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鎌倉殿の13人 第16回「伝説の幕開け」のあらすじと感想

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鎌倉殿の13人 第16回「伝説の幕開け」のあらすじと感想

61作目となる2022年大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」。

脚本は、三谷幸喜さん。

主役の北条義時を務めるのは、小栗旬さんです。

毎週日曜(総合)午後8時、(BSプレミアム、BS4K)午後6時、毎週土曜日午後1時5分から再放送が放送中です。

目次

前回のあらすじ

源頼朝(大泉洋さん)の命で、木曽義仲(青木崇高さん)討伐に向かった源義経(菅田将暉さん)。

義仲は、義経の動きを知り、後白河法皇(西田敏行さん)を人質に京に立て篭りました。

すぐにでも出兵したい頼朝ですが、そんな頼朝に従えず、源氏同士の争いに反対する御家人たちは、頼朝追放計画を立てていました。

反乱軍の核となっているのは上総介広常(佐藤浩市さん)。

しかし上総は、大江広元(栗原英雄さん)の発案で、北条義時(小栗旬さん)に頼まれて反乱軍に参加していたのです。

上総は暴走しそうになる反乱軍を上手く誘導し、血が流れないよう配慮しながら作戦に参加していました。

頼朝に反感を抱く文覚(市川猿之助さん)が反乱をしやすくするためにでっち上げた嘘の儀式を利用して、頼朝の嫡男・万寿を攫う計画を立てた反乱軍。

頼朝の代わりの主として、木曽義仲の嫡男・義高(市川染五郎さん)に立って欲しいと懇願するも、義高の返事は芳しくありません。

その反乱軍の企みは、頼朝たちに気づかれていました。

頼朝の側近・比企能員(佐藤二朗さん)が三浦邸の様子を伺うのですが、刀を突きつけられ反乱軍に寝返ってしまいます。

何事もなかったと嘘の報告をするため、比企は御所に戻ります。

また、義時は反乱軍のひとりである土肥実平(阿南健治さん)の言動から、謀反の確証を得ていました。

激高する頼朝を宥め、潜入している上総とともに御家人を説得すると訴えた義時に頼朝は、今兵を引くなら不問に処すと約束しました。

鶴岡八幡宮で嘘の儀式を終えた万寿と政子(小池栄子さん)を襲撃した反乱軍ですが、そこに義時が割って入り、説得を始めます。

畠山重忠(中川大志さん)が義時に逆らったため、畠山に反発する和田義盛(横田栄司さん)は義時の説得に応じ、刀を収めました。

畠山は和田の性格を熟知しており、和田を降伏させるために態と意に反した言葉を言っていたのです。

畠山の真意に気づいた義時は、それに感謝したのでした。

その後義時は、反乱軍が集まる三浦邸に乗り込み、謀反が失敗したことを告げたのです。

その夜、頼朝は上総と酒を酌み交わし、その労をねぎらったのでした。

翌日、不問に処すと言明していたはずの頼朝は、大江広元の進言に頷き、上総介広常を見せしめのために成敗することに決めたのです。

激しく反発する義時ですが、頼朝は初めから坂東随一の勢力を持つ上総を危険視しており、この機に乗じて上総を排除しようと画策していたのです。

頼朝の言葉に激しく抵抗し、苦悩するものの、腹の中では誰かが犠牲にならなければ示しがつかないことはわかっている義時。

梶原景時(中村獅童さん)に不意を突かれて刀を受け、義時を呼ぶ上総の声に応えることができませんでした。

瀕死の上総を冷酷に睥睨する頼朝。

御家人の前で成敗された上総の遺体を前に、頼朝は自分に逆らう者は許さない、と宣言し、御家人に自分の威光を見せつけたのでした。

その後、頼朝は上総が真に頼朝のことを思い、これからのことを考えていたことを知り、顔を歪めました。

この頃、義時と八重(新垣結衣さん)の間に、嫡男が生まれました。

前回、第15回「足固めの儀式」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

それでは、第16回「伝説の幕開け」のあらすじと感想です。

戻ってきた北条時政

義時と八重の間に生まれた男児は、頼朝に「金剛」と名づけてもらいました。

「金剛とは仏法の守り神。源氏を支えるべくして生まれた者にふさわしい名じゃ」と頼朝は言います。

義時と共に御所に来ていた時政に頼朝は、「この先御家人たちを束ねていけるのは舅殿しかおらんのだ」と上総の一件で心が離れてしまった御家人を束ねる役目を時政に命じたのです。

