青天を衝け 第22回「篤太夫、パリへ」のあらすじと感想とネタバレ

2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

前将軍・家茂が亡くなり、徳川慶喜(草彅剛さん)が徳川宗家を継ぐことになりました。

渋沢篤太夫(栄一)(吉沢亮さん)は、天上人となってしまった慶喜に、もう直接建言などできないと激しく落ち込みます。

しかり、慶喜は篤太夫のことを忘れたわけではありませんでした。

江戸にいる小栗忠順(武田真治さん)に、パリ万博についての相談を受けた慶喜は、篤太夫の事を思い出したのです。

パリ博覧会は、万国が国の自慢の物産を持ち寄る物産展です。

各国の威信をかけて王族が集まる為、初参加となる日本にも王族の参加が要請されました。

しかし、孝明天皇は異国嫌いで、パリに行くなど以ての外。

代わりに将軍家から慶喜の名代として、弟の民部公子(板垣李光人さん)が参加することになりました。

水戸出身の民部公子の側近は、異人と見れば斬ってかかるような連中ばかり。

慶喜は、水戸藩の側近と公儀の役人との間を取り持つ人材として、篤太夫を指名したのです。

異国に渡ることは家族も含め、大変な覚悟が必要となることです。

篤太夫に説明をした原市之進は、よく考えてから返答するようにというのですが、道に行き詰まりを感じていた篤太夫は、慶喜が道を開いてくれたと「行かせてください」と即断しました。

篤太夫は、パリでの役目についての説明を受けながら、異国に行く者は、家を途絶えさせないため、見立て養子を建てる必要があると言われます。

思案する篤太夫は、無二の友である成一郎(高良健吾さん)に相談したいと思うのですが、成一郎はお役目で不在でした。

江戸での役目を終えた成一郎は、故郷に戻っていました。

一橋家家臣となり、さらに幕臣となった成一郎は、師として仰ぎかつて共に倒幕を志した尾高惇忠(田辺誠一さん)に今の自分の気持ちを理解してもらおうと話に来たのです。

惇忠は、今の慶喜の政策に異論はない、として成一郎の道を肯定しました。

誰よりも惇忠の理解を欲していた成一郎は安堵しました。

そして、惇忠と平九郎(岡田健史さん)に共に働かないかと勧誘したのでした。

孝明天皇の強い希望もあり、15代将軍となった慶喜は、外国公使との接見を急ぎ、孝明天皇への拝謁も急ぎたいと考えるのですが、孝明天皇には神事があるので後日に、と言われます。

寒空の中、4時間もかかる神事に、慶喜は帝の身を案じます。

無理がたたり体調を崩した帝は、数日後の慶応2年(1867年)12月25日崩御しました。

天皇崩御を聞いた蟄居中の岩倉具視は天皇の死を嘆き、自分が側にいられなかったことを悔やみます。

そして、今度こそ幼帝を守り、天皇中心の政治、王政復古を成し遂げるために表舞台に戻ると決意したのでした。

パリ出立前に、久しぶりに慶喜と対面した篤太夫。

民部公子との顔合わせを済ませ、慶喜と2人になると、そこで2人は本音で話し合い、篤太夫は慶喜から託された民部公子の支えとなると誓ったのです。

切れ者と評判で会ってみたいと思っていた勘定奉行の小栗忠順と合うことができた篤太夫。

小栗の見識の深さに驚き、徳川への忠誠の深さを感じました。

そして、戻ってきたら共に励もうと約束するのでした。

出立を2日後に控えた篤太夫は、成一郎に会うために江戸へと向かいました。

直ぐには会えなかったものの、小石川の奉行所に捕らわれている尾高長七郎(満島慎之介さん)に面会に行くと、そこで偶然、成一郎と再会できました。

江戸でのお役目の最中、成一郎は時間があると長七郎のもとに通っていたのですが、面会が叶うことはありませんでした。

しかし、その日は運良く面会が許可されました。

久しぶりに会えた長七郎は酷く窶れていました。

弱気になった長七郎を2人は諦めるな、と励まし別れました。

その後、篤太夫は成一郎にパリ行きを伝え、見立て養子として平九郎を考えていると伝えます。

成一郎も惇忠と平九郎を徳川に呼びたいと考えていたため、篤太夫の考えを受け入れ、尾高への話は自分がすると請け負ってくれました。

篤太夫が戻ってくる頃の日本はどうなっているかと思いを馳せるのですが、急激に変化する世の中の先のことは全く予想がつきません。

ただ、今よりきっと良い世になっていると思いたい、自分たちがそうしてみせる、と誓い合ったのでした。

慶応3年(1867年)1月11日、民部公子一行は横浜港からアルフェー号に乗り込みフランスへと旅立ちました。

前回、第21回「篤太夫、遠き道へ」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、第22回「篤太夫、パリへ」のあらすじと感想です。

