2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。
前回のあらすじ
日清戦争に勝利した日本は、諸外国において立場が変わりつつありました。
自分たちが悲憤慷慨して国を変えようと目指してから、30年余りが過ぎました。
日本は漸く栄一たちが思い描いていた国になろうとしています。
戦後、主である徳川慶喜(草彅剛さん)との対面を避けていた渋沢喜作(高良健吾さん)と尾高惇忠(田辺誠一さん)に、もうそろそろ慶喜様に会ってみないかと、渋沢栄一(吉沢亮さん)は促しました。
慶喜は、喜作の元気な姿に喜び、惇忠のこれまでを労いました。
末端の家来のことまで気遣う慶喜の繊細な気遣いに2人は万感の想いでした。
その後、惇忠は20世紀の訪れと共に亡くなりました。
栄一はますます活躍し、海外での活動も増えてきました。
それに伴い、嫡男・篤二(泉澤祐希さん)も家業を手伝うようになっていました。
ロシアが南下政策を始め、日本の国防に影響を与え始めた頃、栄一のもとを訪れた井上馨(福士誠治さん)と陸軍参議次長・児玉源太郎は、財界に主戦論を広げて欲しいと依頼しました。
政府の政策に思うところはあっても、井上の依頼を承諾した栄一は、財界人に国債の購入を呼びかける講演会を開きます。
しかし、講演直後、栄一は胸を押さえて倒れてしまいました。
栄一の病状は悪く、生死の境を彷徨います。
瀕死の栄一は、佐々木勇之助(長村航希さん)を銀行の後任に指名、篤二に嫡男として家のことを頼む、と託しました。
しかし、篤二はその重圧に耐え切れず、栄一の部屋から飛び出し、栄一の見舞いに来た慶喜に暴言を吐いて逃げてしまいました。
慶喜は瀕死の栄一に「何でも話すから死なないでくれ」と懇願します。
すると、栄一はみるみるうちに回復したのです。
民には知らされていませんでしたが、日露戦争で日本軍はかなり疲弊していました。
そのため、伊藤博文(山崎育三郎さん)はロシアとの講和条約を急いでいました。
無事、条約は調印できたものの、政府がロシアへの賠償請求を取り下げたことから、民の怒りが爆発し、あちこちで暴動が起きました。
条約の調印を行った小村寿太郎が暴徒に襲われ、栄一もまた襲撃を受けました。
病床にあった栄一に、何でも話すと約束した慶喜の伝記を作るために、歴史学者や昔を知る人々が集められました。
そこで初めて語られる慶喜の思いに栄一は胸を突かれました。
慶喜が語った、「生まれついての役割」という言葉について、考え始めたのです。
前回、第39回「栄一と戦争」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは第40回「栄一、海を越えて」のあらすじと感想です。
実業界からの引退
「人には生まれついての役割がある」という慶喜の言葉を聞いた栄一は、自分の役割とは何か、と考えました。
この頃、日本はますます帝国主義に傾いていきました。
「今の日本は心のないハリボテだ。そうしてしまったのは私たちだ。私が止めなくてはならない」
そうして、決心したのです。
「私はこの度、第一線を退くこととしました。第一銀行と銀行集会所以外の役員を全て辞任し、実業界を引退したいと思う」と実業界を引退することにしました。
この時、栄一が辞職した会社は60以上にも登りました。
その後、伊藤博文と対面した栄一。
その頃伊藤は、韓国問題に力を注ぎ、その進捗を栄一に話します。
韓国が国力をつけるまで、保護国とした伊藤ですが、近頃、韓国では日本軍の力が強く、今一度自分がハルビンに出向く必要があると考えていました。
栄一は、自分もようやく間違いに気づいた、と語ります。
随分前に尊皇攘夷から離れたと思っていたけれど、つい最近まで同じような思想でいたと気づいたというのです。
線を越えるなら、何としてもロシアを倒さなければならない、自らの保身のために他国を犠牲にしてもいいと思っていた、なんと傲慢な考えだろう、とこれまでの間違いを反省します。
そして、アメリカでの日本人移民排斥の動きを受け、自分はアメリカに行くことにしたと打ち明けました。
10万人もの日本人移民は、今米国で排斥運動の被害に遭っているというのです。
