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青天を衝け 第18回「一橋の懐」のあらすじと感想とネタバレ

井原
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2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

元治元年(1864年)6月、一橋家の重臣・平岡円四郎(堤真一さん)の命により一橋家に新たな人材を確保するために、渋沢篤太夫(栄一)(吉沢亮さん)と渋沢成一郎(喜作)(高良健吾さん)は、関東を巡り、優秀な人材を順調に集めていました。

その頃、江戸の平岡円四郎邸に、円四郎が賊に襲われて命を落としたと知らせがきました。

初めは円四郎の死を信じられず冗談だと笑い飛ばした円四郎の妻・やす(木村佳乃さん)ですが、周囲の表情からそれが真実と知り、取り乱しました。

この頃、徳川斉昭が起こした攘夷運動は、最後の盛り上がりを見せていました。

水戸では天狗党の乱、京には池田屋事件で火が付いた長州兵が京を目指して進軍してきたのです。

しかし、時代の流れにより、頑なだった長州の中にも井上多聞(福士誠治さん)や伊藤俊輔(山崎育三郎さん)という開国論者も現れ始めていました。

京の一橋慶喜(草彅剛さん)のもとに、長州兵が大阪に押し寄せ、帝を京から攫う計画を立てているとの知らせが入りました。

戦になってしまえば、薩摩の思うツボ、と慶喜は戦を避けようと考えます。

しかし、薩摩は慶喜の予想通りこの期に乗じて京での主導権を握ろうとしていました。

江戸の一橋邸に入った2人は、円四郎が水戸の過激な攘夷志士に襲われ落命したと聞かされました。

なぜ、円四郎が水戸の者に殺されなければならなかったのか、篤太夫は呆然とするのでした。

慶喜は戦を避けるため長州の説得を続けていましたが、長州はそれに応じず挙兵。

慶喜は孝明天皇(尾上右近さん)の勅命を受けて長州を迎え撃つことになりました。

元治元年7月19日、禁門の変が起こりました。

慶喜は自ら兵を率いて御所を守り、薩摩も外国から仕入れた大砲を用いて長州を圧倒。

禁門の変は幕府軍の勝利となりました。

さらに、長州は文久3年の下関事件の報復として4か国から砲撃を受け、圧倒的武力の前に敗北。

ようやく長州は攘夷を断念したのでした。

その頃、将軍・徳川家茂(磯村勇斗さん)は、諸外国の中から紳士的で友好的と感じたフランスの助力を得て、武力を立て直そうとしていました。

筑波山にて挙兵した天狗党でしたが、一部の兵士が起こした焼き討ちや強盗まがいの行いにより、求心力を低下させていました。

このままではいけないと判断した藤田小四郎は新しい大将として武田耕雲斎(津田寛治さん)を頼み、天狗党の立て直しを図ろうとしました。

江戸にも禁門の変の知らせが届き、慶喜の活躍を聞いた篤太夫。

自分たちが集めた兵力が禁門の変に間に合わなかったことを嘆きます。

そんな篤大夫に慶喜の側近・猪飼は兵を纏めて京に向かうようにと命じました。

