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青天を衝け 第25回「篤太夫、帰国する」のあらすじと感想とネタバレ

彰義隊の墓
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2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

パリで新年を迎えた使節団一行のもとに、15代将軍・徳川慶喜(草彅剛さん)が政権を朝廷に返したと知らせる御用状が江戸から届きました。

使節団はもちろん、慶喜の弟・昭武(板垣李光人さん)も不安な気持ちを隠せません。

しかし、この地でまだ学びたいという昭武の気持ちを勘定方である渋沢篤太夫(吉沢亮さん)は慮り、少ない資金でのやりくりを思案していました。

すると、日本総領事のフリュリ・エラールがやってきて、篤太夫に証券取引の仕組みについて教え、アドバイスしたのです。

2月、慶喜が京から大阪に移ったとの知らせが入りました。

大阪城には公儀の兵が集っていると書かれてあります。

同時に届いた篤太夫宛の手紙は、家族の近況を知らせるもので、篤太夫は家族への思いに胸を熱くするのでした。

3月、横浜から届いた新聞に、慶喜と新政府の間で戦が起こり、幕府軍が敗走したと書かれていました。

しかも、慶喜は戦の最中にまだ戦っている兵を見捨てて江戸へ戻り、朝敵の汚名まで着せられたとあります。

慶喜から昭武への直書には、「パリでの留学を続けるように」とあるのですが、昭武は迷います。

篤太夫にどう思うか尋ねると、篤太夫は文にて建白するようにと勧めたのです。

朝廷に政を返しながらなぜ兵を動かしたのか、兵を動かしたならなぜ最後まで戦わなかったのか、この先皆に罵られると分かりながらなぜ兵を置き去りにしたのか、篤太夫は声を荒らげ拳を握り締めながら、昭武に提案したのでした。

4月、外国奉行の栗本や医師の高松が日本に帰国。

渋沢成一郎(高良健吾さん)から篤太夫に手紙が届きました。

淀、橋本の戦いに参加し、負傷したものの江戸に戻れたこと、慶喜が寛永寺に蟄居中のこと、同士を集めて慶喜の汚名をそそぐため、機会を伺っていることなどです。

篤太夫は成一郎の手紙を読み、涙が溢れたのでした。

幕府崩壊のあおりを受け、幕府が各国に派遣していた学生を日本に戻すことになりました。

荷物のように返されようとしていた学生たちの為に、骨を折る篤太夫ですが、当の学生はその有り難みを理解せず、扱いに不満を述べます。

篤太夫はそんな学生たちを一喝し、改心させました。

5月、昭武のもとに新政府から公文が届き、日本への帰還を促します。

フランス政府もエラールも、昭武が日本に戻っても安全だろうと予想するのですが、篤太夫は昭武の意志を尊重し、留学を続けようと道を模索します。

7月、水戸藩主・慶篤が亡くなったとの知らせが届きました。

次の水戸藩主には昭武が指名されたといいます。

篤太夫が「何かの謀」と警戒していると、日本から戻ったフランス公使のロッシュが昭武のもとにやってきました。

日本の様子をつぶさに見てきたロッシュは、今、昭武が日本に戻るのは危険と判断し、新政府の意向は無視して留学を続けようと提案します。

しかし、昭武は帰国すると決断したのです。

昭武は、不安な気持ちを篤太夫に吐露し、日本に戻っても自分の側にいて欲しいと懇願します。

しかし篤太夫は、答えることができませんでした。

帰国の準備を進める篤太夫のもとにエラールが尋ねてきました。

篤太夫はエラールが教えに従い、債権を購入したことを報告し、それで利益を得たと伝えました。

「皆の小さき1滴1滴が流れを作り、皆が幸せになる、こんなトレビアンな術があるのだと、あなたは俺に教えてくれた」とエラールに感謝を伝え、異人を敵対視していたことを詫びたのです。