上総成敗から御家人は、誰かが粛清されればその領地は分配されるのだと知りました。

御家人たちが馴れ合うことはもうなくなりました。

これからは誰が敵に回るかわからない、いつ誰に謀反の疑いがかけられるともわかったものではない、とこれからの鎌倉を危惧します。

「北条が生き抜いていく手立てはただ一つ。源氏に取り入りこれまで以上に付き従う、これまで以上に。それしかない」と改めて思うのでした。

大きな代償を払い、頼朝は御家人たちをまとめあげました。

義経は鎌倉からの援軍を待っています。

戦が近づいていました。

謀反の一件で政子は自分が御家人たちの不平不満を聞き、頼朝との仲を繋ぐ必要があると感じていました。

しかし義母・りく(宮沢りえさん)は、これからは内よりも外に目を向ける必要があると主張します。

御家人を纏める役目は時政が行います。

政子はどうすれば京において平家のように大きな力を持てるのか考えろと言うのです。

源氏の世を盤石なものにするためには男児が必要。

政子にはもっとたくさんの子を産むように命じます。

他人事のように聞いていた実衣(宮澤エマさん)にも10人は産むようにと言うのです。

そして、自分も北条の後継を産むと宣言したのでした。

義仲討伐

寿永2年(1183年)12月、後白河法皇が頼朝追討軍の院宣を出しました。

後白河法皇の背後についている義仲のせいだと考えた頼朝は、義仲討伐の兵を出すことにしました。

源範頼を総大将、戦奉行に梶原景時を任命し、和田、土肥、千葉、岡崎、畠山を義経の援軍に向かわせると決めた頼朝。

北条と比企は鎌倉に残り、頼朝を守ります。

寿永3年(1184年)1月、範頼の本軍が墨俣で義経の先発隊と合流しました。

範頼は、義経が勝手な行動をして平家と戦いを始めていないかと危惧していましたが、きちんと待っていたことに胸をなで下ろします。

しかし、義経は昨晩のうちに平家と小競り合いをしてきたと暴露。

範頼は自分の命だったと頼朝に伝えると義経を庇います。

鎌倉の本軍が近江に迫ってきたと知った義仲は、源氏同士での戦いではなく、共に平家を倒そうと文を出しました。

義経の策

その頃、陣の中では、上総を斬った景時が戦奉行として就任していることに不満がある和田が景時の言葉に逆らい、反発します。

義時は、大戦の前に仲間同士での諍いは止めてもらいたいと諭します。

景時が上総を斬ったのは頼朝の命です。

恨むなら頼朝を恨むのが筋、と義時は主張したのです。

そんな時、義経のもとに義仲からの文が届きました。

共に平家を倒したい、と書かれた手紙を丸めながら義経は「寝ぼけてるのか!」と怒りを顕にします。

どうするかと尋ねられた義経は、使者の首を刎ねて送り返せ、と命じます。

使者を殺すのは戦の作法を違えています。

しかし義経は、義仲の頭に血を上らせるのだ、といいます。

戦は冷静さを失った方の負けになります。

義経は義仲の動揺を狙ったのです。

さらに、義経は二手に分かれた兵力を千と少なく偽り噂を流せと命じます。

無残な首を受け取った義仲は激しく怒ります。

しかし、挑発に乗ってはいけない、これでは義経の狙い通りになってしまうと冷静さを取り戻しました。

使者を殺す、つまり義経は何か小細工をしているということ。

義仲は義経の動きを先読みし、義経が二手に分かれて戦おうとしていると気づきました。

義仲の兵が、義経の流した噂を拾ってきました。

鵜呑みにした義仲は、この戦勝てる、と息巻いたのでした。

しかし、実際に宇治川に集結した兵力は噂とは程遠いほど多くいました。

ざっと見積もって義仲の兵の倍以上。

義仲は、橋を壊して京を捨てることを決めました。

義経は、敵が橋を壊すことは想定していました。

畠山に命じて、川を渡るよう命じます。

それでは格好の的になってしまうと畠山が言うと、橋の手前で2名の強者に先陣争いを派手にさせろと命じたのです。

そちらに注意が向いている間に、畠山勢は川を渡るようにと命じたのです。

京を去る義仲

その頃、京の院御所で後白河法皇は義仲から身を隠していました。

探すものの一向に出てこない法皇を諦め、義仲は暇乞いを始めました。

自分は京を離れ、北陸に戻る、力及ばず、平家追討の任が果たせなかったことは断腸の思い、義仲が果たせなかったことは必ず頼朝が引き継いでくれる、法皇の悲願、平家滅亡と三種の神器が戻る大願成就を願っている、最後に一目お会いしたかったが、それが叶わないのは義仲の不徳の致すところ、と言うと一礼して院御所を去りました。

