2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。
前回のあらすじ
大政奉還に続き、王政復古となり、明治時代になりました。
新時代になったものの、新政府には問題が山積みで体制はグラグラ。
そんな時に渋沢篤太夫(吉沢亮さん)たちは帰国しました。
横浜に到着した民部公子(徳川昭武)(板垣李光人さん)一行。
迎えに来た杉浦愛蔵(志尊淳さん)らは、昭武が薩長方に無礼な扱いを受ける恐れがあるとして、横浜港に降り立たず、小舟で品川宿へ行くと促します。
昭武はそれに頷くと、篤太夫の前に立ちました。
篤太夫は、庶務を終えたら参上すると告げて、昭武を見送りました。
その後、横浜港に降り立った篤太夫たちは、新政府の役人から嘲りを受けながら検査を受け、宿へ入りました。
その晩、篤太夫は杉浦や外国奉行支配の田辺太一(山中聡さん)、福地源一郎(犬飼貴文さん)から、日本で起こった出来事を聞くことができたのです。
正月が過ぎてしばらく経って、徳川慶喜(草彅剛さん)が突然江戸城に戻ってきたこと。
勘定奉行の小栗忠順(武田真治さん)が、兵を見捨てて戻った慶喜に意見したこと。
鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れたこと。
慶喜が朝敵となったこと、などです。
江戸城に戻った慶喜は、先代将軍の妻である静寛院宮(深川麻衣さん)に拝謁を願い出るのですが拒否され、代わりに天璋院(上白石萌音さん)に拝謁が叶いました。
天璋院は、慶喜の不甲斐なさに怒りと呆れをぶつけ、腹を切るように命じます。
その一方で、静寛院宮も天璋院もそれぞれ朝廷や故郷の西郷隆盛(博多華丸さん)に手紙を送り、徳川の存続を懇願していました。
その後、慶喜は上野寛永寺で謹慎。
江戸城は戦もなく薩長軍に明け渡されました。
勘定奉行を罷免された小栗は、官軍総督府を名乗る者たちに捕らえられ斬首。
元外国奉行だった川路聖謨(平田満さん)は「徳川万歳」と呟き、自害しました。
翌日、篤太夫は一橋家家臣・川村惠十郎(波岡一喜さん)や須永虎之助(萩原護さん)から渋沢成一郎(高良健吾さん)たちのことを聞きました。
伏見の戦いで負傷した成一郎は、兵を引き大阪に戻りました。
しかしその時には慶喜は江戸に向かった後で、成一郎は残った兵たちをまとめ2月に江戸に戻りました。
幕臣たちは慶喜の無念を晴らすため薩長軍と戦い続けることを決意し、「彰義隊」を結成。
成一郎は皆に望まれて彰義隊の頭取となりました。
しかし、「上様の無念を晴らす」と慶喜に宣言するものの慶喜から手応えはなく、慶喜は水戸へと旅立ってしまったのです。
その後、彰義隊は分裂し、成一郎は尾高惇忠(田辺誠一さん)や渋沢平九郎(岡田健史さん)らと共に「振武軍」と名乗って戦いを続けていました。
しかし、劣勢に陥り撤退中、薩長軍に待ち伏せされ銃撃を受け、乱戦となりました。
なんとか薩長軍から逃げ切った成一郎たちですが、そこに平九郎の姿がないことに気づきました。
平九郎は足に銃弾を受け、仲間から逸れ1人で逃げていたのです。
平九郎は、薩長軍に執拗に追われ、時に戦闘となりながら故郷へ向かっていました。
しかし、途中で見つかり、薩長軍の銃弾を浴びた平九郎は最早これまでと腹に剣を突きたて自害しました。
平九郎の死に様を聞いた篤太夫は慟哭しました。
川村によると、まだ成一郎は函館で戦っているといいます。
虎之助から函館に行くかと問われた篤太夫はそれを強い言葉で突っぱねました。
しばらくして、小石川の水戸藩邸を訪れた篤太夫は昭武と再会しました。