エラールが篤太夫に教えたことは、篤太夫が長年探し求めてきたことでした。

ここで学んだことを日本で活かせるとは限らないが、日本のために尽くす、と決意を新たにし、エラールとの別れを惜しみました。

そして、昭武一行はパリ留学を終え、帰国の途についたのでした。

前回、第24回「パリの御一新」と見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ、

それでは、第25回「篤太夫、帰国する」のあらすじと感想です。

徳川家康の話

明治時代となりました。

多くの人々が徳川の世が終わり、新しい世が始まったと思っているかもしれません。

しかし、実際はまだまだ。

各地で戦は収まらず、薩長新政府は政権を奪いはしたものの、金もなく内政も外交も課題が山積みで、グラグラです。

民の多くもまだピンとこず、直ぐに元の世に戻るだろうと思う者も少なくありませんでした。

そんな最中に篤太夫たちは帰国しました。

篤太夫の帰国

明治元年(1868年)11月3日、篤太夫たちは横浜に到着しました。

杉浦愛蔵(志尊淳さん)らが昭武の迎えにやってきました。

杉浦は、このまま昭武が横浜に降り立っては薩長方に無礼な扱いを受けるかも知れないと、小舟で品川宿へ向かうと説明しました。

昭武はそれに頷くと立ち上がり、篤太夫の前に立ちました。

篤太夫は、「庶務を終えましたら必ず参上致します、ご息災をお祈りいたします」と告げると、昭武を見送りました。

昭武の傅役・山髙信離(山本浩司さん)は、「そうか、本当に公儀が無くなったのか…」と呟きました。

杉浦は、「まだ、終わってはおらん」と答えました。

話したいことは山ほどあるけれど、とりあえず今は、残った篤太夫たちは新政府軍の検閲を受けることになる、身分や持ち物について、いちいちいろいろ聞かれることになるが、短気は起こすな、と助言しました。

船を下り、新政府軍の検査を受ける篤太夫。

幕府が潰れればこのざまか、と嘲りの言葉を聞き流しながら篤太夫は検閲を受けたのです。

不在の間にあった出来事を知る

その後、横浜の宿に入った篤太夫は、篤太夫たちが不在の間にあった出来事を杉浦や外国奉行支配・田辺太一(山中聡さん)、福地源一郎(犬飼貴丈さん)たちから聞きました。

正月が過ぎてしばらく経った頃、慶喜が大阪から江戸城に戻ってきました。

急のことで江戸の者たちは驚きました。

勘定奉行の小栗が、まさか兵を見捨てて逃げてきたのか、と慶喜に意見すると他の幕臣から咎められます。

江戸城内の者たちは、この時初めて鳥羽伏見で戦いが起こり、幕府軍が敗れたと知りました。

薩長軍は錦の御旗を掲げて進軍していました。

慶喜は、朝敵となることを恐れて、逃げたのではないかと幕臣たちは考えました。

江戸城にて、静寛院宮(深川麻衣さん)に拝謁を願い出た慶喜ですが、静寛院宮は拒否。

代わりに天璋院(上白石萌音さん)が慶喜と対面しました。

天璋院は政権を朝廷に返し、江戸に戻ってきた慶喜に冷ややかに対応します。

断じて朝廷に歯向かう気はない、と訴える慶喜。

天璋院は静かに立ち上がり、慶喜の前まで進みました。

そして、失望を顕にしながら「こんなにちゃちなお方だったとは」と呟きます。

自分は、父から後の徳川のため、慶喜を将軍後継にするようにと言われ嫁いできた、と話します。

「どれほど立派な人かと思っていたが…、そうですか…これが…」と嘆息します。

徳川のため、宮には自分から伝える、といった天璋院は、慶喜に、「武家の棟梁として潔く腹を召されませ」と突きつけました。

静寛院宮は、京の帝に手紙を書送ります。

自業自得の慶喜などどうなっても構わないが、この徳川家が慶喜1人のために朝敵の汚名を受け、お家断絶となるならば、その徳川家に嫁いだ自分は死を選ぶしかない、と書送ったのです。