中山道を進み、深谷宿に入ると、尾高惇忠(田辺誠一さん)が2人を待っていました。

お互いを労い近況を報告しあうと、惇忠は栄一の父・市郎右衛門の計らいで2人の妻子が小久保で待っていると告げたのです。

そして、篤大夫と成一郎は久しぶりに妻子と会うことができたのです。

円四郎という道を開いてくれた恩人を亡くし、行こうとしていた道に悩む栄一ですが、妻・千代(橋本愛さん)は、栄一が信じた道を信じている、と夫を励ましたのです。

翌日、深谷宿を出て岡部領内を出ようとする篤大夫一行の前に岡部藩の役人が現れました。

この一行には岡部藩の元百姓が含まれている、色々な嫌疑がかけられているため一度岡部に戻してもらいたい、と言いだしたのです。

篤大夫が一歩踏み込もうとする前に、猪飼が前に出て役人と対峙しました。

渋沢両名は、かけがえのない家臣、今村に帰られては一同が困る、一橋家として到底承服しかねる、とはっきりと告げたのです。

役人は引き下がり、2人は岡部藩から離脱できたのでした。

京に戻り慶喜と謁見した2人。

慶喜は2人の労をねぎらい、円四郎の死は自分の身代わりになったのだと話したのでした。

その頃、武田耕雲斎が大将となり、一時は勢いを取り戻した天狗党ですが、徐々にその数を減らし追い詰められていました。

耕雲斎は、京の慶喜を頼り、行く末を託そうと考え、兵をまとめて京へと向かいます。

その報告を受けた慶喜は、自分が天狗党を擁護しようとすれば、公儀に歯向かったとされると考え、自らの手で天狗党を討つと決意したのでした。

前回、第17回「篤大夫、涙の帰京」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、第18回「一橋の懐」のあらすじと感想です。

天狗党を討て

耕雲斎を首領とした天狗党1000名余りは、慶喜を頼って上洛を始めていました。

慶喜は、禁裏御守衛総督。京を守る立場にあるため、天狗党を討伐する決意を固めます。

家臣らが集められる中、篤太夫は集めてきた兵と共に黒川と共に出陣を命じられ、成一郎は別の任務が与えられました。

篤大夫は、かつて一緒に酒を飲み、それでも東湖の息子なのか、と焚きつけてしまった小四郎と戦わなければいけないことに動揺していました。

元治元年12月、慶喜と弟・昭徳の軍勢は、天狗党討伐のために京を出発しました。

一方、慶喜の密命を受けた成一郎は、単身天狗党のもとへと辿り着いていました。

そこで成一郎が見た光景は、幕府追討軍との戦いで疲弊し、寒さに震える凄惨な天狗党の姿でした。

首領の武田耕雲斎に慶喜の密書を渡した成一郎。

そこには、武器を携えた者たちを京に入れるわけにはいかない、上洛を諦め、三々五々領地に戻るように、さもなければ自分が天狗党と戦わなければならなくなる、と書かれてあったのです。

それを覗き込んだ小四郎は、「これは…、なんと、一橋様は烈公様のご意志を踏みにじるのか!烈公の御子息でありながら国を思う我らを切り捨て身の安泰を図るのか」と激怒します。

