嵐の松本潤さん主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」。
脚本は、稀代のストーリーテラー・古沢良太さんです。
毎週日曜BSプレミアム午後6時~、NHK総合午後8時~放送されます。
徳川家康の生涯を新たな視点で描く、スピード感溢れる波乱万丈の戦国エンターテインメント。
こちらでは、大河ドラマ「どうする家康」のあらすじ、ネタバレ、感想をお届けします。
さて、第42回「天下分け目」では、関ケ原の合戦の前哨戦と言われる伏見城の戦いが描かれます。
徳川家康の留守を任された鳥居元忠が壮絶な戦いを見せ散るこの回。
三河武士の鑑と言われた鳥居元忠の最期が、どのように描かれるのか楽しみですね。
前回のあらすじ
石田三成(中村七之助さん)を失脚させた徳川家康(松本潤さん)は、大阪城西の丸にて政務を行っていました。
しかし、豊臣家臣の中では家康の存在を消そうとする動きがみられ、五大老の毛利輝元、上杉景勝の動きも不穏。
なかなか豊臣の世を纏めることができません。
家康を慕う者たちはとことん可愛がり、豊臣家中の掌握も進み、今や天下様と呼ばれるようになった家康。
ある日、大阪城にイングランドから流れ着いたウィリアム・アダムスという名の男が連れてこられました。
家康はウィリアム・アダムスを気に入り、重用していきます。
この頃、越後の上杉景勝が新たに城を築こうとしていると報告が入りました。
家康は景勝に上洛を促し、事の次第を聞こうとするのですが、景勝の側近直江による長い断りの文が届き、家康は激高しました。
家康は、阿茶(松本若菜さん)と鳥居元忠(音尾琢真さん)に大阪と伏見を任せることにして、会津への出陣を決めました。
今は大人しくしている石田三成ですが、家康が大阪を開けた隙を狙って蜂起しないとも限らないと家康は見ていたのです。
伏見を守ると言う危険な役目を鳥居元忠に任せることにした家康。
家康は大阪を立ち、江戸に入ると嫡男・秀忠(森崎ウィンさん)や平岩親吉(岡部大さん)らと合流し、会津へと向かいました。
しかしその時、佐和山城の三成は、家康の不在を狙って大阪城を奪還しようと道筋を立てていたのです。
大阪城を毛利・宇喜田の軍勢が取り囲み、阿茶も大勢の兵に取り囲まれます。
大阪に入った石田三成は、茶々(北川景子さん)と対面すると、逆賊・徳川家康を成敗いたす、と宣言したのです。
逆賊に仕立てられたと言う家康のもとに、茶々からの文が届きました。
そこには、三成が勝手をして怖い、と書かれてあったのです。
家康は西に戻る決意を固めたのでした。
関ケ原の戦いまであと53日。
前回、第41回「逆襲の三成」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。
それでは、第42回「天下分け目」のあらすじと感想です。
上杉討伐の隙を付いて
伏見城を鳥居元忠に任せた家康。
上方を留守にすれば兵を挙げる者がいるかもしれない、と危惧したのです。
逃げることは許されぬ、必ず守り通せ、家康はそう言って元忠に託しました。
家康の危惧した通り、石田三成、挙兵。
家康がそれを知ったのは上杉景勝を征伐するため、会津に向かう途中、下野・小山にいた時でした。
家康の元には事態の深刻さを示す報が次々と届けられてきました。
家康を断罪する書状が各所に回り、大阪は既に抑えられていること、大谷刑部(忍成修吾さん)、小西行長(池内万作さん)、毛利輝元(吹越満さん)、奉行衆、宇喜田秀家(桝俊太郎さん)も三成方に付きました。
これで、前田利長、小早川秀秋が石田に付けばもうお手上げ、成す術はないと正信(松山ケンイチさん)は言います。
