2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。
前回のあらすじ
徳川慶喜(草彅剛さん)の弟・昭武(板垣李光人さん)が、日本の同盟国に挨拶に行くために必要だったフランスの借款が無くなってしまいました。
薩摩の五代才助(ディーン・フジオカさん)とモンブランによる情報操作により、公儀の信用が失われたためです。
それでも、同盟国への旅は日本にとって、どうしても必要なこと。
渋沢篤太夫(栄一)(吉沢亮さん)は、外国奉行支配の田辺の策を実現するために、イギリスやオランダへ飛び、その費用を工面するために奔走しました。
そうして、無事に諸国へ旅立った昭武一行。
スイスへ到着すると、日本から外国奉行の栗本鋤雲(池内万作さん)が到着していました。
栗本は勘定奉行の小栗忠順(武田真治さん)から預かったという為替を篤太夫に渡しながら、至極簡素に旅を続けるように命じ、旅の勘定を篤太夫に任せたのでした。
篤太夫は、先に日本に帰国する杉浦愛蔵(志尊淳さん)に、家族への手紙と見立て養子とした尾高平九郎(岡田健史さん)のことを託しました。
その頃、日本では慶喜の側近・原市之進(尾上寛之さん)が水戸の者に暗殺されました。
慶喜は、円四郎に続き、信頼する側近を失い、打ちひしがれました。
王政復古を画策している岩倉具視(山内圭哉さん)達は、倒幕の宣旨を得るための策を講じ、徳川を追い落とすために錦の御旗を作ろうとしていました。
さらに、薩摩の西郷隆盛(博多華丸さん)は、伏見に兵を集め、戦の準備を進めています。
慶喜は、薩摩ら、倒幕派の動きを敏感に察知し、朝廷に政権を返上しようと考えました。
政から長く遠ざかっていた朝廷には力がなく、政権を返上しても徳川を頼らなければ政はできないと考えたからです。
そして、慶喜は慶応3年10月12日に大政奉還を宣言しました。
幕府内部には慶喜の決定を納得できず、武力蜂起を考える一派も現れ、大奥も慶喜に反発する声が多数上がり、混乱を極めていました。
松平春嶽(要潤さん)は、二条城の慶喜を訪ね、大政奉還を急いだ意図を問い質します。
慶喜は、薩摩の気勢を削ぎ、京を守るためには急ぐ必要があったと語ります。
そして、今後は日本のために力を尽くしたいと決意を伝えたのです。
岩倉は、先を読み大政奉還を果たした慶喜に感心していました。
慶喜の考え通り、朝廷は急に政権を渡され戸惑い、先のことが決まるまで現状維持を命じています。
これでは大政奉還の意味がない、と岩倉は大久保一蔵(石丸幹二さん)に零していました。
そんな時、岩倉に朝廷に戻るようにと知らせが届いたのです。
外国歴訪を終え、パリでの留学生活に入った昭武たち。
ナポレオン三世に派遣された家庭教師から、留学生活に相応しくないと断髪、洋装を命じられました。
そして、異国の文化や生活、理念を学び始めたのです。
それは、篤太夫の心に深い感銘を与えたのでした。
慶応3年12月9日、岩倉や薩摩という反幕府勢力は御所の門を封鎖し、慶喜を支持する公家たちを朝廷から排除しました。
そして、明治天皇を説得し、王政復古の大号令を宣言したのでした。
その夜、天皇の御前にて小御所会議が行われました。
慶喜を排除したその会議に、土佐藩の山内容堂や尾張藩の徳川慶勝、福井藩の松平春嶽は反発します。
これまでの徳川の功績を蔑ろにする岩倉のやり方に苦言を呈したのです。
慶喜には人徳がないと思っていた岩倉は困惑し、これでは王政復古がなりえないと零します。
慶喜を失脚させるにはやはり戦をするしかないが、慶喜に戦をする気はありません。
すると西郷は、やる気がないならしたくなるようにするまで、と口にします。
西郷は、江戸の町で放火や暴動を起こし、幕府をけしかけます。
慶喜は、薩摩の陰謀と見抜き、静観するように命じるのですが、幕臣たちは怒りが収まらず薩摩藩邸を焼き払い報復してしまったのです。
家臣たちの怒りを抑えることができず、慶喜は呆然とするのでした。
大政奉還、王政復古の知らせはパリにも届き、篤太夫たちは不安を感じるのでした。
