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青天を衝け 第38回「栄一の嫡男」のあらすじと感想とネタバレ

上野東照宮
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2021年大河ドラマ「青天を衝け」は、NHK総合にて毎週日曜夜8時から、BSP、BS4Kにて毎週日曜午後6時から、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

渋沢栄一(吉沢亮さん)が妻・千代(橋本愛さん)を亡くしてから3か月が経ちました。

しかしその悲しみは癒えず、悲しみに耐えながら仕事に励む栄一に、周囲は心配していました。

経済界や政界との繋がりも深い栄一には、表に立って支えてくれる妻が必要と考えた周囲は、栄一には後妻が必要と考えました。

そして選ばれたのが、没落した伊勢八の娘・伊藤兼子(大島優子さん)でした。

妾を嫌い、芸者見習いとなった兼子ですが、元の身分は申し分なく、教養もあります。

平岡円四郎の妻・やす(木村佳乃さん)の説得もあり、兼子はその話に頷いたのです。

対面した栄一は、家の家政と嫡男・篤二の世話を兼子に頼みました。

その表情は後妻を喜ぶ表情ではなく、兼子は言葉を失いました。

兼子が渋沢家に嫁ぎしばらく過ごした後も、栄一の心は未だ千代にあり、篤二も兼子に懐きません。

千代が力を注いでいた東京養育院も府会から廃止を突きつけられ、栄一は胸を痛めます。

そんな中、岩崎弥太郎(中村芝翫さん)率いる三菱と、政府の後押しを受け立ち上げた共同運輸会社が激しい値下げ競争を繰り広げていました。

身を削る両社の闘いの激化に心を痛めた五代友厚(ディーン・フジオカさん)は、両社の仲裁を試みるのですが、頑なな栄一は聞く耳を持ちません。

栄一は、強硬な手段で商いを続ける三菱の悪口を伊藤博文(山崎育三郎さん)にぶつけ、政府から制裁して欲しいと頼みますが、伊藤からは卑怯な手段は使うなと窘められてしまいます。

こうした中、病に倒れた岩崎弥太郎が亡くなりました。

後を託された弟・岩崎弥之助(忍成修吾さん)は、両社の争いについて、五代に相談しました。

五代も病を得て衰弱していましたが、弥太郎のため、両社の仲裁のために立ち上がったのです。

そして、五代の仲裁を受け、三菱と共同は2年半に渡る争いを終え合併することになりました。

この年の秋、五代友厚も亡くなりました。

後妻となった兼子から離縁して欲しいと言われた栄一は、頭を下げる兼子に「それは許さねえ」と告げます。

そして自分も頭を下げ、許してくれ、と訴えます。

今まで自分は両親や一橋、妻などに守られてどうにかやってきたのだと話し始めました。

自分はどうしても家と家族を守りたいから、力を貸して欲しい、と頭を下げた栄一に絆された兼子は、離縁を撤回、今後も結婚生活を続けることになりました。

こうして兼子と向き合うようになった栄一。

栄一は、廃止の危機にあった東京養育院の経営を兼子と協力して行うことになりました。

かつて千代が楽しそうに養育院の子供達と過ごしていたことを思い返した栄一は、亡き千代に「見ていてくれ」と誓いました。

明治18年冬、日本に内閣制度が発足。

初代総理大臣に伊藤博文が就任、3年後には大日本帝国憲法が発布されました。

兼子との間に2子が生まれ、私生活も順調に見えましたが、その様子を篤二が気怠げな様子で見ていたのでした。

前回、第37回「栄一、あがく」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは第38回「栄一の嫡男」のあらすじと感想です。

徳川家康(北大路欣也さん)の話~東京開市300年祭

徳川の世が終わって20有余年。

日本古来の伝統を重んじる機運が高まってきていました。

明治22年夏、旧幕臣たちが企画した、徳川家康が江戸城に入って300年目の節目を祝う、東京開市300年祭が行われました。

栄一や喜作も参加し、懐かしい幕臣たちと旧交を温めていました。

徳川慶喜(草彅剛さん)の弟・昭武(板垣利光人さん)を始め、猪飼、田辺、栗本、田辺、福地、川村、永井、高松らと対面します。

徳川万歳、と何度も叫び、徳川の偉業を讃えたのです。

静岡の慶喜邸を訪れたやすは、その様子を慶喜の妻・美賀子(川栄李奈さん)に伝えました。

栄一は、最後まで慶喜にも参加して欲しかった、と嘆いていたと高松が伝えると、美賀子は、自身も忙しいだろうに、徳川宗家の家計の助言まで行ってくれる栄一の気遣いに感謝していました。