家康は、徳川家康、天下を治るに能わず、多くの者がそう申しておる、民の声、天の声かもしれんな、と呟きます。
大阪を抑えられたと言うことは、阿茶をはじめ、諸将の妻子が人質に取られたと言うこと。
鳥居元忠も危ない、と正信は言います。
その時、京の阿茶から文が届きました。
大阪にいた阿茶は、女房衆をできるだけ逃がそうとしていましたが、塀に囲まれ身動き取れない状況に。
しかしその兵たちは、北政所(和久井映見さん)の手のもので、阿茶を逃がすために来てくれたのです。
阿茶は北政所に保護されました。
阿茶の無事を知り、ありがたいことだ、安堵した家康。
自分の心は決まっていると家康は言います。
難題は、今は徳川とともにいる福島、黒田、藤堂達。
真田も危険とみています。
三成憎しと言えど、徳川に従うだろうかと、家康は危惧していたのです。
すると誰か1人でも寝返らせればいい、と本多正信は言います。
正信は自分に任せて欲しいと言い、家康は皆を1つにして欲しいと進言したのです。
真田
徳川秀忠のもとに真田信幸(吉村界人さん)が着陣しました。
本多忠勝(山田裕貴さん)が、1人で来たのかと詰問。
すると信幸は父と弟は信濃に引き返し、石田三成に付くと言うのです。
信幸は忠勝に頭を下げ謝罪します。
忠勝は、信幸に気を使わなくていいと言い、儂の娘を捨てたければ捨てよ、と言います。
井伊直政(板垣李光人さん)は、真田が上杉と繋がれば取り囲まれる、厄介ですぞ、と声を掛けます。
忠勝は、婿殿には大いに働いてもらう、今はゆっくり休め、と信幸を労いました。
その頃、信濃・上田へと引き返す真田昌幸(佐藤浩市さん)と信繁(日向亘さん)は、信幸の城、沼田城に足を向けていました。
しかしそこには武装した稲(鳴海唯さん)の姿が。
稲はこの城の主は信幸として、頑として昌幸の入城を拒んだのです。
昌幸は、さすが本多忠勝の娘、と稲の行動を褒め称え、この城を乗っ取ることはやめた、と口にしたのです。
そして、ほんの少しでいいから孫の姿が見たい、と懇願しました。
稲は子供たちを連れてこさせ、昌幸に見せました。
昌幸が馬から降りようとするとそれを制し、孫たちを名残惜しそうに見やる昌幸の背を見送りながら、戦が終わりましたら会いにいらしてくださいませ、と告げたのでした。
小山評定
翌、7月25日、世に名高い小山評定が始まりました。
家康のもとに、黒田、福島、藤堂という豊臣の諸将が集められたのです。
「長く続いた戦乱の世は、信長様、太閤殿下によって、ようやく鎮められた。
しかしそれを乱そうとしている者がおる。皆も聞いての通り、石田三成が挙兵した。
これより上杉討伐を取りやめ、西へ引き返す。が、ここにいる多くの者が大阪に妻子を捕らわれていよう。このようなこととなり、誠に申し訳なく思っておる。無理強いはせん、儂に従えぬ者は出ていってもよい。
だが、考えてもみろ、皆の留守に屋敷に押し入り、妻子に刃を突きつけるような男に天下を任せられようか。戦に乗じて、私腹を肥やさんとする輩を野放しにできようか。このまま手をこまねいておっては、世は騒然、乱世に逆戻りじゃ。よって儂は例え孤立無援となろうと、これと戦うことと決めた。全ては戦無き世を作るためじゃ。安寧な世を成せるかは我らの手にかかっておる」
そう、家康は演説をしたのです。
集まった諸将らは三成に天下は任せられない、任せられるのは内府殿、内府殿と共に戦う、と心を1つにして、西へと向かうことになりました。
秀忠には榊原康政(杉野遥亮さん)、本多正信と家康の3万の兵を付け、真田攻略へ向かわせます。
家康は「良いか、石田三成を討ち、我らが天下を取る」と檄と飛ばしました。
皆が戦場へと急ぐ中、1人平岩親吉が佇んでいました。