しかし、興奮する小四郎に被せるように耕雲斎は叫んだのです。

「違う!わからぬか。我らがこれほどまでに一橋様を追い込んでしまったことを…。もはやこれまでじゃ」と投降を決めたのです。

「渋沢殿と申したか、ご苦労をおかけいたした。一橋様と昭徳様に敵対することは決してない」と頭を耕雲斎は頭を下げました。

「俺たちは、ただ負けたんだ」と荒んだ目をした小四郎に、成一郎は慶喜や原市之進も他藩の手で討伐だけは避けたいと案じていた、と告げるのです。

「栄一も…」と言いかけると、小四郎は「栄一?あいつが言ったんだ、東湖の子であるこの俺がこのままでよいのかと」と憎々しげに吐き捨てたのでした。

そして、篤大夫のところに兵を下げるという知らせが届きました。

篤大夫の初陣は、戦うことなく終わりました。

千代への手紙

京に戻った篤大夫は血洗島の千代に手紙を書きました。

自分は元気に頑張っていること、小十人並に出世したこと、近頃は、一橋の付き合いごとを任され、重役の接待のお供に行っていることを書き記しました。

独り身であることを心配した上役が、女性を紹介しようとしたが、国元に妻が居る、ときっぱりと断ったことで、真面目な男であると評判も上がった、と続けます。

しかし、着る物がたくさん必要となり、自分たちで直したりしているがどうしても足りないので、反物を送るので足袋を仕立てて欲しい、と書送ったのです。

血洗島の千代とよし(成海璃子さん)は、夫のためにあれもこれもと考え、嬉しそうに仕立てていました。

いずれ必ず呼び寄せるから、期待して待っていて欲しい、と書かれた手紙を嬉しそうに読む千代でした。

しかし、庭先で必死に剣の稽古に励む弟・平九郎(岡田健史さん)の姿に不安を感じ、心配そうに見守っていました。

天狗党の裁き

幕府にくだった天狗党。

慶喜は、天狗党の乱は言わば水戸の争いであるため、耕雲斎の身は引き受けたい、と申し出るのですが、公儀の役人・天狗党征討総督である田沼意尊は公平な処置をすると約束し、天狗党の一件を任せて欲しいと言い募ります。

公平に裁いてくれるのならば、と慶喜は了承し、捕らえた前田の重臣や朝廷からも助命嘆願の願いが出ている、どうか頼む、と公儀に天狗党の処置を任せたのです。

しかし田沼は、これまで戦のなかった公儀をこれほど騒がせた水戸の天狗党を憎み、慶喜の願いをことごとく無視して、幹部はもちろん下々まで352人を斬首するという暴挙に出たのです。

首領の武田耕雲斎も天狗党を起こした藤田小四郎もここで斬首されました。

耕雲斎と小四郎の首は、塩漬けにして水戸に晒されると聞いた篤大夫は、あまりに残虐な裁きに、戦は終わったのに何故、と激高します。

成一郎は、一橋が幕府に侮られたからだ、と主張します。

一橋家は今満足な兵がいません。しかし、天狗党を残しておいたら慶喜がそれを取り込み、幕府を脅かすかもしれません、それ故皆殺しにしたんだと成一郎は分析します。

そんなことで、国を思う者を無駄死にさせるとは、と篤大夫は嘆きました。

自分が小四郎を焚きつけたから、こうなってしまったのだ、と篤大夫は後悔します。

そんな篤大夫を成一郎は叱り飛ばします。

「自惚れるな!水戸は、お前に言われなくたって立ち上がってた。俺は見だんだ、あの誇り高いはずの水戸の兵が飢えてやせ細り、寒さにガタガタと震えていた。あれが、俺たちが信じた攘夷の成れの果てだ」

そして、

「俺はもう攘夷などどうでもいい、この先は殿を、一橋を守るために生きる。お前はどうする?」と告げたのです。

成一郎の言葉を聞いた篤大夫は、何も答えられず、呆然としていました。

かつて円四郎が人材を集めようとしているが金がない、と嘆いていたことを思い出していました。

徳川家康(北大路欣也さん)の話

こうして日本の若者に大きな影響を与えていた尊皇攘夷は、多大な犠牲を払って終わりました。

これまで攘夷攘夷と騒いでいた外様の武士は、驚くことに一気に外国を頼り始めていました。

長州は英国にすり寄り、薩摩の留学生も英国に旅立ちました。

もはや彼らの敵は外国ではなく、徳川になっていたのです。

幕府の策

その徳川は、フランスを頼り、手を組もうとしていました。

勘定奉行の小栗忠則(武田真治さん)主導で、造船所、製鉄所の建設に乗り出し、また、家茂が望むなら、フランスから陸軍教師を招き、公儀の軍勢を西洋のごとく強き軍勢に変革することに力を貸したいと言ってきていると伝えたのです。

しかし、幕府は薩摩や長州の賠償金を肩代わりしていたため、資金が不足していました。

小栗は、自信満々にそれは大丈夫だと請負います。

なぜなら、フランスと共同してカンパニーを作る算段が出来たからだといいます。

もはや武力だけでなく、経済に目を向け、財政を整える必要があると、小栗は家茂に提言したのです。

新しいお役目

その頃、京の慶喜にも篤大夫が同じような提言を行っていました。

関東を巡ったように、西の領地8万石も丁寧に巡り探せば、きっと自分のように天下の役に立ちたい百姓が100人、いや200人、300人はいるでしょう、と提言すると、自分に兵を集める任務を命じてもらいたい、と懇願したのです。