義仲は京を去り、宇治川を突破した鎌倉軍は大和大路より京に入りました。

土肥実平と共に法皇に目通りがかなった義経。

法皇は体を休めるよう声をかけますが、義経はこれより義仲の首を落とし、その足で西に向かい平家を滅ぼす、と宣言しました。

法皇は、義経の心意気を褒めました。

京を出た義仲は近江へ向かいましたが、そこには範頼の軍勢が待ち受けていました。

義仲は巴御前(秋元才加さん)に、嫡男・義高への文を託すと、ここで落ち延びよ、と命じたのです。

巴は態と捕らえられ鎌倉に行き、義高に文を渡すのだと言われます。

女であれば、殺されはしないだろうと義仲は考えたのです。

絶対に歯向かうなと言い渡し、義仲は巴を逃がしたのです。

失意の中、歩く巴を見つけた敵軍は、巴を取り囲み刃を向けます。

巴は誇り高く立ち回り、敵と刀を交えていました。

しかしとうとう組み伏せられた時、和田義盛が現れ、巴を「気に入った」と連れ帰ったのです。

義仲も敵兵に見つかり、最早これまで、と自刃の場所に向かおうとしました。

しかし不意をつかれ頭に矢を受け絶命したのでした。

鎌倉に、義仲討伐の報が続々と送られてきます。

書に慣れていない坂東武者からの文は悪筆が多いのですが、梶原景時の文は端的で頼朝は感心していました。

義仲討死を聞いた政子は、なんとしても義高を守ると決意を固めたのです。

戦神

京の範頼の陣にて、軍議が開かれていました。

京の福原に陣を構えている平家を討つために、戦奉行・梶原景時が策を出していました。

皆が感心する策だったのですが、義経はそれを一蹴します。

「山から攻めるのはいい、後は駄目だな。話にならない。まず、福原の北にある三草山の平家方を攻める。意表を突いて山から攻める、そんなのは子供でも思いつく。ということは敵も思いつく、だったらいっそのこと手の内を見せてやる、敵を散らすんだよ。今は東西を固める軍勢が北も守ることになるだろ。その上で我々は裏をかく。予想外のところから攻める」と義経は主張します。

しかし、肝心の予想外の場所はその時、その場で見て決める、と言うのです。

さらに、通常は2日かかる三草山へ1日で辿り着き夜討ちをかけるというのです。

そんな無茶な話があるか、と御家人たちが反論すると、義経は「坂東武者は口だけか!」と怒鳴ってきました。

義時が景時にどう思うか尋ねると、景時は「九郎殿が正しゅうござる、全て理に適っている」と義経の策を支持しました。

この一言で、範頼は義経の作戦で行こうと決めたのです。

景時は、義経の戦の才能に感じ入っていました。

戦神、八幡大菩薩の化身のようだ、と絶賛します。

そこに義経が義時に話があるとやってきました。

2人になると、義経はもう1つ策を思いついたと笑います。

法皇に文を書き、平家に対し和議を命じてもらいたいと言うのです。

法皇様から平家に源氏との戦を控えるように指示を出してもらう、明後日6日に先方に伝わると嬉しい。我々は法皇様のお言葉は知らなかったとして7日に平家を攻めると言うのです。

