2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。
前回のあらすじ
一橋家に勤め始めて1か月。
渋沢栄一(吉沢亮さん)と渋沢喜作(高良健吾さん)は初めての俸禄を貰いました。
これで少しは生活が潤うと喜ぶ喜作ですが、京に来てからの散財で借金が25両もできてしまったことを反省する栄一は、倹約を誓います。
2人に俸禄を渡した平岡円四郎(堤真一さん)は、2人を一橋家で正式に雇うために、2人が所属する岡部藩に話をつけたと告げました。
2人は岡部藩に属する農民なので、勝手に雇うことができなかったのです。
しかし、円四郎の計らいにより、2人は正式に一橋家の家臣となりました。
円四郎は、2人の名前が武士らしくないといい栄一には篤大夫、喜作には成一郎という名前を授けました。
一橋家にはたくさんの家臣がいますが、昔から一橋家に仕えている者は今は少なくなったと側近の猪飼は言います。
水戸藩で水戸学を修め攘夷派であった原も、川村も黒川も皆、主である一橋慶喜(草彅剛さん)と出会い、本当の尊皇攘夷とはどういうものかを知り、慶喜の人柄に惚れ込み一橋家の家臣になった者たちです。
一橋家には、身分問わず、様々なところから優秀な人材が集まって来ていました。
話を聞いていた篤大夫と成一郎は、自分たちは攘夷の志を忘れず、できれば一橋家の皆を巻き込んで攘夷を決行しようと意気込んでいました。
ある日、篤大夫は円四郎から御台場築造掛に抜擢された薩摩藩の折田要蔵(徳井優さん)を探れという命令が下されました。
篤大夫は、大阪へ行き、折田のもとに身を寄せ折田の内弟子となりました。
しばらくは折田に言われるがまま、掃除や模写に明け暮れる日々が続きます。
そんな中、折田と同郷である西郷吉之助(博多華丸さん)が、折田の様子を見に大阪にやって来ました。
西郷は、塾生の中に見慣れない篤大夫の顔を見つけて、折田との会食に同席させました。
西郷に気に入られた篤大夫のことを、薩摩藩の藩士たちは妬み、一橋家の回し者なのではないかと疑いを持ち始めました。
塾で休みを貰った篤大夫は京に戻り、折田は噂通りの人物ではなく、一橋で召し抱えるほどの人物ではない、円四郎に報告しました。
折田の塾に西郷が現れたことを話し、その会話で折田が国父・島津久光(池田成志さん)の命で公家の山階宮家に出入りしていることを話しました。
すると円四郎は、薩摩が禁裏御守衛総督の座を狙っていると気づき、その企みを阻止するために動き始めました。
元治元年(1864年)3月25日、慶喜は将軍後見職を免じられ、同時に禁裏御守衛総督に任命されました。
配下に京都守護職・会津藩の松平容保、京都所司代に容保の弟である松平定敬を置き、京で一橋慶喜のもと、朝廷をも取込み新しい体制が築かれました。
その知らせを受けた島津は激高します。
一橋は、兵を持っていないだけでこのまま放っておけば、天子様を擁して天下に号令する勢いだと危惧していました。
島津の側近・大久保一蔵(石丸幹二さん)は、今の一橋は破れない、と直言するのです。
今の一橋の力は、慶喜の側近である平岡円四郎の力が大きいと告げます。
ここは一旦国元に戻り、富を得て兵を整え将来の戦に備えようと島津に提案する大久保。
島津はそれに頷き、一旦国元へと戻るのでした。
禁裏御守衛総督となった慶喜は、水戸藩の武田耕雲斎(津田寛治さん)に兵を援助して欲しいと書状を送りました。
受け取った津田は歓喜して兵を用意しようとするのですが、そこに藤田東湖の息子・小四郎が挙兵したとの知らせが飛び込んできました。
折田の塾を去る時、篤大夫は薩摩言葉に悩む塾生たちのために、薩摩言葉を訳した書付を残し渡しました。
塾生の仲を取り持ち、和を作る篤大夫のことを折田も高く評価していました。
しかし、薩摩藩士たちは篤大夫がこのまま一橋に戻れないよう暗殺を画策していました。
そこに西郷が現れ、篤大夫を連れ出します。