そうして篤大夫は慶喜から軍制御用掛、歩兵取立て御用掛を任命されたのでした。

備中、一橋家の陣屋に着いた篤大夫は、代官の稲垣練造に説明し、百姓の次男三男を集めさせました。

そして集まった若者たちに篤大夫は熱く語りますが、誰も聞く耳を持とうとはしません。

次の日も、そのまた次の日も、篤大夫は言葉を尽くして兵を募るのですが、希望者は1人もありません。

なぜだ!と焦りを見せる篤大夫を伝蔵は諌めます。

そして、篤大夫は百姓にも生活があることを思い出したのです。

英国の思惑

その頃、横浜の港に英国の新しい公使・ハリー・バークスが到着していました。

アーネスト・サトウは、何としても日本との貿易を成功させたい、と意気込むハリーに、長州と薩摩藩が英国との貿易を望んでいると告げます。

しかし、そのためには幕府が邪魔であると考えていると明かすのです。

長州征伐

幕府にも長州と薩摩が英国に擦り寄っているとの報告が入りました。

将軍・家茂はこれまで攘夷と声高に叫んでいた長州が手のひらを返す様に信じられない思いでいます。

長州が英国に擦り寄るのは、幕府に対抗する力を得るためだと確信した家茂は、第二次長州征伐を決定したのでした。

妻・和宮は3度に渡る上洛に不安を募らせ、家茂の身を案じていました。

出兵に当たり、見送りに来た天璋院(上白石萌音さん)に家茂はもし自分がこの戦で命を落としたら、と言い始め、天璋院に耳打ちをして後を託したのでした。

備中の農民の生活を知る

百姓にも生活がある、そんな時に限って代官が…と昔を思い出した篤大夫は漢学を教える塾を訪ね、塾頭である阪谷朗盧の授業を拝聴していました。

先生の教えを熱心に聞く篤大夫の姿を見た塾生の間にざわめきが起こりました。

そして、師範の阪谷と対面すると、自分はもともと武州の百姓で、ここよりずっと狭い従兄の塾で漢学を学び、そこで論語と朱子学、水戸の攘夷の心を学んでいたと話したのです。