パリ到着

パリへ向かう船の中、篤太夫は船酔いに苦しんでいました。

かつて攘夷思想を持っていた篤太夫は、未だに異国人に対し、敵愾心を燃やしていました。

しかし、一行の外国奉行支配組頭の田辺太一から、それぞれ風土も歴史も言葉も違う人々を何も知らずに一緒くたに憎むなど、いかにも阿呆のすることだ、と諫められます。

また、船酔いを気遣ってくれた通訳・シーボルトとの出会い、船の中で出されたパンやコーヒーに舌鼓を打ったりしながら、少しずつ意識を変えていきます。

一行はインド洋を過ぎ、スエズ運河が建設中のため、汽車に乗り換え地中海へ、そして55日目、パリに到着しました。

大きな荷物を背負い、長い階段を上りながら篤太夫は、スエズ運河建設は、国ではなく商人が行っていると知り、感心します。

そして階段を登りきると、そこは凱旋門の上でした。

篤太夫は初めて見るパリの町並みを見て、「これが…パリ」と感嘆の声を上げたのでした。

昭武たち幕府の使節団は、パリのグランドホテルに滞在することになりました。

昭武は、ナポレオンとの謁見まで後2週間もないので急ぎ準備に入ります。

そこで、政府から正式な通訳として派遣されたカション神父が声をかけてきて、なぜイギリスのシーボルトが通訳としているのか尋ねてきました。

外国奉行の向山は、キリシタンである神父を見て、シーボルトにもうしばらく同行してもらいたい、と主張したのです。

シーボルトはイギリス側です。

カション神父は苛立ち、立ち去ってしまいました。

打ち合わせ中、既に薩摩がパリに来ており暗躍していると知らされます。

その時突然、昭武のお付として参加している水戸藩士が突然、昭武に茶を給仕しようとする給仕係を恫喝しました。

篤太夫は間に割り込み、水戸藩士を宥めると間をとりもち、場を収めたのでした。

万国博覧会

翌日、パリ博覧会の見学に向かいます。

篤太夫は大きな蒸気機関を見て「船も鉄道もこの力で動いているのか」と感心します。

次に、皆が箱に入っていくのを見ていた篤太夫は、医師の高松凌雲と共に乗り込みました。

扉を閉められ驚いていると、箱はゆっくりと登って行きます。

初めて昇降機を体験した篤太夫は驚きます。

高松と2人で屋根の上に到着すると、「なんてこった!この一瞬で屋根の上とは!」と驚愕します。

そして、「参った!物産会どころか何日かけても見切れねえ品ばかりだ。にも関わらず、ちっぽけな俺は言葉も通じず、その品々を見定める目も考える頭すらねえや。夢の中にいるみてえだ」と感嘆の言葉を漏らしたのです。