平岩は、「漸く来たんじゃ。儂らはあの時、お方様や信康様をお守りできず、腹を斬るつもりでございました。されど殿に止められ、お2人が目指した世を成し遂げるお手伝いをすることが我らの使命と思い、今日まで…、今日まで…。その時が来ましたぞ。厭離穢土欣求浄土。この世を浄土に致しましょう」
家康はそういう平岩の肩を強く叩き、家康が掲げた厭離穢土欣求浄土の御旗を見詰めたのでした。
伏見城の戦い
こうして、井伊直政は福島らと共に東海道を西へ。
真田への抑えに秀忠と康政、正信。
上杉の抑えに結城秀康、
そして家康は、全てを采配するために江戸へと向かいました。
大阪の三成と茶々は、家康が動き出した事を知りました。
三成はこちらの思惑通り、と報告します。
茶々も万事、手筈通りに進んでいると喜びます。
茶々は秀頼を戦に出す用意はある、として、必ず家康の首を取れ、と厳命したのです。
翌7月29日、2千の兵が守る伏見城に、2万5千の兵が押し寄せました。
ついに戦の火蓋が切られたのです。
しかし鳥居元忠はしぶとく、西軍は焦ります。
三成は、鳥居元忠が桶狭間を生き抜いた人物、と評しましたが、宇喜田秀家は昔話、と鼻で笑うのです。
三成は、元忠が降伏はしないだろうと予測していました。
大谷吉継は、惜しいものよ、と嘆きます。
そこに、小早川秀秋が着陣したとの報告がありました。
小早川秀秋は北政所の甥にあたります。
若くして、筑前35万石を預かる大名です。
秀秋は、豊臣一門として家康の暴挙に憤っていたと言います。
小早川軍1万5千が加われば4万を超える、これで伏見は終わり、と西軍は勢いづきます。
更に、松の丸の守りが弱いとの報告も上がり、翌日、そこを中心に攻めることが決まりました。
8月1日、小早川秀秋の兵が加わった総勢4万の兵が伏見城を総攻めにしました。
鉄砲、大筒の弾が伏見城の兵士たちを削っていきます。
鳥居元忠も被弾し、重傷です。
妻の千代(古川琴音さん)が駆け寄り、手当てをします。
元忠は生きろと促しますが、千代は元忠と一緒なら、と逃げません。
そこに松の丸が落ちたとの知らせが入りました。
元忠は、家臣たちに逃げろと命じますが、全員、元忠と共に討ち死にすると宣言。
「そうか、三河の荒れ地で、藁の具足被って戦っとった儂らが天下の伏見城を枕に討ち死にできるんだで。こんな幸せなことはねえわ」と笑った元忠。
皆の気持ちが1つになりました。
そこに敵兵がなだれ込んできました。
壮絶な斬り合いが始まります。
元忠始め、千代も城兵も皆必死に戦い抜きます。
そこに鉄砲隊が現れ、千代を撃ち抜きました。
元忠は倒れる千代を支えます。
まだ起き上がろうと戦意を失わない千代を見た元忠は、千代を支えながら立ち上がり、2人とも力の限り刀を振り続けたのです。
江戸城に、伏見が落ちたとの知らせが入りました。
鳥居元忠、城兵、最後まで見事に戦い抜き、討ち死にしたと渡辺盛綱(木村昴さん)が報告したのです。
盛綱は、すぐにでも西に行き、元忠の敵を討とうと言うのですが、家康がそれを制します。
忠勝は、今は誰がどちらに付きどう動くかをしかと見定める時、と言います。
そして自分は先に出て直政と合流し西に向かうと宣言。
家康には、一通でも多くの書状を書いて欲しいと進言しました。
この戦は、三成と家康、どちらが多くの諸将を味方に付けるかにかかっている、元忠のためにも腕が折れるまで書く、と家康は言いました。
退出したはずの忠勝は廊下で1人涙を流していました。
しかし、意を決したように顔を上げ、家康の方を振り返ると、そのまま出立したのでした。
調略戦
家康が必死に書状を書いていた頃、三成は美濃・大垣城に入り、徳川軍を迎え撃つ用意をしていました。
三成もまた同じように、諸大名に家康を糾弾する書状を送り続けていたのです。
