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鎌倉殿の13人 第47回「ある朝敵と、ある演説」のあらすじと感想

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のネタバレあらすじと感想をお届けします。

61作目となる2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」。

脚本は、三谷幸喜さん。

主役の北条義時を務めるのは、小栗旬さんです。

毎週日曜(総合)午後8時、(BSプレミアム、BS4K)午後6時、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

3代将軍源実朝が亡くなり、鎌倉殿が不在となり、源氏の嫡流の血が途絶えてしまいました。

次の鎌倉殿は、上皇の親王を養子に迎えるはずでした。

初代鎌倉殿、源頼朝の異母弟・阿野全成との息子・阿野時元(森優作さん)を次の鎌倉殿にしようと、北条政子(小池栄子さん)の妹である実衣(宮澤エマさん)は画策していました。

三浦義村(山本耕史さん)に協力を仰ぎ、宣旨を貰う手筈を整えた実衣。

しかしそれは、執権・北条義時(小栗旬さん)と三浦義村の掌の上で踊らされていただけのことだったのです。

時元の謀反はすぐに露見し、義時の差し向けた兵に囲まれ時元は自害。

実衣は詮議にかけられ、投獄されてしまいました。

実朝が殺害されたことにより、親王を鎌倉に下向させたくない後鳥羽上皇(尾上松也さん)と親王を迎えたくない義時の思惑は同じながら、どちらが先に断るかで意地の張り合いをしていました。

そして続く朝廷との駆け引き。

朝廷は、実朝の弔問のついでに、義時が地頭を務める領地の返上を求め、それに憤った義時は異母弟・時房(瀬戸康史さん)に千の軍勢を与えて、朝廷に揺さぶりをかけてくるようにと命じます。

義時の命により、上洛した時房。

蹴鞠好きの上皇と勝負をし、時房はその実力を示しました。

時房を認めた上皇は、親王ではなく、代わりを用意するからそれで手をうて、と約束したのでした。

そして決まったのは頼朝の遠縁にあたる2歳の三寅。

実朝が亡くなって半年後の7月、三寅が鎌倉にやってきました。

しかし2歳の三寅が政を行うわけにはいきません。

義時は三寅の代わりに自分が政を行うと宣言しますが、政子がそれを許しません。

政子は、自分が将軍の代わりとして政を行うと宣言したのです。

そして誕生した尼将軍・政子。

将軍となった政子は、処分が決まらず幽閉されたままの妹・実衣を放免にし、支え合って生きていこうと、実衣を抱きしめたのでした。

前回、第46回「将軍になった女」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、第47回「ある朝敵、ある演説」のあらすじと感想です。

