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青天を衝け 第19回「勘定組頭、渋沢篤太夫」のあらすじと感想とネタバレ

姫路城
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2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

攘夷を掲げて挙兵した天狗党でしたが、水戸藩や幕府の追討軍からの攻撃に疲弊し、これ以上国元での戦いを続けることは、亡き烈公の望むところではないだろうと、天狗党の総大将・武田耕雲斎(津田寛治さん)は、水戸出身で徳川斉昭の息子である一橋慶喜(草彅剛さん)を頼って上洛を決めました。

しかし、京を守る役を担っている慶喜は、天狗党を擁護することができません。

天狗党が京に入ると言うならば、せめて自分の手で討伐する、と決意を固めました。

渋沢篤太夫(吉沢亮さん)は、側近の黒川と共に討伐隊に参加命令が下り、渋沢成一郎(高良健吾さん)には、慶喜から密命が下されました。

慶喜から密書を託された成一郎は、天狗党首領の武田耕雲斎に接触。

慶喜の密書を読んだ藤田東湖の息子・小四郎(藤原季節さん)は、烈公の子でありながら保身を図るのか、と激昂するのですが、耕雲斎は慶喜の意図を察し、もはやここまでと幕府に投降することを決めました。

これにより、篤太夫の初陣は、戦うことなく終わりました。

天狗党の処遇について、慶喜は自分のところに耕雲斎を引き取りたいと申し出るのですが、幕府天狗党征討総督である田沼から公平な処置をすると明言されたため、その言葉を信じ、天狗党を幕府に託しました。

しかし田沼は、江戸幕府開府以来戦のなかった時代を混乱させた天狗党を憎み、慶喜の懇願を尽く無視し、幹部はもちろん下々まで352人を斬首するという非道な処罰を下したのです。

さらに、総大将である武田耕雲斎と藤田小四郎の首は、塩漬けにされ水戸に晒されるのだといいます。

それを聞いた篤太夫は呆然とし、成一郎は激高しました。

幕府は、天狗党を残しておいては、いずれ慶喜に取り込まれ、幕府が脅かされると危惧し、天狗党を全滅に追い込んだのだと成一郎は分析します。

篤太夫は、自分が小四郎をけしかけたせいだと嘆きますが、成一郎は、篤太夫が何もしなくてもいずれ水戸は挙兵していた、と声を荒らげます。

そして、自分はこの先、一橋を守るために生きる、と宣言したのです。

その時、篤太夫の頭には、亡き平岡円四郎が「人材を集めようとしているが金がない」と嘆いていたことが過ぎりました。

こうして、攘夷の波は収まりましたが、これまで攘夷を唱えていた外様大名たちは、こぞって外国に擦り寄るようになり、最新の武力を手に入れると、新たに敵を徳川と定めたのです。

この動きは幕府も把握済みで、幕府は幕府でフランスに助力頼み、武力と経済の増強を図っていました。

京の篤太夫も、一橋の新たな兵力、人材確保のため、慶喜に命じられ西の領地へ向かいます。

備中に到着した篤太夫は、代官、庄屋を通じ、農家の次男、三男を集め、一橋に仕える事の意義、国政に関わる話を熱心に語りかけるのですが、誰も反応を示さず、無為に何日も過ぎ、焦り始めました。

その頃、幕府には長州と薩摩が英国にすり寄り幕府転覆を狙っているとの情報が入り、将軍・家茂(磯村勇斗さん)は、第二次長州征伐を決意したのです。

忙しい時期に代官に呼び出され、無茶な要求を突きつけられた経験を持つ篤太夫は、百姓にも生活があると考え直し、まず、地元住民の生活に溶け込むことにしました。

漢学を教える塾に通い、塾頭の教えに耳を傾け、塾生たちと交流を深める篤太夫。

やがてその人柄は塾生たちの信頼を得て、篤太夫が京に戻る際には、自分たちも連れて行って欲しいという若者たちが出てきました。

若者たちからその気持ちを綴った文を貰い受けた篤太夫は、備中の庄屋を呼び出すと、なぜ誰も協力しないのか、誰かが邪魔をしているのではないかと問いただします。

そして、代官からの圧力であると知ると、代官も呼び出し脅しつけると、翌日には仕官希望者の若者が殺到することになったのです。

京に戻った篤太夫は、人材を集めただけでは駄目、懐も整える必要があると提言します。

そして、備中で手に入れた農産物や鉱物を見せ、これでどれだけの利が出るかと説明したのです。

篤太夫は、攘夷の志をもって一橋に仕官したが、現在では壊れかけた日の本を立て直すのは慶喜しかいないと考え、一橋をもっと強くするために、懐を豊かにして土台を頑丈にしたい、そしてそういうことこそ自分の得意だと主張したのです。

