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鎌倉殿の13人 第41「義盛、お前に罪はない」のあらすじと感想

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61作目となる2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」。

こちらでは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のネタバレあらすじと感想をお届けします。

脚本は、三谷幸喜さん。

主役の北条義時を務めるのは、小栗旬さんです。

毎週日曜(総合)午後8時、(BSプレミアム、BS4K)午後6時、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

建暦2年(1212年)、後鳥羽上皇(尾上松也さんん)の命により、閑院内裏の修復が鎌倉に命じられました。

御家人たちは、和田義盛(横田栄司さん)の館に集まり、修復の不満をぶつけあっていました。

2代執権となった北条義時(小栗旬さん)と大江広元(栗原英雄さん)は、政に不満を持つ御家人が和田館に集まり、和田が反北条の旗頭のようになっていることを危惧していました。

建暦3年(1213年)、泉親衡の乱が発覚、和田義盛の息子たちや甥が関わっていることがわかりました。

大江が調べてみても、泉親衡という人物は謎で、鎌倉の政治を北条が動かしていることが気に入らない京の上皇の策略ではないかと思われました。

事実、泉親衡は和田の甥、胤長を言いくるめ、仲間を集めさせ、煽るだけ煽ると、いつの間にか姿を消していたのです。

和田は義時に頭を下げ、許しを請います。

和田の懇願に折れた義時は、息子たちは赦免しましたが、主犯格である甥の胤長だけは流罪に処しました。

和田義盛は、父・胤長の投獄に心を病んだ娘のために、胤長の赦免を請い、98人の一族を引き連れて御所にやってきました。

しかし、3代鎌倉殿である実朝(柿澤勇人さん)に面会も許されず、一族の前に手を後ろに縛られた胤長を見せつけられました。

罪は減刑されず、そのまま流刑が決定。

和田一族は屈辱に打ち震えました。

三浦義村(山本耕史さん)にその不満をぶつけると、三浦は、御所に討ち入り、義時の首を取ってはどうかと囁いたのです。

今の鎌倉は、北条への不満を持つ御家人が増えています。

自分たちの手で鎌倉殿を救い、この世を変えようと訴える三浦。

胤長に会うことなく娘が他界したことも、義盛の背を押しました。

実は、三浦は義時の命を受けて、和田を煽っていたのです。

反北条の旗頭的な和田を排除するために、義時と大江が立てた戦略でした。

和田一族謀反の名目を作り、滅ぼそうとしていたのです。

父のやり方に反発する北条泰時(坂口健太郎さん)は、御台所・政子(小池栄子さん)に訴えます。

政子は、義時を問い詰めますが、鎌倉に必要なこと、と引きません。

強い叱責に折れた義時は、政子にこれ以上和田をけしかけることはしない、と宣言しました。

しかしそれは口先だけ。

政子もそれを承知して、三浦に宿老の座を用意するから、北条の側に付き、和田を孤立させ戦を回避させてほしいと懇願したのです。

どうしても和田に謀反を起こして欲しい義時は、胤長の館を没収し、和田一族を挑発します。

和田を助けたい実朝は、密かに和田を呼び出し、戦を止めるよう説得します。

和田は承知し、義時も実朝の顔を立て、戦は回避されることになりました。

しかし、義盛の帰りが遅いことを心配した一族は、北条の策略により捕縛されたのではと、兵を動かしてしまったのです。

鎌倉最大の激戦である和田合戦の始まりでした。

前回、第40回「罠と罠」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。

それでは、第41回「義盛、お前は悪くない」のあらすじと感想です。

和田の謀反

館に戻った和田義盛は、一族が兵を出したと聞き驚愕しました。

それでは、実朝の前で義時とした約束を破ることになってしまいます。

義盛は一族を諫め、兵を退くように言いますが、一族は今が好機と言うことを聞きません。

義盛は、「我らの敵はあくまで北条、この戦、鎌倉殿に弓引くものではない。それだけは肝に銘じておいてくれ」と宣言し、北条討伐のために挙兵することとなりました。

その頃、約束通り、守りを解いた義時のもとに、和田の軍勢が東に向かって出陣したとの知らせが入りました。

頼朝が築いた都市、鎌倉が戦火に包まれようとしていました。

北条転覆を狙う最強の一族、和田の乱が始まります。

寝返り

義盛は、和田の館に留まっている三浦義村に、問いかけました。

義村と義時の深い絆を知っていたからです。

「裏切るなら早いうちに裏切って欲しいんだ。ここぞって時に裏切られたらたまったもんじゃないからな。通じてるんだろ?」

義村が義時の命で動いていることは義盛にはお見通しでした。

「なぜ斬らぬ」と義村が言うと、「俺たちだって従兄弟同士じゃねえか」と義盛は答えます。

戦場では容赦無用だ、と言うと義村を見送ったのでした。

義盛の許可を得たとして、三浦、八田知家(市原隼人さん)、長沼宗政(清水伸さん)は、北条に付くことにしました。

しかし、巴(秋元才加さん)に飲み込まされた起請文の存在が気にかかります。

八田の提案で、大量に水を飲んで起請文を吐き出し、三浦達は北条方へ付いたのでした。

和田合戦~1日目

北条館に到着した三浦は、和田勢は3隊に分かれて攻め込んでくると報告しました。

和田の狙いは義時だと指摘します。

義時は、鎌倉殿を守るために御所に行くと決断し、三浦に南門、北条時房(瀬戸康史さん)に北門、そして北条泰時に西門を任せると指示を出しました。

出陣する義盛に、妻・巴は自分も一緒に戦うと言い募りますが、義盛は必ず帰ってくるから待っていろと巴を置いていくことにします。

そして、「目指すは将軍御所。官賊・北条義時に鎌倉殿を奪われてはならん」と和田勢の前で声を上げました。

義時が御所に到着すると、襲撃から逃れてきた大江広元と遭遇しました。

無事を喜ぶ2人。

大江は、頼朝の頃からの重要な書類を鶴岡八幡宮に移そうとします。

義時が実朝の居室に行ってみても、実朝の姿はありません。

義時は、政子や実衣(宮澤エマさん)を安全な八幡宮に逃がそうとしますが、実衣は納得できず抵抗します。

そこに、実朝が見つかったとの知らせが入りました。

実朝は、妻・千世と共に納屋に避難していました。

戦にはならないのではなかったのかと義時を問い質します。

義時は「義盛に諮られました」と答えました。

実朝は「無念だ」と呟きます。

義時は、西門から八幡宮に逃げろと実朝を誘導します。

その頃、西門を守れと言われた泰時は、泥酔していました。

妻・初(福地桃子さん)に起こされても、従者の平盛綱(きづきさん)に起こされても、全く起きる気配はありません。

初に呼び戻されていた北条朝時(西本たけるさん)は、そんな兄の姿を呆れてみていました。

朝時は、いつまでもぐずぐずと起きようとしない泰時の傍に行くと、「期待されて生きるのがそんなに辛いですか、誰からも期待されずに生きている奴だっているんだ。その悲しみ何て考えたことねえだろ」と囁きます。