京内裏、焼失

政子に方面にされた実衣は、尼となり政子を支えることになりました。

実衣は義時の前に行くと、「私を殺そうとしたでしょ」と詰め寄ります。

義時は、してない、言ってない、と否定し、「我が妹、愛しき実衣。これからも鎌倉のために尽くしてくれ」と言うと、足早に立ち去りました。

義時が去った後、時房は「言ってました」と、実衣に暴露しますが、政子が義時も安堵している、と義時を庇います。

義時が廊下を歩いていると、御家人から頼みがあると呼び止められました。

近頃火事が多く、困っているものが多い、尼将軍の名で炊き出しをして欲しいと言う嘆願。

義時は、「そんなことまで私を頼るな」と一蹴します。

それを見ていた三浦義村は、「お前も変わったものだな。昔は誰からの頼みごとを聞いていたのに。立場が人を変えるな」と言いました。

義時はかつての自分を思い出し、「そんなこともあったな」と思い返すのでした。

そんな義時に人生最大の試練が待ち受けていたのです。

承久元年(1219年)7月、鎌倉殿が三寅に決まったことに不満を持った源氏の末流である源頼茂が謀反を起こしたのです。

京の内裏は燃え、宝物殿にも火が移りました。

元々は源氏の跡目争いが引き起こしたもの、として、上皇は憤ります。

この一件が承久の乱を引き起こしました。

収まったかに見えた義時と後鳥羽上皇の対立が再び燃え上がります。

その火は、どちらかを焼くまで消えぬほどの勢いとなります。

決戦が近づいていました。

内裏の再建

源頼茂の謀反はあっという間に鎮圧されました。

しかし朝廷の象徴ともいえる内裏は焼け落ちてしまいました。

上皇は内裏再建の費用を鎌倉の御家人から取り立てようとします。

「日の本中の武士から財を取り上げろ」と言う上皇。

慈円は、義時が認めるだろうかと危惧します。

上皇はそれが狙い、と言うのです。

「御家人たちは儂の命に断れない、しかし義時はそれを良しとしない。義時は孤立する」

慈円僧正(山寺宏一さん)は、鎌倉は朝廷の宝剣のようなものとして、大事にした方がいいとかねてから助言していました。

今、義時を孤立させ幕府が崩壊してしまったら、日の本が収まらない、と上皇を諫めます。

しかし上皇は、この私では日の本を治められないと言うのか、と憤ります。

京から、内裏修復にかかる費用の捻出を申し渡された鎌倉。

義時は捨て置け、と言いますが、泰時は朝廷を蔑ろにして神仏が恐ろしくないのかと反対します。

判断は政子に委ねられました。

鎌倉は頻繁に起こる火事により、今内裏に金を割くことができません。

鎌倉の立て直しが済んでから、京を助けようと判断しました。

義時が館に戻ると、妻・のえの祖父、二階堂行政が来ていました。

のえと二階堂は、のえの兄である伊賀利光を京都守護職に任じてもらったことに、感謝を伝えます。

二階堂は、のえの息子である政村を義時の跡継ぎにするよう、のえに強く言い聞かせます。

のえは、義時と泰時の仲の悪い親子関係を見ていますが、2人はぶつかるたびに絆が深まっているように見えて、気持ち悪く感じていました。

時房と泰時は、御家人に厳しすぎる義時のやり方を心配していました。

義時には頼朝にあった愛嬌が全くないと危惧します。

時房は泰時に、自分たち2人で義時を支えようと誓い合うのでした。

御家人たちの不満

京から内裏修復費用の捻出を申しつけられた御家人たち。

義時は応じる必要がない、と言うのですが、御家人の中には朝廷に逆らいたくない者も大勢いいます。

御家人の言い分を聞かない執権・義時に対し、不満が募り、朝廷と鎌倉を上手く繋ぐのが執権の役目ではないか、と御家人たちは言い募ります。

その報告をしていた泰時は、上皇の狙いは義時と御家人たちの和を乱すことではないかと指摘しました。

その頃、義時に不満を持つ下野の御家人・長沼宗政(清水伸さん)は、三浦館に赴き、不満をぶつけました。

三浦義村は、弟・胤義(岸田タツヤさん)が大番役として京に行っていると話します。

弟には、上皇に取り入るようにと命じてあると義村は言います。

北条ではなく、上皇に従いたい者は、弟を通じて上皇に報告すると義村は言うのです。

そうして三浦胤義は、北条に見切りをつけ、上皇に従いたい者が多くいることを上皇に奏上したのです。

上皇は喜び、自分に従いたい者は直に縁を結び、取り立て免除を約束したのです。

上皇の思惑通り、北条が御家人たちから孤立しそうになっていることに上皇は喜びを隠せません。

慈円は、上皇は鎌倉に戦を仕掛ける気なのかと問い質します。

三寅の身内である慈円は、勢いづく上皇を窘めるのですが、この京に鎌倉に味方する者はいらないと、退出を求められてしまったのです。

さらに、上皇は義時に呪詛を掛けるよう命じます。

上皇の側近である藤原秀康(星智也さん)は、流鏑馬と称して兵を集め、鎌倉に対抗できる戦力を増強しようと画策します。