美賀子は病に倒れ、自宅で療養していました。

「渋沢を見出したのは、平岡の慧眼であった」と慶喜が言っていたと伝える美賀子。

その言葉に、やすは涙ぐむのでした。

栄一の活躍

栄一は大きく羽ばたいていました。

銀行業を中心に、製糸、紡績、鉄鋼、建築、食品、鉄道、鉱山、電力、造船など、多くの産業に関わり、国際化に耐えうる女性の教育にも力を注ぎ、東京養育院を始めとする養育院の開設など、病院など、福祉事業にも力を注いでいました。

養育院運営のための慈善会の会長は、兼子が務めていました。

私生活では、栄一の次女・琴子が大蔵省に務める阪谷芳郎(内野謙太さん)と結婚、くにの娘・文子も尾高惇忠(田辺誠一さん)の次男との結婚が決まりました。

この機にくに(仁村紗和さん)は新しい人生を始めたいと、渋沢家を離れることになりました。

篤二は栄一の後継者として周囲から期待されていました。

栄一が経営する東京養育院では、慈善会が主催するバザーが開催されました。

栄一は率先して買い物をし、井上馨(福士誠治さん)も負けじと高額な買い物をします。

大盛況なバザーに旧幕臣の川村恵十郎(波岡一喜さん)とやすが訪れました。

川村は、そのうちに今の職場を辞し、日光東照宮で徳川のために奉仕する、と伝えます。

やすは、「こんなに世の中が変わった今でも、時々考えちまうのさ。今の御前様を見たら平岡はどう思うんだろうってね」と呟きます。

慶喜の悪評が続いていることに心を痛めていたのです。

栄一も「もし御前様や平岡様であればどんなおかしれえ日本を作ろうとしたでしょうなあ」と呟きます。

やすは、栄一と川村に、「ありがとう、平岡を忘れないでいてくれて、ありがとう」と頭を下げたのでした。

篤二の憂い

篤二は、名士である栄一の息子として、周囲からチヤホヤされていました。

そのためか遊びグセが直らず、酔っ払って歩いていたところを姉のうたに見つかり、嫡男としての自覚を持てと説教されてしまいます。

うたは、亡くなった母の代わりに、篤二を厳しく育てていたのです。

明治23年、国会の開設に向け、衆議院議員総選挙と、貴族院議員の任命が行われ、栄一は貴族院議員として選出されました。

政治には関わらない、と公言していたにも関わらず、勝手に選出されてしまったことに憤る栄一。

うたの夫・穂積陳重(田村健太郎さん)は、篤二を熊本の第五高等中学校に入学させたいと提案してきました。

不在がちな栄一の代わりに、うたと穂積は篤二の面倒を見てきたのですが、このところ篤二の素行が悪く、環境を変えた方がいいと判断したためです。

そして、篤二は熊本にて寮生活を送ることになりました。

篤二の失態

その頃、静岡では高松凌雲が慶喜の妻・美賀子が乳がんであると慶喜に告げていました。

東京の病院で治療したいと訴える高松に、慶喜はよろしく頼む、と頭を下げ頼んだのでした。

栄一は、水道事業を展開していました。

日本製の水道管ではなく、安全性の高い外国製の水道管使用を示唆するのですが、最近の日本の製品は外国に劣らないと業者は食い下がります。

そんな会議の中、栄一に熊本の篤二についての一報が入りました。

会議を途中で抜けて報告を受ける栄一。

穂積から、篤二が女性と大阪に逃げたと報告を受けたのです。

自分の躾の至らなさを謝る穂積に、栄一は逆に頭を深く下げ、篤二は退学、血洗島で謹慎させると決断しました。

篤二がこのようになった責任は自分にあると呟いた栄一は、自分は会わない方がいいと、その通達を娘たちに任せました。

姉たちから父の決定を聞いた篤二は、「よくよく謹慎しお詫び申し上げます」と神妙に頭を下げました。

知らせを受けた栄一の妹・てい(藤野涼子さん)は、篤二を迎えにきました。

暗い表情の姉弟たちを見ると、朗らかに「兄様はいつの間にか、歌子や琴子や篤二だけのとっさまではなく、もっとでっけえもののとっさまになっちまたのかもれんねえね」と語りました。