篤太夫の主張を聞いていた慶喜は、その言い分が亡き・斉昭を彷彿させると言い、そこまで言うのならばその腕を見せてみろ、と篤太夫に命じたのでした。

前回、第18回「一橋の懐」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」のあらすじと感想です。

懐を豊かにするために

一橋を守ると宣言した成一郎に対し、篤太夫は一橋の懐を守ると宣言。

慶喜に提言したように、篤太夫は一橋の懐を豊かにするために動き出しました。

大阪にて、出来が良い年貢米を入札制にして高値で売買し、備中では火薬の製造を始めました。

その頃、幕府にも懐を豊かにしようとする人物・小栗忠順(武田真治さん)が策を巡させていました。

フランスから軍艦を買い、長州を滅ぼし、薩摩も叩けば、公儀に歯向かう大名はいなくなります。

そうすれば、将軍を王とする一つの国になるのだ、と考えていたのです。

2年後に行われるパリの博覧会の通知を受け取った小栗は、もちろん参加、と答えます。

交易によって利を得るため、世界に日本の優れた製品を見せつけなければなりません。

交易で異国にいいようにされないためにも、公儀はカンパニーを持つ必要があると小栗は考えていました。

徳川家康(北大路欣也さん)の話

家康は小栗忠順についての解説を始めました。

小栗は、初めて公式にアメリカに渡った幕府の使節団の1人でした。

小栗は、現地の最新技術に目を見張り、そしていつか日本もこれを越える技術を、と造船所で作られていたネジを持ち帰りました。

そして今や優秀な勘定奉行となったのです。

武家は長らく金は卑しいものと嫌っていましたが、新たな世は経済の知識なしでは乗り切れませんでした。

そしてそんな人材は、ベルギーにもいたのです。

ベルギーにて、薩摩藩の五代才助(ディーン藤岡さん)が奮闘していました。

五代才助も2年後のパリ博覧会参加を目指しています。

良い物を世界に見せつけ、薩摩が幕府の先を行くのだ、と意気込むのでした。

播磨の木綿

篤太夫は播磨の農民の前で、姫路の白木綿と播磨の白木綿を比べてみます。

どちらも美しくなめらかで色の吸いもよい一級品です。

しかし、姫路の白木綿は1反70文で売られ、播磨の白木綿は35文と安価で取引されています。

それはなぜかといえば、姫路のものは、城下で一度買い上げ、まとめて晒にしたものを、これは姫路の白木綿といかにも姫路特産かのように大々的に販売しているからだといいます。

姫路の白木綿と書かれていると、これはいいものに違いない、と高くても買ってしまうというのです。

しかし、播磨今市村の木綿は各々が織ったり売ったりして商いをしています。

今まで大阪の商人に買い叩かれていたことも多くあっただろうと、農民を労わります。

そこで、播磨の物は、一度一橋家が買い上げて、一橋の白木綿と大仕掛けで売り出す、そうすれば姫路に負けない評判になる、と篤太夫は説明するのです。

農民たちは、そうすれば自分たちも儲かるのかと喜び始めるのですが、1人の農民が「役人がわしら百姓を儲けさせようなんて思うはずあるかいな!」と言い始めたのです。

篤太夫は、一橋を信じてくれ、と何度も声を尽くして説得しようとするのですが、興奮した農民に篤太夫の声は届きませんでした。

イギリス船では

その頃、イギリス公使パークスは、日本の幕府に対し怒りを募らせていました。

修好通商条約を結んで7年が経ちましたが、幕府はのらりくらりと交わして勅許を得ることをしていませんでした。

パークスは幕府に7日間以内に勅許を得るようにと言い渡し、それができないならば公儀を無視して直接朝廷と話すと伝えたのです。

勅許を得るために

将軍・家茂は、今更朝廷は勅など出すはずがない、と困惑し、フランスは庇ってくれないのかと老中に尋ねるのですが、パークスの押しが強く、守りきれない状況にあるのだと説明を受けます。