のえの思惑

ある日、のえは政子と出家した実衣の所へ行きました。

のえは、義時の跡継ぎを自分の子にしたいと訴えます。

しかし政子は、義時が泰時に継がせたがっているのだから、それでいいではないかとたしなめます。

実衣も「大き過ぎる望みは命取りになりますよ」と苦言を呈します。

承久2年(1220年)12月1日、義時は、三寅に袴を着せ付ける着袴の儀を行いました。

着袴の儀とは、子供の成長を祝って初めて袴を身に着ける行事のことです。

これを義時が行うことにより、鎌倉の最高指導者であることを御家人たちに改めて知らしめたのです。

上皇、挙兵

京では、義時を調伏するための大掛かりな呪詛が行われていました。

ここまで大掛かりなことをすれば、鎌倉にもすぐに噂が届くはず。

御家人たちが義時から離れる音が聞こえるようだと上皇は言います。

機は熟した、と言った上皇は三浦胤義に、京都守護の伊賀利光を討ち取るよう命を出しました。

これを持って北条義時追討の狼煙とする、と宣言したのです。

そして、三浦一門に上皇の味方に付き、北条を討つよう命じたのです。

承久3年(1221年)5月15日、京都守護・伊賀利光は後鳥羽上皇に派遣された官軍により誅殺されました。

その4日後、義時の所に上皇挙兵の知らせが届いていました。

京都御所の館は既に焼け落ちています。

これで済むはずがない、官軍が攻めてくる、と義時は言います。

三浦義村のもとに上皇からの院宣が届きました。

義村は、義時を良く思わない長沼宗政に、義時追討の院宣が届いたことを教えました。

名指しで送られた院宣に興奮する義村。

しかし長沼にもその院宣は届けられていたのです。

上皇の使者は、他にも有力御家人に同じ院宣を出しているようでした。

顔を見合わせる2人。

その時、御所から三浦達に召集がかかりました。

大江広元は集めた御家人たちに、上皇は力ある御家人に院宣を出しているようだ、と話しました。

すると三浦は懐から上皇の院宣を出し、「これが私のところに来ました。北条殿追討の院宣です。三浦の義村、あくまでも北条殿に忠誠を尽くす所存です」と北条の味方であると示したのです。

政子は、三浦がすぐに打ち明けたことに喜び、義村の忠誠に感謝します。

すると長沼も、自分の所にも院宣が来たと差し出しました。

三浦は、自分の館に上皇からの使者が来ている、すぐに取り調べると言い、くつろいでいた使者を取り押さえました。

義時が館に戻ると、二階堂行政とのえが待ち構えていました。

京の事件を聞き、のえの兄・伊賀利光のことを心配していたからです。

しかし、今の義時はそれどころではなく、2人を気に掛ける余裕がありません。

邪険にされたのえは、兄を見殺しにしたのか、こうなることはわかっていたのか、と義時に叫び「許せない」と義時に憎しみを向けたのです。

上皇の狙い

義時は朝時に命じ、泰時と時房を居室に呼びました。

三浦館にいた使者を取り調べた結果、上皇は8人の御家人に院宣を出していました。

その中には時房宛の物もありました。

上皇は北条までも分断しようとしている、と言った泰時は、上皇と一戦交えようと主張しました。

それを聞いた義時は軽く笑いながら「お前はいつも私と逆のことを考えるな」と言います。

義時に戦の意思はありませんでした。

上皇の院宣は義時追討と書かれています。

これは鎌倉に攻め込む院宣ではない、自分を追討する院宣。

「太郎、私はお前が後を継いでくれることを何よりも喜びと感じている。お前になら安心して北条を、鎌倉を任せられる。私1人のために鎌倉を灰にすることはできない」

そういった義時は、時房と朝時に泰時を支えてやってくれ、と後を託します。

泰時は「鎌倉のために命を捨てるおつもりですか」と問い質します。

義時は、「戦を避けるためには他に手がない」と言い、政子の元へと急いだのです。

義時の決意を聞いた政子は「なりません」と義時を許しません。

自分が京に行けば戦は避けられる、という義時に、政子は京に行けば殺されるかもしれない、と諫めます。

義時は「それは行っていなければわかりません。姉上、これは執権としての最後の役目にございます。他に手はございません。多少手荒なことを致しましたが、後悔はございません。私を憎む御家人も多い。いいころ合いかもしれません。後は太郎に任せます」と言うと、御家人たちに話すと立ち上がりました。

政子は「もう一度よく考えて、小四郎」と追いすがります。

義時は「元はといえば、伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊。その名を上皇様は口にされた、それどころかこの私を討伐しようと兵を差し向けようとする。平相国清盛、源九郎判官義経、征夷大将軍・源頼朝と並んだのです。北条四郎のこせがれが。面白き人生でございました」と言うと去ったのでした。