そして、篤二を連れて血洗島へと帰ったのです。

縁側でぼんやりとしている篤二にていは話しかけます。

篤二は、叔母であるていに胸の内を打ち明けました。

10歳の時、初めて父と草むしりをした時のことです。

父が良いことをすればきっと母の病は良くなるというので、一生懸命草をむしったと篤二は言います。

母の病は悲しかったけれど、いつもは不在の父が家にいるのが嬉しくて堪らなかったといいます。

母の病は治ることはありませんでした。

だから、今も夏は苦手、と語る篤二の話を、ていは優しく聞いていたのでした。

血洗島で、藍葉の刈り取りなどを手伝う篤二。

篤二は謹慎の後、東京に戻り、華族の娘・敦子との結婚が決まりました。

襲われた栄一

ある日、栄一が乗った馬車が襲われました。

「売国奴、渋沢め」と刀を突きつけられ手を負傷した栄一。

心配して駆けつけた喜作(高良健吾さん)に、栄一は、考えてみると暴漢は本気で栄一を殺す気はなかったのだろうと零しました。

原因は水道管だろうと推測した栄一。

外国製より質の劣る日本製を使いたい日本の業者の誰かが人を使い、栄一を襲わせたのだと考えたのです。

栄一は、ただ水を清潔にしたかっただけだと言います。

千代の命を奪ったコレラはまだまだ万延しています。

栄一は「過去の過ちは忘れてはいけない」と自分の信念を貫き通しました。

乳がん治療のため、東京で療養していた美賀子が亡くなりました。

高松から知らせを受けた栄一は、慶喜もこのところ不調の時が多くあると聞き、慶喜の息子も東京にいるのだから東京で暮らせないのかと聞いてみました。

しかし高松は、慶喜は朝敵であったことを忘れてはいけない、と東京に来ることを拒んでいると言います。

世間の風当たりはまだまだ慶喜に厳しく、慶喜には「逃げた将軍」との汚名が付きまとっています。

栄一は、幕末に慶喜が行った偉業がなかったことにされ、別の誰かが、自分が日本を作ったのだと偉そうにしているのが気に入らない、と考えていました。

栄一たちは、慶喜の偉業を忘れさせてはならない、と考えたのです。

明治27年、富国強兵を続けてきた日本と清国の間で戦争が起こりました。

日本は陸海軍が勝利を飾り、栄一は東京商法会議所・関東銀行会の代表として広島へ赴き、軍を率いる天皇へ祝辞を述べました。

その帰り、静岡の慶喜を訪れました。

明治天皇が自ら軍を率いていることに驚いたという慶喜。

栄一は、これからは次世代が頑張っていく世になるでしょう、と言います。

この世がすっかり変わってしまう前に、慶喜の偉業を残したいと、懇願したのです。

「我々はこのままあなた様に世に埋もれて頂きたくない。あなた様はただの逃げた暗君ではない。私たちはそれをよく知っています。どうかあなた様のお考えを、御偉業を後世に残させてください」

