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青天を衝け 第17回「篤太夫、涙の帰京」のあらすじと感想とネタバレ

筑波山神社の写真
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2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

禁裏御守衛総督となった一橋慶喜(草彅剛さん)の政治的基盤を整えるために、側近の平岡円四郎(堤真一さん)は、優秀な人材を欲していました。

円四郎に見出され家臣となった渋沢栄一改め篤太夫(吉沢亮さん)と渋沢喜作改め成一郎(高良健吾さん)は、一橋家に自分たちのような志士を広く召抱えて貰いたいと進言し、人材集めのために関東出張を命じられていました。

関東へ旅立つ2人を見送るためにわざわざやってきた円四郎。

円四郎は篤太夫に「お前はお前のまま生き抜け、必ずだ、いいな」と言葉をかけたのでした。

血洗島では、篤太夫が尾高惇忠(田辺誠一さん)に送った手紙で、篤太夫と成一郎の2人が一橋家に仕えていると知り、皆驚愕していました。

そこに、関東出張で近くまで来ると書かれてあり、母・ゑい(和久井映見さん)も妻・千代(橋本愛さん)も、会えるかも知れないと期待に震えたのです。

しかし、2人の想いを阻んだのは水戸の騒乱でした。

藩主・慶篤は、幕府から天狗党の騒乱を制圧するよう強く言われており、水戸藩・諸生党の進言を聞き入れ、藤田小四郎率いる天狗党の討伐を決定しました。

水戸藩の重臣・武田耕雲斎(津田寛治さん)は、慶篤を諌め、慶喜が求めてきた援軍はどうするのかと詰め寄ります。

しかし、慶篤は耕雲斎の言葉に耳を貸さず、慶喜より藩内の安寧が先、と一蹴します。

その頃、筑波山にて挙兵した藤田小四郎も苦境に立たされていました。

思っていたより同士が集まらず、資金も底を付きかけています。

配下の者に、どんな手段を使っても良いから人と金を集めるように命じるのです。

小四郎の勧誘は惇忠の元へもやってきました。

しかし、藩主の指示無き挙兵はただの騒乱だと、惇忠はその誘いを拒否。

拒否したにも関わらず、惇忠は水戸騒乱への関与を疑われ、岡部の陣屋に呼び出され牢へ捕らわれてしまいました。

その日、京でも新選組による池田屋襲撃という大捕物が行われていました。

過激な水戸藩士は、新選組による攘夷志士取締を、一橋慶喜の指示であると考えていました。

尊皇攘夷の考えを持つ水戸斉昭の子である慶喜が、攘夷の志士を取り締まるなどおかしい、これは側近の平岡円四郎が慶喜を唆したからではないか、と過激派志士の怒りは円四郎へと向かい始めました。

江戸に到着した篤太夫と成一郎。

2人は関東の一橋家所領を周り、才ある人材を探し求めました。

玄武館道場を訪ねると、かつての同士・真田範之助と再会。

真田は、小四郎の挙兵に呼応し筑波山に向かおうとしていました。

篤太夫は無駄死にはさせたくない、と真田を一橋へと誘います。

しかし、命が惜しくなったのか、と罵倒され拒絶されてしまいました。

真田と道を違えてしまったことに衝撃を受ける篤太夫のもとに、父・市郎右衛門(小林薫さん)からの文が届きました。

2人の一橋家の仕官に驚き、勇姿を一目見たいと思うけれども、血洗島では惇忠が捕らえられ、岡部の役人も2人が許可なく村を出たことに腹を立てている、と書き記し、故郷へ帰ることは見合わせろ、と伝えたのでした。

水戸・諸生党が水戸藩の実権を握ろうとする中、藩主・慶篤は母・貞芳院(原日出子さん)から、耕雲斎を遠ざけ、諸生党の勢いに負けてはいけない、と諭されていました。

水戸騒乱により、水戸藩からの援軍が期待できなくなった慶喜は困っていました。

人から多くの期待を寄せられてしまい、人々の命運を変えてしまう自分を嘆いていた慶喜。

円四郎はそんな慶喜を東照大権現の再来と思っていると語り、自分は尽未来際慶喜に付いて行く、と誓うのでした。

その矢先、外出先で雨に降られた円四郎は、部下の川村に傘を借りてくるように命じ、護衛の川村が去り、円四郎が1人になったところを見計らったように、水戸の過激派志士たちが円四郎に襲い掛かりました。

