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どうする家康 第44回「徳川幕府誕生」のあらすじと感想

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嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。

脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。

毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~放送されます。

徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。

こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。

さて、第44回「徳川幕府誕生」では、徳川家臣団悲願の徳川幕府がとうとう誕生します。

天下を治めた家康は、新しい国づくりに奔走しますが、大阪に残した火種が燻り始めました。

最後に残った災いの種。

家康はどうするのでしょうか。

目次

前回のあらすじ

今川義元のもとで初陣を果たしてから幾星霜。

徳川家康(松本潤さん)は、多くの戦を経て多くを失い、多くを学びました。

そして天下分け目の戦い、関ケ原の戦いが始まりました。

前線にいる石田三成(中村七之助さん)からは秀頼と毛利本軍の出陣を求める催促が来ていると言うのに、総大将の毛利輝元(吹越満さん)は動きません。

茶々(北川景子さん)は、毛利を責め立てますが、毛利はのらりくらりと躱すばかり。

徳川陣営は、大垣城を攻略しようとしますが、秀忠(森崎ウィンさん)に預けた徳川本軍の到着が遅れ、厳しい状況です。

そんな中、家康は豊臣陣営の調略を深めていました。

吉川広家は内応を約束し、小早川には疑いの目が向かうように策略を巡らせます。

そして9月15日、関ケ原の合戦が始まりました。

三成陣営は徳川軍を取り囲み、形の上では三成有利です。

戦は、徳川軍・井伊直政(板垣李光人さん)隊が宇喜多勢に向かって発砲したことにより始まりました。

戦況は西軍有利。

しかし、家康の背後を突くはずの吉川広家は動かず、そのため長曾我部は動けません。

小早川は戦況を見極めるばかりで動く気配はありません。

これを機と見た家康は、前に出ると決めました。

敵陣の真っただ中に総大将自らが主力2万を率いて出ると、敵は怯み、味方は大いに奮い立ちます。

これを見た小早川は徳川に付くことに決め、西軍・大谷刑部(忍成修吾さん)に向けて出陣しました。

この小早川の裏切りにより、戦況は一気に徳川勢に傾き、戦は徳川の勝利となったのです。

敗戦の知らせを受け取った茶々は激高し、毛利を大阪城から追い出しました。

毛利輝元は減封、宇喜多秀家は改易・配流。

上杉景勝は減封の上移封。

真田昌幸は配流後蟄居。

小西行長は斬首、大谷吉継は自害、嶋左近は行方知れずです。

戦後、捕らえられた三成を前にした家康は、戦無き世を誓った三成の変貌のわけを聞こうとしますが、三成は戦無き世など成せない、と叫びます。

違う世で出会ったなら無二の親友になれたかもしれない三成と家康でしたが、2人の主張はかみ合わず、石田三成は六城河原にて斬首。

そして新しい世が始まるのです。

前回、第43回「関ケ原の戦い」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、第44回「徳川幕府誕生」のあらすじと感想です。

戦勝報告

慶長5年(1600年)石田三成率いる大軍を見事関ヶ原にて破った徳川家康。

戦無き世など成せぬ、まやかしの夢を語るな、と言う三成に、「それでも儂はやらねばならぬ」と家康は言います。

そのまま、家康は大阪に進み、豊臣秀頼のもとに戦勝報告に行きました。

茶々は、秀頼に家康を新たな父と思うようにと言い聞かせます。

家康はにこやかに天下の政はこれまで通り家康にお任せください、と宣言。

茶々は、秀頼の成長を教え、後10年もすれば太閤殿下の背丈を越えよう、そうすれば太閤殿下の夢を秀頼が叶えられる、秀頼が成長するまでの間、秀頼の代わりを頼みます、と家康に頭を下げました。

