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どうする家康 第40回「天下人家康」のあらすじと感想

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嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。

脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。

毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~放送されます。

徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。

こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。

さて、第40回「天下人家康」では、秀吉亡き後の政の中心となっていく徳川家康を、秀吉の側近・石田三成が警戒していく様子が描かれます。

最大のライバルであった秀吉が亡くなり、とうとう家康が天下取りに動き出すのです。

目次

前回のあらすじ

側室・茶々(北川景子さん)が豊臣秀吉(ムロツヨシさん)の次男・拾を出産しました。

秀吉の溺愛ぶりは凄まじく、拾に粗相をしたものは、誰であっても成敗していいと言い放つほど。

朝鮮との戦において、和議を結ぶはずが、秀吉が出した条件は無謀なもの。

徳川家康(松本潤さん)も、秀吉の側近・石田三成(中村七之助さん)も和議は難しいと感じていました。

ある日、家康は隠居した側近・酒井忠次(大森南朋さん)の元を訪れました。

嫡男・秀忠(森崎ウィンさん)と祝言の挨拶に寄ったのです。

そこで家康たちは忠次の海老すくいを共に踊り、穏やかな時を過ごしました。

この3か月後、酒井忠次は老衰で息を引き取りました。

文禄5年、明国皇帝からの返事を得たものの、それが側近たちの仕組んだ偽物と知り、秀吉は激高しました。

そして、誰も望まぬ第二次朝鮮征伐が始まったのです。

しかし、その後まもなく秀吉が倒れました。

弱気になった秀吉は、次は誰が天下人になる、と石田三成に詰め寄ります。

三成は、天下人を置かず、合議制により政を行いたいと進言。

秀吉はそれを快諾しました。

三成は、家康と前田利家(宅麻伸さん)に五大老の1人として政を支えて欲しいと依頼。

家康も利家も快諾したのでした。

その後、秀吉の様態が悪化。

家康は寧々に呼ばれ秀吉のもとに急ぎました。

2人きりで相対すると、秀吉は幼い秀頼のことをばかりを気にして、秀頼のことを家康に頼むのです。

天下人ともあろう人が、ただの老人のように息子のことを家康に頼む様を見て、家康は失望するのです。

三成の合議制を認めておきながら、腹の中では上手くいくはずがない、と断じる秀吉。

家康は激高しますが、秀吉は家康に「すまんのう、上手くやりなされ」と後を託したのでした。

咳き込む秀吉を冷たい目で睥睨し、人を呼ぼうとする秀吉から呼び鈴を遠ざけた茶々。

茶々は、秀頼は自分の子だと言い放ち、後は任せよ、と豪語し、息を引き取る秀吉を見つめていました。

その頃家康は、酒井忠次邸を訪れた時の、忠次の言葉を反芻していました。

忠次は「天下を取りなされ」と家康の背中を押したのでした。

前回、第39回「太閤、くたばる」と見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは第40回「天下人家康」のあらすじと感想です。

新しい政

「力ではなく、知恵、天下人を支えつつも合議によって政を成す、それが私の夢でござる」そう言った石田三成。

「嫌われなされ、天下を取りなされ」そう、家康の背中を押した酒井忠次。

「後は私に任せよ、猿」そう言って秀吉に引導を渡した茶々。

名もなき民の出でありながら、天下人まで上り詰めた太閤秀吉は、その波乱の生涯を閉じました。

泥沼と化した朝鮮出兵を放り投げて、

慶長3年(1598年)秋、今後の備えのため集まったのは五奉行、長束正家、増田長盛、石田三成、浅野長政、徳善院玄以の5名。

豊臣政権の実務を担う奉行です。

そして大きな力を持った5人の大名、五大老です。

前田利家(宅麻伸さん)・83万石、毛利輝元(吹越満さん)・112万石、上杉景勝(津田寛治さん)・120万石、宇喜田秀家(栁俊太郎さん)・57万石、そして徳川家康・250万石です。

秀吉亡き後、新たな政が始まろうとしていました。

伏見城に集まった10人に、誓書に御署判を頂きたいと玄以は言います。

秀吉の遺言を確と実行することが我らの使命、即ち、秀頼様が成長するまで五奉行が政を行い、五大老にそれを支えてもらう、この10人衆が1つになって物事を進めていくのが何より肝要である、と三成は言います。

家康も「無論、異論はない、再び天下が乱れることあってはならん」と五大老の意志を統一します。

目下の問題は朝鮮のこと。

秀吉の死はしばらく公にはしないと決まりました。

家康は、三成の役目は大変なものになるだろう、しかし、三成ならばやれると信じている、と三成を励まします。

三成もそれに応えるように、やって見せます、と力強く頷きました。

しかし、毛利輝元、上杉景勝らは、合議制は力が等しい者たちでなければ成り立たない、大きな力を持つ1人がいれば、いずれはその1人が決めることになる、五奉行がしっかりとやらなければ10人衆など形ばかりのものになる、と訴えます。