勤勉で、低賃金で働く日本人に、仕事を取られるのではないか米国人は恐れているといいます。
だから、「日本人は友だ。経済上も人としても仲良くしよう、と心を込めて告げてまわれば、幾ばくかの理解に繋がるはずだ…」と栄一は言うのです。
伊藤は栄一に、「アメリカを頼んだぞ」と栄一の民間外交に理解を示しました。
民間外交
実業家と大学教授、新聞記者からなる渡米実業団のメンバーは、米国の実業団が用意した特別列車を使って、米国横断を敢行します。
それは、91日間をかけて、全米60都市を訪問し各所を視察。70回に及ぶ講演を行う、超過密スケジュールでした。
渡米には、兼子と兼子の姪・高梨孝子も志願して参加していました。
兼子は列車から見える米国の広大な土地に感動します。
そこから石油採掘場を見た栄一は、これからは石油の時代だと感じていました。
51名からなる渡米実業団は、各地で工場、エネルギー施設、発電所、農場や大学、福祉施設などを訪ねました。
夜は列車で移動し、夜が明ければ次の都市で視察に励む栄一。
栄一は移動の列車の中で疲れ果てていました。
そんな栄一に、米国接待委員のロジャー・グリーンは、これから行く地でも栄一を歓迎し待つ人がたくさんいる、と栄一を励まします。
これまでの訪問では、反日感情を向けられることなく、親切に歓迎してもらっていたと感じる栄一たち。
秘書は、反日感情が強いのは移民が多い西海岸だと言います。
栄一は、日本人移民に理解があるダフト大統領との面会を旅の目的の1つとしていました。
ダフト大統領は、栄一たちを歓迎しこれから先は、米国は日本と平和な戦争、つまり商売の戦いをする、と宣言します。
「日本万歳」と栄一たちの訪れとこれからの友好を示したのです。
ダフト大統領の好意に感謝しつつも、栄一は平和な戦い「peaceful war」と表現されたことに違和感を持ちました。
日本があくまで怯えず、憤らず、平熱を保っていられるよう、励まねば、と栄一は誓うのでした。
伊藤博文 暗殺
朝、列車が突然止まり、側近たちが栄一の車両に飛び込んできました。
ハルビンで伊藤博文が暗殺されたという急使が来たのです。
呆然とする栄一のもとに、ニューヨークの新聞記者たちが押し寄せてきました。
韓国の独立運動家に暗殺されたという伊藤。
日本の近代化を作ってきたのは伊藤と自分たち、と語る栄一。
しかし言葉は途切れがちになり、「今の日本は…とんでもない流行病にかかってしまったのではないか、どうなんです、伊藤さん、伊藤さん、伊藤さん…。」と栄一は膝をついて嘆いたのでした。
栄一の思い
翌日は、日本人排斥運動が激しいカリフォルニアに到着します。
接待員は、商工会議所でのスピーチを中止したらどうかと提案しました。
サンフランシスコは反日感情が強く、商工会は、最後まで栄一を受け入れることに反対していたというのです。
それでも栄一は、サンフランシスコでのスピーチを敢行しました。
用意していた文章を読み進める栄一。
聴衆は静かに聞いていました。
しかし、栄一は途中で言葉を止めると、持っていた原稿を離しました。
そして、自分の言葉で語り始めたのです。
「私は、先日長年の友を亡くしました。殺されたのです。今日だけではない。私は人生において、実に多くの大事な友を亡くしました。互いに心から憎しみあっていたからではない。相手を知らなかった。知っていても考え方の違いを理解しようとしていなかった。相手をきちんと知ろうとする心があれば、無益な憎しみあいや悲劇は免れた。日本人を排除しようとする米国西海岸も然り。」この言葉に、聴衆はざわめきました。
「しかし、私は今、訪米実業団として、こうして直に米国の地を踏み、各地で多大なる親切にあいました。発展を目の当たりにして大いに学ばせてもらった。アメリカ人の愛情は、ペリー提督やハリス公使の昔よりさらに深まり、その多大なる愛情を我が国に注いでくださっているのを確信しています。
だからこそ今、皆さんの目を見て申し上げる。日本人は敵ではありません。我々はあなた方の友だ。日本人移民は米国から何か奪いにきたのではない。この広大な地の労働者として役に立ちたいという覚悟を持ってはるばるこの地にやってきたんです。それをどうか、憎まないでいただきたい。日本には己の欲せざるところ人に施すなかれという教えが広く知れ渡っています。互が嫌がることをするのではなく、目を見て心を開いて手を結び、皆が幸せになるよう、それを世界の心情としたい。