天璋院は、新政府軍の西郷隆盛(博多華丸さん)に手紙を送りました。

自分がいながら徳川に万が一のことがあれば、亡き家定に申し訳ない、どうか西郷から朝廷に取りなして欲しい、自分の命を救うことより遥かにありがたい、と徳川の存続を請願する手紙でした。

その後、慶喜は上野寛永寺にて謹慎しました。

江戸の城は戦もなく薩長軍に明け渡されました。

慶喜は、朝廷に恭順を示したのです。

役目を罷免された小栗忠順は、官軍総督府を名乗る者たちに捕らえられ斬首されました。

長く病んでいた川路聖謨(平田満さん)は、江戸城に薩長軍が入るその日に拳銃により自害しました。

残された幕臣たちの戦

翌朝、篤太夫は川村惠十郎(波岡一喜さん)と須永虎之助(伝蔵)(萩原護さん)から成一郎たちのことを聞きました。

成一郎は、伏見の戦で肩を撃たれ、兵を引いて大阪に戻れば上様はおらず、城は燃え、それで、残った兵の世話をしてからようやく2月に江戸に出た、と川村は言います。

浅草本願寺に集まった幕臣たちは、慶喜の無念を晴らすため薩長軍と戦うことを決意。

成一郎は集まった兵たちに請われ、その頭取となったのです。

「彰義隊」と名付けられたその隊には、尾高惇忠と篤太夫の養子となった平九郎も参加しました。

「我ら彰義隊はこの江戸で命をかけて上様をお守りし、その真心を世に示すのだ!」

士気が高まっていたものの、慶喜は江戸から水戸に移ることを決めました。

慶喜が水戸へ旅立つ日、幕臣が集まる中、成一郎は「上様の無念を晴らします」と慶喜に力強く告げました。

慶喜は、そんな成一郎に目を向けるのですが、何の言葉も発することなく、駕籠に乗り込むと水戸へと旅立って行きました。

その後、彰義隊は分裂し、成一郎、惇忠、平九郎、虎之助たちは「振武軍」を結成しました。

秩父の山に進軍中、成一郎たちは上野の山が燃えているのを発見しました。

進軍を続ける振武軍は、潜んでいた薩長軍に待ち構えられていたのです。

銃撃を受け乱れる隊列、成一郎たちは、必死に戦います。

薩長軍に囲まれ、多くの隊士が銃撃に倒れる中、乱戦を潜り抜け、薩長軍からなんとか逃れた成一郎たちは、平九郎が行方知れずになったと気づきました。

その時、平九郎は足に銃弾を受け、仲間と逸れ1人で逃げていました。

廃屋で仲間の亡骸を見つけ、その死を悼んでいると、平九郎の背後に薩長の兵士たちが集まりました。

平九郎はたった1人で兵たちの前で顔を上げ、不敵に笑います。

言葉で敵兵を混乱させ、敵と斬り結びながら平九郎は逃げ続けます。

民家に匿われ、手当を受けた平九郎ですが、長居をしては助けてくれた老夫婦に迷惑がかかると、平九郎は足を引きずりながら民家を後にしました。

目撃した人の話では、平九郎は中山道に向かって進んでいたようでした。

ふるさとを目指していたのだろうと川村は言います。

しかし、途中で動けなくなった平九郎は座り込み、ふるさとのおてい(藤野涼子さん)からもらった守り袋を握り締め、おていを思います。

そして、一歩踏み出そうとした時、薩長軍の追手に見つかりました。

激しい追撃を受けた平九郎は、「ここまでか…」と悟ると、敵兵の前に堂々と立ち上がり「御旗本渋沢篤太夫が嫡男、渋沢平九郎…花と散らん」と叫び、自ら剣を腹に突きたて自害しました。

