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鎌倉殿の13人 第48回最終回「報いの時」のあらすじと感想

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のネタバレあらすじと感想をお届けします。

61作目となる2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」。

脚本は、三谷幸喜さん。

主役の北条義時を務めるのは、小栗旬さんです。

毎週日曜(総合)午後8時、(BSプレミアム、BS4K)午後6時、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

承久元年(1219年)7月、次期鎌倉殿が三寅に決まったことに不満を持った源氏の末流・源頼茂が謀反を起こし、京の内裏が焼失、宝物もいくつか燃えてしまいました。

後鳥羽上皇(尾上松也さん)は、全国の御家人たちから財を取り上げ、内裏の再建をさせよと命じました。

これには、内裏の再建だけでなく、上皇の命を良しとしない北条義時(小栗旬さん)が、上皇の命に逆らえない御家人たちと対立し、孤立するだろうという思惑も含んでいました。

上皇の読み通り、御家人たちは上皇に逆らうことに戸惑い、義時はそんな命は捨て置けと命じます。

そんな義時に不満を覚えた御家人たちは、鎌倉の有力御家人である三浦義村(山本耕史さん)を頼りました。

弟が大番役として京にいる義村は、既に弟に上皇に取り入るように命じてあると言います。

北条ではなく、上皇に従いたい者は自分が弟を通じて上皇に報告すると請け負ったのです。

三浦弟の報告を聞いた上皇は、鎌倉で義時が孤立していることに喜びます。

更に亀裂を入れるため、上皇は慈円僧正(山寺宏一さん)に義時の呪詛を命じました。

承久3年(1221年)5月、上皇は機が熟したとして、在京御家人の三浦胤義に京都守護・伊賀利光の討伐を命じ、義時追討の院宣を出したのです。

上皇から、三浦義村を含む8人の御家人に義時追討の院宣が届きました。

義村は、義時を討ち取る気満々でいましたが、鎌倉御所から呼び出され、北条に忠誠を尽くすと表明したのです。

狙いは鎌倉ではなく、義時。

義時の首を差し出せば、鎌倉は守られると判断した義時は、後を嫡男・泰時(坂口健太郎さん)に託し、京に行こうと決意しました。

尼将軍・政子(小池栄子さん)に報告すると、猛烈な反対を受けました。

しかし義時の決意は変わりません。

御家人たちに事情を説明する、と出て行った義時を守るため、政子は急ぎ大江広元(栗原英雄さん)に相談し、御家人を説得する文章を書いてもらいました。

全御家人を集めた場で、義時が口を開こうとすると、政子が割って入りました。

鎌倉の一番上は自分、として語りだしたのです。

初めは大江の書いた演説を読もうとした政子。

しかし、皆の顔を見回した後、自分の言葉で語り始めました。

上皇の狙いは鎌倉ではなく義時、首を差し出せば鎌倉は守られる、だから義時は首を差し出そうとしている、と。

義時を憎む者が多いことは知っている、それだけのことを義時はしてきた、しかし、それは全て鎌倉のため、私利私欲に走ったことは一度もない。

選ぶ道は2つ。

未来永劫上皇の言いなりになるか、戦って坂東武者の世を創るか。

政子は力強い言葉で御家人たちを鼓舞します。

そしてその言葉に泰時が応え、御家人たちも雄叫びを上げたのでした。

前回、第47回「ある朝敵と、ある演説」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、最終回「報いの時」のあらすじと感想です。