すると、阪谷は一橋の家臣である篤大夫が攘夷を口にするのは感心できない、と窘めます。

篤大夫は、江戸や京の漢学者は攘夷鎖港論者だったと言い募るのですが、阪谷は自分は開港するべきだと考え教えている、と言うのです。

そして、浜田弥兵衛を知っているか、と尋ねたのです。

しばらく考えた篤大夫は、かつて惇忠と台湾で貿易をした浜田弥兵衛のことを話したことを思い出しました。

阪谷の話を聞くと、その柔軟な考え方に感銘を受け、篤太夫と阪谷は意気投合。

備中の塾に何日も通い、ある日は畑で仕事に励み、ある日は漁に出て鯛を釣り、塾生や阪谷と交流を深めていく篤太夫。

すると、数人の若者が篤太夫と共に上洛したいと言ってきたのです。

喜んだ篤太夫は、その思いを文書にしてほしいとお願いしました。

人材確保

それを持った篤太夫は、庄屋の前で文書を取り出し、数日備中を回っただけでこれだけの若者が上洛したいと言ってきたと告げます。

しかし、なぜこの地ではただの1人も希望者がいないのか、これは誰かが邪魔をしているのではないか、と突きつけたのです。

篤太夫の言葉に震え上がった庄屋は、代官に言われて仕方なく従ったのだと白状しました。

そして、篤太夫は代官と対峙します。

慶喜から重要な役目を受けこの地にやってきたのに、ただ1人の希望者も集められず京に戻ったのでは、首が飛んでしまうかもしれない、と言い募ります。

そんな、首が飛ぶなんて、という代官に近づくと、協力をしなかったとして代官も同罪だ、と扇子を代官の首に突きつけたのです。

明日、自分は京へ立つ、と告げる篤太夫。

その翌日、篤太夫の下には大勢の若者が集まったのでした。

慶喜への提言

京に戻った篤太夫は慶喜から労いと褒美を賜りました。

その際、慶喜に一橋家の懐具合を整え、土台を頑丈にする役目を担いたい、と提言したのです。

兵が増えるのは喜ばしことだが、武士とて金は入り用。

水戸天狗党があのようになったのも、それを怠ったため、小四郎は忠義だけを尊び、懐を整えなかった、両方なければ駄目なんです、と言い募ります。

篤太夫は米の入った袋を取り出し、それが工夫されたよくできた米であると主張し、この米を入れ札払いにして売れば、5千両は儲かる、そして播磨で見つけてきた木綿も売り方次第で相当な利が見込めると言います。

そして何よりもこれを見てもらいたい、と箱を取り出した篤太夫はそれを慶喜に差し出します。

中には、備中で取れる硝石が入っていました。

火薬に必要な硝石は、これから必ず必要になってきます。

そして篤太夫は、こう続けたのです。

「実は、某はそもそも当家に公儀に代わって某が願う攘夷を果たして頂けねえかと、言わば様子見の腰掛けのつもりで仕官しました。しかし、今改めて、この壊れかけた日の本を再びまとめ、お守り頂けるのは殿しかおらぬと、そのためにこの一橋のお家をもっと強くしたい、懐を豊かにし、その土台を頑丈にする、軍事よりはむしろそのような御用こそ己の長所でございます」と告げ、そろばんを出して見せたのです。

慶喜は、そんな篤太夫に父・斉昭を思い出したと言います。

父も、水戸の懐をどうにかしなければならないと常々言い、林やガラスを作り、蜂の蜜を集めていたといいます。

百姓のこともお百姓様と呼び尊んでいたと話しました。

篤太夫は、斉昭のことを勝手に己の父に負けない石頭の風神雷神のような方だろうと考えていたため、驚いたと素直に口にしました。

そんな篤太夫を嗜める黒川。

すると慶喜が突然笑いだしたのです。

雷神になった父を想像してしまったと声を上げて笑いました。

そして、円四郎め、誠に不思議なものを押し付けおった、と言うと、「渋沢よ、もはや腰掛けではあるまいな、ならばやってみよ、そこまで申したのだ、お主の腕を見せてみよ」と命じたのです。

平伏した篤太夫は「お前はお前のまま生きろ、必ずだ」という円四郎の言葉を思い出していました。

こうして篤太夫は、一橋家を豊かにするために動き出したのです。

次回、第19回「勘定組頭、渋沢篤太夫」

売り方を変えることで一橋領の木綿の価値を高めることに成功した篤太夫は、さらに商売を盛んにするため紙幣の流通にも取り組む。勘定組頭に抜てきされた篤太夫は、財政を豊かにすることで一橋家を支えようと決意をする。一方、薩摩では、欧州から帰国した五代才助が大久保一蔵と密談を交わしていた。ついに幕府は2度目の長州征伐へ…しかしひそかに薩長同盟を結んだ長州を前に、幕府は大苦戦。そんな中、大坂城で指揮を執る家茂が倒れる。

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

篤太夫は、自分の得意分野で一橋を支える決意をし、実行していきます。

慶喜は薩長の力が強まることを危惧し、幕府を支えるために奮闘します。

水を得た魚のように、様々なことに取り組む篤太夫の活躍に期待できますね。

最後に

今回は、前半部分の天狗党の悲しい結末に切なくなりました。

水戸の斉昭の思想を受け継ぎ、それを忠実に実行しようとした天狗党。

しかし、彼らは時代の流れが見えていませんでした。

いち早く時代の流れを掴み先を読んでいた慶喜、その聡明さ故に、皆の期待を一身に受けていたのですが、烈公・斉昭の息子、という柵は思いの他強く、慶喜に伸し掛ってきていました。