家康もそれににこやかに応じたのでした。

茶々は、両家が手を携えることが何より大事、と秀忠の娘との婚儀を急ぐようにと声を掛けます。

秀忠も承知しましたと、それに応じました。

家康と秀忠が去ると、茶々は急に表情を変え「わかっておるな、あの狸、決して信じるでないぞ」と秀頼に言い聞かせたのでした。

秀忠は、茶々が豊臣と徳川の結びつきを求めているのだと喜びますが、家康は難しい顔で、「早く人質をよこせと言っているのだ」と苦言を呈します。

「いよいよ難しくなってきましたな、あちらとのお付き合いが」と本多正信(松山ケンイチさん)は言います。

いっそのこと将軍になってはどうかと進言します。

足利の権威が薄れ、将軍職は討ち捨てられているようなもの、それでも幕府を開けば、やれることはずいぶんできるでしょうな、と正信は言います。

徳川は武家の棟梁、豊臣は公家、すみ分けられるかもしれんな、と家康も思案します。

正信は、将軍職が今どの辺に落ちているか探してきましょうかね、と立ち上がりました。

縁側で槍の手入れをしていた本多忠勝(山田裕貴さん)。

うっかり槍先で自分の指を切ってしまいました。

戦では傷1つ付けたことがないという忠勝の初めての傷。

忠勝は自分の衰えを自覚したのです。

征夷大将軍

関ケ原の戦いから2年が経ちました。

伏見城にて、寧々(和久井映見さん)と於大(松嶋菜々子さん)が語り合っていました。

かつて、家康のことを寅年と偽った時の話を聞かせていたのです。

今まで信じていたと言う家康に、寧々と於大は顔を見合わせて、聞かなかったことにしなさい、将軍は寅年の方がいい、笑い合ったのでした。

都に招かれたことに対する礼を言う於大。

於大は、「すまなんだのう、国のために全てを討ち捨てよと、そんなことばかり、私は其方に言ってきた。されど、それが正しかったかどうか、戦を怖がって逃げ回っていた頃が、其方にとっては一番…。もう捨てるでないぞ、其方の大事なものを大切にしなされ、独りぼっちにならんようにな」と涙を流しました。

家康は母の言葉を背中で聞いていました。

この3か月後、於大は家康に看取られて亡くなりました。

慶長8年(1603年)徳川家康は征夷大将軍になり、ここに徳川幕府が開闢。

新しき世を築くため、戦以外の才に秀でた者を抜擢。

若く知恵の優れた者を多く登用したため、太平の世を担う才能が家康のもとに続々と集まってきました。

本多正信(松山ケンイチさん)の息子・正純もその1人。

いかさま師と呼ばれた父のようになってはならぬと育てられ、真面目に律儀に職務を全うしていました。

老いと成長

長く家康を支えてきた者たちも戦無き世を謳歌していました。

伊勢・桑名城主の本多忠勝は自分の姿を絵師に描かせていました。

そこに榊原康政(杉野遥亮さん)がやってきました。

何度も書き直しをさせる忠勝に呆れますが、忠勝は自分に似てなくても強そうに書けてればそれでいい、自分が死んだ後も睨みを利かせられるように、というのです。

忠勝は、何の用で来たのかと、康政に問いかけます。

関ケ原の褒美が少なかったのが不満か、という忠勝に、「まさか」と康政は応えます。

福島ら豊臣恩顧の大名たちにより多くの褒美を与えねばならなかったのだ、と康政。

だから、自分は桑名に来た、西に睨みを利かせるために、と忠勝は言います。

「だがな、平八郎、もう我らの働ける世ではないのかもしれんぞ。殿のもとには新たな世を継ぐ者たちが集まっておる。戦無き世を作る、若く、知恵の優れた者たちだ。私も秀忠様にご指南申すのが最後の役目と心得ておる。戦に生きた歳よりは早く身を引くべきだ、お主もわかっておろう」と康政。