鎌倉の命運

上皇は全国に義時追討を命じました。

鎌倉は徹底抗戦を選びました。

この国の成り立ちを根こそぎ変える戦乱が目の前に迫っていました。

密かに上皇側に付こうと思っていた義村たちですが、上皇と戦うことに意欲を見せ準備を急いでいる御家人たちを見回し、動向を探っていました。

大江広元は、速やかに出陣した方がいいと力説し、三善康信(小林隆さん)もそれに同意します。

義時は自分が総大将となり出陣すると宣言するのですが、執権は鎌倉にいてもらわなければ困ると皆が義時を引き留めます。

義時は泰時を総大将に任命。

泰時を含む18人で先発するよう命じました。

余りの少なさに呆然とし、先行きを不安がる泰時。

義時は、泰時の肩に手を置き、鎌倉の命運を託したと言いました。

出陣

三浦義村も戦支度を急いでいます。

長沼にどうするかと問われると、すぐに出陣し、泰時と合流すると言います。

合流すると見せかけて木曽川の手前で背後を付き、泰時の首を取り、上皇側に差し出すと計画を立てていました。

しかし良くて2千と踏んでいた義村の考えは外れ、先を進む泰時の軍勢は既に19万を超えていました。

戦いの行方

承久3年(1221年)6月5日泰時の軍勢は木曽川で藤原秀康率いる官軍とぶつかりました。

戦いは圧倒的兵力差で泰時の勝利。

更に宇治川に進軍しました。

ここが落ちては京は終わりです。

官軍は宇治川にかかる橋を取り外し、泰時勢を京に入れないよう画策します。

泰時勢は、宇治川を渡ろうとしますが、水流にのまれ、既に何人もの兵が流されてしまいました。

軍議の中、三浦義村は流されることを想定して、上流を渡ればいいと提案しますが、若い泰時たちは義村を煙たがります。

泰時は和田合戦の時のように、あり合わせの板を使って筏を作ることにしました。

川を渡らせまいと、雨のように矢を降り注ぐ官軍。

何人もの兵が射られ、泰時の側近・平盛綱(きづきさん)も射られました。

心配する泰時に盛綱は、「お前は総大将だ!」と促し、盛綱を捨てて進軍するようにと意見したのです。

義時は頼朝の観音像を握りしめ、泰時の無事を願っていました。

宇治川を渡り切った三浦は、戦況を見極め、

幕府方の勝利を確信しました。

この状況をひっくり返すには、後鳥羽上皇に出陣してもらうしかないと判断した義村は、弟に進言しくれるよう伝令を出しました。

藤原秀康、三浦胤義の進言を受け、上皇は陣頭に立とうとしますが、藤原兼子(シルビア・グラブさん)に強硬に反対され、出陣はせず、御所に留まることになりました。

決着

鎌倉で吉報を待っていた義時は、早馬で届いた文を持ち、政子の所に急ぎました。

泰時が京に入ったとの知らせを伝えた義時。

それは、泰時が官軍を打ち破ったとの知らせだったのです。

京の院御所で後鳥羽上皇と時房は対面しました。

上皇は、戦の勝利を褒め、今回のことは、自分を担ぎ上げた家臣たちのせいだと、言い訳をしていました。

自分は利用されただけ、と訴えた後鳥羽上皇。

義時にそのように話してくれ、時房が頼りだ、と頼んできたのです。

鎌倉の義時は、そう言い訳した上皇の処分を決めました。

後鳥羽上皇は、隠岐島への流罪が決定。

承久3年7月13日、後鳥羽上皇は鳥羽の行宮から隠岐に坂輿にて遷されました。

後鳥羽上皇は、この後死ぬまで隠岐を離れることはありませんでした。

昏倒

鎌倉に戻った泰時を義時は褒めます。

しかし、泰時は上皇の処罰はあれでよかったのかと、悔いているようでした。

あれしかなかったと義時は言います。

大悪人になってしまったと項垂れる泰時に、大悪人は自分だけだと義時は言いました。

義時と泰時、時房が話している時、義時が眩暈を起こし倒れました。

その頃、政子は戦争で親を亡くした子供たちを集め、面倒を見ていました。

トウ(山本千尋さん)を呼び、子供たちに武芸を教えて欲しいと頼みます。

戦が無くなれば、トウも暇になるだろう、と言う政子に、トウは笑顔で頷きました。

そこに義時が倒れたと時房がやってきました。

心配して駆けつけた政子と実衣。

気だるげに座る義時に、妻ののえ(菊地凛子さん)が薬湯を持ってきました。

京から送られてきたと言う薬草を煎じた薬湯は酷い臭いがして、義時は嫌がりますが、のえに促され、渋々と口にします。

京で不穏な動きがあると大江は危惧しています。