兵庫開港問題は、これ以上の引き伸ばしは無理、と永井尚之が主張すると、老中の1人が、朝廷の勅許など得なくてもいいのでは、と言い始めました。

これまで、日の本を守ってきたのは公儀、国の差配は公儀がするべき、と意見したのです。

老中の松前も、世の中のことを朝廷も天子様も全くわかっていない、と言い始めました。

阿部も公儀の権威にかけて、勅許などなくても兵庫を開港するべきだと同意したのです。

「そうだ、そうだ」と幕閣の意見が纏まりかけた時、慶喜が現れました。

「たわけたことを申されるな、公儀の独断による条約など不可に決まっておる。このような大きな事柄は朝廷の勅許があってこそ収まります。その前提を無視されると国の根源が崩れますぞ」

それでも、朝廷を蔑ろにする声は聞こえてきます。

家茂は困惑しきっていました。

慶喜は自分が使者に立ち、朝廷に勅許を出してくれるように直談判に向かいました。

朝廷では、勅許なしで条約を結ぶ、と幕府内で言われていたことが知られており、明らかな違勅であるとして、老中の阿部・松前の任を解くようにと要求してきたのです。

慶喜はそれに難色を示そうとするのですが、押し切られてしまいます。

その報告は家茂の耳にも入りました。

阿部、松前の罷免ということに呆然とします。

松前は、これは一橋慶喜の陰謀だと主張するのですが、家茂は、これは自分の力不足だと不甲斐なさを嘆きます。

目付の栗本は、朝廷や一橋がこのような手に出るのなら、征夷大将軍の大任を辞してはどうか、と提案します。

朝廷など、幕府がいなければなにもできない、いずれ泣きついてくるに違いない、と意見したのです。

家茂は、慶喜ならばそれが出来るのかもしれない、と言うと、これより一橋慶喜に将軍の座を譲り、自分は江戸に戻る、と宣言したのです。

それを聞いた慶喜は、すぐさま家茂のもとへと駆けつけました。

なぜこのようなことを、と慶喜が問うと、自分では攘夷を果たすことも勅許を得ることもできないけれど、慶喜ならできるだろう、と主張し始めました。

慶喜は、勅許は自分が命を懸けで頂いてくるから、将軍を辞するのは待ってもらいたい、と懇願したのです。

今、旗本8万石を動かしているのは家茂、自分では誰もついて来ない、国が滅ぶ、将軍はあなたでないと駄目なんです、と家茂を説得したのです。

慶喜は孝明天皇のもとへ行き、勅許を頂こうと頭を下げました。

しかし、中川宮も正親町三条もそれはできない、と言い、将軍を辞職させろ、と言い募ったのです。

慶喜は、「それは誰の意見ですか?某はそなたのもとに薩摩の者が出入りしていることを知っております。これほど大事なことを誰かにそそのかされたのであっては、そのままでは済まされぬぞ」と言い返します。

それでも、勅許が出る様子がなく、慶喜は責を取って自分が切腹する、と言い始めたのです。

自分が死んだ後は、自分の軍勢があなたたちをどうするかわからない、お覚悟を、と脅しつけました。

すると、孝明天皇は人払いを命じ、慶喜と2人きりになると、自分は決して家茂や公儀を憎んでいるわけではない、憎きは長州、と言ったのです。

外国のことは、慶喜がそこまで言うのなら慶喜の言うことを信じよう、と勅許を出したのでした。

越前、福井では、薩摩藩士の大久保一蔵(石丸幹二さん)が松平春嶽(要潤さん)に報告をしていました。

今の幕府は追い詰められ、おかしくなっていると言います。

フランスと組んで長州を潰し、薩摩をも潰そうと目論んでいるというのです。

老中なども大名を潰し、徳川が国を直に治めると言っているというのです。

幕府が世の頂点に立ち、世をまとめようとしているとの報告を受けた春嶽は、それは元は橋本左内(小池徹平さん)の案だった、と昔を懐かしみました。

大久保は、もうそろそろ薩摩も越前も幕府を見限るべきではないかと意見します。

そして、春嶽に京に戻って欲しい、才知ある者で外国に負けない世を作ろうではないか、と主張したのでした。

銀札

慶喜が一橋家に戻ると、篤太夫は慶喜に目通りを願い出ようとします。

しかし、慶喜は大阪での務めの疲れからか、熱を出して寝込んでいました。

せっかく提言しようと思ったのに、と愚痴をこぼすと、猪飼は篤太夫の話は長いから疲れている慶喜に合わせるわけにはいかない、と篤太夫を止めたのです。

ならば、と篤太夫は猪飼に物産所についての話を始めました。

米と硝石については上手くいっているのですが、木綿に行き詰まっていると話す篤太夫。

播磨の木綿を一橋の名物とするためには、農民からできるだけ高く買取り、出来るだけ安く売らなければならないと言うと、それでは物産所の売上にならないではないかと猪飼は言います。