西郷に豚鍋を振舞われた篤大夫。
西郷にこれからの日本について問われると、篤大夫は正直に、このままでは幕府は倒れ豪族政治が始まると思う、と答えます。
そして、徳川の代わりに一橋慶喜がこの世を治めるのがいいと思う、と語ったのです。
西郷は、その役目は薩摩では駄目なのか、と問うのですが、篤大夫は今の薩摩の殿にその徳があるのか、と逆に問いかけます。
薩摩の殿にその徳があるならいいが、自分は徳ある方に才ある者を用いて国をまとめてもらいたい、しかし、慶喜も中々の人物だ、と答えたのでした。
西郷は、平岡様も面白い人を拾ってきた、と篤大夫を評しました。
円四郎と橋本左内、そして西郷はかつて慶喜を将軍にと望み、しかし井伊直弼に敗れた同士でした。
円四郎は一を聞いて十を知る男、あまり先のことが見えすぎる人物は非業の最期を遂げる、と円四郎を案じました。
篤大夫が京に戻ると、慶喜の宿舎の前に不審人物が徘徊するようになり、慶喜、円四郎の周りに不穏な空気が漂い始めました。
そんな中、篤大夫と成一郎は新しい人材を探しに、関東へと出張を命じられたのでした。
前回、第15回「篤大夫、薩摩潜入」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは、第16回「恩人暗殺」のあらすじと感想です。
関東出張
禁裏御守衛総督の任に就いた慶喜は、政治的基盤を整えるため、水戸藩に人材の援助を求めました。
その一方で、篤大夫と成一郎もまた、新たな人材を確保するために、関東に旅立とうとしていました。
途中、円四郎が馬でやってきて、2人と合流しました。
円四郎は2人を見送るために、わざわざやってきたのです。
円四郎にお茶に誘われる2人。
2人は、攘夷か否かなんて上っ面はどうでもいい、要は一途に国のことを考えているかどうか、まっとうに正直に生きているかどうか、そんな人材を探してこい、と命じられました。
成一郎が席を外すと、残された篤大夫に円四郎は「あっちの渋沢はもう一端の武士みてえだな」と話しかけました。
「元は武士じゃねえってことも忘れんなよ。無理に死ぬのを生業にすることはねえってことさ」と言うのです。
そして、円四郎はかつて生意気な若造が「江戸の町は商いで出来ている」と嬉しそうに話していたことを語りました。
それは、栄一が始めて江戸に出てきた時に言った台詞です。
円四郎はそれが栄一だと気づいていないようです。
その言葉に憤った円四郎ですが、しかしこうなってみると確かに侍は米も金も生むことができない、この先の日の本は武張った石頭だけじゃ成り立たないのかもしれない、と口にしました。
「だから渋沢、お前はお前のまま生き抜け、必ずだ、いいな」と言い聞かせるのでした。
円四郎に見送られ、2人は関東へと旅立ちました。
部下の川村は、円四郎の近くに怪しい輩が徘徊している告げ、円四郎が無防備に出歩くことを心配していました。
血洗島では
血洗島では、栄一(篤大夫)の妻・千代(橋本愛さん)が兄・尾高惇忠(田辺誠一さん)のもとに届いた手紙を抱えて家に急いでいました。
そこには、栄一と喜作が一橋家に召抱えられていたと書かれていました。
御三卿の家臣になったと聞き、父・市郎右衛門(小林薫さん)も母・ゑい(和久井映見さん)も驚愕します。
伯父・宗助(平泉成さん)は、栄一たちが攘夷とか倒幕とか言っていたのに、一橋家に仕官したことに驚きを隠せません。
千代は、栄一たちが役目で関東に来ると書かれてあると話し、ゑいも栄一たちと会えるかも、と喜びました。
水戸騒乱
しかし、2人の思いを阻んだのは、水戸の騒乱でした。
筑波山で挙兵した藤田小四郎について、水戸藩では頭を悩ませていました。
水戸藩の中の諸生党は、藤田たち天狗党を討伐する、と藩主・慶篤(中島歩さん)に願い出て許されていました。
幕府からは、このような時期に騒乱を起こすとはと、苦言を呈され、早期の制圧を望まれていました。