川村が戻り応戦しましたが、円四郎は致命傷を負い絶命。

円四郎の死は慶喜に大きな衝撃を与えたのでした。

前回、第16回「恩人暗殺」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。

それでは、第17回「篤太夫、涙の帰京」のあらすじと感想です。

兵を集める

元治元年(1864年)6月、篤太夫と成一郎は一橋のために集めた人々を連れて江戸へと向かっていました。

そこに、渋沢中の家の作男・伝蔵(萩原護さん)が現れました。

伝蔵は、惇忠から預かった手紙を渡すために2人を探していたのでした。

伝蔵は、村の皆で惇忠を救い出し、惇忠も平九郎も無事であると伝えました。

そして、自分も一橋の兵に参加したい、参加したい故郷の仲間もたくさんいる、と意気揚々と語るのです。

兵が順調に集まる様子を、京にいる円四郎に伝えたい、と篤太夫は笑うのでした。

その頃、江戸の平岡円四郎の邸に一橋の家臣が訪れていました。

円四郎の妻・やす(木村佳乃さん)に円四郎が賊に襲われ命を落としたことを伝えるのですが、やすは冗談だとして、笑い飛ばしてしまいます。

しかし、川路聖護(平田満さん)や一橋の家臣の表情を見て、それが本当のことであると悟りました。

川路は、円四郎の死を受け止められず取り乱すやすを必死に宥めるのでした。

徳川家康(北大路欣也さん)の話

元治元年、徳川斉昭が起こした尊王攘夷運動は最後の盛り上がりを見せていました。

水戸では天狗党の乱が起こり、京では、池田屋事件で火が付いた長州の兵、およそ1600人が京へと上ってきたのです。

しかし、頑なな攘夷派である長州にもこの頃には攘夷に反する新しい人材が出てきていました。

長州の動き

長州藩の井上聞多(後の馨)(福士誠治さん)と伊藤俊輔(後の博文)(山崎育三郎さん)は、英国人たちと交渉の席に付いていました。

英国人たちは、長州の態度に業を煮やし、4か国で長州を攻撃することを決定しました。

猛反発する2人ですが、大使たちは長州が攘夷を諦めるために実行するのだと譲りません。

伊藤は、幕府が悪いのだと反発します。

しかし、2人がどんなに言葉を尽くしても、この決定が覆されることはありませんでした。

京の一橋邸では、小姓に髪を結ってもらいながら、無き円四郎に髪結いの仕方を教えた時のことを思い出していました。

そこに、大目付の永井が現れ、長州兵が大挙して大阪に押し寄せてきたと報告します。

慶喜は、帝から長州兵は京に入れるなとの命が出ているといいます。

永井は、長州は宮中の息のかかった公家らと会津追討の兵を挙げ、天子様を京の都から攫う策を図っていると報告しました。

家臣らは長州との戦を進言するのですが、慶喜は戦はならぬ、と言い募ります。

亡き円四郎が言っていた通り、戦となれば芋(=薩摩藩)たちが手を叩いて喜ぶだけと言うのです。

慶喜の予想通り、薩摩藩はこの機に乗じて京での主導権を取り戻そうと動き始めました。

数日後、西郷吉之助(博多華丸さん)は、一橋邸を訪れ、長州を潰そうと提案します。

薩摩は天子様のためにもう兵を集め始めていると言うのです。

慶喜はどうするのか、と問いかけた西郷は、なんなら薩摩が先に行こうか、と慶喜を挑発するのでした。

血洗島では

その頃、血洗島では栄一たちと再会した伝蔵が2人の様子を伝えていました。

2人の元気な様子を知り、市郎右衛門もゑいも安堵します。

栄一たちが中山道を通って、京へ戻ると聞くと、ゑいはそんな近くを通るのに会えないなんて、と残念がります。

市郎右衛門は、うたのもとに行こうとする千代を不憫そうに見つめるのでした。

江戸の一橋邸に篤太夫と成一郎が到着すると、慶喜の側近・猪飼(遠山俊也さん)が豪華な品々を検分しているところでした。

どうしたのかと篤太夫が尋ねると、それは円四郎の妻・やすに送られる見舞いの品々だというのです。

そこで初めて2人は円四郎が賊に襲われて命を落としたことを知らされました。

犯人は、水戸の過激な攘夷志士だと聞いた篤太夫は、信じられない様子で動揺を隠せません。

勅命