前回、第23回「篤太夫と最後の将軍」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。
それでは第24回「パリの御一新」のあらすじと感想です。
これまでのお話
民部公子・昭武の随行員としてパリでの生活を送っていた篤太夫。
最新の西洋文化に驚きの連続でした。
しかしその頃、日本では慶喜が政権を朝廷に返上し、江戸幕府は終焉を迎えていました。
パリの篤太夫たちは、まだそのことを知りませんでした。
血洗島のお正月
栄一が血洗島を出てから5度目のお正月がやってきました。
渋沢の家は、皆かわらず元気に過ごしていました。
そこに、杉浦愛蔵(志尊淳さん)が栄一からの文を届けに来ました。
家族は、栄一が送ってきた民部公子の写真に驚き、同時に送られてきた栄一の洋装姿に驚きます。
妻の千代(橋本愛さん)は、あれほど異国を嫌っていた栄一が断髪した姿を「なんと浅ましいお姿」と嘆きました。
杉浦は、あちらでは皆断髪している、と宥めても、千代は憤懣やるかたない様子を見せました。
父・市郎右衛門(小林薫さん)は、姿かたちは違っても、栄一は大和魂を忘れはしない、と宥め、母・ゑい(和久井映見さん)も、呆れずに返事を書いてあげて、と取りなすのでした。
1月 パリに届いた御用状
パリで新年を迎えた篤太夫たちのところに、江戸から御用状が届きました。
外国奉行の栗原がそれを検めると、そこには慶喜が政を朝廷に返上したと書かれていました。
この先は、薩摩などと一致し、政に当たる、と。
その知らせは、パリ使節団一行を不安に陥らせました。
昭武は、乗馬をしながら不安な気持ちを篤太夫に打ち明けました。
「まだ何も見についておらぬ。今、公儀が政を失ったとしたら私はどうなる。私もまだここで学びを続けたい」
しかし、小栗忠順からの月5000ドルだけの送金で留学生活を続けるには、更なる倹約が必要となります。
やり繰りを考える篤太夫に、日本総領事のフリュリ・エラールは、手元に自由になる金があるか、と声をかけました。
戸惑う篤大夫をエラールは証券取引所に案内しました。
エラールは、篤太夫に「国債」や「社債」について説明します。
「フランス政府に短期間貸し付けるのです。預けた期間に合わせて利子がつき、現金が必要となればその時の相場で売ることが出来る。社債は同じ要領で会社にお金を貸すこと。会社はその借り集めた金で事業をする。リスクはあるがその金が事業の役に立つのです」と教えました。
2月
江戸からまた、御用状が届きました。
そこには、慶喜が薩摩との戦を避けるため、京から大阪城に移ったとあります。
更に、大阪城には公儀の兵が集っていると書かれていましいた。
不穏な内容に、皆は不安を隠せません。
篤太夫には、個人宛の手紙も届いていました。
見立て養子となった平九郎からは、10月から江戸に出て剣術や勉強に励んでいると報告されました。
尾高惇忠(田辺誠一さん)からは、長七郎(満島慎之介さん)が罪を許されて牢を出たと知らされました。
しかし、牢でよほど酷い目にあったのか、以前のような快活さは無くなってしまったといいます。
日の本の世情も不安定になり、自分にも何かできないかと、惇忠がもどかしさを感じている様子が伝わってきます。
母・ゑいからは、篤太夫からの手紙を家族みんなで喜んでいると書かれてありました。
父は相変わらず信州に商いに出て、千代は頼もしくなり、篤太夫の娘・うたも面白い年頃になってきて、みな元気に過ごしていると伝えてきたのです。
篤太夫の無事を願う一文も添えてあり、篤太夫は母の優しさを噛み締めます。
妻・千代の手紙を広げた篤太夫は、愛妻の字を見て喜びを隠せません。
そこには、篤太夫の洋装について書かれていました。
以前のような勇ましい姿に戻って欲しい、と書かれた手紙を読んだ篤太夫は、困ったように笑い、声を上げました。
そして「会いてえ、会いてえな」と涙を堪えるのでした。
3月
パリの使節団のもとに、横浜からニュースペーパーが届けられました。
そこには1月の初め頃、京と大阪の間で戦があったと書かれています。