しかし慶喜は、「何が偉業だ。私は誰に忘れ去られようが、たとえただの趣味に生きる世捨て人と思われようが構わぬ」と、取り付く島もありません。

栄一は、「諦めません」と食い下がります。

翌年の3月、日清戦争が日本の勝利で終結しました。

皆が街頭で日本の勝利を喜ぶ中、篤二は物憂げな様子で街をフラフラと彷徨うのでした。

栄一は、伊藤博文にこの戦争でかかった費用について話していました。

伊藤は、この戦争の勝利によって、日本はアジアの三等国ではなく一等国への道筋が開けたと喜んでいます。

一刻も早く、一等国の仲間入りをして欧米に日本を認めさせる、と伊藤は意気込みます。

栄一も、日本が一等国になれば、慶喜が東京に戻ったとしても誰も文句は言わないだろうと、喜びます。

そして2年後。

慶喜は30年ぶりに東京に戻ってきました。

慶喜を出迎えた栄一一家。

慶喜は篤二を見て、よろしく頼む、と穏やかに笑ったのでした。

次回第39回「栄一と戦争」

栄一は、ホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談。日本の軍事面のみが注目され、経済への評価がまだまだ低いことを痛感する。やがて、日露戦争が勃発。財界の代表として戦争への協力を求められた栄一は、公債購入を呼びかける演説をするが、その直後に倒れてしまう。栄一の見舞いに訪れた慶喜は、“生きてくれたら、自分のことは何でも話す”と、涙ながらに語りかける。栄一たちは、慶喜の功績を後世に伝えようと、伝記の編纂(へんさん)を始める。

大河ドラマ「青天を衝け」公式サイトより

栄一が渡米し、ルーズベルト大統領と会談します。

栄一の活躍はすごいですね。一民間人でありながら米国大統領と会談!財界の代表として大活躍です。

しかし、そんな栄一も演説の直後に倒れてしまいます。

栄一の見舞いに来た慶喜は、栄一の様子を見て、何も語ることはない、と言っていた言葉を撤回します。

そうして、慶喜の功績を残す作業が開始されるのです。

勝者の歴史はたくさんの歴史家が残していますが、敗者の歴史はほとんど語られたことがないといいます。

栄一の偉業は、この慶喜の伝記を残したことだと言われていますね。

このあたりの経緯が詳しく描かれるのはすごく興味深いことです。

今までとは違う慶喜が見られるこの「青天を衝け」ならではのシーンが見られると期待しています。

最後に

栄一の嫡男・篤二の荒みっぷりは凄かったですね。

派手に荒れているわけではありませんし、言葉遣いが粗雑になっているわけでもなく、物腰もとても柔らかいままですが、表情、佇まい、その様子だけで無気力というか、覇気がない様子がとても良く伝わりました。

忙しすぎる父、厳しくも優しい母。

家にはお妾さんと娘が住んでいて、母亡き後、自分を育てたのは姉たち。

どこに行っても偉大な父と義兄のことを言われる篤二は、苦しかったでしょうね。

そんな篤二を見事に演じた泉澤祐希さんの演技は素晴らしかったです。

気怠げな様子と素敵な歌声に驚きました。

そして慶喜が帰ってきましたね。

御一新からあまり画面でお見かけできなかったので、今回はたくさん拝見出来て嬉しかったです。

他局の特番で慶喜についてやっていましたが、慶喜があえて趣味の人として生きていたのは、生涯政治に関わらないという姿勢を見せ続ける必要があったから。

今作の慶喜は、常にそういう姿勢を見せていますよね。

将軍になる前の慶喜と、なってからの慶喜、戦を回避しようとあえて悪者になった慶喜、静岡にこもってからの慶喜、そして戻ってきた慶喜とそれぞれ表情が全く違い、その時その時の表情がありました。

淡々としているようで、やはりその表情の変化は目を見張りますね。

草彅剛さん演じる慶喜は、今までの私の認識を覆す、素晴らしい慶喜です。

そんな慶喜の偉業を後世に残した渋沢栄一に感謝ですね。

そして、栄一。

嫡男の失態に動揺していましたね。

大事な会議を抜けてしまうほどに。

篤二の謹慎を決めた栄一の疲れた表情は印象的でした。

でも、謹慎を告げるのは栄一にして欲しかったかな、と感じてしまいました。

だってお父さんですもの。

そういう時は、自分で向き合って欲しかったかな、と思ってしまいました。

深い考えがあってのことで、大きなお世話でしょうが、正直な感想です。

今回は懐かしい顔がたくさん見られて、とても嬉しかったです。

徳川万歳、ホントですね。

幕臣の方たちの頑張りと苦渋を「青天を衝け」でずっと見てきましたから、今、穏やかに笑っている幕臣の方々を見ると嬉しくなります。

皆さん、本当にいいキャラクターでした。

感動です。

さて、次回第39回「栄一と戦争」では栄一が倒れてしまいます。

それにより、慶喜の伝記の話が進むわけですね。

2人の強い絆が見られると思うと楽しみですね。



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