そこで昭武から慶喜に当てた手紙を預かり、返事を必ず届けるようにと命じられたのです。
数か月かけて残務整理をしていた篤太夫は、三井の番頭・野村利左衛門(イッセー尾形さん)に出会い、商人の戦いはこれから、と告げられたのでした。
函館ではまだ戦いが続いていました。
成一郎は、新選組副長の土方歳三(町田啓太さん)と共に、互いに支えながら旧幕府軍を引っ張っていきます。
篤太夫は、様々なことに気持ちの整理がつかないまま、故郷へと向かうのでした。
前回、第25回「篤太夫、帰国する」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは、第26回「篤太夫、再会する」のあらすじと感想です。
篤太夫、故郷に向かう
長年、徳川に仕えていた多くの大名は次々と新政府軍に恭順を示すようになっていました。
故郷の血洗島に向かっていた篤太夫。
生い茂る草木を掻き分けて進むと、大木の根元に座る尾高長七郎(満島真之介さん)の姿がありました。
久しぶりに会う長七郎の姿を見た篤太夫は、元気そうな姿に安堵します。
「どうしたその頭は」と言われた篤太夫は、髷を落とした頭に手をやりました。
「俺も変わったが日本も変わっちまった。幕府を倒そうとしたはずが、逆に幕府に仕え、挙句幕府が倒され、世話になった者の多くが死に、離散し、今はもう主もいない。」
篤太夫が嘆くと、それを俺に言うのか、と長七郎は答えます。
自分こそ何も成し得なかった、と言う長七郎。
篤太夫は長七郎に、長七郎の言葉があったから自分たちは生き残れた、長七郎は自分の憧れだったと言い募ります。
この先どうすればいいのか、と悩む篤太夫に長七郎は「生き残った者には成すべき定めがあるとお前が言ったんだ」と諭したのです。
そこで篤太夫は目が覚めました。
長七郎と語り合う夢を見たのでした。
虎之助や伴の者と共に血洗島に帰ってきた篤太夫。
菜の花畑の先に懐かしい我が家を見つけました。
国が変わってもここは変わらない、と懐かしさに目を潤ませます。
すると、家から父・市郎右衛門(小林薫さん)や千代(橋本愛さん)、うたが飛び出してきました。
あれはどこかのお殿様か、と聞くうたに、市郎右衛門はあれがお前のとっさまだと告げます。
道の先にうたと千代を見つけた篤太夫はうたに呼びかけます。
うたは戸惑いながら父のもとに走りました。
篤太夫は嬉しげにうたを抱き上げました。
そして千代に向かい「みっともねえか?」と問いかけると、千代は頭を振り「いいえ、おかえりなさいまし」と涙を浮かべ、夫の帰りを喜びました。
篤太夫はそんな千代とうたを抱きしめ、愛しげに目を伏せたのでした。
家の前では母や姉が名を呼び手を振りながら篤太夫を待っています。
篤太夫は大きな声で答えながら家へと向かいました。
母・ゑい(和久井映見さん)や姉・なか(村川絵梨さん)、妹・てい(藤野涼子さん)は三つ指をついて篤太夫を迎えます。
篤太夫が戻ったとの知らせを受けた東の家の宗助(平泉成さん)やまさ(朝加真由美さん)も駆けつけ、篤太夫の帰りを喜びました。
しかし、ていは篤太夫が平九郎を見立て養子にしなければ、平九郎は死なずに済んだと、怒りを篤太夫にぶつけました。
篤太夫は言葉を無くし、父に諫められたていは飛び出してしまいました。
ゆっくり話を聞きたい、という父たちに、篤太夫はまずは尾高に話をしに行くと言うのですが、宗助から日を改めた方がいいと言われます。
先月、長七郎が亡くなり、今は誰もいないのだと告げられたのです。
その日は、篤太夫が戻ったと知った村人たちが中の家に集まり、皆が篤太夫の話を聞きたがりました。