大統領閣下は私に「peaceful war」とおっしゃった。しかし私はあえて申し上げる。「No War!No War!だ!どうかこの心が、閣下、淑女、紳士諸君、世界の皆に広がりますように…。」
栄一の言葉は、米国人に響き、大きな拍手を持って受け入れられました。
その夜、栄一の乗る列車の窓を叩く人がいました。
栄一が窓を開けると、1組の親子が佇んでいたのです。
栄一がここを訪れると聞いて、待っていたという親子。
自分たちはここで頑張っていく、移民のために来てくれて感謝している、と栄一に花を渡しました。
栄一はその言葉に、ありがとう、と感謝を伝えたのでした。
こうして、栄一の3か月に及ぶ旅が終わりました。
篤二、廃嫡
1910年、飛鳥山の渋沢邸を訪れた喜作は、栄一の孫・敬三(笠松将さん)が夢中で虫の観察をしているのを見守っていました。
家の中では、慶喜公伝の編纂作業が行われていました。
大きくなった敬三について、篤二が皆に説明していると、慶喜は、自分は父に水練を厳しく教えられた、と話します。
そして、栄一は篤二に教えていないのか、と尋ねたのです。
一瞬、戸惑った篤二は「私はもっぱら畳水練で」と答えました。
忙しい栄一に水練などしてもらったことはなかったのです。
篤二の中に蟠りが残りました。
その1か月後、篤二の記事が新聞に載りました。
篤二が芸者に入れ揚げ、家を構えたと書かれてあったのです。
篤二の義兄・穂積は、篤二の乱行に自分の監督不行届きだと嘆きます。
姉のうたこは篤二が構えたという家に乗り込み「どうしてあなたは過ちを繰り返すの?どうしてもっと家のことを大事にしてくださらないの」と篤二に縋り付き叱責しました。
栄一は、親族を集めて会議を開きました。
そこで遺言書を用意したと言い、読み上げました。
「嫡男・篤二を廃嫡とし、篤二の持つ株券及び土地を没収し、その名義を敦子夫人にする」
栄一は、「浅はかだった。外ばかり見て、一番近くにあったはずの篤二の心を、あいつの辛さを理解できていなかった」と悔やみました。
篤二の息子・敬三は自室で動物の研究に勤しんでいました。
そこを訪れた喜作に、自分はもうこの家を出るかも知れない、と打ち明けます。
父が出て行ったのに、いつまでもこの家にいることはできないと母が言っているというのです。
喜作は、敦子は何も悪くない、と弁護します。
そして篤二についても、「篤二はよく頑張っていた。ただ、向いてなかったんだ」と呟いたのです。
喜作は、自分は商売には向いていなかった、と自嘲し、幕臣だった頃が一番楽しかった、と話します。
上野から飯能、会津、果ては函館にまで行った喜作。
そんな喜作に栄一は、潔く死ね、と手紙を送りました。
受け取った喜作は、それでも生き残りました。
戦後、人から何度も後ろ指を指され続けました。
篤二もそうなってしまうのだろう、と喜作は心配します。
「栄一は、皆があれほど言うのだから、よほど偉大なんだろう。近くにいる者からすれば、いっそ腹立たしいほどだ」と喜作と敬三は笑い合うのでした。
明治天皇が崩御し、大正元年(1912年)になりました。
血洗島を訪れた栄一と喜作。
喜作は新しい世まで生きた、と笑います。
栄一は、今度は中国に行ってみたいと打ち明けました。
「いくら懸命に励んだところで、なせることなんかほんの僅かだ。諦めるわけにはいかない」と言う栄一に、喜作は「少しは諦める心も覚えろ。誰もがおめえみてえに前ばっかり向いて生きられるわけじゃねえんだからな」と諭しました。
そして、笑いあったのです。
幼い頃から栄一と共に生きた渋沢喜作が74歳で生涯を終えました。
徳川慶喜公伝
「徳川慶喜公伝」の完成が近づき、慶喜から原稿の修正を受け取る栄一。
栄一は、これで漸く正しく御前様のことを、また幕末の世の真相を、世間に知らしめることができる、と喜びました。
すると慶喜は、これでパリでの文の答えになったか、と栄一に言うのです。
かつてパリにいた頃、慶喜が兵を見捨てて江戸に戻ったと聞き、昭武に直書を送ったらどうかと進言したのは栄一です。
慶喜は、昭武の直書は栄一が書いたものだと見破っていたのです。