薩摩の策略

日本のブースを見に行くとJAPONとLIOU-KIOUの2つのブースがあることに驚きます。

琉球のブースには島津の紋が国旗のように掲げられており、これでは日本には日本と薩摩の2つの国があるかのように思われてしまいます。

そこに、モンブランと名乗る人物が現れました。

モンブランは、外国奉行支配の福地から、要注意人物として言われていた人物です。

外国奉行支配組頭の田辺は、島津が琉球の国王として薩摩の品を出品しているのはどういうことか、薩摩は独立したと取っていいのかと詰問します。

薩摩藩家老の岩下佐次右衛門は、とんでもない、と否定し、全ては琉球王国博覧会委員長であるモンブランに任せてあるから、モンブランに聞いてくれと言うのです。

モンブランは、以前田辺に薩摩と同様の話を持ちかけたのですが、田辺はその話を断っていました。

モンブランは貿易も博覧会も助けたかった、しかし…、と主張したのです。

そして、薩摩の五代は違う、と言い始めたのです。

五代は、モンブランを信じて全てを任せてくれた、と言いました。

怒り心頭の田辺は、琉球の文字を消し、島津の旗を外し、薩摩の出品物は全て日の丸の旗の下に置くよう猛抗議します。

さらに、将軍の表記は「大君=将軍」にしろと命令しました。

しかし薩摩側は、それでは承服できないと拒否。

話し合いは平行線。

どちらも譲りません。

すると、モンブランが日本を「大君」、琉球を「薩摩太守」と表記するのはどうでしょうと提案したのです。

田辺はそれならば、大君と薩摩の太守ではどちらが上か自ずとわかる、と了承し、和解に至りました。

しかし、後日新聞に、「日本は1つの国家ではなく連邦国」「将軍とは、日本の中の有力な一大名に過ぎない」と書かれてしまいました。

田辺は、公儀を貶める薩摩とモンブランの策略だと憤りました。

使節団の通訳シーボルトは、イギリス外務省外務次官宛に報告書を書いていました。

イギリスは薩摩と繋がっており、幕府を貶めるために動いていたのです。

シーボルトは通訳となり、幕府側の動きを探っていたのでした。

謁見

こうした中、テュイルリー宮殿において、昭武はナポレオン3世との謁見に望みました。

これは、日本の徳川将軍の権威を世界に示すまたとない機会でした。

正装に身を包み堂々と慶喜からの国書を代読するその姿に、ナポレオン3世も感心し、心から歓迎する、と伝えたのでした。

日本では、慶喜が大阪城にてフランス公使ロッシュと会談をしていました。

ナポレオン3世のようにやってみなさい、と助言を受けた慶喜。

その夜の各国公使を招いての晩餐では、各国の言葉を駆使して挨拶をし、晩餐を成功させていました。

イギリス公使のパークスは、晩餐に参加しながら通訳のアーネスト・サトウにシーボルトはどうしたと尋ねました。

サトウが万事上手くいっていると報告があったと答えると、パークスは頷きながらも慶喜はこれまでの徳川将軍とは違う、もしかすると徳川は持ち直すかも知れない、と危惧するのでした。

その後も、慶喜はロッシュの助言に従い、次々と改革を進めていきます。

そんな慶喜を追い落とそうと、薩摩の島津久光がかつての参与を京に招集しました。

政治の主導権を慶喜から奪おうとする久光の企みでした。

しかし、慶喜はその会議にて、久光の言葉を躱し集まった皆に西洋のフォトグラフを撮ってみないかと誘ったのです。

こうして、久光の企みは慶喜によって潰されてしまいました。

以降、薩摩は急速に倒幕へと急速に舵を切るのでした。

見立て養子

血洗島では、尾高の家の者が中の家に呼ばれていました。

栄一の父・市郎右衛門(小林薫さん)と平九郎の兄・尾高惇忠は、平九郎に栄一から養子の話が来ていると伝えます。

栄一は武士となり現在はパリへ出張中です。

異国へ行く武士は、見立て養子を立てなければならず、平九郎を養子にしたいと言ってきたと告げました。

栄一の妻・千代(橋本愛さん)は弟・平九郎に栄一から送られてきた形見の懐剣を渡し、娘のうたには父は武士なので、それに恥じない人にならなければならない、と常々言い聞かせていると言います。

しかし、女子では武家の家を継ぐことはできません。

栄一が迷いながらも選んだ道を途絶えさせる訳にはいかない、だからお願いします、と養子になって欲しいと頭を下げたのです。

市郎右衛門も同様に頭を下げました。

こうして、平九郎は栄一と千代の養子となることになりました。

経費節約

その頃、滞在費が嵩み節約を余儀なくされた使節団。

篤太夫は宿泊先のホテルを出て、安価なアパルトマンに移り住むことにしました。

また、民部公子に相応しい屋敷を手配しようと、通訳の山内文次郎と共に赴き、家賃の値切りを頼むのですが、山内は侍で家賃を値切るなど以ての外、絶対にできない、と篤太夫の頼みを聞き入れません。