三成は極めて頭が切れるが、人心を読むことには長けていない、人の心には裏と表があるもの、家康は狸と心得よ、と猜疑心を植え付けたのです。

徳川屋敷では、三成が上手くやれるかどうか、阿茶(松本若菜さん)も心配していました。

本多忠勝(山田裕貴さん)は、天下は力ある者の持ち回り、あんな連中に任せず、家康が天下を取ればいい、覚悟を決めているのでは?と問いかけます。

しかし家康は、まだその時ではない、と言います。

本多正信(松山ケンイチさん)も、その通り、この滅茶苦茶な戦の後始末、買って出ていいことなど1つもない、逃げられるなら逃げておいた方がいい、今は息を潜める方がいい、と言います。

三成が上手くやってくれるならそれが一番いいことだ、と家康も言うのです。

朝鮮出兵を終えて

7年もの長きに渡り多くの死傷者をもたらした朝鮮出兵。

11月、豊臣軍の撤退が開始されました。

加藤清正(淵上泰史さん)、黒田長政(阿部進之介さん)らが戻ってきました。

三成は兵たちを出迎えて労います。

三成の前に立った清正は、秀吉が死んだというのは本当かと問い質しました。

朝鮮に出兵していた兵たちは秀吉の死を知らなかったのです。

三成は、今は言えないと答えます。

なぜと声を荒げる2人に対し、今は体を休めた方がいいだろう、と三成は促したのです。

そして、戦のしくじりの責めは不問とする、京に戻ったら盛大な茶会を開いて、と言いかけました。

疲れ果てて戻ってきた人々は、そんな三成に激高します。

加藤清正は三成に、我らがどんな戦いをしてきたかわかっているのか、兵糧もない中、皆、何を食ってきたのか、それを茶会とは何だ!皆には儂が粥を振舞う、と涙を流して訴え踵を返しました。

