳を取替えようとした光秀は信長に椀をこぼしてしまい、信長から足蹴にされてしまいます。
信長からの理不尽な仕打ちに光秀も怒りに震え、信長に対し木を切るように手刀を向けるのでした。
前回、第43回「闇に光る樹」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは最終回、「本能寺の変」のあらすじと感想です。
饗応役解任
天正10年(1582年)5月、徳川家康の戦勝祝いの饗応役に任命された光秀は、祝いの膳が信長の指定したものと違っていると信長の怒りを買い、皆の前で足蹴にされた上、饗応役を解任されてしまいました。
別室にて控えていると、にこやかな信長が現れました。
先程はいろいろ言ったが気にするな、祝われる側だというのに饗応役を指名するなど不躾な要求をした家康の反応を試すためだったと説明します。
そして、光秀には急ぎ毛利に向かって欲しいと命じたのです。
秀吉からの報告で、毛利攻めにおいて、四国の長宗我部元親の存在が気にかかると書かれており、背後をつかれるかも知れないと恐れているというのです。
そのため、信長の三男・信孝を四国の讃岐に向かわせることを決めたといいます。
光秀は、四国の長宗我部が秀吉の背後を突くなど、秀吉の言いがかりであると反論します。
長曾我部は光秀と親戚同然の付き合いが有り、信長を敬っているのだと伝えるのです。
しかし信長はもう決めた、と取り合おうとしません。
そのような大事をなぜ自分に何の相談もないまま決めてしまったのか、と光秀が言い募ると、光秀は丹波攻略に忙しく、言うのが遅れたのだと信長は目をそらしました。
信長は、光秀にはやって欲しいことがあるといい、備後の鞆に行き、将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)を殺せと命じました。
毛利の戦の大義名分は、将軍・足利義昭が自分の領地にいるからです。
将軍を殺さなければ戦のない世は来ない、と信長は言います。
「将軍を殺せ、それが此度のそなたの役目だ」と光秀に命じたのでした。
光秀の迷い
京の館に戻った光秀は、明智左馬助(間宮祥太朗さん)に安土で起こったことをざっと話して聞かせます。
饗応役を解かれたことを話し、義昭を殺せと命じられたことも伝えました。
しかし、光秀は義昭を殺すことはできない、細川藤孝に会いたい、と伝えたのです。
蹴鞠の会に呼ばれた藤孝は、京に滞在していました。
公家衆たちの蹴鞠の会に参加していた藤孝は、近衛前久(本郷奏多さん)に呼ばれ、安土で起こった出来事を聞かされました。
そして、万が一、信長が光秀を切り捨て、事を構えるようなことがあった場合、どちらに付くのかと尋ねられたのです。
「そうならぬ事を祈るほかありません」と藤孝は答えたのでした。
前久は、明智の現状を伊呂波太夫(尾野真千子さん)にも伝えました。
信長に逆らって勝った者はいないのです、という前久に、太夫は「信長に逆らえばいい」と言い放ったのでした。
信長に義昭を殺せ、と命じられた時のことを光秀は思い返していました。
あの時、信長は、10年前、15年前だったか、戦のない世を作ろうと2人で話して話したことを嬉しげに話していました。
将軍を殺せばそれが終わる、現実になるというのです。
戦のない世が来たら2人で茶でも飲んで過ごそう、子供のように長く眠りたい、と夢を語る信長。
しかし光秀は、私には将軍を討つことはできない、と信長に返答したのです。
考え込む光秀のところに、細川藤孝が嫡男夫婦と共にやってきました。
たま(芦田愛菜さん)が細川忠興に大事にされている様子に光秀は安堵します。
藤孝と話があると忠興とたまを退出させると、毛利攻めについて話をふりました。
信長は本能寺に入り準備を整え、光秀は信長の下知を待って出陣します。