あの頃、自分はいつ死ぬべきだったかと自分に問うてきた、と慶喜は言います。
「いつ死んでおれば徳川最後の将軍の名を汚さずに済んだのかとずっと考えてきた。
しかし、漸く今思う。生きていて良かった。話をすることができて良かった。楽しかったな」と慶喜は笑いました。
「しかし困った。もう権現様の寿命を超えてしまった」と笑う慶喜に、栄一は笑いながら「よく生きてくださいました」と言いました。
慶喜は栄一に向き直ると「そなたもな。感謝しておるぞ。尽未来際、共にいてくれて…感謝しておる。」
栄一は、慶喜の馬を追いかけ、初めて対面した時のことを思い出していました。
慶喜は外に向かって「快なり!快なり!快なりじゃ!」と声を張り上げ、栄一に満面の笑みを向けたのでした。
徳川慶喜は77歳の天寿を全うしました。
徳川歴代将軍一の長寿でした。
孫文
中国に新政府を開いた孫文が栄一に会いに来ました。
国家の滅亡を防ぎ、民を救い、子孫を外国の奴隷にしないために、中国の経済の立て直しを相談したい、また、資金の援助をお願いしたい、と申し入れてきたのです。
栄一は、それなら孫文が経済人になったらいい、と提案します。
戦争のためではなく、経済のためであればいくらでも力になる、と約束した栄一。
しかし中国に戻った孫文は、内紛に巻き込まれてしまいました。
そして、栄一との約束を果たせない、と謝罪文を送ってきたのです。
世界情勢はさらに悪化していきました。
ドイツがイギリス、ロシアと対立したことを背景に、欧州では第一次世界大戦が勃発しました。
首相となっていた大隈重信(大倉孝二さん)は、日英同盟により、東洋及び南洋諸島、すべてのドイツ植民地と軍事基地を日本軍が接収することになった、と言い、そのため、栄一に実業界の協力を求めました。
栄一は、大隈の政策を批判します。
外務大臣に何度も制止を受ける栄一ですが、その言葉は止まらず、黙っていた大隈もとうとう声を荒らげ、日本を守るためにも日本は領土を広げなければならないのだと反論します。
伊藤は死に、井上は病気だ、自分ひとりになっても維新の世の尻拭いをしているのである、と大隈は叫びました。
日本は日英同盟に従い、ドイツに宣戦布告。
第一次世界大戦に参加することになったのです。
そんな中、井上馨が亡くなりました。
享年80歳。
栄一の願い
ある日、勉強に励む敬三の部屋を栄一が訪れました。
仙台にある学校で動物学を学びたい、と希望している敬三に頭を下げると、農科ではなく法科に進んで欲しい、と懇願したのです。
「ゆくゆくは実業界で働いてもらいたい。私の跡を取り、銀行業務について欲しい」と言うのです。
敬三は栄一の言葉に「いいえ、私は…」と断りの言葉を続けようとするのですが、栄一の言葉に遮られてしまいます。
「どうか、どうか、言うことを聞いて欲しい。この通りお頼みする。これは決して命令ではない。実業界から日本を支えることを己の使命として欲しい。私が愛した如く、実業界を愛して欲しい、どうか、どうか頼む」と懇願する栄一。
第一次世界大戦の間に、日本は山東半島やドイツの植民地を専有して勢力を拡大。
ロシア革命が起きたことをきっかけに、シベリアにも出兵しました。
米国や中国は、日本は侵略的で軍国主義だと批判します。
仕事を辞めても、人間としての勤めは終生辞めることはできないからな、と栄一は今日も精力的に動くのでした。
次回、最終回「青春はつづく」
老年になっても走り続ける栄一は、ワシントンの軍縮会議に合わせて再び渡米し、移民問題など悪化した日米関係の改善に尽力する。一方、栄一の後を継ぐ決心をした孫の敬三は、銀行員となり、経験を積むため渡英する。そんな折、関東大震災が発生。周囲の心配をはねのけ救援の最前線に立った栄一は、内外の実業家に寄付を呼びかけ資金を集める。また中国の水害に対しても、自宅からラジオを通じて募金への協力を呼びかけるが、満州事変が勃発。救援物資は受け取りを拒否されてしまう。それでも栄一はあきらめず、病床から自らの思いを伝えつづける。
大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより
とうとう最終回を迎えます。
盟友たちがどんどんと旅立つ中、栄一は皆の思いを背負って走り続けます。