ハッとしたように目を開いた泰時。

そこに初が桶に入った水を泰時にぶちまけたのです。

漸く、泰時は覚醒しました。

和田義盛は、一族を率いて御所の南門を打ち破り、中に侵入しました。

そこを守る三浦勢と激しい戦いが起こります。

西を守る泰時の所にも、和田勢が迫ってきました。

激しい戦いは深夜まで続きました。

無事に鶴岡八幡宮まで逃げ延びた一行は、御所から火が立ち上るのを確認しました。

避難したものの、落ち着かない実朝。

実朝は、母から譲り受けた髑髏を忘れたので、取りに戻りたいと言い出したのです。

実衣は、護衛の八田に取りに行って欲しいと懇願しますが、いつ兵が来るかわからない状況でこの場を離れることはできないと、八田は断ります。

すると、御所のことは知り尽くしている、と大江が名乗り出ました。

大江は、和田勢が犇めく御所に入り込み、敵を倒しながら静かに進みます。

和田義盛が御所内に入り、実朝の居室を検め、実朝がいないことに悔しがっている時も、大江は陰に隠れてみていました。

和田勢をやり過ごし、大江は無事に髑髏を持ち帰ったのでした。

和田合戦~2日目

由比ガ浜まで退却した和田勢は、体制を立て直していました。

おそらく実朝は八幡宮にいるはずだと、義盛は推測します。

義盛を案ずる巴に、義盛は自分が鎌倉殿になったら巴は御台所だ、と軽口を叩き、安心させます。

八幡宮に避難している義時の元へ、和田勢に加勢するために西相模の御家人が集まってきているとの情報が入りました。

義時と大江は、彼らを鎌倉方に付けるため、実朝に御教書を書いて欲しいと頼みました。

しかし、三善康信(小林隆さん)は、和田の狙いは北条であると意見します。

御教書を出してしまえば、和田と北条の争いが、和田と鎌倉の争いに形を変えてしまうと危惧したのです。

それを聞いた実朝は、御教書は出せないと拒否するのですが、義時から大戦になってもいいのか、と責め立てられてしまいます。

敵の数が増えればそれだけ死者が増える。鎌倉が火の海になってもいいのですか、それを止められるのは鎌倉殿、貴方しかいない、と説得されたのです。

大江からも、我らに任せて欲しいと言われ、実朝は御教書に花押を書いたのでした。

翌朝、泰時勢が和田勢と対峙していました。

和田勢から無数の矢が降り注ぎます。

板で敵の矢を躱そうとしますが、降り注ぐ矢の数が多すぎて、身動きが取れません。

朝時はわざと戦線から離脱すると、思案しました。

義盛は、西からの援軍が鎌倉方に付いたと聞き、驚愕します。

北条の策略だ、と叫ぶと更に矢を射るよう声を上げます。

朝時は、戦場近くの民家から板を剥がすと、矢を防ぎながら戻ってきました。

これを見た泰時は、平盛綱に民家から板を持ってきて矢を防ぐと命じました。

前面と上面を完璧に守った板の防壁を作った泰時は、声を合わせて和田勢へと歩を進めます。

和田勢が更に矢を討ちかけてきても、泰時の防壁は全てを防ぎます。

だんだん近づいてくる泰時勢に、刀で襲い掛かっても、防壁の隙間から攻撃され、和田勢はその数をどんどん減らしていきました。

とうとう真正面からぶつかり、乱戦となりましたが、泰時勢の奮戦により、和田勢は退却しました。

義時は、大江から和田を追い詰めたと報告を受けました。

そこで、実朝に陣頭に立って欲しいと訴えたのです。

実衣は、実朝が戦場に出ることに反対しますが、政子は武家の棟梁が流れ矢を恐れてどうする、と反論します。

実朝も、自分が出れば義盛も言葉を聞いてくれるはず、「義盛は私が必ず説得して見せる。命だけは取らぬと約束してくれ」と義時の言葉に従いました。

追い詰めた和田勢の前に、義時が立ちました。

和田勢は一斉に義時に向けて狙いを定めます。

するとその背後から実朝が現れたのです。

義盛は驚き、門から出てきました。