「関ケ原の傷がもとで死んだ直政は、上手くやりおった」と忠勝は呟きます。

「そういうことだ」と康政も同意したのでした。

家康が執務中、孫娘の千が駆け込んできました。

豊臣に行きたくない、と駄々をこねる千。

母である江が茶々は怖い、と常々言っていたからと千は言います。

江は、もう一人の姉・初はとても優しい、初が側にいてくれるはず、と千を宥めます。

家康は、千は徳川の姫、何かあればすぐに駆け付ける、と約束し、千を宥めたのでした。

慶長9年(1604年)、千姫は豊臣に嫁ぎ正月を迎えました。

豊臣恩顧の家臣たちは大阪に集まり、秀頼の成長を喜びます。

中心となって豊臣家中を纏める大野治長(玉山鉄二さん)を心強いと茶々は喜びます。

久しぶりに江戸城に入った家康。

出迎えた秀忠を素通りし、家康は結城秀康に声を掛けます。

秀康の答えに満足そうに頷いた家康は、次に秀忠に「しかとやっておるか」と声を掛けました。

「はっ」と頭を下げた秀忠ですが、すぐに「お千は大丈夫でしょうか」と尋ねたのです。

家康はそんな秀忠に激高します。

真っ先に聞くことが娘の心配か、身内のことしか考えぬ主君と思われるぞ、関ケ原に遅れた時から何の成長もしていない、と詰ります。

秀忠はその言葉に反論。

自分は悪くない、自分は精いっぱい急いだ、と訴えます。

すると家康は、多くの兵を置いて己の共周りだけで先を急いだ、と声を荒げます。

秀忠は、正信も康政もそうしていいと言った、と反論しますが、家康は「人のせいにするな!全てお前のせいだ」と突き放したのです。

執務室で、文に顔を近づけて読んでいる忠勝を見て、家康は「お互い歳を取ったのう」と呟きました。

「殿、戦しかできぬ年寄りはもういらぬとお思いなら、包まず申されませ。直ちに隠居を」と忠勝は頭を下げました。

そこに康政が生涯最後の諫言、と家康に意見しました。

皆の前であのように秀忠を叱ってはいけない、秀忠の誇りを傷つけることになる、しかも終わった関ケ原のことをいつまでも、秀忠に落ち度はないと何度も言った、家康の言いようはあまりに理不尽、家康から見えれば秀忠は頼りなく見えるだろう、しかし、あのくらいの年の頃の家康もどれほど頼りなかったか、「お忘れあるな」と言います。

その言葉に家康は「だが、儂にはお前たちがいた。左衛門、数正、鳥居の爺様、皆が儂をこっぴどく叱り続けた。あ奴のことを誰があのように叱ってくれる。儂は耐え難い苦しみも何度も味わった。あ奴にはそれがない」と答えたのです。

「苦しみを知らぬことはご本人のせいではございません、悪いことでもありません」と康政。

「これから時をかけて、様々なことを更にご本人が学ばれることでございましょう」と忠勝。

しかし家康は「それでは間に合わぬ。関ケ原はまだ終わっておらぬ」と断言したのです。

「あれは所詮、豊臣家中の仲たがいにすぎぬ。それが静まり、再び1つとなって秀頼殿のもとに集まっておる。今年の正月は大いに賑わったようじゃ。もっと難儀なのは、敗れて改易、減封となった家中に、多くの牢人があぶれておる。奴らが求める食い扶持の元はただ1つ、戦じゃ。このまま秀頼殿が成長されたら、その時は…」