武田耕雲斎は、慶篤の決定を諌めるのですが、幕府からも催促されていると耕雲斎の言葉に耳を貸しません。
耕雲斎は、慶喜からの援助の申し入れはどうするのかと説得しようとするのですが、慶喜より藩内の騒乱を鎮める方が先、と取り合わないのです。
筑波山で挙兵した藤田小四郎ですが、各所に蜂起を呼びかけたり資金援助を申し入れたりしても、なかなか上手くは行きません。
配下の者に、どんな手段でも良いので、人と金を集めろと命じます。
尾高への要請、惇忠の捕縛
すると、血洗島の惇忠のもとにも筑波山に集まるようにとの知らせが入りました。
伝令役に、この蜂起は藩主の指示のもと行われているかと問いただすと、伝令は言葉を濁します。
ことを起こすには大義名分が必要、と考える惇忠は、藩主の指示なき挙兵はただの騒乱だと蜂起への参加を拒否します。
惇忠は、水戸天狗党を名乗る浪士が各地で金品を強奪するなどの事件を起こしていたことを知っており、天狗党を危惧していたのです。
それでも同士のために金を用意した惇忠に対し、伝令は賊扱いされたと憤り、金を奪うようにして去って行きました。
翌日、惇忠は岡部の陣屋から急に呼び出され、いつになっても戻って来れず、家族は不安に包まれていました。
夜、惇忠が戻ってきたと思い家を戸を開けると、岡部の陣屋から役人が押し寄せてきました。
水戸の騒乱に関わったと疑われた惇忠は陣屋の牢に捕われ、弟の平九郎(岡田健史さん)もまた陣屋へと連れて行かれてしまったのです。
取り乱す母・やへ(手塚理美さん)を押さえながら、千代は「何もやましいことがないのなら、お話していらっしゃい、お吟味に正直にお答えして、兄様と一緒にきっと帰っておいで」と叱咤激励し、平九郎を送り出しました。
息子3人が牢に入れられてしまったことに混乱したやへは、惇忠の部屋に入り、惇忠の書物や書付を破り捨て、泣き崩れました。
池田屋事件
その日、京でも大掛かりな捕物が行われていました。
新選組による池田屋襲撃事件です。
新選組による過激な取締を指示したのは、禁裏御守衛総督となった一橋慶喜ではないかと噂が京に流れていました。
過激な水戸藩士たちは、攘夷の意志を持っていた烈公・徳川斉昭の息子である慶喜がそんな指示をするはずかない、平岡円四郎が慶喜を惑わせているに違いない、と憎悪は円四郎へと向かい始めました。
江戸にて・真田との別離
その頃、江戸に到着した篤大夫と成一郎は、円四郎の妻・やす(木村佳乃さん)を訪れ、円四郎が息災にしていることを伝えました。
そして、「おかしろくもねえ時は、掛け軸の小鳥にでも話しかけろ、と仰っておりました」と円四郎の言葉を伝えました。
やすは、2人が約束通り円四郎のために尽くしていることに感謝を伝えました。
関東の一橋家の所領を手広く周り、儒学者や剣術家、才のある農民まで広く様々な人材を探しました。
そして、玄武館の道場を訪れ、かつての同士だった真田範之助と再会したのです。
真田は、2人との再会を喜び、再び立ち上がる時が来た、ともに筑波山に向かおう、と誘ってきたのです。
塾生たちは、藤田小四郎の挙兵に応じて筑波山へ向かおうとしていました。
それを聞いた篤大夫たちは、自分たちは一橋家に仕官したと告げ、ともに一橋家で働かないかと勧誘したのです。
しかし真田は「ふざけるなっ」と激怒します。
半年前まで攘夷を志していたはずが、一橋家に仕官するなど恥ずかしくないのかと罵倒されます。
成一郎は、大橋や天誅組の失敗を見てわかるように、半端な挙兵では攘夷派叶わない、と口にしました。
篤大夫も、自分たちが考えているよりこの世はずっと広い、攘夷のためにもこの国をよりよくするためにも、挙兵より自分たちとともに一橋家で働いた方がよほど見込みがある、一橋のもとで共に新しい国を作ろう、と真田を説得するのですが、激高した真田に刃を突きつけられてしまいました。
むざむざと死んで欲しくない、と言っても、死ぬのが怖くなったのか、心底見損なった、と罵られてしまいます。