藤孝は丹後に留まり、今回は嫡男・忠興が出陣するといいます。
この戦にて、信長が備後の幕府の残党を処分するつもりだと噂があるが本当かと藤孝は尋ねます。
光秀は、その命を受けたが断ったと伝えました。
信長がそれを納得するかと心配する藤孝に、光秀はもう一度説得する、と伝えたのです。
そして、光秀は藤孝に尋ねたのです。
「以前、藤孝殿は上様の行き過ぎをお止めする折は私も声を揃えて申し上げられる覚悟があると、今もそのお覚悟がおありか?」
藤孝は「覚悟とは…どれ程の覚悟でございましょう」と聞き返します。
光秀は「覚悟には、果てはございません」と答えました。
光秀の館からの帰り道にて、藤孝は、何も起こらぬことを願うが、あるかもしれぬ、とこの事態を至急秀吉に伝えるよう家臣に命じたのです。
その藤孝の様子を菊丸(岡村隆史さん)が見ていました。
藤孝と面会後も光秀は苦悩していました。
帝と月へ登る者の話をした時、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ、と命じられたことを思い出し、逡巡していました。
久しぶりに明智の邸に戻ってきたたまは、歌を歌いながら薬作りに励んでいました。
それを見ていた光秀は、たまが夫・忠興と仲睦まじくしていることを喜びました。
忠興が良い夫であると感じた光秀。
そんな忠興が戦にでなくて良い世にしなければ、と口にします。
忠興も、光秀がそんな世にしてくれると言っていたとたまは伝えました。
光秀は、たまが忠興と長く生きろ、そのために自分は戦う、と決意を表したのでした。
近衛前久は、帝に織田と明智の確執のことを伝えに参内していました。
前久は、帝(坂東玉三郎さん)に、この先、織田と明智双方から助力を頼まれたらどちらに力を貸すのかと帝の意思を確認したいと言います。
帝は、「ただ見守るだけ」としか答えませんでした。
敵は本能寺にあり
天正10年5月末、光秀は本拠地である丹波に入りました。
信長に命を受けた時、光秀は、信長は多くの間違いをしている、と指摘。
初めて信長に会った時、信長は民に魚を売っていました。
それを見た光秀は、信長は優しく、人の心がわかる人だと思ったと告げます。
しかし変わってしまった、戦の度に信長は変わってゆかれた、と光秀は嘆きました。
「毒を盛る、信長様に。今の信長様を作ったのは父上であり、そなたなのじゃ。作った者がその始末をなす他あるまい、違うか?」と言った帰蝶の言葉が耳に蘇ります。
変わってしまった、と言われた信長は、「儂を変えたのは戦か…。違う、乱れた世を変え大きな世を作れと儂の背中を押したのは誰だ、そなたじゃ!そなたが儂を変えたのじゃ!今更儂は引かぬ、そなたが将軍を討てぬと言うなら儂がやる、儂が1人で大きな国を作り、世を平らかにし、帝さえもひれ伏す万丈の主となる!」と叫んだのです。
とうとう光秀は、大木に斧を突き立てる決意を固めたのでした。
5月29日、信長が安土から本能寺に入りました。
その頃、丹波・亀山城にて、光秀が三家臣を前に座っていました。
先日、愛宕山に滞在していた光秀に、何かお告げがあったかと尋ねました。
光秀は頷き、お告げはあったが変わった、と言い始めたのです。
備中には行かず、京へ向かう、といった光秀。
何処へ向かうのかと問われると、
「本能寺。我が敵は本能寺にある。その名は織田信長と申す。信長様を討ち、心ある者と手を携え世を平らかにする、それが我が役目と思い至った」
と言い切ったのです。
そして太刀を抜き家臣の前に置くと
「誰でも良い、儂が間違うておると思うなら、この太刀で儂の首を刎ねよ、今すぐ刎ねよ!」と命じました。
藤田伝吾(徳重聡さん)は、「皆思うところは同じ」と光秀に同意し、左馬助も斎藤利三も平伏し「同じでございます」と覚悟を決めたのでした。
その頃の信長は、本能寺にて碁打ちの会を開き、穏やかに過ごしていました。