「尾張様と越前様が、上様に朝廷の政に加わるよう勧め、上様は天子様の傍の悪者を除くため、上京を決めた」とあります。
しかし、正月2日、京に向け先発隊を向けたところ、突如として薩摩の兵が砲弾を発し、伏見、鳥羽を初め、淀、橋本で3日から7日朝まで昼夜を問わず戦となり、ついに全軍が敗走した、と書かれていました。
6日には慶喜が大阪を出て船で江戸へ戻ったとも書かれていました。
慶喜には朝敵の汚名まで負わされてしまい、新政府軍は江戸に向けて兵を進軍させたといいます。
一同に動揺が走りました。
しかし、ここでは何もできない、と歯噛みすることしかできなかったのです。
昭武は、慶喜から届いた直書を読み、悩んでいました。
そこには、日本の内輪同士で争っている場合ではないので、このようなことになってしまったが、せっかくパリに居るのだから昭武は直ぐに帰国することなく学問を修めるようにと書かれていました。
迷った昭武は、篤太夫に「どう思う?」と問いかけました。
篤太夫は「文にて建白されるのです。政権を朝廷に返されたのなら、なぜ兵を動かしたのですか?と。また、戦のご意思があって兵を動かしたのなら、なぜ最後まで戦われなかったのか。この先必ず、臆病、暗愚と罵られると分かりながら兵を置き去りにし、江戸へ戻られたのはいかなることでございましょう。朝敵の汚名を着せられ、追討軍に追われても勇敢な家臣と共に戦わず、斯様な有様で神祖300年のご偉業を自ら捨てられ東照大権現さまになんと申し訳なされるおつもりか」
篤太夫は溢れ出る怒りを抑えきれず、声を荒らげながら昭武に提案しました。
昭武は震える篤太夫を見つめながら「わかった」と答えたのでした。
4月
一足先に栗本鋤雲と医師の高松凌雲(細田善彦さん)が日本に帰国することになりました。
高松は、お腹が弱い昭武の為に篤太夫に薬を託します。
篤太夫は、幕府の御典医である高松の今後を案じるのですが、高松は、医者はどこであろうが相手が誰であろうと正しく治療する、その真心をこの地で見つけられた気がする、パリに来てよかった、と笑ったのでした。
閏4月、篤太夫のもとに、成一郎(高良健吾さん)から手紙が届きました。
淀、橋本の戦いで負傷したものの、なんとか江戸に戻ったと書かれていました。
慶喜はもはやどんな処分も受け入れると寛永寺に蟄居中であり、生きるか死ぬかの瀬戸際と書かれています。
しかし、篤太夫が渡欧してから慶喜は少しでも尊皇の大義に背いたことはない、自分は慶喜の汚名をそそぐため、旗本御家人の同士と同盟を組んだ、きっと挽回の時が来る、自分の今の願いはそれのみだ、と書かれていました。
篤太夫は、成一郎の手紙を読み、涙が溢れてきたのでした。
留学生たちを日本に返す
篤太夫は、幕府が各国に派遣していた留学生が無事帰国できるよう、なんとか取り計らっていました。
篤太夫は、留学生を昭武のアパルトマンに集め、帰国の手配を整えていました。
しかし、集まった学生たちは、雑魚寝のように床に寝かされると嘆き、その扱いに文句を言い始めたのです。
そんな留学生たちの横柄な態度に業を煮やした篤太夫は、留学生たちを睥睨し静かに語り始めました。
「一体お主らは今のお国元をなんと思っておられるのか。俺は、非合法まがいの帆船で帰らされるお主らをそうした惨めな目に遭わないよう図ってるんだ。これはただ、かわいそうと思ってした事じゃねえ、国のためだ。学生を寄越しておきながら国の騒動で帰る始末もつけられず、荷物同様に返すとあっては国の名誉に関わると思ってこそ。こっちとてこの先公儀から金が送られてくるかどうかもわからず、今ある金を大事に使ってるんだ。民部公子の金をどうにか削って計らって、その苦労も意味も察することができないとは。ただ知識を多く得られれば偉いとでも思ってんのか?公儀はこんな思慮の足りねえ性根の腐った者を育てるためにわざわざ苦しい懐から金を出して学生を送ったのか!ならば俺は公儀のために嘆く。大いに嘆くぞ。ここで嫌ならすぐさま出て行け!お国が戦というこの一大事に、よしんばどんな柔らかい所で寝たとしても臥薪嘗胆の心があってしかるべきじゃねえか!」
篤太夫に一喝され驚いた留学生たちは膝をついて謝り、大人しく篤太夫の言葉に従ったのでした。