真田は2人に背を向け、2人の説得を拒否、扉を閉めてしまいました。
こんな形で道を違えてしまったことを篤大夫は嘆きました。
関東で40人程の人材を確保できた2人。
血洗島にも行って、人材を確保しつつ家族にも会えたらいいと願っていました。
そこに、父・市郎右衛門からの文が届きました。
文には、2人が一橋家に仕官したと聞き驚き、一目その勇姿を見てみたいが、今はそれどころではない、惇忠が水戸騒乱に関わったとされて陣屋に捕らえられている、また、陣屋の役人は、許可なく村を出た2人の怒っている、惇忠のことは、皆で訴えているので任せろ、しかし、故郷に帰ることは見合わせろ、と書かれていました。
こんなに近くに来たのに、帰れないと嘆く2人でした。
天狗討伐
水戸城では、天狗党の蜂起を収めようと討伐軍が編成されていました。
水戸の諸生党は、これを機に実権を握ろうと画策していました。
斉昭派の家老は、諸生党の言を取り入れる藩主・慶篤に訴えるのですが、慶篤煮え切らない返事を返すばかり。
しかし、母・貞芳院(原日出子さん)から、烈公の意志を継ぐ耕雲斎を政から追い出すとは何事か、主君のそなたが勢いに押されていては家中が治まらない、このままでは慶喜に迷惑がかかる、そなたが双方の意見をよく聞き、家中を取り纏めるのです、と諫められ、耕雲斎を中枢に戻すことにしたのです。
尽未来際
京では、水戸の内乱のことを聞いた慶喜が、困っていました。
耕雲斎に頼んでいた兵の援助が見込めないとわかったからです。
慶喜は、本心を円四郎に語り始めました。
自分は輝きが過ぎる、と話し始めたのです。
この輝きのせいで、先の将軍から可愛がられ、徳川を頼むと言われ、他の大名からは徳川を救えと言われ続けた、この輝きを恐れた井伊は大獄を起こし、自分を排除しようとしたと言います。
しかし、本来の自分は輝きなどない、ただの平凡な人間なのだと慶喜は言います。
父も誰も彼も幻を見ている、そしてその幻の輝きは、実に多くの者の命運を狂わせる、私はただ徳川の一人として、謹厳実直に徳川を支えたいだけ、という慶喜。
円四郎は、どこの色男のつぶやきだと呆れます。
円四郎は、その輝きはこの先も決して失せることはない、と慶喜に告げました。
自分は、円四郎は慶喜は東照大権現の再来だと思っている、と言うのです。
江戸開府以来、200余年緩んできた世を再び纏められるのは殿しかいない、自分は慶喜が作る新しい世を心待ちにしている、と言います。
嫌がる慶喜は、自分は権現様とは夢ですら会ったことはないが、会っても決して似てはいないと思う、と言い切ります。
円四郎は、東照大権現に似ているかもしれない、と否定します。
慶喜は、似ていない、ただ、権現様に恥ずかしくない世にしなければと思う、と口にしました。
円四郎は、その心意気だ、というと、「この平岡円四郎が尽未来際どこまでもお供仕ります」と平伏したのでした。
暗殺・円四郎の死
京都の西町奉行所の辺りで、ひどい雨が降ってきました。
円四郎は、傘を借りようと川村に声をかけました。
円四郎が1人になったところを見計らったように、水戸藩士が円四郎に襲いかかってきました。
袈裟懸け斬られた円四郎に気づいた川村は、すぐに応戦するのですが、円四郎は致命傷を負っていました。
よろよろと立ち上がり、数歩歩いたところで力尽き、血まみれの手を空に向かって伸ばし、「まだ死ねない、死にたくない」と呟き、最後に「やす」と妻の名を呼び、絶命しました。
知らせを聞いた慶喜は、よろけながら走り出し、びしょ濡れの円四郎の遺体に近寄りました。
「尽未来際と申したではないか、尽未来際、共に、どうして、どうして…」と亡骸に寄り添い、嘆き悲しんだのです。
その頃、篤大夫と成一郎は、新たな人材と共に京へと向かっていました。
2人が円四郎の死を知るのは、半月先のことでした。
次回、第17回「篤大夫、涙の帰京」