その夜、光秀の邸に菊丸が忍んできました。
家康から側付を解かれ、これ以降は光秀の護衛をするよう命じられたという菊丸。
光秀は菊丸に、自分が向かうところはどこか存じているのかと尋ねます。
「おおよそは」と察している菊丸に光秀は、この戦は所詮、己1人の戦であると伝えます。しかし、この戦に勝ったら家康に力を貸して欲しい、200年、300年と続く世を作りたい、もし敗れたら、家康に後を頼みたい、と光秀の意志を託したのです。
菊丸の家康宛ての文を手渡すと、堺は危ない、三河に帰った方がいい、菊丸も此処を去れ、これは私の一生の一度の願いだ、必ず届けよ、命じたのでした。
本能寺の変
6月1日夜、光秀の軍は亀山城を出立しました。
妻・煕子(木村文乃さん)の「麒麟を呼ぶ者が貴方であったなら」という言葉を思い出していました。
その頃、備中に居た羽柴秀吉は、藤孝からの文を受け取り、光秀と信長の間に何かが起こると確信を得ていました。
「やればいいのじゃ、明智が上様を…やれば面白い…」と笑いました。
側近の黒田官兵衛に向かい、「これ毛利を相手にしている場合ではないぞ、高松をさっさと片付けて、帰り支度じゃ」と命じたのでした。
「明智様が天下をクルリと回してくれる」と秀吉はほくそ笑みました。
6月2日早暁、光秀の軍勢が本能寺を取り囲みました。
光秀の「かかれ!」の命令がかかると、門は打ち壊され、明智勢は一斉に本能寺へと突入したのです。
物音で目覚めた信長は、誰の軍勢かと問いかけます。
「水色に桔梗紋…明智殿の軍勢です」
すると廊下に出た信長と近習に矢が降り注ぎました。
信長の肩に矢は命中し、信長は蘭丸に連れられた奥の間へと逃れました。
そこで「十兵衛…そなたが、そうか…十兵衛か」と呟くと高らかに笑いだしたのです。
「で、あれば是非もなし」と言うと、肩に刺さった矢を折り、蘭丸を従えて応戦に向かいました。
光秀の軍勢は容赦なく信長を攻撃します。
塀の上から鉄砲を撃ちまくり、信長の兵を削ります。
信長は自ら槍を取り、押し寄せてくる兵をなぎ倒します。
信長と共に蘭丸も素晴らしい働きで光秀の兵を斬り倒していきます。
信長は薄い笑みを浮かべながら槍を振るい、槍が折れれば太刀で応戦します。
しかし、肩の負傷に加え、腕も斬られ、ついには鉄砲の弾が信長の全身を貫きました。
信長は不敵な笑みを浮かべると蘭丸を呼び、奥の間へと下がりました。
信長は、「儂はここで死ぬ。蘭丸、ここに火をつけろ、儂の首は誰にも渡さぬ。火を点けよ、儂を焼き尽くせ」と命じ1人部屋に入ったのでした。
光秀は、日輪を背にして船に乗る信長の姿を思い返していました。
炎に包まれた部屋に1人居た信長もまた、光秀のことを思い返していました。
魚を売っていた時に会った光秀。
今川義元を討った時に出迎えた光秀。
そして、大きな国を作ろうと2人で語った日の事。
光秀は、本能寺、奥書院の辺りから上がる炎を、目を逸らさずじっと見ていました。
炎に包れた信長は腹を斬り、穏やかな笑みを浮かべて絶命しました。
伊呂波太夫は望月東庵(堺正章さん)の家に行くと、光秀が本能寺で信長を討ったことを伝えました。
東庵は絶句し、駒は着物を強く握り締めたのです。
焼け落ちた本能寺の灰を手に取り、笑みを浮かべる光秀。
そして、麒麟の事を考えていました。
この焼け具合では髪の毛一本も残っていないと判断した光秀は、これ以上の探索は不要と引き上げようとしました。
そこに、伊呂波太夫が光秀に声をかけたのです。
太夫は光秀に「きっとこうなると思っていました。帝もきっとお慶びでしょう。明智様ならきっと美しい都を取り戻してくれると」と言いました。
すると光秀は、「美しい都、それは約束する」と言い、駒に必ず麒麟が来る世にしてみせると伝えて欲しい、と頼んだのでした。
この日、明智光秀は天下を取りました。