慶喜のもとに長州兵が桂川を渡り挙兵したとの知らせが入りました。

慶喜は、長州に再三兵を撤退させるようにと説得を続けていました。

しかし長州はそれに応じず、挙兵したのです。

何と愚かな、と慶喜は嘆きます。

急ぎ宮中へと行くと、公家たちが不安げに慶喜を見上げ、頼ってきます。

まずは天子様にご挨拶を、と天皇の前に赴く慶喜。

孝明天皇(尾上右近さん)は、長州の挙兵について、慶喜に尋ねます。

慶喜は、説得を続けていたものの力及ばず申し訳ない、と謝罪をすると、自分に勅命を出して欲しいと懇願します。

それを受けて、孝明天皇は長州を討てとの勅命を慶喜に出したのでした。

禁門の変

元治元年7月19日、帝への影響力を一気に強めようと考えた長州は御所に突入。

慶喜自ら兵を率いて御所の門の辺りに兵を配置します。

長州兵は御所に向けて刃を向けて迫り、発砲。

慶喜は、御所に刃を向けるとは、と激高し、迫り来る長州兵を迎え撃ちました。

江戸幕府開府以来初めて、京を舞台として武力衝突が起こりました。

これを禁門の変と言います。

その頃、様子を見ていた西郷率いる薩摩藩も動き始めました。

外国から仕入れた西洋武器、大砲を用いて長州を攻撃する薩摩藩。

その圧倒的武力でもって長州藩を圧倒し長州藩は壊滅。

その争いは、幕府側の勝利となり終結しました。

戦が終わり、薩摩藩の働きを労う慶喜。

声をかけられた西郷は、かつて円四郎が語っていた通り、慶喜は武芸に優れていると感心し、宮中では長州派の公家を抑え込んだと言う慶喜の価値を認め、親密になっていた方が良いのかもと考え始めました。

さらに数日後、文久3年の下関事件の報復として、イギリスをはじめとする4か国は長州の砲台を徹底的に砲撃。

圧倒的武力の前に、敗北した長州藩は、ようやく攘夷を断念したのでした。

将軍・家茂(磯村勇斗さん)は、禁門の変での慶喜の活躍に安堵していました。

自分は何もできなかった、と嘆く家茂を天璋院(上白石萌音さん)は励まします。

正室の和宮(深川麻衣さん)は、自分の降嫁により家茂が天皇に攘夷を約束させられたことで苦しんでいるのではと家茂を案じます。

家茂は天璋院に、このままにはしない、と宣言し、フランスの援助を受けて幕府を立て直すと告げるのです。

禁門の変のことは、江戸の篤太夫たちのもとにも届きました。

長州まで逆賊と言われるようになるとは、かつて円四郎が言っていた通り、もう攘夷は終わりなのかと篤太夫たちは思案していました。

慶喜が兵の指揮を執り天子様をお守りした、長州を退けたと、猪飼は喜んでいました。

しかし、篤太夫は自分たちが集めた兵は禁門の変に間に合わなかったと気落ちします。

猪飼は、2人に集めた兵を纏めて急ぎ京に戻るようにと言うのでした。

天狗党、新しい大将

筑波山にて挙兵した藤田小四郎率いる天狗党は、一部の兵士の暴発により凶悪な賊と認識され、その評判は地に落ちていました。

長州が禁門の変で破れ、今、斉昭が掲げていた本当の尊皇攘夷を目指しているのは天狗党しか残っていない、と訴えます。

武田耕雲斎に大将になってもらい、天狗党を立て直してもらいたい、と藤田小四郎は耕雲斎に頭を下げて懇願していました。

戸惑う耕雲斎でしたが、東湖たちが叶えられなかった尊皇攘夷の夢を、なんとしてもこの手で叶えたい、と訴える小四郎に頷くしかありませんでした。

そうして、耕雲斎は天狗党を率いることになったのです。

円四郎の残した手紙

その頃、江戸の平岡邸を出る準備をしていたやす。

家の片付けをしていたやすは、自分がいない時は掛け軸の小鳥にでも話しかけろと円四郎が言っていたという篤太夫の言葉を思い出しました。

掛け軸を片付けていると、掛け軸の裏に円四郎からの手紙が隠されていました。

そこには、自分の不在でやすに寂しい思いをさせていることに対する謝罪と、自分が慶喜に仕えた事により、心のモヤが晴れたことが書かれていました。

慶喜は必ず新しい日本を作る、新しい日本ができたらまた2人で江戸の町をブラブラ歩こう、どんな世になるかわからないけれど、慶喜が作る新しい日本ならば、きっと滅法可笑しれえに違いない、と書かれていたのでした。