「敵はすっかり油断している。こっちの勝ちだ。騙し討の何が悪い」と義経は笑いました。

この申し出を受けた法皇は、義経が面白いことを言い出した、とこの策に乗ったのです。

法皇と似た気質を持つ義経に、法皇は好感を持ちました。

法皇から源氏との和議を望む文を受け取った平宗盛(小泉孝太郎さん)は困惑しました。

一ノ谷の戦い

三草山に夜討ちをかけた義経勢はそのまま福原に向かい山中を進みます。

この先は断崖絶壁しかないという鉢伏山の麓で、景時は鵯越の策を打ち立てます。

しかし義経は傾らかなところを馬で下りても誰を驚かない、と反論します。

一際そびえ立った鉢伏山を馬で降りる、と策を立てました。

景時は、義経ができても他の兵はできない、大将ならば兵が無駄死にしないよう考えるべきだと反論します。

しかし義経は、まずは馬を行かせ、次は人が下りると言うのです。

そんな無様な戦い方は坂東武者にはできない、と言っても、戦に見栄えは関係ない、と一蹴。

自分の兵たちだけで行くと景時の制止を振り切って山を上っていったのです。

畠山重忠も義経に従い、登って行きました。

後詰の三浦は、まだ鎌倉に残っていましたが、もうそろそろ出陣しなければなりません。

義村(山本耕史さん)は、生まれたばかりの赤子を連れて八重のもとを訪れていました。

産んだ母の肥立ちが悪く、亡くなってしまったので自分が帰るまで預かって欲しいと強引に押し付けていく義村。

八重はそれを呆然と見送っていました。

義経は70騎の武者と共に鉢伏山の断崖の上にいました。

そこで鹿の糞を見つけ、喜んだのです。

鹿が降りられるということは、馬も降りられるということ。

そして、危険な崖下りが決行されました。

福原の東、生田口では範頼軍と知盛(岩男海史さん)の軍が激突。

一の谷の戦いという源平合戦最大の攻防が始まりました。

一の谷の本陣で、平宗盛は幼い天皇にここには敵は来られないと告げて安心させていました。

しかしそこに崖から義経勢が現れ、平家軍に襲い掛かりました。

生き生きと戦う義経を見た景時は、「八幡大菩薩の化身じゃ」と呟いたのでした。

次回、第17回「助命と宿命」

源義経(菅田将暉)の軍略がさえわたり連勝に沸く鎌倉方。しかし、木曽義仲(青木崇高)の討伐により鎌倉に再び暗雲が立ち込める。義仲の嫡男・義高(市川染五郎)を危険視する源頼朝(大泉洋)は、戦勝報告のため範頼(迫田孝也)とともに鎌倉へ戻っていた義時(小栗旬)に義高の処断を命令。大姫(落井実結子)を思う政子(小池栄子)は憤り、義高を救うため奔走する。一方、頼朝に試された義時は八重(新垣結衣)ら家族を思い……

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより

とうとう義仲が討たれ、鎌倉の人質・義高にも危険が迫ります。

大姫が慕う義高を守ろうと政子も奔走するのですが、頼朝は冷酷に義高の処断を義時に命じました。

またもや頼朝は義時に辛いことを命じてきました。

我が子が生まれたばかりの義時は苦悩します。

今回の義仲討伐も苦しかったですが、嫡男・義高の悲劇にも胸が締め付けられます。

頼朝の冷酷な仕打ちはどこまで続くのでしょうか。

次回、第17回「助命と宿命」も目が離せません。

最後に

生き生きとした義経が印象的ではありましたが、卑怯な手も騙し討ちも喜々として行う義経の姿に恐怖を感じました。

無謀、無茶と言われる策も難なく成し遂げ、戦果を挙げていく義経。

義経に卑怯とか姑息とかいう言葉は通用しません。

どんな手を使っても勝利をもぎ取ろうとする執念を感じます。

戦神、まさにそんな感じでしたね。

菅田将暉さん演じる義経には、毎回惹きつけられてしまいます。

後白河法皇の腹黒さも恐ろしいですけどね。

喜々として義経の策を了承するなんて、恐ろしい。

さすが、たくさんの武士を捨て駒にして、京で政権を取り続けてきたお人です。

今回一番の見所はやはり義仲討死のところでしょうね。

最後まで無骨で誠実、真っ直ぐで好感が持てる義仲でした。

青木崇高さん演じる義仲が見せる、まっすぐな感情は見ていてとても気持ちよく共感できました。

嫡男・義高への愛情と源氏再興を願う気持ち、邪険にされていたにも関わらず、後白河法皇の大願成就を願い、去る義仲に胸を打たれました。

巴との別れの場面も素敵でしたね。

無骨な義仲の愛情が伝わる名シーンでした。

嫁を求める和田義盛が巴を救ったのが引っかかりますけどね。

「吾妻鏡」ではその史実はありませんが、「源平盛衰記」では和田義盛が巴を嫁にしたという話があります。

一の谷の合戦の後の巴にはたくさんの異説がありますが、三谷幸喜氏は和田の妻として朝比奈義秀を産んだという説をとったんですかね。

どちらにせよ、愛しい夫を亡くした巴の苦悩を思うと切なくなります。

頼朝の政治には裏切りだの騙し討ちだの常に付いて来ます。

これからもこのような悲しい展開が続いていくのでしょうね。

見ていて辛く悲しいことも多いのですが、やはり目が離せないこのドラマ。

次回、第17回「助命と宿命」でも頼朝の冷酷な采配によって命が奪われてしまいます。

そうして上り詰めていく頼朝と頼朝を支える義時の苦悩、そうして進む道を、息を詰めて見守りたいと思います。

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