篤太夫は、かつて自分が藍売りをしていた時の事を例に出し、出来るだけ高く買うと、農民にやる気が出て、次の年の藍葉は素晴らしい出来になったといいます。

あまり聞く気がない猪飼に篤太夫が熱心に説明していると、そこに慶喜が通りかかりました。

篤太夫の元気な様子を見て、「相変わらず息災のようじゃの、渋沢よ、話の続きを聞かせてみろ」と篤太夫を促したのです。

慶喜の部屋に入ると、篤太夫は銀札を作りたいのだと提言したのです。

篤太夫は、商いの流れをよくするためには銀札が必要と主張しました。

銀札は各所に存在しています。

小銭は重たく、商いに出向く時には難儀した、と話します。

紙ならば軽く場所も取らず、多くの商いをすることができます。

しかし、これらの多くは値打ちが低い、札に書いてある値段はおろか、束で持って行っても安価な物すら買えない、といったこともあるようです。

それが本当に額面通りの金額なのか、きちんと支払われるのかと農民が心配し、あまり活用出来ていません。

そこで必要なのは信用です。

銀札をただの紙と思うのではなく、きちんと金だと思ってもらうには信用が必要なのだと篤太夫は熱心に語ります。

一橋が真心を持って銀札を作り、民に接すればきっと信頼が得られる、と語る篤太夫。

慶喜は、呆けたように篤太夫の顔を見ていました。

ぼんやりとした様子の慶喜を見咎めた篤太夫は、ちゃんと聞いているかと確認しました。

慶喜は、途中から聞いていなかったと告白し、篤太夫は、円四郎の言葉を借りると、誠に可笑しれえ者だ、と言い切りました。

そんな篤太夫の様子を眺めていたら、少しだけ気鬱も晴れた、と言うと「おぬしが誠に信用出来る札を作り民を喜ばせられるというならぜひ見てみたいものだ」との言葉を与えたのです。

慶喜の許可を得た篤太夫は早速札作りに入りました。

図案にこだわり、丁寧に彫り、それを3つに割って3つ揃わないと札が刷れないように工夫します。

ぞして篤太夫渾身の札ができました。

半年かけて銀札引換所を設立しました。

木綿を作っていた村に行った篤太夫は、札が額面通りの銀と交換されていることを確認し、笑みを浮かべました。

農民も、銀札がきちんと銀に交換されているのを見て、興奮します。

こうして、篤太夫は、一橋の信用を勝ち得たのでした。

違えた道

篤太夫はその働きが認められ、勘定組頭に任命されました。

瞬く間に一橋の懐が安定し、京のみならず、江戸の家中も驚き喜んでいると褒められたのです。

篤太夫は、この道で更なるお役に立てるよう精進して参ります、と答えたのでした。

成一郎は、軍制所取調役組頭に昇進し、2人は別々に住むことになりました。

成一郎は、せっかく武士になったのに、金のことばかりに関わっている篤太夫を不憫に思い、断れなかったのかと心配します。

篤太夫は、自分の性にあっている、幕府の小栗に負けないように頑張る、とやる気を見せるのです。

すると成一郎は、篤太夫は殿の本当の苦しみを知らない、と言い始めました。

今、幕府はいつ長州を討つかで一触即発の時分、薩摩は長州征討に参加せず、阿波も尾張も出兵を断ってきました。

そんな中で、公儀は戦わなければならないのです。

一橋が出兵するかはまだわかっていませんが、この先、一橋がどうなるかわからないが、時分は命をかけて殿のために戦う、と成一郎は言うのです。

そして、かつて、長七郎が老中を斬ろうとしていた時に止めたのは間違いだったのではないか、長七郎が志士として名を残す好機を奪ってしまったのではないか、と後悔していると言うのです。