篤太夫は皆にねだられるまま、パリの万博のことや鉄道のことなどを面白おかしく語って聞かせました。
皆が帰り、ようやく千代と2人で話せるようになりました。
千代は、飯能の戦で喜作たちが負けたと知り、戦に参加した喜作や惇忠、平九郎はもう死んだのかもしれないとほとんど諦めていたと語ります。
しかし、喜作や惇忠は落ち延びました。
平九郎が死んだのは自分のせいだと自分を責める千代。
見立て養子となった平九郎に、栄一の代わりに忠義を尽くせ、と強く言い聞かせていた事で自分を責めていたのです。
涙を流す千代を抱きしめた篤太夫は、平九郎が死んだのは自分のせいだと言い募ります。
「千代は何も悪くねえ、悪いのは俺だ」と泣き続ける千代を抱きしめながら篤太夫は言い聞かせたのでした。
函館の戦
翌日、篤太夫は千代と共に長七郎の墓に行き、手を合わせました。
そこに、成一郎の妻・よし(成海璃子さん)がやってきました。
篤太夫は、函館の幕府軍が五稜郭を攻め落とした、とよしに教えました。
よしは、成一郎が公儀のために戦って死ぬ気なのだと考えていました。
篤太夫から幕府軍の勝利を聞いたよしは、夫が函館に自分たちの国が作れるのだと喜びました。
そして、夫が奮起しているのだから、自分もしっかりしないと、と笑みを見せたのです。
その函館では未だ戦は続いていました。
土方から蝦夷地平定の宴があると聞いた成一郎は、ぜひ参加しようと喜びます。
しかし、その場で負傷者の治療に当たっていた医師・高松凌雲(細田善彦さん)は、人手が足りないから宴には参加しないと告げます。
治療の様子を見ていた土方は、高松が敵も味方もなく負傷者全員を治療する様を見て眉をひそめました。
高松はパリでもうひとりの渋沢とその精神を学んだのだと告げたのでした。
惇忠との再会
篤太夫は、誰もいないと言われていた尾高の家を訪ねてみました。
するとそこには1人佇む惇忠の姿があったのです。
篤太夫を見て、慌てて逃げ出そうとする惇忠を篤太夫は引き止めます。
惇忠は篤太夫に背を向けて、「俺とてお前と話がしたい、しかしもう、誰にも合わす顔がねえ。戦で死ぬことも忠義を尽くすこともできず、1人おめおめ生き残るとは…」と言うのです。
篤太夫は「合わせる顔がねえのは俺だ。パリまで行ってようやく分かったんだ。銃や剣を手に戦をするんじゃねえ。畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが俺の戦い方だったんだ。ようやく気づいて、お千代にも平九郎にもとっさまにもかっさまにも本当に申し訳ねえ」と涙を流したのです。
「俺はこの恥を胸に刻んで、今一度前に進みてえ、生きている限り」と、涙ながらに惇忠に訴えたのでした。
夢で見た長七郎は笑顔を向けてこう告げたのです。
「さあ、前を向け、栄一。俺たちがかつて悲憤慷慨していたこの世は崩れたぞ。崩しっぱなしでどうする?この先こそが、お主の励みどきだろう」
長七郎の言葉に篤太夫は強く励まされたのでした。
生きていれば新しい世のためにできることは必ずある、と思い直したのでした。
篤太夫は、父にこの先の身の振り方を伝えました。
「自分は喜作を追って函館に行くつもりはありません。新政府で働くことを誘われているがそれも断りました。まずは駿府に行って先の上様に挨拶を、その先のことはまだ。商売を始めるか百姓をするか、先の上様にお会いした後に一身の方針を定める所存です。」と告げたのです。
父は、家を出る時に、あくまでも道理は踏み外さず、誠を貫いてくれ、と告げました。
篤太夫はその言葉をしっかりと守っていました。