そこでかなりの言い争いになるのですが、結局、篤太夫は値切ってもらうことができず、屋敷を手配することができませんでした。

そこで、同じアパルトマンに住む事になった使節団の1人がフランス語を話せると知ると、家賃の交渉に再挑戦し、見事値切りに成功しました。

屋敷に行くと、お付の水戸藩士たちがこんな家に住ませる気かと噛み付いてきました。

しかし、当の民部公子が慶喜が住んでいるところよりも立派な部屋だ、と言い、篤太夫を労ったのでした。

パリの街、見学

忙しい公務の合間を縫って、篤太夫たちはパリの街を見物に行きました。

そこで、廃兵院を見た篤太夫は驚きます。

そこは、国のために戦った負傷兵を国のお金で治療するところでした。

篤太夫は、「国の金で治療とは…、これなら家で寝ているよりよほど早く治るし、兵たちも少しは心安んじて戦に出られるかもしれない」と感心したのです。

公務に参加しながら、篤太夫は公費が尽きかけていること案じていました。

日本から送られてくるはずの公費が送られてこないからです。

薩摩の企み

その頃、薩摩にいた五代は大久保一蔵に幕府とフランスの結びつきが切れたと報告していました。

これにより大阪商人を使う幕府のカンパニーの話も潰れるだろうと予想します。

大久保は、慶喜は東照大権現の再来と言われるくらい頭が切れる、と危惧するのですが、頭が切れても金がなければ政はできない、と五代は笑います。

そして、自分は長崎に行く、後は大久保と西郷に任せると託して立ち去りました。

江戸では、パリで将軍とは大名の一人に過ぎないと報道されたことで動揺が広がっていました。

このままではパリに居る民部公子の立場が危うい、と危惧していた勘定奉行・小栗と外国奉行・栗本の不安は的中し、約束していた600万ドルの借款が消えたとの知らせが使節団のもとに届いたのでした。

次回、第23回「篤太夫と最後の将軍」

フランスからの借款は消滅したが、篤太夫が当面の資金繰りに奔走し、昭武は留学を続けていた。家庭教師のヴィレットの教えに従い、篤太夫たちは髷を落とし、刀も外し、洋服を着ることに。同じころ、日本では西郷が軍備を整え、岩倉と大久保が王政復古への動きを進めるが、慶喜は先手を打って政権を帝に返上してしまう。一方、血洗島では篤太夫の養子になった平九郎が、江戸に向かおうとしていた。

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

パリで資金難に陥った使節団一行ですが、篤太夫の奮闘により、なんとか留学を続けています。

髷を切り、洋装となった篤太夫は垢抜けてかっこよくなっていましたね。

夷狄嫌いも治り、篤太夫はパリでも生き生きと頑張っているようです。

しかし、日本では大変な事が起こっていました。

薩摩による王政復古の動きを察知した慶喜は大政奉還を決意するのです。

篤太夫のパリパートと慶喜の江戸パート、その緩急が楽しみですね。

最後に

夷狄嫌いの篤太夫の目つきがどんどん変わっていきました。

船の中では見上げるように、嫌そうに睨みつけていたのが、どんどん目が開いていくところが良かったです。

篤太夫の素晴らしいところは、良いものは良い、と素直に感じられるところですね。

万博を見て、今の日本ではとても敵わない、参った、と感じてからの篤太夫は、パリで参考になることを発見するとメモを取り、良いところは持ち帰ろうと貪欲に活動しています。

そういう姿勢は本当に素晴らしい。

篤太夫の生き生きとした姿がとても魅力的でした。

舞踏会の女性を見る目つきはちょっと…、面白かったですけどね。

徳川昭武演じる板垣李光人さんの凛々しい演技も素晴らしかったです。

ナポレオン3世の前での堂々とした振る舞い、見惚れました。

でも、舞踏会でダンスに誘ってきた女性を水戸藩士が追い払った時の困った様子も素敵でした。

自分のためにしてくれてることだから、簡単にダメ出しはできないですものね。

辛い立場でしたね。

パリに姿は見せないけれど、存在感を出していた五代才助が恐ろしかったです。

幕府を出し抜くために笑顔で暗躍する姿。

幕府にとってはこれ以上なく恐ろしい存在ですし、薩摩にとってはこれほど頼りになる人はいない、ですね。

慶喜は頑張っていました。

各国の言葉を使ってのスピーチは見事でしたし、薩摩の島津をやり込めるところも面白かったです。

一番面白かったのは、不貞腐れたように写真を撮る島津久光でしたけども。

本当に素敵な表情でした。

慶喜を憎々しく思う感情がよく表現されていました。

それでいてちょっと面白い、素敵でした。

栄一を思う千代の強い意思も伝わってきました。

そして、何をしでかすかわからない息子に戸惑う母の心情も。

密かに慕う平九郎が渋沢中の家に入ることになり、夫婦みたいだー、と無邪気に喜ぶ妹・ていは微笑ましかったです。

でも、兄の養子、ということは甥になっちゃうんですよね。

てい的には良いんでしょうか?

一緒に住めれば何でもいいのかな?

次回、第23回「篤太夫と最後の将軍」では、とうとう大政奉還が行われます。

慶喜が大変な時に、またしても篤太夫は不在。

篤太夫はパリでどんどん逞しくなっていき、その成長が楽しみではあるのですが、日本が大変なことになっているので、その対比が何とも言えず、緊張ですね。

養子となった平九郎も江戸へ出ようとしますし、せっかく一緒に住めると喜んでいたおていちゃんがちょっと可哀想な気がします。

次回も早い展開で付いていくのが大変ですが、日本の一大事、幕府の終焉をしっかり見届けたいと思います。

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