やすは、円四郎の手紙に何度も頷き、涙したのでした。

岡部藩からの離脱

京へ向かおうとする篤太夫と成一郎一行を川路が見送っていました。

中山道を進み深谷宿に入ると、そこに惇忠が2人を待っていました。

役人の目があるため、長居はできないが、2人の話が聞きたいと待っていたのです。

長七郎には会えたか、という問い掛けに成一郎は、奉行所の公用人に掛け合ったが、どうにもならなかったと答えます。

惇忠も平九郎も酷い目にあった篤太夫が労わると、惇忠は今のこの世を烈公が見たらどう思うだろうと嘆きました。

そして、市郎右衛門からの言伝として、2人に小久保の家に千代とよしが来ていると告げたのです。

そして2人は、久しぶりに妻子に会うことができました。

篤太夫は、道を開いてくれた恩人である円四郎を亡くし、惇忠にも迷惑をかけ、かつての同士が筑波山で幕府と戦っていることを気に病んでいました。

「俺の信じた道は…」と嘆く篤太夫の手を取った千代は、「大丈夫、千代はどんなに離れていてもお前様が信じた道を信じています、お前様がこの胸に聞いて選んだ道を…」と励ましました。

それを聞いた篤太夫は、円四郎から受けた役目を果たすことが今の自分のすべきこと、と気を取り直したのです。

そして、落ち着いたら一緒に暮らしたい、それまで、信じて待っていて欲しい、中の家のことや家族のことを頼む、と千代に託すのでした。

その時、大きな声で伝蔵たちが自分たちも連れて行って欲しいと押しかけてきたのでした。

翌日、篤太夫一行は、深谷宿を出て岡部領内を出ようとしていました。

すると、街道に岡部の代官・利根吉春(酒向芳さん)が待ち構えていました。

この一行には、かつて岡部藩の元百姓だった者2名が含まれている、色々な嫌疑がかけられているため、2人を一旦岡部に戻してもらいたい、と主張します。

言葉を無くした篤太夫ですが、猪飼が前に進み出て、利根に向き合います。

利根の主張は理解したが、今、渋沢両人に村方に帰られては一同が困る、両人は縁あって当家に仕え、今となってはかけがえのない家中の者。一橋家として到底承服しかねること故、お断り致す、ときっぱりと断ったのです。

篤太夫の後ろから、集めた兵たちも援護するように存在を現しました。

迫力に負けた利根は引き下がり、篤太夫たちが通り過ぎるのを苦々しげに見送ったのでした。

猪飼の言葉を聞いた篤太夫は涙が滲み、この気持ちを円四郎に伝えたかった、と嘆きます。

何もかも平岡様が開いてくれた、京に戻っても平岡様がいないなんて、と悔しげに涙ぐむ篤太夫を成一郎は、「泣くな、俺たちは武士だ」と諌めるのでした。

帰京

京に戻り、慶喜と謁見した2人。

慶喜は、兵を集めてきた2人を労い、円四郎が2人を信じていた、と告げました。

そして慶喜は、2人が斉昭の尊攘の教えを学んでいたと言っていたな、と口にしたのです。

円四郎は父が私に遣わした、それが何故、水戸の者に殺されなければならないか、そなたたちにわかるか、と問いかけます。

篤太夫は自分には分かり兼ねる、と答えるのです。

すると慶喜は、自分にはわかる、円四郎は自分の身代わりになったのだ、と吐き捨てました。

尊皇攘夷か、まこと、呪いの言葉に成り果てた、と言い捨て立ち去りました。

慶喜が立ち去ると、側近の黒川嘉兵衛(みのすけさん)は、2人は一橋に何の縁もゆかりもないけれど、円四郎の推挙で雇われた、これからも円四郎のため、これからも一橋によく仕えるように、と声をかけたのでした。