父は、そんな篤太夫にそれでこそ俺の息子、胸を張っていられる、と喜んだのです。
篤太夫は金子を取り出すと、「家を出る時、とっさまは100両くださった。それを今、お返しするというわけではありません。ただ、故郷に錦を飾るには遠い身にて、せめてもの土産と思い受け取りください」と差し出したのです。
市郎右衛門は、ありがたく頂く、と受け取り、こうなったからにはこの金は俺のもんだ、俺が好き勝手に使わせてもらう、と言いながら千代の前に進み、そのお金を千代に渡したのです。
6年もの間、辛さに耐え、実にまめやかに家のためによく尽くしてくれた、と感謝を伝えました。
戸惑う千代に、ゑいも千代に感謝を伝えたのです。
千代は2人の思いを受けて、感激の涙を流しそのお金を受け取ったのでした。
篤太夫は、うたを膝に乗せてあやしながら、おまえのとっさまは過ちばかりだ、と呟きました。
何よりの過ちは、2人と離れてしまったこと。この先、どうなるかわからないが、行く道を定めたら、今度こそともに暮らそう、と千代とうたに告げたのでした。
駿府での再会
先の将軍・徳川慶喜に会うため、駿府に向かった篤太夫。
駿府は幕府の直轄領だったため、行く場所を失った幕臣たちの受け皿になっていました。
駿府藩中老の大久保一翁(木場勝己さん)にパリでの収支報告を行い、昭武から直書を預かって来たと告げます。そして必ず返書を届けるように命じられていると語りました。
大久保は、費用の余り金が一万両も出たことに驚きをかくせません。
それから数日後、篤太夫は宝台院に呼ばれました。
薄ら寒い一室に通された篤太夫は、やってきた人に殿が来る前にもう少し部屋を暖めて欲しいと訴えようとしました。
そこで顔を上げると、やってきた人は慶喜本人だったのです。
座布団もなく、用意しようとする篤太夫を止める慶喜。
やつれ、覇気の慶喜を見た篤太夫は、なぜこうなってしまったのか、と嘆きます。
すると慶喜は、篤太夫の嘆きを聞くために来たのではない、篤太夫が昭武のパリでの様子を伝えに来たというからやってきたのだと言うのです。
篤太夫は、「民部公子はこの2年で大いなる飛躍を遂げました、それでは今一度この渋沢が旅のご様子を余すことなくお話させていただきます」と語り始めたのです。
ナポレオン皇帝との謁見の勇姿、その前の揺れる船での佇まい、供されたカフェの味に皆が顔を顰める中、昭武はとても優雅に味わっていたこと。
帝王学を教えるといったヴィレットとのやり取りなど、身振り手振りを交えて面白おかしく報告する篤太夫の話を、慶喜は微笑みを浮かべて聞いていました。
「渋沢よ、万里の異国にあって、公儀の瓦解に遭い、さぞ苦しく骨を折ったことであろう。この度、昭武が障りなく帰国できたのも、ひとえにそなたのおかげだ。礼を申す」と頭を下げました。
そうして立ち去ろうとした慶喜を、篤太夫は呼び止めました。
「上様、いや…もう何も申し上げますまい。しかし…どんなにご無念だったことでございましょう…。」
その言葉を聞いた慶喜は、瞳が揺れ、しかし何も言わずに立ち去ったのでした。
次回、第27回「篤太夫、駿府で励む」
篤太夫は、駿府藩の勘定組頭を命じられるが、水戸にいる昭武のことを思って辞退する。しかし、この命が慶喜の配慮であることを大久保一翁から聞かされ、駿府に残る決断をする。篤太夫はパリで学んだ知識を生かし、武士と商人が力を合わせて商いを営む「商法会所」を設立。駿府藩の財政改革に乗り出す。一方、箱館では、成一郎や土方らが新政府軍を相手に決死の抵抗を続けていた。
大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより
篤太夫、再始動ですね。
篤太夫の商才が認められ駿府で活躍することになります。
コンパニーを作る、とか、パリで学んだことを活かし、前向きに自分の進む道を定めてきましたね。
対して成一郎は未だ苦しい戦いの最中にいます。
果たしてどうなってしまうのでしょうか。
次回、27回「篤太夫、駿府で励む」も見所が満載ですね。
最後に
東京パラリンピックの影響で2週間ほどお休みだった「青天を衝け」が再開しました。
今回は、たくさんの人と再会を果たしました。
家族との再会、仲間との再会、そして、慶喜との再会。
家族との再会は喜びと希望に溢れた心温まるシーンでいっぱいでした。
本当に家族に愛されているんですね、栄一は。
千代やうたとの再会シーンは、菜の花に囲まれて美しい感動的なシーンでした。
また、それを遠くから見守る父・市郎右衛門の姿。
さらに、家の前で息子の帰りを待つ母・ゑいの姿。
家族皆の喜びが伝わってきて、見ていて笑が浮かんでしまいました。
それから、窶れ合わす顔がない、と逃げようとした惇忠との再会にも胸が打たれました。
2人とも平九郎の死という後悔してもしきれない現実から目を背けることはできません。
それでも、前を向きたい、という栄一の言葉に惇忠も頑なだった心が揺れたように感じました。
戦に共に参加し、側にいたにも関わらず守れなかった弟。
ようやく牢から出られたものの、心も体も壊して亡くなってしまった弟。
2人の弟を失った惇忠の悲しみが痛いほどに伝わってきました。
そして、栄一も自分が見立て養子としたために死なせてしまった平九郎と、自分の言葉で人生を狂わせてしまった長七郎の死を悔み、悲しんでいました。
幼い頃から共に過ごした人々を亡くした2人の苦しさがよく伝わりました。
しかし、だからこそ前を向きたい、前に進みたい、という強い決意も伝わる素晴らしいシーンでした。
ここのところ、やつれた姿しか見ていなかった長七郎が穏やかで元気そうな様子が見られたのは嬉しかったのですが、それが夢だったと思うと切なくなります。
最後に会えなかった栄一のために、長七郎は夢に出てきてくれたのかな。
最後まで弟分の栄一のことが心配だったんですね、長七郎は。
2人の絆の強さがよくわかりました。
そして、慶喜との再会。
あれほど、輝きが過ぎる、なんて言っていた慶喜の覇気のない様子は見ていて衝撃でした。
背を丸め、老人のように憔悴していた慶喜。
渡欧前と比べてあまりに変わった様子に栄一も驚いたことでしょうね。
それでも、栄一がパリでの様子を語るシーンで、慶喜が穏やかに笑みを浮かべていた時は胸が熱くなりました。
大変な時期、栄一が、円四郎が、市之進が側にいてくれたら。
この中の誰かひとりでも側にいてあげられていたら、慶喜の運命は変わっていたのでしょうか。
なんだか、そんな切ない気持ちにさせられたシーンでした。
最後に、栄一が「どんなにご無念だったことでございましょう」と言った時の慶喜の微妙に歪んだ表情が印象的でした。
あまり表情を変えない慶喜の、ちょっとした表情の変化。
草彅剛さんの演技にはっとさせられました。
次回、第27回「篤太夫、駿府で励む」では、篤太夫が駿府藩のために働くことになります。
慶喜の側でようやく働く事になるのですね。
まあ、慶喜は謹慎中ですから、直接関われるわけではありませんが、篤太夫が元気に励んでいる姿を見ることは慶喜も嬉しいでしょうね。
次回は、篤太夫が得意分野で本領発揮します。
そして、未だ続く函館の戦にも終焉が見えてきそうですね。
成一郎と土方の戦いにも目が離せませんね。
次回も見所がいっぱい、楽しみです。