双方合わせて数百通に上る書状が日の本全土を飛び交うという熾烈な調略戦が行われていました。
前田利長はどちらに付くか、と悩んでいました。
家康は気前がいい、三成は家康を断罪することばかり書いている、と悩みます。
小早川は、あくまで三成に付くが、戦と言えば徳川、どちらに転んでもいいようにしておけと家臣に命じました。
家康の文書が出回っているとの報告が上がり、三成が不安に思っている時、小西行長がやってきました。
自分の所にも文は届いたが、自分は西軍に付くとデウスに誓った、というのです。
安堵する三成と大谷ですが、寝返る者も出るだろうと小西は忠告します。
時が経てば経つほど危うい、と進言しました。
直政と忠勝、福島の軍は怒涛の勢いで三成軍に迫っていました。
福島正則は、岐阜城を落とし、手柄を誇ります。
直政と忠勝は張り切りすぎ、速過ぎる、と危惧していました。
三成がいる大垣城はもう目の前。
決戦の時が早まってしまいます。
それはならん、と忠勝は危ぶみました。
江戸にもその知らせは届きました。
盛綱は福島もやるな、おめでとうございます、と喜びますが、そうとばかりは言っていられない、と家康は言います。
本軍が到着する前に戦が始まってしまっては全てが水の泡、と言うのです。
だがこれで、福島と黒田が徳川と共にあると世に知らしめることができました。
家康は、秀忠に真田に構わず、9月9日までに美濃・赤坂に来るようにと伝令を出しました。
秀忠の戦い
その頃、信濃の真田の城に秀忠の軍勢が迫ってきていました。
真田昌幸は秀忠隊に降伏するとの書状を出しました。
正信は信幸に、すぐさま城を明け渡し出頭するようにと言うのですが、待てど暮らせど昌幸はやってきません。
上田城にこもったままです。
正信は、降伏すると言うのは真田の嘘だろう、真田は表裏比興の者、勝つためにはどんな手も使います、いかにも真田親子らしいやり方、これも乱世を生きる術、認めてあげましょう、と言います。
信幸はもう一度父を説得してくると、退出しました。
正信はのんびりと、いい天気だ、稲が良く実っている、稲刈りでもするか、と言います。
何を言っている、と驚く秀忠に、康政が説明します。
それは、真田の兵糧を立つ目的がありました。
そうすれば稲を守ろうと必ず出てくる、その時、稲の代わりに首を狩ればいい、と正信は言うのです。
秀忠はすぐに稲刈りを実行。
真田信繁が出てきて小競り合いが始まりました。
信繁は上田城に戻ると、蹴散らしてやったと誇らしげに笑います。
昌幸は、儂の役目は十分に果たした、後は三成と家康のどちらの才が勝るかで決まる、と呟きます。
どちらが勝っても我らは生き残る、と薄く笑いました。
信繁が、兄上も…、と言いかけると、昌幸は、乱世を泳ぐは愉快なものよ、と笑ったのでした。
その頃、秀忠のもとに書状が届きました。
9月9日までに美濃・赤坂に来るようにとの知らせです。
現在は9月8日、どうあがいても間に合いません。
なぜ、もっと早く届けなかったと憤る秀忠に、使者の大久保は、利根川を渡る際、船頭百姓に書状を奪われ、取り返したのが昨夜のことだ、と訴えたのです。
書状を奪ったのは真田の忍び。
真田の真の目的は、秀忠勢をこの地に足止めすることだったのです。
正信たちはやられましたな、と天を仰ぎました。
9月9日、秀忠たちがまだ信濃にいると報告を受けた家康は驚愕します。
三成と真田にやられた、と悔しがりました。
徳川に痛手を与えた西軍は喜び、決戦の地に赴こうとしますが、決戦の地はここではない、より大きな蜘蛛の巣をもう1つ張っております、と三成は地図を指し示しました。
その地とは関ケ原。
家康も三成の戦略を読み、三成は家康勢を関ケ原におびき出そうとしていると察しました。