円四郎の命が奪われたことを江戸で知り、衝撃を受ける篤太夫と成一郎。その時、京では慶喜が自ら指揮を執り、御所に迫る長州藩兵と戦っていた。そこに、西郷吉之助が薩摩藩兵を率いて加勢する。集めた兵を引き連れて京に向かう篤太夫たち。その道中、岡部の代官・利根が現れる。さらに、水戸では、耕雲斎と小四郎が率いる天狗党が、慶喜を頼って京を目指していた。
大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより
禁門の変が起こり、慶喜は自ら兵を率いて長州と戦うことになります。
円四郎の死を知った篤大夫は衝撃を受けてしまいます。
久方ぶりに妻と再会するのですが抜け殻のようになっていましたね。
慶喜は戦いへと向かい、篤大夫は円四郎を思い、新たに強い決意を誓うのです。
最後に
とうとう、円四郎が暗殺されてしまいました。
残念です、本当に残念。
物語の前半、栄一に強い影響を与え、転機を与えることになった円四郎。
堤真一さんの大らかで明るく、懐の深い円四郎は、このドラマの癒しであり和みであり、お笑い担当のようであり、なくてはならない存在でした。
若く血気にあふれた栄一を諭し目覚めさせ、導く円四郎。
さらに、慶喜の諌臣としての役割を果たし、良き相談役としても活躍していました。
江戸で燻っていた円四郎が、慶喜の小姓にと抜擢され、そこからめきめきと頭角を現し、家老並みにまで大出世、これから新しい世ができる、信頼する殿が作る未来を夢見ていたことでしょうに、そんな人生の最高潮の時に突然命を奪われるなんて…。
人斬りが横行していた混沌の時代とは言え、あまりのことに言葉がありません。
堤真一さん演じる円四郎が非常に魅力的で、やすとの掛け合いや慶喜と語らうシーン、栄一たちと向き合うシーンなど、強く印象に残っています。
このドラマの良いアクセントとなっていたため、退場が本当に残念です。
でも、回想や何かで、ちょこちょこ出てきてくれるのだろうと、信じています。
死の際の小鳥の羽ばたき、鳴き声など、印象深い、素晴らしい最期でした。
それから、息子3人が捕らえられてしまった母の苦しみが痛いほど伝わり、胸が苦しくなりました。
手塚理美さん演じるやへの苦しみ、これまであまり感情を表に出さない演技をされていたので、今回の激情が非常に心に残りました。
長七郎に続き、惇忠、平九郎まで連れて行かれてしまったのですから、「攘夷」という言葉すら憎くなるのも当たり前ですよね。
千代を演じる橋本愛さんの演技もまた、惚れ惚れしました。
弟・平九郎に「やましいことがないなら、正直に話せ」と叱咤する姉・千代。
芯があるとは思っていましたが、こんなに強い人だったのかと、凛とした姿に見惚れました。
それから、真田への勧誘はやはり失敗に終わりましたね。
小四郎の蜂起と重なってしまったため、時期が悪かったのかもしれませんが、以前、2人が思っていた通りの言葉を浴びせかけられ、2人の衝撃は大きかったでしょうね。
真田の泣きそうな演技が印象的でした。
短いシーンでしたが、新選組の池田屋事件も描かれていましたね。
土方歳三役の町田啓太さんの流れるような殺陣が美しかったです。
そしてやはり、父・市郎右衛門の気遣いに痺れました。
村を飛び出した息子の代わりに家を支える父・市郎右衛門。
立派になった息子に一目会いたかったでしょうに、村のこと、そして栄一たちの身の安全を考え、帰ってくるなと文を送った父の心。
すごいお父さんだな、と改めて感動しました。
こんな出来た人の息子だから、栄一は好きなことがのびのびと出来たんですね。
さて、今はまだ円四郎の死を知らない栄一ですが、次回第17回でそれを知ってしまいます。
恩人である円四郎の死で、栄一はどうなってしまうのでしょうか。
信頼していた円四郎を失った慶喜の嘆きの深さは計りしれませんが、それでも歴史は動いて行きます。
慶喜のこれからも気になるところですね。