東国御家人に西の所領が与えられましたが、西国諸国の者たちが苦しめられており、それに反発し、前の帝を復権させ挙兵しようとする動きがあると言います。

大江は、災いの芽は摘むのみ、と言うのですが、泰時はそれに反対しました。

これまでもそうしてきた、と言う義時に、泰時は考えが古い、と言い、京のことは自分が決める、新しい世を作るのは私です、と宣言したのです。

義時が運慶(相島一之さん)に依頼した仏像が完成しました。

しかしそれには邪鬼の顔が付いていたのです。

「散々待たせた挙句、これはなんだ」と激怒する義時。

運慶は「今のお前に瓜二つよ、斬るか?斬りたきゃ斬ればいい」と笑います。

義時は、「殺すまでもない、連れていけ」と運慶を追い出しました。

化け物のような仏像を刀で斬ろうとした義時ですが、眩暈を起こし、その場に倒れてしまいました。

医師の診察を受けた義時は、毒を盛られていることが分かりました。

今度は毒消しを持ってくる、と言って医師は帰りました。

寝込んでいる義時のもとにのえが近寄り、薬湯を勧めます。

義時は「毒にも効くのか」とのえに尋ねます。

義時は毒を盛ったのはのえだと確信を持っていました。

そう指摘するとのえは「バレちゃった」と認めたのです。

そんなに政村を跡継ぎにしたかったのかと義時は言います。

のえは、八重や比奈の産んだ子が跡継ぎになるなどおかしいと酷い剣幕で捲し立てるのです。

義時は、もっと早くお前の本性を見抜くべきだった、と呟きました。

「執権が妻に毒を盛られたなど威信に傷がつく、離縁する、2度と目の前に現れるな、出ていけ」とのえに言い渡しました。

のえは、息子が後を継げないならここにいる必要がない、というと毒を持ってきたのは三浦義村だと暴露し、北条を出ていきました。

義村と対決

ある日、義村が義時の見舞いにやってきました。

義時はのえが義時に飲ませていた酒を出し、体に効く酒だと勧めます。

しかし義村は頑なに飲もうとしません。

義時は、長沼が白状したと言います。

また、裏切るつもりだったのかと静かに問い質したのです。

義村は、もし裏切っていたらこっちは負けていた。つまり勝ったのは俺のおかげ、そう思ってもらえないか、と言ったのです。

義時は執拗に酒を勧めます。

なぜ飲まないのか、他に理由があるのか、と詰め寄られた義村は、差し出された酒を飲み干しました。

すると、義村の様子が徐々におかしくなり、呂律が回らなくなってきました。

それでも、義時よりもなんでもできるはずなのに、とこれまで光が当たらなかった自分を哀れみ、義時への嫉妬を包み隠さず打ち明けたのです。

義時は、洗いざらい話した義村に感謝し、勧めた酒に毒は入ってなかった、と打ち明けました。

すると、瀕死のようになっていた義村が復活しました。

義時は義村に、この先も太郎を助けてやってくれ、と託します。

まだ自分を信じるのかと驚く義村に、義時は、お前は今死んだ、と言ったのです。

義村は、これから先も北条は三浦が支える、と約束したのでした。

もう1つだけ教えよう、と言った義村は、女子は皆、茸を好きと言うのは嘘だ、と打ち明けたのです。

それを聞いた義時は、情けなく眉を下げ、「早く言って欲しかった」と酒を酌み交わしたのでした。

御成敗式目

泰時と時房は、しばらく京に滞在し、西国に目を光らせることになりました。

鎌倉のことは、朝時に任せます。

時房は、もはや朝廷を頼る世ではない、これからは武士を中心とした政の形を長く続けるんだ、その中心にいるのが我ら北条なんだ、と主張します。

自分たちが新しい世を作るのだと、3人は誓い合うのでした。

泰時は、御家人たちが守るべき定めを優しい言葉でわかるように制定しようとしていました。

そうして出来上がったのが御成敗式目。

これにより、泰時が政治を行う間は、御家人の粛清が一切行われなかったのです。

最期

義時の病状が悪化していました。

見舞いに来た政子は、義時が燃やそうとしていた運慶作の像を見ました。

運慶に言わせれば、あれは私だ、と言う義時。

「貴方は上皇様を島流しにした大悪人。私は身内を追いやって尼将軍に上り詰めた稀代の悪女。私たちは頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次に繋いだ。これからは争いのない世が来るわ。だからどう思われようが気にしない」と政子は言います。