三成は兵たちが去るのを呆然と見送りました。

三成への不満

三成に不満を持つ兵たちは家康や利家に嘆願に来ました。

これまで、戦が上手くいかないのは戦地の清正たちのせいであるかの如く、秀吉に伝えていたのだと言います。

蜂須賀家政も、それに同意し、秀吉の信用を失い、名誉を損なったと訴えます。

藤堂高虎も、最も責めを負うべきは奉行衆なのでは、何故偉そうに指図されるのか、と主張します。

三成には従えない、処断して欲しい、と清正は訴えます。

さもなくば、我らにも考えがある、と福島正則は圧力をかけます。

しかし、そんな兵たちを利家は一喝したのです。

考えとは何だ、三成に任せたのは秀吉の意思、軽挙妄動することあればこの利家が許さん、と叫んだのです。

家康はその様子を寧々(和久井映見さん)と三成に伝えました。

寧々は三成に皆に詫びを入れてはどうかと提案するのですが、三成はなぜ自分が、と言うことを聞きません。

自分は間違ったことをしていない、間違っているのは奴らである、秀吉の遺言に従って、我らが1つにならなければならない時に、自ら争いごとを起こして、と立腹します。

家康は腹を割って話し、三成が考える政を彼らに語ってはどうかと提案します。

しかし、奴らは自分の意見など聞きはしない、自分は秀吉の遺言を確りと守るだけ、と鼻息荒く出ていきました。

寧々は「あの子は真っ直ぐ過ぎる、世の中は歪んでいるものなのに」と零します。

この騒ぎを収めるのは誰がやっても難しいことだ、と家康も言います。

寧々は、あの人が無茶苦茶にしていったのが悪いのだ、最後までやりたい放題、勝手な人だった、と秀吉を責めます。

三成が上手くできなかった時は、力ある者に治めてもらうしかないと思っている、と寧々は家康を見つめました。

伏見城に戻った家康は、正信から諸国の報告を聞きました。

探らせているが不穏な動きがあちこちにあるようで、と正信は答えます。

伊達政宗は秀吉が死んだことをあからさまに喜んでいると言います。

上杉にしろ毛利にしろ、秀吉に最後まで抗っていた連中は皆、この時を待ちわびでいて当然、というのです。

つまり、再び世が乱れることを待ち望んでいる者が大勢いるということ。

三成は苦しいだろうな、と家康は気遣います。

忠勝は、三成には無理と断じ、家康が表舞台に立ち、全てを引き受ける時だと進言します。

しかし正信は、そういう勇ましいことをすると危ない、とそれを止めます。

裏で、危なっかしい者どもの首根っこを押さえるくらいでいい、というのです。

伊達、福島、加藤、蜂須賀、黒田など。

しかし忠勝は、他の方々の意見を聞かず勝手にはできない、と反論。

正信は、他の方々に相談すれば異を唱えられる、しらばっくれてこっそりやるもの、と言います。

明るみに出れば家康が糾問される、と阿茶は案じますが、正信はその時は謝る、と主張します。

それが嫌なら黙って天下が乱れるのを見物しているしかない、どのみち、豊臣の天下はぼろぼろと崩れていくだろう、と正信は言いました。

家康の策略

年が明けて慶長4年、秀吉の遺言により、秀頼は大阪城に居を移しました。

茶々は、三成に其方が頼りだ、しかと頼むぞ、と言います。

しかし茶々は、様々な噂が入ってきて心配だというのです。

石田三成では豊臣家中も大名たちも纏められない、徳川家康でなければ。

今や朝廷も家康の言いなりだというではないか、というのです。

しかし三成は、家康は自分たちを支えてくれると約束してくれている、と退けます。

顔色を変えた茶々は三成に近づくと、私は其方よりあの方を知っているが、あのお方は平気で嘘をつくぞ、と三成の猜疑心を煽るのです。

そこに、伊達、福島、蜂須賀などの大名と徳川家の縁組が進んでいると報告が入ったのです。

三成の猜疑心は一層強くなりました。

議会でそれが議題に上りました。

豊臣の家臣、加藤清正・福島正則・黒田長政らも皆徳川との縁組が進んでいると三成は報告しました。

大名が勝手に婚姻を決めることは禁じられていました。

毛利輝元らは家康があからさまに動き出した、野心あるからに違いない、と断言します。

利家は軽々に断ずることではないというのですが、三成は唇を震わせ、家康に謹慎してもらうと宣言したのです。

家康のもとに直ちに糾問使が現れました。

家康と正信は、その糾問に素直に謝罪しました。

秀吉無き今、許可はいらないと思っていたと謝罪したのです。

議会の場で皆に謝罪をしようというのですが、糾問使は引き下がりません。

すると正信は、家康はあくまで奉行の皆様を陰ながら支えるためにやったこと、秀吉の遺言を忠実に守っている、処罰の対象にはならない、と主張します。

万が一にも面倒なことが起こってはならない、なにせ、徳川には血の気の多い者が数多いるから、と言うのです。

徳川四天王の名をあげ、中々言うことを聞かない奴らで、儂も手を焼いている、と家康はため息交じりにそういうのです。

その報告を聞いた議会は、徳川は戦を仕掛ける気かといきり立ちました。

和を乱したのは徳川、と上杉も激高しますが、前田がそれを鎮めます。

前田は、家康の言うこともわかる、自分が家康に会うから三成も一筆書け、というのですが、掟を破ったのは家康、道理が通らない、と激高した三成はその言葉を聞かず立ち去りました。

するとそこに家康からの招きがあると報告を受けたのです。

対峙

家康の元へとやってきた三成。

家康は自分の浅慮を詫び、誤解を解いておきたい、自分は三成の味方である、と主張します。豊臣の不満を解消しなければならない、と言います。

一時自分が政務を預かりたい、共にやらんか、と言った家康を、天下簒奪の野心ありとみる、と怒りを顕にし、立ち去ったのでした。

三成とぶつかってしまったと前田利家に報告した家康。

どうしたらわかってもらえるのだろう、自分に邪な野心などないと言うことを、と愚痴を零します。

病床の利家は、それは無理な話よ、と笑います。

「怖いのよ、治部が生まれたのは桶狭間の年だそうじゃ、貴公が兵糧入れを成し遂げた戦も奴にとっては壇ノ浦や承久の戦と同じ、古の物語。いや、治部だけではない、多くの者にとって、今川義元の元で育ち、信長、信玄、勝頼、秀吉と渡りおうてきた貴公は、神代の昔の大蛇に見えておろう、皆、貴公が怖いのよ。貴公は強くなり過ぎた。貴公は腹を括るしかないかもしれん」