実朝は「義盛、勝敗は決した。これ以上の争いは無用である。大人しく降参せよ」と訴えます。

義盛は「俺は、羽林が憎くてこんなことをやったんじゃねえんだ」と答えます。

実朝は「わかっておる。義盛、お前に罪はない。これからも私に力を貸してくれ。私にはお前がいるのだ」と語りかけました。

義盛は背後の一族に振り返り「皆ここまでじゃ!これほどまでに鎌倉殿と心が通じあった御家人が他にいたか!我こそが、鎌倉随一の忠臣じゃ」と涙ぐみました。

その時、義時は三浦に合図を送りました。

三浦は手勢に合図を送り、和田義盛に向けて一斉に矢を撃ち込んだのです。

義盛の背に、無数の矢が突き刺さりました。

実朝は驚き、声を失います。

近づこうとする実朝を泰時は止めました。

義盛は「羽林…」と呟くと、無数の矢を体に刺したまま立ち尽くし、しばらくして崩れました。

義時はその場にいた大勢の御家人たちに向かい「これが鎌倉殿に取り入ろうとした者の末路である」と宣言。

泰時に、実朝を八幡宮にお連れしろ、と命じるとその場を立ち去りました。

実朝は泣き崩れ、泰時は立ち去る父の背を睨みつけていました。

皆に背を向けて立ち去る義時の表情は、苦渋に満ちたものでした。

2日にわたって繰り広げられた和田合戦は終結しました。

戦のあと

和田勢の死者は234。

生け捕りは27。

鎌倉方の死者50、負傷者は千余名。

実朝は改めて戦場を見分し、戦というものはこれほどの骸が必要となるのか、と呆然とします。

実朝が生まれる前から、こうして鎌倉はできてきたのだと義時は諭しました。

「人の束ねていくのに最も大事なのは力でございます。力を持つものを人は恐れます。恐れることで人はまとまります。貴方のお父上から学んだことです」と義時は言います。

実朝は、「これよりは政のことはよくよく相談して行うつもりだ」と呟きました。

その言葉に義時は頷き、そのために我ら宿老がいる、と答えました。

しかし、実朝は宿老ではなく西のお方に頼る、と主張したのです。

西のお方、とは上皇のことです。

実朝は、この鎌倉に心を許せるものはいない、と断言しました。

義時は、頼朝も朝廷にあまり関わらないようにと言っていたと説得するのですが、実朝は首を横に振ります。

自分は頼朝や頼家のように強くない。だから強きお人のお力を借りる。そうすれば鎌倉に血が流れることはない、違うか。と言い、義時を下がらせました。

実朝の居室から下がった義時を、泰時、朝時、平盛綱が膝をつき待っていました。

言いたいことがあるれば申せ、と問い質した義時。

朝時が口を開こうとすると、「許した覚えはないが」と朝時を一喝します。

泰時は、今回の戦で朝時は武功を上げた、と報告しました。

和田の矢を防いた防壁は、朝時が板を持ってきたからできたこと、と言い募ったのです。

それが事実とわかると、義時は朝時の謹慎を解き、自分の傍に仕えるよう命じたのです。

兄に感謝する朝時に、泰時は「役に立つ男になってくれ」と訴えたのでした。

今回の戦で空いた侍別当は義時が受け持つことになりました。

これで、政所別当と侍所別当は義時が受け持つことになります。

これで歯向かう者はなし、とのえ(菊地凛子さん)は喜びます。

義時の思い通りになったと嫌味を言う政子。

義時は苦笑すると、思いどおりなどとんでもない、実朝は頼朝を超えようとしている、と言ったのです、

実朝は、上皇の力を借りて、安寧の世を作ろうと決意していました。

戦はもういい、私の手で新しい鎌倉を作る、と妻・千世と話していた時、関東に大きな地震が起こったのです。

5月21日、和田義盛討ち死にから18日目のことでした。

次回、第42回「夢のゆくえ」