越中に居た柴田勝家は遠い戦地で身動きがとれず、なす術がありませんでした。
しかし、光秀の有力な味方と思われていた武将たちは一斉に沈黙しました。
家康は次に来る事態に備えて三河へと急いで戻る最中でした。
6月13日、西国から思わぬ速さで戻ってきた羽柴秀吉が光秀の前に立ち塞がり、光秀の天下は終わりを告げたのでした。
本能寺の変から3年後
そして3年後、京の内裏にて帝と東庵が双六をしていました。
多くの武将が世に名を挙げ消えて行きました。
世が平らかになるのはいつのことだろうと、帝は憂います。
備後・鞆に行った駒は義昭と再会を果たします。
駒が小早川との茶会に赴くと知った義昭は怒りを顕にしました。
小早川は毛利一族の中で、いち早く秀吉に付き、寝返った人物です。
信長のことは大嫌いであったけれど、世を正しくさせようという志があった、光秀にはそれがはっきりとあった、と2人を高く評価した義昭。
駒は義昭に、光秀が生きているという噂があるのだと話をしました。
生き延びて丹波の山奥に潜み、力を蓄えているのだと言います。
「誠か?」と言う義昭に、駒は笑みで返しました。
再会を約束して別れた帰り道、駒は道端で光秀によく似た人物を見かけました。
光秀の名を呼びながら追いかけるのですが、見失ってしまった駒。
駒はしばらくその場を見つめながら笑みを浮かべたのでした。
明智十兵衛光秀は、愛馬に乗り街道を駆け抜けて行ったのでした。
最後に
配役の変更、コロナ禍での撮影休止と様々な困難に見舞われた今回の「麒麟がくる」でしたが、放送回を減らすことなく終わりを迎えました。
戦国ものということで大規模な合戦シーンなど期待していましたが、コロナの影響により人との関わりの面が主に描かれていました。
大きな合戦やエピソードなど、割愛されたところも多かったように感じましたが、その分キャラクターの魅力が十分に描かれていたのではないでしょうか。
最終回では、苦悩する光秀の姿に共感しましたね。
信長の狂気に心から震え、どうにかできるのは光秀しかいないと縋るような気持ちでみていました。
最後まで世のことを思い、突き進んだ光秀と、志を同じくしながら手段を間違ってしまった信長。
「世を平らかにして2人で茶を飲んで過ごそう」という信長の気持ちを聞いた時、嬉しくもあり切なくもあり、複雑な思いでいっぱいになりました。
どこまでも光秀も信じ、大切に思っていたからこそ、光秀の思い描く未来のために狂気に思えるほど激しく、苛烈に突き進んだ信長。
一番の理解者であったはずなのに離れていく光秀への思いが感じ取れて、染谷将太さん演じる信長に感動しました。
死に逝く信長の姿を目に焼き付けている光秀の姿にも目が潤みました。
出会った頃からの邂逅を経て、焼き尽くされた本能寺の灰を手にして薄い笑みを浮かべた光秀。
何を思っていたのでしょうか。
美しい都を約束する、と言っていた光秀の天下は余りにも呆気なく終わりを告げました。
何事にも用意周到で根回しも早く先を読む力のある羽柴秀吉によって。
今回の秀吉もまた印象深いキャラクターでした。
今までにない腹黒キャラですよね。
とても印象深く、物語の鍵になっていたと思います。
素晴らしい秀吉でした。
光秀の意志は家康に引き継がれました。
どこまでも我慢強い家康は、光秀の思い描く世をじっくりと作っていくのでしょう。
そんな家康の手助けをする光秀の姿を描く番外編、確かに見たいですよね。
光秀は生きている、という終わりの今回の「麒麟がくる」でしたが、従来の光秀怨恨説、とか黒幕説ではなく光秀の正義の結果、ということでスッキリとした終わりだったと思います。
1年以上に渡った「麒麟がくる」最後まで楽しく視聴することができました。
演者の皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。
新しく素晴らしい物語をありがとうございました。