その手に乗ってみるかの、と家康は呟いたのでした。
「三成よ、これは天下分け目の大戦じゃ」
次回、第43回「関ケ原の戦い」
秀忠(森崎ウィン)率いる主力軍が来ない。真田の罠にはまってしまったのだ。西軍に圧倒的に数で劣る家康(松本潤)は、野戦での勝負を決断。決戦の地に関ケ原を選ぶ。そして大量の密書をばらまき、敵に切り崩しを仕掛ける。優位に立つ三成(中村七之助)は呼応するように兵を進め、両陣合わせ15万が集結、天下分け目の大戦が始まる!一方、大阪では家康の調略に動揺する毛利輝元(吹越満)に、茶々(北川景子)は不満を募らせる。
NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト
天下分け目の決戦、関ケ原の戦いが始まりました。
真田の策略に嵌り、本軍が到着せず、数の上では圧倒的不利に陥った家康軍はどのように戦うのでしょうか。
関ケ原の戦いでは、徳川家臣団にも多くの負傷者が出るはず。
その乱戦ぶりに、目が離せませんね。
最後に
音尾琢真さん演じる鳥居元忠が討死してしまいました。
妻の千代と共に、見事な戦いでしたね。
古川琴音さん演じる千代との深い絆がよくわかり、胸が締め付けられてしまいました。
古くから家康に仕え、家康に忠義を誓い、家康の命を忠実に実行するため、伏見城を枕に討ち死にしました。
鉄砲が飛び交う中、弓矢で応戦する元忠はかっこよかったですね。
撃たれた千代を支えながら、2人で刀を振るうシーンは涙が滲んでしまいました。
壮絶な伏見城の戦いのシーンの大迫力に圧倒されてしまいました。
見事な死に様に感動致しました。
真田とのやり取りも手に汗握りましたね。
森崎ウィンさん演じる秀忠が1人右往左往していましたが、松山ケンイチさん演じる本多正信も、杉野遥亮さん演じる榊原康政も、敵対する佐藤浩市さん演じる真田昌幸も常に冷静で、それだけにそのやり取りが非常に手に汗握りました。
表には出てきませんでしたが、真田の忍びにより、家康の文は届かず、秀忠は家康の命を破ることになってしまいました。
天下分け目の戦いの最中、自分の役目をきちんと果たした真田の勝利ですよね。
敵ながらその戦略に脱帽です。
今は「どうする家康」の中なので、どうしても徳川寄りの目線で見てしまって、真田憎しと思ってしまうのですが、かつて大河ドラマ「真田丸」や、かつてのNHKドラマ「真田太平記」を見ていた時は、このエピソードはかなり気持ちよく見ていたものでした。
見方が変われば、気持ちも変わりますね。
今、自分がどれだけ徳川家臣団に嵌っているかがわかりました。
真田昌幸が沼田城を訪れるシーンは良かったですね。
本多忠勝の娘・稲姫が昌幸を追い返すシーンです。
鳴海唯さん演じる稲が、父・忠勝のように槍を打ち付けて「ここは通さん」と言うシーンは素敵でした。
女忠勝だな、と感動しました。
でも、戦が終わったら会いに来て、というところが、稲の優しさが溢れていて、とても良いシーンだったと思います。
松本潤さん演じる徳川家康も重厚さが増してきましたね。
石田三成の所業を挙げ連ね、天下を取ると演説をするシーンは感動しました。
諸将の気持ちを1つにして、皆を鼓舞するような言葉を並べる家康。
良かったですよね。
皆の気持ちが高揚するところがよくわかりました。
でも、本多正信が目配せしてましたよね。
正信が調略したんですね。
ああいう細かいところがすごく良いです。
さて、次回「関ケ原の戦い」では、天下分け目の戦いが始まります。
壮絶な調略戦を制したのはどちらなのか。
野戦に強い家康を関ケ原に誘い出した三成の思惑は何だったのか、気になるところが満載ですね。
次回、第43回「関ケ原の戦い」、見所満載で、目が離せませんね。