決意を新たにした源実朝(柿澤勇人)は、後鳥羽上皇(尾上松也)を手本として人任せにせず自ら裁定を下すことを決意。泰時(坂口健太郎)をそばに置き、自身の政まつりごとを進める。一方、鎌倉内での地位を盤石なものとした義時(小栗旬)は、のえ(菊地凛子)に勧められて執権を名乗ることを決断。未熟な実朝らをけん制する。実朝と義時との関係がうまくいっていないことに政子(小池栄子)が気をもむ中、源仲章(生田斗真)が京から戻り……

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

とうとう和田義盛も退場し、北条が御家人筆頭の座を盤石なものとしました。

しかし、肝心の実朝の信頼を失うことになり、実朝と義時の間はギクシャクしてしまいます。

義時と泰時の仲も不穏ですし、京は義時を毛嫌いしています。

義時には敵ばかりですね。

鎌倉を思う気持ちは一緒なのに、どうしてこうも食い違ってしまうのか。

後ろ盾に京を選んだ実朝と、亡き兄の意志を引き継いだ義時。

鎌倉は一体どうなってしまうのでしょうか。

次回、第42回「夢のゆくえ」、実朝が宋に渡る決意を定めて唐船を建造します。

その過程でひと悶着起こりそうで、ドキドキしてしまいますね。

最後に

横田栄司さん演じる和田義盛の壮絶な最後でした。

全身に矢を受け、尚も立ち尽くす姿、感動しました。

初めは何て暑苦しい人なんだろうと思っていた和田義盛ですが、だんだんとそのキャラクターの魅力に引き付けられていきました。

今回、第41回では、巴と語らう場面にグッときました。

戦中の大変な時期でありながら、巴を安心させるためにあえて明るい未来について語る義盛。

それにより、厳しかった巴の表情も柔らかいものに変わりました。

いいシーンでしたよね。

穏やかで優しい素敵な表情をされていた和田義盛と、笑顔を見せた巴。

素朴で純真で、まっすぐな義盛。

誰からも愛される素晴らしい和田義盛だったと思います。

義盛の妻として最後まで凛とした姿を、秋元才加さん演じる巴御前は見せてくれました。

前回の、三浦義村たちに起請文を書かせるシーンも、今回、義盛の着物を着て馬上で口上を述べた時も、その凛とした姿に見惚れてしまいました。

義仲を失い、義盛も失い、鎌倉を去る巴御前。

義盛の言葉に従い、1人で生き延びた巴の強さ、生き様に感動しました。

義盛と共に退場、寂しいですね。

和田義盛の死、実朝が最も信頼していた人物ですから、その喪失は実朝にかなりの衝撃を与えたでしょうね。

柿澤勇人さん演じる源実朝が、義時を信じて陣頭に立ち、説得が叶ったと思った瞬間の裏切り。

その絶望の深さは計り知れないでしょう。

疑いはあったかもしれませんが、義時を信じ説得したのに、自分は義盛を誘い出す駒にされたと知った実朝の衝撃。

実朝の呆然とした表情と、泣き咽ぶ姿に涙が込み上げてきました。

その後、能面のように変わらない表情になってしまった実朝を見て、胸が痛みました。

鎌倉に心を許せる者はいない、と言った実朝。

義時の行動は、実朝を追い詰めてしまいましたね。

大丈夫、まだ、泰時がいるよ、と慰めたくなってしまいました。

その泰時ですが、戦場に出るまでは情けなかったですね。

坂口健太郎さん演じる泰時の素直さ、誠実さ、まっすぐさはこの物語の中で眩しいです。

いつまでもそのままでいて欲しいと心から思います。

戦場に出ると強いのに…。残念な人ですが、そのギャップがまたいいですね。

初との掛け合いも大好きです。

さて、次回第42回「夢のゆくえ」では、実朝が奮起して政を行い始めます。

それにより、義時との軋轢も生まれるのですが、一体どうなってしまうのでしょうか。

やたらとすごい唐船を造り始めていましたが、夢は叶うのでしょうか。

次回、第42回「夢のゆくえ」も見逃せませんね。

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