死んでしまったらなんにもならない、と篤太夫は反論するのですが、それは己が決めることだ、と成一郎は篤太夫を否定。

俺はいつか、長七郎と揃って一橋の勇となる、お前は懐でも守っておれ、と言い放つと部屋を出て行ってしまいました。

残された篤太夫は、道は違えるが互いに身しめて一橋を強くしよう、と誓うのでした。

その頃薩摩では、朝敵である長州と同盟を結ぼうとしていました。

イギリスから戻ってきた五代才助(ディーン藤岡さん)に、その人脈を活かしてミニエー銃を手に入れて欲しいと大久保が言うと、それは既に手配してあると返されます。

これから五代は薩摩を富ませるために動き始めるのでした。

いよいよ第2次長州討伐が始まりました。

しかし、長州は各々が最新の武器を持ち手ごわく、幕府は討伐に手こずっていました。

長州が最新武器を持っているはずがない、と驚く家茂ですが、家臣は、薩摩が長州に最新武器を手配したのだと報告します。

それを聞いた家茂は呆然とし、息を詰まらせ倒れてしまいました。

慶応2年(1866年)7月ようやく居場所を見つけた篤太夫の運命が大きく変わろうとしていました。

次回、第20回「篤太夫、青天の霹靂」

家茂が亡くなった。慶喜の次期将軍就任が避けられぬと目される中、篤太夫は「今将軍になっても、国中の非難を一身に背負うだけ」と慶喜に進言する。一方、薩摩の大久保一蔵は公家の岩倉具視と共謀し、王政復古を画策していた。慶喜が徳川宗家を継いだことで幕臣となってしまった篤太夫は失意の日々を送っていたが、ある日、謀反人の捕縛を命じられる。警護のために同行するのは、新選組副長・土方歳三だった。

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

とうとう慶喜の将軍就任が避けられない事態になってきました。

しかし、篤太夫は慶喜の身を案じ今将軍に就任しても国中の非難を浴びるだけ、と就任しないようにと進言します。

しかし、もはや慶喜の就任は避けられないことだったのです。

篤太夫は謀反人捕縛の任を受け、戦闘を行うようですね。

新選組の副長、土方と行動を共にするようですが、一体どんなことが起こるのでしょうか。

最後に

篤太夫はようやく本領発揮し、生き生きと商いをしていましたね。

まるで血洗島にいた時のよう。

やはり、篤太夫の本質は、商売人、商いの人だったのですね。

生き生きと楽しそうに工夫を凝らす篤太夫の姿が見ていて微笑ましかったです。

一方の成一郎は、生粋の武士のようになってしまいましたね。

名を上げることに命を懸ける武士。

篤太夫とは根本的に考え方が変わってしまったように思えます。

篤太夫は経済で一橋を支える道を選び、成一郎は武でもって一橋を支える決意を固めます。

どちらが正しいということではなく、どちらも正しい。

武力と財力で一橋を各々支えようという篤太夫の考え方は素晴らしい。

まさに、時代の先を読む聡明な人だったのだと改めて感じました。

そして、今回の慶喜は本当に気の毒でした。

幕府にいても敵扱い、朝廷に行っても受け入れてもらえず、少しぐらい脅してもしょうがないなー、と感じてしまいました。

自分が切腹したら、家臣たちが襲って来るよ、と脅すところは爽快でした。

家臣との絆が深いことがうかがい知れますね。

板挟みに苦しむ慶喜。

早く楽にしてあげたい、と思ってしまいました。

そんな状態が続いたら、それは体調を崩しますよね。

そんな時に、いつもどおり元気な篤太夫の姿を見たら、確かに癒されるかも。

熱心に説明する篤太夫をぼんやりと見つめる慶喜の表情が印象的でした。

ずっと厳しい顔をしていましたものね。

篤太夫で癒されてください、と思わず笑ってしまいました。

それから、久しぶりに橋本左内が見られましたね。

金平糖で未来を語る橋本左内。

本当に早すぎる退場でしたが、思いがけず今回見ることができて嬉しかったです。

今回は、篤太夫の口上が面白くて小気味よくて印象に残りました。

やはり篤太夫は商い。

成功していく過程を見るのはとても楽しかったです。

さて次回、第20回「篤太夫、青天の霹靂」では慶喜が征夷大将軍になってしまいます。

あれだけ嫌っていた幕臣になってしまった篤太夫は一体どうするのでしょうか。

暗躍する大久保一蔵、そして岩倉具視の存在も不気味ですね。

新選組の土方と同行し乱闘シーンもあるようですが、どんな展開が待っているのか、ドキドキが止まりませんね。

次回、「篤太夫、青天の霹靂」、楽しみです。



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