平九郎の首は、梟首台に名札もなく晒され、後に犬が咥えて持ち去ったと川村に聞かされた篤太夫は、絶句しました。

平九郎の壮絶な最期を聞いた篤太夫は、頭を掻きむしり慟哭します。

成一郎と惇忠は、薩長軍から逃げ切りました。

成一郎は函館に移って今も戦っていると言います。

虎之助が、栄一が函館に行くなら自分も一緒に、というのですが、篤太夫は激しく頭を振り「俺は行かねえ!」と突破ねました。

慶喜の動向を聞くと、慶喜は、水戸から駿府に移って、謹慎していると聞かされました。

函館の成一郎に手紙を送った篤太夫。

そこには、帰国して成一郎と顔を合わせ、たくさん話せると楽しみにしていたが、函館に行ったと聞き誠に遺憾であると書かれていました。

主不在の烏合の衆がいくら集まったとしても勝てるわけがない、こうなってはもはや互いに生きて会えることは叶わぬだろう、潔く死を遂げろ、と書いたのです。

成一郎は、「あいつらしいな」と笑うと、また戦いの場へと向かったのでした。

血洗島で

血洗島にも篤太夫は手紙を送っていました。

横浜に到着し、落ち着いたら故郷に帰ると書かれてある手紙に、ゑい(和久井映見さん)や千代(橋本愛さん)の顔も喜びに沸き立ちます。

しかし、妹のていは、平九郎の死で悲しみの中にいたため、喜べずにいました。

尾高にも知らせてこいと言われた千代は、惇忠や長七郎がいる尾高家へと急ぎました。

篤太夫の帰国を聞いた惇忠は喜び、長七郎(満島慎之介さん)にも伝えました。

千代は、篤太夫が今あるのは、長七郎が無駄死にするなと止めてくれたからだと感謝を伝えます。

長七郎は、自分は死にぞこなっただけだ、と自嘲しました。

そして、「兄い、俺たちは何のために生まれてきたんだろうな…」と呟いたのでした。

昭武との再会

小石川の水戸藩邸に昭武を訪ねた篤太夫。

昭武は帝に拝謁した折、水戸に戻り次第、函館の榎本軍との戦いに兵を出せ、と命を受けたと言います。

函館にいるのは、元は公儀の忠臣たちです。それを昭武に成敗させようという朝廷に、篤太夫は言葉を失いました。

昭武は、篤太夫に「渋沢、今一度頼む。この先も水戸で私を支えて欲しい」と頼みました。

篤太夫は「ははッ」と返事をしながらも、「まずはご主君のご意志を伺わねばならぬと思っております。上様に民部公子様ご帰国のご報告を致したいと存じます」と答えました。

朝敵の汚名を着せられた慶喜に、藩主となった昭武が会うわけにはいきません。

慶喜宛の文を篤太夫に託すから、返事を必ず届けて欲しい、と願ったのです。

商人の戦いとは

篤太夫は数ヶ月かけて旅の残務を整理していました。

「フランスまで行かせてもらいながら、何も成し得ないまま幕府は終わっちまった」と呟いた篤太夫。

新政府が発行したお札を見て驚きます。

そこにいた老人は、驚く篤太夫に声をかけました。

それは、新政府が発行した太政官札だと教えます。

自分たち三井が為替方となって扱っているが、信用ができない、とぼやきます。

金もないのにご一新をしてしまったからいろいろ必死なんだろう、大阪でも鴻池などが酷い目に遭っていると嘆きます。

紙幣を出すのは、勘定奉行小栗の悲願であった、というその人物。

「誠の戦はこれからざんす、わしら商人の戦いは」

そう不敵に笑ったのは三井の番頭、三野村利左衛門(イッセー尾形さん)でした。

函館で戦っていた成一郎は、篤太夫に返事を書きました。

無事に戻って何より。

しかし、篤太夫は上様の本当の心根を分かっていない。

朝敵の汚名を着せられてそのままでいいはずがない。

「俺は俺の道を行く。

もう、会うこともなかろう、さらばだ、篤太夫」と書かれてありました。

連日、戦に明け暮れる成一郎。

新選組の土方歳三(町田啓太さん)と共に、支え合いながら戦を続けていました。