5月
武蔵国飯能に成一郎は兵を進めていました。
兵はみな疲弊し、ボロボロの状態です。
疲れ果てた兵を気遣う成一郎。
その隊列には、平九郎と惇忠も参加していました。
隊列から隠れるように草むらに潜み、隊列を狙う銃口がありました。
そして、一発の銃弾が発射されました。
パリの昭武のもとに新政府から公文が届きました。
そこには、御一新につき民部公子も直ぐに帰国せよと書かれてありました。
エラールは、フランス政府も帰国を勧める、と篤太夫に告げます。
慶喜も水戸に謹慎となり、昭武が帰国しても危害は及ばないだろうと予想したのです。
しかし、篤太夫は学問を修めたいという昭武の意向を考慮し、なんとか留学を続けられないかと頼みこんだのです。
その頃、日本では、負傷した平九郎が敵兵から身を隠していました。
その姿は疲弊し、死に瀕しているようでした。
7月
水戸藩主・慶篤が亡くなったとの知らせが届きました。
朝廷の意向で、次の水戸藩主は昭武が継ぐようにとの命令です。
篤太夫は、「何かの謀だ、民部公子をどうにか日本に戻そうという誰かの謀だ」と疑います。
そこに、日本から戻ったフランス公使のロッシュがやってきました。
日本の状況をつぶさに見てきたロッシュは、日本政府の意向は無視して、このままここで学問を続けよう、と提案します。
今戻ったら昭武の身が危険であると伝えたのです。
現在、新政府は会津藩と戦っていると言います。
帰れば必ず巻き込まれる、と昭武の身を案じるロッシュに、心からの感謝を伝えた昭武は、日本に帰国することを決意したのでした。
川のほとりを散歩し、フランスの景色を眺めながら、昭武は篤太夫に弱音を零しました。
「渋沢、私は水戸に帰るのが怖い。日本に戻っても私の側に居てくれないか」と願ったのです。
しかし、篤太夫は目を伏せ、それに答えることはできませんでした。
帰国の準備をする篤太夫のもとにエラールがやってきました。
エラールに使っていた館の始末を頼んでいたのです。
篤太夫は、エラールの勧めで国債と鉄道債を買っていました。
国債の方は4分の利子がつき、鉄道の方は、相場が上がって4000フラン、日本で言う600両も儲けたと報告します。
エラールは、儲かっただけではない、その日本のお金がフランスの鉄道にも役立った、と言うのです。
「皆の小さき1滴1滴が流れを作り、皆が幸せになる、こんなトレビアンな術があるのだと、あなたは俺に教えてくれた」
エラールに教えてもらった証券取引の仕組みは篤太夫に大きな衝撃を与えました。
「「キャピタルソシアル」上下水道や鉄道もそう、志はよくても一人ではできそうにないことが、多くの人から少しずつ金を集めることで可能になる」と教えたのです。
「つまり、少しばかりの金も1滴1滴合わせることで、大きな川になるということか」
「そう、小さな金が集まって、大きな資本となる。貸す方だって、ただ貸すのではない。事業がうまくいけば、なんと、配当金をもらえる。」
「1人が嬉しいのではなく、皆が幸せになる。1人1人の力で世を変えることが出来る、おかしれえ、これだ、俺が探し求めてきたのはこれだ!」
篤太夫は、エラールに向かい「俺は今まで異人は皆敵だと思っていた。それを心から詫びる」と頭を下げました。
そして、「こうなってしまっては、ここで学んだことを日本で生かせるとは限らない、しかし、どんなことになってもこの手で、日本のために尽くします」と決意を告げました。
エラールはそんな篤太夫に「その意気です。期待しています」と言うと、2人は抱擁で別れを惜しむのでした。
先に帰国していた水戸藩士の井坂たちが、昭武を迎えにやってきました。
敵対していた篤太夫の姿を見ると、井坂は「お前を斬ってでも民部公子を連れて帰るぞ」と決意をにじませます。
すると篤太夫はにこやかに、「よく来たな、遥々よく来たな」と抱擁するのです。
気色悪い、離せ、と抗いながら、篤太夫に労られるように背中を叩かれていた井坂は絆され、篤太夫のなすがままになっていました。
慶応4年(1868年)、ついに昭武一行はフランスを去ることになりました。