2つに1つ、大人しく豊臣に天下を返してやるか、それとも…と康政は言います。

家康は「平八郎、隠居など認めんぞ、小平太、まだ老いるな、まだ、お前たちの力がいる」と2人の肩を叩いたのです。

「手のかかる主だ」と呟く康政。

「まったくいつになったら主君と認められるやら」と言う忠勝。

3人は笑い合いました。

2代目将軍

家康は秀忠を呼びました。

関ケ原の落ち度は誰のせいか、と尋ねます。

秀忠は自分の落ち度だと答えます。

家康は「そう、お前のせいじゃ。理不尽だろう。この世は理不尽なことだらけよ。儂ら上に立つ者の役目はいかに理不尽なことがあろうと結果において責めを負うことじゃ。上手く行った時は家臣を称えよ、しくじった時は己が全ての責めを負え。それこそが儂らの役だ。分かったか」と言い聞かせます。

そして、「征夷大将軍、1年の後に其方に引き継ぐ、用意にかかれ」と命じたのです。

結城秀康は、「おめでとうございます」と秀忠を祝います。

秀忠は自分が引き継ぐことに呆然としていました。

秀忠は、自分が選ばれたのは結城秀康が正妻の子ではないからか、と項垂れます。

それに対して、正信や康政は、才あるからこそ家康は秀康を選ばれなかった、才ある将が1代で国を栄えさせ、その1代で滅ぶ、自分たちはそれを嫌という程みてきた、才ある将1人に頼る家中は長続きしないということ、と諭します。

その点、秀忠は全てが人並み。人並みの者が受け継いで行けるお家こそ長続きする、いうなれば偉大なる凡庸、と言ったところだろうか、と正信は言います。

何より於愛の方の子だけあって大らか、誰とでも上手く付き合いができる、豊臣とも上手くできるだろう、関ケ原でも恨みを買っていない、間に合わなかったおかげ、と正信と康政は言います。

秀忠も「そう言えばそうか、かえって良かったかもしれないな」と納得し笑顔を見せたのでした。

不穏な気配

その頃、豊臣方では、1年後に秀忠に征夷大将軍の任を譲るということは、天下は徳川家が受け継いでいくということに他ならない、これは秀吉との約定に反する、といきり立ちます。

更に、秀頼に挨拶に来いと言われたという茶々。

「むろん断ったわ、秀頼を行かせるくらいなら秀頼を殺して私も死ぬとな!」と激昂したのです。

桑名にまたやってきた康政。

忠勝は、また絵を書き直させていました。

もっともっと強そうでなければ、というのです。

皆に挨拶回りをしている、という康政を「何のために」と忠勝は問い詰めます。

すると康政は腸を病んでいると言います。

忠勝は康政の腕を掴み「たわけ、まだ老いるなと言われただろうが」と言います。

康政は、忠勝の指についた傷に気づきました。

忠勝は「迂闊なことよ。戦で傷1つ負わなかった儂が…。笑い種じゃ」と言います。

忠勝は目を患っており、ほとんど目が見えない状態です。

「老いには抗えん。無念だが、我らはここまでのようじゃ。役目は終えたのだ」と康政は帰ろうとします。

忠勝は「待て!」と叫ぶと康政に槍を渡します。

「儂は認めん、殿を守って死ぬのが儂の夢じゃ。老いなど認めん。見届けるまで死ぬな」と槍を向けたのです。

そして2人は槍を交えました。

「やるじゃないか、大樹寺の小僧」

「お主もな、礼儀知らずのあほたわけ」と言い合い、戦い続けました。

やがて戦いを終えると「認めておるのだろう、殿のことを主君と、いつからじゃ」と康政は問いかけます。

「大樹寺、桶狭間の後」と忠勝は応えました。

「同じじゃな、儂と」と康政も答えました。

家康を捕まえ敵将に差し出そうとする敵兵の前に出て、家臣たちに向け「其方たちのことは儂が守る、儂が守るんじゃ!」と叫んで歩き始めた家康の背中を見て、2人は家康を主と認めたのです。

「まだ見ていたいのう、あの背中を」と康政が呟くと「睨みを利かせてな」と忠勝は応えました。

慶長11年(1606年)榊原康政、死去。

慶長15年(1610年)本多忠勝、死去。

家康は、忠勝が描かせた絵を眺めていました。

そこに阿茶(松本若菜さん)が評定の時間だと告げます。

正信は、大阪が牢人どもを集めて施しをしているというのです。

徳川が大阪から去るとあからさまに動き出した豊臣方。

慶長16年(1611年)秀頼は19歳になっていました。

「時は満ちた」と家康は呟き、忠勝の絵に背を向け歩き出しました。

次回、第45回「2人のプリンス」

関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣のもとに集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(佐久間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣が大仏を再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が大きな火種になる!

NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト

徳川幕府を開いたものの、自らは老い、対する秀頼は若く逞しく成長しています。

次代の秀忠の世を思った家康は、自らの手で豊臣との決着を付けようとするのです。

最後に

本多忠勝、榊原康政も逝ってしまいましたね。

徳川家臣団で残っているのは、後は松山ケンイチさん演じる本多正信だけでしょうか。

寂しくなってきましたね。

若々しい時代から63歳まで生きた山田裕貴さん演じる本多忠勝、同じく59歳まで生きた杉野遥亮さん演じる榊原康政。

逃げ出す家康を連れ戻した若き日の忠勝と、目を患い己の槍で傷をつけてしまったことに呆然とする忠勝のそのギャップ、人生の経過に胸が熱くなりました。

戦うことに誇りを持ち、家康を守って死ぬことを夢としていた忠勝が、死後も家康を守るため、睨みを利かせるためにあえて恐ろしい表情の絵姿を描かせていましたね。

その心情を知った時、目頭が熱くなりました。

その忠勝の絵を眺める家康の後姿に哀愁が漂っていて、それにもまた悲しさが込み上げてきました。

大事な、大事な家臣団だったのですものね。

同年代、本当に長い月日を、苦楽を共にしてきた主従でしたからね。

ラストシーンの忠勝の絵に込められた思いに、感動しました。

大樹寺に逃げ込んだ家康に、厭離穢土欣求浄土の意味を教えたことから縁が繋がった榊原康政。

康政も忠勝も敵に囲まれていながら、それを気迫で圧倒し、大樹寺から見事立ち去った家康の背中を見て、主君と決めたのですね。

康政はその頭脳で家康を支えていました。

あんなに若い杉野さんですが、老年を迎えた康政のよぼよぼとした感じ、見事でしたね。

戦う時も背を曲げて、老人同士が戦っているようで、良く表現できるなと感動しました。

最後の諫言も良かったですよね。

将軍となった家康に悪いことは悪いと言える家臣と、それを聞く主。

素晴らしい関係だと、徳川家臣団の絆の深さを改めて感じました。

その後、本多正信と一緒に秀忠を導くシーンは康政の優しさが溢れていてとてもほっこりしました。

松山ケンイチさん演じる本多正信が軽い口調で秀忠をこき下ろしまくり、それを康政が優しくフォローするシーン。

森崎ウィンさん演じる秀忠が純粋過ぎて、簡単に転がされる様は、なんとも言えませんでした。

秀忠にはまだまだ正信や康政が必要なんだ、もう少し頑張って、と康政にエールを送りたくなってしまいました。

とうとう徳川四天王が1人もいなくなり、家康も正信もずいぶんと老いが進み、無邪気な秀忠が後を継ぐのかと思うと、この先が心配になってしまいます。

家康も秀忠が憂いなく次代を継げるように、自分の目が黒いうちに豊臣との決着を付けようとします。

次回、第45回「2人のプリンス」では、大阪の秀頼と江戸の秀忠が比較されてしまうようですね。負ける自信があるって、それはあんまりだ、と思いましたが、家康はそんな秀忠が継げる世にするために、まだまだ頑張るわけですね。

もう大分老いてきてしまった家康ですが、まだまだ戦無き世を作るため、家康は奔走します。

ラストまであと少し、次回第45回「2人のプリンス」も目が離せませんね。

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