そして篤太夫は、様々なことに気持ちの整理がつかない中、6年ぶりに故郷の血洗島へと向かいました。

次回、第26回「篤太夫、再会する」

久々に故郷・血洗島に戻った篤太夫は、千代、父・市郎右衛門、母・ゑいらと再会を喜びあうが、尾高家に起こった悲しい出来事を知って大きな衝撃を受ける。その後、昭武から預かった書状を届けるため、慶喜が謹慎している駿府に向かう篤太夫。駿府藩の中老・大久保一翁にパリでの収支を報告し、慶喜との謁見を願い出るが…。

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

6年ぶりに篤太夫が故郷に戻ります。

家族の喜びはひとしおですね。

しかし、慕っていた平九郎を失ったていの怒りと悲しみは篤太夫に向かいます。

昭武に頼まれた文を届けるため、慶喜との謁見した篤太夫。

再会を喜ぶものの、平九郎を失ったことによる悲しみ、後悔、を乗り越え篤太夫は前に進もうとします。

やりきれない思いを抱えた篤太夫たちの葛藤をどう表現してくれるのか、楽しみですね。

最後に

今回は、岡田健史さん演じる渋沢平九郎の最期が圧巻でした。

飯能戦争にて、仲間と逸れたった1人で戦った平九郎。

何としても生き残ろうと、死力を尽くして戦う姿は凄まじかったです。

故郷のおていを縁に、栄一の名に傷がつかぬよう誇り高く戦い抜きました。

ボロボロになりながらも、助けてくれた人々を巻き込まないように気遣い、故郷と同じ蚕を見て懐かしむ。

優しく誠実な平九郎の人となりが垣間見えたシーンでした。

それまで黙って話を聞いていた栄一でしたが、平九郎が行方不明になった件では平静さを失ってしまいました。

そうですよね。

自分が見立て養子としてしまったから、平九郎は戦に巻き込まれてしまったのです。

その自責の念は如何ばかりだったでしょうか。

自分がいない時に起きた騒動。

全て終わってから帰ってきた自分。

栄一の怒り、悲しみ、後悔、その気持ち全てを慮るのは難しいですが、その激しい痛みは胸に刺さります。

残された幕臣たちが戦うシーンは、壮絶で悲しい。

主無い烏合の衆が勝てるはずがない、栄一の言葉は真実なのでしょう。

しかし、残された幕臣たちの無念の気持ちもよくわかります。

強引な手段で徳川を滅ぼそうとする新政府軍と、その意図をよく理解しているからこそ恭順を示しているのに、部下に伝わらない慶喜の諦めのような表情を見ると、幕末という時代の非情さに胸が苦しくなりました。

たった1人の兵に対し、執拗に追撃の手を緩めない薩長軍に怒りがこみ上げてきます。

その首の扱いの非道さにも憤慨します。

本当に悲しい出来事、悲しい時代でした。

渋沢平九郎の壮絶な死を見事に演じきった岡田健史さんの迫力ある演技に拍手しかありません。

そして、起こってしまった全ての出来事を静かに受け止める栄一の演技も見事でした。

吉沢亮さんの表情の演技に引き込まれました。

戦シーンの成一郎と土方は格好良かったですね。

自分の信念のために戦う姿、支え合う姿、劣勢でありながら活路を見出すために奮闘する姿は素晴らしく格好いい。

ですが、そのエネルギーを他に活かせなかったのかと思うと悲しくなります。

函館で土方が散ることが分かっているから尚そう思うのかもしれませんね。

各方面から責められ、精気の無くなってしまった慶喜も気になります。

どうしてこうなってしまったのか、他に術はなかったのか、どこが正解だったのでしょうか。

慶喜の真意は、次回、栄一と再会した時にわかるのでしょうか。

次回、第26回「篤太夫、再会する」は、東京2020パラリンピック開催により9月12日に放送となります。

それまで、平九郎の死を悼み、今後の栄一のために祈りながら次回を待ちたいと思います。



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