政子の思い

政子は義時を助けるため、御家人たちに訴えようと大江に相談しました。

義時と朝廷の争いではなく、あくまで鎌倉が危ないと主張するように文章を書いてもらったのです。

義時は、御所に集まった御家人たちの前に立ち、「すでに耳に入っている者もおるだろうが…」と話し始めました。

すると「待ちなさい、鎌倉の一番上にいるのはこの私です。貴方は下がりなさい」と政子が割って入りました。

政子は大江に書かせた文章を読み始めました。

「源頼朝様が朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く海よりも…」

しかし政子はそこで大江に書かせた文章を読むのを止め、実衣に紙を渡しました。

そして本音を語り始めたのです。

「本当のことを申します。上皇様が狙っているのは鎌倉ではない、ここにいる執権・義時の首です。首さえ差し出せば、兵を収めると院宣には書かれています。そして義時は己の首を差し出そうとしました。鎌倉が守られるのならば、命を捨てようとこの人は言ったのです。貴方たちのために犠牲になろうとしました。もちろん私は反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここで皆さんに聞きたい。あなた方は本当にそれでよいのですか。確かに執権を憎む者が多いことは私も知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目なのです。全てこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません。鎌倉始まって以来の危機を前にして選ぶ道は2つ。ここで上皇様に従って未来永劫西の言いなりになるか、戦って坂東武者の世を造るか。ならば答えは決まっています。速やかに上皇様を惑わず奸賊どもを討ち果たし、3代にわたる源氏の遺跡を守り抜くのです。頼朝様の恩に今こそ応えるのです。向こうは貴方たちが戦を避けるために執権の首を差し出すと思っている。馬鹿にするな!そんな卑怯者はこの坂東には1人もいない。そのことを上皇様に教えてやりましょう!」と呼びかけたのです。

「ただし、敵は官軍。厳しい戦いになります。上皇様に付きたいのであれば止めることはしません」と言った政子。

その言葉に泰時は呼応し「そのような者はここにいるはずがありません。今こそ一致団結し、尼将軍をお守りし、執権殿の下、敵を打ち払う。ここにいる者たちは皆、その思いでいるはずです。違うか!」と立ち上がったのです。

泰時に呼応するように、御家人たちは雄たけびを上げました。

皆に背を向けるように立っていた義時は、政子の言葉、泰時の言葉に涙を流して聞いていました。

泰時は義時の前に膝をつくと、「執権殿、これが上皇様への我らの答えです」と言いました。

義時は顔を上げ、涙の滲んだ目で政子を、皆を見回し頷くと、大きく息を付きました。

政子はそんな義時を優しく見つめたのでした。

次回、最終回「報いの時」

反目する北条義時(小栗旬)を討ち取るため、義時追討の宣旨を出し、兵を挙げた後鳥羽上皇(尾上松也)。これに対し、政子(小池栄子)の言葉で奮起し、徹底抗戦を選んだ幕府は、大江広元(栗原英雄)や三善康信(小林隆)の忠言を聞き入れて速やかに京へ派兵することを決断。泰時(坂口健太郎)、平盛綱(きづき)らが先発隊として向かい、時房(瀬戸康史)らが続く。そんな中、三浦義村(山本耕史)は弟・胤義(岸田タツヤ)と……

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

とうとう最終回を迎えてしまいました。

義時と上皇の激しい戦いが起こります。

戦いの行方は、義時の命はどうなってしまうのでしょうか。

次回、最終回「報いの時」、最後の戦いを見守りたいと思います。

最後に

今回の見所は、小池栄子さん演じる政子の演説、これですよね。

大江に文章を書かせたものの、自分の言葉で御家人たちに訴えた政子。

政子の本音に感動しました。

これまで、あまり前に出ようとしなかった政子ですが、腹を括った政子は素晴らしかったですね。

小池栄子さん演じる政子の力強い凛とした佇まい、言葉に涙が溢れました。

「馬鹿にするな」って素晴らしいかっこいい言葉でした。

これまで、非道なことばかりしてきた義時が、鎌倉を守るため命を差し出す決意を固める所も素晴らしかったです。

鎌倉のためにそこまで…、と泣けてきました。

若かりし頃の義時と、今の義時の表情が全く違っていて、小栗旬さんが義時の成長を繊細に丁寧に演じてこられた変遷がよくわかりました。

鎌倉のために、すっかり変わってしまいましたね。

義時のやり方に反発ばかりしていた嫡男・泰時と義時の深い絆が随所に見られ、感動しました。

なんだかんだ言って、父を守るため、泰時は頑張るんですよね。

そして、まっすぐな心を持ち続ける泰時を誰よりも認めている義時。

今回は本当に見所がありすぎて、感動するポイントが多すぎて、嬉しくてたまりませでした。

気になるポイントは、山本耕史さん演じる三浦義村の動きですね。

相変わらずあっちこっちで暗躍するものの、掌返しが鮮やかといいますか、切り替えが早いというか、時勢を読むのに長けた人ですね。

最後まで読めないところが、ドキドキします。

逆に、分かりやすすぎるのえに恐ろしさを感じました。

菊地凛子さん演じるのえのあの憎しみに満ちた表情は印象的でした。

北条一族になったものの溶け込めず、野心を燃やすのえ。

政村を跡継ぎにという目論見は上手くいかず、祖父に責められ、義姉に相手にされず。

兄を見殺しにされた怒りは全て義時に向かっていくのでしょう。

のえが何をやらかすのか、恐ろしくてたまりません。

次回、最終回「報いの時」。

承久の乱の結末と北条義時の人生の結末、最後まできっちりと見届けたいと思います。

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