栄一はますます民間外交に励み、各国との関係改善を目指すのです。
栄一の孫・敬三は栄一の思いに触れ、栄一の後を継ぐ決心をしますね。
跡取りが決まって一安心ですね。
日本では関東大震災、中国でも満州事変が起こり、栄一は支援の為にまた動き出します。
栄一の最後の戦いが始まります。
栄一の思いが世界中に届きますように。
最後に
今回は、15分拡大バージョンで、大変見応えがありましたね。
栄一の大事な人たちが、次々と旅立っていってしまいました。
従兄弟で兄貴分、常に行動を共にしていた高良健吾さん演じる渋沢喜作が亡くなってしまいました。
侍だった頃は、一橋のため、慶喜のために、剣を降り続け、懸命に闘って来ました。
維新後は、商売の道に進みますが、喜作曰く、向いていなかったようですね。
栄一に、引退するよう引導を渡されたと言っていましたね。
常に行動を共にしていても、一橋の家臣になってからは、栄一とは別行動でした。
それは、適材適所。
それぞれ向いている場所に配属されたからです。
喜作は、栄一の活躍をどう見ていたのでしょうか。
弟分の活躍を喜んでいたのは間違いないとは思いますが、今回敬三に語っていたように、羨ましかったり、時には、腹立たしかったのかもしれませんね。
そんな喜作だから、廃嫡された篤二のことを理解できたのでしょう。
父が廃嫡されて、戸惑う敬三に寄り添う、喜作の優しさが身に沁みました。
栄一と千代を取り持った時も、かっこいい人だな、男気溢れる人だな、と思っていたのですが、敬三への心配りの細やかさに、一層その思いが強くなりました。
最後に、突っ走る栄一を諭す喜作も素晴らしくかっこよかったです。
共に明治政府を支えてきた山崎育三郎さん演じる伊藤博文も旅立ちました。
同じく、福士誠治さん演じる井上馨も。
日本を一等国にするという目的のため、励んできた盟友たち。
伊藤の真摯な思いが伝わらなかったのが非常に残念でした。
井上の死に方も衝撃でしたね。
そして、栄一が敬愛してやまない徳川慶喜も旅立ってしまいました。
最後のシーンは本当に素晴らしかった。
維新の後から、静かな演技を続けてきた草彅剛さん演じる徳川慶喜でしたが、ここで満面の笑みが見られて、本当に嬉しかったです。
いつ死ぬべきか、ずっと考えていた、と栄一に本音を伝えた慶喜。
大事な家臣を何人も失くし、大事な決断を1人で実行しなければならない時もありました。
全ての罪を己1人で背負い、ただただ静かに生きてきた明治時代。
ずっと苦しみ続けてきた慶喜ですが、栄一に「楽しかったな」と言ったのです。
あれは、嬉しい言葉でしたね。
栄一が、他の人々が惚れ込んだ徳川慶喜の真実を後世に伝えることが叶い、それも嬉しいけれど、慶喜が楽しかったと感じられたことが、本当に喜ばしかったです。
徳川最後の将軍・徳川慶喜の最後が、素晴らしい笑顔だったことに感動しました。
この大河ドラマのおかげで、徳川慶喜という人物の魅力に改めて気付かせて頂きました。
そして、廃嫡されてしまった嫡男・篤二。
泉澤祐希さんの篤二は、常に何かと戦っているような、何かに押し潰されそうな儚い表情をしていました。
栄一の嫡男、というのはどれほどの重圧だったのでしょうね。
自分がどれだけ頑張っても、大きすぎる父の名は、重荷にしかならなかったのでしょう。
元々篤二は実業家よりも芸術方面に才能がありそうでしたものね。
向いている職業に付ければ良かったのに…。残念です。
そのとばっちりで、息子の敬三が栄一の跡を継ぐことになります。
動物学者を目指していたのに、羽織袴の正装で偉大な祖父に頭を下げられたら、萎縮しますよね。
おまけに、父の事で負い目もあるし。
敬三の本音はわかりませんが、栄一の言葉、行動、理念を理解し、納得して道を決めてくれたらいいな、と思います。
さて、次回はいよいよ最終回。
また、15分拡大で1時間の放送となります。
世界情勢が不穏な中、震災まで起こってしまいます。
「自分だけが嬉しいんじゃなくて、皆が嬉しいのが良いんだで」という母・ゑいの言葉通り、栄一は皆のために奮闘します。
先に旅立ってしまった盟友たちの分まで、栄一は最後まで走り続けます。
栄一が移民のために行ったスピーチの結びの言葉のように、どうか栄一の思いが皆に届きますように、と切に願います。