来た時は豪勢だった一行も今は数人だけになっていました。
家庭教師のヴィレットから黄色いインモルラル=不滅という名の花束を受け取った昭武は、感謝を伝え、固い握手を交わし、アパルトマンから一歩を踏み出しました。
最後に部屋を出た篤太夫は、長く暮らしていた部屋を振り返り、感慨深げに見渡すと、ゆっくりと扉を閉めました。
次回、第25回「篤太夫、帰国する」
帰国した篤太夫は、横浜で杉浦や福地らと再会。幕府が薩長に敗れた経緯や、慶喜や幕臣の動向を聞かされる。さらに、恵十郎と虎之助から、成一郎、惇忠、平九郎のその後を知らされる。成一郎らは彰義隊を結成するもすぐに分裂し、振武軍(しんぶぐん)として新政府軍と戦うが敗戦。激闘の中、平九郎の行方は分からなくなり、成一郎は箱館へ向かったという。頭の中が整理できない中、篤太夫は故郷・血洗島へ戻る。
大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより
大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより
とうとう篤太夫が帰国しました。
篤太夫の帰国を心待ちにしていた血洗島の家族は、横浜に着いたとの知らせを聞いて嬉しそうでしたね。
蟄居していた慶喜は面窶れし、様々なところから責められ、辛い立場になっています。
戦に参加していた成一郎たちのその後も気になります。
自分がいなかった時の日本の変動に、篤太夫の心は乱れます。
幕臣である篤太夫は、この先どうするのでしょうか。
最後に
とうとう、パリから帰国することになりました。
苦しい場面が続きましたね。
日本のシーンでは成一郎たちの戦の様子が描かれ、パリの篤太夫たちは状況が分からず困惑するばかり。
大変な状況に何もすることができず、苛立つ使節団の様子が見ていて辛かったです。
月ごとに来る手紙には悪いことしか書かれておらず、どんなに不安だったことでしょう。
その中でも、留学が続けられるよう奮闘した篤太夫の頑張りに拍手ですよね。
篤太夫はとうとう証券取引を学び、開眼しました。
日本の資本主義の父、と言われる渋沢栄一の第一歩でしたね。
これが自分の探し求めていたことだ、という力強いセリフは素晴らしい迫力でした。
篤太夫は、本当に素晴らしく柔軟で強かな精神力を持っていた方だったんですね。
そして芯が強い、正義感が強い。
留学生たちに一喝するシーンは圧巻でした。
確かに今までもおしゃべりな面をたくさん見せてきた篤太夫でしたが、留学生たちの甘えを一蹴する姿はものすごい迫力がありました。
国のため、という気概が見えて、本当にかっこよかったです。
もちろん、昭武に建白を勧めるシーンも見事でした。
自分が側にいたら、と口惜しく感じていたのでしょうか。
そんな篤太夫ですが、千代からの手紙に弱さを見せていましたね。
せっかくかっこいい写真を送ったのに、前のような姿になって欲しいなんて。
そんな手紙でも千代の言葉、千代らしさに篤太夫は弱さを見せてしまったのでしょうね。
夫婦の絆が感じられる良いシーンでした。
それから、昭武と篤太夫の交流シーンもほっこりしましたね。
厳しい留学生活の中で、2人の絆が深まった様子が見事に表現されていました。
「側にいて欲しい」と言われて答えられず困ったような篤太夫。
答えを強いない昭武、素晴らしいシーンでした。
今回は、日本の話はほとんど手紙で語られる回想のような感じでした。
だからこそ、時間を置いて知ることになった使節団たちの苛立ち、焦燥がよくわかりました。
使節団目線の幕末って、もどかしいですね。
とうとうパリから戻り、日本の動乱に巻き込まれて行く篤太夫。
しかし、成一郎たちの方がもう大変な状況になっています。
平九郎が危機的状況の中、篤太夫は、成一郎はどうするのでしょうか。
そして、朝敵となり各方面から非難されている慶喜も一体どうなってしまうのでしょうか。
次回、第25回「篤太夫、帰国する」篤大夫の帰国は嬉しいですが、混沌とした日本の状態に不安しかありません。
ドキドキしながら、次回を待ちたいと思います。