天狗党の藤田小四郎は、烈公の息子である慶喜が斉昭の意志を踏みにじるのかと激怒していましたね。

斉昭を敬愛する武田耕雲斎は、斉昭の意思を正確に把握し、息子である慶喜の力になろうと考えていました。

しかし、自分たちの存在が慶喜を追い詰めていると理解すると、天狗党に幕を下ろすことを決めたのです。

この辺の過程がとても切なく、苦しくなりました。

追討軍との戦いに疲弊した兵たちの姿、痛々しい負傷した姿に目をそらしたくなってしまいました。

しかし、一番胸を突かれたのは武田耕雲斎の斬首シーン。

痩せこけ、疲れ果てた様子の耕雲斎が穏やかな微笑みを浮かべ、斉昭の傍へ行ける嬉しげに言うシーンですね。

首を前に突き出し、死が目の前に迫っているのに、穏やか笑みを浮かべる耕雲斎の姿に涙しました。

悲しすぎましたね。

若さゆえ、偉大すぎた父の影に翻弄された藤田小四郎の最後まで諦めず抗う姿にも悲哀を感じました。

幕府の見栄のため、煩わされた報復のため、一橋の力を削ぐために慶喜の意向を無視して残虐な処刑を敢行した田沼に憎しみを覚えてしまいました。

今回の前半部は哀しいシーンが多かったですね。

その中で、栄一が千代に手紙を送り、着物を仕立てて貰うシーンはほっこりしました。

離れて暮らしていても、やはり夫婦。

頑張る夫のために、嬉しげに入用のものを用立てる母や妻の姿はすごく和みました。

そして後半部は、篤太夫が頑張りましたね。

慶喜に提言から始まり、意気揚々と向かった先での空回り。

大上段に構えて演説する篤太夫が、だんだん焦りを見せ始める姿が愉快でした。

あんなに熱く語っても、誰も聞いてないんですものね、そりゃ焦りますね。

でも、お供としてついてきた伝蔵の言葉で我に返り、初心に戻って塾通いを始めた時には、おっ!始まったな、と期待に胸が膨らみました。

渋沢栄一を演じる吉沢亮さんの軽快な語り口調というか、怒っていたのに、ころっと変わる話し方、すごくコミカルで笑いを誘われました。

ああいう抜けた感じもすごくいいですよね。

塾生に混ざって様々な体験を積み、その暮らしを理解し、人心を掴む、栄一らしいやり方ですよね。

栄一の素晴らしいところは、人の話に耳を傾け、いいものはいい、と素直に感じられるところです。

今回、塾頭の阪谷朗盧の柔軟な考え方に触れ、素直に感心していました。

のびのびと育ったことがよくわかりますね。

備中で仲間を得たことで、代官の悪巧みを見抜いたのも爽快でした。

偉そうに、扇子を突きつけるところが痛快でしたね。

ビクビクする代官役のおかやまはじめさんの演技に笑いがこみ上げました。

面白かったです。

そして、慶喜と栄一の距離が少し近づいたように感じて、安心しました。

これまでは円四郎が間に入って2人の仲を取り持ってくれていたのですが、円四郎はいなくなってしまいました。

どこか遠かった慶喜と篤太夫が、今回とても近づき、本当に安心しました。

篤太夫の率直な物言い、突飛な発想、それもこれも円四郎が慶喜のために残した人材だということに、改めて円四郎の素晴らしさが分かり、早すぎる円四郎の退場が残念でたまりません。

さて、来週は篤太夫が商売人としての才能をフルに発揮します。

藍染作りで培った商売のノウハウを一橋で活かすことができるのでしょうか。

こういうサクセスストーリーは大好きで、わくわくしますね。

一方の慶喜はどんどん苦しい立場になってきます。

幕府は薩長の脅威に晒され、家茂も病に倒れてしまいます。

篤太夫は円四郎の代わりとなって、慶喜を支えることができるのでしょうか。

次回、第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」、期待して視聴しようと思います。



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