「姉上は大したお人だ。それにしても血が流れ過ぎました。頼朝様が亡くなってから何人死んでいったか」

そうして粛清していった者たちの名を数え始めました。

梶原景時、阿野全成、比企能員、仁田忠常、源頼家、畠山重忠、稲毛重成、平賀朝雅、和田義盛、源仲章、源実朝、公暁、阿野時元。

全部で13人。

政子は、その中に頼家が入っていることに疑問を覚えました。

頼家は病で死んだと聞かされていたのです。

政子は義時を問い質し、頼家の最後を尋ねました。

自分の失言に気づいた義時は、頼家が上皇と結び挙兵しようとしていたことを聞き、自分が善児に命じて暗殺したことを打ち明けました。

頼家は自ら剣を持ち、最後まで生き伸びようとした、見事な最後でした、と告げると、政子は「あの子はそういう子です。ありがとう、教えてくれて」と受け止めたのでした。

調子が悪い、薬を取って欲しい、と政子に頼んだ義時。

体が動かなくなった時には、その薬を飲むよう医師から渡されていた薬です。

まだやるべきことがある、返り咲こうとしている上皇を何とかしなければ、とまだ手を汚すつもりでいる義時。

政子はまだそんなことをするのかと呆然とします。

自分の名が汚れれば汚れるだけ北条泰時の名が輝く、全ては泰時のため、と言う義時。

この世の怒りと呪いを自分が地獄に持っていく、と薬に手を伸ばしました。

しかし政子は、「そんなことをしなくても、太郎は新しい鎌倉を作ってくれます。私たちは長く生き過ぎたのかもしれません」と薬を床に零してしまいました。

義時は動かない体を必死に動かし、這いずりながら零れた薬を飲むために進もうとします。

もう少しで零れた薬が飲める、というところで、政子がそれを袖で隠してしまいました。

「太郎は賢い。頼朝様や貴方ができなかったことをあの子はやり遂げてくれる、北条泰時を信じましょう、賢い八重さんの息子を」と言う政子。

「確かにあれを見ていると八重を思い出す」と義時。

「でもね、もっと似ている人がいます、貴方よ」

薬がなくて苦しむ義時。

義時は苦しい息の仲、「姉上、あれを頼みます」と手を伸ばします。

その先には、頼朝に託された観音像がありました。

政子は「必ず渡します」と力強く頷きました。

義時は「姉上…」と言うとそのまま動かなくなりました。

「ご苦労様でした、小四郎…」と呟き、政子は義時の傍で泣き続けたのでした。

最後に

とうとう最終回を迎えてしまいました。

いやあ、衝撃的なラストでしたね。

こういう終わり方なのかと震えが走りました。

鎌倉を初期から作り上げ、支えてきた2人だけのシーンで終わりました。

これは復讐だったのか、救いだったのか、どちらなのでしょうか。

頼家、実朝という実の息子を殺し、見殺しにした義時に対する復讐?

いえ、これ以上地獄に落ちようとする義時を救うために薬を渡さなかった政子の慈悲?

どちらにせよ、とてもインパクトのあるラストで、衝撃が走りました。

小栗旬さん演じる北条義時の死に様の迫力、凄まじかったですね。

この大河ドラマは、血生臭い粛清、裏切り、暗殺など、とにかく人の死が多すぎて、描き方によっては暗すぎてみていられないドラマになった可能性もありました。

しかし三谷幸喜さんが描いてきたこの「鎌倉殿の13人」は、それも含めて逞しく、しぶとく、一筋縄ではいかない坂東武者たちの強さ、大らかさが見事に描かれていたように感じました。

暗いだけでなく、明るさや救いが随所に散らばっていたこの物語。

後鳥羽上皇の退場シーンも、文覚が迎えに来て嫌がる上皇を連れていく様は面白かったです。

最終回らしく、たくさんの人々の回想シーンも出てきて、懐かしかったですね。

と言っても、皆亡くなる時のシーンだったのですが…。

鎌倉の希望、義時の光であった泰時のその後などに全く触れることなく、義時の死で「完」と出た時は驚きました。

あれだけ義時に未来を託された泰時の偉業を1つも伝えることなく終わりました。

あ、御成敗式目のことは触れていましたね。

粛清が行われなかったことも。

これから泰時はものすごく頑張るんですけどね、凄いんですけどね。

伊豆の田舎の小豪族の次男坊が、最高権力者になるまでの物語。

無邪気で優しい顔からどんどん顔つきが変わっていって、最後には鬼気迫る悪鬼のような迫力ある表情にまで変わってしまった義時。

私欲に走って権力を得ようとしたのではなく、坂東武者の世を作るため、鎌倉を支えるために必死に生き抜いてきた北条義時の物語がここに完結しました。

義時が理想とした政治はこれから嫡男・泰時がやってくれます。

そんな明るい未来を期待させるような、素晴らしい最後でした。

これ以上義時がダークサイドに落ちないよう、引導を渡した政子の英断に感動です。

素晴らしい物語を1年間ありがとうございました。

とても見応えのある素晴らしい大河ドラマでした。

冒頭に次の大河に繋がるように、松本潤さん演じる徳川家康が登場してきた時は驚きましたが、あの映像を見て、次の大河にもワクワクしてきました。

次作、「どうする、家康」も見逃せませんね。

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