天狗党の行くすえ

武田耕雲斎が総大将となり、勢いを取り戻したかに見えた天狗党ですが、度重なる幕府との戦いと諸生党との争いで、次第にその人数を減らしていました。

幕府から攻められ、長州に走るか、という意見が出る中、耕雲斎はこうして水戸で血を流していても、到底攘夷など叶いはしない、と主張します。

ならば上洛し、天子様にその真心を知ってもらうべきではないかと主張するのです。

小四郎は反論するのですが、これ以上民を巻き込むことは東湖や烈公も望まないだろうと説得します。

烈公の尊皇攘夷の心を朝廷に見せるための上洛、京にはその心を一番よく知る慶喜がいる、決して自分たちのことを見殺しにはしないだろう、と考えたのです。

しかし、京の慶喜はそれを聞くと「京へだと?耕雲斎が付いていながら何故」と驚きを隠せません。

自分が天狗党を少しでも擁護すれば、公儀に歯向かうことになる、京を守るのが自分の役目、とした慶喜は、自分の手で天狗党を討つと宣言したのでした。

次回、第18回「一橋の懐」

篤太夫は、天狗党討伐のため慶喜とともに京をたつ。一方、成一郎は、慶喜からの密書を耕雲斎に届ける。耕雲斎は降伏を決めるが、悲しい運命が待ち受けていた。一橋家を強くしなければという思いに駆られた篤太夫は、新たな兵の招集を慶喜に建白。歩兵取立御用掛となった篤太夫は、一橋領のある備中に向かう。江戸城では、三度京に向かうことになった将軍・家茂が、和宮との別れを惜しんでいた。

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

お主の腕を見せてもらおう、という慶喜。

篤太夫は天狗党討伐に向かう慶喜に同行し、初めて戦に参加することになります。

一方成一郎は、慶喜の密命を受け、武田耕雲斎に密書を届けることになりました。

成一郎は武の道を進み始め、篤太夫は一橋を強くするために、まずは懐具合を充実させることを考え始めるのです。

最後に

今回は円四郎の存在の大きさを実感する回となりました。

慶喜は円四郎だったらこう言うだろう、円四郎は信じていた、と事あるごとに円四郎を思い出します。

そして篤太夫は、恩人の死を知り、衝撃を受けました。

一橋の重臣である猪飼に「かけがえのない家臣」と庇われた篤太夫。

この気持ちを平岡様に伝えたい、と円四郎の存在の大きさを痛感していました。

泣きそうになる篤太夫に胸をうたれましたね。

円四郎を無くした慶喜の辛さもよく伝わってきました。

事あるごとに円四郎を思い出す慶喜。

自分の身代わりになって死んだと考えていたのですから、その怒りは激しいものだったのでしょう。

尊皇攘夷が呪いの言葉になった、と吐き捨てる慶喜に、その怒りの激しさの片鱗が伺えました。

そして、父・市郎右衛門の気遣いにほろりとさせられました。

何も言わず、婚家に仕える嫁・千代を気遣い、自分も会いたかっただろうに千代とよしだけを会いに行かせる粋な計らい。

さすが市郎右衛門、出来た人物だと感動しました。

本当に優しい素晴らしい人だったのですね。

話したいことはたくさんあったはずなのに、会ってみたら声が出ない千代の健気な様子にもほろりときました。

愛おしげに娘を抱く栄一の姿は美しかったです。

厳しい顔をして、娘の方を見ないで過ごした日々を思い出すと、そのギャップにグッときます。

早く、家族で暮らせる日が来るといいな、と強く思います。

さて、次回は天狗党征伐に向かいます。

栄一初めての戦ですね。

栄一ってそんなに強いイメージはなかったのですが、大丈夫なのでしょうか。

そして、これまでずっと2人二人三脚で歩んできた栄一と喜作の進む道が異なってきます。

喜作は武の道に、栄一は商の道に。

これで栄一の得意分野、本領発揮できるのですね。

円四郎を失った悲しみを乗り越え、円四郎のためにも一橋のために頑張ってもらいたいですね。

次回、第18回「一橋の懐」栄一の本領発揮に期待しています。



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