その1か月後、利家が亡くなりました。

そして、天下がまた騒がしくなっていくのです。

処断

黒田、福島、蜂須賀、黒田、藤堂、などが伏見城を取り囲み、三成を討とうとしていました。

伏見、徳川屋敷にてその報告を聞いていた家康。

毛利、上杉らが駆けつければ立派な戦になるな、と正信は呟きます。

取り囲み、三成でてこい、と叫ぶ清正たちの前に、本多忠勝が現れました。

そして眠りを妨げられ我が主が困っている、と騒ぎを起こした兵たちを家康の屋敷に招き入れたのです。

事情を聴いた家康。

加藤らは三成に奉行から降りるよう説得しようとしたのだと言います。

このような騒ぎにしてはただでは済まされない、と忠勝が言っても、向こうが城にこもって手勢を集めたのでこちらもやったのだと言うのです。

黙って聞いていた家康は徐に立ち上がり、廊下に出ました。

夜明け空を見上げていた家康に、正信は、ここらが潮時かもしれませんぞ、と言います。

忠勝は、表舞台に立つべき時かと、と進言しました。

三成と対峙した家康。

三成は、全ては自分が至らなかったからだと言います。

自分は全ての政務から身を引き、所領の佐和山で隠居すると宣言しました。

納得してくれて礼を言う、という家康に、納得はしていない、自分は間違ったことはしていない、と断言しました。

秀吉の遺命に誰よりも忠実であったと自負している、と主張したのです。

結城秀康が三成を佐和山まで送る役目を請け負いました。

立ち上がった三成に家康は、佐和山を訪れてもいいか、また夜空を見上げて星の話をしたい、と申し出た家康に、三成はご遠慮願いたい、私と家康殿は違う星を見ていたようだ、もうお会いすることもございますまい、と冷たい目を向け立ち去ったのです。

かつて、楽し気に語り合った時のことを思い出し、家康は落胆しました。

「やるからには後戻りはできん、あるいは、修羅の道を行くことになるぞ」と忠勝に言うのです。

忠勝はふっと笑うと「どこまでも、付き合いまする」と共に並んだのでした。

いつものように薬を作る家康は、今川義元、織田信長、武田信玄、豊臣秀吉のかつての言葉を思い返していました。

共に戦ってきた徳川家臣団、そして、天下を取りなされ、と背中を押した酒井忠次の言葉を。

ゆっくりと顔を上げた家康は、覚悟を決めた表情を浮かべていたのです。

そして後日、上座に付いた家康は、天下の泰平乱す者あれば、この徳川家康が放っておかぬ、よろしいな、と宣言したのです。

家康は、自らを中心とした政を始めたのです。

次回、第41回「逆襲の三成」

家康(松本潤)の決断で、佐和山城に隠居させられた三成(中村七之助)。一方、家康は大阪城・西ノ丸に入り、政治を意のままに行い、周囲から天下人と称されていた。そんな家康を茶々(北川景子)は苦々しく見ている。ある時、会津の上杉景勝(津田寛治)に謀反の噂が広がる。家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かるべきと諭されるが、大阪を離れることに一抹の不安を感じ、留守を鳥居元忠(音尾琢真)に預けることにする。

NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト

三成を隠居に追い込み、政治の実権を握った家康。

そんな中、上杉謀反の噂が広がり、家康は大阪を離れることになってしまいました。

家康の留守を狙い、仕掛け始めた三成。

後を任された鳥居元忠は一体どうなってしまうのでしょうか。

最後に

いやあ、家康の重厚さが増してきましたね。

メイクもずいぶん老人っぽくなって驚きました。

老獪な感じがよく出ていましたね。

側近たちもずいぶん老いてきて、白髪が目立つようになっていました。

徳川家中もずいぶん落ち着いた感じになっていましたね。

今回は、中村七之助さん演じる石田三成の苦境が見ていて気の毒になるくらいでしたね。

ただひたすら真面目に秀吉の遺言を守ってきたはずの三成。

しかし三成は人心掌握がほとんどできていませんでした。

酷い戦いを潜り抜け漸く戻ってきた兵たちに、戦の責めは不問だの、茶会だのと言ったらそれは怒られますよね。

疲弊した兵たちには嘲りの言葉に聞こえてしまったのかもしれませんね。

膨れ上がる三成への不満を家康や利家に訴える加藤清正達。

宅麻伸さん演じる前田利家がいい仕事をしていましたよね。

利家がいなければ、もっと纏まりつかなかったように感じました。

登場してすぐに亡くなってしまいましたが、残念でしたね。

五大老はなかなか味の濃い方々が集まりましたね。

吹越満さん演じる毛利輝元も、津田寛治さん演じる上杉景勝もアクが凄いですよね。

純真な三成を猜疑心に塗れさせていくところが凄いです。

それから、北川景子さん演じる茶々の凄みのある表情にも目が引きつけられましたね。

最後のシーン、秀頼の横で報告を受けていた茶々の表情が凄かったですね。

無表情から目線を挙げて徐々に笑みを浮かべる姿。

迫力のある笑みでした。

何を考えているのでしょうか。

茶々の次の行動が気になりますね。

さて、次回第41回「逆襲の三成」では、伏見城の戦いが描かれます。

ということは、鳥居元忠の最期が描かれるのですね。

徳川家臣団でずっと一緒だった忠臣の最期です。

忠臣がどんどんいなくなっていき、終盤まで来たんだなと感慨深く思いますが、でも、仲の良かった徳川家臣団の全員集合がもう見られないと思うと、哀しいですね。

残り僅かな回を大切に拝聴させていただきます。

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